ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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Between the Sheets
 なんだか久しぶりに地図を広げてみたくなった。
 GoogleやNetScapeなどのオンラインものではなくて、観光局やレンタカー屋でもらえる無料の簡単なものでもない。地図帳がいい。
 アメリカのものならRand McnallyのRoad Atlas。日本のものならばガッシリした表紙を持つ重そうなもの。
 別にどこかへ行こうというのではなく、ただなんとなくパラパラしたい。アソビたい。
 適当に見つけたその町にはどんな人が暮らすのか。小さな目抜き通りにあるバーではどんな会話が交わされているのか。小さな川で糸を垂れるひとはどんな魚を釣り上げるのか……。ページの中で空想に遊ぶ。

 小学校でもらった地図帳。中学では少し精密になる。家の本棚あった大きなやつは重すぎたせいかあまり開く機会はなかったが、父が持っていた九州道路地図ではよく遊んでいた。たしか青い表紙だったと思う。それとゼンリンの住宅地図。手書き風のこの地図も好きだった、友達の家を見つけては喜んでみたり。
 アメリカへ来てからは傍にいつもRoad Atlasがあった。時代小説が好きだったので日本へ帰った際には古い地図を探してみたり、詳細に描かれた分厚い地図帳を持ち帰ってみたり。地図を見ながら小説を読むのも楽しい。作品に立体感が与えられその場にいるような気分になってくる。これはGoogle Mapでのことになってしまうけれど、ニューヨークを舞台にした連作小説を読み返しながら、最近、登場する場所にピンを立てながら地図を作っていっている。

 さて、地図帳。
 地図という紙の束が身辺から消えて10数年が経つ。
 なぜ、今、この時に地図を広げてみたくなったのかはわからない。ひとつだけ言えることは、この空想アソビにネットの地図が不向きであるということ。ネットの地図にはいつも行き先、目的地が必要になる。出来ないことはないけれど、手ぶらでフラリと出かける気楽さがない。検索という厳然たる目的と、「なんとなく」というフワフワしたものの間にはどうしても取り壊すことのできない壁がある。
 とはいえ、検索、ネットは本当に便利だ。
 ちょっと気になっていた言葉を窓に入れると、ニュース、ブログ、宣伝……、またたく間にずらりと並べてくれる。目的地までの道順は懇切丁寧に教えてくれるし、乗換駅から時間、料金まで教えてくれる。辞書で一発で目的の言葉を探し出してくれ、難しい漢字を大きく表示することも出来れば、後方一致なんていう荒業をいとも簡単に決めてくれる。

「《コメント》ってそもそもなんなのよ?」
 芸能界で事件が起こると、特に不祥事と呼ばれるたぐいのものが、どうしたわけだか和田ア●子にコメントを求める。最近ではあたり前のことを偉そうにしか言っているだけで、あまりのバカばかしさも手伝い紙の辞書の中で《コメント》という言葉を探してみると。
 小学校の辞書探しでは結構速かったのだけれど、最近はまったく駄目。
 途中、「がんかけ」、「けむくじゃら」、「こする」なんて言葉に魅せられてなかなか目的地にたどりつくことが出来ない。
 
 こんな余分なもの、アソビが楽しい。
 便利さとは別に寄り道を楽しんでいきたい。そこには思いもかけない楽しい旅がはじまる無限の可能性が潜んでいる。
 探すためではなく、出会うために旅に出る。迷うために。
 本棚には地図帳と辞書。

 ネットの世界とはまた別の彷徨い方。
 磁石すら持つことのない旅。
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by seikiny1 | 2009-08-28 07:08 | 思うこと
「どうしてニューヨークへ?」
「アメリカかぶれだったんです」
 挨拶のように様々な人から投げかけられる質問、20数年続けている答。正直に答えている。アメリカのすべてに憧れ、想いこがれていた。鼻の奥の方がキーンと音を立てるようなトイレの消毒液の匂いにまで。

