パーコレーターのことを考えていたら、初めてのアパートがあった近所のことが気になりだし、インターネットで消息をたどり擬似旅行をする。
パン屋がとうに消えてしまったことは聞いていた。ドラッグ・ストアは2度の合併を経てRite Aidの看板で営業をしている。タバコとビールを買いに行っていたスペイン語訛りの老夫婦が経営するStar Marketというデリはやはり消えている。
そんな旅の途中で思い出したのがMetro Cafeというイタリアン・レストランのこと。NYではレストランや商店の回転周期が短く、ある日床屋がフランス料理屋になっていたり、腕時計用の電池を買いに行ったのに占い師が座っていたりする。このレストランも痕跡すら残さず消えていた。
この店が印象深いのは、料理ではなくやはりあの光景を目にしたからだろう。
エスプレッソを飲みながら、ガールフレンド(後の奥さん)と笑いを抑えるのに難儀していた。
「どこまで伸ばすやろか?」
「あそこんバーんニキじゃなかね」
「うんにゃ、うんにゃ。あん調子ぎっとキッチンまでは余裕で行くバイ」
「裏口から出て行くかんしらんバイ」
「そんで表口から入ってきたらどぎゃんすぅか?」
BGMの絞られたレストランに響く男の声。ぼく達はランチタイム最後の客となっていた。
めがねをかけた、マネージャらしき男はもう10分以上は送受器を右手に握ったままだ。あっちへウロウロ、こっちへフラフラしながら。長い鎖につながれた飼い犬のように落ち着きがない。送受器と本体とはコイル状のコードでつながれている。とは言っても、何百回となく裏になり表になり、1回転、5回転……ねじれを繰り返すコードは伸びているときはいいものの、縮んでしまうとこんがらがってしまいい大きなダマをいくつも作り、解きほぐすことは困難そうだし、そんな実らぬ努力をする人もいないと見える。びっくりしたのはコードの長いこと、長いこと。10メートルはゆうにある。
男は入り口近くの壁に取り付けてある電話からテーブルの間を縫い、バーカウンター前を横切り、とうとうキッチンへと続く銀色の両開きドアの向こうへと消えていった。長い、長いコードをドアのにはさんだままで。
携帯電話はおろか、コードレス電話すら電器屋に並んでいなかった頃の話だ。
そんなに長い電話線が存在する。そのこと自体にびっくりした。
この国での電話というものは電話機の前に立って、あるいは座って使うだけではなく、歩きながら、他の部屋へ移って別の用事を済ませながら話すものでもあった。電話というものに、場所にしばられないために、電話線から少しでも自由になるためにそれを伸ばすことを思いついた人が、買い求めた人がいた。すっきりとまとまることよりも、ぐしゃぐしゃでもいい、電話線を伸ばすことを選んだ人がいた。
笑いをこらえながらも、その電話線の長さがアメリカの自由の奥深さ、こだわりに見えてくる。小さなことではあるけれど、電話機の前から開放された時に人々はひとつの自由を手に入れた。そんな細々したことがこの国の自由を作ってきた。
電話線の長くなるのがあと10年遅れていたら、エルビスやマイケルの登場も、月着陸も、黒人系大統領の出現も、他国への軍事介入も10年ずつ遅れていたことだろう。
ひもつきの自由に飽き足らぬ人々は、更なる自由:ワイヤレスへ向けて心血を注ぎ、それでも歩きつづける。
Sodium-Free, Free Ride, Buy One-Get One Free......
この国で生活をしていると、生活のいたるところでFreeという言葉に出会う