ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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人生ゲーム
 案の定たいした時間はかからなかった。
 ホリエモン→堀江貴文代表取締役→堀江貴文容疑者、堀江貴文
 その呼び名や、敬称の変化が人々に与える影響は大きい。同じ人間なのに。変わっているのは昨日よりヒゲと髪が伸びたくらいだろう。昨日のヒーローが一転して悪人になってしまう。今ではこういったことは世のならいなのかもしれない。しかし、はたから見ているといつも一抹の無常観を伴う。
 悪いことも(たぶん)やって来たことだろう。その一方では良いこともたしかにやってきている。マトモなところだってある。大きな流れを作った人でもある。直接に間接に影響を受けた人も数知れないことだろう。さて、この世に精練潔白の人がどれくらいいるのだろう?少なくとも僕という名のガラスはあちこちに傷が付き、端っこはかけ落ち、大きなひびが何本も入っている。まめに磨いていないとすぐに曇ってしまう。
 ひびが入った窓ガラスは換えなくてはいけないのだろうか?捨て去られて、こっぱみじんに踏みつけられなければならないのだろうか?
 マスコミばかりか経済界、政治家も手のひらを返す。まるでジャンケンでいんちきをする子供のように。
 はしごを外されてしまった堀江さん。これからどこへ行くのだろう?

<株>というものには全く縁がない。これから先もそれが生まれることはないだろう。
 僕のこれまでの人生で唯一手に取った株券は《人生ゲーム》のそれ。おもちゃの株券。勝ったことはほとんどなかったように思う。それが<株>という名のギャンブルとの僕の出会いであり別れ。
<マネーゲーム>という名の大きなゲームに参加している人や団体なんかどうだっていい。しかし、虎の子の貯金や退職金を元手に株に投資していた小口の人もいたことだろう。自称「被害者」の人達。その人達にとって、数十万円、数百万円という損害はとても大きく頭にきている人も多いことだろう。それこそ「殺してやりたい」と思っている人だっているはずだ。
 しかし、株は貯蓄や商売とは違い<投機>というゲームの一形態に過ぎない。ゲームである以上勝ちもすれば負けもする。様々な情報や統計があり、それを分析する。それもまた楽しいのだろう。知的なゲームと言うことも出来るけれど、バクチであることに変わりはない。情報がある分だけサイコロバクチより安全であるかのように見えるのだろうけれど、それは「資産運用」というオブラートにくるまれた正真正銘のバクチ。負ける人がいなければ、勝つ人はいない。バクチにいかさまがつきものであるのもまた世のならい。
 バクチで負けてしまったからといって胴元に全責任をかぶせることは出来ない。バクチでお金が生まれるかのように見えるけれど、それは幻に過ぎない。プールされたお金がその中で動いているだけ。その場にあるお金そのものが増えることも減ることもない。潮は満ち、そして引いていく。空が泣いたり笑ったりするように、勝って、負けてそれがバクチ。どこかでバランスが取れるようにできているみたいだ。
 運。それを誰かのせいにしてしまうことは出来ない。

 堀江さんの<これから>が気にかかる。
 彼は日本という国を短い間に通り過ぎてしまったつむじ風で終わってしまうのだろうか?社会的な再生はしばらくの間は無理だろう。それでも彼という人間がこの世界にいることにはなんの変わりもない。一度泥を舐めた彼に立ち上がって、再び這いのぼって欲しい。その姿を皆に見せて欲しい。彼の人生の第二章にとても興味がある。
「許さない」人ばかりではないはず。《人生ゲーム》の中でも、台風にあったり、仕返しをされたりしながらもマス目をたどっていけば必ずゴールにたどり着くことが出来る。そこが億万長者の土地である必要なんてない。どれだけゲームを楽しめたか。どんな人生だったのか。それがこのゲームが今でも愛される理由だろう。
 決して『GAME OVER』の文字で画面が凍りつくことのないゲーム。

 数年前のこと。久しぶりに人生ゲームを手に入れた。
 お札の最低金額、マス目の記述、職業などに変更は見られたけれど基本的なことは変わっていない。スタートがありゴールが必ずやって来る。ゴールの直前にやってくるのが決算日。人生の決算をそこでやる。株券を売ったり、家を売ったり、借金を還したり。そこで自分という人間の価値をはじきだす。
 子供の頃から、そして今でも気にかかってならないことが一つある。
「子供一人に付き○万ドルもらう」というもの。
 この感覚がいまだに理解できない。人生は金が全てなのか?

