ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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二人の女
 こころゆくまで踊らせてあげたい。また、再び。
 
 誰にも真似できない軽快なステップで踊る様を見つめ、感じていたい。
 久しぶりにトーシューズをはいた彼女は、ブランクをまったく感じさせない軽やかな出足でつかの間のダンス。忘れていたわけじゃない。いつも、あの子の手を握る前にも、いや踊っている最中にもその顔が、ステップが甦ってきていた。ただ、今はその魅力を最大限に引き出すことのできるステージが見つからない。
 時の流れ、嫉妬のかけらもないその笑顔安んずることなく、素晴らしい舞台、曲を見つけてあげたい。いや、見つけなければ。

 一方のオールド・レデイー。
 こいつはわがままで手がかかる。
 二日も顔を出さないと、すぐにふくれっ面で駄々をこねる。三日と開いてしまった日には、寝たふりをしているのかなかなか起き上がってはくれず、ベッドの上で優しく背をなでてみたり、揺すってみたり。
 起き上がってしばらくの間は、それこそ、バレエ教室に通い始めたばかりの三歳児そのものだけれど、こちらが真剣に相手をつとめていることがわかると、段々と本領を発揮してきてその独特のダンスは誰にも真似をすることができない。ヌルヌルとした艶やかなステップに恍惚の境地をさまよわせ、時の経つのを忘れてしまう。



 万年筆の話。

 3月に突然思い立ち、1冊のノートを書き始めた。
 日記でも、原稿でも、メモでもない。たったひとつの目的のために。
 厚みのある小ぶりなノートであったために、細かい文字を書くことのできる廉価な万年筆を1本購入。その1本が値段以上の働きをしてくれ、ノートの方も先ごろ無事に最終ページ、最終行を埋めることができた。
 忘れていたわけではないけれど、10日程を開いていないキャップを取り書き出してみると……。つい先ほどまで書いていたかのような感触で紙の上を流れてゆく。
 
 あと1本。
 こちらは中字のもので、もう1年以上使っているもの。
 怠惰な週末の後、月曜日朝にキャップを取ってみると。
「カリッ」
 ペン先のインクが乾いている。ゴミ箱の中で振り、少しインクの出たことを確かめた後におそるおそる紙の上を滑らせるとインクの細い流れが起こる。そうしているうちに、かすれながらも、少しずつ、少しずつ本来の書き味が戻り20文字ほども書く頃には、他のものを忘れ去ってしまうかのような感触が戻ってくる。ワルツを踊る妖艶な女性のようで、こちらが足を踏んづけてしまっても、ニコリと笑いうまい具合にそれにあわせカバーをしてくれる。

 2本の万年筆の間で揺れながら、モテル男の心情をを疑似体験。
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by seikiny1 | 2009-07-31 08:21 | 日ごろのこと
Sのあるなし
<S>がつくか、つかないか。
ただそれだけで印象がまったく違ってくる
やっていることはと言えば、以前とまったく同じことなのに。


ヘタを取り、包丁の刃が種にあたるまで入れ、グルリと果実の側を回す。
切れ目が一周したら、両手でひねるようにして二つに割る
種を取り、皮をむいて。
スライスしたものをラップでグルグル巻き。

アボカド半個につき30cm四方は使っているかな?

客が退ける速度と、気だるさが漂いはじめる速度が飲み屋では同期をする。
酔眼の焦点を合わせるのは面倒くさく、カウンター内の単調な動きをぼんやりと眺めていた。
効率よく仕事をしなければならない彼らには当然の動きなのだけれど、
(もったいねーなー……)とポツリ。


初めてサランラップを目にしたのはいつだっただろう?
「スゲーッッッ!」
伸びる、切れる、ひっつく。
一連の動作を目にした時の衝撃は覚えているのに、
それがどういう場面であったのかをまったく思い出せない。
サランラップ登場以前の冷蔵庫内はどんな光景だったかな?
思い出せない。



