ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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芸者とアメリカンドリーム
ちょっと前はFujiyama, Sukiyaki, Geisha-Girl
最近ではSushi, Samurai, Sake(サキと発音)
そうそう、その間にSony, Seiko, Toyotaなんてのもあった。
<お手てのシワとシワを>あわせて深々とお辞儀をする人もいる。

 アメリカ人に日本というキーワードを渡した場合の反応。

 信じがたいだろうが、これは僕がこれまでに感じ取ってきたれっきとした事実であり、これからもキーワードこそ変わっていくかもしれないが僕が息をしている間にイメージが大きく変わることはないだろう。色々なことからインプットされたイメージが個々の中で形を作り固まっていく。

 自由、アメリカンドリーム、アメ車。
 アメリカに渡る頃の僕の頭にはそんなイメージが巣食っていた。そしてくつがえされた。今の日本人がこの国に対して抱くキーワードはどういうものなのだろうか?所かまわず”Yo, What’s up?”を連発するお兄ちゃんを連れて街を歩いた時にはさすがに閉口したものだ。こちらも、キーワードこそ変わってはいるが彼らが我々を捉える印象(思い込み)と基本的には大差ないと思う。

 <十把一絡げ(じっぱひとからげ)>という言葉がある。辞書を引いてみると「いろいろなものを雑然とひとまとめにすること」、とある。さて英語ではこれを何と言うのだろう?大衆に影響力のある人でさえ(だから?)こういう頭を持っているのだから始末に悪い。ザクッと斬って捨ててしまうのだ。もし我々の誰かが「負けてもともと」、と思い大勝負に出れば”Banzai Attack”の一言でなで斬りにされるだろうし、日本の会社の同僚に怠け者のアメリカ人がいたら「アメリカ人だから……」、と言ってあきらめてしまうのではないだろうか。
 ここでは国の事をたとえに話しているのだが、大切なのはその十把ではなく小さな一把、いやそれをすら到底満たすことの出来ぬものだと思う。十把と握手するよりも、たとえ言葉は通じなくとも一把と朝まで酒を飲むことが大切だと思う。そうして積み上げた一把、一把が百把になり千把にもなっていく。その結果として出した結論は皆正しい。それらをぶつけ合い、そして完全に否定をすることなく受け入れ、それに己のものを加味して像を成長させていく。その作業を怠るとお互いの間に存在する溝を埋めることは永遠に出来ないと思う。情報よりも経験をしていくこと。

 日本にはサムライがいないことを教え、自分達も芸者という言葉が持つ漠然としたイメージだけではなく本当の芸者というものを知ろうとする好奇心、努力が必要だろう。
 アメリカ人も日本へ行き、小さな町にもマクドナルドやセヴン・イレブンがある事を知り、自国のそれらとの違いも目の当たりにして欲しいと思う(はかない理想論かもしれないが)。

 そして世界は必ずしもひとつになる必要はなく、そうなれるはずもない。
 そんなところでバランスを保つのがいいのではいか、とニューヨークタイムス紙に掲載されたある批評を読んで思った。
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# by seikiny1 | 2004-12-15 11:19 | 日本とアメリカと
今のスタイル
「あぁ、これはまるで散文詩みたいだな」

 色々な人のHPやブログを見ていて常に何かが引っかかっていた。それはその表記法だ。「これは何だ?何かに似ている。何かに似ている」、とずっと気になっていたのだが、昨日やっとそれに気付いた。それらのほとんどからあたかも詩を読んでいる、見ている印象を受ける。
 文章自体が短い。句点で改行。改行時に文頭を一段落とさない。小さな段落で1行の空白をもうける。とりあえず思いつくのはこんなところだ。