 「いつかは」と思っていたけれど、そんな僕にアメリカ行きを決心させたのは、雑誌の中の一文だった。もちろんその雑誌は絞りに絞った宝物群と一緒に父親から借りたスーツケースへ放り込まれ、海を渡ったわけだけれど他のすべての物と同様に今は手元にない。この先も還ってくるはずがない。それでもあの当時の物・者は全部頭の中で生きている。日本に残してきたすべてのもの、捨てたと言われてもしょうがない日本という国と共に、あの時と変わらぬ姿で。

『帰らない旅に出よう』

 人生の半分は、もうすぐ半分以上がこの言葉に翻弄されている。決して弄ばれているわけではなく、それをどこかで楽しんでいる。根が楽天家なわけだから、どんな状況にあっても絶望や落ち込みという言葉とは縁遠く、そこになにかの楽しみを見つけるというのは特技とさえ言える。
 そういったわけで、10文字にも足らない言葉にかどわかされた僕は今も旅の途中。さて、終着地はどこになるのだろう?

 数年前の一時期、「さて、こんなものでいいのだろうか?」と考え込んでしまったのもまた、ある言葉と出会った結果だった。どこで見かけたのか、どういう状況で発せられたのかは忘れてしまったけれど。

『帰りのない旅は彷徨(さまよい)に過ぎない』

 25年前のアンサー・ソングのような言葉はしばらくの間、頭に張り付いたままでいつも自問をしていた。きっと僕自身がどこかで自信を失いつつある時期と重なっていたのだろう。

 そんな言葉を今朝は久しぶりに思い出していた。
 「ネットを彷徨っていたらブログにたどり着いてメールしてみました……」
 舞い込むという言葉がピタリとあてはまるようなメール。古い、古い友達からだった。
 <彷徨う>という言葉にはどうしても短調のような寂しいイメージがつきまとっていたのだけれど、彷徨うからこそ出会える人がいる。見つけ出すものもある。今、僕の周りをあらためて見回してみるとそんなものがすべてと言っていい。彷徨ったからこそ手に入れた有形、無形の宝たち。そうして彷徨った末に僕を見つけてくれる人がいる。探し出してくれる人もいる。捨てることを怖れていたら決して辿り着くことのなかったであろう場所。
 
 これからもまた旅を続けていこう。
 何かを喪いながら。何かを手にするために。


 僕がこの国に携えてきたあとひとつの言葉。

"Pack up your dreams and GO."

《原宿ゴールドラッシュ》という本の一番最後に書かれていた。


 1通のメールを受け取り、旅ということを考える。
 8月26日は旧暦の七夕。
 それにしても、アメリカで七夕のことを考えるとは。しかも旧暦で……。
 七夕は秋の季語。そういえば今日は少しだけ涼しい。
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by seikiny1 | 2009-08-25 07:42 | 思うこと
お尻の思い出
「???」
 考え込んでしまった。
 休憩時間はまだまだ残っているけれど、欲望に打ち克つことはできなかった。
 ここ、密室の中で昨夜からの食事のことを思い出す。腰を下ろし緊張の去ったのと同時にヒリヒリ。肛門が。
「……」
 そうかピザだった。昨夜は暑くて、台所でガスをつける気にもなれず、シャワー、ビールのお決まりのコースの後、ピザ屋へと向かった。テイクアウトをするために。ガーリックオイルとクラッシュド・ペッパーをたっぷりとふった熱々のピザにはよく冷えたビールがよく似合い、あっという間に1枚は消えてしまう。そしてお尻は正直者だった。

 お尻が正直者になったのはいつからだろう?
 密室の中では他にやることもないので、変な考えが膨らみ続けていく。たしかにあの頃、僕のお尻は不正直者で、世の中に正直者のいることが信じられなかった。

