アメリカの土を踏み最初に自分のためにした買い物。
それはたばこだった。
初めて買うカートン入りのたばこ。両切りのLucky Strikeのそれは、少しだけたけが短いがその分ずっしりとした重量が感じられた。スカスカ、ではくてみっちりと詰まっているというその存在感。最初のパックの封を切った瞬間に立ち上る香ばしい匂い。「ウ~ン、アメリカの匂い」。
映画やテレビでかっこよくたばこを喫う外人に憧れた。だいたいもとがもとだからなれるはずはないのに、アメリカではたばこを喫うのがかっこいい、と一人思い込みこの地に来た。僕の場合。渡米の主な要因は、<一旗挙げる>、<アメリカン・ドリーム>、<資格をとる>、ましてや自分を高める<留学>のためではなくただ、ただ<カッコイイ>これだった。そして今アメリカに来ることが<カッコイイ>か?という疑問が常に頭の中にある。
ニューヨークではバー・レストランの類のほとんどで基本的に禁煙。商業ビルのほとんども(これは火災保険の優遇措置に因を発するらしいが)禁煙。おまけに市長が変わった3年ほど前から、段階的ではあるが、たばこ1パックにつき3ドル以上の課税がなされた。その上全米レベルでのたばこの害によるメーカーを相手取った訴訟、たばこメーカーのマスメディアでの広告の大規制、健康ブームなどなどの理由でスモーカーは激減。いまや我々スモーカーはマイノリティーとなった。昔とは逆にたばこを喫わない姿が<カッコイイ>風潮である。お昼時のビルディングの入り口付近、夜のバーの入り口などで背を丸めて喫うわが同胞の姿には哀愁を誘われてしまう。
所を日本に移すと、やはりまだまだ喫煙率がかなり高いようだ。
以前よりはましになったかとは思うが、相変わらずレストランや飲食店内での喫煙は認められている。喫煙席(これだけでもかなりの進歩といえるだろう、以前は<禁煙席>だったのだから>を設ける場所もかなり増えてきている。それでも、ニューヨークのきれいな空気のもとでの飲食に慣れてしまった喫煙者の僕にはけむい、不快だ。席がある時は必ず、喫煙席でない方を選んだ。
これが一歩外に出ると、またすごい。新宿などの雑踏ではとても怖くて歩きたばこなんて出来ない。すぐそこをすごいスピードで人が行きかう。危険だ。それでも吸っている人はかなりいる。必然的に僕は吸いたくなったら街角の人のあまり通らなさそうな場所を見つけで立ち止まり吸う。東京に着いた翌日に百円ショップで携帯灰皿を買った。
歩きたばこ、すわりたばこが多いせいか路面には吸殻が目立つ。これだけは、ニューヨークにいても僕はやらない、やりたくない。消した後に必ずゴミ箱へ。たばこ喫いとしての最低のマナーであり誇り。
ところが街頭禁煙条例がある地区に行くとこの情景は一転する。街がきれいだ。空気も路面も。日本人とは規則で決まれば従う、本当にまじめな民族だと思う。画一的、親方日の丸もこういう局面ではとてもよいことなんだが。
誰も吸っていない、そこで僕はやむなくコーヒーショップの喫煙席に座りたばこを喫う。「ああ、煙い。目がちかちかする」。僕レベルの人間だと、日本でたばこを心置きなく吸える場所といったらもう家しかないのかもしれない。
JRの駅などではまだホーム上で喫煙できる所が残されている。そのほとんどは、ホームの端っこではあるが。そこでたむろして無心にたばこを喫う同胞たち。急いで喫い終わると自分の乗る車両の到着位置へ足早に歩み去る。
空港の発着ゲートの喫煙所に到着後すぐに駆け込む、あるいは搭乗寸前まで喫いだめをしていると見受けられる仲間たち。
あぁ、日本でたばこを喫うのはショボイ。