ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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シャツを風になびかせて
 スーツを着たことは三回ある。ネクタイを締めたことは数十回程はあると思う。
 これから先、葬祭などでそれらを身にまとわねばならない(哀しい)機会が確実に増えていくことだろう。

 いつの頃からか<襟モノ>を着なくなっていた。昨年一年間を振り返ってみても、シャツに腕を通した回数を容易に勘定できる。襟付きのシャツを持っていること自体が少々不思議でさえある。
 それでも高校生までは制服のある学校だったので、着崩しこそしてはいたが一応シャツには毎日腕を通してはいた。自己主張はシャツの下に着込むTシャツ。それは子供時代のU首のTシャツに始まり、当時大ヒットになったBVD社製の<絶対に>首元が伸びない(頭の大きいやつにははいらない)Tシャツ、洗った後の風合いが実にいいHanes社製の真っ白なTシャツ、そして色つきや文字入り、絵柄入りへと変わっていった。
 高校を卒業すると、お気に入りのTシャツを探しに街をうろつき始めた。その当時は、お店も少なく、その在庫自体も少なかったことと、僕の選択の基準がサイズよりもデザインに重きを置いていたせいからか、僕のTシャツはサイズの大きなものが自然と多くなっていった。洗いにかけると生地が伸び独特の風合いになるのだが、同時に襟元も伸びてしまい僕のなで肩に乗ったTシャツはちょっと油断をすると襟元がU字を描いてしまっていた。そのサイズの大きさとあいまって、シルエットとしてはやせたおじいさんの肌着のようになっていたことが多かっただろう。それでも自分のお気に入りを着ていると実に気分が良かった。
 襟付きのシャツの中で一番多く着た物は間違いなくハワイアンャツ。それらもある時、一時に失ってしまったのだが。それ以来、シャツに腕を通すことはほとんどなくなってしまった。
 今ではほとんどの時間をTシャツと共に過ごしている。冬場にはそれにセーターやダウンなどが加わるだけ。
 こういった暮らしをしていると、Tシャツ磁力といったものでも生まれてくるのだろうか、街を歩いているとアパート前のゴミ置き場あたりからカワイイTシャツが顔を覗かせていたり、たまたま入ったスリフト・ストアで艶やかなTシャツに微笑まれたり、友達のおみやげがTシャツだったりと自然とその数が増え続ける。さて今は何枚あるのだろう?

 もともと肌着として生まれたTシャツは、それ自体に文字や絵柄をプリントすることによって洋服、しかもそれらの中で一番メッセージ色が濃い物へと進化を遂げた。アメリカが生んだ最大の文化の一つだろう。良くも、悪くも容易に自己主張をすることが出来る。もちろん僕にもそのメッセージ性よりデザインを重視して着ていた時期があった。それはある意味恐ろしいことでもある。しかしそれよりも恐ろしいのが、主張の強すぎるTシャツに着ている本人が飲み込まれてしまうこと。これは没個性、本末転倒以外の何者でもない。本来個性の主張のはずの洋服に飲み込まれてしまうなんて。Tシャツは実に危なっかしい洋服だ。

 シャツのボタンを首元までぴっちりと留める人、第一ボタンを外す人、第二ボタンまで外し胸元を拡げる人、ボタンを留めずにシャツをまとう人、ズボンに入れる人、入れない人。ごく単純なシャツの着方だけでも、パッとこれだけが思い浮かぶ。
 洋服選び、そしてその着こなしとは自己主張であると同時に、他人が自分を判定する基準ともなり得る。僕も人の着こなしを見て「オッ、こいつには俺と似たようなにおいがするな」などと思うこともある。その人の着る物、着こなしがその人との距離をどう設定するかのひとつの判断材料になる事は否めない。

 年をとったということなのだろうか?
 かつては自分と全く毛色の異なる人間は避けていた。そこにはシャツのボタンを一番上まで留めた人や、スーツを着込んでご満悦の輩を鼻でせせら笑っていた自分が確実にいた。その垣根は段々と低くなり、ある程度その人の主張を認められるところくらいまではなんとか来たように思う。
 人はどうしても第一印象、特に目か入ってくるのに左右されることが多い。
 ブログというものをはじめて一ヶ月余が経つ。そこには、やはり目から入るものはあるが人の姿ほど大きな印象を残すことはないし、かえってその内面をあらゆる角度から照らし出してくれる要素に満ちあふれている。表面や、外見だけではなく本当に大切なもの。発展の道半ばであり、匿名性ゆえの欠点もまだまだ見て取れる。ただ僕はここに<人を見かけだけで判断する>という人間の大きな欠陥を補い、是正し、転じてはこの世界から「<偏見>という言葉がなくなっていくのではないか?」という可能性すら感じる。
 「見かけで人を判断してはいけないのよ」、わかってはいるのだけれど。