《人生ゲーム》
 それは「人生のゲーム」なのだろうか?
 それとも「人生はゲームだよ」と教えてくれているのだろうか?
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by seikiny1 | 2006-01-30 08:53 | 思うこと
めんどくさい
 人間がめんどうくさくなってきた。山の中へキャンプにでも行きたい。
 こんな気持ちになるのは久しぶりだ、

 コメント、メールをくださった皆さん。返事もう少し待ってくださいね。
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by seikiny1 | 2006-01-16 20:13 | 日ごろのこと
Hoodie
 はじめは力石徹。二番目は小林麻美だった。
 力石徹はボクシングジムの片隅で縄跳びをしながら減量中。小林麻美は資生堂のCMの中でジョギング中。キーワードは運動、そして感想「カッコイイ」。これが僕とHoodieの出会い。あの頃はフード付きパーカーと呼ばれていた。いや、ヨットパーカーというちょっと間抜けだがかわいい名前でも呼ばれていた。
 ちょうど小林麻美のCMが流れていた頃、たしか中二の頃だったと思う、に最初のHoodieを手に入れた。もちろん流れに弱い僕が朝のジョギングの時にフードをかぶっていたことは言うまでもない。
 首の後ろにぶら下がっている袋がちょっとかっこよく見えた時代。それは僕にとってほとんど実用性のないものだった。それをかぶって町を歩く人はいない。その存在はちょうどズボンの折り返しのように何の意味も持っていなかった(ズボンの折り返しに意味があることは後になって知ったけれど)。単なるオシャレのアクセントに過ぎなかった。ダッフルコートがイギリス軍の防寒着として生まれたことは知っていたけれど、少なくとも僕の生まれた地域ではいくら真冬といえども誰もフードはかぶっていなかった。
 フードはただそこにぶら下がっているものだった。そのうちじゃまに感じはじめ、カッコイイという魔力も衰えはじめる。

 平日の午後のこと。人影もまばらな175丁目の薄暗い駅の構内。自分の足音がわかるほど静かな通路を歩いていて一瞬「ギクッ」として立ち止まってしまった。一人の男がまるでポスターのように壁に張り付いている。少しうつむき加減の男の顔はすっぽりとフードに包まれていた。その首から肩にかけてのラインがなんだかアヤシイ。
 それはまだ地下鉄の車両が今のような銀色のチューブではなく、隙間もないほどGraffiti Art(落書き)で埋め尽くされていた頃。そういえばGraffitiもあの頃と比べるとだいぶヘタクソになったように感じる。どうやら発表の場(output)のないエネルギーというものは廃れていくものらしい。
 閑話休題。
 あれは1986年の冬の入り口。自分の中の価値観がグッとひっくり返された瞬間。初めてフードが使われているシーンを見た。それが防寒のためか、はたまた他に目的があったのかそんなことはどうでもよく、もちろん知るすべもない。フードが使われている、という事実があまりにも大きかった。
 それでも僕自身がフードをかぶるまでは十年程がかかった。

 初めてそれをかぶった夜のことを今でも忘れることはない。ホームレスとなってしばらくたった頃、現金を手にするために空き缶をはじめて拾った夜のこと。あの時のフードは防寒のためではなく頬かむりとして僕をくるんでくれた。二回目からはそのフードの厚さの分だけ僕のツラの皮も厚くなったのだろう。もうフードをかぶることなく、「どうした、文句あるか?」といった感じでかえって堂々と振舞っていたことをおぼえている。人間とは、心の持ちようとは本当におかしなものだ。
 それでもこの街の冬の夜は寒くて長い。その数年あまりHoodieが手元にない日はなかった。あれなしでニューヨークの街中で帰る家を持たぬ事は自殺にも等しい。Hoodieは僕の家のようなものだったのかもしれない。
 フードをかぶることのなかった人間がそれを手放せなくなってしまう冬。しかしいいことばかりでもない。フードで周りから隔離される視界は極端に狭くなり、音も聞こえにくくなる。そのために危険にあった友達も中にはいる。いいこと悪いこと、どこかで帳尻が合うようになっているようだ。

 夜の道を住処とすることのなくなった今、フードをかぶることはない。と言うよりもHoodieを持っていない。僕の中の何かが「もう必要ないだろ」とつぶやいているのかもしれない。それでも街行く人の中に背を丸め、フードで顔を覆って歩いている姿が増えてくると、
「あー、冬が来たんだなー」と思う。
 Hoodieはニューヨークに冬の到来を告げる。

 必要のない、使い道のないただのアクセントであったHoodie。
 今では僕の中だけでもこれだけの顔を持つ。まだ知らない顔をもっと持っていることだろう。やはり一番印象に残っているのは地下鉄駅の構内で見かけた男。今でもあのシーンを思い出すと背中に汗がにじみ出てくる。

 すべての人、物事はいくつもの顔を持つ。日頃自分が目にしているのはそれのほんの一部に過ぎない。別の人にとってはまた別の顔が唯一のものであったりする。それでも同じ人、物事であることに変わりはない。いくつもの顔があってそれが出来上がっている。そのすべてがまがいのない本物。拒否することは出来ない。拒絶してはいけない。そこからは何も生まれはしない。できることと言えばすべてを飲み込んでその存在を認めること。もちろん目をつぶるのは簡単だけれど……。
 汗を拭く。身体を洗う。陽射しをよける帽子代わりとして。防寒用として。頬かむり。着物や布団の汚れ防止として。
 パッと思いついただけでも一本のタオルですらこれだけの顔を持つ。濡れたそれはとっさの武器としても使うことが出来る。笑顔も、怒った顔も、泣いている顔だってどれも本物の顔。一つだけを認めたり、否定したりすることは出来ない。
 全てがそれであり、それが全てではない。タオル。
 否定はしてはいけないことだし、許されることでもない。


