ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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魚の目

「いやいや、そんな目で見つめないでくださいよ」

 ここはチャイナタウン。氷を敷きつめられた台の上で、僕は大勢の同胞にまざり道行く人々を眺めていた。

 焦点は定まっているか?
 何か意味があって見つめているのか?
 どんな目をしているのだろう?
 わかっているのは、自分が何かを見つめているただそれだけ。自分の目の表情にいたっては、死んでもおのが目で確かめることはできないだろう。見てみたいようで、見たくない。どうせ、ろくな目付きはしちゃいないから。見ない方が幸せだろう。

 電車の中で、街角で、飲み屋のカウンターで魚の目をしていると、サバや、アジやイカが話しかけてくることがある。

「いやいや、そんな目で見つめないでくださいよ」
そんな時に僕は、チャイナタウンの魚屋に寝転がっているような気分になる。
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by seikiny1 | 2008-04-29 09:15 | 日ごろのこと
陰翳礼讃
 今年の誕生日は古くからあるステーキハウスで迎えた。薄暗く、静かな店内には、白熱灯がポツリ、ポツリ。そんな中で口にする酒、食事は手放しでうまい。しかし地球温暖化対策のあおりで、こんな、あたたかく、艶やかな風景もかき消されようとしている。
 世の中のすべてが、蛍光灯の煌々とした硬質の光にさらされるまであとわずか。

 白熱灯は、たしかに大量の熱の発生をともない、エネルギー効率もよいとは言えない。しかし、それと引き換えに、いや、それ以上のものを僕達に与えてくれている。蛍光灯の下で、愛を囁くなんてことはできない。出生率低下で人類滅亡の危機にさらされるかもしれない。
 なんでもが「明るければすべてよし」というわけでもないだろう。もちろん、そのうちに代替品が登場するだろうが、Veggie BurgerはいつまでたってもHamburgerになれない。

 果たして世の中をそこまで明るくなる必要はあるのだろうか?どうしてもっと高く、もっと速く、もっと明るくなの?白熱灯を駆逐する前に、世界中の、ただ、<見るためだけの夜景>を消してしまったらどうだろう。一時間なんてケチなことを言わずに一晩中。僕個人としては、きらびやかな夜景などもういらない。実の伴わないものは虚に過ぎない。
 東京タワーが美しかったのは、まだまだ闇が深かったからだろう。
 マンハッタンのスカイラインを背にした花火はたしかに美しい。しかし、真暗なビル群を覆う無数の窓ガラスに乱反射する花火は、何百本もの光る滝のようではないのか、と思うのだけれど。
 静かな住宅街の暗い窓に映る月を見上げながらそんなことを考えていた。
 闇があるからこその光。<光 vs. 光>では何も見ることができなくなってしまい、そこに光がある事すら忘れてしまう。
 灯りは人類にとって大きな発明であったはずだ。生活を夜という時間の中にくれた。そして、あまりの明るさのために、今、地球は輝く闇のようになってしまっている。手遅れになってしまう前に、本物の闇の中で目をこらそう。灯が見えてくるから。それがどんなに美しいか。
 闇があって、初めて光は存在することができる。

 外では雪の降る音がする。テントのジッパーを開いて足を踏み出した。まだ誰も歩いていない、うっすらと光を抱き込んだ雪面は、6年間のホームレス生活を帳消しにできるほどに美しかった。 見当たる灯りはといえば、少し傾いた三日月と遠くに見える街灯だけ。

 夜に昼は求めないし、夜の美しさを感じていたい。
 食糧危機で暴動まで起こっているのに、聖火リレーはいらない。
 もっと高く、もっと速く。いったい誰のために?銭儲けと、政治の道具としてのオリンピックはもういらない。
 戦争は言うまでもない。
 部屋にだって、本を読める程度の灯りがあればそれでいい。

 昭和の初期、「陰翳礼讃」の中で明治の光を見つめる谷崎潤一郎の目は、今、僕たちが昭和の中頃、そして明日の光を見る目と似ていたのかもしれない。
 
 僕の好きな随筆のひとつです。興味のある方は読んでみてください。
陰翳礼讃
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by seikiny1 | 2008-04-24 08:49 | 思うこと
春を待つ?
春を待ちながら、どこかでそれが来ることを怖れている。もう、すぐに来ることは、わかっているのに。

