「友人と知人の違いは?」
国語辞典の解説はいらない。
「そんなもの友達じゃないよ」
そう言う人もいるかもしれない。
ただ、少なくともぼくには、
道で倒れることがあっても手を差し伸べてくれる。
電話番号も、住まいも、名前すらも知らない友人がいる。
かなりの数いる。
ネットではなく実生活の上で存在している。
ぼくにとって彼らは知人ではなく友人。
ボソっとつぶやいてみても反応がない。
気配が消えている。
ふり返ると立ち止まっていた。
足蹴にされる女のいる場所へたどり着くまで、
そんなことが数回あった。
崖の上を見上げていたり。
地面をのぞきこんでいたり。
息のかかるほど饅頭に接近していたり。
そのたびに彼の指はシャッターボタンの上。
立ち止まる男。
熱海でぼくの隣を歩いている男。
ほんの数時間前に会った男。
彼はぼくの友人だ。
さっき会ったばかりだけれど。
本名はさておき、
ひげフレディーというお方。
「ははぁーん……」
静止する姿を見ながら、
生命の神秘に立ち会っているような気がしてきた。
本職はカメラマンじゃない。
実は
彼のブログに登場する写真が好きなんです。
「それら」はこうやって「生産」されている。
ぼくはその場に立ち会っていた。
気になる。
止まる。
押す。
そんなことを繰りかえしながら歩く。
一連の動作に5秒とかかってはいないだろう。
何度も、何度も立ち止まる。
NYへ帰る前日だった。
そんなひげフレディーさんから届いたメール。
《2010.2.27 熱海をご覧ください》
立ち止まる男が送ってくれた熱海のアルバム。
まったく同じルートを、まったく同じ時間に歩いていた。
目に映るものはそれぞれに違う。
立ちあうまで写真から感じていたのは、
「結構、時間をかけて撮られてるのかな?」
そんなことだったので出来上がりを見て2度ビックリした。
おまけにぼくの後姿、何かに熱中している姿まで……。
たしかにあの手際、スピードなら一瞬の隙も逃さないだろう。
お礼と、そんな感想を送る。
「ぼくの写真はパッと見て、アッと思って、サッと撮る。
『アッ』の瞬間をできるだけ速く切り取ることに専念しております。
……ホントはまばたきぐらいのスピードで撮れれば最高なのですが(笑)」
『アッ』の瞬間、よくわかります。
実際ぼくもその『アッ』を大切にしたくて、
今回の帰国でPILOT Capless Decimoというノック式万年筆を買った。
旅行者の太っ腹銭勘定で。
写真におさめたいものもあるけれど、
日頃持ち歩くのは携帯電話付属のものなので、
シャッターが押せるまでの6~7秒にいらつき、気が萎えてしまってる。
かといって携帯とカメラ両方を持ち歩く気はなし。
電話付きのカメラがあればいいのに。
「辞書はすぐに引けるように箱は捨ててしまいなさい」
小学生の頃、こんなことをどこかで読み、
「なるほど、頭がよくなるためにはまずここからだ」
ひとり納得をした。
百科事典を含む、家中の辞書の箱を捨て親からさんざん怒られた。
幸い未遂に終り(箱を回収)、親は安堵していたが。
瞬間を切り取る。
考えるのではなく感じる。
素晴らしいモノは、
時を自由に扱える、
捕らえることのできる者の元へと舞い下りる。
やたらと体内フィルムを浪費するときがある。
そう、ぼくはまばたきシャッターが欲しい。
本物はまぶたの裏にしかない。
夕方には東京から到着した(実の)妹と合流。
『メイポール』という昭和臭な喫茶店でおしゃべり。
その日一番喋ったような気がします。
ここでもひげフレディーさん「アッ」と思われたようです。