 ここまでがつい最近まで僕が考えていたこと。
 数日前“Save the Hoodie”という言葉を聞いた。なんでもイギリスという国では公共の場におけるフード付き衣料の着用を禁止する法案が<真剣に>検討されているという。理由は安全・保安上の問題。少し前に犯罪防止のためにロンドンのあちこちに監視カメラが設置されている、というニュースを聞いた。フードをかぶった人の顔を確認できない、そんな理由もあってこの法案が検討されているのかもしれない。
「アホか……」これが正直な感想。
 悪いことをする奴はどんなことをしたってやる。それは古よりの世のならい。フードなんかなくったって、クルクルと額まで巻き上げられたスキーマスクを一瞬にしておろすこともできる。マフラーですらまたたく間に顔を覆うことが出来る。ストッキングをかぶることも数秒もあれば出来るだろう。それとも次はニットキャップ、マフラー、ストッキングまでが禁止されていくのだろうか?まるで中学校の生徒手帳に書かれているような薄っぺらな法律を作ろうとしている。
 BADBOYS(または風なフアッション)が目の敵にされているのかもしれない。全てをHoodieという言葉でいっぱひとからげにしてしまおうというその浅はかさと、中学教師のような目に<あきれる>以外の言葉が見つからない。
 その昔「エレキを弾く奴は不良だ」、と言っていた教師のようなものだ。もちろん学校ではエレキを弾くことは(表面上)禁止され、CAROLのコンサートに行くことも禁止。高校でもオートバイの免許取得は禁止。今のイギリスという国を思いながら頭の中ではそんな過去の日々がかけめぐる。

 力によって -その<力>さえもあやふやなものだけれど- なにかを否定してしまうことは簡単かもしれない。しかし、それでは何の解決にもならない。それを、それとして受け止めてそこからなにかを見つけていかなければ。

 それでもこんな法案が通ったら通ったで、僕はその国を是非見てみたい。
 どんな国なのだろう?


 SAVE THE HOODIE!!!
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by seikiny1 | 2006-01-14 07:20 | 思うこと
ザ・デストロイヤー
(すいません。今回は女性にとっては一部不愉快を感じられるかもしれない箇所があることをお断りしておきます)

 Untouchable
 世の中にはやっていいこと、そしていけないことがある。
 絶対に手をつけるべきではないこと。それは日本でのエロの解禁。
 日本のエロ本やアダルトビデオ。その局部描写の規制は絶対に解いてはならない。
<限られたスペースで想像力を最大限に引き出す>、これは日本人にとって送り手にとっても、受け手にとってもとても大切なことだから。「日本人の本質はここにあり」と言うことも出来る。そこに何があるかわかっている。そこを超えれば何かがある。それはわかっている。そんな表面上のルールだけで均衡がとれている社会。それは知的ゲームにも似ている。エロに限らず、そんな関係から生まれたものは数限りなくある。実際にはundergroundものなども流通しているけれど、映像でも実生活でもでも「だめよ」という越えられない線があるからこそ成り立っている部分がある。
 僕が中学生の頃はまだ墨塗りだった。それがボカシになり、そしてモザイク処理に。誰もがそこに何があるのかは知っている。個人差こそあれだいたいの見当はつく。それでも見せない。見たいけど、見たくもない。そんな不思議な感覚が好きだ。そこにある不思議なエネルギーが好きだ。