「サランラップある?」
「申しわけございません。只今、在庫を切らしておりまして......。
こちら、クレラップでよければございますが」
「あ、サランラップっ」
「こちらでもよろしいでしょうか?」
「うんうん。これ、これ。サランラップ」
「お買い上げはこちらクレラップ1点でよろしいですか?」
「そう、サランラップだけ」
「それではクレラップ1点のお買い上げ、御会計の方が〇×△円となります」
「はい1千両」
「こちら□☆◎円のお返しとなります。おたしかめ下さい。
どうもありがとうございました」
「ありがと」

「おそいでー」
「おとーちゃん。あったで。サランラップー」
「なんやこれ?サランラップちゃうやんか」
「でも、サランラップやて。店員さんもちゃんと『サランラップ』や言うてました。
見てみなはれ、レシートにもちゃんと、ほら『サ・ラ・ン・ラ・ッ・プ』」
「そぅか。まぁ、どう見てもこりゃサランラップやもんな。
なんや、中身はサランラップやがな。箱、間違えよってからに」
「そやそや。言わんかったけど、あそこもちゃんと教育せんといかんなー。
商品の名前くらい憶えさせんと。いくらバイトやからいうて」
「そやな、いくら不景気やからいうてもアルミの箱にサランラップ入れんのはあかんな」
「あ、忘れとった!早よ帰って仏さん巻いてやらんと埃かぶる……」

サランラップはセロテープと同様に、
商品名でありながら普通名詞化をしている。
どこの会社が、どんな工夫を凝らした名前を付けても、
誰もが呼ぶのは「サランラップ」。

ガムはロッテ、野球は巨人。
(野球の方は今年はいけそうか)
カレーはハウス。
(マースカレーも好きなんだが)
ビールはキリン。
(そうだね、サントリーと合併したら)
マヨネーズはキューピー。
(『松田のマヨネーズ』というのが美味いらしい)

たとえ巨人が優勝しようとも、最近の彼らにサランラップの力はないな。



新聞紙を貼り合わせた袋が八百屋から消えた頃。
豆腐屋からの帰り、鍋の中で揺れる水を気にしなくもよくなった頃。
宝石のようにモミガラの中に鎮座していた卵がパックに入りだした頃。
醤油の計り売りがなくなった頃。
...............
ラーメン屋の出前が<ビニール+輪ゴム>からサランラップに変わった。

こうやって書いてみると《おつかい》から学んだことは実に多い。
そういった意味でも、今の子供達はかわいそうだな。


実はサランラップを切って使ってるんです。
30cm幅のものを半分にしたり。
時には4分の1に。
相手はトマトだったり、キュウリだったり、コップだったり......。
もちろんアボカドである時も。
1本が2、3ドルなんで大した節約にはならないが、もったいなくって。
性分でね。
根がセコイもんで。
もちろん、スイカの時は切りません。

かつて「セコイ」とか「ケチ」と言われたり、思われてきたことが、
今では「エコ」という言葉で語られる。
やっていることには、なんの変わりもないのだけれど。
「実にいい世の中になった」とセコイ男の胸は晴れる。

またいつか悪い時代がやってくるのだろうか?
平家物語は「諸行無常」と教えてくれる。

セコ男からエコ男へ。
Seco男からEco男へ。
Sがあるかないか。
中身は同じ。
Sakai SeikiがAkai Eikiでもいいのだが、
やっぱり僕は自分の名前が好き。




行動範囲の中で小さいサイズのサランラップを見かけたことがない。
日本だと<大>、<中>、<小>と各サイズ揃っているのに。
こんな発想と行動がアメリカ人に勝るところなんじゃないかな。
まぁ、映画『ブルース・ブラザーズ』でダン・エイクロイドが
プリウス型パトカーのハンドルを握っている姿は想像したくないけど。

さて、サランラップを切っている時の僕。
頭の中はSeco男なのか?それともEco男なのか?