「あいててててててて……」
 トイレから出てくる上司は半分笑いながら毎回大声で吼える。
「焼肉はうまいけど、翌朝は必ずこれやからかなわんなー」
 あの頃はまだまだ不正直ものだった僕は「また言ってるわ」と思いながらもニヤニヤと彼の背中を見送る。そんな彼に慣れてしまった頃、鉄板の向こうに見える彼の笑顔が既に翌朝のものとなるようになってきた。パターンを読まれるのも怖いが、慣れというのもまた怖い。
 いつから正直者になったのか、具体的には覚えていない。
 20年という歳月は不正直者の心を洗ってくれるのか。ただ単に年を重ねたがゆえに、あちこちにガタがきているのか。

 日本へ帰るたびに驚かされるのはウォシュレット。
 ほとんどの家庭にあると言っていいほどに普及をしている感がある。最近では、トイレに足を踏み入れただけで自動的にカバーの上がるものもあり、母が引っ越した先にもそのタイプが設置されていた。ヒンヤリとした静かな狭い空間でジンワリと口を開いていくさまが、どこか人がお辞儀をしている姿を思わせ、まだ慣れない頃は、ドアを開いたまま足を揃えてこちらもお辞儀をしそうになってしまう。「お、この機械も愛いやつじゃ」と思う頃にはアメリカへ持ち帰る焼酎なんかを買い揃える時期が来ていた。
 帰国してみると立場一転。用が済んでもしばらくの間は何もせず、じっと壁のタイルを見つめる始末。数秒後、やっと自分がアメリカのバスルームに座っているという事実に気づき、ペーパーに手を伸ばすといった按配。
 帰ってきてから半年以上が経つが、今でも毎日母のことを思い出している。右手で壁に取り付けられたトイレットペーパーを引き出しながら。やっぱりお尻は覚えているのだ。

「アフリカの山奥で車を売るようなもんだよ」
 知り合いでウォシュレットの販売代理店をやっている人がいる。日本とは対照的に殆どと言っていいほどに普及していないアメリカ。彼の話によると、日本から引っ越してきた子供たちの中にはウォシュレットの無い文化の存在することが信じられない者が結構いるらしい。そんなこの国の現状を、友人は上の一言で表現した。
「それでもね、お年寄りとか障害を持つ人の家へ行くと、ほんとに喜んでくれるんだ。ほんの数センチの差で動ける、動けないが決まってしまうからね。こんなに大変で、儲からない仕事をそういう人たちがいるからかな……」

 一枚のピザはもう4年も会っていない男の顔を思い出させてくれた。

 手を洗い、ドアを押しながら口ずさんでいたのはなぜか伊藤ゆかりの「小指の思い出」。
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by seikiny1 | 2009-08-23 23:49 | 日ごろのこと
ピンボケなカメラ
 ボンヤリ。我にかえって、それまでなにを見ていたのか考えこんでしまう。目は開いている。なにかが映っていたのもわかっている、それがなにであるかも。しかし、目はそのもの自体を見ていたのか……。
 まるでガラスを見るように。
 映る人の姿。ガラスという物体。向こうに見える人の姿。ガラスの中には通りの向こう側のガラス窓が映っている。その中の人々……。

 電車の中でボーッとしている時というのはそんな状態が多い。見ているようで見ていない。見ていないようで見ている。
 本を広げる人。眉間にしわを寄せてSUDOKUをする人。身体を揺らしながらゲームをする人。白川夜船な人。ヘッドホンをつけた唄う人……。
 僕は見ている人。
 なにか特別な理由があるわけではない。なにかを探しているわけでもない。そこにいる人々の中に自分を映し出しているだけなのかもしれない。

 満員電車ではそんな遊びをする余裕がない。だからいつも混んでいない時間帯の、混んでいない路線に乗る。急ぎ足では心がささくれ立ってしまい、不幸なことにそれは伝染し再生産をされていくから。そんな歯車になるのはゴメンだ。

 焦点を絞れる、しかも自動で絞れるカメラがあるのだから焦点の定まらないカメラがあってもいいと思う。いつも出来上がりはボンヤリ。感情を写し撮ることはできないが、感傷くらいなら映し込むことができそうだ。

