パセリなんて食べる奴の気がしれなかった。
お子様ランチ、ハンバーグの横にはいつだってパセリ。そっとだが必ず付いてきていた。子供の頃は彩りという言葉は知らず、そんな感覚・感性も持ち合わせがなかったので、
「こんな食えないものつけるなよー」といつも思っていたものだ。
「あ、パセリ!俺、大好きなんだっ!」と、たまにパクリとやっている同級生もいたけれど、本当に好きだったのかどうかは怪しい。もちろん当時は畏敬の眼差しを送っていたのだが。
いつの間にか食べることができるようになっていた。
そのうち「好んで」食べるようになる。
人の好き嫌いとは実に不思議なもので、子供の頃嫌いだったものが大人になって好物になっていることも珍しくはない。日本へ帰り、しいたけを食べながら顔を上げると、母や姉が異人か珍獣でも見るような顔つきをしていたことがあった。
料理を作るのは好きな部類にはいり、好んで食べるものは吟味の末買い物かごに放り込まれることになる。
一本単位で売ってくれれば助かるのだけれど、パセリはいつも束でしか売られていない。少なくとも僕が買い物をする店々では。別におひたしを作るわけではなく、単に味のアクセントとして好きだから買うのだから一度に使う量なんてたかが知れていて、冷蔵庫の片隅にはいつもしおれた、時には葉が粘度を帯びたパセリが貼りついていたりする。
「冷凍して砕くといいよー」と知り合いから聞き、やってみたのだが常温に戻った時のフニャリとした姿が痛々しくてあまり好きになれない。
今やっているのは、これも人から教えてもらった方法で、葉っぱにビニール袋をかけて冷蔵庫内での水栽培。これだと3週間はシャキシャキのものを食べることができるので、最近はもっぱらこの方法に頼っている。
「ネギは植木鉢に植えとくといいよ」と教えてくれる人もいるのだけれど、なんだか育ててしまいそうなのでいやだ。まあ、ネギの場合は大好物だから消費に供給が追いつかないことの方が多いので心配する必要はない。
どうしてこんなことを感じたのだろう?
まだまだ本番は遠いようだけれど、それでもここ数週間は比較的暖かくなってきて外で弁当を食べている。今日のメニューは四番打者。トマト味のパスタ。ツルツル、モグモグと食べ終わり、弁当箱を片付けながらテーブルの上に一片のパセリの葉を見つける。煙草に火をつけ、最初の煙で銀色のテーブルから緑を吹き飛ばしながら、
「あー、大地を食ったな」
と変な満足感に包まれ「ゴチソウサマ」と呟いていた。
ネギ、ほうれん草、大根、キャベツなどを食ってもこんなことを感じることはめったにない。それなのに小さな、小さなパセリの葉は大地を思い起こさせてくれた。
それにしても未だに好き嫌いの多い僕でした。
子供の頃の言いわけはいつも
「〇×がかわいそー」
(〇×には牛さん、お魚さん、豚さん、鯨さんなどが随時入っていました)
大地はうまい。