ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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「なにか」
「なにか」のために「なにか」をやるのではなく、「なにか」をやったら「なにか」になった。
 僕の中での偽物と本物の違いはそんなところにあるのかな、と最近よく思う。どんなに贅をつくした庭園でも雑草の生い茂る裏山には遠く及ばない。酔っ払うために飲む酒より酔っ払っちゃった酒の方が格段においしい。フランス庭園とジャンルわけされる庭を前にして何の感慨も起こらなかったのは、僕自身の中になるそういった面が影響を及ぼしているんだろう。

 高校生の頃だったと思う。森村誠一原作の角川映画『野生の証明』が製作された。テレビのコマーシャルから流れてくる言葉は「男は強くなければ生きていけない。 やさしくなければ生きていく資格が無い」。たしかほんとうのやさしさとは強さに裏打ちされたもの、そんなことがよく言われていた時代だった。その頃でもこういった論理になぜか違和感を感じていた。
「人にやさしくしようと思ってやさしくするの?」
「やさしくなるために強くなるの?」
 それははっきりとした形を持ってはいなかったけれどどうしても納得がいかず、いまだにひきずっている。やさしくするためにやさしくするのはどうしても自分の中で納得がいかない。何かの結果としてそこにやさしさがあるのが自然の形、後から思ってそれが<やさしさ>と気付くのが本物だと思う。それは二度と再生することの出来ないもの。
 最高の料理は愛があるもの、という思いは今でも変わらない。

 ちょっとした言葉で人を傷つけてしまうことがある。自分ではまったく気付いていない場合がほとんど。ある時そのひとから、または人づてに聞かされることがある。そして落ち込んでしまい、反省もする。「注意しなければならない」とも思う。しかし、それ以降そういった言葉を吐かなくなっても自分自身の根底が変わっていなければ、やはりいつかどこかで人を傷つけてしまう。それが自分の真の姿。表面だけ取り繕ってもそれを変える事はできない。だからこそひとつ、ひとつを大切にして生きていきたい。
 ちょっとしたこと。
 とんでもない。それはちょっとしたことなんかじゃない。そこにその人の歩んできた道が凝縮される。そんな滴をあちこちで落としながら歩いている。同時に色々なものを拾いながら。
 かといって、「なにか」のために「なにか」をすることは決して悪いことでもない。本人にその意思さえあればその過程で「なにか」に通じない様々なものを拾い集めていることに気付くはず。気付いたからといって別にどうということはなく、ただ背中のかごに放り込んで歩くだけなのだけれど。それでもそのかごの中に「なにが入っているか」ということを知っておくことは大切だ。それはかごの中のたくさんの「なにか」がある日「なにか」になる道。

 身体を鍛えるためだけにジム通いをする気には全くなれない。なにかのスポーツを楽しんだ結果として健全な体が得られる、という偏った信念に近いものが自分の中にあることに気付く。もちろんその道を歩けば、全然知らなかった「なにか」に出会えることはわかっている。それでも僕のどこかで「不純だ」という叫び声が聞こえてくる。そこまで深く考える必要はないのだろうけれど、どうしても考えてしまう。ただの怠け者の言い訳に過ぎないのかもしれない。それでも納得のいかないことができない。

 これはきっと焦点の問題なんだろう。
 焦点を定めると合理的ではあるけれど、なぜか悲しみがともなう。
「なにか」をやる時その先にある「なにか」ではなく焦点の定まらない目でもっと先にある「なにか」を見つめている自分に気付く。それはなんなんだろう?

 本を出した(書いた)時、僕の目は一体何を見つめていたのだろう?
 本が出た後、それが読む人によって全く違った印象を与えていることを知る。それがとてもうれしい。本は僕の手を離れて一人で歩いて行ってくれる。
人間は計り知れない感情、感覚を持っている。

 人の笑顔は最高の贈り物。
 笑顔をもらうために自分で全く意識して「何か」をやっていない時のそれは最高だ。だからたまにはまじめに生きていこうと思う。そんな、いつくるともわからないゴホウビをもらうために。

 やっぱり僕は怠け者なんだと思う。





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by seikiny1 | 2005-12-31 12:39 | 思うこと
囲い
 ロングアイランドの東のはずれにハンプトンと呼ばれるニューヨーク近郊では高級別荘地として知られる地域がある。数年前、知り合って間もない僕をそんな別荘に招いてくれた友達。その夏の数日を彼らの別荘で過ごした。
 別荘そのものはハンプトンの名から思い描いていたものよりはいくぶん小ぶりだったけれど、裏庭そして海へと続くプライベートビーチは幅百メートルほどあった。熱く焼けた砂の上を歩く友達夫婦の横顔には、照れくささとうれしさが混じりあったような笑みがこぼれていた。
 プラーベートビーチ。あたりまえの話だけれど、それは広大な海へと続く。誰のものでもない海。それは世界中につながっていく。そんな海を前にした彼らのビーチ。隣との囲いこそなかったけれど、そこは間違いなく彼らのものだった。
 それからの数日間僕は不思議な感覚にとらわれていた。

 動物園の中を歩きながら「一体どっちが枠に囲まれているのか」わからなくなってしまう時がある。わかっているのはそこに柵という名の枠がある。ただそれだけ。
 三辺しかない額縁から絵が落ちてしまうように、物理的に考えれば閉じて(囲って)いなければ枠と呼ぶことは出来ない。それは頭の中ではわかっている。それでも自分がその中にいるのか、それとも外にいるのかがわからなくなってしまう時がある。

 部屋の窓に収まる外の景色はその部屋の持ち主のものかもしれない。しかし一歩外に出てしまうとその景色は誰のものでもなくなってしまう。
 本、映画、ゲームの中で戦争遊びに嵩じることが出来るのも、それがその枠内に留まっていてくれる事を知っているから。戦場に自分から飛び込んでいこうという人はあまりいない。
 見知らぬ国へと旅に出る人も、帰る国があるからこそそれを旅と呼ぶことが出来る。

「パチパチ、カシャカシャ」が日本人だけの専売特許であったのは遠い昔。街の風景はすっかり変わってしまった。レストランはおろか撮影禁止の場所ですらフラッシュの光が目端に入ってくる。同時にモラルという名の人間だけが持つ暗黙裡の了解は崩壊しつつある。今はまだ入り口。
 人々はファインダー(モニター)を通して物事を見るようになってしまい「いつ切り取ろうか」、「どう切り取ろうか」と思いをめぐらす。あと少し時が経てば人々の網膜にはうっすらと四角い枠が焼き付いているのかもしれない。枠内のものを自分のものとして取り込み、その外にあるものはたとえ見えていても認識することが出来なくなる日が来てもなんの不思議もない。
 枠に収め自分のものにする。それによりなぜか安心してしまう。そして焦点はいつも枠の中心に。
 そういえば少し前に書店などでデジタル万引きというのがはやったという記事を読んだことがある。

 僕達は様々な欲を持っている。それを突き詰めていくと、「安心したい」という気持ちそして「支配(所有)したい」という気持ちに行き着くのかもしれない。そのどちらにも枠というものが関わっている。そしてその両方を併せ持つ最たるものを現在に探せばデジカメに行き着いてしまう。デジカメは人のそういった性向をつかんだからこそ爆発的な勢いで普及したのだろう。

 これからも形を変えながら無数の枠が生まれ、そして消えていくことだろう。さてそんな枠の中で、枠を使ってどう生きていこうか?