 濃いピンク色をした10個の玉を見ていた。前に座る若い女性のサンダルからのぞく小さな爪。艶やかなピンクには、昨夜風呂上りのベッドで膝を抱えながら丁寧に爪を仕上げていく彼女の姿が浮かび上がる。カメラを引いてみると全身が収まり、短く切りそろえられたなにも塗られていない素の爪がiphoneを握っている。
 僕はなぜかホッとしてしまう。彼女の生きている姿が垣間見えたような気がして。女の子である彼女と、生活者である彼女を確認して。
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by seikiny1 | 2009-08-18 09:14 | 日ごろのこと
ツケて来んじゃねぇヨ!
(使いやがった……)
 ノリP失踪を伝えるニュースを耳にした時のこと。
 危惧していたことが現実となった。ニュースを聞いて「怖い」と思った人はどれくらいいたのだろう?僕は怖くてたまらない。

 とは言っても、別に覚醒剤の恐怖でもマスコミの傲慢さでもない。怖いのはコントロールされてしまうということ。<その気>になればいとも簡単にできるという事実が判明したこと。

 探し方が悪いのか、それとも持って回ったような独特のややこしい書き方をするお役所文書が悪いのか。検索をしても確としたものに突き当たらない。かといって、あの決定が覆されたというニュースにも行き当たらない。2年程前の新聞で小さく報じられていた記事 -こんな大切なことを、どうして大きく扱わないのか不思議でならないのだけれど- が酒井法子さんの写真の向こうでちらつく。「やりやがったな……」という言葉と共に。

『携帯電話のGPS搭載義務化へ』

 そんな見出しだったと思う。
 最近売られている携帯電話のすべてにGPSが搭載されているということ。
 これからは犯罪に関わる人間の大部分が携帯電話の電源を切ってしまうようになるだろうから検挙率が極端によくなるということは考えにくい。複雑に入り組んだ繁華街や住宅街の中、目的地へ容易に達することはできるようになるだろう。子供やお年よりの迷子、遭難者の発見にも功を奏していくだろうことは間違いない。

 楽しいドラッグに副作用があるように、GPSにも裏面はある。昔のレコードもそうだけれど、B面のほうが意外と本音の部分であったりする。GPS搭載《義務化》に関しては、表向きのコインを差し出された。
 
 国民ほとんどの首に鈴がついた。

 あれほど国民総背番号制を嫌悪している日本人だけれど、話が携帯電話となってしまうと嬉々として新機種へと乗り換えていく。そこに眠る機能について深く考えることなく。ほとんどの人はGPSを喜んでいると思うのだけれど、どうだろう?


 ヤツラがその気になれば、悪意を持った者がシステムに侵入すれば日本全国の人の動きを把握することができる。

「今、このレストランで食事をしている人たちはどこへ帰っていくのか」
「この会社に勤める人たちは、どういった生活を送っているのか」
「この商店街のひとのながれはどうか」
「よし、このエリアにいる人のカメラを一度にONにしてみよう」
などといった直接は害のないことに使われることもあるだろう。それでも僕は、
「あ、こいつはここで飲んでんだ。次はきっとあの店だな。ほら、あたった。よくあんなしょうもないとこに行くなー。オイオイいつも降りる駅と違うじゃないか、さては酔っ払って乗り過ごしちまったな……」
なんてのぞき見をされたくはない。

 それが電源OFFの状態でも電池のある限り機能させることができるのかはわからない。それでも、最低でも設定の上からGPS機能を切ることだけはやった方がいい。
 鈴をつけられないために。



 検索していたら物騒なニュースと出会う。
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by seikiny1 | 2009-08-15 03:42 | 思うこと
変化
 今日もあの音が通り過ぎていく。
 
 しばらくの間移動をして止まり、また動き始める。 
 重い車輪の音。ビン同士が触れ合う小刻みな音。
 以前では<珍しい>部類に入っていた人々が買い物用ワゴンを押し、スーパーの前には透明なプラスチックバッグに10ドルほどの獲物を入れた人々が列をなす。
 空缶などを集めリサイクルをする人の数が確実に増えている。

