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ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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ふたつのおみやげ
「!?……?」
 声に顔を上げてみるとこんな表情を浮かべた男性が立っていた。ここは飲み屋のカウンター。
「『似合うんじゃないかなー』って思って。1ドルっすよ、1ドル」
 さっきドアから入ってきた男が飲み屋の従業員におみやげを持ってきていた。もちろん、この二人がどんな関係であるかはぼくの知るところではない。
「1ドルっすよ、1ドル……」
 てれくさいのか、男はさかんに値段のことを強調する。そうしているうちにカウンター内に立つ男の表情も呆然から喜びへ変化をはじめていった。

 おみやげには二つのタイプがある。
「さて○×さんには何を買っていこうか?甘いものが好きだったな。でも、こんなのはぜんぜん珍しくないだろうし……」
 最初からおみやげを贈る対象が存在をしている場合。
「あ、これ○×さん空きそうだな」
 物の存在から人が呼び起こされていく場合。

 おみやげとは物、物そのものではなくそこに自分を込める。込められた贈り手の気持ちをひもとくもの。遅まきながら、この頃そんなことがわかってきたように思う。いや、最初は感じたのだった。感じてから思うようになった。
 そのおみやげが、聞いたこともないような国の汚れたコインであっても今なら宝物にできる。

「これまで、物を見て人に結びつけ、贈ったことが何度あるだろう?」

 ほんの短いやり取りだったが残り少なくなったビールをおいしくいただくことができました。
 ありがとう。
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by seikiny1 | 2009-09-25 02:46 | 日ごろのこと
ことばのられつ
 外へ出ると朝顔よりも落ち葉の方へ目が行くようになっている。見上げた青空はシャキッと緊張感に満ち、油断をすればポキッと折れてしまいそう。もう、夏のかけらすら見つからない。

 昨日初めて会った人は、僕がこの地を踏んだ前年に日本の北国で生まれたと言う。そういえば、今月の30日でアメリカ上陸24周年をむかえる。船とは違い飛行機だから下陸と言うべきだがそんな言葉はありゃしない。いや、船と呼ばれる大きさを持つものは、上ることよりも階段を下りることがほとんどだろう。もはや上陸という言葉の向こうには像が見えない。そうだ「下り立つ」という言葉があったな。でもこいつはちょっと使いにくい。下立なんて言葉を作ってみるが、どこか艶っぽい。
 久しぶりに耳にした「かっぱらい」。老人語という言葉を思い出していた。
 そう、言葉だって年をとり死んでいくんだ。人間の方は伸びているらしい寿命。一体どこまで行っちまうんだ。言葉の方、最近はどうなんだろう?
 
 テレビのニュース(フジサンケイ:在米日本人編集分)では酒井法子さんの保釈を冒頭で伝える。予想通り報道陣から飛ぶのは「酒井さん」。あの呼び捨てや断罪口調はどこへいったんだ?謝らせたくて、泣かせたくてしょうがないらしい。まるで小学校のいじめっ子だ
 2度のCMをはさんでやっと鳩山新政権樹立のニュース。放送局なんてその程度のものなんだろう。いやはや、日本人もなめられたもんだ。ニュースの優先順位ってなんだ?1989年、ストーンズがSteel WheelsTouでニューヨークを訪れた際New York Timesのどこにも記事がな見当たらなかったことを思い出す。そろそろ本を読む順番を変えようと思っている。自分の中の優先順位。
「参院選のこともあり……」
 と耳にし続けていた謎がやっと解けた。
「どうして連立政権にする必要性があるの?」
 どうやら政権公約を実現しなかった、できなかったときの逃げ道らしい。鳩山さんの語尾がプンプンにおう。先が思いやられるな。ま、政教分離がなったのはめでたいが。
 それにしてもマニュフェストという言葉も「なんだか」という感じで定着してしまったが、ぼくにはボカシとしか聞こえない。煙に巻く。言葉におそれいってしまう人、バカされてしまう人は結構いる。ハハーっとドロンは水戸黄門と風車の弥七以来変わらない。

「よく食べてここで成功する」
「筋肉痛を歓迎しなさい」
 電車で隣り合わせた日本人女性の読む本の小見出し。断片で目に入ってくる言葉は面白い。言葉とコトバの間でパズル遊び、ひとりつないでみたり。のぞき見をしてしまいごめんなさい。書籍や音楽がデジタルファイル化されてしまうと、人の家に遊びに行く楽しみが減る。蔵書やCDコレクションで結構その人のことがわかったりするから。百科事典や文学全集が応接間の飾りであった時代もあったな。今思えばなんだかほほえましい。ウチの父親は飲めもしないウヰスキーを飾ってたな。
 古本屋では不ぞろいな背表紙にそそられる。

 昨夜作ったチャーシュー。
 すぐに食べたかったけれどじっと我慢をする。ひと夜眠り呆けたチャーシューは旨い。
 今夜はラーメン。15年ぶりに再会した友達のお土産。「博多 秀ちゃんラーメン」。
 ビールだって一晩抜けばうまいのはわかってるんだけど、なかなか抜けない。思い切って二日酔いにでもなるかな。

