日時:06・20・07(水)晴れ午前8時30分
ポイント:Midtown-West 路上にて
魚:会社員風の女性が持つカバンのつもりが混乱
釣果:わけがわからなくなってしまう+僕1人
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「ショルダーバッグをたすきがけにしている人はどれくらいいるんだろう?」
そんなことを考えながら道行く人達を見ていると……。
どこまでがショルダーバッグで、どこからが(手提げ)バッグかがわからなくなった。バックパックだけはわかるけど、ほかのものは昔ながらのショルダーバッグというもの。二本の取っ手が長くのびた手提げバッグ風のもの。普通のバッグにいいわけのようにショルダーストラップのついたもの。いつの間にかバッグの境界があやふやになり離合集散を繰り返している。
最初の「女性のみ」という間口を広くして男性も目に入れてみた。これまたわからない。
<NY=ひったくり>というイメージが強いせいか(僕は二回しか見たことがないのだけれど)女性が持つかばんの多くは取っ手が長くなり肩から引っかけることができるようになっている。他の街はどうなんだろう?
取っ手のないかばんに至ってはもうほとんど見かけることがない。かばんにはヒモがついているのが普通で、ないものは袋となってしまい英和辞典もなかなかむずかしくなってきたぞ。
幼稚園児の時、黄色いかばんはいつもたすきがけだった。
小学校に入るとランドセルになり、4年生か5年生の時にショルダーバッグを買ってもらったように思う。
中学入学時にはお約束の黒い学生かばんを持たされたけれど「かっこ悪い」という理由だけでほとんど使わずじまいでショルダーバッグに戻る(いや、その前に薄―くつぶした時期があったんあ)。
あの頃はリュックサック(バックパック)は「かっこ悪」くて、かばんといえばショルダーバッグ。おかげさまで僕の後姿は、右肩下がり、猫背、がにまた、すり足、そのうえ歩くのが遅いと、悪いことのデパートのようになってしまった。「幼稚園の頃のようにたすきがけにしていれば少しはマシな大人になっていたかもしれない」なんて思って見てももう遅いし、「マシな大人ってなんだ?」なんて考えるような大人は絶対にマシになれないのはわかっている。
いつの頃からかNYでもたすきがけが目立つようになり、それが普通になっていた。男の場合に関してはきっとメッセンジャーバッグの流行が原因かな。たまにたすきがけもするけれど、今でも抵抗があり、おかげで右肩の下がりはいまだに進行形のような気がする。
それにしても道行く人のバッグの大きさには少し驚かされた。
携帯電話、PC、ipodなど持ち物が増えたせいか?それでもその分前よりも少なくなった、なくなったものもあるわけで……。
「あのバッグには何が入っているのだろう?」
僕の黒いショルダーバッグを見てみると。
携帯なし。
PCなし。
ipodなし。
かけ値なしのアナログ100%だった。電卓でも入っていれば97%くらいなのかもしれないけれど。かといってそろばんが入っているわけでもないし。計算は筆算が一番手っ取り早いし、そんな事を出先でするような生活もしていない。
大嫌いな徳川家康の言葉に
「人の一生は重荷を負うて遠き路を行くが如し」というのがあった。
手ぶらが一番。そうしたいのはやまやまだけど。
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