ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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likeとwant。そしてjobとwork。
D:“I don‘t want to stay here, do you?”
(この町はよくないな、行こう。いいだろ?)
S:“I told you.”
(だ・か・ら、行く前から何度も「無駄足になるからやめよう」って言ってるだろ。だいたいここは目的地じゃないんだから)

D:“I like this room, don‘t you think so? Let’s  stay a couple of nights here.”
(この部屋いいねー、そう思わないか?あと2、3日ここに泊まろうよ)
A:“No.”
(あ・の・ねー、ほんのさっきまで「高いなー。でも疲れちゃってもう他をさがす気力ないよ。一泊だけここでいいだろ?」って言ってたくせに。なんで冷蔵庫と電子レンジを見た瞬間にそんなに変わることができるんだ?いい部屋だよたしかに。でもタ・カ・イ。あんたはいいかもしんないけど後でしわ寄せがくんのは俺なのよ……)

 僕は短い英語に長い日本語をこめるのが得意だ。
 砂漠の中を走り抜け、なんとかアリゾナ州フェニックスに着く。ニューメキシコ州のアルバカーキは急遽キャンセル。そしてこの町を来週の頭まで出ることができないことは昨日の朝にはわかっていた。どうやら、明日からの二日間を除いてまたもや無為な週になりそうな気がする。

一ヶ月が過ぎ、いまだに引っ張りまわされている。


「一番好きなことを仕事にしちゃけないよ」
 十数年前に言われた言葉。これまでも折に触れて思い出していたけれど、まさか砂漠のど真ん中で思い出す羽目になろうとは。この言葉を言われた状況、その人の顔までもが蜃気楼の中に浮かんでくる。
 聞こえてきたものはしょうがない。聞いておくことにしよう。
 そりゃあ、好きなことを仕事にできることは理想ではある。けれども、そうは問屋がおろしてくれない。
「大好きなことを仕事にしています。だからとっても楽しくて充実した毎日です」
 うん、うん。そりゃよかった。おめでとう。
 それでもかく言う人も百のうち百が好きであるはずはない。その仕事の本質が好きであるからこそ、普通では「いやだ」と思うようなこともこなせてしまう。なにかを我慢しているという意識すらないことだろう。それはあり余るプラスを持った<好き>が、<いや>の凹みを埋めてくれるから。
 ずっと好きなことをして生きてきた。きっとこれからもそうだろう。こんな僕でも「全てが好き」、と言い切ることのできる仕事を持ったことはない。たったの一度だけそれに近いものを手に入れたけれど、それですら先ほど言ったように穴ぼこに「好き」と書かれた砂利をドサドサと流し込んで平地にしながら歩いていたように思う。百分の百に出会うことはこの先もないだろう。出会いたいとも思わない。パッと見たかぎりでは平地に見えるそこも実はプラスの砂利で埋められている。だからこそおもしろいし、やりがいも出てくる。ただただ平坦な路を歩くのはなんの面白味も伴わない。

 生きていく上でlikeとwantは必要な言葉だ。いや、その言葉のために誰もが生きている。
 jobの中にlikeとwantをあまりにも露骨に出しすぎてはいけない。それができる人を羨望のまなざしで見る僕はたしかにいるのだけれど。それを出していいところ、そこはwork。

「許す」べきか「許さない」べきか。
 テキサスに来てから花が好きになった。これからは花びらをちぎりながら決めていこうか……。
大変です。


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by seikiny1 | 2006-05-30 13:19 | 旅のボヤキ
許す
 今日は再びサン・アントニオ。明日はテキサス最後の町となるエルパソへ向かいます。


「しょうがないな」
 ここのところそんな言葉が頭の中に浮かび、そして消える。多い時には数分おきに言葉が追いかけっこをくり広げて見せてくれる。

 僕は基本的に相手のプライベートに属するものを聞くのが好きではない。名前そして「パッ」と見た印象、あとはその後に積み重ねていく相手の歴史、ただそれだけがあればいい。それは自分がそういった材料で判断を下されることを嫌う裏返しなのだろうけれど。
 そういったわけだからだまされもすれば、苦い思いもする。学ばない人間とはこんな者を指すためにある言葉なのかもしれない。とにかく自分と相手の関係では「しょうがないな」と思う程度で済むことがほとんどなのでいいのではないだろうか。僕の人生のほとんどは「しょうがないな」でできている。たぶん幽霊には一番向かない性格だろう。
 ただ、そこに三人目が入ったときはまた別の話になってくるのだけれど。人間関係とは三人以上を指して言う言葉だと僕は思う。それがまたややこしく、だからこそ面白くもあるのだろう、きっと。

