腰痛もやっとおさまりだした2月の最終日、200 cigarettesという映画を観た。舞台は1981年のニューヨーク、イーストヴィレッジ。まだまだ黒と極彩色がごっちゃになった空気が漂っていた頃だ。僕が来る5年前だけれど、映像はそれ程は変わっておらず、アルファベット・シティーに初めて足を踏み入れた時の緊張感が手のひらに戻ってくる。
そんな日の夜、近所に住むT君がやって来た。彼は友達の友達で、まったくの初対面だったのだけれど故郷が隣町ということもあり地元ネタで盛り上がってしまい、気づいてみればビールの空き缶と空き瓶で小さな山が出来上がっていた。
翌朝にはいつものようにニュースをチエックする。見出しのいくつかをクリックしながらもアクセスランキングにある文字が気になっていた。よく見てみるとそれは懐かしい故郷の三文字<大牟田>だった。数年前に起こった殺人事件の判決が下されたとのこと。たまたまニュースを見ていたのがmixi内だったので、その時頭に起こっていたことを日記に(ブログの方には載っていませんごめんなさい)。
そもそもmixiに参加したきっかけはブログを通して交流のあった人から受け取った一通のメールだった。これまではその空間を初めて出会った人、すれ違った人、ニューヨークにいる友達、そんな人達との交流の場として、また気になる情報を仕入れるパイプとしてそんな使い方をしていた。この日がそれを少し変えてしまうなんて知ることもなく。
日記を書いた翌日もまだまだあの三文字が頭から離れない。メッセージに返事を書いた後、参加している地元のコミュニティーをクリックしてみる。
「ふむふむ……」
最近のトピックや書き込みを読んで行く。それが何のトピックだったかはもう忘れてしまったのだけれど、ちょっと気になる書き込みをしている人がいたのでその人をクリックしてみる。プロフィールのページへと行き読んで行く。そこでまた目の端に何かが引っかかる。今回は文字ではなくて写真だった。その約2センチ四方のコマから波動のようなものが伝わってくる。その人の参加しているコミュニティーのものだった。『大牟田だごの会』(大牟田ではお好み焼きの事を「だご」と呼ぶんです)の写真。なつかしの「だご」がそこに座っている。たまらずクリック。しばらく読んで行くと久しぶりに目にするだご屋の名前がいくつも出てくる。そんな中のひとつで質問に答えている人がいた。書き込んだ人の名前の前でピタリと足が止まってしまった……。
「もしかして?」
クリック。
やっぱり彼だった。
同じ年齢で一昔前には仕事、遊びを共に楽しんだたイイ男。
それなのに(僕の一方的な)音信不通で連絡を途絶えさせてしまった男。
本を出した直後、いの一番にメールをよこしてくれた男。
先年日本に帰った折には、まるで二、三日会わなかっただけのような感じになれる(させてしまう)男。
そんな親友がクリックの向こう側にいた。
「見つけたよ」とさっそくメッセージを出すと(日本では夜明け前だったにもかかわらず)即座にメールが帰って来た。地球のあちらとこちらでたまたま同じタイミングでコンピューターの前に座っていた。これもまた不思議な縁。
何度かの交信の後、my mixiの登録を終え新しいコーヒーを飲む。それでもどこかが落ち着かない。
「もう少し大牟田を見てみよう」、と今度はコミュニティー検索をしてみる。最初のページに見覚えのある文字が。
「そんなはずは絶対になーい!それでもこれは……」
クリックしてみる。
そんなはずがあった。それは間違いなく大牟田にあるライブハウスのコミュニティーだった。管理人の箇所にもそれらしい名前が。
クリックしてみる。
プロフィールの欄には懐かしい従兄の名前が書かれていた。
コミュニティーが出来てまだ7日目だったのが幸運だった。これが日が経ち3ページ目あたりにでも埋もれていたら、間違いなくその日は素通りしてしまっていたはずだ。これもまた縁。
この従兄(家も近所で兄のようなものだけれど)ほど僕の人生に大きな影響を与えてくれた人はおらず、それはこれからも変わる事はないだろう。彼はほんとうにたくさんのことを口と、そして背中で教えてくれた。この人の存在なしで今の自分を語ることは絶対に出来ない。
これまではその多くが<新しい>出会いの場所であったmixi。それがこの数日を境に<旧い>出会いともなってきている。このクリックがどこかでずれてしまったら、いやあの日あの事件に判決が下されていなかったら、この二人とこういった形で再会することはもっと遅れてしまっていただろう。先頭を走る、人と人との場が旧いロウソクに火を点ける。とびきり大きな炎ではないけれど、まだまだ燃え尽きることのない太くて長いロウソクに。
僕がいつも横顔を見つめ、その背中を僕なりの方法で追いかけていた二人との距離がとても、とても近くなった。同じ日に二本のロウソクは点った。それはとても言葉では言い表すことのできない興奮でその灯はまだ少しだけ揺れている。
こと従兄に関しては未だに半分ほど信じられないでいる。あれほど頑なにアナログにこだわってきた彼が。
あの時、モニターに写る彼の名前をしばらく見つめていた。
200 Cigarettesの最後のシーン。映画の中で狂言回しのような役柄を演じていたcab driverのつぶやきが耳に残っている。
「肩の力を抜いていけばみんなハッピーになれるのさ」
今では二百本のタバコを喫うのには一ヶ月近くもかかってしまう。それを四日ほどで喫っていたあの頃、この同じ言葉がここまで印象深かったろうか?
腰痛もほぼ治り、来週からは久しぶりの日常にもどります。
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