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ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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街のリズム、人のリズム
 たったの三十年あまりでひとつの繁華街が生まれ、そして消えていった。
 約十年ぶりに帰った僕の生まれ育った町のかつての繁華街は、連休であるというのに陽だまりの下で将棋盤を囲むお年寄りの他にはほとんど人影を見ることが出来なかった。大型店舗や飲食店のほとんど郊外へと移ってしまっている。シャッターだけが目立つかつての商店街。国道では人影よりも車の数の方が圧倒的に多く、歩きながら常に車の中からの視線を感じていた。
 「この感覚は何かに似ている」
 考えてみると、それはアメリカの大都市郊外を歩く時の感覚に似ていた。不思議な孤独感、疎外感が平和な町の空気と相反して僕を包み込む。

 四、五年前あることに気付いた。一時期は街を歩く人のほとんどが耳につけていたヘッドホンが急に減りはじめていた。それと反比例するかのように携帯電話で話しながら歩く人の姿が目に付き出した。
 人間は何かをやりながらしか歩くことは出来ないのかもしれない。子供の頃はよく本を読みながら歩いていたものだ。平和な時代だったと思う。それがカセットステレオにかわり、CDになっていった。アメリカへ来てからは食べながら、飲みながら歩くようになる。そして、今また大きな節目が来ているようで。街中に白いコードのヘッドホンをつけて歩くの姿が目立ちはじめている。i-pod。僕の目に残るほどなのだから、これは確実にそして着実に売れているのだろう。
 これからも携帯電話を買うつもりはなく、自分の意思で「音楽を聴こう」という気持ちも低くなるばかり。歩き喰い、歩き飲みはよほどのことがない限りしなくなってしまった。本を読みながらなんて歩けない時代、場所である。僕の<ながら>の中心は、よほどのことがない限り、これからも街を、人を見て、聞いて、感じて、そして考えながら、ということになるだろう。
 久々にソーホーからミッドタウンへ歩いていこうと思い立ち、昼過ぎに古本屋を出た後ゆっくりと時間をかけてフラフラと北上する。日差しも心地よく、風もさほど冷たくは感じられない。快適で楽しい散歩だった。しかし三十七丁目あたりから急に人の流れが変化した。その数も多く、皆早足で人の、車の間を縫うようにして歩いていく。「世間様はいそがしいようだ」。こちらもそのリズムに合わせなければ、独楽のようにクルクルと回されそうだ。とてもではないが人や街を眺めているどころではない。考え事などしていたら踏み潰されてしまいそうだ。車もひっきりなしに通り、歩くスピードの比して前進する距離は短く空気も汚い。久々に歩くことのみに集中して数ブロックを歩き、そして息切れもした。

 今となっては、僕が心地よく感じることの出来る街はダウンタウンやヘルズキッチン辺りにしか残されていないようだ。そういった、街と人とが独自のリズムを持ちながら共生している街。そのどちらかが欠けてもいけないし、どちらとも欠けてしまうなんて考えたくもない。息吹きが感じられない場所は街ではなく、息苦しい街には暮らしたくない。

 さて、日本には僕にあう街があるのだろうか?中途半端な僕は人も恋しく、街も恋しい。東京近辺では知識がないので全く見当もつかない。九州だとさしずめ福岡県の久留米市あたりだろうか。

 ミッドタウンでは久しぶりに息が詰まったけれど、十数年ぶりとなる古い友人と偶然に会うことが出来たのでそれでチャラ。今日はうれしいひなまつりだった。
by seikiny1 | 2005-03-04 12:39 | 日本とアメリカと
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