 これまで、この職種(?)に就く人のほとんどはホームレスか中国人のおばあちゃんだった。
 ここ数ヶ月は黒人の老婦人、メキシカンといった人たちが目立つようになってきていて、先日はグリニッジビレッジで若い東欧系の男性二人組を見かけた。その誰もが、どう見ても路上に住んでいるような格好ではないのが目に付く理由。ごく普通の生活者として空缶を集めているよう。
 空缶やペットボトルだけでは足りず、効率も悪いのだろう。空き瓶にまで手を出している人が多い。アパートの前を通り過ぎていく音はいつの間にか日常音になっていた。
 年配の人が多いことに胸が痛む。

「新しい家が売れはじめた」
「株が久々の高値をつけた」
 .........
等と言っても一般の生活事情はこんなもの。
 これを「一般ではない」という人もあるかもしれないが、僕はこれが一般だと思う。多くの人が心の中で空缶を拾っているはずだ。

 金を持つ人よりも、1ドルと、5セントと闘い続けている人の目からの方が経済の本質は見えてくるのかもしれない。
 ビル前に設置された灰皿に残された吸殻の長さ。
 スープキッチンでの食事の量、質、顔ぶれ。
 微細な値段の違いとその変化。

 確信をしているのは、
 他人のゴミ箱を覗き込んだことのある者、人前で腕を突っ込んだことのある者はその日以降、社会の見方・歩き方が変わるということ。いい意味で。「生きる」ということを真剣に考えた瞬間だから。

 ゴミ箱。
 そこには人の生活のすべてが詰まっている。
 「汚い」という人もいるだろうが、汚いのが人間なんだから。その汚いもの、身の回りに置きたくないものを出したのは人間に他ならず、汚くしているのは、汚いと決めてかかっているのは人間以外の誰でもない。
 ゴミ箱のフタを明けられることを嫌うのは、散乱させてしまう人がいるからでもあるが心のどこかで<生活を覗かれてしまうこと>を怖れている。
 たとえばゴミの捨て方から見えてくること。
 選別があまりされていないゴミ箱の前では、
「あ、ここに住む人はいい加減な人だな。今度、どんな顔か見てやろう」と思い、実際に見てみると想像と大きく違うこともない。また、そんないくつもの顔が積み重なっていき自分の中で<いい加減な人間>の典型的な顔が像を結ぶ。
 食べかけの食事の混じったゴミ箱の前では、
「なんだほとんど食べてないじゃないか。冷蔵庫にでも入れとけばいいのに、嫌いだったのかな?」そんなゴミ箱の近所にはまだまだ使える日常品なんかがよく出たり。
 ゴミは雄弁だ。それを見ただけで人々の姿勢、生活、顔、習慣、行動パターンまでがありありと思い浮かぶ。

 日本でもアメリカでも、この先議員や公職に就く人々に1年の1ヶ月間を空缶拾いで暮らすことを義務付ければもう少しいい国になっていくかもしれない。立候補の供託金なんかも自分で集めたダンボールをリヤカーで5杯分にするとか。
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by seikiny1 | 2009-08-13 00:29 | アメリカ
朝露
 白いランニングシャツに半ズボン。夏の制服のようなものだった。長ズボンに憧れだしたのはいつ頃だろう、そして再び半ズボンをはくようになったのは。

 それにしても、あれが登校日の翌朝だったなんて。毎年、登校日にはちゃんと出ていたはずなのに、そのことと翌朝がまったく結びついていない。8月6日の午過ぎの帰宅時にオートリセットされるような回路に頭の中がなっていたかのように、まるで別の出来事としてしか記憶されていない。

