ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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ニューヨーク狂人日記
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# by seikiny1 | 2010-06-02 08:14 | その他
引越日和
家賃ほどバカげたものはありゃしない 人は家買い僕はオクスリ




そんなわけで6年ほど路上に。

交通の便、住環境、家賃、ペット、家族、転勤……。
引越しには様々な理由がある。
差し迫ったものもの。
「そろそろ……」というもの。
「そろそろ……」と思ってはいても、
引越しの実際を想像するだけで気は重くなり先延ばし。
「そろそろ……」のほとんどは、住もうと思えば住めるから。


これまでに何回の引越しをしてきたか?
NYC→CHICAGO→LA→CHICAGO→NYC
大都市間だけで4回。小さなものを入れると両手、両足では足りない。
あの6年間をあわせると、あたりまえだが、2000回はくだらない。
ほぼ毎日が引越しだったから。


今日、引っ越しをする。
0円から0円へ。
とはいっても仮想空間上、ブログの引越。
アドレス(住所)も入れ物も変わるのだからこれも引越しだ。

シェルターに住むホームレスの口から「満足」という言葉は出ない。
無料ブログとはいえ、長く住めばアラも目立つ。
「隣の音がうるさい」、「ねずみが出る」、「シャワーが冷たい」……。
引越しと同様、「そろそろ……」レベルの文句ではあるのだけれど。



「そろそろ……」の腰を上げたきっかけは、友人がはじめたブログ。
早速コメントをしようとおもったら。
できない。
会員でなければできないということ。
そんなわけで会員になり、ついでにブログを作り試用すること2ヶ月。
釘も打てるし、ペットも飼える。交通至便。
住み心地も悪くはないので、「そろそろ……」の腰を上げた次第。
「そろそろ……」から3年がたっていた。
こんなところが、ぼくがぼくである所以なんだろう。


今日は晴れ。
月末でもあり、引越トラックがあちこちに停まる。
来る者あり、去る者あり。
散歩の途中、このところ探していた植木鉢を拾い、今日の引越しを決めた。


引っ越します。



エキサイトではみなさんに長らくお世話になりました。
5年半という歳月。あと半年で小学校の卒業証書。
登校日数のたらないときもあったけど。

ブックマークして下さっているみなさん、お手数ですが下記URLに変更ください。
今後ともよろしくお願いいたします。

NY狂人日記



*引越しで失うものは多い。
だからこそ、ぼくのように植木鉢を拾うニンマリ男もいるわけで。
エキサイトからアメブロへは記事の引越しはできないらしく、
今日までのものはこのままに。
まさに、身ひとつでFurnished Roomへお引越し。


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# by seikiny1 | 2010-05-31 09:55 | 日ごろのこと
フェンスの向こうのアメリカ
いったいどこからだったろう?
覚えていないし、厳密な線というものは存在しない。
国境線じゃないから。
その、見ることのかなわない、国を仕切る線にしたところで、
幅に規定があるわけじゃない。
自然、その前後が緩衝地帯となる。
あやふやな、角のこそげた地帯。


バスで大陸を縦横断。
複雑な軌跡を描きながら。
あのピザに巡りあったのはどこのドライブインだったろう?
白い紙皿にのせられた三角形のピザにレッドペッパーをふる。
不思議な気持ちに包まれながら。
タバスコじゃなくレッドペッパー。
もう慣れてしまった。
不思議の輪郭が東へ向かうほどに明確なものとなっていく。
背景との境目が濃く、鮮やかな対比をなしていく。
さて、どこからを明確というのか?

それがNYのスタイルだった。
円盤状のカッターで直径50cm程のパイを放射状に切り分けていく。
ほぼ、均等に。
スライス。
途中の町までは小ぶりな1枚を頼まねばならなかった。
たったひとつの選択肢。
いつの頃からか三角形になったピザ。
スライス・ピザの文化。
よくも悪くも、この街では個人個人が独立していることの露れか?
選択肢、オプションのある街にて。

Papa John's Pizza
全米をおおう巨大ピザ・チェーン.
そういえば、最近ではLittle Ceasersを見かけない。
"Thank you, Thank you. Pizza, Pizza"というCMが好きだったのに。
行動半径が変わってしまったからなのか。

