ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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立ちどまるな ふりむくな
ひと休み。

しばらくは30℃近くまで上昇する日々だってけど。
その上湿度も高くて。
とはいえ朝晩は少し冷え込むし、
冷房の効き過ぎた地下鉄も珍しくはないので、
出かける時には薄手のパーカーを羽おって。

暑くなってくれば立ちどまって脱ぎ、
手に持ち、腰に巻き、カバンのある時は入れることも。
そんな時、何かの音がしてふり向くことだって。



さてさて。
NYPD(NY市警察)にビデオを公開された男性は誰だったんだろう?
白人、40歳くらい。
危険物を積んだ車:ニッサン・パスファインダーから煙が立ち上る前に、
立ちどまり、シャツを脱ぎ、カバンに入れ、ふり返った後に歩き出した男。

「ドキリ」。
ビデオが公開されたとき。
容疑者として別の男が拘束されたとき。

<あの時>、<あの場所>を歩いていた可能性はゼロじゃない。
植物園へ行かなかったら、
移転したブックオフ・ニューヨーク店をのぞいていた確率は高い。
冷房が効いた店内では上着に腕を通していたかもしれない。
歩いているうちに汗ばんでしまい、
立ちどまって脱いでいたかもしれない。
ブックオフへ行く時はいつも大きめのカバンを持っていく。
誰かに呼ばれたような気がして、
振り返っていないとは限らない。

被害者として爆弾事件に関わるのはもちろんいやだけれど、
心情的には日常の行為を<不審>と断定されてしまうことの方が怖い。

もちろん警察だって絶対的に材料が不足していたのだろう。
すべての可能性をしらみつぶしにしていく中、
わらにもすがる思いで観光客が撮ったビデオを公開したのだろうが。

とりあえず、シャツを脱いだ男のその後を耳にしていない。
拘束した男のニュースに埋もれてしまっているのかもしれないが。


それにしても容疑者の男。
パキスタンからアメリカに帰化した30歳の男。
「俺ひとりでやった」はいいけど、
車は1週間前にネットの掲示板を通して購入したという。
個人売買で。

報道があるまではてっきり盗難車だと決めつけていた。
刑事番組の見すぎかもしれない。
警察だってきっと驚いているはずだ。
自分の車をあんな事件に使うなんて、
「あーもしもし。オレオレ……」
と、見かけたことすらない老人に自宅から電話をかけるのと変らない。
ここはやっぱり盗難車でしょう、常識的に考えて。
自分の車じゃ間違いなく足がつく。

こいつはアホなのか?
それとも背後に何かが隠れているのか。

それにしても気になるな。
シャツを脱いでしまった男。


レディーのすべては女性だが、
女性のすべてはレディーじゃない。
誤りを謝らない権力は、
エレベーター前でふんぞり返る非レディー女性のよう。

足利事件のあの人にあの人は謝ったんだろうか?



6年ぶり。
饅頭屋の玄関には知らない名前ののれん。
そば屋はラーメン屋になっていた。
鶏肉店は昔のままだが、
さすがに車庫のボクサー犬2匹はいない。

昔つけた足跡を確かめるように、
きょろきょろしながらゆっくり歩く。
故郷はいつの間にか車社会になっていて、歩く人の姿はない。
《不審者に注意!》
電柱に巻きつけられた看板。
「……」


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# by seikiny1 | 2010-05-07 08:38 | 日本とアメリカと
二つ名
「どうも。はじめまして トミーです」
いまだになじめない。違和感どころじゃない。
というよりも神経を疑ってしまう。
そんじょそこらにの日本人が裸足で逃げ出してしまいそうなほど、
コテコテ日本人顔なのに、
こちらが日本人であり、日本語で話しているのにもかかわらず、
どこをどうしたら、
涼しい顔で自分のことをトミーなんて名乗れるんだろう。
きっと本名は富松あたり。

ニック、マイキー、アンディー、ジョージ、サム、ケリー、アレックス、ショーン……。
どれも日本人の名。
こちらで、俗に言われるところのアメリカン・ネーム。
人間性云々はさておき、
名前においては厚顔無恥という言葉しかでてこない。
ぼくの価値観というくくりではn。
もちろん価値観は無数にあり、
自在のはずはないのだが変貌をつづける。
ここの無恥が、
あそこでは無痴になり、
向こうの方では無知と呼ばれることなんてざら。

それにしても。
相手を英語名で呼ぶのはそれほどでもないが、
日本人の口で呼ばれるのはたまらない。
(もしぼくにアメリカン・ネームがあったとしても)
ポール君、ジョーさん、エディー氏はなんともないんだろうか?
それとも地下鉄ホームの小便臭と同じで、
慣れ、馴れ、狎れ、そしてズレてしまうのか?


