グラッチェ、グラシアス、サンキュー、ダンケ、メルシー……ありがとう。
この言葉が大好きで訪れた国々では先ずこれをを覚える。
先ごろ他界された忌野清志郎さんへこの言葉を贈ります。
ありがとう!
いつかこの日がやって来ることをわかってはいたけれど、いざ直面してみて自分の中で彼の存在がいかに大きかったかがわかる。不思議なのは悲しくないこと。とても残念ではあるけれど悲しくはなく、そんな自分にびっくりしている。
音楽はもちろんだが、彼の生きる姿勢は僕の中に大きな、大きな影を落とした。それが僕自身の中で昇華されたかどうかは別として、たくさんのものを貰い、それらはこれからも発酵を続けていくことだろう。だからこそ、さよならではなく、ありがとうの言葉で送りたい。
「清志郎ならどうするだろうなー?」
そんなことを一日中考えていたのは、先週木曜日(4月30日)のこと。
「何か全然違う内容で書いたものを午前中までに頂けない場合には、自社広告を入れて刷ることになります……」
朝食を終えて開いたメールにはそんなことが書かれている。それにしても自社広告というところが情けない。
連載をしているコラム中にあるミニコラムの内容が、発行人の意にそぐわず、書き換え依頼(指示?)が来ていた。もちろん、はなっから「掲載されることはないだろうな……」とは思い、発行人、しいてはNY日系社会の度量テストの意味で渡した原稿なのだけれど。それでも月末までの約2週間何の連絡もなかったので「もしかしたら」という気持ちは起きていた。結果は予想通りの<チャンチャン>。
この数年、まったく変わることのないあるシステムに嫌気がさしてサラリと書いたのだけれど、いつの時代にも安定という名の小舟に乗る者は波風を嫌う。時として、自分の投げた小さな石が起こした波であろうとも。
時代という名の大洋は動くことをやめないが、浮かぶ船はペンキを塗り替えたり帆を新調したりするだけで基本的な構造はなかなか変わることがない。結局、船頭たちは舟を強くすることよりも、海を静めることに躍起になり、僕たちは手を替え、品を替え揺さぶりを続ける。小さな波を絶やさないように。
そういえば土曜日に花見をした公園では、少女が枝を揺さぶり桜吹雪を作り出していた。しばらくしてやって来た巡回中の警備員により吹雪はやんでしまったが。
農民は言う「野菜はいじめないと大きく育たない」。
予想していたことだったのでそれほど腹は立たなかったが、自分の甘さ、方法の弱さについて考えさせられたこの一事。清志郎さんならどんな歌を、どこで誰とどう唄うだろう?
「感じる」、「考える」、「行動する」そのどれもが極めて高いところでバランスをしていた人。これは僕が清志郎さんに感じる一面で、今、現在の自分にどれが足りないか、バランスを失っている原因が何かということはよくわかっている。さて、どうやって均衡を取っていこうか。
LOVE、PEACE、HAPPYという言葉が日本で最高に似合う男よ、ありがとう!
最後に、使用前&使用後の原稿を。
もっとも、使用後の方も某社の自社広告になっているかもしれません。「全然違う」ものではないから。
〓使用前〓
《撲滅》
<不景気>が合言葉になってしまった。起業するのはやめましょう。いや、他人の財布をあてにするみみっちい起業はやめましょう。無給インターンが合法であっても、倫理のない企業はやはり社会悪に過ない。真剣に取り組んでいる企業もあるのだろうが、少なくとも周りで「インターンやってよかった!」という声を聞かない。夢を見ることなく帰国するのもひとつの道。社会の人はそんな会社との取引は止めましょう。セミナーや××会等では目先の小銭ではなく先のこと、社会のことを勉強・討論して下さいませんか。あーあ、また敵が増えた。
〓使用後〓
《カツ丼が喰いたい!》
豚インフルエンザの警戒レベルが5に。大臣達が「大丈夫」を繰り返すのは風評被害を防ぐため。思い浮かべるのは関東大震災直後のパニックで、マスコミが発達していなかったとはいえ人間の深淵に眠るものを垣間見させてくれる一事だ。一次情報から何を導き出すか。最近の楽しみは電車で前に座る人の観察。そこにある情報から無限のストーリーを作っていく。さて、練習です。インターンという言葉から、あなたならどんなお話を組み立てるのだろう?今回はいつになくタイムリーな情報を交えましたが、あなたは何を読み解いてくのだろう?
いいことがあった時にも、悪い時にも口をついて出る歌。
「いい事ばかりはありゃしない……」