 そんなモザイク処理の影響で生まれたのか、最近ではちょっと気になることがある。「できるならこちらの方は墨塗りに戻して欲しい」と思う時もある。
 遠い昔(今でもある一部の環境下にある人にとっては)検閲という制度があった。表現が法律によって規制されていた時代。その時代に検閲に引っかかったもの(又は印刷所にその活字がなかったもの)に関しては○×などの伏せ字が用いられた。専門用語では〓(ゲタ)と呼ぶらしい。今、本を開いてみても伏せ字にぶつかることはほとんどない。数十年前に比べてみればまさに天国のような時代。もちろん誰もが視聴することができる放送という媒体ではいまだに規制はあるけれど、それに関してはうなずける。ただ、文字と言う世界ではつい最近まで伏せ字をそれほど多く見かけることはなかった。自由と言うのは素晴らしい。そう思っていたし、今でもそれは変わらない。
 僕自身は古いものが好きである反面、人にも増して新し物好きな面がある。そんな僕も100%自分の事情でインターネットの波には完全に乗り遅れた。これについてはもう取り返すことは出来ないだろう。
 四年ほど前に初めてそれに触れた時に気づいたことが伏せ字だった。それを見る頻度は日を追って多くなっていく。今では友人や同僚間で交わすメールの中にすらそれを見つけることができる。今回のこの伏せ字の始まりは多分インターネット上の掲示板あたりからなんだろう。特定の個人・団体・商品名などをズバリと指すそれらの言葉に過敏な管理者が警告を与えたり、削除したり。その結果として書き込む方も自衛手段として ー便利な言葉を使えば、自主規制としてー 伏せ字を使う。時と共に、それが閲覧されるたびにそれが一般化していったのだろう。今では何も考えることなく「特定の名前を出す時は伏せ字を使う」という頭の中の回路が動き出すのかもしれない。多くの人にとって悪意はないと思う。現状を表わせばあちらでも、こちらでも伏せ字が花盛り。
 その使い方も、字が伏せてあるだけで誰にでもそれが何であるかわかる。それはまるで地上波で放映された映画の最後の部分で流される早送りされるために読むことのできないクレジットのようでもあり、サングラスをかけたアントニオ猪木が《闘魂》と書かれたタオルを首に巻き銀行強盗をやり終えてドアのところで「ダーッ!」と叫んでいるようでもある。お決まりの伏せ字ではあるけれど、誰もがそれが何であるかはわかっている。
 見なきゃいいのについつい見てしまう。こんなところもエロと似ているのかもしれない。その伏せ字が使われた文章が悪口などの悪意を含んだものであればあるほど、その伏せ字がギトギトとしていて耐えられなくなってしまうことがある。<朝○新聞>と書かれるより<朝日新聞>とかかれる方がまだ読んでいてすっきりくる。○に込められた思いはとても深く大きい。たったの一字を伏せることでその裏にあるものがとても大きな意思を持って語りかけてくる。
 これが新しい日本の文化なのだろうか?

 HN(ハンドルネーム)を使うことで多くの人達が虚実交えながらも言いたいことを言うことが出来る時代になった。HNなしでは言えない事、聞けない事がたくさんありそれが今の社会に果たしている役割はとてつもなく大きい。また送り手は自分の言いたいことを言うことが出来ることの快感を味わっていることだろし、ストレスをも発散しているのかもしれない。それも社会にとってはわるいことじゃあない。中には自分が正義の味方にでもなったかのような錯覚を持っている人も多いことだろう。ただ、問題は匿名とレフリーに見えない凶器(伏せ字)と悪意が重なった時。そしてそれを真実・正義と受け止める人もいるということ。それは悪役の覆面レスラーが禁じ手(反則技)を連発するのにも似ている。試合を終えて覆面を脱いだ彼は意外と紳士であったりもするからまた厄介だ。覆面をしているからこそ出来る悪役、反則技。それを自分自身で楽しむ人もいるだろうが、やはりむなしく悲しい。かつて<白覆面の悪魔>と呼ばれたザ・デストロイヤーはその後覆面をつけたままいい人になった。マンガのタイガーマスクの最終回には子供ながらも泣いてしまった。覆面自体はそう悪いことでもない。
 プロレスは高校の頃から見なくなったけれど、最近たまに目にする格闘技のニュースの中ではあまり覆面をかぶった人を見かけない。悪役は悪役として素顔で勝負する時代になってしまったのだろう。しかし時代はプロレスのはるか後ろを歩いている。この社会では覆面レスラーが百花繚乱。

 ねずみ小僧次郎吉のような覆面に変わっていくことを願うばかり。
 
 情報社会といわれる現代。僕達は昭和40年代のプロレス中継を見ているだけなのかもしれない。

 そういえばあの頃ミル・マスカラスという善玉覆面レスラーもいた。
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by seikiny1 | 2006-01-11 16:20 | 日本
拡声器はいま
 もう一年以上前の記憶になる。
  一ヶ月あまりの日本での滞在中、右翼活動をする人達の街宣カーを一台も見かけなかった。
 日本は静かだった。
 
 スピーカー。
 正確にはラウドスピーカーという機械。今では使われることもほとんどなくなってしまったけれど、拡声器という日本語もある。英語も日本語も字面から想像するに、元々は喋り手の声を大きく広げるために(遠くまで、多くの人に伝えることのできるように)開発されたものなのだろう。その誕生の頃、それは聞く方ではなく伝える方が主導権を握っていた道具であったはずだ。スピーカーが<聞くため、聴くため>といった性格を持ち始めるのは、やはりラジオ放送の開始、レコード盤などのソフトウェアが充実してきてからのことだと思う。それでもまだまだ伝え手としての性格は強かった。

 ウォークマンの誕生は僕が高校生の頃だったと思う。それが音の個人的所有の始まりだったわけではなく、それ以前にもポータブル・レコードプレイヤー、トランジスタラジオはあった。もちろん僕も授業中に学生服の袖から出したモノラルのイヤフォンを耳に突っ込んでいた口。それでも多くの人にとってそれらは依然としてスピーカーを通して聞くものだったように記憶している。友達が集まればラジオやレコードから録音して作ったテープを聴いて、聴かせていた。できるだけデカイ音で。それはそういった機械のとても大事な要素でもあった。音は自分で楽しむだけではなく、人にも聞かせたい。多くの人にとって自己主張の方法の一つだった。