 ハンプトンのビーチでは友達と横長の網を使い小魚を囲い込んだ。素揚げにしたそれはまるでフレンチフライのようだった。あの枠に囲まれた魚たちは幸せだったのだろうか?
 僕も枠の中で生きている。安心ではあるけれど、そう居心地のいいものでもない。

 コラム。ずっと前から気になっていた言葉。またの名を囲み記事という。それは自分を囲んでいるのだろうか、それともその中に小魚でも囲い込んでいるのだろうか?





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by seikiny1 | 2005-12-29 11:45 | 思うこと
<2>ストスト
 怒るということは比較的たやすい。
 とは言ってもその背景には悲しみがあったり、驚きがあったり。そう単純なものではないのだけれど。

 今でも浮かんでくるのは人々の怒りの表情とその声。今回のストライキで二日目以降に流された映像たち。
 まったく迷惑な事件ではあった。三日間続いたニューヨーク市の地下鉄・市バスの労組による全面ストライキ。職場まで、学校までの長い道のりを歩きながら、渋滞に巻き込まれた車の中でクラクションを鳴らしながらみんなは何を考えていたのだろう?

 多くの人々がこのストライキで文字通りその足を奪われてしまった。地下鉄・バスという名前の足。ほとんどの人にとってそれは生えていて当然なもの=足だった。こういう僕もその一人であることに間違いはない。失くしてしまった足にしばし唖然となった後、ある者は自分に二本の足があることに気付き、またある者は別の足を探しそれに頼る。足、それは動物の生活になくてはならないものだから。足を失った時、人は車椅子や松葉杖の生活を強いられる。そんなことを考えた人もきっといたことだろう。さてその中に足だけではなく、その地盤のことについて考えた人はどの程度いたのだろうか?
 なにかの事件・事故が起こる。そして、たとえそれがどんな場所であろうとある程度状況が落ち着き、まわりを見渡すことの出来る余裕が生まれるとその原因となったものの糾弾・糾明が始まる。責任の所在を明確にすることだけにやっきになってしまう。時としてそれは報復というものに発展していく。自分にはあまりかかわりがなく、なぜかしら自分に正義があると思ってしまう。
「目の前に落ちてきた石。誰が落としたんだ?」
 とりあえず落としたやつを探し、なじる。ほとんどの場合そこで満足をしてしまいその背後にあるものまで考えることはない。しかし吊るし上げでは何も解決することはなく、似たようなことが形を変えてまたやってくる。凶悪な殺人はまたどこかで起こり、再び飛行機がビルにつっこんで行くことがあってもあまり不思議はない。そして戦争は終わることなく繰り返していく。

 偶然なのだけれどここしばらく割り箸を見ながらいろいろなことを考えていた。割り箸という言葉からまず頭に浮かぶこと。それは多くの人と同じで
「無駄」
 たしかにそれは森林破壊につながり、この割り箸という木(竹)材は多くの場合資源として再利用されることなく消えていってしまう。まったくの無駄だ。使わない方がいいのかもしれない。多くの人がどこかでそんなことを考えている。
 割り箸というものに興味を持ち少しだけ調べてみた。
 地球環境について多くの人が真剣に考え出した今、この世界から割り箸を消滅させてしまうことはそう難しいことではないかもしれない。実際、そういった運動をしている人もいる。しかし、こういった見方だってある。割り箸の中には余剰材や、間伐された中途半端な木を使って作られている物もある。そう考えてみると実は割り箸を作ることがリサイクルだったりする。またその製造・流通に関わる人達にとってそれは死活問題でもある。使わなくなったからといって中国での洪水がすぐになくなることはない。植林された木が育つにはまだ数十年がかかり、その予算を誰が出すかという問題もある。洗い箸がいいかと言えば、一概にそうとは言えずいずれは洗剤による水質汚染も考えられる。

 目の前に転がる石を蹴飛ばして進むのはたやすい。やらなくてはならないこともあるかもしれない。しかしもっと大切なのはそれだけではなく、そこで何を学ぶか?ということだと思う。学ばなくてもいい。足・足元だけではなくそれの乗っている基盤というものを考えてみるだけで少しは違ったものが見えてくるはず。

「結局戦争はなくならないだろう」
 イラク戦争は今でも続いている。厭戦気分は少しずつだが確実に上昇し、反戦運動の環も大きくなったように感じる。そしてストがやってきた。
「何も変わっちゃいない」
 人々の怒る顔を見ながらそんなことを考えていた。
 二〇〇一年からのたったの四年あまりでそんなことを期待している僕の方が甘いのかもしれない。それでもあの事件は人々の中に大きな傷跡を残し、考えることをさせてくれたのではなかったのだろうか?

 二つ前の夏、真っ暗な夜が訪れた。結局それは一夜限りのお祭りで終わってしまった。
 しかし今回のスト。それは多くの人が当事者であり同時に被害者でもあるという意味で最近ではまれに見るニューヨークの大事件だったはずだ。ある意味(ほとんどの人にとっては)直接的な生命の危機を伴わないテロに似た面もある。その時の人々のとった行動は、そこに生まれた感情は?
 これからが戦争なのだろう。人々はテレビのこちら側で核兵器の所在や、首謀者の処分の映像を見ながらビールを飲む。もう目の前の石は蹴飛ばしてしまった。

 もう石はない。
 それでいいのかな?
「歩くことによって何を目にしたか?何を考えたか?」
 他人から、自分からもう少しそういったところにスポットを当てるべきだろう。このストはそういった無言のメッセージをたくさん含んでいる出来事だと思う。
 たとえば歩くことの爽快さ、都市生活というものの基盤の惰弱さ、人と人とのつながり、本当に大切なものは……。そんなことを考えたのは僕だけではないと思う。そんな中からひとつだけでも先につなげていくことが出来ればそれでいい。
 この一見マイナスにしか見えないもの。それをいかに少しだけでもプラスに換えていくか。それがこの小さなテロに、戦争に巻き込まれた人々がやらなければならないことのように思う。少なくともこう思うことだけでもこのストをプラスにすることは出来る。
 このストの意味を考える。
 それは起こした側にもやはり求められるもの。もちろんそれを感じている人はたくさんいるだろう。
「クリスマス前のこのストによってプレゼントをもらえなくなってしまった子供がいるかもしれない」

 怒ることはたやすい感情表現ではあるけれど、それはいつも双方に気まずいものを残していく。
 怒るだけではなくエネルギーをあと少しだけ他に向けてみてはどうだろう?