もちろん無知ということもあっただろう。
それよりもズボラでいい加減なくせに、
少しだけバカ正直が同居している。
そんなところが理由。
もしぼくが逃亡者の身となり、
人ごみの中で「あ、境さん」と呼びかけられば、
「はい?」と立ち止まって振り返るだろう。
(あ、あいつ刑事じゃないかな……、といぶかしみながらも)
自分が正直者というのではなく、
缶詰を開ける音に反応してしまう猫と同じ世界で。


こんなことをはじめた頃はハンドルネームなんて言葉も知らず、
そんな予備知識もない。
「憶えやすいもの?名前だろう」
そんな公式でメールもブログのアカウント名もseikiというのが瞬時にはじき出された。
名前は使い出したときに生命が吹き込まれ歩き出す。
殺してしまうまで変えることはできない。
賢い人なら「あとひとつの人格で遊ぼう」。
リサーチをして別の名前をつけるんだろうが、
そんな智恵も回らない。


それにしてもネットで出会った人が実生活で対面した時というのはどうなんだろう?
相手を呼び、相手からも呼ばれる。
困らないのだろうか?
恥ずかしくならないのだろうか?

「あ。どうも。ファンキー・ママさんですか?
はじめましてodenwa rin linです」
……
「odenwa rin linさんまだ飲まれます?」
「はい」
「すいませんホッピー・セットふたつ!」
「えーと、黒は私で白はodenwa rin linさんにね」

60過ぎのハゲおやじと、生真面目そうなNTT元職員のこんな会話を聞いて、
居酒屋のアンチャン何考える?
聞かれてはずかしくないのだろうか?
走り出してしまいたくならないのか?

ぼくがプロレスラーだったら、
アントニオでも、ラッシャーでも、ストロングでも、ジャイアントでもいやだ。
たとえどんなに強くても、
どんなに弱くてもいやだ。

やくざ稼業でカマイタチの銀二とかモロッコの辰くらいだったら我慢できると。
金庫番の岩蔵なんかもいい。
間に「の」がはいるのはいいな。
妖怪でもアカナメならいいが、ビビビのねずみ男は「の」が入ってもいやだ。

似たような理由なのか。
自分でもわからない。
マイミクだとかメッセだとかトラバだとかが使えない。
横文字の新しい言葉短縮形というのが苦手。
口にすることはおろか、書くだけでも恥ずかしくなってしまう。

昭和のコタツ風景。
「あしたはデケンぞ。8時にアポのあるけん」
父の口からこぼれてきたアポという言葉にぼくは赤面していた。
昭和、コタツ、かごにはいったミカン、学生服、方言。
そこに<アポ>ときた……。


ああ、こんな度胸でこれから乗り切っていくことができるんだろうか?

それともアメリカン・ネームやハンドルネームという名で生きている人たちは、
完全なもう1人の自分になりきってそれを楽しんでいるのだろうか。
誰にも多重人格願望というのはあると聞くけれど。

デストロイヤーもミル・マスカラスも仮面ライダーもヤッタ-マンもあとひとつの自分を楽しんだんだろうか?


ぼくの名前はアメリカ人には憶えることはもとより、
発音することすらむずかしいらしく、
そんな人にはこう教えています。
「Say-Key」
簡単だし、自分の名前を呼ばれるのは憶えてもらえるのはやはりうれしい。


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# by seikiny1 | 2010-05-05 08:33 | アメリカ
ペーパーウェイト
「それがさー、講演で日本へ行ったときのことさ。
時間があったから、なんとなく会場準備の様子を見てたんだ。
びっくりしたのは、まず体育館の両端にしゃがみこんだ2人が手にしたひもをピンッとはるんだ。
ギターの弦みたいにまっすぐにね。
次に伸びきったひもに折りたたみ椅子の足を合わせて並べていく。
二人の男は長さをはかりながら横に移動して……そんなことを繰り返していくんだ。
もちろん演壇では歪みを監視する人が小さな修正の指図をしながら」
カウンターの向こうにいるJohnが笑みをまじえて問いかける。
「で、どうしてそんなまねをすんだ?」
「……いや、わからない……」
Davidは苦笑まじりにつぶやいた。



「まったくバカなことをやるよね。さっさと並べちまえばいいものをさ」

「いや、よくわかんねぇけど、
こんなとこからゼロ戦やwalkmanが生まれたんじゃないかい」

「いやー、ほんとだよね。まったく彼らの思考回路はどうなっちまってんだろう」

あの苦笑は何を物語っていたんだろう。



ブロードウェイで信号待ち。
南にはこのエリアの顔、ビルボードが雨ににじむ。
最近はLCDタイプが主流になってきていて、
真ん中の特等席では踊るMichelobの茶色い瓶が2本、いや3本。
上にはTDK、そのまた上に2段重ねのTOSHIBAが、
不規則な積み木のように危うげなバランスで連なっていく。