 ニューヨークに来たばかりの頃。まだまだ大きなステレオラジカセを肩に担いで歩く人たちを見かけることができた。次第にその数は減り、それとは逆にヘッドフォンを耳につける人が増えてきた。それでもなぜか彼らはカセットやCDウォークマンを手に持つ人が多く、日本のようにポケットやかばんの中に入れている人の割合は極端に低い。あれも自己主張の一つだったのだろうか?
 彼らの手からカセットやCDウォークマンが消えた頃ヘッドフォンは消えはじめ、かわりに携帯電話をかばんやポケットから取り出す人が増えた(ちなみにアメリカでMDを持つ人はほとんどいない)。聞くことと喋ることといった機械の性格の違いもあるだろうけれど、あのサイズというのが手にしっくりとこないのかも知れない。手のひらで握れてしまえるサイズ。

 これはあくまでも僕の勘なのだけれどスピーカーの生産量は落ちていると思う。反面ヘッドフォンの方は右肩上がり、少なくとも横ばいだろう。この時代の流れで音というものの性質、使い方、受け止め方は確実に変わってきている。
 携帯電話より小さいipod。それを手に持って歩く人をあまり見かけない。携帯電話の出現でアメリカ人はあのサイズの機械をポケットに入れることをおぼえたのだろうか?機械は見えなくなってしまったけれど、あの白いイヤフォンでも自己主張はできる。
 たぶん日本に暮らす人にとってはあまりピンと来る話ではないかもしれない。ipodの出現で大きく変わったことのひとつにそのヘッドフォンの形状の変化がある。ごく最近までのその主流は耳からかぶせるタイプ。すなわち耳を覆っている。それが今では耳の穴に突っ込むタイプ。耳の穴をふさいでいる。
 何かを伝えるために開発されたスピーカーは今では何か一つの音を耳に送り込む道具、または外界から耳をふさぐ道具、すなわち何かを伝えられないようにするための道具とその性格を変えていってしまっている。普段音楽を聴きながら街歩きをしている人達がいる。そのヘッドフォンを取って歩いてみた時に何を感じるのだろうか?それはいつもとは全く違った体験なのかもしれない。数十年前に始めてヘッドフォンをつけて歩いた時のように。

 これまでほとんど耳の穴をふさいで街を歩くことのなかったアメリカ人。ipodの普及で彼らはどう変わっていくのだろうか?

 さてスピーカーの正業の方はどこへ行ってしまったのだろう?
 自己主張をする道具としてのスピーカー。時と共に自己主張のやり方も変わっていく。それでも人には大きな音、叫びを欲する衝動がある。それでも耳をふさがれてしまったらその音が届くことはない。
 僕の記憶が正しければ、ウォークマンの普及とカラオケのそれはほぼ時を同じくしていたはずだ。今ではKARAOKEもSUSHIやSAKEと並ぶ立派な英単語になっている。もう音という道具での自己主張は音楽活動やそういった場所でしかできなくなってしまったのだろうか。

 街宣カーを降りた右翼の活動家はどうしているのだろう?
 特攻服を着たイカツイ男がコンピューターのモニターの前で背中を丸めている姿を想像したくはない。
 音というものがあまりにも身近なものになりすぎてしまったのだろうか?

 自己主張。それにはそれぞれ適した姿があるはずだ。
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by seikiny1 | 2006-01-10 15:55 | 思うこと
ジュースはみかんからできている
 まずフタをはがす。「あける」と言うよりも「はがす」と言った方がしっくりくる。紙袋を破って取り出した木製のスプーンでフタの裏側をこそぐ。それでもとりきれないものを伸ばした舌を器用に使いながらなめきる。
 さぁ、食べよう。カップの中には二色の半月が仲良く並んでいる。どっちから食べるか?いつも一口目はバニラだったように思う。
 今でもあるのだろうか?子供の頃ロッテが出していたイタリアーノというシリーズの二色アイスクリームが大好きだった。厳密に言えばそれはアイスクリームではなくてラクトアイス。
 少し大きくなって知ったことはラクトアイスはアイスクリームではなく、準チョコはチョコレートではないということ。それでも僕の頭の中ではそれはアイスクリームであり、チョコレートだった。そんな本物モドキの味が今でも好きだ。同じ理由で、たとえ法律上認められていなくても、「含まれている成分を知らせる・知る」義務・権利があろうともみかんの味のする飲み物はすべてがジュース。果汁百パーセントという数字にはそれほどこだわらない。
 あと少し年を取るとその分醒めた目でジュースを見るようになっていた。
「ウン、うまいこと考えるな」
 オレンジやトマトが大豊作であっても、商品として出荷することのできない状態のものでもジュースにしてしまえば誰もが「ゴクゴク、ウマイウマイ」と言って飲んでくれる。ジュースという言葉を少しだけ見直した。

