ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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ペニー
 財布というものを持っていない。いや、厳密に言うとたまに持っているのだけれど、その数だけ失くしてしまっている。もう<財布を持つ>ということを半ば諦めてしまっている。僕は、よっぽどお金との縁が薄い人間なんだろう。

 地下鉄のプラットホームで斜め前の女性がいきなりしゃがみこみ、そして立ち上がった。1セント玉(ペニー)を拾っていた。
 僕も、たとえそれがペニーであろうと、周りにどれだけ人がいようと、それを見つけたら必ず拾う。そしてポケットに放り込む。財布を持たないのであちこちのズボンやジャケットから「ジャラジャラ」という音が聞こえてくる。気がついたらどこかへ行ってしまっている事もまたよくある。
 小銭を持たないで1ドル7セントの物を買物する時は1ドル紙幣を二枚出さなければならない。お釣りをポケットに入れる。そのうちどこかへ行ってしまう。それは結局2ドルの買物をしたのとあまり変わらなかったりする、
 拾う、失くす……。そんなことを繰り返しながらどこかでなんとかバランスを保っているのかもしれない。

 ヨーロッパの旅で最初の頃戸惑ったのは、その小銭に対する感覚の違いとその扱い。
 たとえば5ユーロ3セントの買物をしたとしよう。まず5ユーロ紙幣を渡して、ポケットの中に手を突っ込みゴソゴソと3セントを探す。やっと見つけて渡そうと顔を上げたら、レジのカウンターの向こう側に座っている女性は、平然とした顔で次のお客さんの計算をはじめている。
 反対に4ユーロ97セントの買物をした時は、おつりを待っている僕がまるで目にも入らぬかのように二コリともせず次のお客さんの計算をはじめる。
 自分の中で勝手に「日本人と似たような性格を持っている」と思い込んでいたドイツでも同様だった。
 小さな物を失ったり、得たりしながらバランスを保っている社会。双方がそれを理解し、了解しあっている社会というのは健康なのかもしれない。あまりにもギチギチであると歯車は回らない。

 ヨーロッパほど徹底してはいないけれどアメリカにも似た面がある。
“Forget about pennys”(「小銭はいいよ」)
 僕が好きな言葉。
 たったの数セントだけれど、「得をした」ということよりもなんだかその輪郭のゆるさがうれしい。
 またお店によってはレジの横に小さなお皿が置いてあるところもある。余分な小銭をそこへ置いていく人、ちょっと足りない小銭をそこから付け足す人。誰も損をしたとは思わない。“Your penny, My penny.”
 一セントにこだわる人、じゃまな人、必要な人がいる。それでいい。宙に浮いているコイン。それがその人達の間にある溝を埋めてくれる。小さいからこそいい。たったの一セントだけれど、それの持つ力ははかりようがない。

 こんな僕でもアメリカに来た当時はよくお釣りを待っていた。
 商品をわたしお金を受け取った後、一度新聞に目を落としたおじさんが再び目を上げて
“What are you waiting for?“とたずねる。
“I‘m waiting for my change.“ニコリともせずに言う僕におじさんは笑いながらペニーを渡してくれていた。
 日本でもそうだろうがアメリカでも消費者というのは99という数字に弱い。お店の安売りには実によく使われる数字だ。しかし、小さい店では不思議と[表示価格99セント]で[実売価格1ドル]と双方で理解了承しあっていたりする。もちろん「つりを寄こせ」と言えばわたしてくれるが、そういった店でそんな人を見かけることはあまりない。
 毎日99セントの大きなビールを二本買っている。長い間気にも止めていなかったのだけれど、実は一度もお釣りをもらった記憶がない。店主のマリオはいつも当然な顔をしてニコニコとしている。
 一日2セントだから三百六十五日だと7ドル30セントになる。結構な額だが、あの店へ行き彼と顔をあわせおしゃべりして少しだけ幸せな気分になる。それは2セント以上の価値が僕にはあると納得している。スマイルには0円以上の価値がある。そんな考え方の違いもあるのかもしれない。
 口にこそ出さないが、やっと僕も
“Forget about pennys”ということが少しわかってきたのかもしれない。
 ペニーは人と人との間の潤滑油となりうる。
 さて日本での1円玉の存在、その重みはどれくらいのものなのだろう?