 ラジオ体操から帰ってきて麦茶を飲むと、またすぐに靴を履き庭へ出る。木戸を開けて裏の空き地へ足を延ばすこともあった。たしかいつも姉が傍にいたはず。従姉たちが一緒の時もあった。片手に持ったお椀に、草々の葉の上で今にもはじけそうな、転がり落ちそうな朝露を集める。ある程度の量になったら家へ帰り、その水ですった墨で願い事を短冊に書く。
 いったいいつまでやっていたのだろう?
 8月に七夕を祝うのは僕の家だけだったのか、それともあの地方では概してそうだったのか。町の風景を思い出してみると、アーケードのあちこちに大きな七夕飾りがうっすらと浮かんで見えるのだけれど。

 短冊は季節になると文房具屋の目立つところに置かれていた。父か母が細長く切ってくれた和紙でこよりを作る。色紙を折り、切り。星、天の川、ちょうちん。つなぎ合わせたワッカを紐のようにかけまわす。そしてメインイベントはなんと言っても短冊へ書く願い事。あの頃はなにを願っていたのだろう?今ならばなにを書くのだろう?
 願い事はかなったのかな?

 七夕は手作りの行事だった。それだからか、クリスマスよりはずっと身近な存在で、夏休みの中ではお盆と並ぶ大イベントだった。
 いつから〔クリスマス>七夕〕となったのか。「かなえられるかどうかわからない願いよりも、確実にもらうことのできるプレゼント」という子供なりの打算がどこかでhaあらいてもいたのだろう。クリスマスを忘れることはないけれど、最近では七夕、特に8月のもの、がいつの間にやら過ぎてしまっていることがある。自分にはやはりこっちの方がしっくりくると感じているにもかかわらず。

 今朝、出かける際に草々の葉を触りながら歩いてみた。どれひとつとして水玉をたたえているものはない。
 
 今晩はせめて星空を見上げて願い事でもしよう。
 さて、なにをお願いしようか……。

 
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by seikiny1 | 2009-08-07 23:08 | 日ごろのこと
登校日
「???......」

 言葉が通じない。
 「半ドン」がわからなかった。
 考えてみれば当然で、彼らにとって週休2日というのはあたり前のこと。かつて、休みは日曜日のみであったということを知る人は思っているよりも少ないのかもしれない。使われない言葉は錆びつき、そして死んでいく。老人語、死語。

 土曜日は半分休み。それが半ドン。
 4時限目の終わりを告げるチャイムが鳴ると「吉本新喜劇」、「ルーシー・ショー」を観るために駆け出す。昼飯は大抵うどん、インスタントラーメン、すいとん、焼きそばなどで給食嫌いの僕にとってはなによりのごちそうだった。
 休みは多いに越したことはないけれど、土曜日午前中の根拠のない期待感、午後の気だるさというのも好きだった。11時55分、デパートの屋上から流れる「春の小川」のサイレンが消え入る頃、町がどこか緩んだ空気に包まれる。


 厳密にはいつ頃までを<詰め込み式教育>と呼ぶのかはわからないけれど、僕らの世代がその最後のあたりに属するのではないかなと思う。今、振り返ってみて「悪い時代じゃなかったな」などと思うのはジーサン化の証し。時はケバだった表面にやすりをかける。
 どうしたわけか、古文の授業はいつも昼飯直後に組み込まれていた。朗読する先生の声が気持ちよくて......。昼寝。
 風雪をかいくり、未だに息をしているものを古典・名作と言うのか。そうでなければあんなにも心地よい、それこそ夢心地となるような空気を醸し出すことはできない。リズム感、あの抑揚のある響きだけで名作となっても不思議ではない。芸術というのを突き詰めていけば「気持ちのいいもの」というところにある、と僕は思う。心地よいもの。
 授業中に心地よくはなっていても、試験前になると廊下を歩きながら、学校の行き帰りにいつも呪文を唱え、それら<名文>の暗記をしていた。憶えること、刻み込むことが勉強だったから。

 徒然草、土佐日記、枕草紙、奥の細道、平家物語、百人一首、論語、漢詩......。
 いくつかの作品は冒頭部分を今でも諳んじることができる。
「古典とは確信犯なのかそれとも偶然なのか?」そんなことを考えていた。冒頭部は十分に練りに練って創り出されたものなのか、それとも兼好法師の言うように「退屈で机に向かっていたらできてしまっていた」のか。あの心地よさはどう考えても後者に違いない。最初に結果を作ったものは長持ちしない、とどこかで信じている。