 最近では相手への気配り(?)で襟付きのシャツを着ることがたまにはある。そのボタンは全開で、裾は風になびいていても<シャツを着ている>。日ごろの僕からしてみれば、これはかなりのフォーマル。表面上にそれが現れなくとも、その時の僕は相手に敬意を抱いている。シャツを着ることで、相手に対する自分にも何か別なものが生まれてそれが伝わると信じている。次は、お互いにTシャツで会える事を考えながら。
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# by seikiny1 | 2005-01-04 09:36 | 日本とアメリカと
“Yo, What‘s Up?”だけがあいさつじゃない
“Next!”
 アメリカの銀行やファースト・フード店等で列につき順番を待っていると、時として自分が囚人にでもなったかのような錯覚にとらわれることがある。同じ列につくにしても、ホームレスや低所得者の為の給食施設である、スープキッチンの列の方がどれだけ快適であることか。

 <ことば>というものはつくづく大切なものだと思う。ほんの短い一言がそれを受ける側だけではなく、発した本人をも快にも不快にもしてしまう。それはまるでサーカスの綱渡りのようでもある。そしてその一言が、その時、その日、はたまたそれからずっと先々まで影響を与えることが多い。たったの一言が。

 <ことば>の中にはたとえそれが自分に向けて発せられたものではなくとも、その影に組み敷かれてしまうものもある。
 たとえば俗にバッド・ワードと呼ばれることばたち。アメリカではFワードとも呼ばれる。日本語だと「バカ」、「マヌケ」、「アホ」などなど。
 洋の東西を問わず、母国語以外のことばの習得を試みる者のほとんどが、その極めて初期の段階で真っ先にこれらを身につける。一体どうしてなのだろう?
 それは確かにある局面では<笑いを取れる>かもしれない。ただ、それはことばを知らない外国人に対する苦笑、蔑笑、驚き、寛容などであることも多い。単なる<笑いを取れる>ということ、下世話なところから親交を深めるといった使い方だけではなく、人間の深部がそれを求めているのかもしれない。他国で暮らすことによるストレス。「人間としては自分より下だ」と思っている人間から、言葉がわからないことにより受ける蔑みに対する反発。もちろんその本人の性質によることもあるだろう。そういったものが圧縮され、無意識下でバッド・ワードを欲しているのかもしれない。

 いくら言葉が流暢になろうとも、外国人が他国の文化を百パーセント理解することは不可能だ。そういった超えることのかなわない壁があるにもかかわらず、それとも超えられないからこそなのか、その文化への第一歩に於いてバッド・ワードを覚え、連発してしまう。
 これまた不思議なのだが、それらのことばを発する人の傾向としてどうやら弱虫が多いようだ。強い者によろいは必要ない。弱い者はバッド・ワードというよろいを着込む必要があるのかもしれない。よろいを着て自分ひとりが蒸し暑い分には一向に構わないのだけれど、そういう人が近くにいるとどうしてもよろいのきしむ音がし、すえたような臭いがこちらを襲うことすらある。大概の場合は心の中で「あーあ」とか「オイ、オイ」などと苦笑を発するだけで済ませることが出来るのだが、何かの拍子で大きな不快の波が押し寄せてくるのを防ぎきれないこともある。特にそのことばを発した人が少しでも自分が知る人であった場合の波による被害は大きい。そのことばで全てが崩れ落ちてしまう。その人だけではなく、自分の中に積み上げてきたその人に対する評価のようなものまでが一緒に持っていかれ、結果としてある種の自信喪失に陥ってしまうのだからたまったものではない。これはことばのTPOという狭い範囲のことではなく、それを使う当人の内面がそのことばに凝縮されてしまっているから。ことばに対する無知で許されることではない。

 ことばとは、喋る事とは、ある種の訓練とも言えるだろう。
 例外はあるが、ことばの使い方を知らない、喋り方を心得ていない人はどうしても細やかな心配りが出来ないようだ。一方それらを心得ている人は、あちこちに気が行き届き、他に対して不快な思いをさせることは少ない。こういった人達はことばを常に選ぶことにより、知らず知らずのうちに自分を訓練しているのだろう。このサイクルが続きそのことばや、その人自身の完成度がよりいっそう高く、なめらかになっていく。その人の気持ちが自然とことばに出てくる。喋る必要さえなくなるほどに。
 人と接するに際して能弁や、多弁である必要は全くない。
 時間こそかかるかもしれないが、たとえ片言のことばでもその人の人となりは伝わってくるものだし、少ないことばの中にもそれらはちりばめられる。
 ことばは単なるコミュニケーションの道具の一つに過ぎないかもしれないが、それをちゃんと使い分ける訓練こそが自分を、そして周りをも幸せにしてくれる。

 最高のよろいはバッド・ワードではなく、ちゃんと喋ろうとする真摯な姿勢なのかもしれない。


『現代用語の基礎知識』の<若者用語>の項を読む。
「日本人は造語、略語の天才」である事を再確認する。
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# by seikiny1 | 2005-01-03 10:09 | 日本とアメリカと
わざわざお越しいただいたのに……
 お神酒を頂き過ぎまして、どうも今宵はアップすることがかないそうもありません。
 皆様にとって、今年一年がよりよい年である事を心から祈りながらまたお神酒を頂戴することにします。
 日本語の語彙力とは素晴らしいもので、日ごろは単なる酒に過ぎないものが、おめでたい日にはお神酒に昇華してしまう。こういうところにも、日本独特の文化があるのかもしれませんね。
 板ワサを切りながら、「つまみとしての長寿」と「歯ざわり」どちらを選ぶかまな板の前でしばし悩んだ元日の夕暮れでした。

