北朝鮮で遊ぼう たのしい北朝鮮
北朝鮮はいい国 みんなの北朝鮮
金日成 金正日 金金 金賢姫
「お~い、キム!」って呼べば みんなが振り向く
北朝鮮で遊ぼう あこがれの北朝鮮
北朝鮮はいい国 平和な北朝鮮
あこがれの北朝鮮
いつかきっと みんな仲良くなれる
いつかきっと そんな世界が来るさ
差別も偏見も 国境もなくなるさ
あこがれの・・・
朝鮮民主主義人民共和国
シャララララ・・・ ビビンバ・・・
〓<こんな歌詞もあります>〓
北朝鮮で遊ぼう たのしい北朝鮮
北朝鮮はいい国 みんなの北朝鮮
金日成 金正日 金金 金賢姫
「お~い、キム!」って呼べば みんなが振り向く
北朝鮮で遊ぼう あこがれの北朝鮮
北朝鮮はいい国 ただで連れて行ってくれる
アベックで浜辺でにいると 拉致して連れて行ってくれる
いつかきっと みんな仲良くなれる
いつかきっと そんな世界が来るさ
差別も偏見も国境もなくなるさ
食糧不足も核査察も工作船もテポドンもなくなるさ
あこがれの……
朝鮮民主主義人民共和国
シャララララ… ビビンバ…
カルビ、クッパ、ユッケ、マコリ
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
「普通ってなんだろう?」
普通の幸福、普通の結婚、少し古いところでは普通の女の子……。
日ごろ何気なく使っている言葉だけれど、普通とはそんなに魅力的なのだろうか。ここで使われる普通は多数と言い換えることもでき、それは安心へと結びついていく。みんなと一緒だと安心ということか。
普通が悪いと言うつもりはないけれど、普通と正しいがいつ、いかなる時であっても等号で結ばれるとは限らない。ま、正しいというもの自体も日々変わるものではあるけれど。
昨日までの普通が目を覚ましてみると普通ではなくなっていたなんてことはざらにある。それの持つ本質自体はまったく変わっていなくとも。
数・民主主義の論理で行けば僕は普通ではない。いや、昔は普通だった。
ビルの壁に張りつくようにして吸うものより、歩きタバコは格段に気持ちがいい。少なくとも精神的には何倍も健康だ。かつての普通の風景は今では普通じゃない。もちろん吸わない人の指摘することにもうなずかされることがあるので、ああいう議論はあってよかったものだと思う。だってみんなの道だから。
僕自身に関しては自分のルーツの中で歩きタバコをする。
①周りに人がいない道を
②ポイ捨てはしない
「???」
いやいや、本当に不思議でならないことがひとつだけ。
建物の前などで吸っている人を見ていると、半数以上の人が地面で踏み消したり、「ポンッ」と指先で弾き飛ばして歩き去ったり。たとえ灰皿の真横で吸っていようともそれが何のためにそこに立っているのかそれとも、見えないのか。罪悪感のかけらもないことが、歩き去る後姿から何の余韻も感じ取ることができないのでわかる。
フランスなどではかつて、そこがレストランであろうとも床で踏み消すのが普通だったと聞いたことがある。彼らの中には、そんなフランス性普通菌DNAでも潜伏しえいるのだろうか。
今度、「ボンジュール~」とでも声をかけてみるか。
天気のいい日には、いや、数日前のように霧雨の一日であっても歩きタバコ虫の騒ぎ出すことがある。そんなときは歩道ではなく車道を歩く。人通りの少ない道を選び、歩道からできるだけ離れた車の邪魔にならない辺りの線を見極めながら。
これまでのところ「オラオラ、そんなとこ歩いてんじゃねー」と運ちゃんに怒鳴られたことはないけれど、そんなときに備えて言葉だけは用意している。「おめーらの方こそ、排気ガスばら撒きながらちんたら走ってんじゃねぇ」と。
この街は一方通行が多いので、歩きタバコの半分は車を背にしてということになる。
「……」
だんだんと大きくなってくるトラックのエンジン音を聞きながら頭に浮かんだ言葉。
北朝鮮
運ちゃんががいきなりハンドルを切り、アクセルを踏み込まないという保証はない。
僕らは何の保証もないか細い糸のようなお約束事の上に暮らしている。
プラットホームで携帯画面をのぞきこんでいる人の背中を押さないのが普通なんですが……。