右肩越しに見上げたTOSHIBAやTDKの赤い文字。
なぜか感じるのは空虚さだった。
20年程前、Cup Noodleのビルボードが登場したときの、
どこか誇らしさにも似た胸の高鳴りが少しだけ再生され、
光る積み木と交叉し離れてゆく。

北には、小雨をうっすらと染めながら移動を繰り返すBarclay Capitalの青い電飾。
少し前まではLehman Brothersの緑色が雨粒を乱反射させていたところだ。

角の”MAXIE'S Restaurantの赤いネオンサイン。
"IE'S" と "ant" の赤い灯が消えてしまっている。
文字の欠けたネオンほど哀しく、憂鬱にさせるものはない。

青に変った信号を渡り楽器屋の前。
「最後のホームレス」と言われている彼、
説得に応じ、ついに廃業してしまったのか、
$4500の値札を下げたダブルネック・ギターの入るショーケース前にいつもの姿はない。


爆弾騒ぎがあったからなのか。
雨降りのせいなのか。
月曜日だからなのか。
季節のはざまに立っているからなのか。
それとも自分を映し出しているだけなのか。
今朝のタイムズスクエアは、予算不足で手入れの行き届かない公園のよう。
ボンヤリと水銀灯が灯っているような。
看板ばかりがやけに目立つ。
パーカーののフードにあたる雨粒を感じながら、
煙の立ち込めるバーで10年以上前に交わされた会話を思い出していた。


仕事場。
四角いペーパーウェイトを書類の辺と平行に直す。
体育館に張られたひもの理由は
「気がすまないから」としか説明できなかった。

ペーパーウェイトがわりの石でも拾いに行こうか。 




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# by seikiny1 | 2010-05-04 08:12 | ニューヨーク
ヘンクツオヤジの作り方
60/40。
最近では「ロク・ヨン」と呼ばれたりするらしい。
好きな洋服生地のひとつ。
名前の由来は綿60%、ナイロン40%で織られているから。
こんなネーミングをすることができるのは、
世界広しといえどもアメリカ人くらいしかいない。
もちろんアメリカ生まれの生地です。

元々はマウンテンパーカーなどアウトドア・グッズに使われていたが、
今では街着としていろんな場面で見かける。
強度があり、通気性にすぐれ、防水性も高い。
そんな高機能な生地だけど、
機能だけを考えればゴアテックスの方が断然上。
でも、ぼくはこの60/40という生地が大好きだ。

なぜゴアテックスではなく60/40なのか。
メーカーの事情ははわからないけれど、ぼくに関して言えば
機能に加えて美しい。
というよりも機能を突き詰めたら美しくなった。
(もちろん後づけの理由になるが)
そこにある。
そして、ゴアテックスという生地がありながらも、
かたくなにこの生地を使って製品を作り続けるメーカーも。
製品として成り立っていくこの国も。

見る角度によって「ヌメッ」とした硬い波を打つ光沢があり、
「ゾクッ」とくる。
シルクやカシミヤなんかよりもぼくは魅かれる。

Wallsというブランドの黒い60/40パーカー。
秋以来の長いつきあいも終わり、
やっとクローゼットにしまえそうだ。
昨年に続き、今年も長い間活躍してくれた。
ありがとう。
只今の気温23℃。
とりあえず水曜日まではこの路線が続きそう。


機能美というものに弱い。
機能しないものに美しさを感じない。
博物館のSLよりもくすんだ赤色をした現役電気機関車に、
コロリといってしまう。
特に身の回りのものに関しては厳しい。
機能を突きつめたところに美がある。
そんな哲学が石になってしまっている。
身の回りに鑑賞のためだけに存在するものはない。
根っこが貧乏なのか。
寂しい心の持ち主なのか。

機能美は数式の美しさと似たものがある。
文庫本一冊すら入れることのできないダウンジャケットは道具ですらない。
「カッコ悪い」という価値観の人もいるが、
結構ポケットにモノを入れて歩く。
だから一時期はやった、
Ralph Lauren  Poloのシャツは嫌いだった。
ペンがさせない。
タバコの入れ場所に困る。
ボタン・ダウンを着るのならやはりBrooks Brothersか。
Ralph Laurenの作り出す服は今でもカッコいいと思うが、
彼の罪は、
あのシャツを着るだけで男たちを「おしゃれになった気」にさせたこと。
この罪はチト重い。
男たちは胸もとの刺繍に自分のすべてを委ね、安心してしまった。