 神さんが呼んでいる声が聞こえてくるのでそろそろおいとま致します。
 今年一年がより多くの<笑>に満ち、幸多い年である事を祈りながら。
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# by seikiny1 | 2005-01-02 09:03
修学旅行のしおり
 目的地の天候を調べてみたり、飛行機や滞在先の値段や条件を較べてみる。見所のチェックを行い、その地の風景に自分をはめ込んでみたりしてニッコリと笑っている。旅を計画している人の横顔は嬉しそうだ。
 旅の楽しみとは、計画を練ることにその数割があるといっても過言ではない。ただ、いくら緻密な計画を立てたとしても実際には雨が降ったり、飛行機が遅れたり、忘れ物をしてしまったりとトラブルは必ずといっていいほどやって来る。ふり返るとそれらの出来事も時と共に風化して楽しい旅の出来事のひとつとなっている。
 旅とは実際に足を踏み出してみないことには、どうなるかは全くわからない。
 旅とは振り返ってみることも出来る。

 絵を描く人、音楽を作る人、文章を書く人、営業でお客さん廻りをする人、家庭で料理をする人。
 人は様々なものを作り出す、作り出す作業自体に要する時間よりもはるかに大きな時間がそれより前に綿々と連なる。しかも、それだけの時間を費やしてはいても実際に絵筆を取り、ギターの弦に指を踊らせ、ノートにペンを走らせ、ビジネストークをし、火加減を調整する、そんな時に、ほんの一握りほどの時間の中でそれまでに自分が思い描いていたものとはまったく別のものが生まれる時がある。こと僕に関しては、そういったことのほうが圧倒的に多い。「あの苦労、苦悩はなんだったんだ?」、と首をかしげてしまいたくもなる。
 全ては計画通りには運ばない。歩き出したその時に<生>が宿るのだろう。目で見ることは出来ない力が作用する。しかしそれはその人が引き出した力。その力が正であろうと負であろうと。出来上がりが思い描いていたものとは違っていても、そこにその人の過去の結実が見て取れる。
 <何かをやる>ひいては生きていく、ということは実に旅に似ている。

 そうして人は「無謀だ」、「無計画だ」などと周りから言われようがフラッと旅に出てしまいたくなる時もある。何の予定も立てず、下調べすらせず、磁石も持たず。それでも旅への心を抑えきれなくなる時がある。これもまた楽しい旅のひとつ。枠に入っていては出会えない人、目にすることの出来ない光景。フラッとだからこそ許される旅の良さ。結果を期待することすらしない本能の旅。
 旅には様々な形態が、そしてその数だけの楽しみ方がある。
 昨日書店で<和>をテーマとした本を手に取った。そのグラビアにはかつてミュージシャンとして一世を風靡し、現在は男優として活躍中の男性が和服をまとい、気難しげな顔をして正座をしていた。彼の姿を見た瞬間に、日程がびっしりと組まれたパック旅行を思い出してしていた。「あー、この人もまた旅をしているんだなぁ」、といった事を考え少しだけの同情。

 人の顔の数だけ旅がある。それは単なる地点間の移動だけではなく、あらゆる点を結び、そしてそれらをつむいでいくものなのだろう。

 頭の中でうっすらとほこりをかぶっているアルバムをひっくり返して、2004年という旅を振り返っている。雨も降ったし、忘れ物もした。バスにも乗り遅れたし、見落としてポイントもあった。素的な人に巡り会い、美味しいものを食べ、楽しい酒を飲んだ。
 悪い旅ではなかった
 さぁ、そろそろ旅行ガイドをひもといて、新しい旅の計画でも練ることにしよう。
 一年に一度だけ許された楽しいひと時。


 月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり。 -『奥の細道』より- 
 松尾芭蕉さんはすごいな。




《ご挨拶にかえて》
 このブログを始ましてまだ一ヶ月ほどですが、この短い間にここへ訪れてくださり、時にはメッセージを残して下さった皆さんありがとうございました。色々な事を教えていただき、考えさせて頂いたことも度々ありました。
 2005年が皆様にとってより素晴らしい一年となる事を心よりお祈りいたします。そして、みんなで少しだけ暮らしよくしていきましょう。

 明日は朝からお酒を飲んでしまう可能性がかなり高いです、更新できるかどうかの自信が余り(全く)ありません。まぁ、なんとかなるかもしれませんが、そうでない時はご勘弁を。

A Happy New Year!!
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# by seikiny1 | 2005-01-01 09:21
今年最後のプレゼント
 コーヒー、日本茶、歯磨き、お酒、タバコ、背伸び、シャワー……。
 人は色々なもので気分転換が出来るらしい。どうやらそういったもので自分を切り替えることが出来るらしい。なんて器用なんだろうな、うらやましい限りだ。
 