 新鮮である、ということは重要だけれども最近ではそのあとの方がもっと気になる。
「まさか捨てないだろう」
 日本料理店のその日のおすすめメニューの中に<マグロのたたき>の文字を見て「フムフム」とうなずく。次の日に行くとそれは<マグロのステーキ>に変わっていたりする。その翌日に行ってビールを頼めば小鉢に入った<マグロの煮物>がグラスの横に置かれることもある。飲みすぎたビールのおかげでトイレへ。帰りにお店の片隅で賄いを食べている従業員とほほえみあう。おかずの皿にはマグロの竜田揚げがのっていたりする。ここまでくると、一応寿司屋の看板を出しているそのお店が気の毒にさえ思えてくるから不思議だ。旬の時を過ぎてしまうと、キロ単価も同時に急降下を始める。
 旬。それは大切ではあるけれども、数ある切り口のひとつに過ぎない。物語に起承転結があるように、すべての物事にも起点、経過点、そして結果がある。もしくはあるように見える。毎日たんたんと走っているだけのように見える電車にすら始発駅、終着駅だけではなく停車駅、通過駅というものがある。毎日同じ路線を走っていてもその駅から見える風景はたったの一度すら同じであることはない。それなのに僕らの目に、耳に入るもののほとんどは始発駅、そしてたまに終着駅ばかり。通過駅は見向きもされず、停車駅でキョロキョロすることも少ない。

 よほど大きなニュースでもない限り「こんなことがあったよ」、あるいは「こんなことがあるよ」の報告や告知で終わってしまう。実際には始まったばかりであるにもかかわらず。
 この小さなニューヨークというコミュニティーの、その中のごく小さな一部分でしかない日系誌にさえ通り一遍等のことしか書かれていない。
「どうなったんだ?」
「それでどうした?」
 そんなところに手が回らない。いや手を回さない。
 ニューヨークのクラヴでデビューしたミュージシャンがいることをある程度の人は知っている。それでもその人が今どうしているかを知る人は少ない。「知りたい」と思う人がいるにもかかわらずそういった追跡情報はNEWでないからなのか、NEWSになる事はない。たった一誌でもいい、どんな内容でもいい。「その後」を報じるものがあってもいいと思うのだけれど。それは賞賛でもいいし、批判でもいい。とにかくそういう姿勢を見せて欲しい。そんな小さな記事だけでもその媒体の真摯さは伝わってくるはずだ。NEWSはどの瞬間をきりとってもNEWなのだから。
「その後」に興味があるのは僕だけではないはずだ。刺身用のマグロが捨てられてしまうことのないように、すべての物事には途中、そしていつの日か来るであろう終わりというものがある。そんなものの一部でも知る権利があるし、知らせる義務もあると思う。<起>があることを知った以上は、知らせた以上は。
 これだけインターネットが普及した現在。興味があり「知ろう」という気持ちさえあれば、様々な情報をある程度まで深追いすることはできる。それでもそれを<追う>という姿勢のあるメディアの存在を目にすることはやはり心強い。軸というものを持って欲しい。

 ここ数年古い友達と少しずつ連絡が取れはじめている。中には幼稚園の頃から知っているやつもいる。そんな友達の<途中>をたまに聞くことは嬉しくもあり、頼もしくもある。そしてたまに寂しさを感じることもある。それでも何も知らないよりは生きている手ごたえがある。何も知らずにただその終結のみを知りたくはない
 先日もらった年賀状のメール。僕、という共通項を除けばなんの関連性もない二人の友達が同じことを言う。
「お互いもうそんなに若くはないのだから身体には気をつけていこうな……」

 みんなにいつの日か結果はやってくる。結果はどうあれ途中をもっともっと大事にしていきたい。
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by seikiny1 | 2006-01-08 13:03 | 思うこと
Have a Lucky Day!
 今年は元日が日曜日であったために二日が振り替え休日となり、ニューヨーカーも年末年始の三連休を味わうことが出来た。三日からは、まるで何事もなかったかのようにニューヨーカーの時計は回りだす。僕のものはいつものごとくやや遅れ気味。

 ニューヨーク。
 この街が好きで二十年近く住んでいる。そんな僕でもたまには違う街の空気を吸いに行きたくなることがある。地下鉄やニューヨーク近郊を走る路線バスに飛び乗る、という手もあるけれど、いくら郊外へ行ってもどこかにニューヨークの匂いが残っている。あと少しだけアメリカの匂いを濃くするために長距離バスに乗る。
 いつの頃からか冬の海が好きになった。特に人もまばらな冬の避暑地の浜辺を歩くのが好きだ。先月は地下鉄でコニーアイランドへ行き、数時間をそこで過ごした。ほとんどの店はシャッターを下ろし、駅前の大通りを歩く人もほとんどいない。通りの向こう側にあるホットドッグ早食いコンテストで有名なお店の窓ガラスは人暖房のためか真っ白に曇っていた。
「それでもこの町で暮らしている人がいる」、そんなことを確認するために冬の避暑地へ行くのかもしれない。《避暑地》という言葉だけで語られがちな町。そんな町にも冬はやってくる。