 改行時に文頭を一段落とさない、という方法が主流になっているのは他人よりかなり遅くeメールを始めた当初に気付いていたし、今では自分もそのやり方でeメールに関しては書いている。多少の違和感はいまだにあるが、そこにはあまり長い文章を書くことはないのでパッと出来上がった文章の全体像を見るとこちらの方が見やすいようだ。
 文章にとって、パッと見の印象は大切だと思う。特にそれが一ページ程度におさまっている場合には。まず飛び込んでくるものは一文、一文ではなく全体像だと思う。ごちゃごちゃしているよりすっきりしていて、各所にアクセントが効いているに越したことはない。こうしてインターネットで文章が飛び交う時代になって、特にその印象は大切だと思う。僕自身にとってはスッキリというのがキーワードであって、字体、色などをあまりにも多用しているものはごちゃごちゃしていて好きにはなれない。そういった理由で、この多くの人が用いている散文詩的なスタイルはとても好きだし、興味もある。そして、もしかしたらこのスタイルが主流になるのかな、という予感もある。まだ、読んだ事はないが、今話題の『電車男』という本も内容と共にそのスタイル自体も話題になっているようだから、内容は別としてこれと共通するものがあるのかもしれない。ただ僕自身はどうしてもこのスタイルが書籍には向かないという古い考えの持ち主なので、もしこのまま散文調のスタイルが主流となれば本の売り上げはかなり落ち込むのではないかとも思う。あまりにもこの眼に優しいスタイルに慣れてしまうと、従来の書籍や新聞に共通する<普通>と呼ばれるものを読むことが出来なくなってしまうのではないか、と思うからだ。また、書物であれだけの空間を使うということはお金もそれなりにかかり単価も上げなければならなくなる。最近では出版業界の中に<漢字率>というものがあり、文章の中にあまりにも漢字の占める割合が高いと本を手に取った人が敬遠する傾向にあり本が売れなくなるそうだ。漢字だけでもそれだけ気を使うのだから、文体自体が変わってしまったら出版業界はどうなってしまうのだろう?

 象形文字に始まり、漢字、ひらがな、カタカナ、かなまじり、文語、またその時代、時代に見られる特徴のある言葉回しなどなど、表記法は時代と共に変遷をとげ、またこれからもそうであろう。そして僕自身の中でもそれは少しずつ変わってきている。たぶん今は大きな過渡期の中にあるのかもしれない。このまま技術が進歩し、モニターの精度も上がり媒体自体がもっと読みやすい環境を整えれば散文調が主流になり、書籍、新聞の売り上げはかなりのレベルで落ち込むかもしれない。「日本語の退化」と嘆く人も出てくるかもしれないが僕はそうは思わない。一体この時代に、昔に人が読み書きできた古文や漢籍をどれだけの人がこなせるのだろう?これは退化ではなく変化であると思う。ただアナログ人間の僕にとってそれは寂しいことではあるけれど、一方このスタイルから何が生まれくるのかということにかなり興味がある。淡々とした文章の中に、想像力をかきたてる何かを感じるからだ。時に、それは一枚の絵や写真のように思えるときすらある。

 古い慣習にとらわれることなく、自然と確立しつつあるこのスタイル。それは現代の人間が求めているものかもしれない。あまり現実的ではない、少し夢のあるスタイル。
 文章とは行間を読ませるものから、空間を創造させるものに変貌しつつあるのかもしれない。

 いまだに試行錯誤しながら、己のインターネット上での文体に悩み続ける男がここに少なくとも一人はいる。
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# by seikiny1 | 2004-12-14 07:38 | 日本
珈琲
 コーヒーが好きだ。
 一体一日に何杯飲むのだろう?中毒ではないので、飲まなければ飲まないで別にかまわない。しかし好きだ。ニューヨークではほとんど家で飲む。外出する際にはポットに入れていく。

 日本でもコーヒーをよく飲んだ。
 やはりこちらのコーヒーより格段に美味しい(舌にあう)。
 日本では外に出ていることがほとんどだったが、ポットを買うのも馬鹿らしいので出先でコーヒーショップを見つけて飲むことになる。
 十年近く帰らないうちに喫茶店というものがほとんどなくなっているのを再確認した。話には聞いていたけれど、ここまでとは思っていなかった。そのかわり、色々なチェーン店もしくはフランチャイズ店があちこちに見られる。必然そういう場所で飲むことが多かったのだが、たまに小さな煤けた喫茶店を見つけると、まるで吸い寄せられるかのように入って行ってしまっていた。もちろん、値段は大手チェーンに比べると倍近いのだがあの独特の空気がたまらない。低い天井。幅広いカウンター。独特の食事メニュー。マガジンラックの新聞と本。コーヒーの香り。そしてマスター。
 喫茶店がないのが普通となった今、これからの文化が変わっていくのかな、と漠然と思う。
 中高生の頃は<喫茶店へ行く>ということがひとつの遊びであり、わくわくして楽しかった。そこで他校の生徒と会い、漫画を読み、タバコを喫い、何かの打ち上げがあれば帰りにより酒を飲ませてもらったりしていた。何よりも喫茶店を選ぶ、繰り返し通う基準にその店の持つ雰囲気と、マスターというのがとても大きな要因だった。そして通った喫茶店のマスターらから薫陶を受け、自分の中でもそれがいまだに生きているのを感じる。そして通う喫茶店によってグループができたりなど、喫茶店はひとつの文化だった。僕にとっては一つの学校のようなものでさえあった。
 大手チェーンの画一化された味、店内、雰囲気(それはそれで安心は出来るのだが)。そして何よりもマスターが存在しないその店。あの頃に比べてコーヒーという存在が身近になったというのは事実だろう。その反面、個性というものがない(店の経営側としてはもちろん打ち出したくはないだろう)、ということがことコーヒーショップに限らず今回の日本帰国で感じたことのひとつだった。僕らはコーヒーという液体と一緒に様々なものを飲み込み吸収していった。決して美味しい味ばかりではなかったが、その苦くもある味がとてもたまらなかった。

