ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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ナポレオンにはなりたくない
 アスパラガスの夢を見た。
 同じようなシーンが、寝付いてから起きるまで何回も、何回も繰り返される。下の方の硬い部分をむいて、ガスの前に立つ。アスパラガスはなぜかひもで束ねられていて、沸き立つお湯を前にして、「この鍋小さいなー」とボヤくところで終わり。とうとう食べることはできなかった。あの夢はカラーだった。

 夢を見るのが好きだ。だから眠るのも大好きで、最近ではちょっと短めになってしまったけれど、最低8時間の睡眠時間は持ちたい。6時間を切ることを許したくはない。
 もちろん、なにかをやるために睡眠時間を削らなければならない時だってあるし、それは仕方のないことなのだけれど、
「人生は●●年。一日の睡眠時間を▲時間削れば、他人より■年分長く生きることができる」などという人の真似をしたいなどと思うことはない。
 僕にとって夢を見るということは、その人が起きていて何かをすることに匹敵する。いや、層倍する、と自家製の論理を盾に自分を正当化して胸を張って眠りたい。限られた持ち時間をどう使おうとその人の勝手で、同時にその石を投げたことではね返ってくるしぶきや石くずも受け止めなくてはいけない。寝坊して遅刻をしたら廊下に立たされるかもしれないし、睡眠時間を削って昼飯のあとに居眠りをしたら教師に殴られるかもしれない。もしかしたらどこかで天才が開花して、ナポレオンのような人間になるかもしれない。すべては自分の人生で、自分で受け止めていかなければいけない。

 持ち時間を調べてみた。
 厚生労働省の発表によると、日本人男性は約78.5歳、女性は約85.5歳で、その差は7年間。
 女性の方の持ち時間が7年分多い。
 長生きすることをうらやましいとは思わないけれど、時間があるということはゆとりにつながっていく。大事を前にして女性の方が落ち着いていたりするのは、どこかでそのゆとりを感じ取っているからなのかもしれない、などと変に納得がいってしまう。

 出かける前には待たされる。ウトウトしだした頃に布団にもぐりこんでくる。トイレに立ったらなかなか帰ってこない。「いったいどこを洗っているのか?」と不機嫌になったり、「倒れてんじゃないか?」、と長風呂を心配することも最近ではなくなった。
 こうやって並べてみると、女性は7年間分くらいは女性であるためにその時間を費やしているようにも見える。



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by seikiny1 | 2007-08-29 08:49 | 思うこと
月末仏教徒
月の終わり、街ではさまざまな不用品と出会うことができる。

「ちょっと、ちょっとあなた」
(おっ、なにかあるな)と思いつつ、通り過ぎようとする僕を誰かが呼び止める。その声はありがたい天からのものではなく、過去数十秒間、僕の視界の中にいた女性の口から出ていた。時は、蒸し暑い日曜日の昼下がり。処は、車も人もあまり通らない住宅地。
「こんなところを見知らぬ男が歩いていたら、泥棒の下見か変質者と思われるかな?」、と数分前に考えていたところだった。

「えーとねー、えーとねー」
 フェンスにぶら下げてあるプラスチックバッグの中をまさぐりながら女性はなにやらつぶやいている。
不要な物を袋に入れ、フェンスにぶら下げておく光景はこの街ではそう珍しいことでもない。小さくなってしまった洋服、聴かないレコード、買い替えでお役ごめんとなったエアコンなどなど。誰かにとって不要な物でも、他の誰かにとって価値があることは珍しくない。ただ、そういう暗黙のシステムが機能するか、しないかというだけで。
「これでしょ、それとこれ、まだあるはずだけど……。ところであなたってブッディスト(仏教)だよね」
 もちろんこの女性とは初めてお会いしたわけだけれど、葬式ブッディストの僕は浅く首を縦にふる。熱心な信者ではなく、今のところは葬式や法事、困った時にしかならないけれど、この先はわからない。実は「般若心経」を一巻持っている。それというのも、父親の死の後に初めて帰国した折りにお寺さんでいきなり詠まれたのがこれだった。
「なんかポピュラーでありがたみがないな。坊さんズルしてんじゃないのー」、そんな疑惑のもとに買い求めたのがこれだった。その内容はいまだに解明はできていないが、とにかくうそをついたわけではないし、興味はある。この出会いだってきっとなにかの縁だろう。
 東洋人を見ると、ついついブッディストと思ってしまうアメリカ人も決して嫌いじゃないことだ、ありがたく受け取ることにした。