 長距離バスに二時間ほど揺られながらついた町。New Yearの休日のなごりのせいか、平日にもかかわらずほかの冬の時期と比べていくぶん人が多かった。ここは避暑地であると同時に、いやそれ以上に大きなキーワードがある。「その町へ行く」、と口にすると誰もが一瞬の間を置いた後に「ニッ」と笑いながら、なぜかわけしり顔でうなずきながら「あっそー」とうなずきを返してくる。その表情から彼らの頭の中に浮かんでいる六文字が僕にも読み取れる。<C・A・S・I・N・O>。

 アトランティック・シティーへ行ってきた。そこはアメリカ東海岸ではそれと知られたギャンブルの町。ラスベガスより規模は小さいとはいえ、そこここで州公認のカジノを目にすることが出来る。
 ギャンブルとはほとんど無縁な僕だけれどこの町が好きだ。そこまでも続く砂浜とボードウォーク。その反対側にはカジノホテルが林立している。その華やかさの影として(実は影に見えるだけでそちらが本物なのだけれど)、通りをはさんだ向こう側は別世界が広がる。古い教会、使われていない学校、“We Buy Gold”のネオンサインの見える質屋、小さなバー、コーヒーショップなどなど。そこを歩く人のほぼ大部分は地元の人のようだ。古く、背の低い町が広がる。ボードウォーク沿いの派手さとはうって変わり、そこには人々の生活の匂いが染み付いている。そしてこの町の小さな疲労を感じ取ることも出来る。
 そんなこの町の匂いが凝縮されているWHITE WHOUSEというレストラン。チーズ・ステーキ・サンドイッチが有名らしくお昼時になると、サラリーマンから警官まで種々雑多の地元の人でごった返す。古いながらもピカピカに磨き上げられた店内。カウンターの中では白衣に身を包んだ男たちが大きな声をかけあいテキパキと客をさばいていく。ちょっと年配のおばちゃんウェイトレスは微笑みながら「ホイヨ」、といった感じで乱雑にコーヒーを置いていく。出口付近にあるレジの前にはバリッとお化粧をしたおばあちゃんが。等身大のこの町の、アメリカの匂いをかぐことが出来る店。
 大きなサンドウイッチで膨らんでしまったおなかを抱えて浜辺へ出てみた。波打ち際では数え切れないほどのカモメたちが海を見てたたずむ。その向こうに広がる冬の荒れた海。黒い点のようにしか見えないサーファー達が上へ行ったり下へ行ったり。右へ行ったり左へ行ったり。冬にしては暖かな日だった。それでも冬であることに変わりはない。すべての条件がそろわなくても彼らは波に乗る。条件がそろわないからこそその姿が頭に焼きつくのだろう。

 好条件であるからといって、条件がそろっているからといって<それ>をやる必要はないし、「やらなければ損だ、おかしい」というのは哀しい。サーフィンは夏のスポーツかもしれないが夏=サーフィンでも、サーフィン=夏でもない。むしろ≠の関係にある何かの方が本物を感じさせてくれる。言葉で単純に結び付けてしまう、結び付けられてしまうことの愚かしさ、そして危険。
 たとえ一歩だけでもその等号の向こう側から足をずらしてみる。そこから等号の向こう側を眺めてみると全然違ったものが見えてきたりする。ステレオタイプ(固定観念)というものは、難しい事だけれどうまくそれを使いこなすことが出来れば便利なものかもしれない。しかし、ほとんどの場合は「使っている」と思っていても「使われている」結果となってしまっている。
 かつてアメリカでJapanと言えば、Fujiyama、 Geisha、 Sukiyaki、 Tempura。僕がこの国に来た頃はそれがSake、Sushi、Sony、Toyotaに変わっていた。ちょっと前はやはりSamurai。 今はなんなんだろう?映画の影響でGeishaは復活しつつある。しかし、そのどれをとっても日本人の誰もが「ウーンッ……」となってしまうだろう。
 僕自身に関してもいまだに「ホームレス」の一語ですべてを語られたり、「語ろう」という意思を感じたりすることがある。これもやはり「ウーンッ……」となる。
 人々にそれを固定させてしまうことの恐ろしさ。言葉から単純に何かを連想してしまう人間の悲しさ。どんなに情報があふれていても、想像力が欠如しているばそれはゴミも同じ。冬にサーフィンをすることも出来るし、カジノの町に行っても全く別の過ごし方はできる。

 カジノの町というのは僕達では想像できないような経済で成り立っているようだ。
 片道二時間ほどのバスの旅。その往復料金が十五ドル。目的地のカジノホテルの入り口についたバスから降りるとホテルの従業員が待ち受けていて、二十二ドルのクーポン(金券)をくれる。それも窓口へもって行けば二十二ドルの現金を渡してくれる。バスにただで乗れ、七ドルの実入りになる計算だ。ギャンブラーに成りすましてみるのもそう悪くはないかもしれない。