 喫茶店文化を知らずに育った若い人達がどう成長し、どういう文化を創っていくか楽しみだ。
 ニューヨークでもスターバックスなどのチェーン店に押され、確実に従来のダイナーが姿を消しつつある。さて、ダイナー文化がなくなったアメリカにはどんな新しいものが生まれるのだろう。

 たぶん僕らでは全く想像のつかないものが十年後、二十年後には出現しているはずだ。それがどんなものであれ喫茶店文化の中で育った僕にはとても楽しみだ。

 今回の帰国でよく利用させてもらったDコーヒー。カウンターの前のガラスの向こうには小さな公園があった。そこに毎朝集まる老齢の男女。必ず片手に缶ビールを持ち、皆思い思いの手製のおつまみを持ってきて、植え込みに腰をおろし談笑していた。あれもやはり文化なんだろう。そして彼ら、彼女らは喫茶店で遊んでいた僕らを同じような目で見ていたのかもしれない。そしてガラス越しの僕らをも観察しているのかもしれない。
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# by seikiny1 | 2004-12-13 11:11 | 日本
里親
 写真家Ryuさんの写真 をみて、ショッピングカートにまつわる話、思いを書いてみました。

 十数年前はじめてアメリカの土を踏んだ。
 グレイハウンド・バスのパスを片手にロスの空港からサンフランシスコへと向かった僕は、バス発着所そばにある安ホテルに荷物を放り込むとスーパーマーケットへ向かった。アメリカで一番行きたかった場所。
 その大きさ、品揃えに圧倒されたが、最初に僕の目をひきつけたのは巨大なショッピングカート達だった。それまで日本では手提げ式のバスケットを乗っけるタイプの小さなショッピングカートしか見たことがなかったので、巨大なそれは軽自動車に比する往時のアメ車のように僕の目には映った。「違う」。買い物客が買い物する量、そして各商品の大きさが日本のスーパーとは比べ物にならないほど大きい。三リットルのコーラや、巨人の頭のようなスイカなどをショッピングカート積み上げてレジに向かうその姿は一種壮観だった。需要と供給のバランス。

