小さかった頃、月に何度か近所に暮らすおばあちゃんの家へ走った。
引き戸を開け、少し薄暗い玄関に立つと
「でんわでーす」と大声で呼ぶ。
僕の家に電話が引かれた頃の話。ダイヤル式の黒い電話、それは間違いなく時代のハイテク通信機器だった。電話には町内の共有物という横顔もあった。もちろん一人に一台、携帯、動画なんてことは本の中ですら読んだことがない。三十数年でそれはあたり前のことになってしまったのだけれど。
「お待ちください」
ニューヨークに着いた数日後、日系の会社に電話をかけた。その言葉の直後に受話器の奥から(英語の)ラジオ放送が流れだす。英語がわかれば退屈しのぎにもなるのだろうけれど、僕は内容そのものよりも「受話器からラジオが流れてくる」ということに面食らっていた。二十年前のニューヨーク。まだまだ電話はハイテク通信機器の最前線でがんばっていた。
HOLD(保留)ということにそういう洒落た気配りのできる、そんな製品を作ってしまうこの国の気風に打ちのめされていた。日本で会社勤めをしたことのなかった僕にとって保留ボタンは未知のもの。誰かに電話をつなぐ時は送話口を手でふさぎ、大声で相手を呼ぶようなことしかできていなかったから。そういえば友達の家の電話の横には小さな箱が置いてあった。そこに受話器を置くとオルゴールの音が流れ出す。曲は「エリーゼのために」。
時代の最先端にある、それはそれなりに気も配ってもらえることなのかもしれない。
数週間前のこと、かなりの数の電話をかけた。電話がかかってくるのも、かけるのもきらいな僕にとってその日々だけで電話に割く一生分の時間を使いきってしまったはずだ。かけた数に比例してHOLDされてしまうこともまたよくあった。ラジオは流れない。たったの一度も。まれに聞くことのできる音といえば録音された自社の宣伝。待たされて数分後にいきなり切れてしまっていることも何度かあった。どうやらもう電話は最先端を走っていないようだ。この先走ることもないだろう。電話の受け応えの技術もかなり低下している。「エリーゼのために」はもう古ぼけた頭の中でしか流れない。
最先端を走れなくなってしまったランナーは哀しい。それでも彼はこれからも走り続けなければならない。
心地良いHOLDを実現したあの心意気は今でもどこかの分野で活躍していることを願う。
一方でこれだけの人達が「書く」ということに時間を費やしはじめて数年が経つ。これもまた数十年前では考えられなかったこと。通信手段としての「書く」という行為は消え去ることのひとつと誰もが思っていた。そこには喋るのとは違い、やりながら自分の頭の中を整理することができる。言葉だけでは伝えることのできないなにかを込めることができる。生活の中にいきなり土足で上がりこんでくることはない。スピードを得た「書く」は息を吹き返したようだ。「書く」の復権で再発見されたことも多い。もちろん匿名性の良否など問題点は山積みされているが、それはやはり時代のトップランナーの宿命でもあり、順位が落ちてしまえば人の口にすら上らなくなってしまうだろう。そして欠点を改良した次のランナーが順位を上げる。
日本に帰った際、母に携帯メールのやり方を教えた。今ではPCを習っているそうで近況をメールで伝えあうことができるようになった。
それでも誰もがPCや携帯メールを使う(使える)わけではない。日本のどこかで
「メールでーす」、とプリントアウトされたメールを手にした子供が叫んでいるかもしれない。
共有と保留。
○この記事を読まれて<なにか>を感じられた方。
ここを押していただけたらウレシイです。
○新しいブログ
《ボーカンシャ》です。よかったらのぞいてみて下さい。
→そしてこの後予期せぬ出来事が起こった。