 暖かな部屋に座ってばかりいると感覚が鈍ってしまうように感じることがある。それは自分の中で行われている発酵があたかも止まってしまったような感じにも似ている。色々な方法で気分転換というものを試みるのだけれど、いつも自分で頭をひねってしまう。それらの行為が自分に対して単に言い訳をしているようにしか感じてられないからだ。

 <たまり水>になっている自分の中に流れを作るために外へ出よう。やっぱり僕は外に出ていなければなんにもできはしない。たとえそこが氷点下以下の街だろうと、焼けたコンクリートでうだるような地下鉄の構内であろうとも。外は僕にいつも喝を入れてくれる。せき止められていた水に動きを作ってくれる。それがどんなに小さなことであろうとも。風に舞う新聞紙、電線の泣き声、泣いている子供、それらの全てが僕に息吹をくれる。ゾーリを引っかけドアからたったの一歩踏み出すだけで世界は全く違ったものとなる。全てが一斉に音を立てて動き出すのを、自分がこの風景の一部である事を感じる。
 家にいて変わらぬ風景や、同じ窓から見える外の様子を見ていても何かが生まれることもあれば、外へ出てなんでもない光景が火をつけてくれることもある。静と動。どちらも素晴らしいし、お互いが他にはないものを持っている。僕が生きているこの世界に万能の神はいない。誰もが何らかの障害を抱えて生きている。そんなものの良いところ、悪いところ、全てに目を見開いて歩いていこう。つきあっていてどんなにつまらない奴でもいいところを見つけてみよう。どんなにきれいで大好きな女の子でも足は臭いかもしれない。
 日常は、常識は大切で、ある意味快適なのかもしれないが<常>にばかり目をやるのではなく、たまには<非>にも熱い視線を注ごう。<常>の上に<非>をつける。

 僕にとって<外に出る>ということは自分に欠けているものを探す旅に出ることとも言える。何かを補う為に歩き回る。どんなに小さなことにもそれを見つけ出す。そしてそれを味わい、嚥下する。まるで野菜不足の人が肉料理の飾りについてくる野菜の突けたしをゆっくりと味わうように。
 気分転換とは探し物の旅に出ること。自分では何を探しているかさえわからない探し物をする事を、昔、誰かが気分転換と名づけたのだろう。言葉にとらわれずに探し物をするとしよう。そんな時いつも僕の頭の中に流れる歌の一節がある。井上陽水の『夢の中へ』。♪探し物はなんですか、みつけにくいものですか……♪中学生の時に初めて耳にして、僕をどこかへ連れて行ってしまったこの曲がいつまでもこだまする。
 罪作りな歌だ。
 何を探しているのかわからない、どうやって探し出せばいいのかもわからない、それを見つけ出したからといって僕がどうなるのかさえわからない。ただ闇雲にあちらこちらを掘り返してみたり、ただじっと佇んでいたりする。いつの日かそれは見つかり、また次の探しものを始める。人はそうやって世を終えてしまうのかもしれない。

 クリスマスツリーのなきがらや、プレゼントをかつてはやさしく包んでいた、くしゃくしゃになった包装紙がそこここに転がり、凍った風が渦を巻く街並みを歩き、そして深呼吸をする。
 探しものは見つかった。

 今年も残すところあと一日、いまさら気分転換でもないけれど今年最後の探し物は一体何なのだろう?
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# by seikiny1 | 2004-12-31 13:40
コンビニの列であまり待たされたことはなかった
「おっさん、これで何回目や?一体俺がいくつに見えるんや?」
 心の中では毒づきながらも、別の意思を持つ指先は財布の中から身分証明書をつまみ出す。三十歳頃まではこれがビールを買う時にキャッシャーのカウンター越しにとり行われる一つの儀式のようなものだった。
 ニューヨークでは二十一歳未満の飲酒は法律で禁じられている。買う方はもちろん売る方も厳罰の対象になるので、店側が神経質になってくるのも当然だ。
 この先も未成年の飲酒が無くなる事はまずないだろうが、もし日本が本腰を入れるのであればこれくらいやらなくてはならないのかもしれない。それに<二十歳未満>という法的な未成年と<高校を卒業したら大人>という慣習的なものの間に存在するギャップを埋めてしまわなければならないだろう。法規制をするのであればもちろん未成年=二十歳未満ということになるのだろう。こういったことは必要であるのかもしれないが同時に残念でもある。日本人が持つ良い意味でのいい加減さがまたひとつ消えていくようで。「そう、がみがみ言わなくても自分でコントロールできるならいいんじゃないの」、こういった事を言っていられないほどに社会は変わりつつあるのかもしれない。全てを規制され、法で固められなければ秩序が乱れてしまう情けなさ。