 バスの旅に約二ヶ月を費やして着いたのがニューヨーク。他の都市に比べるとスーパーマーケットの数が全然少ないし、その規模もかなり小さい。ショッピングカートもふたまわりほど小さいのがほとんどだった。買い物客はといえば両手に白い袋を下げて家路を急ぐ。二本の足で生活する。ある意味日本に近いので、そこに親しみが湧いた。
 十年ほど前より、大きなスーパーが少しずつ出来始め、文房具屋チェーン、ディスカウント・デパートの進出などもありニューヨークでも巨大ショッピングカートを目にするようになった。ただ、店からは持ち出せないように店の出口に柵を設けたり、ガードマンが監視していたり、スーパーの敷地から出ると車輪が動かなくなるように細工したり……、と防御策を講じているので他の都市に比べると路上で目にするショッピングカートの数は少ない。安価かなものではないので、店の方もそれなりのことをやらなければやってはいけないだろう。二十ドルの買物をして八十ドルもするショッピングカートを持っていかれたのではたまったものではない。
 マンハッタンからハドソン川をはさんだニュージャージー州へ目を移すと、そこは一転して車社会だ。スーパーの規模もやはり大きく、駐車場を備えていない所は少ない。いや、それなしでは商売に影響してしまう。皆車で買い物に来るのでショッピングカートを押して帰ってしまう人も少ない。ただ駐車場のあちこちに散乱しているだけ。それでも、車を持たない人、近所の人は押して帰ってしまう。そこに隙間ビジネスが生まれた。ショッピングカート回収業。トラックであちこちを走り回り、路上に放置されたショッピングカートを回収し、所有者であるスーパーへ変換し手数料を貰うわけだ(ショッピングカートのほとんどには店の名前がはいっている)。また、日本と違いニューヨークのホームレスのほとんどは定住地を持たないさすらい人。常に家財道具と共に移動するか、それらをどこかに隠しているかのいずれである。上記のようにニューヨークでは稀少品のショッピングカートを求めて川を渡るホームレスも多い。パス・トレインというニュージャージーとマンハッタンを結ぶ電車で仕入れに行き、持ち帰ってくるのだ。また、ニュージャージーからニューヨークへ物(中古の衣料、雑貨など)を売りに来て、路上に開いた店舗を閉めた後、ショッピングカートを置いて帰る者もいる。
 このように貴重品であるショッピングカート。見つけたら確保したいのが人情だ。そこで駐車をしたいときには鎖と錠前で電柱などにしばりつける。ただ、あまり長時間放置すると誰かがゴミをいれ、また誰かが……。あっという間にゴミ箱と化す。そのうちに、近所の誰かが市に通報し鎖を切られて撤去という羽目になってしまう。まぁ、ニューヨークでは長期間の駐車は自動車ですら撤去されてしまうが……。
 ホームレスが押しているショッピングカートを注意してみていると一つのことに気付く。スーパーの名前がペンキや、引っかき傷で消しこまれている。これは所有者をわからなくするため。警察はその気になれば<窃盗>の罪で簡単に逮捕することが出来る。そのための用心だ。所有者がわからなければ立件のしようもない。警察もある程度は目をつぶってくれているのだが。あまりにも目に余るようだとやられてしまう。

 こうしてショッピングカートも様々な人の手を経て旅をするわけだが、その何パーセントが最初の仕事場で定年を迎えることができるのだろう?本来の目的ではないかもしれないが、スーパーで終始乱雑に扱われ、ガラクタとしてスクラップになるよりも一人の人間に大切に、まるで我が子のように扱われる方が幸せなのかもしれない。
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# by seikiny1 | 2004-12-12 09:59 | 日本とアメリカと
網棚文化
 日本へ帰っていた際、とにかく電車にばかり乗っていた。日本で一番何にお金を使ったか?と問われればそれは間違いなく交通費。交通費についてはまた別の機会にゆずるとして、今日は電車について。

 日本でしかも東京で電車に乗る場合、そこが始発の駅でもない限り座席に腰をおろす事に関しては、はなっからあきらめている。電車の中で立つという事は自然視点が高くなり車両内の風景に目がいきわたりそれはそれで興味深いものだ。まず、ニューヨークの地下鉄にない物に目が行き色々な事を考える。
 クッションの効いたほんのり暖かい座席、吊り広告、ゆらゆらと揺れる吊革(そしてその周りに施された筒状の広告)そして網棚。こんなところだろう。まぁ、日除けのためのシェード、窓ガラス、座席の配置、車両内を巡回する車掌さんなどなどあげだしたら切りはないが……。
 そんな中で僕の興味をそそったのは網棚。
 初めてニューヨークへ来て地下鉄に乗った際に最初に違和感を感じたのもプラスチック製の座席そして網棚がないことだった。この地では満員電車の問題よりも防犯という点のほうが重視されているせいか車両内に網棚はない。
 日本で、特に満員電車の中で網棚は活躍する。身の回りの品を手に持ったり、背負っているよりも楽であるし、網棚に荷物を置くことによりそのスペースに乗客をもっと詰め込むことが出来る。僕も電車の乗った際には迷わず荷物を網棚に置く。ただ、その分忘れ物も多くなるだろう。自分の肌身から離れた所有物はついつい忘れてしまう。二十年以上前の話になるが、国鉄(分割前のJR)払い下げ品店でよく古着や、古道具をあさったものだ。そして僕自身も今回の帰国中に何回か忘れ物をするところだった。
 所有者の手を離れたモノが延々と並ぶ網棚。なぜだか不思議な空間に思えてきた。たぶんあれは、まだまだかろうじてお互いを信用する(信用したい)ことが出来る文化の具現化の象徴のようなものだろう。荷物を持つことによって他人に迷惑をかけたくない。置き引きもそれほどなく、座席が空いたら荷物から離れて坐り眠りこけてしまう。危険物が持ち込まれる可能性もない(と信じている)。ただ駅の構内では「不審な荷物を見かけたらすぐに係員に通報してください」とのアナウンスが流れ、ゴミ箱を見かけることはほとんどない。この二つの事実の間に横たわる溝。そこに過渡期の日本を見るような思いがした。
 そして網棚に残る新聞、週刊誌、コミック雑誌たち。これはやはり日本独自のリサイクル文化だろう。数十円から数百円のものだが自分にとっては不要となったもの、しかし旬のものであり、ある人にとっては欲しいものでもある。そして読み終えたらまた網棚へ返す。電車の天井近くに無言のリサイクル文化が出来上がって数十年は経っているだろう。僕も気付いてみたら電車に乗り込む際の視線が座席を探す下向きから、読み物を探す上向きに変わっていた。
 しかし、大きな駅の構内や繁華街の路上で百円均一で雑誌を売る人達を目にするたびに「あぁ、この文化もいつまで続くのだろうか?」、と寂しい気持ちになっていた。あの数量や、品揃え、街頭で売る仮設店舗(?)の数を見ると組織化されているとしか考えられない。そこに需要があるからこそ供給があるのだろうが、やはりあのお互いの目には見えない不思議な信頼関係で結ばれた電車の中からひとつの文化が消えるのは哀しい。

