ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
お願い
当サイト・メインコンテンツ内にある全ての著作権は筆者に帰属いたします。無断転載及び流用は固くお断りいたします(トラックバックに関しましてはこの限りではありません)。
以前の記事
カテゴリ
<   2007年 02月 ( 8 )   > この月の画像一覧
西スポ掲載記事
こんな感じでした。
b0063957_3414263.jpg

[PR]
by seikiny1 | 2007-02-26 03:41 | 日ごろのこと
鏡をのぞき込むおばあちゃん
鏡をのぞき込むおばあちゃん

 今日の古女房は少しだけ濃い口紅をしていた。
 そんな彼女の横顔を目端に引っかけながら穴蔵へともぐりこむ。痛む腰をかばいながら下りる階段はいつもより長く急で、週末のプラットフォームはいつもより冷たく、そしてせまい。
 やっと来た電車に乗り込んでみると偶然にもBAHAMAだった。
 
「やっぱり素顔のおばあちゃんでもいいや」、と昨日の想いはまたたく間にどこかへと吹き飛んでしまう。

 今は腰痛のため離れているのだけれど、ここしばらくお世話になっているところがある。
 最初にそこへ足を踏み入れた時の印象はBAHAMA。BAHAMAに繰り広げられた日本の海水浴場をイメージするとピッタリとくる。さすがの僕も「……」となってしまったくらいだから。
<砂漠に水をまく>という言葉があるけれど、とりあえず今の自分を見ているもう一人の僕は「似ているよ」とささやいてくる。左手にバケツを持ち、もう片手にはひしゃくを持ちながら人の錯綜する海水浴場をくねくねと歩きながら水をまく。どこをどう通って来たなんてわかりはしない。そんな僕が歩いている。たった一杯のひしゃくの水でそこになにかが芽生えるなんて信じてはいないけれど。なにかが変わると思うから。まいた水はみるみる間に乾いた砂に吸い込まれ、振り返ってみてもその跡すらわからない。そんな南の島のビーチを歩いている。
 そこがアラスカになることなんてないだろう。流氷が流れ着くことは天地がひっくり返ってもない、そう断言できる。それでもその地をニューヨークにしてみたい。ニューヨークになって欲しいという願いがある。もしかしたら手が疲れ、しびれ、腰が折れてしまい一海水浴客になってしまうかもしれない。いつニューヨーク行きの飛行機に乗りこんでしまうかもしれない。それでも取りあえず水をまいていこう。
 毎日目にする南の島のビーチの光景は一向に変わる気配すらない。それでも目を最初の日と今の二点だけに据えてみると少しだけだけれど変化のある事に気付いたりする。てんでバラバラだったビーチパラソルもどこかに統一感が出てきたような……。いや、そう見えるだけか。それでももビーチハウスに上がる際に軽く足を洗っている人は少しずつだけれど出てきたみたいだ。
 このビーチがニューヨークそのものになることなんて絶対にありえない。それでもジョージア辺りの小さな海水浴場になる日は来るかもしれない。もう少しだけこのひしゃくを使ってみようか。

 口紅とは言わない。たまに鏡をのぞきいこんでくれたらそれでいい。


〓〓〓〓〓〓〓〓〓
○この記事を読まれて<なにか>を感じられた方。
ここを押していただけたらウレシイです。
[PR]
by seikiny1 | 2007-02-25 12:02 | 思うこと
口紅を刷いた古女房
(腰の爆弾も落ち着いたかな……)
 そう思いちょっと無理をしたら再爆発を起こしてしまった。おかげで大雪も、ちょっとだけの春の日も肌で感じることはできず窓から眺めるばかり。