はい。
サランラップ、洗って数回は再利用します。
器にかぶせただけ、軽い汚れだけのようなやつは。
立てかけたまな板の上では、今朝もサランラッップが風に舞っていました。
やっぱり立ち居地がSeco男のようで。






「なんやきみ。レジ、打ち間違えとるでー。
サランラップやなくて、クレラップやろ、これ。在庫合わんと困るから、気つけてや」
「......」
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by seikiny1 | 2009-07-28 08:58 | 思うこと
ジョニー大倉死亡説
見出しが目に入った次の瞬間には本能でクリックしていました。
約1週間前のこと。

導かれた先には。
30数年前のプレスリーを思わせるジョニーの姿。
長きに渡って療養生活を送っていたので、一部では<死亡説>が流れていたらしいです。
「無事に復帰コンサートを終えた」というニュースで写真はそのときのもの。

それにしても黒いジャンプスーツがやけに似合っていた。
もみ上げの長さといい、太り加減といい「あの」当時のプレスリーを思い出したのは僕だけでしょうか?

映画館の画面からステージへ還ってきたプレスリーは不死鳥(フェニックス)と呼ばれ、それをあしらったジャンプスーツを着用していたこともあったのでジョニーもその伝説にあやかったのでしょうか。
そういえばNBCテレビの特番で放映された(もちろん生では観ていません)復帰コンサートで着ていたのが黒革のジャンプスーツであったように記憶しています。


「ブログ更新してください」
先週末にお会いした人からお叱りをいただきました。
叱ってくれる人がいる。それは実にありがたいことです。
「もっと知りたいと思っている人もいるんですから、面倒でもできるだけ更新していって下さいね」
申し訳ないですが、それを聞きながら考えていたのはあの頃の家族のこと。

消息が途絶えてしまうと、人によっては<死亡説>が囁かれはじめます。
終生筆不精、電話嫌いで終わりそうな僕ですら、消息がどこからもまったく入らなかったあの頃にはどこかで死亡説が囁かれていたかもしれません。特に異国の地では。

その方とお別れして、ビールを少し飲み地下鉄駅への階段を下りようとすると、いきなり目の前の看板がきらめきだした気がしました。
チカチカする光の輪の中には「境セイキ死亡説」。

ホームではギターを抱えた男が哀しいメロディーを奏でています。

帰宅後シャワーに飛び込み真っ先にしたことは電話。
日本へ。
日本時間のその日は母がこの世に生を受けた日だったんです。

渡米後23年。
3回目の電話。
2回目は3週間前。
1回目は7年前、まだ寒風の吹く頃。




最近はこんな感じです。

ブログの更新、いつまで続くことやら……。
堪え性のないところは誰に似たのでしょう。
きっとどちらもがそっぽを向き「アッチ」と指差すことでしょう。

叱ってくれた初対面の人、ありがとう。
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by seikiny1 | 2009-07-24 09:19 | 日ごろのこと
2ページ目
 ということで、更新は遅くなってしまいましたがここからは前回書いたものの直後に丁寧な文字で同じ内容を書いたものです。とりあえずスタートをする時点では。
 御笑納ください。





 昨日までとはノートこそ違え、丁寧な文字で先ほどと同じテーマを書いてみる。
 そういえば丁寧に文字を書こうとすると、背筋が伸び、組んでいた足が地に戻るのはなぜだろう?それに失敗できないという緊張感も伴う。
 高速でで頭と手元を同期させながら書き進めていくのは気持ちがいい。しかし、ゆっくり書くことにはまた別の楽しみがあることに一月ほど経った頃に気付いた。
 それは、
「どうやらこちらの場合は指先の動きが頭の働きを司る」のではないかということ。書きながらまったく予想をしていなかった展開が始まり、当初書こうと思っていたことについてほとんど書いていないことに途中で気付くがもう遅い。そんなことがほとんどだった。
 対して走っている時には「これを」と思ったものにとりあえず突き進む。思いがけない展開になることはこちらでも同じなのだけれど、やはりどこかに目的地がちらついている。結果として、たどり着くことができなかったとしても。

 ここまでが1ページ。
 今、パッと俯瞰してみると昨日までのものよりも質が落ちている。十分に読むことはできるけれど字の丁寧度が落ちている。それは心の緩みの露われか?たしかに(失敗したっていい……)、(人に見せるわけじゃないから……)なめてかかっているところがある。スピードこそ計ってはいないけれど、昨日までの倍程度のスピードかもしれない。ということは、頭と手の関係は走り書きと丁寧の中間あたりか。ちなみに、普段なら確実に片仮名か平仮名で飛ばしてしまっている俯瞰という文字は辞書を引いた。こうやってたまには丁寧に書くようにすれば、また少し漢字を取り戻せるはずだ。

