青空だった。
昨日に引き続き、朝方はかなり冷え込んでいる。数日前まで続いた酷暑という言葉がピタリとはまる日々にはまったく気にも留めていなかったのだが、ブルッと一瞬だけ肩に力を入れてベッドを出る時に日の出がだいぶ遅くなっていることに気づく。
アパートのドアを開けた瞬間に頭をよぎった言葉はホットコーヒー。白いカップを思い描きながらなぜか空を仰ぐ。
青空だった。
青空と聞いて思い浮かべるのはなんだろう?
青空文庫、青空はるを、青空学級、青空市場……。
僕の頭には曲が流れる。
井上陽水「青空ひとりきり」
曇り空の土曜日の午後、つけっぱなしのラジカセからエレキギターのイントロが刺す。詩にやられてしまった。
「なんて自分に正直な歌なんだろう」
すべてではないけれど、かなりの部分が自分、すなわち僕に重なっていた。以来、青空、特に秋の青空を見上げるとこの曲が流れる。
あとひとつ。
あの日も今朝と同じような青空。少し下がった気温がキリリと引き締めた空だった。
当時、カレンダーとはまったく無縁な生活を送っていた僕には気付く術とてなかったのだけれど、多くのアメリカ人はまだ夏の余韻にひたり、過ぎ去ったものを愛おしむけだるい心地よさに包まれていたのではないだろうか。
8月が終ってしまった朝、新しい9月の空を見上げながら思い出していたのは2001年9月11日の空。僕の中から消えることはないであろうあの青空。
それにしても、あの日、あの出来事を自分の利や得のために利用する奴なんて許せないな。
短かかった夏の終わりにやっと爛漫となってきたばかりの朝顔。深紫色をした無数の花が青空の下にまぶしい。
あの日も火曜日だった。