 自分がそうであったからではないが、未成年の飲酒に関して百%反対ではない。道路で吐きながら、ひっくり返りながら、翌日の頭痛に悩まされながら色々な事を学んできた。それらは教えられたからといってわかるものではなく、学ぼうと思っても学べないものだった。そしてやっとこの歳になって、少しだけだが酒の味がわかってきたような気もする。
 未成年の飲酒そのものよりも、自己の確立やコントロール。それ以上に周りの大人の方に問題があるように思う。新入生の歓迎会などで一気飲みを連発し、急性アルコール中毒になり死に至るなどの事件は論外ではあるけれど、そういう事件が起きる下地は誰が作ったのだろう?それをひとつずつ解きほぐしていかなくては何の解決にもならない。

 秋雨の降る深夜、約十年ぶりに実家の門をくぐる。冷蔵庫にはビールがなかった。母はビールを飲まない。疲れた足を引きずりながらビールの自動販売機を求めて夜の町をさまよい歩く。人にはあまり喋りたくない時もあり、そういった時に自動販売機は誠にありがたい存在なのだが、見つからないものはしょうがない。「ここ十年ほどの間にそれらはほとんど姿を消してしまった」という話はどうやら本当のようだ。ないものはしょうがない、あきらめてコンビニに入る。店の一番奥にある冷蔵庫の一画はビールや発泡酒で埋められていた。きれいに磨かれたガラスの扉に「当店では未成年へのアルコール類の販売はいたしておりません」、と手書きされた小さな紙が見える。
 それからは毎日のようにコンビニでビールや発泡酒を買っていたのだが、たったの一度も「身分証明書をお持ちですか?」という声を聞くことはなかった。もちろん何人も<それらしき>人を目にはしているのだけれど。僕が見た範囲では、あの類の紙はやはり店の立場を客に対して、学校に対して、警察に対して、常識(?)ある人に対して明確にする為だけのもの、ただの紙切れに過ぎないようだった。単なるひとつのフアッション。ポリ袋を下げて犬の散歩をし、誰も見ていなければ糞を放ったらかしにして歩み去る飼い主。その程度のものなのだろう。神社のお札でも貼っておいたほうがどれだけありがたいことか。
 レジに並べば、どこの店でも同じような顔をした店員さんが、同じように乾いた笑顔で、同じ様な言葉を口にする。気付いてみればコンビには質の悪い大きな自動販売機になってしまったようだ。店員さんの口から流れる「いらっしゃいませ」、「ありがとうございます」の声と昔の自動販売機から流れていた機械的な声がオーバーラップする。
 極めて中途半端な無機質な空間。

 コンビニは嫌いではない。「好きか嫌いか?」と訊かれたら迷わず「好き」、と答えるだろう。多くの人の答えもそうであろうと思う。コンビニとはそれだけ影響力がある存在なのかもしれない。

 コンビニに今の日本の縮図を垣間見た様な気がする。
 コンビニのあの手書きの張り紙が政府発行の印刷物に変わる時、日本はまた狭くなってしまうのかもしれない。
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# by seikiny1 | 2004-12-30 09:37 | 日本
時刻表はいらない
 日本に住む人にとっては当たり前のことかもしれないが、時刻表どおりに電車がホームへ滑り込む、これはなかなか気持ちがいいものだ。まさに<電車が滑り込む>といった感じで、ある種の神々しい印象を受ける。到着前のホームに立つ人々はしきりに腕時計に目を落とす。気付いてみれば僕もその一人になっていた。電車の遅れでスケジュールの変更を余儀なくされる人は一本の電車に何人くらい乗っているのだろう?日本の電車は時刻表どおりに来て当たり前。

 ニューヨークの地下鉄には時刻表なる物は存在しない。もちろん運営する側にはあるのだろうが、利用者がそれを目にすることはない。時刻表自体が存在しないのだから、あまりにも前の電車との感覚が開かない限りいらいらすることもなく精神衛生上にもいい?ただ、せっかちな人はいるもので、そういった人達は腕時計ではなくホームから身を乗り出して遠く暗闇に電車のヘッドライトを探す。腕時計と同じで、見たからといってどうなるものでもないのだが。

 日本人の時計やカレンダーとの出会いにはある種の運命的なものを感じる。それほどこのカップルはピッタリとくっつきそれを最大限に有効利用してここまで来た。時を最大限に<生かす>ことにより我々はその中にある可能性を極限まで追い求めてきたのだろう。それを細分化してまるで精密機械のように。世界で一番時を有効に使っているのは日本人であるかもしれない。ただ、それは非常にもろいものであるとも言えるだろう。電車の時刻表がその人の一日を決めてしまうように。精密すぎる機械は歯車がコンマ数ミリずれただけでも機能しなくなってしまう。
 眼を江戸時代に移してみると時間は<子(ね)の下刻>、暦は<冬至>や<立春>に代表されるような大まかなもの。そして、それが生活に実に密着して機能していたようだ。それなりに文化は花開く。時そのものに幅があり、その分遊びがあった。それでも歯車は回っていく。