 引き締まった冬の空気の中を歩くことは気持ちよく、楽しい事でもある。
<憎しみの構図>というものもそこではひびが入り音をたてて砕け散る。





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by seikiny1 | 2005-12-27 09:25
<1>スト
 全くと言っていいほどテレビを見る習慣がない。そんな僕でもこの四年間で三回だけ継続的にテレビを見たことがある(「観た」わけじゃない)。
 一回目が2001年9月11日とその後。
 二回目が2003年の夏、ブラッアウトの翌日。
 三回目が今回のMTA(地下鉄、市バス)のストライキ。
 まぁ、一回目の頃はホームレスだったので「機会があれば」という但し書きつき。二回目の午後から夜にかけてはトランジスタラジオを聴いていた。電力の復旧後にテレビに釘付けになった次第。
 習慣のない僕をさえ引きつけてしまうほどテレビの力は大きい。と、いうよりも事件や事故が起こった時に「情報を知ろう」とする人の気持ちは大きい。そこに不安があるからだろう。手っ取り早い情報源は今でもテレビ。映像と音で(一方的に)訴える。
 さてこの三日間、テレビの視聴率はどれくらいだったのだろう?

 今回のテレビの報道を見ていると一日目はとりあえず大騒ぎ。インタビューに答える人達にもまだまだ余裕があったのか、それとも早期終結の期待があったからかその言葉も顔つきもきつくはない。
 そして二日目。人々の顔にも疲れ、怒りが目立ち始める。聞こえてくるのはストを実施中である組合員に対する罵詈雑言ばかり。たったの一日でこの変わりよう。
“selfish(わがまま)”
“greedy(欲張り)”
“back to work”
“jail(監獄)”
 こんな言葉が人々の、キャスターの口かで何回も繰り返される。これは市長が会見の中で口にした言葉でもあった。その姿が2001年9月11日直後の、2002年イラク戦争開始時の大統領のそれとダブったのは僕だけだろうか?

 二日目の映像、声から受けた印象がどうしても気になって三日目の今日はブルックリンブリッジを歩いて渡った。途中にあるレンタカー屋の駐車場は空っぽ。ゴミ箱の中に放り込まれていた地方紙の表紙には一面大の組合側リーダーの顔。その写真の上には格子が刷り込まれていて“JAIL HIM!”の文字が。もう彼(ら)はすっかり悪者扱いになってしまっている。テレビ中継でおなじみになってしまった橋を渡る。
 フードや帽子をかぶって白い息を吐きながら歩く人々。足元はほとんどの人がスニーカーだ。これはあくまでも僕が印象なのだけれど、テレビや新聞で伝えられるほどの殺気立った緊張感は感じられなかった。ある者は一人で、またある者は二、三人のグループでおしゃべりをしながら歩いている。疲れや引きつったというような表情ではなく、どちらかと言うと穏やかな表情を浮かべながら歩いている。歩調は僕よりも早い。それは僕の歩くのが遅いだけのこと。ただいつもと違うのは人の数。普段では絶対に見られないような数の人々が橋を歩いて渡っているというこの事実。
 帰りには大声で「ストライキ中止」を伝える人がいた。橋のブルックリン側の降り口では「ストライキ中止記念スペシャル」、の見出しのビラを近所のレストランが配っている。どうやらピザとパスタが無料でふるまわれるらしい。

 マンハッタンでもブルックリンでもこの三日間車クラクションが鳴り止むことはなかった。いつもどこからか怒鳴り声にも似たそれが聞こえてくる。この渋滞じゃしょうがない。誰もがイライラしている。
 昨夜、8時30分頃に片道200m程の道のりを歩いていつものデリへ。行きと帰りの計二回車に轢かれそうになった。どちらも信号が青の横断歩道内での出来事。二度とも空車のタクシーが猛スピードで突っ込んでくる。次の客を探しに駆けていったのだろう。この数日は毎日、元旦ほどの稼ぎ(ニューヨークのタクシーが一番稼げる日。ニューイヤーズイヴの直後)をあげているんだろう。怪我しなかっただけ儲けと思わなければ。
 今日街を歩いていた時に驚いたこと、それは白タクの多さ。中には手書きで料金や、行き先を書いたものを窓に張っている車もいる。あちらから、こちらから営業の声やクラクションが飛んでくる。そんな中にVirginiaのナンバープレートをつけた大きなワゴン車を見た時はさすがに笑ってしまった。ゴクロウサン。交通整理に忙しい警察官はいちいちそんなものを取り締まっている暇はなさそうだ。需要と供給のバランスということで黙認というところか。必要悪という言葉、そして日本の風俗店を思い出してしまった。
 大通りの角には段ボールの裏側に行き先を書いてヒッチハイクをしている男性が。

 僕が見た、体験したことは米俵の中のたった一粒の米に過ぎない。しかしそれは正真正銘の米であって、麦でもとうもろこしでもない。報道に出てくるものもまたたった数粒の米に過ぎない。玄米ではなく精米ということだって十分ありうる
 やっぱり二日目の報道がどうも腑に落ちない。たしかにスト二日目を迎え人々には疲れが目立ちはじめ、やり場のない怒りを感じ始めた人も多くいたはずだ。それは間違いのない事実。多分そこには大衆の「民意」というものがあるのかもしれない。それにしてもどうしてああいった同じ言葉が誰の口からも飛び出してきたのだろう?