 土曜日の夕方の電車に乗り込んできた某中堅男優。車両に入った彼の視線はサッと網棚を泳ぎ、さりげなく一部のスポーツ新聞を手にした。なぜかほっとしてしまった。
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# by seikiny1 | 2004-12-11 07:40 | 日本
ゴミ
 生活とゴミは切っても切れない関係にある。生きていく上で必ずゴミは出る。見えるもの、見えないもの。ここでは、俗にゴミと呼ばれる家庭などから出る廃棄物について。

 ゴミ、ごみ、塵、芥、御美……。様々な文字で形容されるゴミ。その問題があちこちで議論され始めて久しい。そしてそれらはいつ、どの瞬間からゴミに変じてしまうのだろう。表面上にはほとんど変化が見られないまま、ある時を境にしてそれは<モノ>から<ゴミ>へと変じる。そしてゴミに転じたときから<邪魔なもの>、<必要ないもの>、そして<汚いもの>になってしまう。同じ物であるのに。ある人にとってはゴミであっても、別の人にとっては<モノ>であることがある。イヤ、もしかしたらそうである場合の方が多いのかもしれない。実際自分自身もいまだにゴミ置き場から様々なものを拾ってくる。洋服、棚、電化製品、整理のためのダンボール、文房具などなど、数え上げたらきりがない。恩恵にあずかってはいるが、首を傾げたくなる。「ほんとにこんなんでいいのか?」

 ゴミは絶対に出る。それは処理しなければいけない。その対策を講じることは必要だ。
 ただ、それを論じている人達も含めて「もう少し<モノ>が<ゴミ>へとに変わる線を延ばしてみませんか」。そうすることによってかなりのゴミ(と呼ばれる)ものはなくなると思う。たとえば、野菜の皮をスープに使い、包装紙や紙袋・ビニール袋は再利用する。要らないものはもらわずに、捨てる前にあと一度考える。ズボンについた汚れを落とそうともう少し頭を使い、時代遅れの洋服でも自分のセンスで生き返らせる。リサイクルを使いこなし、不必要なものは買わない。こんなことだけで、どれだけゴミが減ることか。ジュースなんかにしたって、もともとは腐りかけや商品に出来ないみかんを絞ったのが始まりだろう。<モノ>が<ゴミ>へと変わる線を変えた産物であるのかもしれない。この線をどこに引くかこれが大切だと思う。そう、昔、醤油は計り売りだった。これを復活させるとプラスチックのゴミも減る。
 そしてゴミは汚い、というイメージが付きまとうが(僕にはないけれど)、まだ個人の家の中、部屋の中にある時点ではさほどでもないはず。外に出して不浄な物になる前にそれぞれがしっかり処理をすればゴミ処理の負担が減ると思う。

 しかし、ゴミ問題が減ればそれで潤っている企業群が痛手をこうむるのも事実だろう。ゴミ処理業者に始まり、リサイクル事業、そしてプラスチック産業、金属産業、石油産業、海運業、運送業などなど。そして政治家たち。もちろんそれらの企業に携わる人達にも波は寄せてくることだろう。単にゴミと言ってもそこにはお金が落ちているのだから。ゴミを金だと知っている人達がいるから。