 偶然のことから、今一緒に仕事をしている相方の正確な年齢を知ることになった。想像していたものと十ほど違うことになる。人を見かけで判断するのはやはり難しい。彼は十分に敬われ、いたわれてよい年齢に達しているといっても決して言い過ぎではない。
 そして実年齢を知った次の瞬間に自分の中で変化が起こっていた。ある程度のことは<許せる>ようになっていた。これまでは彼の行動に時には腹を立て、時には力を落とし、また時には「コイツアホと違うか?」と真剣に考えていた。そんなことも同時にどこかへ流れてしまった。
 残った言葉が「しょうがないな」。

 そこで一段落つくはずだった。それだったらどんなに楽だったことだろう。しかし世の中そんなに甘くはないようだ。その数時間後には
「いや、待てよ『○○だから』」
 ○○の部分には様々な言葉が入る。誤解を怖れつつ書けば、
 -女、子供、年寄り、身体が不自由、頭が悪い、堅物-などなど。その気さえあればどんな言葉でもねじ込むことができる。これほど自分を納得させるには便利な言葉はあまりない。ただ、そのいづれの場合も自分だけひとつ高いところに立ったような気になってハンディ・キャップを持つ者を指しているような気がしてならない。
「しょうがない」
 その言葉の裏側には○○でなければできないことだってたくさんあるのに、そんなことは忘れてしまっている。

 便利な言葉:「○○だから」で自分を納得させることは、その時点で相手をひとつ低いものとみなし差別してしまっている。そうされることを嫌がる○○だってたくさんいるはずだ。それなのにこちら側で強引にそこに落ち着けようとしている。

「普通に見てよ」という言葉が聞こえてくる。
 もちろん「○○だから」こそ、いたわらなければならない点もあり、あちらがわも<そこ>にほのかな期待をいだいていたりすることもある。その辺の兼ね合いがとても難しく、ここのところ着地点を見つけようとしているのだけれどそう簡単に見つけることができるはずもない。

「許す」ことは「許さない」ということの何倍も難しいことだ。そもそもこういったことを考えてしまうこと自体、僕が差別意識のかたまりであるからなのだろう。いろんな人に会って、いろんな着地点を探していくしかない。近道なんてないはずだから。

 ただひとつだけ言えることがある。
 僕が一番嫌いな人間は○○の上にあぐらをかいてハナクソをほじくっているやつ。虫唾が走りどうしようもなくなってしまう。


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by seikiny1 | 2006-05-28 11:58 | 旅のボヤキ
“Morning!”
 陽射し。
 文字通り身体が陽に射(刺)されているよう。あぶられているよう。十日以上も華氏九十度を超える日が続いている。テキサスに入ってからは街中を自転車でまわっているのでこの暑さはかなりこたえる。モーテルを出る時には氷でいっぱいだったアイスコーヒーも、飲む頃にはホットコーヒーになっている。
 それでもフォートワースでの仕事はあらかた終わった。それなのに相棒の都合でここから動くことが出来ない。こちらでも刺されている。

 テキサスの人。のんびりとしているようだけれど、この地に射す日の光のようなものを感じることが多い。射られるようなまなざし。決して熱はないのだけれど。イタイ。
 東洋人を見慣れていないせいもあるのだろう。ニューヨークに比べて白人の率がかなり高いことを感じる。もちろん都市によってはメキシカンの比率がかなり高い、などの差はあるけれど、それ以外の人種をアマリ見かけない。
 特に男性の視線がイタイ。熱くないだけにイタイ。目が合ってこちらが微笑みを送っても、それを投げ返してくれる人はあまり多くはない。やはり「住む」ということになると僕たちにとってこの地は少しきびしいものがあるようだ。「お客さん」である間はまだ良い方なのだろう。