 寒い冬の日に街を歩いていると知らず知らずのうちに身体に力が入ってしまっていることに気づく。いつだったか背中を丸めて乗り込んだ電車の壁一面はBAHAMAの観光ポスターで埋められていた。青い空、青い海。こんな写真を見て「南の島へ行こう!」と思い立ち実際に行ってしまう人も中に入るんだろう。
 全身に力が入っている身としては、やはり南の島というのはかなり魅力のある存在だ。まるでその写真の中にとけ込んで全身の力が抜けきってしまうような錯覚におそわれる。「こんな冬はいやだ。南へ行きたい!南の島に住んでやる」
 衝動的にそんなことを思ったりすることもある。しかし、南の島で暮らしていくことができるだろうか?
 僕の答えはNo。
 短期間の滞在でリフレッシュというのはいいかもしれない。しかし、そこに住み暮らすということになると話は僕のような人間には向かないようだ。全身に入り込んでいる余分な力どころか必要なものまでもが流れ出してしまう。元来の怠け性である僕をそんな所に放ってしまったら……。想像するだけで「絶望」という文字がちらついてきてしまった。

 緊張という言葉がある。
 どちらかと言うと好きな言葉ではなかった。最近までは。あまりいい印象を受けたことがなかったから。そんな僕が近頃この言葉を考えたりする。
「ほどよい緊張って結構気持ちいいな」と。
 仲のいいことはすばらしいことだ。しかしそれは馴れ合いになってしまう危険をはらんでいる。
 極度の緊張は崩壊の一歩手前。保っていた均衡が瞬時に崩れ去る危険に直面している。
 僕にとって一番気持ちのいいこと。それはどちらかと言うと夜間や冬には長袖が必要な南の島。

 たまにだけれど部屋の掃除をする。やはりきれいな部屋は気持ちがよく掃除の後はとても快適な気持ちになる。しかしそれもだんだんと南の島になっていってしまう。一人で生活をしているとどうしても「あー、いーや」そんな言葉が出てきてしまう。それが、他に人がいると、誰かが来ることがわかっていると「めんどくせーなー」とぼやきながらも使った食器を洗ったり、落ちている髪の毛を拾ったりする。たいした事ではない。それでも一人だとなかなかそういう具合には気持ちが、そして身体が動くことがない。
 たぶん相手だってそうなのだろう。そういった適度な緊張感が交差する空間はなぜか心地がいい。
 男がいる。女がいる。
「出会った頃、あんなにまぶしかったあいつも今では古女房」
 そんな話を聞いたりもする。男も女も仕事に家事にそして生きることに忙しく「そんな事に構ってなんかいられない」のかもしれない。それでも夕方に口紅をさっと刷く、家に入る前にネクタイを直してみる、そんなほんの少しの緊張感を持ってみるだけで意外と全身に入っていた力が抜けたり、逆に脱力感から開放されたりする事もあると思う。そんな小さな緊張感は「所帯じみた」という奇妙な言葉をも吹き飛ばし、見知らぬ、街でただすれ違う人にすら小さな微笑を与えてくれるかもしれない。それはまた自分へと還って来る。

 僕が住むこの街の緊張感は時として大きすぎる事もあるけれど、最近では快適というところに段々と近づいてきている。
 大通りの角を曲がる時に「オォ、寒い」とひとりごとが出てしまう冬のニューヨークはやはりいい。古女房ではなく口紅を刷いて僕を待っていてくれる。手袋の要らない程度の寒さの日。
〓〓〓〓〓〓〓〓〓
2月24日付け西スポ(西日本スポーツ新聞)土曜版でこのブログが紹介されます。九州在住の方、よかったら見てみてください。
〓〓〓〓〓〓〓〓〓
○この記事を読まれて<なにか>を感じられた方。
ここを押していただけたらウレシイです。
[PR]
by seikiny1 | 2007-02-24 04:03 | ニューヨーク
桶屋はどこだ?
□2月24日(土)の『西スポ』(西日本スポーツ新聞)でこのblogが紹介されます。九州在住の皆さん、よかったら読んでみてください。□
〓〓〓〓〓〓〓〓〓

「ガガガッ、ガガガッ……」
 窓の下から聞こえてくるそんな音で目覚める。久しぶりのことだ。
 カーテンを開けてみると淡い銀世界が広がっていた。シャベルとコンクリートが奏でる規則正しい音を聞きながらまったく別のことを考える僕。