そんなPapa John'sですら、
NYのフランチャイズでは例外的にスライス売りをする。
さて、ハドソン川という幅広な境界線の向こう、ニュージャージー州ではどうだろう。
NYのベッドタウン化したホーボーケン市あたりではスライス売りをやっているかもしれない。
いや、あそこはイタリア移民の町。
フランク・シナトラの故郷。
Papa John's自体がないかも。
カフェ文化の遺るヨーロッパで、スターバックスを見つけるのが困難なように。



10日前のメールで知った《食の境界線》という言葉。
ボンヤリと言葉の残る頭、本の途中で立ち止まっていた。
斎藤緑雨『ひかえ帳』ページのはざまで。
「……コロッケ蕎麦といへるを、花屋敷のよし田にて出したり……」
明治31年。
思考停止のキーワードは明治ではなく、コロッケそば。
そんな魑魅魍魎(ちみもうりょう)のような食べ物が存在するなど想像だにしたことがない。
気になって検索をすると関東ではごく普通の食べ物らしい。
(昨日、再会した東京出身の友人に訊いてみると、
「あ、ある、ある。大学の学食にもあったかなー」、当然のような答えが返ってきた)
帰国時の拠点となる小田急線。
駅そばの『箱根そば』にもあるらしい。
次回は是非食べてみよう。
そういえば東京でそばを食べたのは数回しかないな。

その時、浮かんでいたのは
《食の境界線》ではなく、昨今よく聞かれる《ご当地グルメ》の方。
検索を重ねるうちに、《食の境界線》の方が濃くなっていく。



石川くん(枡野浩一さん表現)はふるさとの訛が恋しくなると、
停車場に足を向けたらしい。
NYにあるボロアパートのキッチンで、蕎麦にコロッケを浮かべる人もきっといるのだろう。

初帰国の時。
電車が故郷に近づくにつれ濃くなっていく地元のなまり。
歯切れよく、しかしベッタリと付着してくる。
流れ去るくたびれたホームを目で追いながら、
眠っていた方言が背伸びをして目覚めていくことを感じていた。
幅広い線。



静岡へ入った途端にコロッケ蕎麦が消えることはないだろう。
神奈川県のどこかの町では存在さえしないかもしれない。
線の幅は思いのほか広く、
Fade OutそしてFade inを繰り返す。



嵐の気配が残る港から乗ったバス。
高2の時、はじめての沖縄。
返還から日の浅い島は日本というよりも映画を見ているような不思議な街だった。
Budweiser, PEPSI.……乱雑に重なりあいながら調和をする、英語の看板で埋め尽くされた国際通り。
原付バイクにふたり乗りするノーヘルの若者は、歩道に乗り上げてバスを追い越していく。

混沌。

今、思うとそんな言葉がはじき出されてくる。
無秩序の中でかろうじてとれているバランス。
フェンスからは間違いなくアメリカがにじみ出してきていた。


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# by seikiny1 | 2010-05-30 08:49 | 思うこと
雷雨、月をつかみに
「あるはずなんだがなー……」
あるべきものが見つからないのはきもち悪い。
別に、あるべき場所になくってもいいけれど。
自分のものであれば、またいつかどこかで。
大抵の場合、なんとか気持ちを抑えつけることができる。

昨日からCup Noodleが食べたくて。
ビールを空にして出向いた近所のスーパーにはない。
いや、BEEFとCHICKENはあるんだが。
食べたいヤツがない。
思い描いていた絵が破れていく。

悪魔の囁き。
「Chilli Limeはおいしいよ」。
たまにではあるけれど、悪魔に魂を売るときがある。
まさに昨夜がそんなときだった。
ちなみに昨夜は満月の一日前、そんな夜だったせいか。

結局はビール4本の勢いで、
「ま、いいか」
と、いさぎよい。

しかし、
月の軌道と同期するかのように大きくなる一方の妄想。
「よし、あしたは誠心誠意さがしてみよう」
気持ちを寝技で押さえ込み、夜が明けてからのルートを考えてみる。


蒸し暑い……。
サンダーストームの予報に変更をした予定。
今日は傘を持って歩く気がしない。
かといって、レインコートでは心もとないし。
昼過ぎからのお店廻り。
4軒のスーパー、2軒のファーマシー。
それはともかく、
どうしてアメリカの扇風機って涼しくないんだ。
勢いはあるが風が細い。