 関東大震災の直後こんな風説が流れたという。
「朝鮮人が放火をしている」
 そして後悲惨な事件が起こった。後の調べでそういった(風説のような)事実はなかったことが判明したという。

 数時間の散歩を終えて帰宅。スト終結を伝えるニュースを見ている。少しずつクラクションが減っていくのを感じている。
 会見時の市長の顔は「人は戦争に勝った時にはこんな顔をするのかもしれない」、と思わせるものだった。第二次世界大戦終了時の各国の首脳の顔を想像してみる。

 テレビの画面を通して見られる家路を急ぐ人々は誰もが笑顔を交えて「うれしいよ」と言っている。業務に戻る組合員も質問のあと少しだけ間をおいて「うれしいよ」と口を動かす。ストそのものが中止になっただけでまだ何も解決されていない。同じ音の言葉にもかかわらず意味はちがう。

 市長は「減刑は選択肢にない」と言う。
 ユニオン(労組)側のリーダーの表情は数年前に捕らわれた時のフセイン元大統領のよう。

 会見の中で市長は、「これから地下鉄や市バスの職員に会ったら『さみしかったよ』
『おかえり』と声をかけてあげて下さい」と言う。

<(たぶん)次回につづく>





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by seikiny1 | 2005-12-23 15:58 | ニューヨーク
老人と子供のポルカ
 昨日の真夜中にそのニュースを耳にした時、ある歌が頭の中で流れ出した。
♪ズビズバー パパパヤー……やめてケレ やめてケレ やめてケーレ 「ストスト」……♪
 小学校一年生の頃のことだった。左ト全(ぼくぜん)というおじいさんが大勢の子供を従えて唄っていた『老人と子供のポルカ』の一節。小さい頃から変な<大人の歌>が大好きだった僕は『帰って来たヨッパライ』やクレイジーキャッツの歌を覚えてはよく唄っていた。しかし、そんな僕の頭を親はハタク。ただ、この歌は全コーラスを唄ってもハタカれることがなかった最初の歌。それだけにとても思い出深い歌でもある。
 歌詞は三番まであり、一番が「ゲバゲバ」、二番は「ストスト」、そして三番が「ジコジコ」。ほかの部分は一番から三番まで同じ。「(学生運動の)ゲバ」、「スト(ライキ)」、「(交通)事故」。当時のそんな大きな社会問題を誰もが「やめてケレ(もう沢山だ)」と思っていたのだろう、そんな気持ちを代弁したからこその大流行。僕の親にも少なからずそんな思いがあったのだろう。だからこそ頭が無事だったのに違いない。
 交通事故は今でも多いけれど、学生運動は自然消滅してしまったも同然。労働組合も骨抜きの御用組合が多くなってしまい、いまや「スト」という言葉は単なる春を迎える言葉、こぶしのおろしどころがわかっている脅し文句にしか聞こえない。さて、もし今この歌が出来るとしたら、「 」の中にはどんな文字が入るのだろう?

 こんな社会風刺の歌が出来、それがヒットするということはやっぱりいい時代だったのかもしれない。岡林信康、高田渡、井上陽水、吉田拓郎らのフォークシンガー達もそんな時代に生まれ、支持されていった。ロックの叫び声が聞こえ出す。それは誰もがもっと真剣に生きていた時代。
 たしかに社会主義は既に限界が見え、労働条件・環境も格段に改善された。それでも社会問題が消えてしまい誰もが幸せに暮らしているわけじゃない。むしろ問題は増え続けている。
 日本の事情に疎いのだけれど、最近社会を一刺しするような歌を聴いたことがない。少なくとも「大ヒットした」というニュースを聞かない。人々は叫ぶことをやめてしまったのだろうか?誰かに骨を抜かれてしまったのだろうか?気持ちのいいもの、癒されるものにしか反応しなくなってしまったのだろうか?
 今は「右目をつむって、左目に映るきれいな花だけを見て歩こう」そんな時代なのかもしれない。右の方で何か大変なことが起きている事は知っているのに。歌が生まれてこないのは問題だ。

 ニューヨークで二十五年ぶりに「ストスト」がはじまった。地下鉄と市バスが止まっている。それでも人々は仕事へ向かう。ある者は歩いて橋を渡り、またある者は別の交通手段を使う。今日のニューヨークの都市機能は麻痺状態にある。行くだけではなく、ほとんどの人がまた帰らなければならない。夜に入り気温はどんどん落ちてきている。それでも人々は家に帰りたい。家は帰るためにあるのだから。帰るために出かけていくのだから。
 テレビは通勤者のインタビューを流し続けている。
 朝には「一日分の給料を失うわけにはいかない(生活がかかっている)」そんな答が多かった。午後五時ごろの長距離列車のターミナル駅は押しかける人々でパンク状態。切符を買うために二時間待ちとのこと。
 疲れた顔をしている。朝よりその数は少なくなったとはいえ、それでもインタビューアーの、
「今回のストについてどう思いますか?」、という問いに
「不便だよね。困るよね。でも仕方ないんじゃない?彼ら(ストをやっている人達)も生きる事に真剣なんだから」。そんな声がいくつか聞こえてくる。
 なぜかホッとさせてくれる。自分の痛みだけではなく、他人の痛みをも理解して、理解しようとしている人達。そんな人達がこの国にはまだまだいる。<骨>のある人達が生きている。それはよく言われるように自分の<権利>に執拗に固執する人達だからではない。本当に「しょうがないね」といった顔をしている。問題を共有し、向き合おうとするこの国のもうひとつの顔をあらためて見ることができた。「いい」、「悪い」だけではなく「しょうがない」ということだってこの世にはある。

 たしかにストは迷惑な話ではある。それでもそういったものがなくて回っていく社会というのも不気味だ。妥協と計算で、何かを飲み込みながらすべてがスムーズに動くはずがない。そこからは不健康な匂いが漂ってくる。真剣にぶつかり合うこともたまには必要だと思う。爆発したい時は、しなければならない時はそうするべきだ。それが変化球だっていい。
 ストでだけではなく、すべての社会問題(人と人とのぶつかりあい)に対する姿勢がずれてきている。予定調和、見て見ぬふり。そんなものと平和は全くの別物。ぶつからなければいい、というものでもない。そんな調和はいつの日か根底から崩れてしまう。
 叫びたい人もいっぱいいると思う。それでも叫べなくなってしまったのか、今は。守るべきものは何なのか?それが変わってしまったのか。

 そろそろ現代の左ト全に現われてほしい。
「やめてケレ」の言葉は<迷惑な連中>とやり玉にあげられてしまう当事者にだけに発された言葉ではないはず。社会そのものへの言葉でもある。
『鉄骨ブギウギ』
『保険ブルース』
『郵貯でチャチャチャ』 そんな歌を聴いてみたい。
 笑いと叫びは紙一重。