 たぶん永遠にゴミ問題は解決されないだろうが、僕たちに出来るのは<モノ>である期間を可能な限り延ばすこと。この地球を次の世代に受け継いでもらう為に。
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# by seikiny1 | 2004-12-10 07:13
“This is Pearl Harbor! This is Pearl Harbor!”
“This is Pearl Harbor! This is Pearl Harbor!”
 約五分おきに連呼するアナウンサーの声が今でも耳に残っている。2001年9月11日の出来事。
 その日、僕はたまたまニュージャージー州のホーボーケン市にいた。地図上で見るとハドソン川の対岸にはワールド・トレード・センター(WTC)が<あった>。雑踏をかきわけて川に近付くと、WTCからもくもくと煙が立ち昇っている。その日は一日中ラジオのニュースを聴いていた。

 1941年12月8日(日本時間)真珠湾の米国海軍基地が日本軍により爆撃され壊滅的な打撃を受け、これを引き金にアメリカを戦争に引きずり出してしまった。このときのラジオの報道はどういうものだったのだろう?たぶんWTCの時と同じ感じではなかったのだろうか。皆が興奮して戦況を伝えていたのだろう。そして翌日のニューヨークタイムスも、どこのニューズスタンドでも同様に売切れてしまっていたのだろう。「俺達がやられた!」、という報道。

 アメリカでは今でもこの日になると、このニュースが各報道機関によって流される。さて、日本ではどう報道されているのだろう?僕自身はアメリカに来るまでは、真珠湾攻撃の事実は知っていたけれど、それがなされた具体的な日にちは知らなかった。だが、この地に来たその年に知り、今では忘れることが出来ない。いやでも思い出させられる日となってしまった。たぶん今でも日本での認知度は低いだろう。
 一方アメリカでは、広島と長崎に原爆を投下された日を知る人は少ない。これも日本と同様にあまり報道されないからだろう。はたして原爆が投下された事実を知っているアメリカ人がどれくらいいるのだろうか?

 国の指導・規制なのだろうか、日本とアメリカだけなのだろうか?国家の失点、汚点となるニュースはその国では流れにくい。いまだに<大本営発表>の様な報道しかなされていない。いいところ、悪いところひっくるめて付き合っていかなければ何も問題は見えてこない。何の解決にもならない。所詮、歴史と一緒で強者や勝者が作り、操作していくものなのだろうか。悪い所(事実)を見せようとすると事前につぶされてしまう。事実を事実として認識して伝えていかなければ何も残らないし、前進はしない。

 ここに二つの事実。
 アメリカの国土を攻撃したのは、第一番目が日本。そして二番目が同時多発テロ。
 真珠湾攻撃以降アメリカは積極的に武力を他に対して行使するようになった。そして今では誰も止める事は出来ない。

 今のアメリカの姿勢と日本は全く無縁ではないということを、忘れないようにしていこうと思う。ただ、非難するだけではなく。そして自分がこれまでにやってきたことから目をそむけずに。いや、凝視していきたいと思う。
 ほんの少しでも平和になるように。

 2001年9月12日
 まるで申し合わせたかのように、ラジオからPearl Harborという言葉が聞こえなくなった。
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# by seikiny1 | 2004-12-09 12:46 | 日本とアメリカと
トップランナー(プロ野球という会社の里親たち)
映画:東映、大映、松竹……
新聞;読売、毎日、中日……
鉄道;東急、西鉄、阪神、南海、阪急、近鉄、西武……
デパート;東急、阪神、阪急、近鉄、西武、ダイエー
IT:楽園、ソフトバンク。

こうやって思い出せる限りのプロ野球チームのスポンサー名、そしてそれらの球団がどういう時代に位置していたかを併せて考えてみると、各時代のトップランナー企業の栄枯盛衰とかさなっていく。そしてその向こうに、日本の文化風景をかいま見ることさえ出来る。
プロ野球には全く興味がない自分でさえある程度の球団名や、選手名くらい自然と覚えてしまう。日本で暮らしていたらいやでも目に、耳に入ってくる、それほどプロ野球とは日本人にとって影響力の強い企業なのだろう。そして時代のトップランナーでなければ引っ張れないほど金のかかる企業でもあるようだ。一体球団とはどれくらいの規模の企業であるかは想像もつかないが、たった数百人(?)規模の会社で、いくら計り知れない宣伝効果があるといはえ一億を越す年俸を取る社員が数人もいたらそりゃたいへんだろう。結果として今は、各企業の<数字でははかる事が出来ない>キャラクター子会社となって独立採算は不可能、常に親会社からの援助を頼るしか生きのびる道はない。そして、お荷物になったら里親を探して放浪しなければならない運命。そんな、損覚悟で養子にとってくれる企業はやっぱり時代のトップランナーぐらいしかいないのだろう。