 お正月までの間の週末、NYの地下鉄の乗車料金が半額になっている。MTA(NY市交通局)の利益還元大謝恩セールといったところだ。2ドルのものが1ドルになる。
先ほどペニーを拾った女性の後ろに並んで近付いてくる電車を待った。
 土曜日にもかかわらず、まるで平日の朝のように車内はほぼ満員だった。
「たった1ドルじゃないか」、と笑う人もいる。
それでもたった1ドル安いだけで、それを喜び電車に乗る人がこれだけいる。そしてこの人達はニューヨークという街にお金を落としていく。たったの1ドルでも、その及ぼす経済効果は間違いなくミリオン単位のものだろう。そして人々の心が少しだけ和らぐこの季節にそれをやってくれたことがうれしい。

<一>と言う数字をナメちゃいけない。
すべては<一>からはじまる。そして小さいからこそ、その数字には無限の可能性がある。


 たしかに昔親に言われた「ちりも積もれば山となる」ということわざは今でも自分の中に生きている。しかし「損して得とれ」ということわざもまたある。あまりにもギチギチなのは僕には息苦しいのかもしれない。少しユル過ぎるのかもしれないが。
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by seikiny1 | 2005-11-30 13:50 | 日本とアメリカと
残心
 彼らは今年もやってきた。
 いったいどこから来て、そしてどこへと帰っていくんだろう?
 クリスマス気分は彼らの来る頃に始まる。

 近所のスーパーマーケットの前に、懐かしいおんぼろワゴンがとまっている。クリスマスまで彼らはその中で夜を明かす。
 昨日からクリスマスツリーの露天が開店した。

 サンクスギヴィング・デーが終わるとアメリカはそのすべてがクリスマスへ向かって動き始める。
 もうアメリカのあちこちでクリスマスカードが書かれ始めていることだろう。一年の思いを込めて一枚、一枚書いていく人。印刷されたカードにただサインだけをしていく人。そんな思いで大きくふくらんだかばんを持って、郵便屋さんも日を追うごとに忙しくなっていく。室内の白い壁には少しずつカードガ増えていき、夜になるとクリスマスツリーのライトの灯がそれに映る。
 アメリカのどこにも、どんな人にもクリスマスはやってくる。少しずつ、ゆっくりと。しかし確実な足取りでやってくる。二十四日の夜にピークをむかえ、そして二十五日に終わる。

 日本ではいつ頃から年末気分になるのだろう?
 年末、大晦日というのは暦の上ではお正月とくっついているけれど、気分的にはまた別のもののように僕は感じる。もちろんお正月へ向けての準備としての年末ではあるのだけれど、大晦日とお正月は別物だろう。
 大晦日には行く年にやり残したことをやってしまい、行く年の事を思う。
 あけて元日。カレンダーも新しいものにして、新たな希望を胸に抱いて新年を迎える。
 日本の大晦日はイヴではなく締めくくりの日なのだろう。正月はいきなりやって来て、余韻を残してしばらくの間その気分が続く。

 アメリカと日本のその違いはカードとも重なっている。
 クリスマスまで「パラ、パラ」と舞い込んでくるクリスマスカード。
 元旦の朝「ドポッ」と重く、嬉しい音と一緒に郵便屋さんは年賀状の束を落として行ってくれる。そしてそれ以降も思い出したように「パラ、パラ」と年賀状はやってくる。
 どこかへ行く事、それだけではなくその過程をも楽しんでいこうとするアメリカ人。
 「そこへ行く事」。まずそれを一大目標にして、わき目もふらずに突き進む。そして行き着いたことを喜び、その喜びにひたる日本人。
 一概には言えないけれど、二つの国の人々の性格、物事に対する姿勢がそれぞれが大事にしているクリスマスとお正月にあらわれているようにも思う。それへの向かい方。そして喜び方。

