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ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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のし紙
「あなたが今年贈った物で、本当に心を込めたものはいくつありますか?」
「あなたが今年贈られた物の中で、相手の顔が見えたものがいくつありましたか?」

 お歳暮、お中元、クリスマス・プレゼント、バレンタイン・デーやホワイト・デーのギフト、誕生日祝い、結婚祝い、お香典、出生祝い、新築祝いなどなど。一体どれくらいの贈り物が存在するのだろう?そしていつまで増え続けていくのだろう?この内のどれくらいが儀礼的または慣習的なものなのだろう?
 全ての贈り物の発祥はやはり人の心から出たものだと思う。それが時を経るに従い自然と慣習化していってしまう。自分だけがやらなければ安心できない人もいれば、世間体を気にする人もいることだろう。そして慣習化してしまったそれに心を込めないのだから、当然見いだすことも出来ない。これが悪循環していき、人の目はただ、ただ物だけを見てしまう。これはもう贈り物とはいえないだろう。

 <贈る>という行為はとても難しい。贈る方も、贈られる方も。それはひとつの文化でありその人を表現する手段とも言える。
 贈る、ということから少しはみ出してしまうかもしれないがこういう人がいた。その人が受け取る給料袋は使い古しの封筒。会社に来た請求書類が入っていた封筒に給料を入れてホッチキスで封をして従業員に渡す。最初は信じられなかったが、毎回給料は使い古しの封筒だった。その会社は従業員がなかなかいつかず、商売も思わしくない。社長本人は頭をひねりながらも景気や、その地域の購買力などの問題にしていたらしいが、いやいやそんなことではない。そういう人の心や気持ちというのはあらゆるところに出てしまうので、わかる人にはわかる。それが商売に影響していると思うのだが。これは、贈るという事をあまりにも粗末にした結果の好例だろう。この給料袋を渡された従業員の心中は、袋の中身ではなく贈った人の心中を見ていたことだろう。
 それでは、贈り物は無個性がいいかというとそうでもない。個性のないそれはただ物としてその人の中を通過していくだけ。贈った人に対してではなく、贈られた品物に「ありがとう」を言う。もはや文化ではなく、社会悪と言えるかもしれない。これらの盛んな流通で贈り手、受け手それぞれの気持ちが麻痺してしまっている感がある。

 この時期アメリカでは一年で一番素晴らしいシーズンを迎え幸せな気分に浸ると同時に、頭を抱える人もさぞや多いことだろう。アメリカに限らず贈る方にとっても、家族や恋人へのプレゼントは嬉しいものだ。デパートなどへ行くと、たくさんの人がプレゼントを選んでいる。そういった人の顔を眺めているだけでこちらまで幸せな気分になってくる。
 アメリカはチップの国である。「ありがとう」をお金に換える。「おごちそうさま」を言う時にお金、髪を切ってもらってお金、タクシーに乗せてもらってお金……。と、ありがとうの気持ちはお金が伝えるというのがこの国の考え方のようだ。当然、そのありがとうをあてにして生活している人もたくさんいる。クリスマス前になると、アパートに住む人達はドアマンや、管理人に数十ドル、数百ドルの単位の現金のプレゼントをする(しなければならない)。また受け取る人もそれらを当然のこととしている。高級アパートのドアマンになれば、この時期数千ドルが臨時収入として懐に入るのも珍しいことではないという。これまた慣習化した贈答であることは間違いない。確かに、金や物にしなければ伝わらない気持ちというのはある。ただ一事が万事そうであるはずはないし、それはあまりにも寂しいことだ。

 子供のころ友達の誕生会があちこちで開かれていた。そして、それを開く方も行く方もそこにプレゼントがある事を当然と思い何の疑いも持っていなかった。あんな昔から、子供社会にすらこういった慣習があった。しかし、ただ一人だけいつも手ぶらで来る友達がいた。いつも「おめでとう!」と元気よく言って現れる。子供心にも「こいつはスゴイ!」と思ったものだ。プレゼントを渡すなんかよりも数倍の自己表現が出来ている。

 数々の物を贈り、贈られて僕たちは同時にひとつの自己表現法を放棄してしまっているのかもしれない。心から「ありがとう」、「よかったね」そんな気持ちを叫ぶことが出来なくなりつつある。
 
 贈り物は本当に気持ちを込められる物だけでいい。それが出来なければ贈る資格はないし、その行為に価値はない。
 贈られる物に相手の顔が見えない物はいらない。顔が見えなければただ困惑してしまうだけ。
 大変なことだろうが、失くしつつあるものを取り戻す努力をしていきたい。
by seikiny1 | 2004-12-24 09:30
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