やはり経費、特に人件費が異常に高すぎるのではないだろうか(バブル時の負債は別として。まぁ、これも先を読みきれなかった企業幹部の責任であるのだろうけれど)?もう、天井知らずで毎年上がっているように思う。最近、労働組合の方での活動も活発のようだが本当に愛社精神があり、失業という問題を真剣に考えて、後輩たちの就職のこと、業界の未来のことなどを考えるのであれば、自分らの権利の主張だけではなく自腹を切ってでも業界の、会社のために少しは頑張ったらどうだろう?アメリカの某大手企業では、社員全部が会社側が示した給料の数割減棒の提示を飲み、倒産の危機を乗り切っているところもある。物まねしろとは言わない。ただ、会社と個人、収入と支出のバランスをもう少し冷静に考えるべきではないのだろうか?まぁ、年季奉公の契約社員が高給取りのほとんどなのだから、会社側も企業を運営する人間として妥協点が見つからなければバッサリ斬るくらいのつもりで望まなければ。そうでなければこれらの企業のたらいまわしのような流転は永遠に続くのではないだろうか?とにかく「給料取り過ぎや、キミたち」、と思う。

さて、次の時代にはどんな里親達が手を上げるのだろう?
それとも孤児が増えるのか、行き倒れになってしまうのか?
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# by seikiny1 | 2004-12-08 05:28 | 思うこと
たばこ今昔
アメリカの土を踏み最初に自分のためにした買い物。
それはたばこだった。
初めて買うカートン入りのたばこ。両切りのLucky Strikeのそれは、少しだけたけが短いがその分ずっしりとした重量が感じられた。スカスカ、ではくてみっちりと詰まっているというその存在感。最初のパックの封を切った瞬間に立ち上る香ばしい匂い。「ウ~ン、アメリカの匂い」。

映画やテレビでかっこよくたばこを喫う外人に憧れた。だいたいもとがもとだからなれるはずはないのに、アメリカではたばこを喫うのがかっこいい、と一人思い込みこの地に来た。僕の場合。渡米の主な要因は、<一旗挙げる>、<アメリカン・ドリーム>、<資格をとる>、ましてや自分を高める<留学>のためではなくただ、ただ<カッコイイ>これだった。そして今アメリカに来ることが<カッコイイ>か?という疑問が常に頭の中にある。

ニューヨークではバー・レストランの類のほとんどで基本的に禁煙。商業ビルのほとんども(これは火災保険の優遇措置に因を発するらしいが)禁煙。おまけに市長が変わった3年ほど前から、段階的ではあるが、たばこ1パックにつき3ドル以上の課税がなされた。その上全米レベルでのたばこの害によるメーカーを相手取った訴訟、たばこメーカーのマスメディアでの広告の大規制、健康ブームなどなどの理由でスモーカーは激減。いまや我々スモーカーはマイノリティーとなった。昔とは逆にたばこを喫わない姿が<カッコイイ>風潮である。お昼時のビルディングの入り口付近、夜のバーの入り口などで背を丸めて喫うわが同胞の姿には哀愁を誘われてしまう。