 昨夜のニュースではニューヨーク市長・ブルームバーグ氏が、
「皆さん。今夜から明日にかけてまとまった雪の降ることが予想されます。できるだけmass transit(公共交通機関)を使って出かけるようにしてください」と相変わらず爬虫類を思わせる顔で言っていた。
「桶屋の方はどうだろう?」
 トイレに腰をおろし、降り積もった雪を眺めながら考えていたのはそんなことだった。

 雪の当日や、その予報の出た日にはシャベルや塩を買い求める人達でハードウェア・ストアはごった返す。そこから思い出されるのは江戸時代の風景。
『雨が降れば桶屋がもうかる』
 そんなことわざのシーンが目に浮かぶ。
「ウーン。その昔の日本は貧しくて、雨が降ったらあちこちから雨漏りがしてしまい桶がいくつあっても足らなかったんだろうな……」
 その程度の認識しかなかった。それでも今回は突然降ってわいた(痛い)休日ということもあり、ことわざの背景が気になって仕方がない。ほくそえむ桶屋の主人の顔は目に浮かぶのだけれど、どうしても彼と雨の滴の間がぼやけてしまっており、本を読んでいても集中することができない。思い余ってインターネットで調べてみることにした。
『雨が降れば桶屋がもうかる』
 出てくる、出てくる。毎度の事だけれど検索結果の多さにうんざりしながらも。気になるところをポツン、ポツンと押していく。ところが今ひとつ「コレは!」と思わせるものに行き当たらない。ただ途中あちこちで「風が吹けば桶屋がもうかる」という言葉にぶつかっていた。ためしに、
『風が吹けば桶屋がもうかる』で調べてみたところあっさりとかたがついてしまった。恥ずかしながら四十年近くも勘違いをしていたことになる。気になっていたボヤケた箇所もだんだんと姿を現してくる。いくつかの検索結果を総合してみると、
●風が吹く

●市中にほこりが舞い上がり眼病になってしまう人が増える

●盲人が増える

●(盲人の手なぐさみとして)三味線が売れる

●猫の皮が必要になり、町から猫がいなくなる

●天敵のいなくなった町ではねずみが横行する

●家庭で食料を入れている桶がねずみにかじられてしまう

●桶の需要が増え、桶屋がもうかる

 といった算段になるらしい。雨と風では大違い。雨だと単純に雨漏りで済んでしまうものも、風となるとかなり大回りをして桶屋の店先にやってくる。どうもこじつけ臭くて、一本勝ちできない奴が強引に寝技に持ち込む柔道の試合を見ているような気になってくるのだけれど、こういった落語的な情景を想像させることわざは結構好きな部類に入る。
 ところで、現在の日本に木桶を作る職人さんはどれくらい残っているのだろう?人間国宝的な数になるのかもしれない。

 『現代用語の基礎知識』や『imidas』は毎年刊行され、『流行語大賞』というものの方が『レコード大賞』よりも認知度が高いような気がしてならないこの頃。これだけの新しい言葉が日々生まれているというのに、なぜか新しいことわざを聞いたことがない。国語辞典は版を重ねて行くけれど、ことわざ辞典の方はどうなっているのだろう?
 ことわざは長い歳月をかけて、どこからともなく発生し定着をしていくものなので、ただ僕がそれを認知しきれていないだけなのかもしれない。
 それとも世の中の森羅万象はすでに語りつくされ、いくら複雑怪奇な世の中になったとはいえ基本的なことは変わっておらず、新しいことわざが生まれる余地はとうの昔になくなってしまったのか。
 はたまた、一人一人がまったく別の意見を持つ多様化したこの社会では誰にも共通するものの見方というものがなくなりつつある、あるいはそれを言うことをつつしむことが賢とされているのか?
 理由はどうあれ<新しい>ことわざを知らない。