 つれづれなるままでした。
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by seikiny1 | 2009-09-19 07:58 | 日ごろのこと
「味がしない」存在感
 思いつめる性質だと思う。
 とはいっても、生き死にに関わるようなところまで行ってしまう大物であるはずもなし、かなりな部分がいい加減で出来上がっていて、そんな証拠を総合して<AB型説>が出たりする。血液型は知りません。

「あ、そう。しょーがないね」 
 思いつめていたわりにはサラリとしていた。それほどまでこだわっていなかったということだろう。どちらかと言えば「どーでもいい」というグループの方に属するんじゃないかな。それでもたまに食べたくなる。「食べたい!」ってほどじゃないけど。
 アメリカで子供時代を過ごした人たちにはまったく別の思い入れがあるんだろうね。これは食事というよりも文化に近い気がする。
 マカロニ&チーズ。

 先週から食べようと思っていた。食べたいと思っていたわけではなく、食べようと思っていた。それでも先週土曜日の時点で今日の昼飯のメニューとしてすでに織り込まれている。そこにこだわっているのか、そうでないのか自分でも今ひとつわからない。
 店へ行ってみるとあいにく売り切れで、ぼくの順番が来ても無駄話に余念のないお兄さん。裏の台所から補充される気配はない。少し残念だったけどあっさりと別のものを注文した。

 まさかこんな日がやってこようとは。
 初めて口にしたのは、アメリカへ来て日も浅い頃のこと。印象は「不味い」ではなく「味がしない。よくこんな物ニコニコしながら食えるなー」といったところ。もしかしたらこちらの方が「不味い」とはねつけるよりも評価としては下なのかな。たしかカッテージチーズそんな印象だったと思う。
 
 2度目はスープキッチンで。
 チリ・コンカーン、フライドチキン、ミックスド・グリーン、ロースト・ターキー、ポーク・チョップ、マッシュポテト&グレービー、ミートローフ……。思い返してみると、本当の意味でのアメリカの食事を口にしたのはあの頃だったんだろう。自分の好みでメニューを選ぶことはもちろんできない・出されたものを詰めこんでいくだけ。
 もし、それ以前の状況で暮らし続けていたとしたら、あれほど徹底してアメリカの食事を口にすることはなく、いまだにマカロニ&チーズという選択肢はないはずだ。しかも、当時はどこかに「今食っておかないと……」という危機感があったのか、食べていた量も並大抵じゃなかった。

 これまでの人生で「うまいなー」と心の奥底から呟いた事はないように思う。単純に味の評価として。
「うまいなー」はいつも目に映るもの、場の雰囲気、同伴者、季節、精神状況など様々な要素の総合評価で、味のみでの判定を下したことがない。失礼な言葉を使わせてもらうと、「うまいなー」のどれもが味にかんしては「OK」だった。というよりもそれほど深く考えない。ちなみに、何かに対して評価を下す時にアメリカ人はよく「OK」という言葉を使う。アレが大嫌いなんだ。

 飽きがこない。
 家庭料理のポイントは意外とこんな所にあるんじゃないかな。飛び切り美味でも、特別でもないのに無性に懐かしくなったり。

 正直言うと、マカロニ&チーズが品切れとわかった時、少しだけくやしかった。
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by seikiny1 | 2009-09-11 05:24 | アメリカとの距離
青空
 青空だった。
 昨日に引き続き、朝方はかなり冷え込んでいる。数日前まで続いた酷暑という言葉がピタリとはまる日々にはまったく気にも留めていなかったのだが、ブルッと一瞬だけ肩に力を入れてベッドを出る時に日の出がだいぶ遅くなっていることに気づく。

 アパートのドアを開けた瞬間に頭をよぎった言葉はホットコーヒー。白いカップを思い描きながらなぜか空を仰ぐ。

 青空だった。
 青空と聞いて思い浮かべるのはなんだろう?
 青空文庫、青空はるを、青空学級、青空市場……。
 僕の頭には曲が流れる。
 井上陽水「青空ひとりきり」
 曇り空の土曜日の午後、つけっぱなしのラジカセからエレキギターのイントロが刺す。詩にやられてしまった。
「なんて自分に正直な歌なんだろう」
 すべてではないけれど、かなりの部分が自分、すなわち僕に重なっていた。以来、青空、特に秋の青空を見上げるとこの曲が流れる。

 あとひとつ。
 あの日も今朝と同じような青空。少し下がった気温がキリリと引き締めた空だった。
 当時、カレンダーとはまったく無縁な生活を送っていた僕には気付く術とてなかったのだけれど、多くのアメリカ人はまだ夏の余韻にひたり、過ぎ去ったものを愛おしむけだるい心地よさに包まれていたのではないだろうか。
 8月が終ってしまった朝、新しい9月の空を見上げながら思い出していたのは2001年9月11日の空。僕の中から消えることはないであろうあの青空。
 それにしても、あの日、あの出来事を自分の利や得のために利用する奴なんて許せないな。
 
 短かかった夏の終わりにやっと爛漫となってきたばかりの朝顔。深紫色をした無数の花が青空の下にまぶしい。
 あの日も火曜日だった。
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by seikiny1 | 2009-09-02 11:24 | 日ごろのこと
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