 それは蔑視なのか、それとも警戒なのか。閉ざされた心の中はうかがいようもない。街中を歩く人の数はニューヨークと比べものにならないほど少なく、そのほとんどがスーツを着込むか、ハイヒールを履くかしている。
「何かが足りない」
 やっと気づいたこと。それは若いアンちゃん、ネーちゃんがいないことだった。口の悪い連中に言わせれば「いてもいなくてもどうでもいいような連中」となる人々がいない。数十万、百数十万の人口を抱えた町の中心部なのにに彼らの姿を見つけることはとても難しい。スーツを着た町。ハイヒールで踏み固められた町。そんな中で有色人種(?)を見かけることもまた少ない。白い町。汚れのない(?)町。
 有色人種?
 彼らにも白という色がある。決して無色ではなく《白》という色が。白が無だと決めてかかっているのは彼らだけなのかもしれない。「白はどんな色にも染めることができる」、と言うけれど人間の場合、事はそう簡単ではないようだ。ただ、彼らの多くが「染まりたくない」、と思っている「染まらない」、と信じているだけなのではないだろうか。ニューヨークですらそれを感じることがたまにある。人種の混ざり具合の低い他所の土地ではなおさらのことだ。
 こんな風景を目にしていると、都会の条件に<人種の混合率の高さ>というものがはいるのもそう遠い日ではないような気がしてくる。

 先週末はサンアントニオにいた。二泊したモーテルの近所の看板はスペイン語で埋められている。。
 どこの町にいても移民が集まっているエリアはなぜかホッとさせてくれる。「同類相憐れむ」などと言う人もいることだろう。それでも彼らにしか、僕らにしかわからない<なにか>、そんな空気が流れ満ちている。呼吸をするとそれが胸いっぱいに広がり緊張がほぐれていく。だからこそニューヨークの街はやさしいのかもしれない。

 ホームレスの頃、空き缶のリサイクル場で口げんかをしているやつがいた。黒人が黒人のことを「ニガー」とののしる。
「どうして黒人同士なのにそんなことを言うんだ?」、彼は苦笑いをしながらも答えてくれた
「黒人には黒人にしかわからない事情ってもんがあるのさ」
 それは、日本人が。中国人が。朝鮮半島の人が。それぞれがそうであるのとも似ているのかもしれない。同じ肌の色をしている者同士の事情。
 色が同じでも、違っていてもそれは結局何の関係もないのかもしれない。色、それは単なるこじつけ、言い訳に過ぎないのかもしれない。ただ言えることは、世界は常に弱者を必要としているということ。


 数日前の朝だった。モーテルの朝はどこもあわただしい。それぞれが、それぞれの行き先に向かう。
 駐車場の向こうの方では親子連れのように見える二人が車に荷物を詰め込んでいた。ミニバンのルーフの上には荷物を入れるためのボックスがつけられている。よく見るとそれは手作りだった。新しい木目が日の光を照り返している。
 七、八歳くらいに見える男の子と父親はぴったりと息が合い黙々と仕事をこなしていく。父親のいでたちはと言えば、モーテルには不似合いな、しかしその爽やかさが朝の光に良く似合うチャコールグレーのスラックスとブルーのシャツ。どちらもきちんと折り目が入っているのが遠目にも良くわかる。なぜか、<古きよきアメリカ>そんな言葉を思い出させる光景だった。
 フロントにコーヒーをもらいに行った際、その二人連れとすれ違う。少し離れてはいたけれど、親子の口が合唱でもしているかのように
“Morning!”と揃う。父親とばかり思っていた男性は近づいてみるとどうやらおじいさんのようだった。お孫さんを連れての旅。この旅であの小さな二つの目は何を見、そして感じるのだろう。
 

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by seikiny1 | 2006-05-25 13:08 | 旅のボヤキ
窓のむこうは
 二日前にテキサス州サンアントニオに移動し、明日(5月21日)は州都オースチンへ向かいます。今回は近場で80マイル(130キロ)。

 シカゴからダラスへの移動中のこと。ミズーリー州あたりからハイウェイの周りに生えている木の形状が少しずつ変わってきた。テキサスではそのほとんどがオーク・トゥリーになる。
「なにかににてるよな」
その答えがサンアントニオへの移動中にやっと出た。

 間近に見た花よりも、どちらかと言えば車や電車の窓から目にしていたものの方が印象に残っていることが多い。それは窓の向こうに「アッ」という間に流れていってしまうからかもしれない。つかもうと思ってもつかむことの出来ない花たち。そうであるからこそ、そこにはいつもミステリーに似たようなものがある。
 それでも機会があれば手にとり、ゆっくりと眺めてみたいという衝動に駆られてしまう。本当はそんなことはしてはいけないのだけれど。流れ行くものは追わないほうがいいに決まっている。