2年前か、3年前か。
定かじゃないが見たことはある。
しかも徒歩5分にある昨夜のスーパーで。
似たようなものが数種あり、
TABASCOロゴが入っていたり、唐辛子マークがかわいくカーブしていたり。
あの日買ったものにはTABASCOの小さな袋が入っていた。

今ではCHICKENとBEEFだけ。
PORKすらもない。
その上、棚占有率でライバルに完敗。
MARUCHANの半分ほどの量しかなく、以前と立場が逆転している。
お見合い結婚の前後みたいだ。

問屋筋との取引なんてのもあるだろう。
その上、ここ数年、このエリアの白人率の上昇は凄まじい。
プエルトリカン、黒人たちが駆逐され、
白人たちが「わが街を!」と社会活動に元気がいい。
以前、殺風景だった商店街が今ではトレンドとしてテレビや雑誌に。
健康オタクの多いこの人種にとってCup Noodleなんてのは、
ノン・スモーカー vs スモーカー
そんな図式にも似ているのかもしれない。
公式だと、
Ramen Noodle=貧乏人
そんなのもある。
ニューヨークのレストランではここのところRamenブームだが、
それとインスタントはまったく別の世界にいまだにある。
それよりも出されたラーメンはすぐに食って欲しい。
ま、日本でもインスタント・ラーメン文化は独自世界を築くが。


実はこのChilli Lime味。
アメリカ西海岸の人が教えてくれたもの。


《食の境界線》というのがあるらしい。
そこを超えると、
天ぷらにはソースであったり、天つゆであったり。
赤飯に砂糖を入れたり。
そんな線。
もしかしたらCup Noodleにも境界線?



結果は、昨夜よりはマシというものだった。
マシという価値観はどこか悲しいね。
なぐさめられてるみたいで。
妥協。
Spicy Chilli ChickenとShirmp Picante Styleで手を打つことに。
こだわりを質に入れ安楽を手に入れる。
こだわりと。そして妥協……。

「こだわるっていうのは、結局、楽に生きるってことなんだよねー」
ミッキー・カーチスさんの声が聞こえてくる頭をふりふり帰途へ。

遠くで雷が鳴り出した。
月が見れない。





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# by seikiny1 | 2010-05-28 08:27 | 日ごろのこと
がらんとした部屋
なつかしいけどど拾わない。
通勤の途中で。
ちょっと前までは、どの友人の部屋へ行ってもあったもの。
木製のカセット収納箱。
長方形の仕切りの中には60本以上のカセットテープが収まる。

デリ・カウンターの右袖にあるプラスチックケース。
生テープのパッケージが変わっていることがある。
本数も増えていたり、減っていたり。
ある程度の需要はあるんだろう、どの程度だかは知らない。

「ヒーッ!」
日本から来たSさんは、悲鳴にも似たうめき声を飲みこんでいた。
「好きなんだよねー、カセットのジャンクな音がさー」
15年前のタワーレコード地階。
あの日、彼女は何十本のテープを買ったんだろうか。
今でも聴いているんだろうか。
今でもカセット・ウォークマンをバッグにつっこんでいるのか。
買いだめをしていても不思議じゃない。


ここ数年よく見かけるゴミ。

道ばたに「ゴロン」と転がるブラウン管式モニター。
NYではまだ一般ゴミとして捨てることができるらしい。
LCDモニターの登場は、四半世紀もの間、窮屈だった机を昔にもどしている。
すこしばかり紙類が減ったが、その分増えているものもあって、おあいこ。
キーボードだっていつまであるかはわからない。
10年後のぼく達は、机の表面を軽くタイプしているだけかもしれない。
マウスだって。
いや、モニターだって、
オフィス・ワーカーのすべてが変な眼鏡をかけている光景が浮かんできた。

テレビ台という家具はもうそろそろ消えうせるだろう。
電子書籍が普及すれば、50年後の家庭から本棚は消える。
紙の本に固執する現代詩作家・荒川洋治さんですら、
「紙の本は消えてゆくでしょう。しかも思っている以上のスピードで」と語る。

