ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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ウーの家
 茶碗、皿、コップ、弁当箱、はしやはし入れ、スプーンやフォークの柄、歯ブラシ、などなど。身の周りのすべてが《ブー・フー・ウー》で占められていた時期があった。幼稚園の頃のこと。
 当時はやっていたテレビ番組の登場人物(?)は仔豚の三兄弟。名前を<ブー>と<フー>と<ウー>といった。そう、童話「三びきのこぶた」を題材とした物語。
「あの物語は僕達にどんな問いを発していたのだろう?」
 そんなことを最近考えている。もちろん、まっとうな、答えはわかっているのだけれど、どこかでなにかが消化不良をおこしているしている。

 ご多分にもれず僕は<ウー>のファンだった。レンガの家を作った末っ子。勤勉かつ賢明で思いやりをあわせ持っていた。どうやら人は自分にないものにあこがれるらしい。そしてこの時期にレンガ造りの建物の街、ニューヨークに対するあこがれの下地は作られたのかもしれない。

 あたりまえではあるけれどレンガや石造りの建物は長持ちする。この街では築百年を越える建物はザラで、しかもまだまだ現役として活躍中。「たっていて当然」といった顔つきをしている。生まれながらの家を受け継ぐ人も多い。そんな人にとって「マイホーム」というのは夢ではなく、単なるひとつの現実であるに過ぎないのかもしれない。夢を他の部分にかける余裕もまたそこから生まれるのだろう。家は「建てるもの」ではなく「受け継ぐもの」であり「伝えていくもの」。そんな人達をうらやましく思う人もいるかもしれない。
 家の買い替えなどの不動産投資も<ウーの家>だからこそできること。この国では<ブーの家>を買う人は少ない。耐用年数の長い家に住むからこそ生まれる生き方や考え方もまたあることだろう。
 そして今でも<ウー>になりたくてこの街にやって来る人もいるはずだ。

 しかし、
「ブーの家はだめなのか?」
「フーの家だっていいじゃないか?」
 レンガで囲まれた部屋の中でそんなことを考える。
 外敵や環境から身を護るための家。堅実であることはたしかだ。それでも「外」と歩調をあわせることによってはじめてなり立つことのできる家、流されることをも計算に入れた家を否定することはできない。開口部分を多く取り入れた日本の家屋を見ていると拒絶ではなく「調和」という言葉が思い出される。
 <ウーの家>は絶対ではない。

 僕が寝起きしている<ウーの家>も軽く百歳は超えているだろう。それでも背筋を伸ばして立っている<ウーの家>。そんな壁に囲まれているとたしかに安心感はある。それでもやはり老いを隠すことはできない。こまめに病院へ行き検査・治療をしておかなければ病気になる事だってある。がんばれ大家さん!
 前回の記事をアップしようとした時にそれは起きた。インターネットの接続を待っていると
”modem can not find dial tone.“
なるメッセージがモニターに現れた。ためしに受話器をとって耳にあててみる(僕の家はダイアルアップ接続なので)。
- 無音 -
(電話代は払ってある。もしなにかの間違いで接続を切られたとしても警察・消防への電話はできるようになっているはず……)
 出した結論は
「線切れだな」
 その日は風が強く大雨も降っていた。どこかで電柱が倒れた可能性もなくはない、焦ってもしょうがない。しばらく待つことにした。

 数時間たって受話器を取り上げてみる。
- 無音 -
 どうやら室外の線切れではなさそうだ。ということは室内。それは少なくとも「修理代数十ドル也」を意味する。次の瞬間に僕は懐中電灯を持って立ち上がっていた。まずはジャックのついたボックスから電線を追う。何度も、何度も上塗りを施され角がなくなりようやく線とわかる年老いた電話線を追いかける。数分後、台所の棚の後ろで別のジャックを発見することができた。さっそく電話機のプラグを差し込んでみると
「プー」
 つながっていた。数十ドルがセロになった瞬間。