 今の日本の状況ではほぼ不可能になってしまった。
 幼稚園の三年間、市バスで通園をしていた。路線バスだから当たり前の話だけれど、毎日お決まりのコースをたどる。僕の家から駅をはさんで大きなCの字を描きながらバスは三十分をかけて幼稚園へ、家へと向かう。Cの字の一番突端の部分にそれは咲いていた。春には一面がピンク色に埋もれる田植え前のレンゲ畑。田舎のバスはのんびりしたもので、ちょっと時刻表より早かったりすると時間調整のためどこかで数分間停まったりする。そのバスはいつも一番交通量の少ないレンゲ畑の前で停まっていた。バスを降りさえすればそれがなんであるかわかる。手にとることも出来る。それでもレンゲ畑はしばらくの間ミステリーであり続けた。駅前広場のしゅろの木の根元に広がっていた白つめ草もまた同じ。
 そのミステリーが現実になったのは自転車を乗り回すようになった小学生の頃。
「さわりたくて、さわりたくて。手にとってみたくて」しょうがなかった。親には内緒で、やっと乗れるようになった自転車をこいでレンゲ畑へと向かっていた。あんなに小さな花たちがその色で地面を染めてしまうことにびっくりしていた。そしてその<花>としての生命の短さにも。

 赤い草花を目にするとイタリアを思い出す。高速で走り抜ける電車の窓からはいつも真っ赤な、太陽の色をした花を見ることが出来た。ただ通り過ぎていくだけの花。チャンスがあっても決して近寄ることのなかった花。赤い花を見るたびにこれからもイタリアを、そこで過ごした日々を思い出すことだろう。
 花には手に取るべきもの、そしてただ遠くから見るべきものの二種類があるのかもしれない。この赤い花は僕の中では後者に属する。いつの日か手に取ることもあるだろう。それでも今はそのままにしておきたい。いつかその日がやってくるまでは。名前も知らないままでいい。ただの赤い花、それでいい。今はそういった場所がこの花に、そして僕にもあっているみたいだ。

 今進行中の花。
 シカゴでは郊外のいたるところを黄色に染めているタンポポだった。土曜日にモーテルのドアを開けるとどこからか気の早い綿帽子が迷い込む。
 サンアントニオに近づく頃、ハイウェイの中央分離帯にポツリ、ポツリと赤いものが目に付くようになってきた。それは小さな赤いバラのよう。そう、テキサスの赤いバラ。映画のタイトルどおりだ。

 深い、深いオーク・トゥリーの中を抜けながら考えていたことは、
「まるでブロッコリーの房の中を走るアリみたいだ」
 遠目に見るオーク・トゥリーはどれもブロッコリーに似ている。これから料理の彩りに添えられたブロッコリーを見るたびに僕はこの旅のことを思い出すことになるだろう。
 それがおいしいブロッコリーとなりますように。
 今はただのブロッコリー、それでいい。


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by seikiny1 | 2006-05-21 12:39 | 旅のボヤキ
白いエプロン
 テキサスはこごえるほど寒いです。とは言ってもここはモーテルの中。
 あれは道行く人の中にまだコート姿が混じっているシカゴでの初日だった。
「セイキ、俺さー暑いの苦手なんだ。ほら、生まれも育ちもシカゴだろ。寒いんだよ……」
モーテルにチエックインするや否や冷房をON。もちろんここテキサスでも判で押したようにまずエアコンへと直行する。つまみはいつも<強風>、<最冷>。最近、自分の中で季節感が麻痺していくのがうっすらとわかる。夏に長袖なんて着るのは生まれて初めてのことだ。それでも明日は何とかヒューストンからサンアントニオへ移動することが出来る。多分。ただ200マイルのドライブ。明日は仕事にはならないことは出かける前からもうわかっている。移動の日、彼はだめになってしまう。そしてあさっては金曜日。これまで、特に金曜日には落ち着いたためしがない。「このふたつをひとつに持ってくることで失う日がが一日だけになる」のだけれど。なにかタイミングが悪い。