2人で、3人で……。
囲むのはアルバムよりも、モニターであることの方が多くなってきた。
写真中の人すべてが過去となったとき、
アルバムを囲む光景はセピア色に包まれる。

iPodが出て数百枚のCDを中古屋の手にゆだねた友人。
驚愕の目で見ていたが、あれから日本の政権は何回変わったのか。

紙の本が消えてしまえば、《文庫本サイズ》なんて言葉は意味をなさなくなる。
実際にNY Times, Wall Street Journal……相次ぐ新聞の小型化で、
《新聞紙大》という言葉は死語となった。


道ばたで転げるモニターを見るたびに重なる映像。
そこもまた道ばた。
友人宅への途中で見かけた旧式(氷式)冷蔵庫。
大型金庫を思わせる鉄の塊がゴロリ。
半ば開いている2枚のドア。
2ドアより、1ドアのほうが新しかった時代。
日本へ帰っても氷屋さんなんて見ない。


本棚、CDラック、ステレオ、テレビ台、机……
部屋の中が空っぽになってゆく。
残るのはなんだ?

根本的な食の変化で電子レンジ、冷蔵庫が消えていないとは言えない。
皿やカップだって。
人々が裸で歩いていてもおかしくない。
家に住むという習慣すら消えているかもしれない。
美徳だった大量消費は50年を経て悪徳となった。
「男の美学」といわれた喫煙は、今では非難の対象だ。
たしかなことなんて何もない。
本を手に持つ、たしかな感覚が失われてゆくように、
この先、現実界のぼくたちはどんどん非・仮想現実の中に身を置くことになる。


「非現実界に棲むやつら」
弥次さん、喜多さん。
2時間半で東海道を駆け抜けるぼく達にそんな目を向けていることだろう。
非現実界に住もうと、ずっと羽ばたいてきた。



「なんだこりゃ……!?」
寝ぼけまなこの先に広がる異様な光景。
この部屋も。あの部屋にも。
転がるカラフルな巨大芋虫たち。
常夜灯に目を凝らすと、寝袋に眠る人、人、人……。
20年前のある日、友だち数人がシェアする日本の旧農家に泊った時のこと。
この家にはベッドというものがなかった。

100年後のぼくたちは眠ることすら必要としていないかもしれない。


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# by seikiny1 | 2010-05-27 08:20 | 思うこと
きゅうり
今年、2回目。
シャツ1枚で、朝、家を出る。
ヒンヤリが心地いい。

ぬか漬けを仕込む気になったのは、
チャイナタウンにある八百屋でキュウリを目にしたから。
「ポリポリ、コリコリ」
頭の中で音が鳴る。

キュウリそのものは年中あるのだけれど、
日本のキュウリを見かけるのは夏の間だけのこと。
もちろん日系スーパーへ行けばいつだってある。
買わない。


「身近にある季節感は……」
考えてみるとそれほど多くはない。
スーパーの青果売り場を歩けば、
茄子、メロン、ぶどう……。
どれも年中あるし、真冬に特売をやったり。
今、いまを感じられるのは。
アメリカン・チェリーがあった。
もうしばらくすると、ゴロリとスイカが棚を占める。

文明が駆逐した最大のものは季節感かもしれない。
もっとも「不便なものを便利に」、
これが文明の原動力だから仕方ないわけだけどね。
すべては取り引き。
俳句や短歌のルールには詳しくない。
それでも、昔からある季語で今も通用するのはどれくらいあるんだろう。

そういえば週末に放り込まれてたス―パーのチラシ。
見出しは星条旗柄でデザインされた
MEMORIAL DAY SALE!!
コーン、ソーセージ、スペアリブ、ハンバーガー・バンズ……
BBQ材料たちの写真が並ぶ。
アメリカで歳時記を作るとしたら、夏の部トップはBBQだろう。
次の週末はあちこちからくすぶる炭の匂いが、
楽しげな笑い声とまじる。

