ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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にくづき
 もう30年くらい同じ体重で生きているから、肉付きはそんなにいいほうじゃない。ただ、昔なつかしの筋肉がぜいに肉に変わり、もともと悪かった腰をささえきれなくなったらしい。

 腰痛三日目もなんとか津波におそわれることなく終わりそうで、それでもまだまだ油断は禁物だ。いつ、なにが起こってもいいように。
「あ、今、爆弾が火を噴いたら間違いなく逃げ遅れて死ぬな。あいつがそばにいたら助けてくれるかな?」
 まだひんやりとした空気の残る地下鉄への階段を下りながら、そんなことを冷静に考えていた。
 なんといっても腰は体の要なのだから。走ることなんてできない。おまけに朝が一番つらい。腰痛で逃げ遅れるというのもまた人生か。壁にぶつかり、転がりまわり、踏みつけられて。

 とにかく起き上がるのが死ぬほどしんどくて、「なにかいい方法はないか」と検索をしてみると〈腰痛NAVI〉など、色々な腰痛情報の載ったサイトがある。そんなわけで昨日以来、「腰」という文字が頭からはなれない。
「体の要ということはわかるけど、どうして月という字が『にくづき』と呼ばれるんだろう?まさか『肉付き』のダジャレじゃないだろうし……」
 漢和辞典で調べてみると、その部首解説がなかなか難しい。同じ月でも離合集散を繰り返していて、説明を読みながらなんとか党の派閥を思い出してしまった。まぁ、簡単に言えば、「『にくづき』というのは『肉』という字を省略化して月にしてしまった」らしい。
 言われてみれば『なーんだ」と思ってしまうけれど、この頭の中で記号化されてしまっていて、それでもどこかでくすぶり続けていた「うん、月はわかる。でもなんで肉なんだ?」という疑問が氷解するとなんだかビールもおいしくなってくる。
 
 好奇心をいつまでも忘れちゃいけないな。体の要がこわれるような歳だから、頭のほうだけは壊さんようにしとかんと。それにしても周りは知らないことばかり。だから歩いていこうと思うし、転んでも立ち上がることができる。腰痛からひとつ学んだ一日でした。

 腰痛になる前の晩、おぼろ月を見上げていた。




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by seikiny1 | 2007-09-25 09:06 | 日ごろのこと
7ヶ月目の再会
「ウン、ウン。なるほど。やっぱりそうだったか」
 ひとつひとつがふに落ちていく。そんな、古い週刊誌の占い欄を読んでいる気分になることは誰にでもあることと思う。昨日の朝の僕がそうだった。

 たしかに、ちょうど一週間前から「?」という感触を何度か味わっていた。違和感に似ていないことはないけれど、ちょっとだけ違っている。ああいったものを予感というのかもしれない。
「言っただろう!」
「ほらみてごらん」
「あー、あ。やっぱりな」
 感じているだけでは、まだまだ予感としての資格が不十分だ。口に出してこそ、実行ししてこそ、そしてなによりも、ことが起こってこそ胸がはれるというもの。人は的中した者のことを予言者、はずれた者のことをホラ吹きと呼ぶ。かたやいかめしい顔をして、かたや楽しそうな顔をしているのは、いつ立場が入れ替わってもおかしくないことを本人たちが一番知っているからだろう。ね、有名な占いの先生。

 自分の中でも予言者とホラ吹きがよく入れ替わっている。口に出すことがないので、どちらの名で呼ばれたこともないけれど。
 ただ、今回だけは予感にしたがってみることにした。予感していたことが悪いことであり、前回が悲惨だっただけに、あたらなければ「あー、外れちまった。よかったよ」と笑い飛ばすこともできるから気楽だ。そういえば、今まで予感というものに従いなんらかの準備をしたということがない。

 懐中電灯のある場所はわかっている。電池は入っているか?
 たまたま手元にあったトランジスタラジオのおかげで、数年前の大停電は結構気分が楽になった。
 おかずとしての缶詰はあるけれど、非常時という意識はない。
「飲料水を用意しておかなければ」と思ってもすぐに忘れてしまう。

<準備>と書いてまず思い浮かべるのが災害グッズというのも悲しいものがある。住んでいる社会が悪いのか、場所が悪いのか。いや、一番の問題は自分の中にあるのかもしれない。
 頭のどこかで、誰かが「予感に忠実であれ」とささやいてでもいたのだろうか、とにかく今回だけはそれなりの準備をしておいた。
 予感は的中した。
 昨日の朝、台所の椅子で「ズキッ」。いやな感触が走る。すぐに用意しておいた腰痛ベルトで腰を固めることに。ひたすら安静にしていたのがよかったのか、2日目の今日も何とか歩くことはできる。つらいのは寝返りと、ベッドを降りるとき、椅子から立ち上がるとき。まだ、なんとか杖の世話にならずにいられるから今回はまだましなほうだ。

