平方根はともかく立方根、三角関数、三次方程式など仕事以外で使ったことは多分ないと思う。
足し算、引き算、掛け算、割り算、小数、分数、等号、不等号。最低この程度の算数知識があれば、日常を送るのに不自由することはない。それならばどうして算数や、数学を学ばなければならないのだろう?学生時代にはそんな事を考えたことはなかったが、最近では、「論理的思考法を身につけるため」に学ぶのではないかと思ったりもする。三角形の面積がなぜ<底辺×高さ÷2>であるのか図形を見ながら考えていると納得がいく。正比例や反比例の論理も頭の中でグラフを描けば便利である。それ以上のこと、少なくとも高校一年生レベルくらいまでのものは極めてよく出来たパズルのように楽しみながら自然と論理的思考を会得していくことが出来る。
やはり生活していくうえで一番関わりが深いのが、加減乗除だろう。その中でも足し算と引き算。<1+1=2>となり、<10-3=7>となる。ほとんどの人が数字の上ではわかっていること。数字の上では。
しかし、これが生活の中に入り込んできた場合はどうだろう。
そもそも、なぜ計数がそれほど大切で生活に密着しているのか?それはやはり我々が生きるこの社会のほとんどが貨幣経済の下にあるといっても間違いないからだろう。好む、好まざるに関わらずそんな社会に生きている。
「ゲームが欲しい」、「オモチャが欲しい」、「あれが食べたい」、「これが飲みたい」。多くの親達は寛大で、お金持ちのように見受けられる。僕の見る限り、子供の欲しがる物を簡単に買い与えてくれるようだ。親が子をかわいく思うのは当たり前。だが、そうであるからこそ教えていかなければならないものもまたそこにはあると思う。
<0+x(エックス)=欲しい物>という公式を当たり前と思うようにしてはいけない。そのxの値が何であれ、それは論理的なものでなくてはならない事を教えていかなければならない。
子供にあげるお小遣いは日給がいいのだろうか、それとも月給だろうか?
子供を育てたことがない僕が意見を述べるのは僭越であり、机上の空論であるかもしれない。それでも言わせてもらうなら、幼い間は日給、長じてからは月給が良いと思う。幼い頃、目に見えて貯まっていく小銭を見ることは視覚的にも、習慣としても良いことだと思う。三十円のお菓子を買うためには、一日十円の貯金が三日間必要となる。足し算。長じては予算を組み、計画的に使う事を教える。五百円のお小遣いで、二百円のノートを買った後にどうやりくりしていかなければならないかを体験できる。引き算。
少々のことではそこにxの介在を許さない。足し算にも引き算にもxを入れない。一番身近にある数字がxの出現で全く別物に化ける恐ろしさを親や、僕達まわりのおとな自身がわかっていなければならない。
xが入らない足し算、引き算の論理が身についた後に、生きていく上で必ずしも1+1が2になるとは限らない事、10-3が7ではないこともあるという事を教えていく。xという存在の大切さ、厄介さをも教えていく。これもまた必ず教えていかなければならないことのひとつだと思う。
万引きする子供 が増えているらしい。そこに子供達の犯罪意識の欠如、ゲーム感覚を見る人もいる。僕はそこには足し算の論理の欠如もあるのではないかと思う。xの扱い方を教えるのは親の、僕達周りの大人の責任であると思う。
万引きは、その被害者をも哀しい思いにさせてしまう。原因は様々であろうけれど、これだけ世間を騒がせるからには何かが欠落しているのではないだろうか?いくら景気が悪いといっても、日本の経済状態は他の国に較べるとどん底とも思えない。
がらにもなく、教育の事なんか考えてしまったので内容がちぐはぐかもしれません。申し訳ないです。