カレンダーの上ではこの日が夏のはじまり。
9月のレイバー・デイまで。



朝、パブリックスペースに座っていると。
「ぺたっ、ぺたっ」
女性が近づいてきて座り、そして立ち上がった。
「カツッ、カツッ」
ビーチサンダルからヒールにはきかえ小さくなっていく後ろ姿。
夏の風物詩。
冷房の効きすぎた電車の中、
スーツのスカートの下に伸びる足先がビーサンであることは多い。
不思議なのは、日本だとこれが逆になったりする。
通勤はハイヒールで、社内でスリッパばきの人は多い。
どっちを舞台にするか。
認識の違いなんだろうか。


ビーチサンダルかイヒールにはきかえるとき、
彼女たちはどんな気持?
やっぱり、キリリと引き締まって、
背筋が伸びたたりするんだろうか。
柔道着の帯を強く締めたときのように。
陸上スパイクのひもを結んだ時みたいに
男はネクタイなのかな。
残念ながら、ぼくは結び目を首元に上げてもズルンとしたまま。
スーツは着ないし。持ってない。

ただ柔道の帯でわかるように、
身体の一部の刺激が気持ちのスイッチを動かすことはある、
道具に頼りきってしまうのはいいことではないけれど、
うまくつき合うのは構わない。
自分で制御できる便利ならば。


さて、どうしたら切り替わるんだろう。
探しちゃいるんだけど、ツマミが見つからない。
電器屋にも売ってない。
唯一見つかったのはビールだが、
困ったことにこのスイッチ、逆方向にしか動かない。


とにかく、このまま、夏でありつづけますように。
早く長袖をしまいたいんだ。


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# by seikiny1 | 2010-05-26 08:49 | アメリカ
我が心のインスタント

昨夜と同じページを読んでる。


ざるそば、インスタントラーメン、トマトソースのパスタ……。
どれもめんどくさい。
冷凍ピザ。
昼食はピザだった。

本にはいりこめない。
活字のうわべをすべるだけの目に脳は空転をつづける。

チャーシュー、千切りキャベツ、ワカメとキュウリの酢の物、冷奴。
小さな余白を作り、夕方から食べたものを数えててみる。
ビールを飲みながらポツリ。
ポツリ。
そんな食べ方だとどこかに行っちゃうのか。

冷凍庫の中にご飯はないし。
いまから米をとぎ、炊き上がりを待つ気なんてさらさらない。
大量のネギと海苔をぶちこんだ納豆丼が何度も浮かんでは消えてゆく。
スニーカーのひもを結んで何かを買いに階段を下りるなんてのは論外。

午前2時の空腹。

おなかが落ち着けばすぐに眠ってしまうだろうし、
身体によくないことだってわかってる。
それでも止められない、止まらない。


ONアンドOFFでたっぷり30分は考えていた。
冷蔵庫の中を覗き込んではため息をつき、
本にかえる。
あくびをしながら戸棚の巡回をし、
寝ている猫の横にしゃがみこみヒゲの後ろをかいた。
活字を追いながら様々な可能性の模索。
冷蔵庫にねむる竜田揚げをこの時間に食べる勇気があればいいんだけど。


ページを繰りながら、
水色の大きなキャップが浮かび上がり、まわって、定着した。

ピーナツバター・サンドイッチ。

分厚く食パンに塗ってもう1枚を重ねる。
できれば片方にはグレープ・ゼリーを塗りたいんだが……。
ないんだ。

冷たいビールが喉をおチルノと同時に、やっと活字が脳に届きはじめた。
もちろん寝る。
もう。



朝、目覚めて味を見てみる。
昨日仕込んだぬか漬けがちょっとしょっぱい。
アイデアは突然湧いてくるもの。
竜田揚げとぬか漬けで作るサンドイッチもうまいかもしれない。


昼、誘惑。
屋台というのは匂いを流すのも営業のうちなんだろう。
抗いたい誘いをねじ伏せる。
今夜はカレー味のチキンを食べるのもいいかもしれない。



「ジャックです」と手を差し出す日本人だって
午前2時の空腹に、
ピーナツバター・サンドイッチを思い浮かべることはないような気がする。


さて、今夜は。
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# by seikiny1 | 2010-05-25 10:33 | 日ごろのこと
スゴロク
右手だったか、それとも左手?
小学1年生。
親指の爪下に刺さった鉛筆の芯。、
そのままにしていた。
どうやって刺さったのか、
抜かなかったのか、抜けなかったのか。
わからない。