 日本人が余韻を楽しむ、というところはそう大きくはずれてはいないと思う。少なくとも僕の中にはそんな部分がある。そのものだけではなく、形のない、実体のない、形にする事すらできないものを楽しむ、楽しみたいと思う気持ち。どちらかというとその物自体よりも、余韻の方が評価されたりもする。無音の中に音を聞いたり、それを芸術や精神性にまで高めたりもする。少し意味が違うかもしれないけれど、武道には<残心>というものがある。一つの動作を終えたあとでも緊張を持続する心構えのことをいう。技が決まったからといって勝負が終わったわけではない。そして勝ち負けだけがすべてでもない。そういったところが外人の人にはちょっとわかりづらいのかもしれない。
 朝青龍が勝利のあとガッツポーズを取ると、相撲協会からクレームがつく。

 クリスマスの朝、おんぼろワゴンは消えてしまう。
 いったいどこへ帰っていくんだろう?
 彼らにもちょっとだけ遅いクリスマスはやってくる。

 アメリカでクリスマスの後、生のツリーの大売出しを見たことがない。
 クリスマスツリーは一夜明けるとただのゴミになってしまう。
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by seikiny1 | 2005-11-29 12:15 | 日本とアメリカと
冬の隣人
「なんだかやばそうだなー」
 予感はしていた。二十五セントずつだけれど、この一年弱で近所にあるコイン・ランドリーの洗濯料金が五十セント値上げされた。
 月末になると必ずと言っていいほど引越しトラックと出会う。
 出て行く人。そして新しくはいってくる人。
 ここ数年で僕の住むブロックの住人の顔ぶれはかなり変わった。交通の便の良さ、大規模商業施設の完成、そして数年後には某NBAチームの本拠地となるアリーナが建設されると言う。大きな通りにある古くからある店はひとつ、またひとつとそのシャッターを閉じて、しばらくするとピカピカに光るガラス窓を持つ新しい店が生まれる。一ブロックに常時数箇所工事中のものがある。その通りは今では誰もが認めるレストラン街となってしまった。
 このエリアは、今、ブームタウン。

 人が先か?それとも環境の変化が先か?それは卵とニワトリの問答にも似ている。
 少なくともこの町は今、それが同時進行で行われていて、その表情は日々変わっていく。泣き顔なのか?それとも笑い顔なのか?
 増えているのは圧倒的に白人層。その中でも僕が「アンチャン」と呼ぶ年齢層。
 駅から家へ向かう時、ビルディングの入り口にある階段に電話を片手に腰をおろしおしゃべりにこうじている人をいつも見かける。寒さが厳しくなってきたこの時期にさえも。彼らはルーム・シェア、アパートメント・シェアをしているのだろう。この辺の小ぶりなタウンハウスのほとんどは一フロアに一世帯という作りで、数人でシェアするにはうってつけでもある。それはその分、このエリアの家賃が高くなっていることの現われでもある。
 この先、都市部では常にお金とプライベートをはかりにかけながら生きていかなければならないのかもしれない。