 気がかりなのは、2日後の月曜日。下り坂になっているか、上り坂になっているか。もうできることはあまりないので、あとは天にまかせるばかり。
 古い雑誌の占い欄を見るのはきらいじゃないけれど、これからは勇気を出して最新刊ものぞいてみようかと思う週末の出来事でした。

<適度な運動も必要>ということらしいので、ビールを買いに行くことにします。




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by seikiny1 | 2007-09-23 06:15 | 日ごろのこと
Lost in Translation
 別に意識しているわけではないけれど、「近代美術館」と言う。”The Museum of Modern Art”とフルネームで呼ぶ。MoMAと呼びたくない。

 封切の映画を観ることはほとんどなく、最後に観たのがいつ、どこで、なにだったのかすら思い出せない。映画はもっぱら近代美術館で観る。年会費を払い、会員になってしまえば、上映される映画をいくらでも観ることができるから。僕の中で映画の位置はその辺りにあるのが心地いい。
 地下にある映画館では、時おり、遠くを走り抜けていく列車の音が響いてくる。まだうす明るい館内には見かける顔があちらにも、こちらにも。開演時間を新聞に目を落としたり、なじみの人とおしゃべりしたりしながら待っている。あかりが落とされてから入ってくる人もおり、終演後に見渡してみるとガラガラだった席がほぼ埋めつくされていることもそう珍しいことではない。
 先週の日曜日には、遅まきながらLost in Translationを手ぬぐいでマスクをしつつ観た。開演直後、前に腰を下ろした女性の香水がくさくて、くさくて。
 内容は「フンフン」といったところ。外国に暮らす身である僕は共感できるところもあったけれど、日本人でもある僕には「?」と言うところももちろんある。映画=娯楽の僕の目には、そつなく作られた優等生の作品という印象だった。もちろん、監督の年齢やキャリアを考えたら拍手喝さいものかもしれないが。

 外に出てみれば、あたりはすっかり暗くなっておりおなかのほうも少しさびしい。人ごみを見ていると。なぜかビールが飲みたくなってくる。そういったわけで向かったのが、少し前の記事にも書いたラーメン食堂。
 無言で「ポンッ」と放り出されたメニューの落下地点であるテーブルへとつく。
 まぁ、ラーメン屋の定番とでも言うべきビールと餃子、それに味噌ラーメンを注文することに。ちょうどその頃、隣の席に年配のウェイターさんが注文の品を持ってくる。フランス語でおしゃべりにこうしていたカップルは、料理の量にびっくりしたのか。それとも、イメージと実物のはざ間にはさまれてしまったのか、一瞬の沈黙があった。それでもまた、楽しそうに、そして、おいしそうにカツカレーとチャンポンをたいらげていく。
 最後の餃子をビールで流し込んだあとだった。お皿をさげに来た、先ほどとは別のウェイターさんが隣のテーブルを見て、「ギョッ」とした顔をする。それからは、ひたすら平身低頭であやまりはじめた。どうやら、麺のほうが注文のものとは別のものだったようだ。その言葉がわかっているのか、わかっていないのか、あっけにとられている二人。それでも、彼が謝っていること、どうやら料理に「なにか」問題があったことはわかった様子だ。麺をはさんだ箸は宙で止まってしまい、その行き先を忘れてしまっている。ウェーターさんはすっかり相手を飲み込んだあと、カウンター奥にあるキッチンの方へと走り去っていった。
 「災難が去った」とでも思ったのか、その後二人にはまた楽しい時間に戻ってきた。

 ニコニコ顔の彼が再び彼らの真横に立った。まだ湯気の立つ大きなどんぶりを持って。
「さぁ、ご注文の品です。Enjoy!」
ほとんど食べ終えられた最初のどんぶりをさげ、新しいどんぶりをテーブルに置いて去って行く彼の後姿はどことなく満足感にあふれている。一方、さらなるどんぶりを置かれた二人は。
 顔を見合わせて、再度の絶句のあとに苦笑。それでも足りないのか、僕のほうに笑いかけてくる。
 それでも、 僕がラーメンを食べ終える前には新たなるどんぶりを完食し、立ち上がる。うらやましい胃袋だ。

 しばらくして、器を下げにきた先ほどのウェイターさんの後姿はどこかさびしげだった。
 よく見てみると、あるべきはずのものがテーブルにない。
 チップは0ドル。
 習慣の違いか、それとも腹が立ったのか?
 今となっては、彼にその真の理由を知るすべはない。

