「ファンタ グレープフルーツが出たよ」
日本からメールが舞い込んできた。
「おっ!」と目を引く飲み物と出合ったのもその日だった。
こちらはペプシ。今のものではなく、その昔使われていた王冠に筆記体で書かれたロゴが青地に浮かんでいる。ファンタがペットボトルで、ペプシはアルミニウム缶というのは今の時代の鏡だろう。
<レトロブーム>なんて言われはじめていったいどれくらいが経つのだろう?
懐古趣味という言葉があるくらいだから、遠い昔から人間の中にはそんな部分があったんだろう。それだけ旧いものに愛着や、郷愁を感じ続けているということで、<レトロブーム>とはそれが十分ビジネスとして成り立つことの証でもある。
たしかに旧いものには惹かれるものがあるし、美しくもある。嫌な思い出すらも、時間というフィルターにかければ角が取れまろやかになってくる。時間というものは不思議だ。
幸せなんだろう。「憎くて、憎くて」、「いやで、いやで」、「恥ずかしくて、恥ずかしくて」……、そんな出来事がない。いや、ただ鈍感で物忘れがひどいだけか。
30年前、ベルボトムに代表されるフレアパンツで街が再びあふれかえるなんて想像だにしなかった。しかし、「古く」、「はずかしい」ものではなく「新しい」と見る若い人の目で定着していき、こちらはこちらで、そんな街の情景にも慣れっこになってしまった。はずかしいなんていう感情はどこかに忘れてきてしまっている。
時間のフィルターにはある程度の厚味が必要だ。
小雨の降り続いた翌朝は季節はずれの日本晴れ。気になって調べてみると、室町時代の頃<日本>は<very>という意味で使われることが流行していたらしい。雑学終わり。
ぬけるような青空を見上げていたらうずうずしてきてしまい、朝の町に飛び出す。歩道に並べられた白や水色のゴミ袋に出来た小さな水たまりがキラキラと朝日をはねかえす。しっとりと湿った町は文字通り水々しく、息をしているようでもある。
目的地へ着き、そして帰ってきた。
朝飯を買ってきた。近所で評判の店で買ったベーグルを半分にスライスし、室温に戻しておいたバターを塗る。まわりはカリッとしていて、中身はしっとり、モチモチしている。噛めば噛むほどバターの甘味が口中に広がっていく。そういえば昔はバターが好きではなかった。
あの頃、ハムや野菜なんかが入ったサンドイッチはよそ行きの食べ物だった。身近なサンドイッチ、いやサンドといえば駄菓子屋のガラスケースの中に入っているジャムサンドとバターサンド。セロファンの袋入りで、三角に切られた薄い食パンにジャムを塗られたものがひとつ。バターを塗られたものがひとつ仲良く肩を並べていた。
「どうしてジャムサンドがふたつはいってないんだ」
いつも先に食べてしまうのはバターサンド。
日本晴れのベーグルはバターサンドの味がした。
今、バターサンド、ジャムサンドなんていう食べ物はあるのだろうか?
小さな頃よく歌っていた歌
♪食パンがお嫁に行くときは
ジャムとバターにはさまれて
洋食皿にのせられて
着いたところは喫茶店♪
(「おたまじゃくしはかえるの子」のリズムに乗せて)
懐古。