いつかくるだろう、思い出す日が。


意外と元気そうでよかった。
あごひげが伸びているものの、きれいに刈り揃えられている。
白いものの多さから年齢を数えてみたり。
2週間前にアパートを失ってしまった隣のオジサン。
玄関の前で偶然にいきあった10分後に、
ぼくはパリにいた。

「明日あたり、プリペイドの携帯を買おうと思ってんだ。
次は電話番号教えるよ。
あ、そうそう。この間電話したんだぜ。電源切れてたみたいだけど……」
連絡手段を失するのは家をなくすより怖ろしいことなのかもしれない。
今の世は。

部屋の鍵を開けながら思い当たる。
路上にいるとはいえ、なんとか目処が立ちそうなんだろう。
元気な姿を前にして頭が回りきっていない。
「風呂は……?」
どうしているんだろう、清潔そうには見えたが。

目の前に広がるのはぼく自身のホームレス最終期。
真冬のある日、Nさん宅でシャワーを使わせてもらった。
イーストビレッジの外れに20年近く住んでいる。
かつてはアルファベット・シティーと呼ばれ、
貧困層の住む危険地帯だった。
その外れにあるアパート。
日本からの友だちの地図にドクロマークが書かれていたのは昔のこと。
ある人と会うため、その日ぼくはどうしてもシャワーを浴びなければならない。
真昼の暗い階段の壁で蛾が眠っている。
今でも白熱灯だろう、5年後も間違いなく。
芸術的と言えるほどに幾層にも落書きが重ねられたドア。
5組の錠が拒絶する。

懐かしい間取りだった。
台所の真ん中にあるシャワー。
円形に囲むアイボリーのビニールカーテン。
こんなアパートも最近のニューヨークではなかなかお目にかかれない。


フィレンツェのホテルにあった半畳ほどのガラス・キューブ。
この部屋のシャワーは隅にあった。
裏窓は架けられた絵のようにどこまでも波打つ赤茶けた瓦。


引きずるようなノックだった。
ぬるい大瓶のビール片手にドアを開けると、
「共同シャワーの水が出っぱなしだったよ」と翳りのある顔でオーナーは言う。
そんなはずはないんだが……。
ミラノの安宿、客はぼくだけ。


蒸し暑いパリの商店街入り口で見た蝋細工のようなパック寿司。
それでも「食べたいな……」と訴えてくる何か。
この手のマズそうな寿司を最初に見たのは、
スキポール空港のコンビニでのこと。
ヨーロッパに到着しMarllboroを買いに行った時だった。


ローマの繁華街にはNew York Pizzaの看板。
日本でSUSHIの暖簾を出すようなもんだ。
中国で日式鍋貼か。
モンゴルでジンギスカン鍋か。


冷えたビールがを探しに夜中のブリュセルの街へ。
どの国へ行っても頼みの綱はマクドナルドあることを知る。
なぜかハイネケン。
紙コップで飲む生ビールはあまりうまくない。


夜遅くに着いたニースで飛び込んだのは、
閉店間際の日本レストラン。
鉄板焼の店だった。
なぜか鉄火巻きが出てくる。
うまい。
それにしても、どうしてこの手の店をアメリカでは
HIBACHIと呼ぶようになったのだろう?
火鉢に鉄板なんかはのせない。
網だ。

誰が名前をつけたんだ。
名前はつけるものなのか、つくものなのか。
最初の衝撃はカリフォルニア・ロール。
24年前、ニューヨークにて。

リヨン駅から外へ出るとスト。
バスも地下鉄も動いていない。
仕方がないので山の中腹にあるユースまで歩く。
挫折。
暑さと重さでバックパックが腰の中心にこない。
大きなホテルに入りタクシーを呼ぶ。
夕暮れの、十分に湿気をたたえた古い町並みは美しく、
どこからか聞こえてくる生ギターは今も甦る。
ゆで卵入りのサラダ。



まるでスゴロクのように紐とけてゆく記憶。
未来へサイを振ってみようか。


オジサンの風呂はぼくをヨーロッパへと連れていってくれた。


スゴロクにはあがりがある。
オジサンにも、ぼくにも。


右手だっか、それとも左手?