 NY在住の異国人。異国から訪れる人たちにはニューヨーカー接し、彼らもそう思い話しかけてくる。
 この街に一日、いや一時間でもいれば誰でもニューヨーカーになれる。それは、それぞれの人の持つ習慣や性質の違いに巻き込まれていく言ということもできる。
 ニューヨークはやっぱり不思議な街だ。不思議な力を持つ街だ。



ニューヨーク近代美術館 上映スケジュール

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by seikiny1 | 2007-09-16 06:57 | ニューヨーク
パニック
 まるでパニック映画のひとこまを見ているようだった。

 外でランチを食べているときに見たつむじ風は予兆だったのか?
 ばらばらになった新聞紙は、弧を描きながら空に吸い込まれるように舞い上がっていく。
 食後のいっぷくを楽しみながら見上げたビルの間に見え隠れする小さな空は、だんだんと黒味を増していっていた。
「雨がきそうだな」
 そういえば、昨日の予報では月曜、火曜と傘のマークが出ていた。今朝、なにげなく見上げたビルの壁には、「大型のハリケーンがノースキャロライナ州を通過中」との赤い電光掲示が出ていた。話はそれてしまうけれど、ハリケーンを”She”で扱う感覚は好きだ。
 条件はそろっている。

 それでも、のんきなもので、ボーっとしながら10分ほど街を見ていた。
 再び目を上げたときには、西の空に雨が降り始めていた。こちらでは曇り空ながらもしずくのひとつも落ちてこないのに、あちらではかなり大粒の雨が落ちている。
 そうこうしているうちに、西の方から駆けてくる人の群れを追うように雨が近づいてきてしまった。雨はどんどんと人間を追い越していく。
「ポツン」と来た瞬間に立ち上がり、雨の足音に追われぼくも走り出していた。
 逃げ惑う人々の中には転げてしまう者、屋台や信号待ちの車にぶつかってしまう者、買ったばかりのランチを落としてしまい踏みつけられる者、そんな人たちがまるでブラウン運動のようにぶつかり合いながら思い思いの方向へ走っていく。信号なんか守っている場合ではなく、まさに上を下への大騒ぎだった。
 そんな人たちをよけながら走っているうちに、とうとう雨に追いつかれてしまい、ほんの数秒間でずぶぬれになってしまった。

 われわれはなんと椿事に弱い生き物なのだろう。学んでも、忘れやすい動物なのだろう。日ごろ心に言い聞かせていることなんか、ほとんどの人にとって無用のちょうぶたうのようだった。
 それにしても自然の力のなんと大きく、その前で僕たちがいかに無力であることか。

 30分ほどして見上げた空はもう青空で雨のかけらもない。
 そういえば、あの日も抜けるような青空だった。
 ニューヨークは、明日、9月11日を迎える。
 この6年間でなにが変わったのだろう?なにかが変わったのか?



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by seikiny1 | 2007-09-11 08:53 | ニューヨーク
ヤンキースがきらい
「アメリカにいる理由はスポーツ観戦、ただそれだけです」
 僕の知り合いの中にすらこんな人がいるくらいだから、この国でスポーツに興味がない人間は確実にマイノリティーだろう。
 野球、バスケットボール、フットボール、ホッケー、サッカー、テニス……。
 プロスポーツというものにまったく興味がない。ただ、
「スポーツ?観ないよ。たいくつだもん」などと言おうものなら、質問や説教であとが面倒くさいからあまり言わないようにしている。ましてやアンチであることを言おうものなら。

 それでも、スポーツ観戦にまったく興味がないわけではなく、野球も大詰めをむかえようとしているこの時期は結構気になったりもしている。
「負けたかな?」
「負けちまわないかな」
 僕はニューヨーク・ヤンキースがきらいだ。
 札束で頬をたたき選手を集めてくる。紳士集団だと公言し、思い込んでいる。
 そういった理由がないでわけではないけれど、もっと奥深いところでその存在をきらっている。理由ではなく本能できらっている。かといって、他に好きな球団があるわけではなく、ただ、ヤンキースがきらいというだけ。
 これはヤンキース・スタジアムで「レッドソックスが好きだ!」と叫ぶことより危険だろう。この危険ということがが許せない。
 
 10年ほど前、年上の人にきかれたことがある。
「で、あんたはメッツとヤンキース、どっちなの?」
「えっ?どっちも。興味ないっすよ」
「あっ、そうなんだ。俺はメッツだねー」
「エー、なんでですか?ニューヨークの人は圧倒的にヤンキース派なのに」
(その頃は、長い間、不振続きだったヤンキースがやっと復活の兆しを見せ始めていた頃だった)
「うん。ヤンキースはね、やさしくないんだよ。特に、俺たちみたいな他所者にはね……」