 彼女に手渡されたのは合計5冊の本だった。どれも仏教関連のもので、その中には見覚えのあるエンジ色と黄色の写真が。ダライ・ラマの本だった。
「ステップサンがこの間引っ越した時に置いていったのよ。無駄にならなくてよかったわ。あなたに会えてよかった」

 まだ読み始めてはいないけれど、これもなにかの縁。以前から思っていたのだけれどダライ・ラマと僕のじーさんの顔は似てるな。

 生まれ変わりというものはあると思う。
 縁というのも確かに存在する。これだけでも立派な仏教徒なのかもしれない。



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by seikiny1 | 2007-08-27 08:33 | 日ごろのこと
The Dock of the Bay
「ねぇ、ちょっと、ちょっと」
 少年が手まねきをする。
「バスの中でいっしょだったの覚えてる?」
「うん」
「あのさ~、お願いがあんだけど」
「どうした?」
「さっきまで立ってたとこに僕も連れてってよ。ほら、あそこに赤いボートが見えるでしょ。もっと近くで見たいんだ」
「うーん。ちょっと待ってて。お父さんに聞いてきてあげるから」
「お願いだから、僕がたのんだなんて言わないでよ」
 少年の声が追いかけてくる。

 バスを乗り継いで海辺へやってきた。ニューヨークのいいところは交通費が安いということ。Metrocard(NY市交通局発行のプリペイド・カード)さえあれば、有効期限内はどれだけでも地下鉄とバスに乗ることができる。それほど人や建物が密集していないこの街では、1時間もゆられていれば、普段とはまったく別の世界へ足を下ろすことができる。それでも、地下鉄駅の周辺はどこもそれなりに発展していて、気まぐれで、せっかちな旅人は、
「うーん、なんかピント来ないな」などと勝手なことをつぶやく。
 終点は低所得者用の集合住宅群、倉庫街を抜け、しばらく行ったところにあった。涼しかった一週間のあとに戻ってきた夏の日だったけれど、埠頭まで歩く間にすれ違う人も少ない。

 こびを売る事を知らないカモメ。
 地べたで日向ぼっこをする鳩。
 沖には数艘の船が停泊している。
 時折、どこからか聞こえてくるチャイム。
 なにより、波の音、風の音を聞くことができる。
 忘れ去られたこの波止場にも、少しずつ開発の手がつきはじめている。
 それでも、まだまだ時間はゆっくりと流れ、時計は要らない。

 不便はいいな。時として自由より貴重ですらある。自由というものがあるからこそ、不便を楽しむこともできるのだろうけれど。不便は僕らが本来あるべき姿なのかもしれない、そんな無責任なことを思ったりする。
「神様、どうか少しの不便さくらいは残しておいてください」

 海面をはねるようにして通り過ぎていくモーターボート。
 観光客を乗せたヘリコプターが何機もバタバタと飛び回っている。こんなものはいらないけれど、不便を楽しむためには我慢をしなければならないのだろう。いや。不便の引き立て役か。

 帰りのバスのことをすっかり忘れていた。


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by seikiny1 | 2007-08-26 07:50 | 思うこと
ニューヨークのアマゾン
「ガチャッ、ジー」
「ガチャッ、ジー」
「ガチャッ、ジー」
 ………
「あ、だめだ」

 今では、その影もないけれど、かつてはかなりの新し物好きった。
 最初のコンピューターを手に入れた翌日には、プリンター欲しくなっている。もちろん当時はレーザーやインクジエットなんてものはなく、その音には寝た子も起きるドットマトリクスプリンタが王道だった。簡単に言えば、進化したタイプライターだけれど、迷うくらいだから値段も決してお手軽ではない。今となっては、普通のコンピューターショップではなかなかお目にかかれない代物になってしまった。
 もちろん、当時グラフィックなどはごく一握りのプロのすることだったし、デジカメなんかが登場する気配もない。 

