ガラスばりは面白い。中身が見える。時に、ほんの一部だが人の生活さえも。
ガラスばり。それが店の、街の風景となってしまうのも面白い。街全体が無数のひとコマを映す。
そこが開放されているのではなく、一枚の板で密閉されているのがいい。理科室でホルマリン漬けに見入り、スーパーの棚に並ぶ瓶詰めピクルスを覗き込んでいたら、何度も行ったり来たりを繰り返したアムステルダムの飾り窓に迷い込んでいた。ついでに川沿いにあった公衆便所のアンモニア臭が鼻腔を刺す。
小雨の降る日曜の夕方。ひともまばらな五番街に雨合羽を着た男が立つ。アイリッシュ・バー宣伝の大きな看板を片手に。通りに面したスターバックスのガラスの向こう側にはカウンターに女がひとり、男がひとり。何の関係もないふたりが1mも間を空けずに別々の世界に生きている。
大判の教科書を広げた女は、蛍光ペンを使いながらiphoneに語りかけている。いや、電話をしながら勉強中と言ったほうが正解かな。
男の方はというと、古本のペーパーバックの陽に焼けてしまったページをくる。
人もまばらなMidtownで残りわずかとなってしまった休日を過ごす人々。ぼくはというと、前々から約束をしていた飲み会へと向かっている。あり余る約束までの時間を贅沢に使いながら。ゆっくりと雨の中を歩く。
20年前にもこんな人が、こんな休日の過ごし方があったはずだ。一体どこへ消えてしまったのだろう。あのころの風景がだんだんとかすんでいく。
浮かんでくるものといえばダイナーと図書館、そして酒場。
スターバックスの登場。それを受け入れることは、コーヒーに50セント以上を費やすということは革命的な変化だった。もともと土壌は出来上がっていたのだろうが、そこにいいタイミングでスターバックスが現れ、広がり、定着をした。
少し前に<草食系>という言葉を初めて時代の言葉として目にしたときに、長い間食道につかえていた物を嚥下した気分になっていた。スターバックス以降のニューヨーカーを現す言葉を探し続けていたから。実生活がどうであるかは別として、今のニューヨークには草食系という言葉がよく似合う。
薄暗い東西に走る通りを歩きながら、ある時期、日曜の夜になると本を片手にダイナーへ行っていたことを思い出していた。その店は今はもうなく、韓国系のネイルサロンになってしまった。50セントでいつまでも、何杯もBottomlessのコーヒーを飲む。眠気がしてきたころ「チャリン」と25セントか50セントの小銭を転がして立ち上がる。愛想もないウエイトレス、時間が止ってしまったような空間。テーブルの上には小さなジュークボックス。