 道はアスファルトで埋め尽くされ市街地でほこりの立つことはあまりない。予防医学が発達し疫病もそれ程流行する事はない。三味線は芸事か芸術かになってしまい、寂しいことだけれど日常生活との接点が少なくなってしまった。米びつは金属やプラスチックに、野菜は冷蔵庫へと入れるようになった。最後に残された風呂桶すらも、プラスチックへと変わりシャワーの普及で余命はあといくばくか?
 五十年後、百年後のニューヨークでシャベルの音を聞きながらこのことわざを思い浮かべる人がどの位いるのだろう?いや日本でも人間国宝級になってしまっているかもしれない。それとも現代の姿はかりそめのもので、その頃になると道の舗装ははがれ落ち、猫の歩かぬ土煙る盲人の多い町中では三味の音が賑やかで、桶屋のおじさんが笑いながらも汗を流しているのかもしれない。

 ただ、日本の国会中継のスポットを見ながら思い浮かぶ言葉は、
『風が吹けば桶屋がもうかる』
 いくら道が立派になり、「生活レベルが上がった」と叫ぼうとも肝心の僕達はそれ程進歩も進化もしていないようだ。だからこそ新しいことわざも生まれないのだろう。

 窓ガラスを叩いていた雹(ひょう)もやみ、薄日が差してきた。人の迷惑のことなど考えず、この冬初めての大雪を期待していた身としてはちょっとだけ残念だ。
 日本で春一番が吹く頃、ニューヨークには冬の嵐がやってきた。

〓〓〓〓〓〓〓〓〓
○この記事を読まれて<なにか>を感じられた方。
ここを押していただけたらウレシイです。
[PR]
by seikiny1 | 2007-02-15 09:09 | 日ごろのこと
黒いカバン -extra-:予兆
 どこかのCMで竹内まりあが歌っていた曲の冒頭が一日中頭の中で流れている。歌詞は少しだけ違うのだけれど。

♪腰痛はいきなりやってくる……♪

 いきなりやってきた腰痛は目覚めると一段とひどくなっており、ベッドから降りることもできない。歩く事などもちろんできないので、今日は朝から赤ちゃんのようにハイハイで暮らしている。つらいのはつらいけれど、いつもと高さの違った視点で見る(見上げる)部屋の中もまた興味深い。
 トイレに行く時は空になったグラスを持ち、途中で冷蔵庫を開け、「オッと忘れた」と急回転して煙草を手にして……、といった風に日頃はいくつもことを同時に進める生活なのだけれど、痛みとハイハイ(歩行中に手を使うことがほとんどできない)とのハンディを背負い、必要な物を休みながらもベッドの周りに集めていく。まるでせっせとえさを集める冬眠前の動物のようでもある。そういったわけで、今僕のベッドでは手を伸ばせが全てを手に入れることができる。
 You can’t always get what you want.ではなく、
 I can always get what I want. を目指して。

 頭は元気なのだから、思考する事は変わらないはずなのだけれど冷静な目で見てみるとやはりいつもとは考えている事が違う。そんな自分をおもしろく眺めるもう一人の自分に気付くことができるのも特別な状況下にあるからこそなのだろうけれど。
 たまにはこういうのも悪くはない。
 それでも、そうしょっちゅう腰痛にやってこられたのではたまらないか。前回が7月の終わりだったから約6ヶ月。今回は周期が短かった。

 不意に与えられた休日。痛みと引き換えに手に入れた時間。いつもと違う頭は、いつもとは違う発想で違った事をする。そして見つけたのがこれ。
   『黒いカバン』泉谷さんの歌声を久々に聴いた。

 僕がはじめての黒いカバンを持つ前に彼はあの歌を唄っていた。そして今でも唄い続けている。これからも。そんな姿に元気付けられる腰痛持ちの男。もし明日まで待って快方に向かわなかったら医者へ行こうか。
 そういえば昔、黒いカバンといえばお医者さんを連想していたものだ。あれは腰痛の予兆だったのか?