 最近ではコンピューターを買えばプリンターがおまけについてきたりする。
 特売品のプリンターなどは、本体が内蔵されているインクカートリッジの額と変わらないものや、時としてそれ以下のものすらある。不思議な世界だ。
    

「ガチャッ、ジー」
 以前では考えられないスピードで、きれいなプリントアウトが出てくる。
「ガチャッ、ジー」
 赤児も起きないだろう。
「ガチャッ、ジー」
 色がついている。
「ガチャッ、ジー」
 紙の両端に穴なんか開いていない。
「ガチャッ、ジー」
 コピー用紙が使える。
「ガチャッ、ジー」
「あ、また失敗しちゃった。やり直しだ」
「ガチャッ、ジー」
「あれ?」
「ガチャッ、ジー」
「おかしいな?」

 十数年前、「ペーパーレスの時代がやってくる」と言われていた。
 実情はこの通り。
 アマゾンの木よ元気かー?




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by seikiny1 | 2007-08-16 09:36 | 53rd stories on 53rd
ご飯と納豆
 お米がない。
 さし迫った問題ではないけれど、「大丈夫」と思ってはいても、心のどこかで時おりゴロン、ゴロンと音が鳴る。これが不安ということなのかもしれない。

 遠い昔のこと、父の友人が海外旅行に行くことになり「米と、醤油を持っていく」という話を聞きながら、子供心に「バーカ」と(今思えば)失礼なことを飲み込むのに苦労していた。
 いざ自分がアメリカへ来てみると、カリフォルニア米の予想外の美味しさ、安さにびっくりする。身体のどこからか「これまで通りに米が食える」という喜びに似たものが、恥ずかしながら湧き出てくるのを感じていた。
 バスを使っての大陸旅行中のある日、ネブラスカにあるうらびれたタイ料理店で食べた米の味、再会の喜びは今でも忘れることができない。
 ご飯に醤油をザブザブとかけるアメリカ人を初めて目にしたのはそれにしても衝撃的だった。
 そういえば、ホームレスになる直前には、「安いメキシコ米をいかに日本風に炊き上げるか」という大問題を前に四苦八苦しており、なってからは、スープキッチンでたまに出会うパラパラのお米にも感激をしていた。

 冷蔵庫を開ければ肉があり、野菜や保存食もある。テーブルの上にはパンがのり、戸棚の中にはパスタ、ラーメン、うどん、そば、そうめんもある。ただ、米だけがない。この不安はなんなのか?

 昨日、やっと重い腰を上げて日系スーパーへと行ってきた。
 何種類もの米が積み上げられた様に安心という言葉を思い出してしまった。ただ、見ているだけでも心が充足してくるのがわかる。
「おっと……」
 親を探してみた。いるにはいたけれど、子供のいる場所を確認しながら品物探しに忙しい。ここを遊園地と勘違いしているのか、一言のお叱りもない。
 積み上げられた米袋の上に5歳くらいの男の子が(いや、ガキと呼ぼう)足をばたばたさせながら座っている。子供の所在を確認するためだろうか、たまに目を向ける母親。
 ため息をつきながらそのガキに足を向けた時、退屈してしまったのか、それとも僕がよっぽど怖い顔をしていたのか、ガキは母親の元に走り去ってしまった。

 熱烈な水戸黄門のファンじゃない。
 農家に生まれたわけでもない。
 米の一粒に生死をかけた思い出は幸いなことに今のところはない。
 〈ご飯食い〉ではあるけれど、死ぬほど好きだという意識はない。
 それでもご飯茶碗の中をきれいにせずにはいられない。最後の一粒まで、お新香ですくいあげて食べる。あのガキ家族の食卓やゴミ箱がなんとなくだが想像できる。
 日本に帰ったら給食費はちゃんと払ってね。
 好き嫌いしない(させない)でね。
 よその子が劇の主役になっても先生に噛み付いたりしないでね。
 ごみを落としたら拾おうね。
 列に割り込みしないでね。
 最低でも、なにかをしてもらったら「ありがとう」を言おうね。