 冬の間だけの隣人たちがいる。
 裏庭越しに見える、五十メートルほど向こうに見えるビルディングの背中。そこに住む人達。
 夏の間はその間に引かれていた大きなカーテンが、冬になると開かれる。広々と腕を広げた数本の大きな木の葉が数日間で落ちてしまい、そして冬の隣人は現れる。
 そんな冬の隣人たちも今年はすっかり様変わりしてしまったようだ。僕の部屋の真後ろに位置するいくつかのアパート。そのうちの三部屋が去年とはうって変わり、いつもカーテンを開いている。照明もかなり明るくなったようだ。その明かりはまぶしく、なんだか落ち着かない。去年までそこにあったものは少しぼやけた古い映画のような灯りだった。今のそれはまるでデジタル技術で撮られたもののようでもある。「パキッ」とした感じ。それは室内照明や、カーテンのせいだけではなくそこに住み暮らす者の気の現れであるのかもしれない。
 とかく古株は口うるさいもので「昔はよかった」、「今の若い衆は……」、などと遠い昔から言っているらしい。かく言う僕もその例外ではなく、裏窓から見える情景が、冬の隣人達が、なんとなく居心地が悪い。ちょっとてれくさい感じ、とでも言うのだろうか。向こう側からの光に、まだ角の取れていない生活感のようなものが感じられてもじもじしてしまう。

 昨年の今頃、ななめ向かいに住んでいた男はどこへ行ってしまったのだろう?
 この冬、その部屋の窓に灯りがともったのをまだ見たことがない。
 その男はなぜかその頃の僕と似たような生活パターンを送っており、不思議な親近感を僕は抱いていた。灯りはだいたい午前四時頃になると消えていた。たまに早い時間にそれが「フッ」と消える時もあった。そんな時、僕は聞こえるはずもないのに「オヤスミ」と言っていた。
 男は四六時中ソファーに座り、その対角線上に置かれた大きめのテレビを観ていた。
 あの男はこの冬どうしているのだろう?
 元気でいてくれればそれでいい。

 名前はおろか、顔すらも知らない隣人たち。道ですれ違ってもお互いにそれとはわからぬ隣人たち。そんな隣人たちにもこんな感情が生まれる時もある。
 たしか、何かの宗教には<隣人愛>という言葉があったように思う。それはこういったものなのだろうか?
 関わり方や、その深さは昔とは、別の地域とはちがうかもしれない。それでも僕達の中には隣に住み暮らす人々への情がまだ残っているようだ。

 数日前より、裏窓から見える灯りの数が減ってきた。昨夜は二つほどしかついていなかった。裏窓からそんな黒い窓を眺めながら「みんな、いいサンクスギヴィングを送っているといいな……」。そんなことを考えている僕がいた。まだ、いごこちの悪さや、てれの残っている新しい冬の隣人たちに対してまでも、もうこんな感情が芽生え始めている自分にびっくりする。

 そして黒い窓を眺めながら、数年前のサンクスギヴィングの夜のことを思い出していた。その頃はまったく隣人というものの存在するはずのない生活を送っていた。それは真っ暗な夜だった。気持ち悪いほど静かな夜だった。いつもは夜でもにぎやかな住宅街の中を僕以外の誰も歩いていなかった。自分の足音がやけに大きく響いていた。
 今、裏庭に面した黒い窓の向こうにあの頃の自分の姿が映っている。
 あの光のない住宅街の闇は幸せというものの影だったのだろう。そしてあそこを歩いていた僕は不幸せだったか?というと、別段そうでもなかった。人の目にはそうは映らなかったかもしれないけれど、あの頃は、あの頃で、自分のありように満足していた。あの夜の空気がおいしく感じられたのだからそれは間違いない。

 一年で一番静かな夜が過ぎていった。
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by seikiny1 | 2005-11-26 10:25 | 日ごろのこと
 一見おだやかなように見えるけれどハドソン・リバーやイースト・リバーの流れは結構はやい。同じ場所から眺めていても、時としてそれは右へ行ったり、左へ行ったり。
 僕達が住んでいるのはそんなところなのかもしれない。川と海の交わるところ。寄せてくる満ち潮と、山からの流れが交わるところ。そんなところを、ある者は器用に、またある者は溺れそうになりながらもなんとか泳いでいる。誰も流れを止める事はできない。時の流れを止めることができないように。新しく生まれてくるものと、消えゆくもの。泳いでいかなければならない。