<ウーの家>だって無条件で頑丈であるのではない。
 前回の記事の内容が電話に関するものだったのでその思いも強かった。複雑な感情が交差する。そしてトップランナーではなくてもいまだに電話は第一線にあるコミュニケーションの道具であることを実感した。たとえそれを使うことは少なくても「つながっている」という安心感が与えてくれるものは大きい。
 正直に言ってしまえば、その数時間ちょっとした孤立を感じていた。まるで無人島にでも流されたような不安。「つながっている」ただそれだけでもなんと安心できることか。

 数年前、僕は消息を断った。つながりを自分の意思で断ち切った。
 受話器の中の無音という名の音を聞きながら考えていたことは家族のことだった。
「もう自分で電話線を切るのはよそう」


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by seikiny1 | 2006-04-28 09:38 | 思うこと
保留
 小さかった頃、月に何度か近所に暮らすおばあちゃんの家へ走った。
 引き戸を開け、少し薄暗い玄関に立つと
「でんわでーす」と大声で呼ぶ。
 僕の家に電話が引かれた頃の話。ダイヤル式の黒い電話、それは間違いなく時代のハイテク通信機器だった。電話には町内の共有物という横顔もあった。もちろん一人に一台、携帯、動画なんてことは本の中ですら読んだことがない。三十数年でそれはあたり前のことになってしまったのだけれど。

「お待ちください」
 ニューヨークに着いた数日後、日系の会社に電話をかけた。その言葉の直後に受話器の奥から(英語の)ラジオ放送が流れだす。英語がわかれば退屈しのぎにもなるのだろうけれど、僕は内容そのものよりも「受話器からラジオが流れてくる」ということに面食らっていた。二十年前のニューヨーク。まだまだ電話はハイテク通信機器の最前線でがんばっていた。
 HOLD(保留)ということにそういう洒落た気配りのできる、そんな製品を作ってしまうこの国の気風に打ちのめされていた。日本で会社勤めをしたことのなかった僕にとって保留ボタンは未知のもの。誰かに電話をつなぐ時は送話口を手でふさぎ、大声で相手を呼ぶようなことしかできていなかったから。そういえば友達の家の電話の横には小さな箱が置いてあった。そこに受話器を置くとオルゴールの音が流れ出す。曲は「エリーゼのために」。
 時代の最先端にある、それはそれなりに気も配ってもらえることなのかもしれない。

 数週間前のこと、かなりの数の電話をかけた。電話がかかってくるのも、かけるのもきらいな僕にとってその日々だけで電話に割く一生分の時間を使いきってしまったはずだ。かけた数に比例してHOLDされてしまうこともまたよくあった。ラジオは流れない。たったの一度も。まれに聞くことのできる音といえば録音された自社の宣伝。待たされて数分後にいきなり切れてしまっていることも何度かあった。どうやらもう電話は最先端を走っていないようだ。この先走ることもないだろう。電話の受け応えの技術もかなり低下している。「エリーゼのために」はもう古ぼけた頭の中でしか流れない。
 最先端を走れなくなってしまったランナーは哀しい。それでも彼はこれからも走り続けなければならない。

 心地良いHOLDを実現したあの心意気は今でもどこかの分野で活躍していることを願う。

 一方でこれだけの人達が「書く」ということに時間を費やしはじめて数年が経つ。これもまた数十年前では考えられなかったこと。通信手段としての「書く」という行為は消え去ることのひとつと誰もが思っていた。そこには喋るのとは違い、やりながら自分の頭の中を整理することができる。言葉だけでは伝えることのできないなにかを込めることができる。生活の中にいきなり土足で上がりこんでくることはない。スピードを得た「書く」は息を吹き返したようだ。「書く」の復権で再発見されたことも多い。もちろん匿名性の良否など問題点は山積みされているが、それはやはり時代のトップランナーの宿命でもあり、順位が落ちてしまえば人の口にすら上らなくなってしまうだろう。そして欠点を改良した次のランナーが順位を上げる。