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# by seikiny1 | 2010-05-24 08:31 | 思うこと
カポネと散歩
「見頃かな?」
足を向けてみたブルックリン植物園。
桃、白、黄色、赤、紫……
バラ園は不思議なマーブルに埋れる。

先週は一面の緑だったのに。
1週間は重い。
とはいっても、1年の1/52もあるわけで。
来週末までは瑞々しい色と鮮やかで濃い香りが無作為に混ざりあう。
閑散とした平日の植物園での皮膚呼吸。


大通りをまっすぐいけばいい。
それでも往きも還りも別々の裏道を通って。
とりあえず、ふんだんな時間だけはある。
「何か落ちてるかもしれない……」
そんな期待も片手に。

拾った。
いや、拾われた、かな。

「1980年モデルの車はヴィンテージと呼ばれる。
ぼくはいつから……?」
次第に影の長くなる裏道、そんなことを考えながら。
ゴミ袋を手に出てきた男性と目礼を交わし、
ヴィンテージ化する自分について考える。

(ん……!?)
声が。
誰だ?
「あなた日本人?」
右横に目礼を交わしたばかりの男性が歩いている。
と、いうことで1ブロック半ばかりのおしゃべり。

彼はヴィンテージ。
30年近くこのエリアに住むという。
今ではニューヨーカーに「一番住みたい」と言われるエリアに。
そんなニュースを聞くたび、こちらは家賃値上げの恐怖にかられるのだが。
みんなに嫌われてたって構わない。

かつてはイタリア人街であったこと。
3ブロック西にはアル・カポネの生家。
100年ばかり前、ぼくの家の裏にある小学校に通っていた優等生。

労働者の街であったこと。
遅い船で到着した貧しい白人たち、そしてプエルトリカン、黒人……白人。
時代の陽射しと翳、町の織りなす歴史のひだ。

名乗ることなく、訊くこともなく。
彼は7番街を南へ折れていく。
また逢う日まで。
Ciao!

アル・カポネ。
彼の生家のあたりを歩き、小学校の前、建物を見上げる。
大通りに出ると、車にも人にも普段よりエネルギーを感じる。



あの初老の日本人は本当に隣を歩いていたんだろうか?


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# by seikiny1 | 2010-05-22 10:47 | 日ごろのこと
抑止力
交差点で立ち止まる。
歩道からおりて数歩のところ。
信号は赤。青になると白になる。
エンジン音が大きくなって、小さくなる。

信号が白に。
横断歩道と平行に引かれた白線で立ち止まる車。
たまにはみ出るヤツもいる。
それでも、ほとんどは行儀よく地面に描かれた印で立ち止まる。
もし、白線がなかったら……。
車たちは横断歩道近くまでにじみ出てくることだろ。
人に節操というものはあまりない。

10年ほど前、耳にしたこと。
「どうせひかれるんだったら、横断歩道の枠内でやれ」と。
内と外では補償金の額がまったく違ってくるらしい。
そんなことが、どこかにひっかかっているのか、
ぼくは横断歩道の真ん中を渡る。

1本の線。
踏み越えるにはなんの物理的障害はない。


アメリカでビルの屋上へ出られるところは少ない。
ほとんどの場合、堅牢な錠がおりている。
日本だと、
涼みに出たり、
月を見に上がったり、
仕事をサボったり、
ビールを持って花火見物をしたりできるのに。
もちろん宙に身をまかせることだってできる。
そこにあるのは申しわけ程度のフェンスばかりなのだから。
鳥籠の中にいるようなエンパイアステート・ビルの展望台。
そんなところからだって、たまに鳥になる人はいる。
大切なのはそこに線があるか、ないか。
一拍という時間は短く、長い。


垣根なんて、
塀なんて、
門なんて、
簡単に乗り越えるこができる。
戦国時代の濠や城壁とは違う。
それでも、人々は築く。
肉体を拒むものとしてではなく、
あいつの、そして自分の脆弱な精神を映し出す鑑として。
塀の上を歩く猫たち。

さて、ぼくを抑止しているものはなんだろう?
いいことなのか。
それともわるいことなのか。

とりあえず抑止力を振り払い飲みに行こう!




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# by seikiny1 | 2010-05-21 05:30 | 日ごろのこと
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