〓〓〓〓〓〓〓〓〓
○この記事を読まれて<なにか>を感じられた方。
ここを押していただけたらウレシイです。
[PR]
by seikiny1 | 2007-02-14 06:55 | 日ごろのこと
黒いカバン
 ゴミ箱のふたを開けることこそなくなったけれど、街を歩いていると今でも落ちているものが気にかかってしまう。また、いいものを手に入れることも多い。立ち止まること、手を伸ばすこと。その瞬間にわずかながらも<間(ま)>が生じた時、それは僕が変わってしまったということになるのだろう。

“You’ll never find anything in Chinatown. “
(チャイナタウンじゃなにも見つかりっこないよ)
 ホームレスの頃、さんざん仲間から聞かされた言葉。実際にチャイナタウンで「コレは」というものを見つけた(拾った)ことはなかっ「た」。
 チャイナタウンを歩いてみても「お見事!」という言葉しか出てこない。目にとまるものはまったく使用価値のない掛け値なしのゴミばかり。これが正しい、昔ながらのゴミの姿なのだろうけれど,ここアメリカ、ニューヨークではそれが奇異に映ってしまう。そこから連想するのは大豆から豆乳を作り、湯葉を作り、豆腐を作り、おからを作る。それでもどうしても出てきてしまう微量のカス。家畜のえさにすらできないようなものだけをゴミとして処分する。そういった行為だ。
 そんなチャイナタウン。リトルイタリーを虫食い状態にしてしまった中華パワーにもここのところ異変を見てとることができる。
 以前では<出租>としか書かれていなかった賃貸物件の看板に<for rent>の文字が添えられていることも最近では珍しくない。歩いてみると白人がアパートに出入りする姿をよく見かけるし、涼しげな顔をしたカフェやブティックまでもが目立ち始めてきている。
 SOHO→East Village→NOLITA, Lower East Sideといったダウンタウンを転がり続けている大きな石の次なる通過点はチャイナタウンなのかもしれない。ニューヨークという魔力の前ではさすがの中華パワーもなすすべはないのか?

 そんな街で黒いカバンを拾った。
 新品ではないけれど、ほぼ新品に近い状態のもの。寒風の通り道Allen St.。Grand St.との角だった。そいつは信号待ちをして何の気なしに落とした目の先に転がっていた。ゴミ箱の横で僕を見上げる彼。僕らはすぐに意気投合をした。
 先の持ち主はせっかちな人のようだ。買物のあと待ちきれず、信号待ちの間にカバンの中身を移し替えて先代を路上に置き去りにしてしまったらしい。

 思い出してみると、黒いカバンを手にするのは約三十年ぶりのこと。これまでの人生でたった一度だけに手にした黒いカバンは中学入学の時に買ってもらった学生カバンだ。別に避けていたわけではないのだけれど、それ以降黒いカバンを手にしたことがない。
 それなのに、なぜ今?
「縁」というほかはない。そういうめぐり合わせなのだろう。

 黒いカバンと聞いて真っ先に連想するもの。
 それは、やはり泉谷しげるのアルバム『春夏秋冬』に収録されていた『黒いカバン』という曲。作詞は岡本おさみ。今、あらためて口にしているのだけれど当時の社会状況が生々しく浮かんでくる。その一方では、「今も昔もなにも変わっちゃいない」という思いが強い。
(詳しい歌詞については最後に貼り付けているリンクから見ることができます)

 八十年代のモノトーン・ブームの後、<黒>の立場は確実に向上している。しかし、それもわずかなこと。<黒>という言葉、色からどうしても「不吉な」、「あやしい」、「危険な」……といった人間の防御本能をかきたてるイメージを拭い去ってしまうことができない。そのほとんどが後天的なものであるのだろうけれど。
 黒、きたない、貧しい、場違いな……。
 人々は突出物を嫌う。特に自分以下と「思う」ものに眉をひそめ警戒心をあらわにする。実際にはそういった存在があるからこそ、自分の存が確認できているのに。とにかく、
「アイツは黒人だから……」
「やっぱり出がいやしいからな……」
「あんな格好をしているからだ……」
「どうもおかしいと思っていたよ……」
 黒いカバンにはどうしてもそんな言葉や憶測がつきまとう。奇異の、懐疑の視線を集めてしまう。ただ黒いカバンを持っているだけなのに。持ちたくて持っているのではなく、黒いカバンしか持つことのできない人だってたくさんいるはずだ。
 人の思い込みは怖ろしい力を持つ。

