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ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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Roll Over Beethoven
 チャック・ベリーが流れていた。

 意識がはっきりとしてくるのにともなっておなかが空いていることもわかってきた。次の瞬間には頭の中にソースの焦げる匂いが広がってしまった。無性に焼きそばやお好み焼きが食べたくなってしまう時がある。
「冷蔵庫の中にはまだ豚肉とキャベツがあるな……」、ベッドから飛び起きた僕はそんなことを考えながらゴシゴシと顔を洗う。もう頭はスーパーの方に飛んでいってしまっている。四個で一ドルのインスタントラーメンを片手にレジへ向かっている時にチャック・ベリーが流れ出した。よく晴れた日曜日。午後になったばかりのせいか、まだ人もまばらなスーパーにはゆっくりとした時間が流れている。


 気になっていることがある。
 お店とBGMの関係。BGMの自己主張が気になっている。そりゃ、誰でも自分のお気に入りの曲を聴くことは気分がいい。それを「店の色にしよう」という気持ちもわからないではない。それでもBGMが前に出て来すぎてしまうと全てが崩れてしまうこともある。そこがあくまでも音楽を聴くための場所でない時には。自分のバランスがそのせいで崩れてしまうことがある。しかも悪い方に。飯がまずくなり、本選びはどうだってよくなってしまったりする。まぁ、不必要な物を買うことがないというのはメリットではあるけれど。場とそれを補足するものがいい関係にない時、そこには居心地の悪い不快感が残ることが多い。
 BGMが本来のバックコーラスのマイクを捨ててフロントマンとなって叫び続ける時、それは押し付けになってしまう。本来そこで立つはずのない神経が立ってしまう時すらある。僕の場合、押し付けられてしまうと必ずと言っていいほどどこかで「反抗」がめばえてしまう。そしていきなり機嫌が悪くなったり、店を出たり。それは精神衛生上よくないわがままな男だとは思うのだけれど。
「耳をふさげばいい」
「ipodのイヤフォンを耳に突っ込めよ」
 そんな声が聞こえてきそうだけれど耳は常に開けておきたい。
 なんで他人のために耳をふさがなきゃいけないんだ?他の音を聞かないようにするために別の音をかぶせるなんて、その音に対して失礼だとも思う。その音は便所のドアになるために生まれてきたものではないはずだから。
 そして僕は全てのことを受け入れることなんて出来ないし、流すほどにねれた人間でもない。やさしくもなければ大きい器を持つわけでもない。そうしてひとり不機嫌になってしまう。
 BGMは決してフロントマンになってはいけない。BGMがフロントマンになる日・場所。そしてその逆も必ずある。コーラスの声でリードボーカルを消してしまってはいけない。客がそのハーモニーを欲している時には。

 この古いスーパーではいつも1950年代から70年代にかけてのヒット曲が人と人、そして商品の間を満たしている。その様は決してオシャレとはいえないけれど不思議な安心感がある。店内に適度なボリュームで流されるふるいポップス。そのほとんどは決して嫌いではなく、かと言って昔ほどグッとくるものを持っているわけでもない。ポップスがポップミュージックである限りそれはナマモノの範疇を出ることはなく、許されない。時代が流れ時と共に認められてきた曲もある。牙の引き換えに得たものは永遠の命であり、その中にはスーパーのBGMとして生き残る権利も含まれていたのかもしれない。それらがヒット曲であったところが少しだけ寂しく、哀しい。
「クラッシック・ロック」という言葉の誕生とともに、かつての時代の代弁者の声は、それをバックに午睡するのことの出来るほども気持ちの良いものとなってしまった。人間も、そして音楽もそうあるべきなのだろうか?


 チャック・ベリーの『ロール・オーバー・ベートーベン』を口ずさみ、軽快に身体を揺らしながら商品をスキャンしていくレジの黒人女性。
“Next”
 僕の順番がやってきた
“Do you have club card?”と訊いてくる。
(club cardは日本で言うポイントカードのようなもの)
 いつもはカードを差し出す僕だけれど、もう右手には一ドル札を握り締めている。その上焦げたソースの匂いで充満した頭からの命令でとっさに口が動いた。
“No.”
 僕の口が閉まりきる前に女性の右手はポケットに伸び自分のカードをスキャンする。そしてカードは再びポケットに。実に流れるような自然の動きで、その間一秒もかかっていない。もちろん口元からは『ロール・オーバー・ベートーベン』が流れ続けていた。
 ラーメンの入った白い袋を渡されレシートを待つ僕。どうやら用済みの僕の事はもう彼女の目に入ることはないらしい。彼女の背中越しに
“Next”
“Do you have club card?”の言葉が聞こえてくる。彼女の右手が動いた時、僕はドアに向かって歩き出した。

 彼女がやっている行為。それは見る人によっては不快であったり、「公正でない」と思う人もいることだろう。宙に浮いたお客さんのポイントが彼女のカードに吸い込まれていく。見方を変えれば吸い込まれた分だけ店が損をしているようにも見える。たしかに店の中に落ちているコインは店のものではあるけれどそれは百ドル札ではなく、ましてや誰かのように七億円を横領しているわけでもない。そう目くじらを立てることもないだろう。また時としてclub cardを出したお客さんにだけ割引が適用される商品もあるので、場合によっては彼女の行為で「ありがたい目」にあうひともいるわけだ。なによりスーパーのキャッシャーという職種は決して「いい仕事」ではない。店の側からしてもそれくらいのお目こぼし、客の側からしてみればチップがわりでもいいと思う。「誰」が困るわけでもない。
 社会のあちこちに、こんな不恰好な木がなんとかバランスをとりながら立っている。次々と商品をスキャンしていく彼女。そういえばどこかチャック・ベリーに似ていないこともない。
 こんないつ倒れるともわからない木々。もし、あの場に流れていたのがチャック・ベリーではなくまだまだ角の取れきっていない音楽だったら……。彼女の行為に対して「キッ」となってしまう人が現れないとも限らない。角の取れてしまった曲。BGMというものは不思議な力を持つようだ。しかし角を「取った」音楽というものはまったくおもしろくない。
 ゆっくりと流れる空気が見えるようなスーパーの午後。
 BGMとして余生を送るのもそうそう悪いものではないのかもしれない。

 このスーパーにはベートーベンよりも『ロール・オーバー・ベートーベン』の方がよく似合う。今年八十歳を迎える、それでも茶目っ気の抜けないチャック・ベリー。
 はたして彼はベートーベンをぶっ飛ばすことが出来たのだろうか?
by seikiny1 | 2006-02-27 07:57 | 日ごろのこと
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