スタンダードという言葉はキライ。
それでも、時として必要とされるスタンダードは認める。
規格でああなっているのか。
それとも、いつの間にかああなってしまったのか。
業界標準?
ちなみに自主規制という言葉はもっとキライ。
記憶する限り、
《閉》は右。
《開》は左。
そんな配置になっている。
エレベーター内のボタン。
アメリカでの話。
盲目の人にとってこのスタンダード(?)は助かる。
点字表示の有無に関わらず
「この辺かなー」
と思って触れればそこにあるということが。
「だいたい」って大事なことだと思う。
安心感。
肉体面でも精神面でも盲目であることは怖い。
盲目にはなりたくない。
見えないことは困る以上に、怖い。
身近に(精神的)盲目の人がなんと多いことか。
冷めた眼で見ているぼくも、もしかしたら……。
24年間で変わったこと。
少なくともニューヨークでは。
エレベーターに乗り込み《閉》ボタンを押す人なんていなかった。
それが今では6割方の人が押す。
午後5時過ぎ。
オフィスのエレベーター・ホール。
「ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダ……」
連打という言葉が浮かんでくる。
先に乗り込んだ女性は近づいてくる足音を耳にした途端、
《閉》ボタンのマシンガン打ちする。
忙しい、急ぐということに無縁であるぼくなら、
間違いなく《開》ボタンを押して待つ。
やさしいとか、そんなことではなく、
ただ時間があるだけ。
この数年、感じ続けているのはアメリカの日本化。
「ハーイ。次は7番にどうぞーっ」
スーパーマーケットで精算の列を交通整理する従業員。
《閉》ボタンを押すエレベーター利用者。
小さくなってしまった車、そしてトヨタはリコールに。
小ぎれいになっていく街並み。
なんだか縮んで行くこの国。
一方、日本では今でもアメリカの背を追いかける。
新しく導入される(らしい)タバコ税。
クリスピー・クリーム名古屋店に並ぶ900人。
マクドナルドでバカ売れしたNew York Burger。
ハーレー・ダビッドソンは永遠のあこがれ。
そんな背中を追いかけて、ぼくもこの国にやって来た。
水仙のつぼみがやっと柔らかくなってきた。
今日は18℃。