 朝の歯磨きから、夜の歯磨きまでの一日の行動を分刻みのスケジュールで行う人がいる。
 日本では年末になるとカレンダーがどこからともなくやってくる。

 アメリカの街を歩いていると、しばしば時間やその日の日付を尋ねられる事がある。
 アメリカではカレンダーは買うものだと相場が決まっている。

 週末に街を歩くと、楽しもうという雰囲気が満ちあふれている。生活のゆとりというやつだろうか。さて、週休二日制がほぼ定着した日本に次に必要なものはなんだろう?
 是非、電車の時刻表の撤廃を実施して欲しい。一分刻みの生活に十分の幅を持たせる。「週休二日制よりこちらを先にやった方がよかったのでは?」、とすら思う。寸分の刻みのないものにあそびを持たせる、実際、回り続けてきた歯車は磨耗してあそびが生じてきているのだから。「ゆとり、ゆとり」と呪文のように唱えながら頭を抱え込むよりも、時刻表をなくしその分運賃まで下げてしまえばもっともっと社会は活性化し、病んだ事件も減少するのではないだろうか?

 時間は大切にしなければいけないものだ。特にそれが他人のものの場合はなおさらだ。時間に正確であるに越したことはない。ただ、時には縛られたくはない。しかも自分自身で。時を追い、日を追い、そして気付いてみたら追いかけられているような生活はまっぴらだ。

 実家へ帰っていた時、トイレの壁には標語を書き添えた日めくりカレンダーがぶら下がっていた。数日前の日付のそれを何度か調整した。
 姉の家に滞在していた時、居間には日めくりカレンダーがあった。ほとんどいつも前の日付を指していたのだが、僕は手を触れなかった。朝起きてそれに目をやるとたまに一日分だけ破り取られていることがあった、「オッ」と思いながらコーヒーを飲むためにテーブルに近付くといつもそこには、破りとったカレンダーの裏側にしたためられた姉から僕へのメッセージが置かれていた。
 実家が、姉の家がなぜ心地よかったかというと、それは多分その人達が家族であるばかりではなく、僕と同じカレンダーへの距離感を持っていたからなのだろう。

 久々に日本へ帰り、商店や飲食店の壁にカレンダーや時計を見ることが少なくなってきているのを眼にして、ほっとしている自分がいた。
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# by seikiny1 | 2004-12-29 07:06 | 日本とアメリカと
匿名希望
「さて次はOO県XX市の”匿名希望”さんからのおはがきです」
 最初に<匿名>という言葉を聞いたのはラジオの深夜放送だった。その頃のラジオの深夜放送は若者にとって一番あついメディアだったと言えるだろう。ハガキを読まれることによりプレゼントなどが貰えるのがほとんどだったので、匿名<希望>ではあっても本名は付記されていたはずだ。そして、時を経ずしてこれは自分で名づけた個性的な<ペンネーム>へと変わっていく。
 古くから匿名というものは存在していた。しかし、その多くは奉行所の目安箱のように告発または嫉妬などによるものだったのではないだろうか?この言葉から一種の暗い響きを感じる人も少なくないはずだ。そしてその血脈はいまだに警察などの貴重な情報源として生きていることだろう。
 今、匿名は別の顔を持ち歩き始めている。

 三十年前に、これだけのハンドル・ネーム(以下HNと略)という名の匿名が花盛りになる事を誰が想像しただろうか?インターネットの普及に伴いこの花は咲き乱れ、いまだ衰えを見せる気配はない。顔のない人格が全世界の人口の数倍になる日はそう遠いことではないだろう。
 インターネット上ではほとんどの人がHNを使う。その名前を見るだけでそれぞれの個性が想像できる楽しいものも多い。
 そのほとんどは、HNと本人は同一人格なのだろうが、インターネットという仮想空間に、もう一人、いやそれ以上の自分を作り上げ、それを楽しむ人もいることだろう。僕には到底そういう器用な真似は出来そうもないので、完全に使い分けが出来、自分を律することができる人をうらやましく思うことすらある。僕の場合だと、実生活を送る自分に「他の自分がかぶってしまうのではないか?」という不安につきまとわれてしまう。虚実の境目が不安定になる可能性を否定できないからだ。そして、その虚もまた実であると思うからこそ怖い。人間とはとても矛盾に満ちた生き物であるから。

 インターネットという媒体が普及するまで、マス・メディアのほとんどは一方向性だった。与えられた情報しかわからないし、自分の欲する情報を探し出すのは困難であった。しかしインターネットの出現によりこれらは確実に双方向性への第一歩を踏み出し、多くの人に発言の場を提供した。HNによりそれぞれが自分自身の内に持っていた発言に対する障壁すらもかなり低くなった。
 家での顔、外での顔、嗜虐的な顔、弱虫の顔、正義の顔、権威の顔、……。本人が意識しているかどうかの差こそあれ、誰もがいくつもの顔を持っている。「この顔では言えないことでも、あの顔だったら言える」、そうして拡がった発言の場で何の忌憚もなく言葉を発することが出来る。これまでは権威によって握りつぶされてきた情報などもHNの出現によって容易に日の目を見ることもある。最近話題になった、人気歌手の盗作事件などはその好例だろう。以前であったらこの手のスキャンダルは<事務所の力>で容易に火消しが行われたことだろう。ただ、HNはこういった社会的悪を追及・告発できるのと同時に、特定の人物や対象を容易に陥れることもまた可能である、という点にも気をつけなければならない。誰もがその被害者になる可能性を持ち、加害者となることも容易に出来てしまう。
 <言いたいことが言える世の中になってきた>。これはHNがもたらした最大の恩恵。<見たくない、聞きたくないことの蔓延、そして悪意による誹謗、中傷>これはあだ花。両刃の刃だ。この刃の先に行ける者こそ真の情報を把握し、そこからの第一歩を踏み出すことが出来るのだろう。それはきびしい道だろう。秩序や道徳が確立していない現代は乱世と言えるのかもしれない。