 日本に帰った際、母に携帯メールのやり方を教えた。今ではPCを習っているそうで近況をメールで伝えあうことができるようになった。
 それでも誰もがPCや携帯メールを使う(使える)わけではない。日本のどこかで
「メールでーす」、とプリントアウトされたメールを手にした子供が叫んでいるかもしれない。

 共有と保留。


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→そしてこの後予期せぬ出来事が起こった。
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by seikiny1 | 2006-04-25 08:59 | 日ごろのこと
パセリ
 いい茄子がなかった。頭の中では麻婆茄子が湯気をたてていたのに……。
「そのかわり」というわけではないのだけれどよく熟れたトマトが安い。飛行機は中国から一路イタリアへと針路を変える。いつもならここでシアントロを買うのだけれどどれもがひなびてしまっている。そういったわけで生まれて初めてイタリアンパセリを買った。

 シアントロが大好きだ。これさえあればどんな料理もうまくなる。僕にとってはまさに魔法のハーブ。あの香りには僕を惑わせてしまう不思議ななにかが含まれている。それをイタリアンパセリに感じることはない。それでも針路を急に変えたことは成功だった。ニンニクとイタリアンパセリをたっぷりと使ったトマトのパスタはうまかった。たまにはこんなハプニングも悪くない。

 いつの頃からだろう?パセリを食べるようになっていた。そう、よく料理の飾りとして添えられる「あの」パセリ。以前ほどお目にかからなくなってしまったあのパセリ。決して好きではないのに、どちらかと言うと苦手な部類に入るあの苦味。それでも今では食べてしまうあのパセリ。一体いつから、どういった心境の変化で食べるようになったのだろう?好きでもないのに。
「皿の上のものは絶対に残してはいけない」
 そんな育て方をされてきたわけだけれど、いつもにらみをきかせていた父もなぜかパセリに関しては何も言わなかった。きっと彼も「うまくない」と思っていたのだろう。
 たしかに料理だけを盛られた皿は時として味気なく映る。そこに小さな緑色のかたまりが添えられているだけで見栄えがし、箸もまた進む。たとえそれが一片のパセリでも。もちろん食用価値という点に立てば、小さいながらもサラダなどが盛られていたほうがいい。もちろん見栄えだって、お皿の隙間を埋めるという意味でもこちらに軍配が上がる。まず、ウマイ。そんなせいだろうか、最近パセリとご無沙汰しているような気がする。スーパーの棚でイタリアンパセリを選んでいる時、「あの」パセリは隣にいた。そんなパセリの視線を感じながら僕はなんだかそわそわしていた。口の中を満たしていたのはあの独特の苦味。それでもあのパセリは買わない。これからも買うことはないだろう。
 苦くて、うまくなくて、それなのになつかしいパセリ。この感情は何かに似ているのだけれど思い出すことができない。

 食べ終わったお子様ランチの皿ではいつも爪楊枝にさされた日の丸とパセリが横たわっていた。
 決して食べられることのないパセリ。あのパセリはどこから来て、そしてどこへ行ってしまったのだろう?食べ物でありながらそうでなかったパセリ。まるで小さな盆栽のような姿をしたパセリ。
 あのパセリ。それには料理をする人や母親たちの思いが込められていたのかもしれない。
「おいしく食べてね」と。
 決して食べられることのない小さなパセリにはそんな思いが満ちていたのかもしれない。
 前回の帰国では食べる機会のなかったコンビニ弁当。日本人の胃袋の大きな部分を占めるそれにパセリは入っているのだろうか?そして今でも最後まで弁当箱の底に横たわって笑っているのだろうか?