 先週末はメキシカンフードを食べに行った。もちろんひとりで。ひとりで飯を食うのはそうきらいじゃない。
 週末にもかかわらず閑散としたレストラン。接客をしてくれたのは黒人の男性だった。彼のかけていた黒いエプロンは粉で真っ白になっている。色が白のせいなのか、まったく不潔感はない。もちろん神経質な人の中には顔をしかめる人もいるだろうけれど、僕にそんな神経はない。ていねいな言葉づかい。目つきや態度から彼の仕事に対する姿勢が伝わってくる。そんな彼の姿を見ているだけでこちらまでなんだかうれしくなってしまうから不思議だ。フレンドリーなのもいいけれどただそれだけで終わってしまい、ごまかされてしまった気分になることがある。そんなのに比べると「白いエプロンよ真っ白になってしまえ!」、と言いたくなるほど<働いている>ことを感じさせてくれる彼。

 たしかに客商売である以上清潔感は大事な要素のひとつだろう。ただ、それを重たがるあまりに本家のほうが留守になっていることのなんと多いことか。もちろん誰もが「汚れないように」、と気を使う。それでも汚れるものはしょうがない。
「一流の板前っていうものは手も、まな板も汚さないものさ」、と言う人もいるだろう。それでも僕は人間として二、三流のやつが作った一流料理より、まわりをとっちらかしながら一所懸命に作ってくれたサンドイッチのほうが好きだ。たとえパンの端っこからレタスがぶら下がっていようとも。

「こんな服汚れたっていいや」、と思った時に「プチッ」となにかがはじけることがある。
 きれいな洋服に身を固めて仕事をする人もいいだろう。それでも僕は黒のエプロンを真っ白にした彼、真っ白なつなぎのあちこちがオイルで汚れてしまっている整備工、白いスニーカーが油まみれになっているのにいつもニコニコ顔のウェイトレス、そんな人たちに惹かれてしまう。車の下にもぐりこむ。仕事をやりやすくするために、いい仕事をするためになんのためらいもなく地面に背をつけ、ひざを突く。一度やってしまえば実はなんということもないのだけれど、最初にそれをするまでがどれだけ大変なことであるか。
 ホームレスの頃のこと。人通りの激しいアベニューで空き缶を取るために初めてゴミ箱の中に腕を奥深くまで突っ込んだ。「プチッ」となにかがはじけた。そんな忘れかけていた感触を彼の白くなってしまったエプロンは思い出させてくれた。

 ひさびさのブリトー。ホットソースをたっぷりとかけ、頭の毛穴を開きながらおいしく食べることが出来た。どう考えても身体にはよくなさそうな食事だけれどたまにはいいだろう。しばらくは辛いものを食べるたびに彼のことを思い出すことだろう。
 きれいであるために、そうあり続けるためには泥水を飲む覚悟がいる時だってある。
 食事を終えて席の後ろを見てみると、そこでは黒人の親子連れが楽しそうに食事をしていた。この笑顔のためにお父さんも、お母さんも彼らのエプロンを真っ白にして働いている。





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by seikiny1 | 2006-05-18 14:49 | 旅のボヤキ
ハーゲンダッツ
 実はまだダラスにいます。予定ではもうすでにテキサスを出ているはずなのに……。それでもなんとか明日にはヒューストンへ向かうことができそうです。もちろん「何も起こらなかったら」、という前提つきですが。

 昨日は金曜日。相方のドライバーは宗教上の理由で金曜日の日没から土曜日の日没まで働かない。と言うよりも戒律上それを禁じられているらしい。それはこの旅に出る前からわかっていたことだから一向に構わない。こちらはその《約》二十四時間だけが唯一ひとりになることができる。この時間なしで僕は生きていくことはできない。
 誰もがいろいろなものを背負って生きている。背負いたい人も、そうでない人も。それが宗教であれ、ひとりの時間であれ。なにがしかのものがある。

「何時までに(仕事を)終わればいい?」
 そんな問いへの答え方にもその人の人となり、性格があらわれてくるものらしい。彼の答えは、
「うーん、四時ごろかな」
「いや三時だね」
「ちょっと待って。二時半くらいのほうがいいかもしれない」
 一分弱の間に数字がだんだんと減っていく。もし僕(多くの日本人)が同じ問いを向けられたとしたら。この数字はきっと増えていくことのほうが多いだろう。ギリギリの少し向こうくらいまで。なんとか「なんとか」しようとする。
(正確な日没時間はわからない。彼らがなにを指して<日没>と言うのかも。ちなみにダラスでは午後八時三十分を過ぎてもまだ薄明るい)