 <もう一人の自分>の体験は一度味わえばやめられない甘美なものかもしれない。ただ、その顔を持たない自分にも責任と的確な判断力が求められている事を忘れてはならない。
 大人でさえ自分を失いそうなこの世界で、まだ一個の人間としての途上過程にある子供達が、もう一人の自分と共に成長していく事を空恐ろしく感じることがある。日常で現実と非現実がないまぜになり、最悪の場合本当の自分の人格すら制御不能に陥ってしまう可能性すら想定されるからだ。

 これからはこれまで以上に人間との関わり方が重要になり、そのうえ機械・情報とのそれ、自分自身との対話がもっと必要とされてくることだろう。集団が社会を統制することよりも、個がそれを形成し導いていく可能性が高い。その為に、自己制御、情報選択力そして他人への思いやりなど今からやっておかなければならないことが山積されている。

 もし今HN禁止法案なるものが施行されれば世界は大混乱に陥ることだろう。
 多重人格症および対人恐怖症の患者がこの先増えぬことを願って。
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# by seikiny1 | 2004-12-28 08:59 | 思うこと
自己活字欲
 自分の血液型を知らない。
 恥ずかしながら、この歳になるまで献血はおろか採血すらやったことがない。両親はA型とB型なので全ての血液型の可能性があるらしい。
 友人らと集まる時、何かにつけて血液型の話になることが多くそういった時には皆が僕の血液型を推測し、あれやこれやとしばしおしゃべりの花が咲く。
 ほとんどは何もしないのだけれど、一度何かに没頭したらとことん行ってしまう性格であることは自分でも感じている。ある人はそこに<完璧主義>の烙印を押し、A型論を導き出す。

 小学校に上がる前から本は読んでいたが、はじめて自分の活字の所有欲を意識したのは僕が四年生の時だったと記憶する。三歳年上の姉が中学生になり、<中一時代>という雑誌を買ってきた。僕は物珍しいそれを手に取り眺めた。その裏表紙は僕を吸い込んで行った。そこには赤いボディーを持つオリベッティーというイタリア製のタイプライターが毎月印刷されていた。この衝撃が変形して、後に僕をアメリカまで引っ張って来たことは紛れもない事実。

 本や映画の映像が自分の内に堆積し、僕自身が描くタイプライターのイメージは次第に拡がり、そして固まっていった。それは白黒の映像で、薄暗い部屋の中でタバコの煙を照らし出す卓上スタンドが乗った机に向かう男の後姿。彼の指は重いキーボードの上をそれでも器用に動き回り、タイプライターからはハンドルの操作と共に文字列が吐き出される。「カタ、カタ、カタ……」という乾いた音が部屋には充満している。
 こういったイメージと共に僕の自己活字欲はどんどんと高まっていった。

 現在、ワープロとコンピュータの普及により自分の活字はほぼ生活の一部となっている。生まれた時からそういう環境にある人の割合もかなりの数字だろう。
 僕自身もキーボードを叩き、それが活字になる喜びを今でも持ち続けている。たとえそれが誰に読まれることがなくとも、プリンターから吐き出された文字列を見ているだけで相変わらず嬉しくなってしまう。ただの自己満足といえるかもしれないが。
 しかし、時を経るに従いその喜びと平行し、「何かが違う」、という感覚にとらわれ始めた。
 e-mailのような短文ではそれほどは感じないのだが、ある程度の文字量を持った文章になると、そういった違和感に包まれてしまう。
 誰の文章にも独自のリズム、スピード、流れ、しなやかさ、そして全体像などといった特徴、個性が存在する。僕自身に関して言えば、キーボードを通し次々と画面に現われてくる文字列に「自分のものではない」といった感覚を頻繁に持ってしまうし、手書きで書いたものと、直接入力したものを読み比べてみるとそれはやはり別種のものに仕上がっていることが多い。魂とでも言うのだろうか、そういったものの欠如を感じてしまう。

 僕の稚拙なキーボード操作にも一因はあるのだろうが、これはやはり生まれた時にペン感覚でキーボードを触ったか否かによるところが大きいと思う。僕の場合はやはり、脳で考えた事を一度頭の中で文字列に置き換えてからでないとキーボードを叩くことが出来ない。その一瞬で魂が失われてしまうのだろう。一方、ノートに鉛筆で書く時には、文字が脳に直結しているのを感じる。考えるのと同時にそれは文字となって現われそこに定着する。何のフィルターも通さずに目の前に現われてくれる。

