ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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たまたま
「アジア人らしい」
 地下鉄の中でそんな言葉を耳にしながら「ドキッ」としていた。部屋に帰り着き最新のニュースを確認してみると韓国の人だったらしい。正直に言うと「ホッ」としていた。
「●○で飛行機が墜落した模様です。乗客の中に日本人は確認されていません」
 そんなニュースとは質が違う。
 もしあの人が日本人だったら……。

 こんな不安がよぎったのは僕に限ったことではないと思う。ヴァージニア州で起こってしまった事件。よその国の人であったから胸をなでおろすのではなく、そんな社会に住み暮らしている事に怖れに似たものを感じる。今頃、韓国系の人はどんな思いで時を送っているのだろう。
 頭の中をイラクの戦場が通り過ぎて行った。

 事件が起こったヴァージニア州というところは東海岸における南部の入り口。
 南部≒差別という公式はあながち間違っていると言い切ることも出来ない。音楽が好きで、とりわけ南部の音楽が好きで、かつては「いつの日か南部に移り住もう」と思っていた僕だけれど昨年の南部をめぐる旅できっぱりとあきらめた。そう言うよりも「南部には住みたくない」というほうが実感に近い。とりわけ<これ>といった出来事があったわけではないけれど、その時の僕にはニューヨークではあまり感じることのない湿度の高い空気が常にまとわりついていた。そこで長年暮らしているという日本人の人からすらも。
 人はナイフを飲み込んでいても笑顔でいることができる。

 その昔、差別という言葉こそなかっただろうけれど、それは、きっと長い間人間が持って生まれた意識なのだろう。僕もどこかで差別し、差別をされて生きている。そんな池から這い上がることができずに誰もが身もだえをしている。そのおもりが消える事はまずなく、ただ「ひとつずつはずしていこう」と思うだけ。そもそもこんな事を考える時点でもうずれてしまっているのだからどうしようもない。自分がある以上、他というものが存在する。二つのものがある時人はどうしても、どこかで較べてしまう。
 人間がいる限り差別のない社会というものはやってこないだろう。これとどう向き合うか、それが変わるだけで。「よかれ」と思ってやることもある人にとっては仇となる。所詮自己満足、偽善の世界なのか。共通の価値観というものが存在しないのだからそれもまた仕方がないのかもしれない。それでもきっとなにかがあるはずだ。それを探し続けることが自分が歩いて行く道かな。

 たった一人が犯してしまった間違いが大きな流れとならないことを願うしかない。それに応えてくれる人達がいることを信じて。これは対岸の火事ではなく、どこにいても、誰にでも起こりえることなのだから。「よかった」で終わらせてしまってはいけない。
 アメリカ大陸を発見したのがアラブ人だったら今はどんな地球になっていたのだろう?

 僕がここにいるのもたまたま。

 長い事<ビン・ラディン>という人の名前を聞かない。
 この国はいったいいつまで戦争を続けるのだろう?
 標的がぼやけ、いつの間にかすりかえられてしまったような気がする、まるでスーパーマーケットの中をショッピングカートを押しながらグルグルとまわるように。
“Do you have a coupon?” 
スーパーのセルフサービス・チエックアウトでは機械が僕に話しかける。



 街角の公衆電話を使っていた黒人男性が突如会話をやめ、通り過ぎる南米系の小学生に大声で話しかける。
“Don’t forget to read books for me, please!  I love you!!”
 それだけ言うと、あたかもなにも起こらなかったように受話器に向かい再び話し始める男性。少しだけてれくさそうに微笑んでいる女の子。
 僕はやっぱりこの街が好きだな。

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by seikiny1 | 2007-04-19 12:01 | アメリカ
Behind the Bar-お湯をかけるだけ
 アメリカに来てまだ日も浅い頃。
 朝、ダンキンドーナツのカウンターに群がる大人たちを眺めながら不思議な気分になっていた。このチェーン店ではほとんどがU字型に作られていて、高さはお寿司屋さんと同じくらい。中では制服を着たオネーサンが、はたまたおばさんが。黙々とドーナツを片付ける事に専念している人もいれば、カウンターの中に言葉を飛ばすのに余念のない人もいる。それは、それはとても不思議な光景だった。
 朝から甘いものを食べる習慣のない僕にとっては。

 やっと普通に朝からドーナツを食べる事が出来るようになったのは5年も過ぎた頃だった。今ではまたほとんど食べる事はなくなってしまったけれど、それでも食べろと言われればアメリカの甘いエクレアの2、3本くらいはコーヒーで流し込む事が出来る。
 好き好んでドーナツを食べる事はもうないように思う。 
 自信と言うか、自負と言うか、自慢というかそんなものがある。これまで僕が食べてきたドーナツの量はアメリカ人が一生で食べるドーナツの量を軽く上回る、といった。僕の中にあるドーナツの入るほら穴はとうの昔に埋まってしまった。今でもふたが浮いている。

 お世話になったのはダンキンドーナッツ。
「常に新鮮なものを」というポリシーがあるのは日本のコンビニと同じで、毎日決まった時刻になると棚にあるものは廃棄処分になってしまう。違うのはそこからで、ゴミ袋に無造作に放り込まれたドーナツたちは店の前に、横に、裏にドカンと置かれる。決してゴミにまぜる事はなく、置く場所もゴミ置き場から少しだけずれている。しかも毎日数度、決まった時刻に。店によってはホームレス・シェルターに毎日配達したり。