 時代が移ればそれと共に頭の痛みも変わってくる。かつては考えられなかった頭痛のたねが現れ、難病が消えていたりする。
「そんなこと無視してしまえばいい」、と言う人もいるけれどそこまで器用な人間でもない。

 タイトル。
 手紙が主な通信手段であった頃、こんなことに頭を痛める人はいなかったことだろう。そもそも手紙というものにタイトルはいらなかった。存在していなかった。それは書き手の頭の中にあればそれでよかった。手紙での通信が少なくなり、それと共にその形式も風化していっているようだ。emailにその形式を使う人はあまりいない。そこにあるのは(必要なのは)日付けや宛名などの必須情報を別にすればタイトルと本文のみ。
 本文は簡潔に、時として詳細に書くようにすればいいのだけれど、タイトルには振り回されてしまう。送る方も、受ける方も。
 
 このタイトルというのは、FAX時代の流れを受け継いでemailのフォーマットに使われるようになったのだろう。FAXの場合、その多くはビジネス目的で使われていたのでやはり用件がはっきりしていなくてはいけなかったのだろう。しかし今飛び交っているemailの多くは私信だと思う。
 文章にタイトルをつけるという習慣はほとんどの人にとってなかったもの。せいぜい作文やレポートの表題に頭を痛めた程度だろう。私信にはタイトルはそう必要ではないのかもしれないけれど、それはemailの構成要素のひとつになっている。emailの受信箱を開けば、そこにあらわれてくるのは各種情報とタイトル。そう、タイトルはemailの顔。本文と同等に大事なものであると僕は思う。
 初対面の人を顔で判断してしまう。顔色でその人の状態を推し量る。人間の顔はなくてはならないものであるし、とても重要なその人の構成要素でもある。それなのにemailの顔はどちらかというとあまり気にされていない。でも僕は気になってしまう。

 emailアドレスを公開している事もあって色々なメールがやってくる。様々な表情をしている。そして結構顔に左右されている事もある。本文の印象まで変わってきてしまう。
 一番いやなのはノッペラボウ。タイトル欄が空欄のままのもの。ほとんどの場合開けずに削除する。
 次は僕の顔がそのままのってくるヤツ。左の方に落書きのように《Re》とついていたりする。中身を見てみると、かなり以前に出した何の関係もない昔のメールが引っ付いていたり、タイトルとまったく関係のない内容であったりする。そんな時メールの裏側に差出人のネボケ面が見え隠れしだす。
 ただ、ビジネス上の連絡で<何に関しての返信であるか>を明確にしなければならない時はこの限りではない。僕はこれまで《Re》付きのメールを送ったのは数回のみ。失礼なメールに対しての僕のささやかな自己主張。

 タイトルを見た時の自分のことをいつも重ね合わせて頭を痛める。これはまったく個人的な悩みで、多くの人にとっては意味のないことかもしれない。それでも悩んでしまう。少なくとも「空欄よりはましかな」、と。一番最初に相手の目に触れる情報以外のものなのだから、これをうまく使わない手はないと思う。それだけで誤解が生じたり、コミュニケーションがギクシャクしてしまう可能性がないとはいえないのだから。それならば、少し頭をひねってマイナスをプラスにしようと思う。
 ふてくされた顔、不審な顔ではなく笑顔で話したいから。
「寒いですね」、「こんにちは」それだけでノッペラボウは笑ってくれる。

 日本の町を歩く時、スポーツ新聞を開いた時にいつも感心してしまうのが風俗店の店名やキャッチコピー。それはそういったお店の顔と言うこともできる。本当に感心させられるほどにうまい。日本人は短い言葉に様々なものを込める才能を持つ、世界でも類を見ない民族だと思うのだけれど。
 それでも迷惑メールフォルダーにはいってくるSPAMメールで「開いてみたい!」、と思わせる、メールはほとんどない。まだまだ、顔としての認識が低いのかもしれない。