 ポツリと残されたパセリの姿がなぜか懐かしい。残されていてもなぜかその姿が悲しげに見えることはない。
 パセリは食べてはいけない食べ物なのかもしれない。


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by seikiny1 | 2006-04-21 10:49 | 日ごろのこと
電話交換手
 ビルの狭間を歩いているだけではなかなかわからないが、ニューヨークにも意外と裏庭を持つ家は多い。僕のアパートの裏にも庭がある。そして毎年この季節、首をかしげたくなる風景を目にする。はす向かいの庭では今年も突如としてチューリップ並木が現れた。工場生まれの花たちよ。
 こう言う僕も毎朝一番にすることは、と言えばバスルームの窓際に置かれた四つの鉢植えたちに声をかけること。彼女たちも工場生まれだ。
 最近では植物を種や球根から育てる、ということが<あたりまえ>ではなくなってきているのかもしれない。春の終わりの頃、すっかり花を落としてしまったチューリップ並木。また突如として消えてしまう。

 電車に揺られながら突拍子もない言葉が浮かんできた。
<電話交換手>
 英語ではtelephone operator。すっかり忘れてしまっていた言葉。僕が生まれる以前はバスガイドと共に女性にとってある種「花形」の職業であったらしい。女性が専門職を持って社会に出るという面から考えてみても大きな足跡を残しているはずだ。そういえばBG(ビジネス・ガール)という言葉も古い映画や本では目にする。女性が仕事を持つことが当り前の今、OLという呼び方すらなんだか古めかしく感じてしまう。当たり前のことはあまり呼び名を必要としない。
 社会の変遷と共に生まれ、そして消え行く職業。

 今では電話交換手という名の職業はほとんどないだろう。駅で改札をする人の姿もほとんど見かけることはなく、足場を組んで一日中看板を描いているおじさんも見ない。そして球根を庭に植える人も。
 地球の人口は減るどころか増えているはずなのに、どうも職種のほうが少なくなってきているような気がしてならない。その反対で感じるのは<工場>の増加。そこで働く人々、生活をそれに頼る人々。僕はシステム化されてしまった農場、漁場、牧場なども工場と呼んでいる。

- ヨーロッパへ行ったときの事。ちょっとした店の間口ほどもある自動(?)販売機に何度かお目にかかった。いくつにも分けられた小さなガラスの扉の向こうには、サンドイッチ、コロッケ、飲み物からはじまり歯ブラシまで種々雑多なものが並んでいる。コンビニの自動販売機。時折、裏側の扉が開き、従業員さんが品物を補充する姿がなぜだかホッとさせてくれる。 -

 今では電話交換手も駅の改札員も工員の手で作られている。工場で作られた彼ら、彼女らはトラックで運び込まれ電気というご飯を食べ続けながら夜通し働く。愚痴も言わず、賃上げ交渉もしない。機嫌が悪くったって客にあたりちらすこともないが、気分がよくてもオマケしてくれることもない。たまには耐震基準を大幅に下回るビルが建ったりすることもあるようだ。雇用の増加で工場を誘致する自治体。環境汚染で泣く人。あっけないほど突然に消えてしまう工場。
 子供の頃に本で目にした<夢>のような生活。それに近いものが僕の隣では今も成長を続けている。ひとつ間違えば悪夢となってしまう夢。夢という言葉にはたしかに不思議な力があるみたいだ。

 アメリカには自動販売機が少ない。日本と較べれば「ない」に等しい。その一番の理由は治安が「悪い」。お金や、金目の物を無人の状況下に置くことは危険この上ない。治安がかつての日本ほどよくなり、それが続いた時この国はどうなってしまうのだろう?想像するだけで背筋が寒くなってしまう。アメリカ、世界最大の消費国(無駄遣いの国)にとって治安の悪さは必要悪なのかもしれない。この上にバランスを保ちながらなんとか存在している国。