 文字の質のことを考えていたら、いつの間にやら足を組んでいた。

 高速、中速、低速。
 それぞれに別の自分が棲んでいる。
 今、こうして書いているものを5分ほど前に高速で書き始めていたら、今頃はどこにいるのだろう?また、そこから違った自分が生まれていたに違いない。
「あのとき、もし〇×であったならば……」
 小さな意味で歴史のタブー。歴史の面白さにぶつかってしまった。
 書き終わりにもまた別の充足感がある。
 車の場合はスピードと視界が反比例をしていくけれど、ノートの場合は視点や視覚が変わっていく。
 そう、昨日までのものは人に見せることが前提としてのものだったから、見えてくるものもまた違った。
 これからも、スタート地点だけを同じくしてスピードを違えたたびを時々やってみようと思う。

 5年前に乗った九州新幹線。
 車窓に映る風景のほとんどはトンネルの闇。それにしても電車の窓は映画のスクリーンに似ている。
 鼻毛を抜く男、爆睡をする女、夫婦喧嘩をする老人……NYの地下鉄スクリーンは様々なものを上映してくれるが、日本の地下鉄スクリーンは退屈な風景画みたいだった。その絵しか持たないよさもあるのだけれど。
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by seikiny1 | 2009-07-22 01:17 | 日ごろのこと
足かけ
 4ヶ月だった。
 週に3、4日。平均して6ページほどを埋めていく。綺麗に書くことはできないので丁寧な文字で。
 昨日までほどある程度の分量を持つ文字を丁寧かつ、継続的に書いたことはない。2番目に続いたのは、小学時代の夏休みに記した日記。とは言っても、毎年8月の終わり頃にまとめて書いていたのだから、今回が初めての経験になる。
 文字を覚えて42年目の初体験。

 手帳サイズのノートを使ったので小さな文字を書かねばならず、1日分を終えるのに1時間ほどがかかる。
 今、こうやって書いているのは大判のノートに、大きく乱雑な文字。同じ分量の文字を書くのに要する時間は、昨日までのものの2、3割程度だろう。その上、昨日までは難しい文字に突き当たると辞書を引いていた。
 今日、すんなりと丁寧という文字を丁寧ではない文字で書くことができたのも、しばらく辞書を引きながら書いていたことの賜物だ。

 僕の思考速度には乱雑で大きな文字の方が合っている。ペン先が頭の回転ととほぼ同期をしながら進んでいく。ほんの少しだけ違うから、時々微調整をしてやらなければならないけれど、そんな手間も昔乗っていたバイクのキャブレターを調整するようで楽しいこと。
 これが丁寧で小さな文字になってしまうと……。
 ペン先と頭の関係がギクシャクしてしまって、とんでもない所になんの脈略もない文字が登場をしたりすることもしばしば。消しゴムを使うことはできず、修正液も使いたくはないので、小さなノートのあちこちは×点や、グシャグシャ・マークで、まるで虫に食われたかのようになっている。プラス、なんとか誤魔化し得たそこだけ肉厚の文字。
 しかし、たった一回限りの勝負。ぶっつけ本番というのは、とても気持ちのいい緊張感に包まれていて、これは癖になりそうだ。勝負と書いたのは、昨日までのノートは人に読んでもらう事を前提としていたから。
 また、頭の働きというのは指の動きの影響を受けるのかもしれない。丁寧な文字を書きながら、
「あ、ここんとこ、いつもの調子で書いていたら絶対にこんな風にはならなかったな」という箇所によく遭遇していた。

 昨日迄で、ひとつの目標に到達したわけだけれど、これからも丁寧に書くというアソビを細々と続けてみようと思う。

 最後に車を運転してから、早いもので13年が経つ。
「早く目的地に到達すること」だけを考えていたあの頃。
 今、また、ドライバーズ・シートに身を埋めたらどんなアクセルの踏み方をするのだろう?
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by seikiny1 | 2009-07-16 01:24 | 日ごろのこと
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