その朝、予定していたバスは満席で乗ることが出来なかった。次の便までの時間をつぶすために歩き出したその時、先ほど通り過ぎた別のバスの乗降口から「ファイブ・ダラー」、と中国訛りの女性の声が。行き先を尋ねてみると僕の目的地と同じだった。本来なら往復十五ドルの運賃も、空席を埋める為に叩き売りにかけられるらしい。バスは出発時間をすでに十分経過しており、僕が乗りこむ同時にドアは閉じられた。乗務員の女性に帰りの日時を述べたが「これは三日以内であればどの便にも乗れるから」、との説明と共に渡された青い切符には出発日と同じ日付で午後五時と記されてあった。全てが中文で書かれており。僕にわかるのは数字、それと裏面に記された時刻表のみ。
「ハイ、十五ドルね。席は後ろの方の空いている所に座って」
「???」
その後なぜか女性には急に英語が通じなくなってしまった。さっきの五ドルはなんだったんだ?それでも、朝の便に乗れたので良し、と自分を納得させ座席へと向かう。座るか座らぬか、という時にバスは動き出し、中国語でなにやらアナウンスが始まる。それが終わると中国語字幕スーパーつきの中国映画が車内に流れ出す。
外部からはごく普通のバスに見えるだろうが車内の中華度数は八十度を軽く超えていた。
ニューヨークでは前夜にまとまった雪が降り、街を白一色に包み込んでいたけれど残念ながら海辺の町に雪を見ることは出来なかった。それでも浜辺には何匹もの野良猫たちが日向ぼっこをしており、カモメたちは海に向かってうずくまり高い波の立つ海面と対照を成してのどかな風景を作り上げていた。日常から離れた非日常の僕を、歴史ある街はやさしく迎えてくれた。期待に違わず、そこでは日頃にも増してリラックスした足掛け三日間を過ごすことができた。ただ、たった一つの気がかりはやはり帰りのバスのことだった。
大丈夫かな?
バスターミナルへと向かう長いエスカレーターを中途まで降りたあたりから、その待合室内の中華度の高さが感じられてきた。その高さに伴い不安度の方も急激に増加する。全てが視界に入ると、その双方が九十五度ほどまで上昇しているのに気付く。まるでチャイナタウンに紛れ込んだような気分になる。
まず出発ゲートを探そうと、案内のモニターを覗き込む。どうやらほぼ同じ時刻に、別々の行き先ではあるけれども四台の中国系バスが出発するようだ。「ゲート番号は?」、と思い探してみるがそこにあるのは「999」という数字。このバスターミナルには1番から10番までしかゲートはない。不安に包まれたまま待合室内を見渡すと、少し先に“INFORMATION”の文字が。カウンターの向こう側に座る係りのアメリカ人女性はもちろん英語がしゃべれた。こちらも少し安心し、ニューヨーク行きバスの出発ゲートを尋ねると「7番から10番までのどれかのはずよ。私にもあのバス会社の事はあまりわからないの」、といった返事。またまた少しだけ不安度が増す。それでも、ゲートを四つに絞ることが出来た。そのゲートのドア付近へ行ってみると中国語の張り紙と時刻表が。数字と行き先意外は全くわからない。不意に床に目を落としてみると、そこには紙袋、新聞紙、かばん、帽子、ビニール袋、マフラー、手袋など様々なものが置かれていた。並べられているのか、ただ散乱しているのか、無意味に置かれているのかすらも判断できかねなかった。
頭を抱え込んだまま、とりあえずいすに腰をおろしバスの到着を待つことにした。
待合室の内部に急に渦が巻くような大きな動きが感じられた。
<つづく>