♪おお神様神様 助けてパパヤー
(たすけて~!)
 そんな言葉でこの歌は終わる。叫び。





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by seikiny1 | 2005-12-21 17:39 | 日ごろのこと
ピン!とくる数の顔
 ちょっと前までそこには“Lasts long!200m!”と印刷されていた。これほどピンとこない日用品の宣伝文句をあまり見たことがない。それも少しだけ実感をともなう数字に変わった。今では“Lasts long!1000Sheets!となっている。要するにミシン目が999本はいっているということらしい。そうは言っても1000回使えるわけではない。
 いまだにピンとこないトイレットペーパーの包み紙。

 距離、温度、重量、容積など。アメリカではその多くをいまだに世界標準に合わせない。それをやると数年分の国家予算が飛んでしまうという。軍需産業があるから。最初の頃はいつも頭の中で加減乗除をやっていた。それでも二十年近くの歳月は、その数字から漠然とした映像を見せてくれるようになった。
 それでもやはりピンとこない。華氏22度と言われるよりも、氷点下5度と言われるほうが「お~、寒いねー」という言葉が自然に出てくる。

 ヨーロッパの安ホテルでチエックインを済ませた後、「何階?」ときくと“3rd Floor”と教えてくれる。墓石のように重いバックパックを背負いきしみ音をたてながら狭く曲がりくねった階段を上っていく。たどりついた最初の階で見上げたプレートには“1st Floor”の文字が。その前で何度ため息をついたことか。“3rd Floorはまだ彼方だった。
 なぜか20:00をよく22:00と混同していた。24時間単位の表記にはどうもピンとこない。夜の酒屋のシャッターの前で悔しさのあまり、何度唇をかんだことか。


 12.24.(もしくは25)という数字を見て、聞いて、今ではほとんどの日本人がピンとくることと思う。これと肩を並べることの出来る数字といえば1.1.くらいだろう。もちろん他にもあるけれど、今の日本ではこの二つが東と西の横綱といっても言いすぎではないはずだ。
 クリスマス。それは日本人の中でとっくの昔に国民的行事としてに浸透し、定着しいる。もちろん宗教的な理由その他でそれを祝えない人や家庭もある。それでもほとんど誰もがこの日を知っている。その日の持つ意味あいはともかくとして、もうこれは宗教的な行事とさえ呼べないかもしれない。家庭の、カップルの、仲間内の日と言ってもそう間違いではないだろう。たしかにその背景にある商業至上主義を否定することは出来ないけれど、こういった日を新しく得て、定着させることが出来たのはすばらしいことだと思う。
 たくさんの人達がこの日の来るのを待ちわびている。その日だけではなく、その前からこの日は徐々にだが既にはじまっている。
 この日は一年にたったの一回だけやってくる、人と人の日。宗教なんてとうに関係ない。ほとんどの人が名目だけということを知って楽しんでいる。人と人が無条件で祝える日なんて、しかもそれが自分の周りを含めてそこにあることなんてそうあるものじゃない。もちろん祝う心境ではない人、一緒に祝う相手のいない人だっている。それでもこの街の空気はそういった心達をも少しだけ癒してくれる。
 冬の一日。それまでの日々。
 それは寒い日であり、日々でもあるけれど街中にあたたかい空気が広がりしみこんでいく。

 「ニューヨークの最高のシーズンはクリスマスだ」
 そんな声をよく耳にする。
 思い思いのデコレーションに包まれライトアップされた街はこの時期、まるで宝箱をひっくりかえしたようになる。あちこちからクリスマスソングが流れ、いやがおうでもクリスマス気分に巻き込まれてしまう。

 この街はたしかに忙しい街だ。誰もが足早に歩き、赤信号を無視することは常識化している。信号が青になっても流れ出さない車の列のどこからかクラクションが鳴り出し、やがて大合唱がはじまる。「動かないものは、動かない」と誰もがわかっていながらそれをやらずにおれぬ街。
 ひとりの女性が向こう側から横断歩道を渡ってくる。信号は青。ところが三分の二ほど渡りきった所で彼女は止まってしまった。上を見上げている。目の先を追ってみると、そこにはキャストアイアンの非常階段が施されたビルが建っていた。カバンからカメラを取り出しファインダーを覗きこむ彼女。なかなか構図が決まらないのか、少しだけ体を前後させたり、伸び上がったりしている。それでもその場所からはほとんど動いてはいない。ストリートのコーナーで車の途切れるのを待っていた僕の前に一台の車が停まった。右折のウィンカーを出している。歩行者用の信号は程なくウィンクをしはじめた。もう一台車が停まる。満足のいくものが撮れたのだろうか、少し伸び上がるようにしていた女の子が少しだけ小さくなって歩き出した。停止していた車はゆっくりと右折をはじめる。横断歩道の端っこで目があった二人は互いに白い歯を見せて別々の方角へ消えていった。
 クラクションは聞こえなかった。

 僕がニューヨークのこの時期が好きな理由。それは街がきれいになるからだけではなく、それ以上に人々の心がアタタカクなる。この街がそういった空気に包み込まれているから。街を歩く誰もがかすかな笑みをたたえているように見える。白い息を吐きながらも、誰もが幸せを感じることができるこの街のクリスマス。

「あいつサボってばっかりで仕事やんないからクビにしようと思うんだ」
 もう十年以上も前になる。友達の口からそんな言葉がこぼれ出してきた。
「でも、もうすぐクリスマスだろ……」
 <あいつ>がクビになったのはクリスマスも終わった金曜日だった。

 クリスマスとはそんな日だ。





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by seikiny1 | 2005-12-20 16:11 | 日ごろのこと
禁断の果実
「はじめて<人に読んでもらう>ことを前提にして文章を書いたのはいつだったっけ?」
 そんなことを考えていた。壁新聞だった。あれはたしか小学校低学年の頃。なにを思い立ったのか突如として壁新聞を作りだした。新聞に入ってくる広告の裏を使い絵を描き、文を書き自宅の階段の壁に貼りだした。発行頻度は週一だったと思う。読者は父、母、姉の三人。あの頃から僕は飽きっぽかったんだろう、一年と経たないうちに廃刊。