 きれいに化粧する必要はないけれど、いつもきれいに洗ってひげを剃っておきたい。そしてできることならばいつも笑顔で。
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by seikiny1 | 2005-11-25 07:44 | 日ごろのこと
串をめぐる旅
 まだ朝の八時だというのに変な旅をしていた。目を閉じてみると様々な情景が浮かんで、そして消え去っていく。中途半端な空腹状態のおなかにコーヒーを流し込みながらもう晩飯の事を考えはじめていた。

「チクワブが食べたい」
 頭の中にそんな言葉が飛び込んできた。東京出身のあいつ。東京ではおでんにチクワブはあたりまえだという。僕はおでんが大好きだ。
 九州にいた頃、チクワブの入ったおでんにめぐり会ったことはなかった。そもそもチクワブが「どういうものであるのか」。そんなことさえ知らなかった。ただ、その言葉だけはどこかで聞いたことがあるような気がする。それがいつ、どういう状況でかはまったく思い出せない。
 チクワブ入りのおでんをはじめて食べたのはニューヨークに来てからのこと。日本食のレストランも今ほどはあふれかえっておらず、それなりの値段を払って日本食のようなものを食べるのがぜいたくだった頃。そしておでん盛り合わせを食べた時に出会った。感想は「なんとも思わなかった」、おでんだねとしてなければなくてかまわない。そういった存在。その位置は今でも変わっていない。
 今、日本の食材を扱うスーパーへ行くと、おでんのたねの詰め合わせがパックに入れられて売られている。日本でもやはりそうなのだろう。たしかに、小さな家族ならそれひとつに足りないものを少し買い足すだけで十分だろう。そう、日本ではおでんの缶詰がひそかな脚光を浴びていると言う。
 詰め合わせのおでんのたねが出回るのとともに、チクワブは東京だけのものではなくなっていくのかもしれない。地方特有の物が消えていく可能性もある。鹿児島あたりの男がチクワブを「大好き」、と言う時代が来ても何の不思議もない。チクワブは普通の存在になってしまうんだろうか?
 スーパーでの買物。パック入りのおでんのたねを買うことで地方色が消えて平均化が進む。まぁ、食べ物とは僕達が考え、常に声高に論じるほど実際には大切なものではないということの現われなのかもしれない。
 おでんパックという名の情報。

 情報は素晴らしさとおろかさの両刃の刃。しかしそれで個性が消えてしまうわけではない。たしかに昔からある<伝統>のようなものは薄れていくかもしれないけれど、そこにまた新しいものが入ってきて新しい伝統になる。伝統は静止しているものではなく常に変わり続けるもの。時代を反映しながらも。それはまるで<数十年もの>のおでんのだし汁のようでもある。古くからあるものに少しずつ新しいものをつぎ足していく。
 ただ、時として人はそれが静止していることを願う。
 これは僕が今朝考えた伝統。
 もう、頭の中にははっきりとおでん鍋の形があらわれてきている。

「さて、<伝統>ってなんだろう?」
 とりあえず辞書を引いてみた。そこには、
【伝統】昔から(いつからなんだ?)うけ伝えてきた(誰が?)有形無形の風習・しきたり・傾向・様式。特にその精神的な面。 (かっこ内は僕の言葉です)
とある。実に怪しげで、あやふやな説明。こういったところが日本人の伝統なのかもしれない。良くも、悪くも。言葉というものもまた生き物で、所詮説明のつくものではない。新しく生まれもするし、死んでいく言葉だってある。

 子供の頃、赤塚不二男の『おそまつ君』というテレビマンガが大好きだった。その中に出てくるチビ太はいつも串にさされたおでんを食べていた。
 僕は鍋に入ったおでんではなく「串にさされたおでんが食べたかった」。それは串にさされているだけで、我が家のおでんとなんら変わるところもなかったかもしれないけれど、子供の頭にはまったくの別物と映っていたのだろう。
 マンガを通したおでんという名の情報。

