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ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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引っ越しました
おそれいります。
今後の記事は下から飛んでください。

ニューヨーク狂人日記
# by seikiny1 | 2010-06-02 08:14 | その他
引越日和
家賃ほどバカげたものはありゃしない 人は家買い僕はオクスリ




そんなわけで6年ほど路上に。

交通の便、住環境、家賃、ペット、家族、転勤……。
引越しには様々な理由がある。
差し迫ったものもの。
「そろそろ……」というもの。
「そろそろ……」と思ってはいても、
引越しの実際を想像するだけで気は重くなり先延ばし。
「そろそろ……」のほとんどは、住もうと思えば住めるから。


これまでに何回の引越しをしてきたか?
NYC→CHICAGO→LA→CHICAGO→NYC
大都市間だけで4回。小さなものを入れると両手、両足では足りない。
あの6年間をあわせると、あたりまえだが、2000回はくだらない。
ほぼ毎日が引越しだったから。


今日、引っ越しをする。
0円から0円へ。
とはいっても仮想空間上、ブログの引越。
アドレス(住所)も入れ物も変わるのだからこれも引越しだ。

シェルターに住むホームレスの口から「満足」という言葉は出ない。
無料ブログとはいえ、長く住めばアラも目立つ。
「隣の音がうるさい」、「ねずみが出る」、「シャワーが冷たい」……。
引越しと同様、「そろそろ……」レベルの文句ではあるのだけれど。



「そろそろ……」の腰を上げたきっかけは、友人がはじめたブログ。
早速コメントをしようとおもったら。
できない。
会員でなければできないということ。
そんなわけで会員になり、ついでにブログを作り試用すること2ヶ月。
釘も打てるし、ペットも飼える。交通至便。
住み心地も悪くはないので、「そろそろ……」の腰を上げた次第。
「そろそろ……」から3年がたっていた。
こんなところが、ぼくがぼくである所以なんだろう。


今日は晴れ。
月末でもあり、引越トラックがあちこちに停まる。
来る者あり、去る者あり。
散歩の途中、このところ探していた植木鉢を拾い、今日の引越しを決めた。


引っ越します。



エキサイトではみなさんに長らくお世話になりました。
5年半という歳月。あと半年で小学校の卒業証書。
登校日数のたらないときもあったけど。

ブックマークして下さっているみなさん、お手数ですが下記URLに変更ください。
今後ともよろしくお願いいたします。

NY狂人日記



*引越しで失うものは多い。
だからこそ、ぼくのように植木鉢を拾うニンマリ男もいるわけで。
エキサイトからアメブロへは記事の引越しはできないらしく、
今日までのものはこのままに。
まさに、身ひとつでFurnished Roomへお引越し。


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# by seikiny1 | 2010-05-31 09:55 | 日ごろのこと
フェンスの向こうのアメリカ
いったいどこからだったろう?
覚えていないし、厳密な線というものは存在しない。
国境線じゃないから。
その、見ることのかなわない、国を仕切る線にしたところで、
幅に規定があるわけじゃない。
自然、その前後が緩衝地帯となる。
あやふやな、角のこそげた地帯。


バスで大陸を縦横断。
複雑な軌跡を描きながら。
あのピザに巡りあったのはどこのドライブインだったろう?
白い紙皿にのせられた三角形のピザにレッドペッパーをふる。
不思議な気持ちに包まれながら。
タバスコじゃなくレッドペッパー。
もう慣れてしまった。
不思議の輪郭が東へ向かうほどに明確なものとなっていく。
背景との境目が濃く、鮮やかな対比をなしていく。
さて、どこからを明確というのか?

それがNYのスタイルだった。
円盤状のカッターで直径50cm程のパイを放射状に切り分けていく。
ほぼ、均等に。
スライス。
途中の町までは小ぶりな1枚を頼まねばならなかった。
たったひとつの選択肢。
いつの頃からか三角形になったピザ。
スライス・ピザの文化。
よくも悪くも、この街では個人個人が独立していることの露れか?
選択肢、オプションのある街にて。

Papa John's Pizza
全米をおおう巨大ピザ・チェーン.
そういえば、最近ではLittle Ceasersを見かけない。
"Thank you, Thank you. Pizza, Pizza"というCMが好きだったのに。
行動半径が変わってしまったからなのか。

そんなPapa John'sですら、
NYのフランチャイズでは例外的にスライス売りをする。
さて、ハドソン川という幅広な境界線の向こう、ニュージャージー州ではどうだろう。
NYのベッドタウン化したホーボーケン市あたりではスライス売りをやっているかもしれない。
いや、あそこはイタリア移民の町。
フランク・シナトラの故郷。
Papa John's自体がないかも。
カフェ文化の遺るヨーロッパで、スターバックスを見つけるのが困難なように。