 昨日読んでいた日本の雑誌の中に、第二次世界大戦終結後の日本の出版界事情を扱った記事があった。その頃の日本はまだGHQの統制下にあり、配給される紙の量は決まっていてそれを各出版社が分かち合う、という方法がとられていたらしい。たとえば「○○社には××パウンド(アメリカで使われる重さの単位)」といった具合に。そして読み物が貴重であった当時、雑誌の発行部数=実売部数だったということだ。それは作れば作るだけ売れるということで、どれだけの紙を手に入れることができるかでその会社の儲けが決まっていたということ。紙の分配量の争いは熾烈を極めたという。
 僕達の先輩方は活字に飢えていた。

 僕も活字中毒であり、日本の活字に飢えていた時期があった。
 十年程前のニューヨークには、日本語で書かれた無料誌というのは皆無に等しかった。あるにはあったけれどその寿命は短かった。日本語の活字メディアといえば大手新聞社の衛星版と現地版、それに現地出版社が発行していた隔週刊の新聞など。もちろん有料でなかなか手が出ない。会社勤めの人などはまだ職場でそういったものに触れることは出来たけれど、僕のような生活を送っている者にとっては定期購読は縁遠いものだった。どこかでそれを手に入れると、一週間ほどかけてそれこそなめるように隅から隅まで読んだものだ。
 そういった有料誌もひとつ、またひとつと姿を消してしまい、今は無料誌の花が咲き乱れている。指折り数えてみたのだけれど、思いつくだけでも十本の指では足りない。その内容についてはいつか触れることもあるかもしれないけれど、とりあえずここでは活字に<飢える>ことがなくなったというところでとどめておこうと思う。
 その結果は?
 ゴミが増えて困る。
 今では一誌あたりに費やす時間は数誌を除いて数分程度。数分で日本語の活字達はゴミと化していく。これが十年前だったらまずこんなことはありえなかった。街を少し歩けば無料誌のおいてある所に出会う。ついついそれを手に取り持ち帰る。一度に取るのが数誌ともなると結構な重さにもなる。ゴミになることはわかっている。それでも持ち帰ってしまう自分が哀しい。
「飢餓感を失くしてしまうと人はこうまで変わってしまうのか」、と実験台である自分を醒めた目で眺めているもう一人の自分がいる。

 飢えがあり、麻痺があり、その後に飽食がやってくる。それと別のところに中毒という厄介なものもある。慣れてしまう。「ありがたい」とすら思わなくなる。その結果としてそのもの自体の価値がグンと落ち込んでしまう。そして飢えはある日突然やってくる。そんなことを繰り返しながら歴史は動いているのかもしれない。

 九州で生まれ育った僕にとってニューヨークの冬は寒かった。そんな僕がここに来て一番、目にしたくない女性の格好。それは彼女達がダウンのロングコートに包まれた姿<だった>。
「女を捨ててる」
「色気もクソもあったもんじゃないな」
 冷ややかな目で彼女たちを眺めながらそんなことを考えていたのだと思う。
 たしかに以前とは違ってデザインもそれなりに洗練されてきたとは思う。シルエットそのものも新素材の開発のおかげもあって少しはすっきりとしてきている。しかし、そんなことより、なにより二十回近い冬を目の当たりにしてきて自分の中の意識がすれてしまったようだ。慣れてしまっている。
「冬とはこんなもんなんだ……」、と。
 ダウンのロングコートに包まれた女性にも、もちろん素敵な人はいる。「それに身をまかせるしかない」という女性特有の事情もあることだろう。たしかある女性は「あれは禁断の果実よ」と言っていた。最近では「情状酌量の余地があるな」といったおおらかな目で眺めている僕がいる。
 禁断の果実を手に取るか、それとも美と真摯に向き合うことができるか?このどちらしかない。

 情状酌量はやっぱりやめよう。慣れてはいけないものだってある。そんななにかを自分の中にひとつでも持っていなくちゃいけない。

 慣れることはそう悪いことではない。いい点だっていっぱいある。ただ大切なのは慣れきらずに小さくてもいいから常に緊張感を持ち続けることだろう。数十年のキャリアのあるミュージシャンだってステージに立つ前はいつも緊張してしまうという。だからこそすばらしい音楽を奏でることが出来るのだろう。
 
 飽食。それはひとつの幸せかもしれないけれど、地獄の一丁目と言うこともできる。
 山のような新聞の山を見て気が重くなる。今週は捨てなくっちゃ、この家に地獄絵図が繰り広げられる前に。飽食はそろそろ手控えすることにしよう。

 今でもあの壁にはあるんだろうか?
 紀伊國屋書店ニューヨーク店の壁には長い間日替わりで壁新聞が貼ってあった。それは手書きではなくちゃんと活字で組まれたもの。たしか共同通信社の提供だったと思う。時間がある時はそれをよく見に行っていた。その頃の僕にとって「日本の現在」を知る重要な情報源だった。
 あの壁新聞を見に行っていた時代が自分の中で一番バランスが取れていたのかもしれない。飢餓感と緊張感のバランスが。

年末になり悲しいニュースが続いている。そんなことに慣れる日が来てはいけない。





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 ニューヨークの日系誌に三年ほど連載している僕のコラム『犬のボヤキ』とこのブログをあわせたようなコンセプトで作っていただいています。ニューヨークの街角でブツブツと言っている動く僕を見ることができます。
 正直言って「観て欲しい」と「観ない方がいいんじゃない」という気持ちが半々です。

 まぁ、これからもボヤいていきます。直らないでしょう。



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by seikiny1 | 2005-12-19 16:23 | 思うこと
赤鉛筆をひろった
 夏も盛りの頃にヨーロッパから帰って来た。久しぶりの街を散歩する。「これ」といった目的もなくフラリと入った99¢ストアで「」これと出合った。山のように積み上げられたクリップボード。日本語でこれは通じるのだろうか?小さな画板を想像してもらったらいい。
 実はヨーロッパへ行く前に文房具をそろえる必要がありオフィス・サプライへ行った。そのときから「欲しい」とは思っていたものの、ただの板に大きめなクリップがついたものに5ドル以上ものお金を出すことに納得できなくて見送っていた。「便利だろうなー」とは思っていたけれど、実際に使ってみてノートの上をスイスイと鉛筆が走る感触は実に気持ちいい。

 今の僕になくてはならないもの。
 HBの鉛筆、Wide Ruledのノート、クリップボード。消しゴムはいらない。

「ケッ、バカなこと言ってんじゃないよ」
「それは単なる言い訳で、甘えじゃないの?」
 携帯電話をなくしてしまったとか、コンピューターの調子が悪くて仕事が出来ない(にならない)という話をよく耳にする。明らかに道具に依存しすぎたがために起きてしまう事故たち。事情はわかるし、それらの道具が何かをするにあたり今となっては不可欠であるのもおおよその見当はつく。とかく僕達は、
「○○がないから出来ない」、とそれが不可能である理由を自分ではなく何か別の物(者)にフリがち。とりあえずの責任転嫁(←この語源には興味がある)。そういった前置きがあり善後策を講じる。たぶんその時点で自分の中にある可能性に自らふたをしてしまうのだろう。そして最後には、
「マー、こんなところかな」、と普通では誰が見ても満足できるような代物でないもので煙に巻いてしまう。力技で自分と他人を満足させてしまうといったところでケリをつけようとする。