ここ数週間、朝起きたら、まずは大きく窓を開ける。外気の温度を体感するために。日陰が多い上、ビル風も吹くマンハッタンは、アパートのあるブルックリンより数度は低いはずだ。それでも、
「明日あたりかな……」
春の朝を迎えるのは。

冬の間も、朝の30分を外で過ごすのを日課としていた。僕にとって、なくてはならない時間でタバコとコーヒーが相方で。
ただ、場所だけは夏の間とは違う。寒い日々日には、ホテル前に屋根と二方の壁を持つ大きな車寄せが僕のアジトだった。巨大な屋根と壁がどれだけ寒さを和らげてくれたことか。
それでも百人百様で歩く人達を眺めるのは面白く、ビルの谷間とはいえ開放空間はやはり魅力的で快適だ。春の来るのが待ち遠しい。また広々とした世界へと戻ることができる。

習慣を変えるということは、それに付随していた諸々のことも同時に失ってしまうということだ。

いつも前屈姿勢で、重そうな身体を彼女なりの早足で運んでいく黒人の老婦人。僕の前を通る時には必ず”Good morning!” と笑顔を向けてくれる。
腰を下ろしながらタバコに火を点けると、たっぷり20分ほど携帯電話でおしゃべりに熱中するヒスパニックの女性。
New York Timesを広げ、ドーナツとコーヒーの朝食を終えると、マッチでゆっくりと火をつける。おいしそうに葉巻をくゆらす男性。
うつむき加減で腕を組み、いつもゆっくり、ゆっくりと北から東へと抜けていく東洋人女性。
回転ドアから吐き出されてきた客を見つけると、笛を鳴らしてタクシーに合図を送りながら早足で駆けよりドアを開けるホテルの従業員。
春は、そんな名前も知らない常連達との別れの季節でもある。もちろん消えてしまうのは僕だけではない。

夏の朝陽の下で彼らのことを一度くらいは思い出すだろうか?
常連の誰かが、僕の姿を思い浮かべることはあるのだろうか?
次の冬に何人と再会することができるだろう? 
僕が消えてしまっているかもしれない。

帰りの電車では、鼻に春を感じる。
「しまった!」、混みあった車両内には、ちょっと酸っぱい春の臭いが立ちこめている。それでも次の駅に着かぬうちに、もう既に順応していた。

明日は別れの日かもしれない.
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by seikiny1 | 2008-04-23 19:24 | 日ごろのこと
借金の夜
 自分で思っているほど体力がないのかもしれない、たまにそんなことを思う、深酒をした翌朝は。一日を棒に振ってしまうこともしばしば。
 土曜日は、予定外の楽しい酒となってしまい気づけば午前3時。その日の午前中はそこで打ち止め。午後に起き出して、この30年ほど習慣となっている、酔いぬけのラーメンをすすすりながら、胃が悲鳴を上げているのを感じる。
 それなのにその日の飲み会は、以前から決まっており行きたいし。その上、月曜日はあたり前の話だけれど、朝から仕事をしなければならない。
〈マモリ〉に入って飲む酒は、いつもほど味はせず、気分もいつもの緩やかなカーブを描いて右肩上がりとはいかなかった。チビリ、チビリとなめるようにビールを飲むこと数時間。それでもいい酒で、最後の頃はご機嫌になったり、ボーッとしていたり。

 おかげで今朝は目覚めも鮮やか。気分も快調。朝飯もうまい。
 パンを食べながら思ったのは「あー、最近は借金をしながら酒を飲んでるなー」ということ。楽しい酒の翌日には、つけが回ってくることがよくある。何も考えず、暴走をしてしまう大人気ない飲み方が原因なのはわかっているけど、止まらない。楽しみは止まらないし、止めたくない。そして、翌日はゴロゴロとして一日を失ったり。翌日の楽しみの分まで前借りをして飲んでいる。
 それがいいとか、悪いとかではなく、「人間が楽しむことのできる数量というのは、きっと決まっていて、ただそれを借りたり、貸したりしているだけなんだろう」ということ。苦あれば楽あり、とはちょっとニュアンスは違うのだけれど。
 楽しいことだけではなく、喜びも、悲しみも、苦しみだって手持ちの量というのは決まっているのだろう。