「アッ、忘れてた。車のブレーキランプが切れてたんだ」
(この言葉、少なくともこの十日間で数十回は聞いている)
 そう言いながら次の現場へと向かうべく乗ったハイウェイの途中で彼はハンドルを切った。ダラスがどんどん後ろへ遠ざかっていく。時計の針はやっと二時を回ったところだった。
「ダイジョウブだよ。これから行く所のそばにも仕事になりそうな場所があるから」
 滑り込んだ所は野球場のような敷地におそらく数千台の車が整然と並べられたカー・ディーラーだった。ハイウェイを下りる前からSERVICE(修理)と書かれたブルーの大きな文字が目に入っていた。
「エーッと……。どこだったっけかなー」
 整然と並んだピカピカの車の間でまたナビゲーターに戻る僕。
 そこまで足を運んでやったことはといえば、ヒューズと電球の購入。交換ではない。
 ヒューズを入れてみる彼。
「悪いけどちょっとブレーキ踏んでくれないか?」
 ―――――
「おかしいなー、つかないぞ。ウン、きっと電球だな。ま、後から換えることにしよう」
 勢いよくドアを閉めると車はいきなりハイウェイに滑り込む。
 僕は知っている。彼が電球を一個しか手にしていなかったことを。
 彼は知っている。双方のブレーキランプがつかないことを。
 この旅の間にブレーキランプがともる日はやってくるのだろうか?

 気がついてみると車はモーテルのあるイグジットを降りていた。
「ちょっと取ってくるものがあるから」
 そう言い置いて彼は車を降りていく。数分後に戻ってくるといよいよ<仕事になりそうな>所へ。だが、走り出して五分も経たないうちに、
「こっから6マイル(約10キロ)あるんだよなー」、とひとり言。
「もう疲れちゃったよ、今日は。ヤメにしちゃっていいかな?」
 ちなみに僕たちは歩いているわけではなく、車に乗っている。まぁ、運転しているのは彼なのだが。もちろんそれが彼に与えられた仕事でもある。数瞬の間言いよどんでいると突然大きなUターンがはじまりだしていた。
 このハンドルさばきでダラスでの仕事は終わってしまった。

「あ、買い物するの忘れてた」
 モーテルへの途中でつぶやく彼。
「ま、シャワーでも浴びててくれよ」
 そう言い残して彼は消えていく。

 五時になりそうだった。
 彼はまだ帰ってこない。いったいあの<二時三十分>という時間はどこへ行ってしまったのだろう?

 こんな具合で僕の旅程はドンドン延びている。本当に終わりは来るのだろうか?そんなことまで不安になってきてしまう。

 昨日の朝のこと。車のドアに鍵を差し込みながら彼は言う、
「セイキを見習って俺もだいぶオーガナイズできるようになったよ。今朝なんか、ホラ。<たったの>一時間で準備ができただろう」
 僕にできることはと言えば、うなずくことくらいだった。
「あ、いけねー。忘れ物しちゃった」
 いつものごとく予定の時間はもうとっくに過ぎている。
 数分後、氷で満たされた1.5リットルほども入る大きなプラスチック・カップを手にニコニコ顔の彼が戻ってきた。それにコーラを入れておいしそうに飲む。彼はコーヒーを口にはしない。そのかわりと言ってはなんだが、毎朝ハーゲンダッツのアイスクリームをひとつ。
 たしかにダラスは暑いんだけどね……。

 旅が終わったとき、この二人はどうなっているのだろう?
 お互いが、お互いから何らかの影響を受けあっているのかも知れない。それでも僕にはコーラとアイスの朝食はできそうもない。そういえばもう十日以上米粒を口にしていない。今日はメキシカンフードでも食べに出よう。



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by seikiny1 | 2006-05-14 05:32 | 旅のボヤキ
車はガソリンで走るんです
昨夕、陸路でシカゴからテキサスへ。今朝からはテキサスにいます。この旅はこれからも陸路での移動が続きます。
 ダラス、オ-スチン、サンアントニオ、ヒューストン、アルバカーキ、フェニックス、ラスベガス、サンジェゴ、そしてサンフランシスコへ。予定が伸びそうでニューヨークへの帰着は6月下旬ごろになりそうです。
 こういった状況下であるからといって旅行ブログにするわけでもなく、ただ僕がニューヨークから動いているというどれだけ。立っている、歩いている場所が変わるだけ。どちらかと言うと少しだけ遠出の散歩といった意識が強いです。それでもどうしても旅先で感じたことが中心になっていくことでしょう。そういったわけで当分の間『旅のボヤキ』といった感じの短文をお楽しみいただけたら、と思っています。
 ニューヨークでは拾えないものを拾うことができたら僕はそれでいい。

