いったいどこからだったろう?
覚えていないし、厳密な線というものは存在しない。
国境線じゃないから。
その、見ることのかなわない、国を仕切る線にしたところで、
幅に規定があるわけじゃない。
自然、その前後が緩衝地帯となる。
あやふやな、角のこそげた地帯。
バスで大陸を縦横断。
複雑な軌跡を描きながら。
あのピザに巡りあったのはどこのドライブインだったろう?
白い紙皿にのせられた三角形のピザにレッドペッパーをふる。
不思議な気持ちに包まれながら。
タバスコじゃなくレッドペッパー。
もう慣れてしまった。
不思議の輪郭が東へ向かうほどに明確なものとなっていく。
背景との境目が濃く、鮮やかな対比をなしていく。
さて、どこからを明確というのか?
それがNYのスタイルだった。
円盤状のカッターで直径50cm程のパイを放射状に切り分けていく。
ほぼ、均等に。
スライス。
途中の町までは小ぶりな1枚を頼まねばならなかった。
たったひとつの選択肢。
いつの頃からか三角形になったピザ。
スライス・ピザの文化。
よくも悪くも、この街では個人個人が独立していることの露れか?
選択肢、オプションのある街にて。
Papa John's Pizza
全米をおおう巨大ピザ・チェーン.
そういえば、最近ではLittle Ceasersを見かけない。
"Thank you, Thank you. Pizza, Pizza"というCMが好きだったのに。
行動半径が変わってしまったからなのか。
そんなPapa John'sですら、
NYのフランチャイズでは例外的にスライス売りをする。
さて、ハドソン川という幅広な境界線の向こう、ニュージャージー州ではどうだろう。
NYのベッドタウン化したホーボーケン市あたりではスライス売りをやっているかもしれない。
いや、あそこはイタリア移民の町。
フランク・シナトラの故郷。
Papa John's自体がないかも。
カフェ文化の遺るヨーロッパで、スターバックスを見つけるのが困難なように。
10日前のメールで知った《食の境界線》という言葉。
ボンヤリと言葉の残る頭、本の途中で立ち止まっていた。
斎藤緑雨『ひかえ帳』ページのはざまで。
「……コロッケ蕎麦といへるを、花屋敷のよし田にて出したり……」
明治31年。
思考停止のキーワードは明治ではなく、コロッケそば。
そんな魑魅魍魎(ちみもうりょう)のような食べ物が存在するなど想像だにしたことがない。
気になって検索をすると関東ではごく普通の食べ物らしい。
(昨日、再会した東京出身の友人に訊いてみると、
「あ、ある、ある。大学の学食にもあったかなー」、当然のような答えが返ってきた)
帰国時の拠点となる小田急線。
駅そばの『箱根そば』にもあるらしい。
次回は是非食べてみよう。
そういえば東京でそばを食べたのは数回しかないな。
その時、浮かんでいたのは
《食の境界線》ではなく、昨今よく聞かれる《ご当地グルメ》の方。
検索を重ねるうちに、《食の境界線》の方が濃くなっていく。
石川くん(枡野浩一さん表現)はふるさとの訛が恋しくなると、
停車場に足を向けたらしい。
NYにあるボロアパートのキッチンで、蕎麦にコロッケを浮かべる人もきっといるのだろう。
初帰国の時。
電車が故郷に近づくにつれ濃くなっていく地元のなまり。
歯切れよく、しかしベッタリと付着してくる。
流れ去るくたびれたホームを目で追いながら、
眠っていた方言が背伸びをして目覚めていくことを感じていた。
幅広い線。
静岡へ入った途端にコロッケ蕎麦が消えることはないだろう。
神奈川県のどこかの町では存在さえしないかもしれない。
線の幅は思いのほか広く、
Fade OutそしてFade inを繰り返す。
嵐の気配が残る港から乗ったバス。
高2の時、はじめての沖縄。
返還から日の浅い島は日本というよりも映画を見ているような不思議な街だった。
Budweiser, PEPSI.……乱雑に重なりあいながら調和をする、英語の看板で埋め尽くされた国際通り。
原付バイクにふたり乗りするノーヘルの若者は、歩道に乗り上げてバスを追い越していく。
混沌。
今、思うとそんな言葉がはじき出されてくる。
無秩序の中でかろうじてとれているバランス。
フェンスからは間違いなくアメリカがにじみ出してきていた。