‐ダンキンのドーナツは無数のホームレスの命を救ってきた事だろう。糖尿病患者も増やしたかもしれないけれど……。それでも<飢え>と絶縁する事は出来る。-

 大きな黒い袋を背負ったサンタがやってくる。
 のっしのっしと、仲間の誰かがドーナツを持ってくる。
 それからはドーナツの宴。時間が時間であればビールのつまみになったりもする。とにかくドーナツとは縁深かったあの頃。
 ダンキンだけではなく、ドミノピザへ行けばひまな時間であれば好みのトッピングで焼き上げてくれる店もあり、シャッターの下ろされたランチが主体のお店の前を歩けば袋に入れられた余り物が錠前に引っかけてあったりする。フォークやナイフナプキンまでを添えて。
 典型的なアメリカ人の食事パターンや献立はホームレス・シェルターで実施されるスープキッチンで身についた。その食材もいろいろな所から寄付されたものがほとんど。時として調理されたものまでが運び込まれる。何度かではあるけれど、巻き寿司に尾間にかかったこともあった。さすがに(幸いな事に)人気はなかったけれど。

 ニュースでも、また東京に住む人からもKrispy Kremeドーナツの盛況振りを聞かされた。
 延々と続く行列は一日中絶えないらしい。
 たしかにあれはうまかった。最初に食べた時はそれまでのドーナツに対する意識、思い込みを覆されたような感じがしたことを今でも覚えている。だから「ウマイ」という事には同意する。「今」、行列好きの日本人がその列につくこともうなずける。それでも「あの」味をそのまま輸入したのだろうか?という思いは消えない。

 ニューヨークでは卸売りが主体になってしまい直営店はほとんど姿を消した。そんなことよりも大きなことがある。それはあの店(会社)が単においしいドーナツを作っているだけではないということ。その製造の過程に携わる人に多くのhandicap(身体的障害)を持つ人がいるということ。Krispy Kremeが売れるということはそういった人達が社会に携わる機会が増える事でもある。ここまで日本は輸入したのか?してないだろうな。

 商社というものが介在するようになっていつの頃からか果実を輸入する事しかしなくなった。その種や、生まれ育ってきた土壌は忘れられ、時には故意に葬り去られる。日本には「仏作って魂入れず」ということわざがあるけれど今の日本はそんな国になりそうな気がしている。それはソウルのないソウルミュージックを聴くようなもの。聞くようなもの。L.L.Beanの服は定着したらしいけれどアメリカのアウトドア・スピリッツはそこまで行き渡っていないように思う。
 最大の調味料は愛だということをいつか忘れてしまい、現世利益という言葉を都合の良い様に理解する人々。またすぐに深くて長い不況がやってくるよ、このままじゃ。
 まぁ、商社にしてもビジネスなのだからしょうがないのかも知れないけれど。あと<少しだけ>魂もくださいな。

 ニューヨークにも無印良品の直営店が出来るらしい。
 ニューヨークと日本の牛角はまったくの別物。僕程度の人間はなかなか行けないし、行こうとも思わない。
 Nobuも日本とニューヨークでは違うらしい。
 残っていくのはなんだろう?

 コカコーラに心をときめかせたあの頃がやけに懐かしくなってしまった。たった一本の炭酸飲料の空きびんは僕を遠い世界に連れて行く。

 インスタントラーメンの父、安東百福さんが今年の正月になくなった。
 いつの頃からかインスタントラーメンはラーメンとは別物と言う頭で食べている。決して同じ物を求めていないし、探してもいない。ここまで昇華させるのにはたくさんの苦労があったことだろう。「お湯をかけるだけ」というところから出発し、ひとつの別文化を作りだした。

 あ、そろそろ手紙を書かなくちゃ。
 メールについつい頼ってしまう。

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by seikiny1 | 2007-04-09 11:19 | 日本とアメリカと
春がはじまり、そして冬はおわる
地下にいると気温以外から季節を感じることはあまりない。
それでもよくよく眼を凝らせばあちこちに春の訪れがある。
次に来る電車を待ちながら天井を見上げてみると、群生したエノキのように小さく白いツララが一直線に並んでいた。
冬のなごり。
凍結予防のためにまかれた塩が、雪融け水と、雨水と一緒に地下へ落ち、駅の天井から染み出して固まっている。
硬そうだけれど、先が丸っこい塩のツララたち。
夏になるといつの間にか消えてしまい、しばらく経つとまた生えてくる白い逆キノコ。

いつもと違う電車に乗ってみた。
ブルックリンに入りしばらくすると電車は地上に上がる。よくあることだけれどそこで五分ほど停まってしまった。駅でもないのに。

電車の中では本を読まない。
窓の向こうには「手入れがゆきとどいている」とはお世辞にも言えない庭が座っていた。
錆びた自転車が軒下に立てかけられ、夏の間バーベキューの時に活躍したであろうプラスチック製の白い椅子が三脚転がっている。枯れた小さな池の向こうには不ぞろいな植木鉢がてんでばらばらに倒れている。

それなのにそこにはどこかアタタカでほっとさせてくれるものがあった。
かつては雄大な枝振りであったことを想像させる先が折れてしまった数本の太い枝。背丈も決して高くはないけれど、数十年前には艶やかな後姿を見せていたであろう、太くそしてうねりを持った幹。
そんな桜の老木が薄日を浴びながらいくつかの淡い桃色の花をつけている。

その樹を、その花を見ながら母を思い出していた。

女性はいくつになっても華がある。

さて、「父は?」
しばらく考えていると、表面に青々とした苔をたたえた太い切り株が目に浮かんでくる。

この街にもやっと春がきた。

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by seikiny1 | 2007-04-04 13:45 | 日ごろのこと
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