 夜の街をボンヤリと歩く。ボンヤリと浮かび上がっている一画が目に入った。閉店時間をとうに過ぎた銀行のロビー。そこには十台ほどのATMがたたずんでいるばかり。なぜだか目をそらしたくなる。
「昔、銀行員という職業があった」ということにならなければいいのだけれど。



 また遠くでパトカーのサイレンが鳴っている。



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by seikiny1 | 2006-04-18 09:41 | 日ごろのこと
カウンター
 カウンター。それはバーの、飲み屋の鏡と言ってもいいかもしれない。
 僕はバーや飲み屋では好んでカウンターのこちら側に腰をおろす。別に意味や「ここでなければならない」という事はないのだけれど、ドアをくぐると吸い寄せられるようにそこへ行ってしまう。時として、何も考えずにじっとカウンターの表面を黙って数分間も眺めていたりもする。

 その好みは分かれるところだろう。たぶん僕の立つ側のほうが不利(少数派)かもしれない。
 ニスの少し剥げ落ちたくらいのカウンターが好きだ。乾燥してしまい少しだけ亀裂が目立ち始めてきた天板。あちこちに小さなキズができている。ニスの剥げ落ちた箇所には酒が、水が、油がしみこんでそれでも毎日きれいに磨き上げられているためか独特の光沢を持っている。人々の涙を、汗を、笑いを吸い込んで、これからもふくらみ続けるだろうカウンター。決して作ろうと思っても作ることのできないもの。そんなカウンターに惹かれてしまう。
 昼間の光の下ではアラばかりが目立ってしまうが、夜のやさしい照明の下、それは妖しく僕に微笑みかけてくれる。
 そんな店ではスニーカーの底をキッチンの油で汚してしまったウェイトレスの女の子がとびきりの笑顔で迎えてくれたりする。そんなカウンターと女の子、そしてこれまたWAXの落ちてしまった床が僕をやさしく包み込む。少しぬるくなってしまったビールですら美味く感じてしまうのだから不思議だ。
 決してくたびれているわけではない。不潔なんかであるはずがない。適度にこなれてカドが取れているだけ。一所懸命でありながらも「きれいであろう」とするその姿に惹かれてしまう。

 古い友達にJohnというイタリア人がいる。父親から譲り受けたバーを切り盛りしている。彼の店は毎年八月の間クローズとなる。三週間は家族と共に、残りの一週間を費やして長い、長いカウンターは薄く削られその上にニスを塗られる。もちろん床にもWAXがけをしてそれこそ鏡のように磨き上げる。九月の連休明けにはお化粧直しをしたバーが客を少しだけはにかんだような笑顔で迎えてくれる。

 商売に対するどちらの姿勢が勝っているなんて誰も言うことはできない。考えること事態が無意味だ。ただの好みの問題に過ぎない。僕は九月にJohnの店へ行くとなんだか照れくさく、落ち着かなくなってしまう。ちょっときれいな女性とはじめて口をきくような感じで、それはそれで悪くはないのだけれど。なんだかもじもじしてしまう。

 バーのカウンター。それは女性に似ている。その好みも僕の女性の好みとダブルのだろうか?
 


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by seikiny1 | 2006-04-16 06:50 | 日ごろのこと
足の中のヨコモジ
 ニューヨークでのipodの売れ行きは好調のようだ。
 その時間の差こそあれ、ここも東京と同じで通勤の時間を電車の中で費やす人が多い。昨年暮れに決行されたMTAのストの記憶はまだ新しいことだろう。数万の人達が歩いて職場へと向かった。地下鉄はニューヨーカーの足である。
 ヨーロッパへ旅した時のこと。ある人と話しをしていた。彼の東京での印象は
「とにかく本や新聞をよく読む人達」ということだった。
-そうかな……。
 少しだけの違和感。考えてみればニューヨークでも実に多くの人が足の中で文字を追っている。最近でこそipodや携帯電話のゲームに没頭している人も目にするけれど、やはり主流は書物。そんな光景が頭の中に焼きついているからこそ、「とにかく本や新聞をよく読む人達」という日本の印象に違和感があったのかもしれない。
 日本でもそうだろうが、ここニューヨークでも足の中での読み物の主流は新聞だ。<人種のるつぼ>と呼ばれるこの街。その新聞もまた百花繚乱のおもむきがある。英語にはじまり、スペイン語、中国語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、アラブ語、ハングル語、……、そして日本語と実に様々な花が足の中で開いている。そしてずっと気になっていたこと。それは、
 僕の知る限り「縦書きの新聞は日本語だけ」ということ。本土の新聞はいざ知らず、今では数ある中国誌も横書きになっている。足の中のほとんどの目が左から右(まれに右から左)へと走る。我が同胞のものだけは上から下への場合がほとんどだ。