所を日本に移すと、やはりまだまだ喫煙率がかなり高いようだ。
以前よりはましになったかとは思うが、相変わらずレストランや飲食店内での喫煙は認められている。喫煙席(これだけでもかなりの進歩といえるだろう、以前は<禁煙席>だったのだから>を設ける場所もかなり増えてきている。それでも、ニューヨークのきれいな空気のもとでの飲食に慣れてしまった喫煙者の僕にはけむい、不快だ。席がある時は必ず、喫煙席でない方を選んだ。
これが一歩外に出ると、またすごい。新宿などの雑踏ではとても怖くて歩きたばこなんて出来ない。すぐそこをすごいスピードで人が行きかう。危険だ。それでも吸っている人はかなりいる。必然的に僕は吸いたくなったら街角の人のあまり通らなさそうな場所を見つけで立ち止まり吸う。東京に着いた翌日に百円ショップで携帯灰皿を買った。
歩きたばこ、すわりたばこが多いせいか路面には吸殻が目立つ。これだけは、ニューヨークにいても僕はやらない、やりたくない。消した後に必ずゴミ箱へ。たばこ喫いとしての最低のマナーであり誇り。
ところが街頭禁煙条例がある地区に行くとこの情景は一転する。街がきれいだ。空気も路面も。日本人とは規則で決まれば従う、本当にまじめな民族だと思う。画一的、親方日の丸もこういう局面ではとてもよいことなんだが。
誰も吸っていない、そこで僕はやむなくコーヒーショップの喫煙席に座りたばこを喫う。「ああ、煙い。目がちかちかする」。僕レベルの人間だと、日本でたばこを心置きなく吸える場所といったらもう家しかないのかもしれない。

JRの駅などではまだホーム上で喫煙できる所が残されている。そのほとんどは、ホームの端っこではあるが。そこでたむろして無心にたばこを喫う同胞たち。急いで喫い終わると自分の乗る車両の到着位置へ足早に歩み去る。
空港の発着ゲートの喫煙所に到着後すぐに駆け込む、あるいは搭乗寸前まで喫いだめをしていると見受けられる仲間たち。

あぁ、日本でたばこを喫うのはショボイ。
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# by seikiny1 | 2004-12-07 01:46 | 日本とアメリカと
サービス
 NYを出る前から、国内乗り継ぎ便の航空券に問題があることはわかっていた。高速バスで成田→羽田と移動後すぐに航空会社のサービスカウンターへ。衝撃的なことはそこで起こった。カウンター内の女性が笑っている。しかも常に笑顔を絶やさずに仕事をさばいていく。10年弱も日本のサービスというものに接していなかった僕にとってはこれだけで大事件だ。そして疎漏の無い仕事内容。一種の感激の余韻を引きずりながら国内線に搭乗した。
 そもそも<サービス業>とは、ある意味全く生産性の無い業種(失礼な言い方かもしれないが、時代が時代なら無いなら無いで何とかなるものかもしれない。まぁ、文明がここまで進化してしまった現代ではそれでも必要不可欠ではあるけれども)で、接客、物流から風俗までこれほど多岐にわたる業務を抱えている職のジャンルは無いだろう。また、サービス業に対する企業の認識と、その現場に立つ人の職業意識は日米でかなりの格差があるように感じる。
 ファースト・フードを例に取ると、アメリカでは接客カウンターに立つ人はまずその地域の最低賃金で働いていると思って間違いない。それ故かどうか、接客もぞんざいで笑うことで損をするかのような印象を受け、その仕事内容も遅々として進まず結果として長蛇の列を作ってしまうことも珍しくない。アメリカでは人気があるから列ができるとは限らない。一方日本ではどこへ行っても、明るい笑顔、はきはきとした対応、清潔な店内(この辺はそれをマニュアル化した日本マクドナルドの創業者、藤田田氏の功績もあるかもしれない)……。サービスは企業やお店のイメージを作る大切な手段である、という企業の認識をかいま見ることができる。現場の意識や給与体系までは僕にはわからないが。とにかくサービスというものはこと日本国内ではとても重要な商品として扱われている、と今回の帰国で感じた。たしかに、愛想の悪い店なんか僕個人としては二度と足を向けたくなくなってしまう。日本人の感じ方とはそういうものなのだろう。日本人に限らず世界共通だと思うのだけれど。
 「もし」アメリカで<チップ制度>(慣習?)がなくなってしまったらどういうことになるのだろう?考えるだけで空恐ろしい。ある意味、文字通り現金な人が多く感じられるこの国で、そのサービスに対し授受する現金が消えてしまったら。そこには無味乾燥な、人と人との触れあいとすら呼べないやり取りのみが存在するのだろうか?アメリカ人のDNAには生まれながらにして三波はるお氏のフレーズ「お客様は神様です」というものが、植え付けられているのかもしれない。その現金の有無による変貌を何度目撃したことか。アメリカ人が僕を見るとき、背中の後ろの(僕にとってはあるはずもない)<お金>を見ている事を感じることがよくある。いまだに、日本人=お金持ちという公式の修正が出来ていないらしいのだ。
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# by seikiny1 | 2004-11-21 21:17 | 日本とアメリカと
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