 デジタル技術の最先端に位置する機器と、アナログの、しかも基本中の基本である道具を比べてしまうのは強引かもしれないけれど、人を批判する前に自分のことを振り返ってみる。そういったことは僕自身にも日常茶飯事で起きている。
 たしかにクリップボードがあればどういう場所にいても鉛筆はスイスイと走ってくれる。僕が一番好きなスタイルは、部屋の中だとゴロゴロと寝転がって書くこと。何かをしててとっさに思いつく。いちいちテーブルに向かうのも面倒くさい。外を歩いてて立ち止まりこれほど重宝する物も少ない。これと鉛筆があれば、雨降り以外だったらどんな場所にいても、そんな角度でも書くことが出来る。

「あっ、クリップボードは台所だ。あとから書こう……」
 そうして先延ばしになりそのうちやる気と記憶がどこかへ行ってしまう。途中トイレへ行くために台所を通ってもクリップボードのことは忘れてしまっていることが多い。それなのに冷蔵庫を開け、リビングへ帰ってくる頃には缶ビールを掴んでいたりする。そしてしばらく経つとまたいいわけ。
「クリップボードがないから書けない」のではなく書かないだけ。ふたをしてしまっている。それがなくても少しの間だけテーブルに向かえば済むこと。まわりに尖った鉛筆がなくてもボールペンを使えばいい。
「鉛筆でなきゃ勢いが出ない」。それは言い訳。
 自分自身にある問題をとにかく何かにフッてしまう自分がいる。それでは何の解決にもならないし、生まれてくることもない。そんなことを思いながら起き上がり、台所へくリッピボードを取りに行った。

 甘えてしまう人。とりあえず何かの<せい>にしてしまう人。
 僕も含めて、そんな人達は自分に厳しくあたるよりもまわりの環境を整えておくことに気を配る方が早道で楽だ。そう、人間は弱い生き物なのだから楽が好き。そして楽しいことも好き。
 甘えて自分にふたをしてしまう前に鉛筆をといでおこう。帰ってきたらとりあえずクリップボードをかばんから取り出して、まわりに置くようにしておこう。「勢いが大切なんだ」、と思うのならその勢いがそがれないように何かをやっておこう。自分に対する言い訳が出来ない環境。それは自分にやさしくもあり、厳しいものでもある。

 実にチープな話で恥ずかしいのだけれど、今年自分が手に入れた物で最大なものはこのクリップボード。それはある人にとってのラップトップ・コンピューターにも匹敵する位置に僕の中ではある.税込み価格$1.08。

 僕の中にはこれから先もシャープペンシルや消しゴムが加わることはないと思う。それでも常に鉛筆の芯だけは削っておこう。そして出来ることなら先の丸くなってしまった鉛筆でも、何かを書き続ける自分を持ち続けていたい。矜持をもって。

 数日前のこと。散歩の途中で赤鉛筆を拾った。
「どんな使い方をしよう?」、と色々と考えている。赤鉛筆を握るのはかれこれ三十年ぶり。自分にふたをする道具にしないようにしなければいけない。





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by seikiny1 | 2005-12-18 15:26 | 思うこと
イリュージョン
「最後に使ったのはいつだっけ?」
 たしかそれはまだ春先のことだったと思う。しかし、それを何に使ったかさえも思い出すことができない。「年に数回しか使うことのないものがどれだけあるんだろう?」そんなことを考えながら探し続ける。
「スリムになりたい、ならなければいけない……」、そんな思いとは裏腹にひとつ、またひとつと物が増えていく。たしかにそれらを買う時には変な満足感に似たようなものがともなう。もちろん、いつも(金銭的な)喪失感はあるのだけれども。
 やっと見つけた巻尺を使い、部屋にある窓枠の大きさを測る。取り替えの時期はとうに過ぎていたけれど、古い物に愛着もありなかなか腰が上がらなかった。どうしても先延ばしにしてしまう性格というのは直らないようだ。

 見違えるほど部屋が広く(奥行きが伸びたように)感じる。これまでのものは窓枠ギリギリの大きさで、カーテンの四辺から窓枠がそれとなくその存在を主張していた。カーテンそのものも少しすすけていたのかもしれない。新しいものは窓枠より二まわりほど大きめのやはり白色。
 新しいものは信じられないほどに部屋を広く見せてくれた。壁をぶち抜いたわけではないので、あたりまえの話だが部屋の床面積は変わらない。逆に窓枠から少しだけせり出したカーテンでほんの少しだけ狭くなってしまっているはず。それでも部屋は広く感じられ解放感がある。
 錯覚。

 ほんとにうれしい錯覚だ。
 周りにどれだけの錯覚があるのかを考えてみる。暮らしていく上でほとんどの場合それは人の心を豊かにする。時として自分から「錯覚しよう」という力が働くことすらある。
 クリスマス・プレゼントの包装紙が茶色に変色してしまった古新聞では、たとえ「君の、そのハートがうれしいんだ」と思い、口にしていても少なくとも一瞬は「!」と思ってしまうことだろう。ある年齢に達したら女性は化粧をしている方がいいし、それなりの格好をして初めてのデートの待ち合わせ場所に向かう時、自分が別人であるかのような感覚にとらわれてしまうこともある。
 そこに錯覚があるからこそ、あちこちの角が取れて心の中に広がりが出てくる。
 もちろん様々な技術・技巧・職業そして物そのものの中には「錯覚させる」ために存在しているものもある。それだけ錯覚は人々に必要とされ、そして何よりも心をいやしてくれることの裏返しだろう。確信犯的な錯覚の作り手というのも昔からいる。それをなりわいとする人、個人的に駆使する人、そのほとんどは他愛のないものでこちらとしても笑いながら付き合うことができる。それでも詐欺まがいのものもある。それはもはや錯覚と言うことはできないのだけれど。