10日前のメールで知った《食の境界線》という言葉。
ボンヤリと言葉の残る頭、本の途中で立ち止まっていた。
斎藤緑雨『ひかえ帳』ページのはざまで。
「……コロッケ蕎麦といへるを、花屋敷のよし田にて出したり……」
明治31年。
思考停止のキーワードは明治ではなく、コロッケそば。
そんな魑魅魍魎(ちみもうりょう)のような食べ物が存在するなど想像だにしたことがない。
気になって検索をすると関東ではごく普通の食べ物らしい。
(昨日、再会した東京出身の友人に訊いてみると、
「あ、ある、ある。大学の学食にもあったかなー」、当然のような答えが返ってきた)
帰国時の拠点となる小田急線。
駅そばの『箱根そば』にもあるらしい。
次回は是非食べてみよう。
そういえば東京でそばを食べたのは数回しかないな。

その時、浮かんでいたのは
《食の境界線》ではなく、昨今よく聞かれる《ご当地グルメ》の方。
検索を重ねるうちに、《食の境界線》の方が濃くなっていく。



石川くん(枡野浩一さん表現)はふるさとの訛が恋しくなると、
停車場に足を向けたらしい。
NYにあるボロアパートのキッチンで、蕎麦にコロッケを浮かべる人もきっといるのだろう。

初帰国の時。
電車が故郷に近づくにつれ濃くなっていく地元のなまり。
歯切れよく、しかしベッタリと付着してくる。
流れ去るくたびれたホームを目で追いながら、
眠っていた方言が背伸びをして目覚めていくことを感じていた。
幅広い線。



静岡へ入った途端にコロッケ蕎麦が消えることはないだろう。
神奈川県のどこかの町では存在さえしないかもしれない。
線の幅は思いのほか広く、
Fade OutそしてFade inを繰り返す。



嵐の気配が残る港から乗ったバス。
高2の時、はじめての沖縄。
返還から日の浅い島は日本というよりも映画を見ているような不思議な街だった。
Budweiser, PEPSI.……乱雑に重なりあいながら調和をする、英語の看板で埋め尽くされた国際通り。
原付バイクにふたり乗りするノーヘルの若者は、歩道に乗り上げてバスを追い越していく。

混沌。

今、思うとそんな言葉がはじき出されてくる。
無秩序の中でかろうじてとれているバランス。
フェンスからは間違いなくアメリカがにじみ出してきていた。


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# by seikiny1 | 2010-05-30 08:49 | 思うこと
雷雨、月をつかみに
「あるはずなんだがなー……」
あるべきものが見つからないのはきもち悪い。
別に、あるべき場所になくってもいいけれど。
自分のものであれば、またいつかどこかで。
大抵の場合、なんとか気持ちを抑えつけることができる。

昨日からCup Noodleが食べたくて。
ビールを空にして出向いた近所のスーパーにはない。
いや、BEEFとCHICKENはあるんだが。
食べたいヤツがない。
思い描いていた絵が破れていく。

悪魔の囁き。
「Chilli Limeはおいしいよ」。
たまにではあるけれど、悪魔に魂を売るときがある。
まさに昨夜がそんなときだった。
ちなみに昨夜は満月の一日前、そんな夜だったせいか。

結局はビール4本の勢いで、
「ま、いいか」
と、いさぎよい。

しかし、
月の軌道と同期するかのように大きくなる一方の妄想。
「よし、あしたは誠心誠意さがしてみよう」
気持ちを寝技で押さえ込み、夜が明けてからのルートを考えてみる。


蒸し暑い……。
サンダーストームの予報に変更をした予定。
今日は傘を持って歩く気がしない。
かといって、レインコートでは心もとないし。
昼過ぎからのお店廻り。
4軒のスーパー、2軒のファーマシー。
それはともかく、
どうしてアメリカの扇風機って涼しくないんだ。
勢いはあるが風が細い。


2年前か、3年前か。
定かじゃないが見たことはある。
しかも徒歩5分にある昨夜のスーパーで。
似たようなものが数種あり、
TABASCOロゴが入っていたり、唐辛子マークがかわいくカーブしていたり。
あの日買ったものにはTABASCOの小さな袋が入っていた。

今ではCHICKENとBEEFだけ。
PORKすらもない。
その上、棚占有率でライバルに完敗。
MARUCHANの半分ほどの量しかなく、以前と立場が逆転している。
お見合い結婚の前後みたいだ。

問屋筋との取引なんてのもあるだろう。
その上、ここ数年、このエリアの白人率の上昇は凄まじい。
プエルトリカン、黒人たちが駆逐され、
白人たちが「わが街を!」と社会活動に元気がいい。
以前、殺風景だった商店街が今ではトレンドとしてテレビや雑誌に。
健康オタクの多いこの人種にとってCup Noodleなんてのは、
ノン・スモーカー vs スモーカー
そんな図式にも似ているのかもしれない。
公式だと、
Ramen Noodle=貧乏人
そんなのもある。
ニューヨークのレストランではここのところRamenブームだが、
それとインスタントはまったく別の世界にいまだにある。
それよりも出されたラーメンはすぐに食って欲しい。
ま、日本でもインスタント・ラーメン文化は独自世界を築くが。


実はこのChilli Lime味。
アメリカ西海岸の人が教えてくれたもの。


《食の境界線》というのがあるらしい。
そこを超えると、
天ぷらにはソースであったり、天つゆであったり。
赤飯に砂糖を入れたり。
そんな線。
もしかしたらCup Noodleにも境界線?