今 回の旅はドライバーとの二人三脚。ペースがまったく違い、チームワークをとることの大切さ、その難しさをしょっぱなから痛感しどうしです。間違いなく僕のほうが振りまわされているのだけれど。
 特に、一人であることが好きな僕にとって、二十四時間常に<誰か>がそばにいるというのはかなりしんどい。きつい。きびしい。こういった中でどれだけ自分を保っていけるのか?それもまたこの旅の試練のひとつかもしれません。とにかくひとりになれないので、このところそのストレス度がかなり高くなっているのが自分でもわかります。この先どうなることやら……。

 本当に「走る」という言葉がぴったりと来る仕事を十年以上ぶりにやっている。もちろんこういった動きは僕の本分ではない。それでも引き受けた以上は走りとおさなければならない。とりあえずこの二ヵ月間は「走る」ということで腹をくくった。
 それなのにパートナー。
 走りません。休みます。忘れ物します。落し物します。なにかをまとめるのが苦手です。落し物をよくします。迷います。あぁ、どうしよう……。
 それでもパートナー。とってもいい人なんです。なんとか帳尻をあわせよう。

 シカゴからテキサスへ。車は大きなシボレーのピックアップトラック。笑いたくなるようなはやさでガソリンが減っていきます。それにしても一時間毎にハイウェイを降りて給油するドライバー。ガソリンタンクの目盛りはまだ3/4のあたりをうろついているのに。最初の五時間はきっちり一時間。その後は二時間。あんなに忘れ物したり、落し物ばっかりしている彼なのにこういったところはなぜか几帳面。
 車への給油の頻度には結構人の性格が表れるのかもしれない。
「まーなんとかなるだろう」
「石橋はいつだってたたくもんだ」
 ここのところ運転こそしていないけれど僕はずっと<ギリギリ派>だった。E付近のオレンジラインと仲良しだった。針がそこを振り切っても「あと○マイルは走るな」と余裕を持ちながら走る。それでも一度だってガス欠での立ち往生はない。こういう経験が積み重なった結果として<ま-なんとかなるだろう>度がドンドン上がってしまったもかもしれない。そして……。 
 一方では時間毎に給油する男もいる。こんなタイプの人は決してホームレスになったりしないのだろう。「前に、前に」と手を打ちたとえ「亀!」となじられようとゆっくりと、しかも着実に進んでいく。そう、テキサスは決してどこへも行くことはない。
 ガソリンタンクの目盛り。それを右端を気にする人間と、左端。乱暴なわけ方をするとこの世にはこの二つのタイプの人間しかいないのかもしれない。その二つがなんとかギリギリのバランスを保っているのがこの星。そしてこのトラックにもそんな二人が並んで座っている。

 十四時間の予定だった。十六時間が経った今朝九時過ぎ。ダラスまであと180マイル。
「もうだめだ」
ドライバーは根を上げてしまった。州境を超えた最初のイグジットでハンドルを左に切る。仕方がないのでそこのモーテルにチエックイン。

 予定は遅れている。ボスはイライラしていることだろう。それでもしょうがない。泣いても笑っても彼(ドライバー)が首を縦に振らない限りトラックは進まない。
結果として昨日、今日と二日間が宙に浮いた。昨日のことはまたの機会にでも書こうと思う。
少しだけイライラしながら、あせりながら突然転がり込んできた休息日を楽しんでいる。モーテルでは一発でネットに接続することができた。さて、次はいつつながるだろう?
「まー、なんとかなるだろう」



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by seikiny1 | 2006-05-09 12:55 | 旅のボヤキ
おしらせ
急なのですが、仕事で長期(4週間ほど)NYを離れることになってしまいました。
出先でのネット環境がまだわかりません。更新の頻度が落ちてしまうことになると思われます。

せっかくお越しくださった方には申し訳ありません。
できる限り更新していきますのでよろしくお願いいたします。


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by seikiny1 | 2006-05-01 11:46 | その他
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