 僕にとって<書くこと>というのはやはりその文字面どおり書くことに尽きる。脳と十本の指が直結することはこれから将来も起こることはないだろう。鉛筆がすべるように埋めていったノートの中にしか本当の自分自身を見出すことはできない。いくらブラインドタッチが完璧になっても、そこから生まれたものは別個のものでしかない。
 僕にとってキーボードとは単なる一事務機器、優秀な校正機器であるに過ぎないようだ。

 活字になった瞬間に文字達は命を失ってしまうのかもしれない。

 やはり僕は完璧主義者ではないようだ、それとも別の意味で完璧主義者なのだろうか?
 さて、血液型は一体何型なのだろう?
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# by seikiny1 | 2004-12-27 09:05 | 思うこと
Last Minutes Shoppers
 昨日(12月24日:クリスマス・イヴ)地下鉄内でクリスマスツリーを抱え家路をたどる人達を数名見かけた。デパートやスーパーマーケットの周りでは、大きな荷物を抱えた人達がタクシーを探している。ここにも僕の同胞達がいる。

 ギリギリになるまで何かをすることが出来ない。俗に「ケツに火がつくまで」、というやつだ。時間がふんだんにあってもどうしてもそうなってしまう。別に意識しているわけではないのだが、ほとんどの物事がそういう風に流れていってしまう。そうして、不思議とこれまでの間、それらは<それなりに>なんとかなってきた。無意識のうちに自分をそこに立たせることによって、なにか力のようなものでも発生するのだろうか?
 もちろんちゃんと予定を立て、着実に準備をこなしていればそうあたふたとすることもないかもしれない。<もし>という選択が許されるのであれば、それを見てみたいとも思う。用意周到に物事をこなしてきた場合と、ギリギリまで追い込んで(追い込まれて)出した結果の間にどういう差が生まれるか?一体何が変わってくるのだろう?それは全く同じ結果であるかもしれないし、別の顔を持っているかもしれない。そしてどちらにも到達感はある。

 来年もまた僕は手帳を買うのだろうか?
 手帳は僕にとって憧れのひとつ、そしてこれからもその座を「譲ることはないのでは」、という予感もある。心の内のどこかで頑なにそこを動く事を拒んでいるかのように、常に憧れであり続ける。
 予定を書き込み、これからの展望を考える。
 成し遂げた事を書き込み、たまにページを繰り過去を振り返ってみる。
 住所録に連絡先を書き込み、電話をかけたりハガキを書いてみたりする。
 <出来る男の必需品>と呼ぶ人さえいる。
 そんな事柄に憧れているのだろうか、毎年新年には手帳を買い、とりあえず分かっている予定いくつかと家族、友人の電話番号を書き込むところまでなんとかこぎつけるのだが。
 日を重ねるに従いページが段々と文字で埋まり、年末にはその一冊が文字だらけになる。その充足感とは一体どのようなものなのだろう?想像するだけでこちらまで満ち足りた気持ちになってくる。多分、これも僕がそこで終わってしまう原因のひとつかもしれない。

 どんな人にも転機のようなものが訪れることがあるらしい。
 先日会った友達が耳を疑うような言葉を口にした。今年の彼はニューヨークで、誰もが疑うことのないような大仕事を成し遂げた。ただ、それは当の本人にとってはやはりひとつのステップに過ぎないし、そういう彼の仕事に対するスタンスがこプラスとなってきたとも思う。<肩に力を入れない>という点でお互い共感し、無言のうちに共鳴するものがあった。「相変わらず飄々と現れるだろう」と思っていた僕が目にした彼の表情は心なしか焦燥と疲労の色を浮かべていた。
 開口一番の言葉は、「いやー、今回もギリギリになるまで動かないとわかっちゃいたけど、やっぱりそうだったよ」
 彼は続けた「でもね、今回の仕事で多くの人に一所懸命、しかも手際よくやる事の価値を教えてもらったようにも思う」
 あの彼にこう迄思わせたものは何だろう?
 それは、どうやら周りの人の発する形なき力、そして情熱のようなものであったらしい。価値観を変える一瞬とは誰にも訪れるものなのかもしれない。見逃してしまうことがほとんどだろうが。

 これまでの彼と、少しだけ新しくなった彼が融け合うことでどんなものが出来上がっていくのかがとても楽しみだ。そして、自分自身も少しだけ目を見開いて前を通り過ぎていく何かに手を触れてみようかという気持ちにもなってきた。

 多忙な彼だが手帳は一応持っている。余白だらけの手帳。来年、彼の手帳にはたくさんの文字が並ぶのだろうか?それはそれでおもしろそうだ。

 僕はしょうこりもなく一月二日には半額になった革表紙の手帳を求めて本屋へ行くことだろう。
 いつになったら、来年の手帳を買う僕が生まれてくるのだろう?
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# by seikiny1 | 2004-12-26 08:07
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