結果は、昨夜よりはマシというものだった。
マシという価値観はどこか悲しいね。
なぐさめられてるみたいで。
妥協。
Spicy Chilli ChickenとShirmp Picante Styleで手を打つことに。
こだわりを質に入れ安楽を手に入れる。
こだわりと。そして妥協……。

「こだわるっていうのは、結局、楽に生きるってことなんだよねー」
ミッキー・カーチスさんの声が聞こえてくる頭をふりふり帰途へ。

遠くで雷が鳴り出した。
月が見れない。





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# by seikiny1 | 2010-05-28 08:27 | 日ごろのこと
がらんとした部屋
なつかしいけどど拾わない。
通勤の途中で。
ちょっと前までは、どの友人の部屋へ行ってもあったもの。
木製のカセット収納箱。
長方形の仕切りの中には60本以上のカセットテープが収まる。

デリ・カウンターの右袖にあるプラスチックケース。
生テープのパッケージが変わっていることがある。
本数も増えていたり、減っていたり。
ある程度の需要はあるんだろう、どの程度だかは知らない。

「ヒーッ!」
日本から来たSさんは、悲鳴にも似たうめき声を飲みこんでいた。
「好きなんだよねー、カセットのジャンクな音がさー」
15年前のタワーレコード地階。
あの日、彼女は何十本のテープを買ったんだろうか。
今でも聴いているんだろうか。
今でもカセット・ウォークマンをバッグにつっこんでいるのか。
買いだめをしていても不思議じゃない。


ここ数年よく見かけるゴミ。

道ばたに「ゴロン」と転がるブラウン管式モニター。
NYではまだ一般ゴミとして捨てることができるらしい。
LCDモニターの登場は、四半世紀もの間、窮屈だった机を昔にもどしている。
すこしばかり紙類が減ったが、その分増えているものもあって、おあいこ。
キーボードだっていつまであるかはわからない。
10年後のぼく達は、机の表面を軽くタイプしているだけかもしれない。
マウスだって。
いや、モニターだって、
オフィス・ワーカーのすべてが変な眼鏡をかけている光景が浮かんできた。

テレビ台という家具はもうそろそろ消えうせるだろう。
電子書籍が普及すれば、50年後の家庭から本棚は消える。
紙の本に固執する現代詩作家・荒川洋治さんですら、
「紙の本は消えてゆくでしょう。しかも思っている以上のスピードで」と語る。

2人で、3人で……。
囲むのはアルバムよりも、モニターであることの方が多くなってきた。
写真中の人すべてが過去となったとき、
アルバムを囲む光景はセピア色に包まれる。

iPodが出て数百枚のCDを中古屋の手にゆだねた友人。
驚愕の目で見ていたが、あれから日本の政権は何回変わったのか。

紙の本が消えてしまえば、《文庫本サイズ》なんて言葉は意味をなさなくなる。
実際にNY Times, Wall Street Journal……相次ぐ新聞の小型化で、
《新聞紙大》という言葉は死語となった。


道ばたで転げるモニターを見るたびに重なる映像。
そこもまた道ばた。
友人宅への途中で見かけた旧式(氷式)冷蔵庫。
大型金庫を思わせる鉄の塊がゴロリ。
半ば開いている2枚のドア。
2ドアより、1ドアのほうが新しかった時代。
日本へ帰っても氷屋さんなんて見ない。


本棚、CDラック、ステレオ、テレビ台、机……
部屋の中が空っぽになってゆく。
残るのはなんだ?

根本的な食の変化で電子レンジ、冷蔵庫が消えていないとは言えない。
皿やカップだって。
人々が裸で歩いていてもおかしくない。
家に住むという習慣すら消えているかもしれない。
美徳だった大量消費は50年を経て悪徳となった。
「男の美学」といわれた喫煙は、今では非難の対象だ。
たしかなことなんて何もない。
本を手に持つ、たしかな感覚が失われてゆくように、
この先、現実界のぼくたちはどんどん非・仮想現実の中に身を置くことになる。


「非現実界に棲むやつら」
弥次さん、喜多さん。
2時間半で東海道を駆け抜けるぼく達にそんな目を向けていることだろう。
非現実界に住もうと、ずっと羽ばたいてきた。



「なんだこりゃ……!?」
寝ぼけまなこの先に広がる異様な光景。
この部屋も。あの部屋にも。
転がるカラフルな巨大芋虫たち。
常夜灯に目を凝らすと、寝袋に眠る人、人、人……。
20年前のある日、友だち数人がシェアする日本の旧農家に泊った時のこと。
この家にはベッドというものがなかった。

100年後のぼくたちは眠ることすら必要としていないかもしれない。


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# by seikiny1 | 2010-05-27 08:20 | 思うこと
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