 コンピューターのモニター上の文章を追いかけていると疲れてしまう。もちろんモニターという媒体の性質もあるけれど、これを途切れなく長時間にわたって続けるのかなりはしんどい。もちろん子供の頃から横書きの文章はあった。しかし、今ほど氾濫はしていなかった。その多くは縦書きで、目の動きや、脳の働きに縦書きの文章を追う回路がしっかりと出来上がって固まっているのだろう。
 最近では長文を読む際は一度すべてをコピーしてwordに貼り付けてから縦書きに組みなおして読む事にしている。これだと集中することもでき、長時間読み続けてもそれほど苦にはならない。
 日本でもコンピューターのモニター上の文章を追いかけることが「あたりまえ」となりつつあるのだろう。そしていつかは横書きの文章が日常の主流を占め、目の動きや脳の働きもそうなっていくのだろうか?その時我々はどうかわっていくのだろう?
 縦書きから横書きに変わったニューヨークの中国人達。これを追ってみる価値は十分にあると思う。まだ表面化はしていないけれどその影響はかなり大きいはずだ。

 なぜだろう?
<書く>という事に関しては横のほうがスムーズに事が運ぶ。それはノートという道具をずっと使っているからかもしれない。しかし、それでも日本の道具(筆ペン)を使う時は「やりにくい」。縦に書くための道具あるからだろう。これと似た経験がある。それは初めて万年筆で物を書いた時。まだ中学生だった。

 縦のものを横にする。
 この事は簡単なようで簡単ではない。すべてのことに影響を及ぼしていく。せめて紙媒体の上ではいつまでも縦書きであってほしいと願う今日この頃。


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よこもじ【横文字】横書きにする習慣の文字。特に西洋の文字。転じて西洋語。
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僕の二十年来の友達であるHIDEちゃんとHANAちゃんがヘア・サロン《Salon OASIS》をOPENしました。ご近所にお住まいの方、よかったら行ってみて下さい。
腕は確かです!






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by seikiny1 | 2006-04-14 05:19 | 思うこと
《おしらせ》
新しいブログをOPENしました。
『ボーカンシャ』
こことは少し違ったものとなるかもしれません。
ただ、僕にとってこのページがマイホームであることに変わりはありません。
こちらも、数日中にまた日記をつけたいと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。
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by seikiny1 | 2006-04-10 08:46 | その他
通過駅
 約束の時間の十分前に着いた。とりあえず相手に電話を入れてみる。留守電。
 約束の時間が来た。再度電話を入れる。留守電。
 約束の時間から十五分が過ぎた。電話を入れる。留守電。
 約束の時間から三十分が過ぎた。電話を入れる。留守電。
 場所は地下鉄の駅を指定されただけ。「そこへ着いたら電話を下さい」と。どうしようもない。相手を探すにも探せない。

 人の用事で見知らぬ人と会うことになっていた。相手にとってはビジネス。まさかすっぽかされるなんて思ってもいなかった。しかし結果は……。往復の時間を含めると一時間ほど<無駄にして>しまった。やはり不快感は残る。

