二日前にテキサス州サンアントニオに移動し、明日(5月21日)は州都オースチンへ向かいます。今回は近場で80マイル(130キロ)。
シカゴからダラスへの移動中のこと。ミズーリー州あたりからハイウェイの周りに生えている木の形状が少しずつ変わってきた。テキサスではそのほとんどがオーク・トゥリーになる。
「なにかににてるよな」
その答えがサンアントニオへの移動中にやっと出た。
間近に見た花よりも、どちらかと言えば車や電車の窓から目にしていたものの方が印象に残っていることが多い。それは窓の向こうに「アッ」という間に流れていってしまうからかもしれない。つかもうと思ってもつかむことの出来ない花たち。そうであるからこそ、そこにはいつもミステリーに似たようなものがある。
それでも機会があれば手にとり、ゆっくりと眺めてみたいという衝動に駆られてしまう。本当はそんなことはしてはいけないのだけれど。流れ行くものは追わないほうがいいに決まっている。
今の日本の状況ではほぼ不可能になってしまった。
幼稚園の三年間、市バスで通園をしていた。路線バスだから当たり前の話だけれど、毎日お決まりのコースをたどる。僕の家から駅をはさんで大きなCの字を描きながらバスは三十分をかけて幼稚園へ、家へと向かう。Cの字の一番突端の部分にそれは咲いていた。春には一面がピンク色に埋もれる田植え前のレンゲ畑。田舎のバスはのんびりしたもので、ちょっと時刻表より早かったりすると時間調整のためどこかで数分間停まったりする。そのバスはいつも一番交通量の少ないレンゲ畑の前で停まっていた。バスを降りさえすればそれがなんであるかわかる。手にとることも出来る。それでもレンゲ畑はしばらくの間ミステリーであり続けた。駅前広場のしゅろの木の根元に広がっていた白つめ草もまた同じ。
そのミステリーが現実になったのは自転車を乗り回すようになった小学生の頃。
「さわりたくて、さわりたくて。手にとってみたくて」しょうがなかった。親には内緒で、やっと乗れるようになった自転車をこいでレンゲ畑へと向かっていた。あんなに小さな花たちがその色で地面を染めてしまうことにびっくりしていた。そしてその<花>としての生命の短さにも。
赤い草花を目にするとイタリアを思い出す。高速で走り抜ける電車の窓からはいつも真っ赤な、太陽の色をした花を見ることが出来た。ただ通り過ぎていくだけの花。チャンスがあっても決して近寄ることのなかった花。赤い花を見るたびにこれからもイタリアを、そこで過ごした日々を思い出すことだろう。
花には手に取るべきもの、そしてただ遠くから見るべきものの二種類があるのかもしれない。この赤い花は僕の中では後者に属する。いつの日か手に取ることもあるだろう。それでも今はそのままにしておきたい。いつかその日がやってくるまでは。名前も知らないままでいい。ただの赤い花、それでいい。今はそういった場所がこの花に、そして僕にもあっているみたいだ。
今進行中の花。
シカゴでは郊外のいたるところを黄色に染めているタンポポだった。土曜日にモーテルのドアを開けるとどこからか気の早い綿帽子が迷い込む。
サンアントニオに近づく頃、ハイウェイの中央分離帯にポツリ、ポツリと赤いものが目に付くようになってきた。それは小さな赤いバラのよう。そう、テキサスの赤いバラ。映画のタイトルどおりだ。
深い、深いオーク・トゥリーの中を抜けながら考えていたことは、
「まるでブロッコリーの房の中を走るアリみたいだ」
遠目に見るオーク・トゥリーはどれもブロッコリーに似ている。これから料理の彩りに添えられたブロッコリーを見るたびに僕はこの旅のことを思い出すことになるだろう。
それがおいしいブロッコリーとなりますように。
今はただのブロッコリー、それでいい。
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