ちなみに当たり前の話ですが、
昔、昔の洋服にポケットはなかった。
不便だからつけた、物を入れるために。
そして、カッコ悪いから取ったり、物を入れなくなったり。
さすがにすべてのポケットをモコモコさせて歩いたりはしませんが。
歩きにくいから。
機能的ではない。

ちょっと軌道を修正。
こんなにガチ、もしくはガチガチになってしまったのは
育った時期もあるだろう。
Gパンと米軍放出衣料が入門編で、
感受性豊かな頃には<ヘビー・デューティー・ブーム>というのがあった。
登山服や、労働着がカッコいいというブーム。
もちろん機能的に悪いはずはない。
命や作業効率にかかわる道具なのだから。

環境や、その後自分が好んで選びとったモノたちが
こんな大人を作り上げ、
そんな環の中でグルグル回っている。
中身も、外側も。
人はきっとこの環のことを悪循環と呼ぶだろう。
最近の言葉では負のスパイラルか。

その反面、実用書とか啓蒙書などにまったく食指は動かず、
そんなセミナーなんかがあると口元をゆがめて笑っていたり。

姿とは<次>の<女>のことなのか。
<女>の<次>に大切なものなのか。
最初は全然違ったことを書くつもりだったのだけれど、
この辺まで書いてきて自分のヘンクツさに少し呆れます。
ついでにもう少し。

そういった次第で、
ぼくは和太鼓奏者の手が大嫌いです。
まっすぐに天を指し、静止したままの姿に一片の美も感じることができない。
「おい!誰も見てねーぞ、背中なんて!」
見えるのはナルシストの文字だけで。
昔見た、林英哲さんとはまったく別世界。
剣道の残心はわかるけれど、
いったいいつからあんな<美>の世界が展開し始めたんだろう。


今日、明日とBrooklyn Botanic GardenでSakura Matsuriというのが開催されます。
桜は観たいが和太鼓はね……。
知り合いがほかのパフォーマンスで出るから、
行くには行くと思うけれど。
今年はアメリカも桜が早く、
先週金曜の時点で散り始めてたからSakura Matsuriになるかどうか。
(植物園の会員なのでよく行くんです)




ちょうど一年前の今日もこんな天気だった。
台所の窓からはやわらかな陽が差し込み鳥の声が聞こえていた。
「ん……?……!」
Yahooのトピックスが変な文字を並べている。

忌野清志郎さんが去られてから1年。


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# by seikiny1 | 2010-05-02 00:49 | 思うこと
縁。奇縁。
毎度思うのですが、人と人との結びつきってすごいなー、と。
「この人と会っていなかった……」
いいこと、悪いこと。
すべてひっくるめて縁。

神様はすごい!
おまけに最近ではネットの世界にも神様は棲んでおられるようで。
でも、縁があっても大切なのは「ピピッ」とくること。
そんな「ピピッ」が残って友達になって、
1+1+1が17くらいになったりしてゆく。
もちろん、たまに「あれれ」と思う人もいて、
-3.5になったりもするけど、
きっと死ぬまでにはバランスよくゼロ。
プラスもマイナスも残さずに死にたい。
あっさりとね。


<A>もしトーチャンとカーチャンが出会っていなかったら。

<B>もしあの店で古着と格闘していなかったら。

<C>もしホームレスという体験をしていなかったら。
 1 あの鋭敏・過激なアンテナに引っかからなかったら。
 2 韓国料理屋テーブルの一番離れた場所でテレパシー交信をしなかったら。



信心深い人には怒られてしまうかもしれないけれど、
ぼくは神様が大好きです。
GODではなく。
神でもなく。
ほら、そこにいる神様が。



そんな<A>と<B>と<C>1と<C>2が同じ日(5月2日)に東と西でライブをします。
日本はゴールデンウィーク真っ最中のようですが、
よかったら行ってみてください。
楽しいですよ!

〓〓〓〓〓〓〓〓〓

<A>&<B>
■『虹の岬祭り』■
(ボンガーズは5月2日18時から演奏)

今年20回目を迎える虹の岬祭り。
大分県の南部に浮かぶ島(大分県佐伯市蒲江町屋形島州の浜はまゆう公園)で開催されます。
期間:2010年5月1,2,3,4,5日

*従兄弟:<A>>と親友:<B>のブルーズバンド・ボンガーズ。
*1日には東京からRainman(C2号弟子筋)がやってきます。

詳しくは



<C>1号&2号
■清志郎追悼LIVE■
~吉祥寺 ROCK'N ROLL SHOW~『ボスからのRADIO』


●5月2日(日曜)