 世界で一番黒いカバンを持ちやすい街。それは間違いなくこのニューヨークだろう。黒いカバンを奇異の目で見ることを表面上ではあるといえ許さない街。たとえそれが「それぞれの思惑があって」というお約束事であったとしても、大手を振って黒いカバンを持つことを許される。逆に黒いカバンを非難することは袋叩きの憂き目に遭うことすらある。
 たとえそれが上辺だけであろうと、僕はそんな街が好きだ。それは偽物、作り物かもしれないけれど、そこから生まれ出るものが必ずあると信じているから。そこから真に黒いカバンを認める人達が出てくる可能性があるから。

 MLKのように生きることはできない。
 アメリカの南部で黒いカバンを手に堂々と歩くといった勇気に欠けているところがある。それはそれでいいと思う。自分の大きさの黒いカバンを持てば、それで。
 南部。そこは永遠のあこがれの土地。そこで生活をしてみたいという気持ちは今でも残ってはいる。それでもあの大地の中、黒いカバンはあまりにも大きく、重い。昨年の旅で、それは表層をなぞったに過ぎないのだけれど、十分に肌で感じてきた。

 NYに住むことができてよかった。
 僕の黒いカバンを大切にしていこう。



『黒いカバン』歌詞

〓〓〓〓〓〓〓〓〓
○この記事を読まれて<なにか>を感じられた方。
ここを押していただけたらウレシイです。
[PR]
by seikiny1 | 2007-02-12 03:47 | 日本とアメリカと
交差点にて
 誰もが〈生きる〉ということに必死だ。
 そして僕は車の行きかう交差点で信号待ちをする。意識しているわけではないのだけれど、心のどこかで「生きよう」と、思っているらしい。寝て、起きて、仕事をして、飯を食って……。

 オーストラリアのプールでは折からの悪天候を避け、迷い込んだオス鰐が捕獲されたらしい。
 山に食物の少なくなった今、食べ物を求めて熊は里へと下りてくる。撃ち殺されてしまう。殺してしまうことしか道はないのか?
 ただ、死ぬためだけに飼われ、生きてきた鳥たちは隣人が風邪を引いてしまったがために一群が〈処理〉されてしまった。そうしなければならなかったのか?その一群と人間がなぜかダブってしまう。
 吉野家の牛丼は再開されたのか?にニューヨークに来る日本人観光客に人気の食事はステーキだ。肉はレアで食うのがうまいらしい。
 アメリカの裏辺りでは今でも戦争が続いている。政策としての「死なないため」というところとははるか遠い所で。それでも戦場にいる者達は「死なないため」に戦っている。「死なないため」と「生きるため」は等号で結ばれるているだろうか?
 将軍様の国では「死なないため」に生きようとする人間の姿は否定されているのか?どう見ても人々は笑顔で死にそうになっているように見える。安楽死、名誉の死という言葉が頭をよぎる。

 人間たち。がむしゃらに生きている。〈生〉というものにしがみついて。ただ、死ぬためだけに生きている。死ぬために生きようとする。少しでも幸せな(?)死を求めながら。
 人間の生は他のすべてのものに優先するほど貴いものなのか?それを尊ぶがあまり、他の生をあまりにも容易に左右していないか?
 僕達は絶対者でも、全知全能でもない。

 信号が青になった。
 左を見て、右を見て渡りはじめる。次の一歩で電池が切れてしまうかもしれないのに。

〓〓〓〓〓〓〓〓〓
○この記事を読まれて<なにか>を感じられた方。
ここを押していただけたらウレシイです。
[PR]
by seikiny1 | 2007-02-08 08:18 | 思うこと
サラダが食いたい
 目の覚めるようなファインプレーなんてできっこないけれど、今ではボテボテのゴロ、ゆるい放物線を描くフライ、たまにはグローブを構えている所にちょうど飛んできたライナーまで取ることができるようになった。
 たしかに大きな転換期がいくつかあったことに思いあたる。
 