 人の心の中にある「信じる」というパートがあるからこそ錯覚が起こるのだろう。何かを信じることができることは幸せなこと。それは豊かな心の現われかもしれない。こういったことを考えると錯覚のない世の中は空恐ろしい。
 しかし、たまには醒めた目で見まわしてみることもまた必要ではある。自分の周りになんと錯覚の多いことか。それは気持ちのいい錯覚ばかりであるとは限らない。まやかしや、ごまかしだってある。それは錯覚のようではあるけれどそうではない。
 僕の中にある錯覚の要素、それは「人を豊かな気持ちにさせてくれること」。それは言語学や心理学の解釈とは違うかもしれないけれどこれは譲れない。そもそも「『__学』などという学問はクソクラエ」という立場に僕はほとんどの場合いるのだから。
「なにかの利得を得るために人々を欺くこと」これは僕の中では「まやかし」という項に分類される。
 顔の見えない人が多い。「幸せになった?」ような気分にしてくれる人や物事も多い。それが錯覚であるか、それともまやかしであるのか?たまには目を凝らし、耳を澄ましてみよう。その幻が何の上に立っているのかが見えてくるから。
 自分で錯覚してしまいたい時だってある。それはそれでいいとも思う。ただそれが錯覚であることを<最終的には>忘れないで欲しい。それはあくまで自分が求めた結果としての錯覚なのだから。現実とは少し違う。時として周りが「目をさませ!」と叫ぶ。

 様々な形をした、とてもはかることの出来ない情報に囲まれている。そのひとつひとつを手にとって眺めてみることはとてもできないけれど、なにか一つのまやかしをひっくり返して見た時、まるで複雑に絡まっていた糸がほどけるように一瞬にして視野の開けることがある。一見なんの関連性のないものまでがきれいに見えてくる。
 錯覚の中で生きることは決して悪いことではない。錯覚は楽しい部屋。まやかしは逃げ場のない小屋。

 自分の撮影されたものを見ていた。
「これは錯覚か?まやかしか?それともリアルか?」

 しかし錯覚は楽しい。



【錯覚】1 (心理)外界の事物を、その客観的性質に相応しない形で知覚すること。その知覚。主に視覚、聴覚について言う。→幻覚。
2 俗に思い違い。勘違い。
【まやかし】人目をごまかそうと、見かけを似せて作り構えること。その、にせもの。
-岩波国語辞典 第5版-

 あーやっぱり心理学が出てきた。
 久しぶりに三省堂の『新明解国語辞典』の少しだけ古い版が読みたくなってきた。この本は結構独自の語釈があったりしておもしろい。錯覚を呼び覚まし、時としてまやかしを晴らしてくれたりもする。





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by seikiny1 | 2005-12-17 16:55 | 思うこと
フィクション
 近所にかわいい女の子(女性)が住んでいる。秋頃まではたまに見かけていた。いつも「クラブ大好きです」、といった格好だった。最近あんまり見かけないな、と思っていたら今日少しだけ懐かしい後姿を見かけた。まだこの近所に住んでいるらしい。

 この世界はほんのひとにぎりの幻想と、ほとんどの現実で出来上がっている。生きていくということは言い換えれば、現実と対峙していくということだろう。
 僕の場合はほかの人よりもかなり幻想の占める部分が大きいように思う。感じる。それだけ<生きる>ということに真摯ではないのだろうか?いや、そうでもないはずだ。こんな僕でもひところと比べるとかなり現実の占める部分が大きくなっている。それはいいことなのだろうか?それとも悪いことなのだろうか?
 ある時期はほとんど幻想の中に生きていた。ただ息をして、食事をし、トイレへ行き、寝る。極端な言い方をしてしまえば、それだけがその当時の僕の現実という部分。最初は成り行きで、次第に意識的に現実との距離を置くようにしていたように思う。果たしてその当時、そんな生活を「充実したもの」とか「幸せだ」とか思っていたのだろうか、というとそれは怪しい。どこかで現実の部分を増やしたがっていた僕がそこには確実にいた。今、ふり返ってみても結論を出すことは出来ない。土台そんな判断は無理だ。誰にもできはしない。
 幻想と現実は背中合わせで、幸せと不幸せも同じ。そして、その瞬間、瞬間でどちら側に手を挙げるか、ということになると人それぞれの価値観は全く違っており、僕自身の中でもそれは常に揺れ動いている。ただひとつだけはっきりと言えることは、どんな場合においてもその幻想時代を悔いたことがないということ。ただそれだけ。
 さて、今の僕は何をしているのだろう?
 きっと自分の中で、一番心地よい幻想と現実の割り合いを色々と試しながら確かめようとしているのかもしれない。かわいい女の子の後姿がそんなことを語りかけてくれた。

 意味合いは少し変わってくるけれど、読み物の大きなジャンルわけとしてfictionそしてnon-fictionというのがある。字面を眺めてみると、どうひねくれた考え方をしてもまずfictionが生まれ、そしてそれに対を成すものとしてnon-fictionが生まれたことがわかる。一体fictionはいつの頃にその産声をあげたのだろう?
 人々がそれを求めていた。人々の生活にそれが必要とされていた。そんなところからfictionの物語は生まれたのだろう。
 人間は決して現実だけを見つめて生きていくことはできない。fictionはそう言った現実界で潤滑油でもありオアシスでもある。ほんの少しの幻想を得ることで、ソレが現実界で生きる力ともなっていく。誰もがfictionを、幻を必要としている。ただ、すべてがfiction(虚構)では全くおもしろくないし、それが機能することはないだろう。fictionの物語でもそこに現実というものが、みながその存在を知っているものがあるからこそ成立することができるし拍手をもって迎えられる。そのすべてがfictionであればその成立すら疑問だ。誰も求めない。
 そのさじ加減が実に難しい。いっそのこと料理本のように「大さじ三杯」などと書いてあるものがあれば、とさえ思う時もある。まぁ、それでは生きていくことがおもしろくなくなってしまうのだけれど。すべてのことは試行錯誤をするからこそ、その味わいも、面白味も増していくのだから。

 夏の頃とはうって変わり長いダウンコートと毛糸の帽子で身を包み、氷点下の街を女の子は歩いていた。その手にはスーパーのビニール袋、少し背を丸めて白い息を吐いている。しばらく行くと彼女はコインランドリーへと入っていった。
 彼女の中に現実を見たような気がして、僕はなぜだかホッとする。

 誰もが幻想だけではなく現実も持っている。
 誰もが現実だけではなく幻想も持っている。
 車輪の大きさこそ違うけれど、それは人間の両輪。





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まぁ、これからもボヤいていきます。

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by seikiny1 | 2005-12-14 16:27 | 思うこと
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