●OPEN 18:30 ●START 19:00 

●出演
 ★メコシキ
 ★酔いどれ天使
 ★CHHHIN TYHHHOS
 ★Chain Smoker

●¥3000-(飲み放題)


吉祥寺ブラック・アンド・ブルー
(吉祥寺駅北口より徒歩1分)
地図


*CHHHIN TYHHHOSはタイマーズのドラマー:パァ(杉山章二丸)さん:<C>2号、ルポライター:藤井良樹さん:<C>1号が組んだ犯罪歌謡パンクバンド。
当日は、ザ・タイマーズの今ではまず聴けない&完全放送禁止であろう、あの曲やあの曲も、 RCのカバーも演られるとのことです。
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# by seikiny1 | 2010-05-01 07:44 | 日本
割り切れない気持ち
「あ、因数分解で数学が大好きになったんだ」


「ぼくは今年47になりますが、
2で割り切れないので人生の半分を考えるのは来年にします(笑)」

誕生日に届いた友人からのメッセージ。
ぼくが48になったこと。
アメリカでの生活が人生の半分になることに対して貰った。


実はひと昔前、理系でした。
高3の初夏頃までは。
その歳ごろには怠け者の性格も十分に作り上げられていたらしく、
転びバテレンよろしく、ゴロンと文系へ転向。
将来のことではなく目先の「楽そうだ」に転んだわけです。

中学で因数分解に出会うまで、
得意ではあったけど、数学は好きとか嫌いの対象ではなかった。
あったのは明解に答えが出る爽快感。


いくらアメリカとはいえ、
大手のフランチャイズ店にマニュアルは存在していると思う。
それをどこまで厳密に実施するかどうかは別として。
もちろん日本のもののように事細かにわたってはいないだろうが。
まあ、どちらも現物を目にしたわけではないから、
マニュアルはぼくの中では都市伝説にすぎない。

"I.m sorry I don't have no penny.
Have a good day.
Next!
Welcome to ●×.
May I take your order?"
まるで般若心経のようにひと息に言われてしまい、
顔はもう次の客の方を向いている。
考えてみればお経だって一種のマニュアルと言えないこともない。
心の平安マニュアル。

差し出していた左手には、
1ドル紙幣と25セント硬貨。
どちらも2枚ずつ。
ほんとうは2ドル51セントのお釣りのはずなのだけれど、
1セント硬貨(Penny)を切らしてしまったらしい。

しばらくあっけにとられていた。
0.5秒ほどは固まっていたと思う。
1セントを切らす店も、こんな対応も別段珍しいことではないのだが。

"Forget about penny."
99セントの買い物をに1ドル紙幣を渡して釣りを受け取らない人は多い。
今のぼくにしても1セントに困っているわけじゃなく、
ここ数年は1セントを歩道に見つけても、腰をかがめることがなくなっている。

あっけにとられてしまったのは、
1セントがあってもなくても成立してしまうその社会。
そこのところ。
そんな社会の真ん中に立っている自分をあらためて見つめていた。
これまでは
「そんなもの」
としてただ通り過ぎていただけで。

日本だって1円に目くじらをたてる人は少ないだろう。
それでも、この1円を正確にやり取りすることで社会が成り立っている。
「大変申し訳ございません。ただいま1円玉を切らしておりまして……」
店長らしき人が現れ深々とお辞儀。
自分の非をあやまる。
フランチャイズ展開しているコンビニやファーストフードでは、
こんなことすら起こらないだろう。


1セントにまつわる事情。
このことがアメリカという国を回している。
「気にしないよ」
「気にしないでしょ」
一抹の不安も疑念もない。
平等な価値観を共有することの上にこの国はある。


数というものが割り切れない数の集合体であることを知ったとき、
数学が好きになった。
たったひとつの解を求める、
「割り切れないものはない」数学の世界に割り切れないモノがある。
合理の中に見つけた不合理というか、
整合の中の不整合といか。
「割り切れないものがある」
明快に言い切ってしまうところに魅かれたんだろう。
もちろん当時、そんなことを思うはずはない。

アメリカを好きになったのも、
素数の寄せ集めを割り切っているところに魅かれたんだろう。


さて、次の割り切れない歳まであと5年。


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# by seikiny1 | 2010-04-30 19:25 | 日本とアメリカと
異景
「自信がない」というよりも「自分がわからない」。
電車の中でそんな思いに取りつかれた。

いつもより1分早く家を出る。
いつもよりひとつ早い電車はこみあっていた。
それでもぼくの座る向かい側には、
径2mほどの空白がある。
柄物の化繊混じりのセーターを頭の上まで引き上げたホームレスが眠っている。
サンダルばきの白い靴下が少し汚れている。

(やっぱり寒いんだろうか……)