 初めての場所。そこは僕のアパートから特急の地下鉄で約二区間しか離れていない。実際に電車の乗っている時間は十分ほど。それでも改札を抜ける前から異質な匂いを感じていた。ある意味なつかしい匂い。そこにはちょっと昔のニューヨークの匂いがあった。もっと奥でもこんな匂いのしないところもある。そういった場所の匂いはアメリカ的で、最近のニューヨークに近いもの。匂いの粘度がとてもうすくなってしまっている。僕が降り立った駅周辺には言葉を変えると「なにが起こっても不思議ではない」、そんな臭いが立ち込めていた。
 午後の二時だというのに通る車はほとんどない。三百六十度見渡して見ても人の姿は五指に欠ける。まず<店>というものがほとんどない。
「こんなところが残っていたんだ」
 これが正直な感想だった。

「どんなとこだろう?」
 前日の夜、地下鉄の地図を広げながらボーッとそんなことを考えていた。少しだけうきうきしている自分がいる。たとえそれが十分という時間の向こう側でも、見知らぬ土地というものには心に波をかきたてられる。それは旅なのだから。旅の楽しみの一つ、それは「まだ見ぬ土地を思い浮かべて見ること」。
 この<すっぽかされた地>。僕にとっては間違いなく旅だった。そして少しだけ冷たい風に吹かれながら旅人は
「じっと待っているよりも」と思ってしまう。すぐに気の向くままに足をすすめる。
 ステッカーの貼られているアパートの窓。乱雑に並べられたゴミ箱たち。凸凹の植え込み。おりたシャッターが目立つ目抜き通り。通り過ぎて行く車の種類。道端にたたずむお年寄り。テントが傾いてしまっているデリ。そんなヒントからこの地のこと、ここに住み暮らす人たちのことに思いをめぐらせる。いつの間にやら頭の中もすっかりと旅モードに切りかわっている。
 キョロキョロとしながら歩いていると、目のはしばしに小走りに急ぐ人の姿が映りはじめた。よくよく見てみると遠くの方から電車が近づいてきていた(この駅から電車は地下ではなく地上を、高架の上を走りはじめる)。
「まだ間に合う」
「間に合うかもしれない」
 そんなリズムが残されている町。知らないところですべてが行われ、そして消えて行くことはこの町にはまだまだ少ないのかもしれない。
<こんなこと>でも起こらなければおりることのなかったであろう町。いつの間にやら<すっぽかされた>ことよりも、その駅で降りたことの方がズンズンと僕の中で大きくなっていく。

 あきらめて帰宅した。詫びの電話もかかってこない。昨夜の地図をあと一度広げて見る。
 降りたことのない駅のなんと多いことか。しばし呆然としてしまった。「名前を聞いたことはある」、「よく通り過ぎる」そんな駅のなんと多いことだろう。ここにもある。そこにもある。あそこにもある。そしてそこには想像も出来ない何かが待っているのかもしれない。
 途中で降りる旅。それは目的地にたどり着くことよりも素晴らしく、そして苦しく厳しい旅なのかもしれない。通り過ぎるのはとても簡単なのだから。止まること。停まること。そして泊まること。これもまた旅。
 飛行機で世界地図を塗りつぶして行くのもまた旅。人にはそれぞれあった旅のスタイルがある。旅、それはそれぞれの地図、ガイドブック、そして自分の隙間を埋めていくこと。そして今の僕の旅は、気の向いた駅で各駅停車の電車から飛び降りること。目的地へ行くことではなく途中下車の旅。そんな旅が僕の隙間を埋めてくれる。
 埋めるもの。それは必ずしも地図やガイドブックでなくてもいい。目に見えない物だっていい。それぞれがそれぞれのできる範囲で隙間を埋めていく。途中下車をする勇気があれば何かが変わる。
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by seikiny1 | 2006-04-05 07:27 | 日ごろのこと
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