「バリ、バリッ」
いやな音がした。
昔と比べるとかなりきれいになったとはいえ、ニューヨークの地下鉄構内は日本の常識で言うきれいというところとは少し違う。それはあくまで「かつて」よりきれいといったところだ。ホームの端に立ち線路をのぞき込むと、必ずと言っていいほどに枕木の上を走る大きなネズミ(rat)を見つけることができる。落書きのない駅はまず皆無といっていいほどで、何度もペイントを施された鉄柱はどこも丸みを帯びている。
MTA(都市交通局)の肩を持つ事もできる。
深酒をした帰りには〈構内洗浄部隊〉と遭遇することも決して珍しい事ではなく、どうやら定期的に清掃を行っているようだ。そんな時、駅舎の外には数台の大げさなトラックが停まり、コンプレッサーの音と共に圧縮された水をホースへと送り出す。ホースの先に立つ係員はレインコートに長靴といった重装備に身を包み、壁といわず、床といわず、天井といわず洗礼の水を浴びせかける。娑婆の悪が線路の中に流れ落ちて行く。そんな夜はネズミ君たちにとって待ちわびたごちそうの日となるわけだ。
捨てる人、流す人。善人(ゴミを捨てることによってそれを掃除するという仕事を作ってくれる)とも悪人とも言うことのできる両者。そのネズミごっこならぬ、イタチごっこの終わる日はまず来ないだろう。
もちろん日中にはホームに落ちた(落とされた)目に付くゴミを掃除する人、ゴミ袋を交換する人、タイルの落書きをゴシゴシと薬品でこする人……、そんな人達を見かけることもある。突如として線路のゴミさえも消えてしまう日もあるくらいだからそこも掃除されているはずだ。それでもやはりお世辞の語尾ががモグモグとなってしまうところがニューヨークの地下鉄。
そんな中にわなは待っていた。
そいつはまるでカメレオンのように駅の落書きの中に埋もれていた。よほど気をつけていないと見過ごしてしまうほど情景にとけこんでいた。いやな音に振り返ると、白い紙に黒い文字が書かれている。
”WET PAINT(ペンキ塗りたて)“
風もないホームで少しだけ斜めを向いている貼り紙。すぐ横では誰かにお歯黒を塗られてしまった大きな美女がポスターの中から脱力感をともなう微笑みを投げかけている。よく見てみるとポスターの枠がゆるい光沢をたたえていた。どうやらこの黒枠を塗ったらしい。それにしても同じ黒枠の中でもまだペンキのはがれたままになったところが数ヶ所もある。ペンキ屋さんは仕事の途中で帰宅の時間となってしまったのだろうか?
緊張感を持つ。
それは大切な事なのかもしれない。それはわかっている。しかし僕程度の人間にとって四六時中それを維持するというのはなかなか厳しい。拷問に近いものであるかもしれない。とにかくまたたく間に神経衰弱に陥ってしまうのはまず間違いのないところだろう。その代償といってよいものかどうか、(物的にも、精神的にも)色々な拾い物をするわけだけれど。
そんな失われた緊張感を呼び覚ましてくれるものに小さな事故がある。どこかでけつまずいたり、よく晴れた朝の数時間後にビッショ濡れになっていたり、はたまた背中にペンキがついてしまったりと。きっと命とは遠い所にいるこんな事故は「ヨシ」としなければならないのだろう。ツケは払わなければならないのだから。
「なれ」という事は常日頃よく考えさせられることのひとつだけれど、そんな中からあと一人の自分をたたき起こすために事故は(あたりまえの話だけれど)なんの前触れもなくやってくる。
濃紺のダウンベストに入った真新しい黒線を眺めていると風が近づいてきた。
「なんだか寒い」
帰宅してそれでもなにかがおかしいのに気づく。スウェットシャツを忘れてきてしまっていた。あの音を聞いた瞬間に浮かんだ「ついてない」という言葉が再び頭をもたげようとしたけれど、やっと強引にねじ込んでやる元気が出てきた。
今宵、ロックフェラーセンターのクリスマスツリーに灯が入れられる。
その光は僕の中の何を呼び覚ましてくれるのだろう?
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