隣に腰を下ろした野球帽の男は、
ウールコートの袖口が厚手のセーターのせいでモコモコしている。
駅から地上へ上がる階段で慌ててマフラーを巻く女。
フードをかぶって歩く人がいる。

そんな目でストリートを歩いていたせいもあるだろう、
なんだか黒っぽく映る街。
いつもより厚着をしている人が多いように思われる。

「いつも」はいったいいつなんだ?
昨日?
この1週間?
1年前?
平均的?
それでも冬の日々よりはあたたかい。
冬の日はいつもではないようだ。
黒いカバンをたすきがけにした男はストライプのシャツ1枚だけ。
Quicksilverの緑色ロゴがどんどん小さくなっていく。


どうやら寒いらしい。
少しだけわかってきた。
いつもはシャツ1枚で朝のタバコを楽しんでいる男も、
今朝はナイロンのジャンパーを着込んでいる。

今日は寒いんだ。
自身がもててきた。
ベンチに座っているといつの間にか肩に力が入っていて、
手がかじかんで小さな字をうまく書けない。


今日はいつもより寒いらしい。

いつも?
いつもってなんだ?
少なくとも昨朝より気温が落ちていることは体に刻まれた。
周囲を見渡す必要はなくなった。

時計に目を落とすといつよりは10分早い。
立ち上がって仕事場へと向かう。
今日、新装開店をする寿司屋のウィンドウが変っていた。

粗い織りをしたきなりの木綿が窓いっぱいに張られている。
縦横に走る魚ヘンの漢字たちは、
マンハッタンの街並みをあらわしているのか。
紙芝居のように画像を取り替えていく、
かたわらに置かれたモニターとのコントラストは、
この店の味に不安を抱かせる。

2年前のいつもはうまかった。
最近のいつもはたいしたことなかった。
装いを新たにし新しいいつもがはじまるのだろうか。


いつもと違うことには昨朝から気づいていた。
2日連続はいつもへの助走ということなのか。
仕事場の近所。
新聞の街頭売りが立つようになった。
どこか怯えたような共通の表情を持つ3人が、
10mずつほど離れて今日の新聞を胸にかかげる。
「こんな立ち方では効率が悪いのでは?
通り過ぎながら心配になっていた。
この光景もいつの間にかいつもとなってしまうのか。


いつも。
実に不安定だけど確実に存在をする。
日本で触れた様々な異景。
2週間プラスではいつもとなることはなかった。
いつもにはどれがけの時間と回数が必要なんだろう。
ぼくのいつも。
少なくとも今現在はこの街、ニューヨークにある。


電光掲示板を見上げると42度。
5.5℃。



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# by seikiny1 | 2010-04-29 10:43 | 日本とアメリカと
自死
無料より安いものは?
思い当たるのは、
品物・サービスを提供された上で金銭を受け取るということくらい。

そうそうは転がってない。
とりあえず見つけることができるのは、
某有名C大学病院等が実施するドラッグ・リハビリ・プログラム程度。
入院し、治療を受けてウン千ドルを受け取る。
ドラッグやめれて、お金。
いいじゃないですか。
15年位前で3000ドルだったけど今はいくらなんだろう?

もちろん対価として医学生らのおもちゃとなるのだから、単発の仕事と言えないこともない。

かつて、
何度も考えて、やめた。
モルモットにはなりたくない。

無料でもなく、報酬もなく。
それを考えたらモルモットらが哀れでならないね。

対価の低い分無料の方がまだましだ。
危険は少なく、低い。
でも慣れてしまうとジワジワやってくる。


日本での幸福をひとつ。
コタツに寝転がってると
「ハイヨ」
新聞がやってくる。
とはいっても、
新聞屋さんが
「おじゃましまーす」
挨拶をして、靴を脱ぎ揃えたあとに
「毎度!」
と廊下をやってくるわけじゃない。
母が新聞受けから配達を担当してくれるわけだが。

むろん、新聞屋さんには毎月支払いがされている。


コタツに寝転んで読む新聞。
幸福だったのはそのことではなく、
良質のものが身近にあるということ。
各新聞の論調、横暴、扇動の話はしません。
寝ているだけで良質の日本語読み物がやってくる環境。
常に触れることのできる存在として。
思想抜きで読んでおもしろかったり、呆れたり。
呆れてはみても読み物として良質であることにかわりはない。
触れられるところに良質のものがあり、
対価として金を払う。

「これが身銭を切るということか。身銭の幸せか……齢をとったもんだ」
肘枕でを考える。


無料紙の普及で、NYにいながら日本語に枯渇することはなくなった。
手を伸ばせばとりあえず日本語を、新しい情報を読むことはできる。
ただ、与えられたものが泥水であるか美酒であるか。
砂漠では泥水だって飲んでたくせに。