 わがままで、ひねくれものの僕は、人間を食べ物やごみに対するスタンスで判断してしまう悪い癖がある。この親子などはサカイ王国の中ではまず懲役間違いなしといったところだろう。もちろん食事はお米だけ。労働は米作り。

 いや、それにしても日本は、日本人は豊かになりすぎてしまったのか。それに慣れて、ズレてしまったのか。
 今朝、温かいご飯で食べた納豆はうまかったな。



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by seikiny1 | 2007-08-13 07:34 | 日本
雨の日
蛍とリスのいる街
鳥のさえずる樹の下で駆け回るネズミたち
固くなったパンを鳩にをやる老婆、その向こうでは駆除に頭を悩ます人
エレベーター・エスカレーターのない駅がほとんどなのに、バスのほとんどが車椅子用の昇降機・座席を持つ
空港では固定料金のイエローキャブの列、たむろする白タクの運転手たち
木の生い茂る庭を空中に持つ人がいて、トンネルに住み暮らす人もいて

30度を越す猛暑の翌日に、15度の日がやってきた
自ら落とした種で再生を繰り返す朝顔
隣の庭では、越してきたばかりの女性が除草機で朝顔を刈りとっている

さてどこにはいりこもうか?





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by seikiny1 | 2007-08-11 07:36 | ニューヨーク
ラーメン食堂の女
「ほんとうに頭にきた時には笑いしか出てこないんだ」
 5年前に出会った人がそんなことを言っていた。

「ハンバーガーを食う気はしないな」
 湿度満点の嵐が通り過ぎた街は30度を越していた。
 暑い日のラーメンも悪くない。色々考えた挙句にラーメン屋、いや、ラーメン食堂に行くことにした。僕の中ではSOSラーメンという名で通っているお店に。
 アメリカには<SOS>という俗語がある。
 Same Old Song, Same Old S●●、……
 色々な解釈があるけれど、要は(いい意味でも、悪い意味でも)、「昔ながらの」、「あいかわらずの」といったところだろう。
 お昼時のピークを過ぎたラーメン食堂。それでも8割がたの席は埋まっている。僕のニューヨーク史が始まったその時にはすでにここにあったこの店は、かたくなにSOSを守っている。いや、決して守ろうとしているわけではないのだけれど、なぜかSOSになってしまっているのかもしれない。

 ドアを入った途端に、
 スタッ、スタッ、スタッ……
 一人の女性が前を歩き出す。「いらっしゃい」を言うでもなく、「こんにちは」と笑顔を向けるでもない。ただ、ただ、スタッ、スタッ、スタッ……。その後姿からは見事なほどにぶれが感じられない。
「ポンッ」
 小さな音を立ててメニューがカウンターに落ちる。
 スタッ、スタッ、スタッ……
 一言も発することなく彼女は去って行った。腰を下ろしながら〈眉ひとすじ動かさず〉という言葉が久しぶりによぎる。

「俺は客なのになー」
 腹がたつとまではいかないけれど、40パーセントの呆れ、35パーセントほどの不快感に包まれてメニューに目を落とす。
 こちらは笑顔で現れたウェイターさんに、僕のSOS。味噌ラーメンと水を頼んだ。

 安くて早いのはこの店のSOS。ものの5分とたたないうちにSOSが出てくる。味の方もSOS。うまくもなく、まずくもない。中庸だとか、凡庸だとかいうものはこんな味がするのかもしれない。ただ、チャーシューまでもがSOSで弁当屋のチャーシューといい勝負だ。一応、ラーメン食堂なのだから、あと少しの工夫か情熱のかけらくらいは味わってみたい。いや、消費税、チップ込みで15ドルもする、うまくもないラーメン専門店が繁盛するこの街でそれを願うのはぜいたくか。
 そんなことを考えながらラーメンをすすっている間にも、
 あちらで「ポンッ」
 こっちで「ポンッ」
 スタッ、スタッ、スタッ……
 時折、彼女の音が聞こえてくる。
 その頃になってくると、先ほどの梅雨空のような気持ちもすっかりと晴れ上がり、僕の胸は期待で高鳴りはじめていた。
「やってくれるかな?」
「ポンッ」
 麺をすすっている僕の横に落ちた。その後に続く足音がもう頭の中では鳴っているのに……。「シャッシャッ」と別の音が聞こえてきた。ごみでも落ちていたのか、腰を曲げた彼女が合皮製の椅子を2度ほど掌で払っている。なにを言うわけでもない。
 スタッ、スタッ、スタッ……