“Have a Lucky Day!”
 現金に交換してくれた男性は、この町特有の言葉で僕を送り出してくれた。薄暗く広大なカジノを突っ切って海へと向かう。
 条件が揃ってしまうとどうしても反発をしてしまう。
 カジノの町へ行ってギャンブルをしないことほどぜいたくな時の使い方はないのかもしれない。

「あのこと一夜を共にした」、「アムステルダムへ行った」、
 そんな言葉の後の一瞬の間。その後に見られる「ニッ」とした笑い、そしてわけしり顔でうなずく頭。そんなものが僕は嫌いなのだろう。短絡的なこと、下世話な発想が嫌いなのだろう。
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by seikiny1 | 2006-01-07 08:03 | 思うこと
一月一日(としのはじめ)
 ノートを開いて一番最初にすること。
 それは日付けと天気を書き込むこと。
 今日、初めて「06」という文字を書いた。「あと364回この文字を書くことになるんだ」、そんなことを考えながらしばらくの間鉛筆がそこで止まってしまった。
 これが僕の一月一日。としのはじめ。天気は曇り。
 このノートは新年のためにおろした物ではなく、昨年の12月23日におろした物。ノートの上で二つの年がつながっている。一年前の今日「05」という文字を書き込んだ時にこんなことは考えなかったように思う。小さなことだけれどこれが僕の一年間の成長と言えないこともない。

 もう何度も書いていることだけれど、人混みが苦手だ。いや嫌いだ。
 二十年という歳月は耳で聞くと長いようにも聞こえるけれど、その中に住み暮らしてみるとそうでもない。片手で数えてみても手のひらをたったの二回開閉するだけで終わってしまう。その開閉の間、僕は一度もニューヨークの年末年始の恒例行事であるタイムズ・スクウェアのカウントダウンへ行ったことがない。これから先も行くことはないだろう。昨夜はテレビを観ながら、
「もし誰かが『200ドル払うから行ってくれ』と頼んできたらどうする?」と訊かれた。
「行かない」と僕の口は動いていた。

 人混み(僕の中では人『ゴミ』なのだけれど)嫌い云々ではなく、あの「5,4,3,2,1  A Happy New Year!」という行為自体が嫌いなのかもしれない。僕は引き算が嫌いだから。そういう中に身をゆだねることを本能が嫌っているのだろう。
 宗教のことは勉強したこともないし、語る資格はないかもしれない。それでも生まれ育った日本の風土や文化の切れっ端から仏教の影響を感じることがある。この年末年始に頭に浮かんだのは<輪廻>という言葉。生まれ変わりということを信じるでもなく、信じないでもない。それでも僕の頭の中で<環>という言葉がだんだんと重くなってきている。「すべての事柄は環を形作っていて、必ずどこかでつながっている。つなげていかなくっちゃいけない」、そんなことを感じ考えることがよくある。
 大晦日という日はひとつの終わりであることに違いないけれど、同時に始まりと薄い紙一枚で背中合わせ。そのどちらもが裏であり表でもある。そんな空間が僕の中にある。大晦日と元日はカレンダーの最後の一枚でも最初のそれでもない。ただそこにある大切な節に過ぎない。それだけのこと。僕は頭の中で12月31日午後11時59分59秒の一秒後に古いカレンダーをゴミ箱に放り込み、新しく壁にかけたカレンダーの最初の一枚をめくることは出来ない。「31」という数字の書いてある紙をめくったら「1」という赤い数字が見える。あと三百六十五枚をめくるとまたその赤い文字に巡りあう。現在はいつも過去と未来の間だけにある。
 生きていくということは、それぞれの人が決められた枚数のカレンダーをめくっていくということなのかもしれない。たまに忘れて数枚を一時にめくっても、間違えて重ねたままめくってしまっても自分ではカレンダーの枚数そのものを増やすことも、減らすことも出来ない。
 カレンダーをめくるという行為は引き算に見えるかもしれない。でも僕は残り少なくなっていくカレンダーの厚みを見るより、机の上で日一日と厚みを増していく破りとられてしまったものを見る。

♪年の初めのためしとて
終わりなき世のめでたさを
松竹立てて門ごとに
祝う今日こそ楽しけれ♪(『としのはじめ』)

 なぜか正月になるとこの歌が口をついて出てくる。子供の頃、正月になるといつもテレビから流れていた歌。
 三つ子の魂百まで。
 今日はどうしたわけかこの歌詞をノートに書いてじっくりと読んでみた。これが日本人の一月一日という日のとらえ方なのかもしれない。

 元日の真夜中に打ち上げられた花火を窓から見ていた。それでもラッパを吹くことはこの先もなさそうだ。





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『ボヤキTV』というのができました。

 ニューヨークの日系誌に三年ほど連載している僕のコラム『犬のボヤキ』とこのブログをあわせたようなコンセプトで作っていただいています。ニューヨークの街角でブツブツと言っている動く僕を見ることができます。
 正直言って「観て欲しい」と「観ない方がいいんじゃない」という気持ちが半々です。

 まぁ、これからもボヤいていきます。直らないでしょう。



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by seikiny1 | 2006-01-02 12:28 | 思うこと
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