枯渇することはなくなっても、
成田ではス相も変わらずスーツケースが重量オーバー。
本と焼酎は小さくても目方がある。
渇きが潤ってはいなのを深部が自覚をしている。

無料紙とはある面において、
漂流中にがぶ飲みしてしまった海水といってもいい。


「最後のときのために……」
大切に船倉にしまっていた真水の樽。
(やっぱり海水じゃダメだな)
船倉に下りてみると樽には穴が開いてしまっていた。

Y新聞は撤退し、
質の高い雑誌だったOニュースも消えた。
無料紙以外で残存するのは、
N紙とA紙のみ。
どちらも高価で定期購読する気は今のところなし。
難破船に横付けされた商船で唯一売られているのは、
高級飲料水のみとなっていたわけだ。
パリス・ヒルトンが飼い犬に与えるような。

「ちょっと前まではHolland Spring、Deer Creekなんて手ごろのもあったけど、
みんな水道水ばかり飲んで買わないんだよねー。
盛ってても損するばかりでやめちまったよ。
今あるのっていえば、たまに酔狂な奴が買ってくこのオタカイ水だけさ」
売り子は言う。

むかし、むかし。
水道の水はただ同然だった。
「ゴクゴク」
「おいしい」
と飲んでいた。
今では多くの人がペットボトルの水を持ち歩く。
一方では、ぼくのように水道水を飲みつづける者もあり、
最近はペットボトル派に水筒回帰の動きもある。
ペットボトル入り飲料水の社会的・健康的よしあしではなく、
無料と有料のあり方としては実に理想的な関係。
選択できるということが。
手の届くもののあるということが。

無料という安易さに手を出した結果として、
良質なものを駆逐してしまった。
読みたくても読めない良質なもの。
読みたくなくても読んでしまうもの。

表面上活字の枯渇からは救われたが、
今「それは自死ではなかったのか」
そんなことを考えている。
海水を飲んでしまった、と。
喉が焼けている。

雨を待つしか術はないのか。
それとも蒸留水を作ろうか。
諭吉さんが無料という言葉も自由とすりかえておいてくれたら。


《居酒屋 革命》の無料焼酎。
どうなっていく。
ま、こんな男ですから、
いざ金を払わなければならない段になると、
きっとブツブツ言うことでしょう。



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# by seikiny1 | 2010-04-28 07:53 | 日本とアメリカと
自由のビール
フリーマーケット。
どこかにそんな空間があることは知っていたが、
どんなものなのかイメージと現実がひとつにならなかった。
蚤の市。
言葉は知っていたけれど、
勝手にフランスの風を吹かせ、
どこかにしまいこんでいる。
フリーマーケットはFree Marketとして長い間ぼくの中に定着をしていた。
自由市場。

傍線で消されたFreeがFleaにとって変られたのはアメリカへ来てから。


それにしても「自由」と「無料」がひとつ言葉で表わされるのはおもしろい。
「無料のものだから自由に取れる」
そんなところなのだろうけれど、
日本人頭ではどうしてもがっちりとつながらない。

自由という言葉は明治期に作られた言葉らしい。
福沢諭吉の作。
自由という状態が存在しなかったから、
言葉が生まれなかった。

猫、ドア、茶碗、セックス、四次元、宇宙人……
見えるもの、見えないもの。
存在するもの、存在するらしいもの。
そんなもののすべては名前を持つ。
『ティファニーで朝食を』の主人公は猫に名前をつけない。
名前をつけることはネコの自由を拘束することになる。
そんなことを思っちたらしい。


その頃の日本に自由や自由という発想はなかったが、
無料というものは存在していただろ。
オカミからの下されものとして。


もうなつかしい光景になってしまった。
15年位前まではたまに見かけていた無料のタバコ。
新製品が発売されるとグランドセントラル駅周辺など、
人通りの多い場所で無料配布がされる。
何度も行ったり来たりを繰りかえす。
今そんなことをやれば世論の袋叩きどころか、
もしかすると逮捕されるのかな?

それでもスナック・バー、ガム、新聞、清涼飲料水……。
(清涼飲料水というネーミングもすごい)
この時期人ごみを歩けば無料のものによく行き当たる。
「ぜひ試してみてください……」
と笑顔で渡される。
お願いをされてしまう。
笑いながら鷹揚にうなずく。

なかには詐欺まがいの無料もあるが、
彼らが身をもって教えてくれるのは、
厳密な意味で無料というものがこの世に存在しないそのことだ。
哲学者・ソクラテスそのものだ。


同じ無料でも日本だと肌合いが少し違ってくる。

《開店2周年記念!定食を頼まれた方にビール1本を無料進呈》

「あのー、すいません……」
「ヘヘーッ」
どうしても恐々とありがたがってしまい胸を張れないでいる。
ありがたいような、申し訳ないような。
一方、お店の人は平坦な目で見てもどこかエラソーである。
威儀を正してなにかを下されるお武家様のようでもある。
そんな風に見えてしまうのは、
身体の奥深くに焼きついている江戸・百姓根性のせいだろうか。


さて、本当の意味でのフリーは日本に根づいたのだろうか?