 さて、これからはどう工面しながら生きていこうか?その前に、バランスシートを調べておこうか。少し怖い。楽しみの量が自己破産寸前でありませんように。
 喜ぶべきか、悲しむべきか、今週大酒を飲む予定は今のところナシ。

 深酒は 幸せの前借り。
借金の夜

 自分で思っているほど体力がないのかもしれない、たまにそんなことを思う、深酒をした翌朝は。一日を棒に振ってしまうこともしばしば。
 土曜日は、予定外の楽しい酒となってしまい気づけば午前3時。その日の午前中はそこで打ち止め。午後に起き出して、この30年ほど習慣となっている、酔いぬけのラーメンをすすすりながら、胃が悲鳴を上げているのを感じる。
 それなのにその日の飲み会は、以前から決まっており行きたいし。その上、月曜日はあたり前の話だけれど、朝から仕事をしなければならない。
〈マモリ〉に入って飲む酒は、いつもほど味はせず、気分もいつもの緩やかなカーブを描いて右肩上がりとはいかなかった。チビリ、チビリとなめるようにビールを飲むこと数時間。それでもいい酒で、最後の頃はご機嫌になったり、ボーッとしていたり。

 おかげで今朝は目覚めも鮮やか。気分も快調。朝飯もうまい。
 パンを食べながら思ったのは「あー、最近は借金をしながら酒を飲んでるなー」ということ。楽しい酒の翌日には、つけが回ってくることがよくある。何も考えず、暴走をしてしまう大人気ない飲み方が原因なのはわかっているけど、止まらない。楽しみは止まらないし、止めたくない。そして、翌日はゴロゴロとして一日を失ったり。翌日の楽しみの分まで前借りをして飲んでいる。
 それがいいとか、悪いとかではなく、「人間が楽しむことのできる数量というのは、きっと決まっていて、ただそれを借りたり、貸したりしているだけなんだろう」ということ。苦あれば楽あり、とはちょっとニュアンスは違うのだけれど。
 楽しいことだけではなく、喜びも、悲しみも、苦しみだって手持ちの量というのは決まっているのだろう。

 さて、これからはどう工面しながら生きていこうか?その前に、バランスシートを調べておこうか。少し怖い。楽しみの量が自己破産寸前でありませんように。
 喜ぶべきか、悲しむべきか、今週大酒を飲む予定は今のところナシ。

 深酒は 幸せの前借り。
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by seikiny1 | 2008-04-22 07:45 | 日ごろのこと
ステップ
朝、いつものように一つだけ電車をやり過ごす。慌ただしく乗り降りする人たちから少し離れて立っていた。
車両の扉の下に何気なく目をやると、そこには車体から少し出っ張ったように鉄製の板が渡されている。編目模様に彫られた滑り止めの角は、何百、何千万組の足に踏まれすり減ってしまっていた。

こんな目付きを数年前にしていたことがある。
イタリアの古い教会の脇に佇み、塔へと続く大理石製の階段に見入っていた。
数百年もの間、こちらも何百、何千万組の足に踏まれ続けてきたのだろう。人がようやくすれ違えるほどの階段は、どの板も、ちょうど真ん中のあたりがすり減り、緩やかな孤を描いている。人間の力。時間の永続性。信仰心。そんなことを考えさせられる、薄暗がりにあるくすんだ階段だった。

地下鉄のステップと教会の階段。どちらも同じ光沢を持ち、艶をたたえている。
大理石の階段は、これからもたくさんの人々を天に近い場所まで運び上げるのだろう。

次の電車が入ってきた。
まだ角の荒々しさの残るステップを踏んで乗り込む。表情のない録音音声が次の停車駅を知らせる。
この街からも消えつつあるものがある。それでも人々はステップを踏み続ける。少しでも前へと進むために。
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by seikiny1 | 2008-04-17 00:41 | 日ごろのこと
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