「今日は近所に来たの?」
 カウンターの中にいる人との会話が聞こえてくる。どうやら、隣は昔この店で働いていた人のようだ。その人に対する気持ちの表れが「シャッシャッ」だったのか。

 勘定を済ませた頃、僕の期待は最高潮に達しようとしていた。それをなんとか押さえながら席を立つ。
「ありがとうございました!」 カウンターの中から飛ぶ声にこたえながら右を向くと、いた、いた。
 出口付近にたたずむ彼女は、右斜め上45度の視線のまま通り過ぎる僕を無言で送り出してくれた。眉の毛一本すらも動かさないで。期待は裏切られなかった。
 いいショーを見せてもらった。通りに出ると笑いがこみ上げてくる。怒りの笑いではなく、笑みというものに近いやつが。

 笑えないことというものはそうそうあるもんじゃないらしい。



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by seikiny1 | 2007-08-10 06:51 | 日ごろのこと
愉しみ
最近は、

夕方に、つぼみを数え翌朝に見る朝顔

鉢植えのシソを食べる

少しだけ早起きをしてlocal train(各停)に乗る

そして、もちろん夕方のビール


あぁ、平和だな、のんきだな、しあわせだなー


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by seikiny1 | 2007-08-08 07:43 | 日ごろのこと
純潔
 久しぶりだった。いったいどれくらいご無沙汰していたんだろう?
 辞書の中で〈純潔〉という言葉と再会した。
 知ってはいても、長い間使ったこともなく、感じたこともなく、ほかの場所で目にしたのは遠い、遠い昔のような気がする。少なくとも自分の中にそのかけらすら見つけることはできず、これまでそんなものを持っていた記憶がない。あったとすれば生まれてすぐの頃のことだろう。
 そこには、
「心やからだがけがれていない様子」と書かれていた。
 あぁ、やっぱりないな。少なくとも僕の中には。
 対語として書かれていたのは〈不潔〉だった。
 これならたくさんある。洗濯をさぼったあげくに同じ靴下を二日続けて履くこともあるし、大酒を飲んだ翌朝には寝坊をしてシャワーも浴びずに出かけることなんてざらだ。心の中をのぞいてみるとけがれている部分のほうが多いかもしれない。周りを見渡してみても、……。

 純潔という言葉はもう辞書の中にしか存在しないのかもしれない。その対語はこれだけ氾濫しているというのに。不潔の対語としてしか存在しないのか?
 それもまた悲しい。


 平和という言葉が戦争の対語としてのみ存在する日が来ないことを願って。
 戦争ではないという状態は、決して平和とイコールではないと思う。
 広島原爆記念日に思うこと。出会った言葉。
 ひとかけらでいいから純潔なものを手に入れてみたい。



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by seikiny1 | 2007-08-07 08:17 | 思うこと
日本から持ってきたたった一冊の本。
どうしてあの一冊を旅行かばんに放り込んだんだろう?
何回も、何回も読み返しぼろぼろになってしまった一冊。
そんな一冊も約10年前のあの日、すべての物と一緒に消えてしまった。

一カ月ほど前、古本屋で懐かしい文字を背表紙に見た。手に取ることもなく通り過ぎる。

「なんでも見てやろう」
一体どれだけの人を海外へ連れ出したことか。
作者である小田実さんが亡くなった。
古本屋の本も消えていることだろう。

旅は出会い、そして別れ。
一期一会。
悔いの残らぬよう、これからも。


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by seikiny1 | 2007-08-02 05:11 | 日ごろのこと
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