 このごろになって、やっとその人の言わんとしていたことがわかってきたような気がする。

 アンチ。
 その感情は「死んでもあいつの世話にだけにはなりたくない」、そんなものに似ているのかもしれない。アンチというと、とかくひねくれもののように思われてしまうが、誰もがいくばくかのアンチを持っているはずだ。アンチという感情が削り取られる世の中は、考えてみただけで怖ろしい。牙を失った動物たちが群れているだけ。

 好き、嫌い。
 僕たちが動かされるものの中には〈嫌い〉という感情がばねになっていることの方が圧倒的に多い。〈嫌い〉というエネルギーを転化できるのが人間という動物の特徴でもある。
 
 肉食が嫌いでベジタリアンフードはおいしくなり、広まった。
 肥満する自分を許せなくてダイエットをする。
 自民党にはこりごりだから民主党を選びました。

 野菜が大好きだった人は少なかっただろう。 
 ダイエットの最初はやはりつらいものだろう。
 民主党がとりわけすぐれているとも思えない。

 ゆっくりと流れる大河に船を浮かべるのは気持ちいい。しかし、忘れないで欲しい、板子一枚下は地獄であるということを。飼いならされ、牙を抜かれたら噛み付くことすらできないことを。

 アンチで行こう。
 ヤンキースきらいの自己弁護です。
 夏の終わりに、Damn Yankees!


追記〉先日、イチローが激怒した。



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by seikiny1 | 2007-09-09 04:57 | アメリカ
夏の終わり
 アメリカのカレンダー上では夏も今日で終わり。そんな線引きなどなんの意味もないのだけれど、まぁ、ひと区切りといったところか。
「マーカーはいらないの?鉛筆はあるか?」
「あ、ごめんなさい。ノートがいるんだった」
 ふらり、と入った文房具屋では、新学期を目前にひかえた親子連れが目立つ。
 レーバーデイの今日は夏休みの最終日で、日本での8月31日にあたる。そんな日にはてんやわんやな思い出しかない。
 丁寧に宿題のバッグを縫い上げるというよりも、布を切って裏側をボンドで貼り付けるといった感じに近く、新学期へ向けて万全と準備をするというよりも、なんとかカタチにしてのける日という方が正確だろう。夏の終わりをしみじみと味わうゆとりは、9月の半ば頃まではお預けだった。

 ニューヨークではこの10日間ほど涼しい日が続いており、毎朝、去り行く夏の日を惜しんでいる。まるで、あのうだるような日々がなかったかのように。去り行くもの、去ってしまったものはどこか懐かしく、甘い。憎いあいつでさえも。
 時間のマジック、それは憎しみすらをも笑顔に変えてしまう。

 父親からなぐられたこと。
 失われてしまった風景。
 裏切られたあの日。
 別れたガールフレンド。
 変わりゆく人々。
 当時、まったく別の場所にあった感情は、こうして思い出してみてもなかなかでてこない。
 なにかが去り、なにかがやってくる。
 なにかが去らなければ、なにもやって来はしない。
 コップはいつもなみなみと水をたたえたたずんでいる。あふれることもなければ、乾上がることもなく、まるで「それが生きていくことだ」と語りかけてでもいるように。
 時がすべてを解決してくれるわけではないけれど、少なくともオブラートに包み込んで引き出しの片隅に放り込んでおいてくれる。ふと思い出してなめてみて苦くないのは、一度コップの外に出てしまったから。今あるコップの水をおいしく飲んでいるから。今がなければ苦いものはいつまでも苦いまま。

 さてさて、飲んだ瞬間に口中に広がる苦い酒がいいのか。それとも、いつまでも後口に残る甘い酒がいいのか。

 失われゆくものを惜しむことは大切ではあるけれど、その旅立ちを喜んでやることも欠くことはできない。というよりも、そう思い込もうとしている。ここにあるコップは決して大きくならないのだから。

 昨日は、朝起きてまず晩飯を作り、それから昼飯(弁当)、朝飯の順でこしらえていった。コニーアイランドへ行くために。
 夏が終われば再開発がはじまってしまい、今の姿はこの夏で終わり。その姿を眼に焼きつけておくために、生まれて初めて晩飯から作っていった次第。最後となる懐かしいビーチへと足を下ろした瞬間に、そこは郷愁の地でも、失われつつあるものでもなくなった。あるのは、今という夏だけで、誰もが笑顔で今という時間を楽しむ。
 あの夏があり、この夏があり。50年後、100年後のこの地に郷愁を感じる人もいるだろう。そのためにもコニーアイランドにはいつまでも生き続けて欲しい。夏の笑顔を絶やさぬために。

 どこまでも続く、広々としたボードウォーク。夕暮れにそこで見かけた彼女の去り行く姿はなんだか笑っているようだった。



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by seikiny1 | 2007-09-04 06:38 | 日ごろのこと
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