 諳んじることのできる冒頭。そのほとんどは高校時代の暗記を重視した教育の副産物。ひとつの例外を除いては。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」
 これだけは小学生の時に憶えた。それがなんであるのかすら知ることなく。
 ただ、
「おふくろのおっぱいの味を覚えてんのか?捨てた女のホクロの数を思い出せるか?」と続いていってしまう。
 テレビの力は、少なくともあの時代に於いては偉大で、平家物語の冒頭は、左とん平『ヘイ・ユー・ブルース』で知らぬ間に血肉となっている。

 8月。
 半ドンという言葉がまだ生きていた頃、この時期になるといつも憂鬱になっていた。
 夏休みであるにもかかわらず、8月6日と21日には登校をせねばならず、6日にはわけのわからぬ平和授業というのを受けさせられ、黙祷をする。小学1年生にわけのわかろうはずもなく、ただ一所懸命に目を閉じるばかり。そういえば黙祷という言葉知り、体験をしたのも登校日が最初のことだと思う。
 そんなことでも毎年続けていると、戦争のこと、原爆のことが少しずつだが理解されていき、自分の今いる平和という時代の幸運さを考えるようになる。最初はあくまで強制でしかなかったのだけれど。

 強制や詰め込みを一概に悪と言うことはできない。ただ、その使い方を確信犯的に悪用されれば悲惨な結果を導いてしまうことは歴史が証明しているが。

「今のガキ達も、登校日には文句たれながら学校に行ってるのかなー?」
 調べてみると、登校日を設ける、設けないは各校長の裁量に委ねられているということで、その日に何をやるかという規定もないとのこと。
 ちょっとビックリしてしまった。まさに井の中の蛙。日本全国、すべての学校が今も、昔も平和教育を行っているものと勝手に思い込んでいた。誰もが8月6日には黙祷を捧げるものだと。登校日すらない学校が全国にはかなりの数存在するらしい。ジーサン化の進んでいないガキたちにとっては喜ばしい子に違いないけれど、平和というものに対する意識は微妙に違ってくるのだろうか?
 少なくとも、僕に関しては40日ある夏休みの1日を捧げた価値はあった。

《ゆとり教育》も見直しが始まっているようだけれど、見直しの必要なものはたくさんある。便利であれば、楽であればすべてOKとは限らない。長い目で見ると。いつだって過ちはある。これまでも、これからも。川に落ちたり、修理をしながら進んでいくしか他にはない。
 強制されること、縛られることにどこかで喜びを感じる部分が確実にある。ついつい弱い者を探してしまうのと同じように。
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by seikiny1 | 2009-08-05 19:35 | 思うこと
フルムーンギャザリング2009
僕の古い友達が"遊音楽” ”祈り” ”リサイクル” をテーマとしたイベントを開催します。

《フルムーンギャザリング2009》

九州近郊の皆さん、お時間があったら覗き、参加、遊びに行ってみてください。
(友人はもとより、敬愛する従兄もバンドで参加します)

平和・非核への”祈り”のために灯される《平和の火》。
戦争の実体験者が少なくなる中、それを感じることのできる素晴らしい企画だと思います。

原爆投下以降、星野村に灯り続ける《平和の火》のエピソード



今年はwoodstock festivalから、中津川フォークジャンボリーから40年。
こんなイベントがそろそろ、どんどん根付いていってもいい頃ですよね。
というか、この半世紀近くでなにがかわったんだろう?


彼がやるんだから楽しいイベントとなることは間違いなし。
会場近郊の温泉に泊まって、という<ついでコース>もあるようです。

夏のひと時を、まじめ+アソビで。

あー、行きたいなー。
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by seikiny1 | 2009-08-01 22:24 | 日本
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