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ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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“Yo, What‘s Up?”だけがあいさつじゃない
“Next!”
 アメリカの銀行やファースト・フード店等で列につき順番を待っていると、時として自分が囚人にでもなったかのような錯覚にとらわれることがある。同じ列につくにしても、ホームレスや低所得者の為の給食施設である、スープキッチンの列の方がどれだけ快適であることか。

 <ことば>というものはつくづく大切なものだと思う。ほんの短い一言がそれを受ける側だけではなく、発した本人をも快にも不快にもしてしまう。それはまるでサーカスの綱渡りのようでもある。そしてその一言が、その時、その日、はたまたそれからずっと先々まで影響を与えることが多い。たったの一言が。

 <ことば>の中にはたとえそれが自分に向けて発せられたものではなくとも、その影に組み敷かれてしまうものもある。
 たとえば俗にバッド・ワードと呼ばれることばたち。アメリカではFワードとも呼ばれる。日本語だと「バカ」、「マヌケ」、「アホ」などなど。
 洋の東西を問わず、母国語以外のことばの習得を試みる者のほとんどが、その極めて初期の段階で真っ先にこれらを身につける。一体どうしてなのだろう?
 それは確かにある局面では<笑いを取れる>かもしれない。ただ、それはことばを知らない外国人に対する苦笑、蔑笑、驚き、寛容などであることも多い。単なる<笑いを取れる>ということ、下世話なところから親交を深めるといった使い方だけではなく、人間の深部がそれを求めているのかもしれない。他国で暮らすことによるストレス。「人間としては自分より下だ」と思っている人間から、言葉がわからないことにより受ける蔑みに対する反発。もちろんその本人の性質によることもあるだろう。そういったものが圧縮され、無意識下でバッド・ワードを欲しているのかもしれない。

 いくら言葉が流暢になろうとも、外国人が他国の文化を百パーセント理解することは不可能だ。そういった超えることのかなわない壁があるにもかかわらず、それとも超えられないからこそなのか、その文化への第一歩に於いてバッド・ワードを覚え、連発してしまう。
 これまた不思議なのだが、それらのことばを発する人の傾向としてどうやら弱虫が多いようだ。強い者によろいは必要ない。弱い者はバッド・ワードというよろいを着込む必要があるのかもしれない。よろいを着て自分ひとりが蒸し暑い分には一向に構わないのだけれど、そういう人が近くにいるとどうしてもよろいのきしむ音がし、すえたような臭いがこちらを襲うことすらある。大概の場合は心の中で「あーあ」とか「オイ、オイ」などと苦笑を発するだけで済ませることが出来るのだが、何かの拍子で大きな不快の波が押し寄せてくるのを防ぎきれないこともある。特にそのことばを発した人が少しでも自分が知る人であった場合の波による被害は大きい。そのことばで全てが崩れ落ちてしまう。その人だけではなく、自分の中に積み上げてきたその人に対する評価のようなものまでが一緒に持っていかれ、結果としてある種の自信喪失に陥ってしまうのだからたまったものではない。これはことばのTPOという狭い範囲のことではなく、それを使う当人の内面がそのことばに凝縮されてしまっているから。ことばに対する無知で許されることではない。

 ことばとは、喋る事とは、ある種の訓練とも言えるだろう。
 例外はあるが、ことばの使い方を知らない、喋り方を心得ていない人はどうしても細やかな心配りが出来ないようだ。一方それらを心得ている人は、あちこちに気が行き届き、他に対して不快な思いをさせることは少ない。こういった人達はことばを常に選ぶことにより、知らず知らずのうちに自分を訓練しているのだろう。このサイクルが続きそのことばや、その人自身の完成度がよりいっそう高く、なめらかになっていく。その人の気持ちが自然とことばに出てくる。喋る必要さえなくなるほどに。
 人と接するに際して能弁や、多弁である必要は全くない。
 時間こそかかるかもしれないが、たとえ片言のことばでもその人の人となりは伝わってくるものだし、少ないことばの中にもそれらはちりばめられる。
 ことばは単なるコミュニケーションの道具の一つに過ぎないかもしれないが、それをちゃんと使い分ける訓練こそが自分を、そして周りをも幸せにしてくれる。

 最高のよろいはバッド・ワードではなく、ちゃんと喋ろうとする真摯な姿勢なのかもしれない。


『現代用語の基礎知識』の<若者用語>の項を読む。
「日本人は造語、略語の天才」である事を再確認する。
by seikiny1 | 2005-01-03 10:09 | 日本とアメリカと
<< シャツを風になびかせて わざわざお越しいただいたのに…… >>
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