 酒の味を覚えてから食べはじめ、気づいたら好物となっているものがある。
「サラダが食いたい!」と、発作的に思ったのはアメリカに来て数週間後のこと。砂漠を渡る長距離バスの上だった。
「楽しむために身体だけは丈夫にしておかなくちゃ」と、思い立ち、食事のバランスを気にしだしたのはドラッグにどっぷりとつかりこんでからのこと。
 ホームレスになりたての頃は選択肢も少なく、スープキッチンで口にすることのできるものは「ここよ」とばかりに詰め込んだ。
 父が高血圧に起因する病で倒れてからは薄味にするように気を使うようになり、またそれを楽しむことができるようになっている。食に限らず、すべてにおいて〈味濃い〉ものが大好きだった僕なのだけれど。
 人の好き嫌いはともかくとして、こうして僕の好き嫌いは少なくなりその分だけ食の守備範囲も広がっていった。
 食べることができる。しかも、そこに選択肢があるということはやはり幸せなことだと思う。子供の頃「お前はわがままだ!」の言葉に頑なに反抗していた僕だけれど、今ではある程度首を縦に動かすこともできるようになった。依然として嫌いなものは絶対に口にしないのだけれど。
 あぁ、今食べているこの冷奴。おろし生姜が欲しい……。

 けつまずいたり、跳び上がったりしながらもなんとか英語の本を読む事ができる。
 さて、十年タイミングがずれていたらどうなっていただろう。道端に落ちていたペーパーバックに手を伸ばすことはたぶんなかっただろう。そうなればアメリカに二十年もいて英語の本すら読むことの出来ない愚か者がここに一人いることになったわけだ。不便はどこかで役に立つもの。歴史とは後から振り返って評価を下す学問に過ぎないのかもしれないけれど、とりあえずそんな社会状況には感謝をしている。
 今のニューヨークには日本の活字が文字通りあふれかえっている。しかもそのほとんどを無料で手に入れることができ、素通りする活字は瞬時にゴミと化す。まるでタダで入場を許された食い放題の会場にいるような気分になってしまうことすらある。たくさんの選択肢があり、決して飢えることのない社会に僕達は生きている。これは幸福なのか、不幸なのか?
 ひとつだけ言えることは、あることが当然となってしまったものから幸福を感じることがあまりないということ。それは永年一緒にいる恋人と似ているのかもしれない。失ってしまった時にはじめてあの時が幸福であったことに気付く。もう遅すぎるのに。わかっているはずなのに。

 昨夜のこと。
 部屋に戻り、ビニール袋を開いてみてはじめて気づいた。店内をまわりながらかごに入れている時や、レジカウンターでの計算の時にはまったく気づかなかったのに。それはどう見ても、どう考えてもバランスの取れた食事と呼ぶことはできない。まるで子供の頃に、何時間も変わることのない景色をバスの窓から眺めていたあの頃に戻ったかのような食事内容だった。気づいたらサラダが食いたくなっていたみたいだ。
 黄色いビニール袋から出てきたもの。それは十四冊の小説と、たった一冊のエッセイだった。肉も魚もない食事に佃煮が一品。今の僕にはきっと生野菜が不足しており、それを補給するためにきっと脳から信号が送り出されていたのだろう。そして、と言うかやはりと言うべきかサラダは美味しかった。

 実は〈近づいてはいけない場所〉に昨日は足を踏み入れてしまった。そこへ行くと止まらなくなってしまう。Book Off New York。
 また別の栄養が不足していたのかもしれない。今日の午後もそこに立っていた。黄色い袋の中にはなぜか古語辞典。これが読んでみると意外とおもしろい。ただ、こいつは野菜ではない。二日酔いの朝に飲む熱い味噌汁といったところ。

 不足しているものを本能が求め、しかも手に入れることができる今。やはり幸福であると言わなきゃいけない……。


〓〓〓〓〓〓〓〓〓
○この記事を読まれて<なにか>を感じられた方。
ここを押していただけたらウレシイです。



○ブログ《ボーカンシャ》です。よかったらのぞいてみて下さい。
[PR]
by seikiny1 | 2007-02-06 08:41 | 思うこと
記事ランキング 画像一覧