知りうる範囲内では《居酒屋 革命》の焼酎は無料というよりも、
Free、自由の方に近い匂いがする。
少なくとも言葉の向こうに卑しげな笑みの気配がない。
もちろん商人である以上打算、勝算もあるだろうが、
これまでとは異質なものを感じる。


NYの日系フリーペーパー(無料紙)・バブルも落ち着きつつあるみたいだ。

見慣れた紙面に、見慣れぬロゴ。
Daily(日刊)がBi-Daily(隔日刊)になっていた。
植物を思わせるロゴを見ながら浮かんできた言葉は自死。
フリーペーパーのことではない。
自分のこと、周りのことを考えていた。



明治維新。
諭吉さんが自由という言葉を作ったときに、
無料という言葉をも自由に置き換えてしまっていたら……。
定食を頼みながら、
「あ、ビールもね。グラスは2つ」
と胸をはれていたかもしれない。


無料のビールは自由の味がするのか?
無料の焼酎は自由の味がするのか?


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# by seikiny1 | 2010-04-27 08:23 | 日本とアメリカと
革命
舛添新党。
言葉だけが長い間歩いていてやっとカタチになった。
《新党改革》。

日本を離れてから、
勘定できないほどの政党が生まれ、ほとんど消えた。
ドタバタ劇の中で作るからなのか、
それにしても政党名ってどうしてこうもセンスがないんだろう。


センスがないといえば、
昨日手にした日系無料紙。
日本からザブちゃんらを招き、
《ジャパン・シンギング・チャンピオン・コンサート》というのを開催する。
それは、まあいい。
数名のゲストのほか、カラオケ歌唱コンクール入賞者がステージに上るという。
これだって、まあいい。
収益はユニセフ・ハイチ基金とJapan Day桜の木植樹に全額寄付。
全額ハイチ基金だともっといい。
それにしても、
どうしてこうもカーネギー・ホールにこだわるのだろう?
恒例となりつつあるJapan Dayもなぜかセントラル・パークに固執するし。
まるでルィ・ヴィトンのバッグにこだわる女の子みたいだ。

ところでカーネギーホールでもカラオケで歌うんだろうか?


革命。
いつの時代にも、どこかできかれる言葉。
かつては怒りのあるところに生まれた。
いまは誰もが口にするがしばらく経つと周りの表情をのぞきこんだり、
「手堅く……」
そんな人達にはRevolution(革命)ではなく、
Evolution(進展)、Reform(改革)。
きな臭いやつもけっこうある。


初めて聴いたのは中1の時。
2歳年上のT先輩から貸してもらった。
Beatles『White Album』。

日本のレコードのスゴイところはなんといってもライナーノートの充実。
様々なうんちくのある解説はもちろんのこと、
歌詞、訳詞までがついている。

初めてRevolutionという言葉を知った。
それが革命の意であることも。
初めてEvolutionという言葉を知った。
それが進展と訳されることも。

<R>1字がつくだけでまったく違った顔をする。

本来のCycleを破壊してしまい機能することがなくなったために、
Recycleに頼らざるを得なくなったわれわれのように。
文字の足し算引き算も成り立つ言語。
<R>のもつ意味を考えさせられる。

♪……
体制を変えてやるとあんたは言う
それよりも
あんたの頭の構造を変えてやりたいね
新しい社会をつくるんだとあんたは言う
それよりも
まず自分の精神を解放したらどうだい
毛主席の写真を持ち歩いてるようじゃ
革命なんてとてもおぼつかない
そんなことするまでもなく 今に何とかなるさ
大丈夫 何とかなるよ
……♪
       ビートルズ『レヴォリューション』


《居酒屋革命》という店。
革命家や夢見る者たちの吹きだまりというわけではない。
焼酎が無料。
飲食業界では革命的な商法を売りとする店。
その上、タバコまでがタダ。
こんな発想のできる人は正直すごい。
でも、無料というのはどうだろう。
もし、その場に座り合わせていたとしたら、
ニコニコしながら飲んでいる自分を発見することに間違いはないのだが……。


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# by seikiny1 | 2010-04-26 08:18 | 日本とアメリカと
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