 いつか本で読んだのだけれど、おでんがここまで広まったのは江戸時代の屋台売りを通しての事だそうだ。ファーストフードのはしりと言えないこともない。屋外でも食べやすいように串が打たれたのだろう。そんな時代をおでんの事を考えながら思い浮かべてみる。
 おでんの串のことを考えていたら、色々な串が出て来た。
「そういえば昔はてんぷらも屋台売りをしていたらしい。焼き鳥はどうなんだ?団子もきっとそうだろう。串カツはどうだ?」
 
「そうそう、おでんの発端は田楽という説もあったはずだ。串はその時代からのなごりかもしれない。そもそも<お田楽>は宮中の料理が起こりらしい。おでんの事を大阪では『関東煮』と呼ぶと誰かが言っていたな……」
 
 「『おそまつ君』の中で、いつもチビ太はおでんを屋台で買っていた。いや、チビ太がおでん屋だったのかもしれない。その屋台の出ている道は土であったような気がする。あの頃の東京にはまだ地面というものがあちこちに残っていたのだろう。『おそまつ君』だけではなく、当時の様々なマンガの背景にも地面が出てきていたようだ」

 たった一本のおでんの串から想像は無限に広がり続ける。それはなんだか旅をしているのにも似ている。形を変えながらも伝統は生き続ける。

 朝からこんな事を考えられるのはきっと平和なんだろう。

 昼過ぎに街に出てみた。
 いつもとはなにかが違う。
 スーパーマーケットでは通路まではみ出るほどに食品が積まれていた。その間を縫うようにして大勢の人達が買物をしている。ショッピング・カートの中をのぞいてみて明日がサンクスギヴィング・デーである事を思い出す。
 牛乳一本だけを握ってレジの列につく。
“Happy Thanksgiving day!”
 お釣りを受け取りながらレジの女性にそう言うと、今まで忙しさのためにこわばっていた顔が見る間にくずれ、白い歯を見せてくれた。ありがとう。

 街行く人達の誰もが心なしか微笑んでいるように見える。
“Happy Holidays!”
 別れ際のこの言葉が僕は大好きだ。そんな言葉があちこちで聞かれる季節に今年もなってきた。明日を過ぎれば「生の」クリスマスツリーが街角で売られ始める。聞こえてくる音楽も今日までとは違ったものになってくるはずだ。
 そんな風景、そして街の空気に幸福と伝統を感じてしまう。



 おでんは明日にしよう。串は打たずに。
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by seikiny1 | 2005-11-24 08:40 | 日ごろのこと
フラリ
 フラリ、と歩いてしまう。

 車の来ない赤信号で立ち止まる。他所の町のことはわからないけれど、ここニューヨークではそれはちょっとおかしな、不思議な事かもしれない。点滅する信号の前であればなおさらだ。しかし、忙しい街中で堂々と立ち止まる事ができるこの機会を無駄にするのはもったいない。別にこれと言って何かをするわけではないけれど僕はよく立ち止まる。

 歩くのがノロイ。自分で意識したことはあまりないのだけれどかなりノロイらしい。本気で歩いている時に、たまに気をつけてみてみるとたしかに子供やお年寄りが僕を追い越していく。そしてよく立ち止まる。
 歩く自分の姿を見たことはないけれど、それを見たことのある人は「決してスローな感じや、頼りなげな感じじゃないけどフラフラ~ッと歩いている」と言う。面と向かって言われたことはないけれど、やはり忙しい人は僕と一緒に歩くのが最初はたまらないらしい。そう、人生の時間というものは限られたものだから。有効に使わなきゃならない。人それぞれに快適な歩行速度というものがあるはずだ。それがきっと僕にとってはゆっくりとしたスピードなのだろう。
 しかし、こんな僕でも人との約束に遅れそうな時は早足で歩くし、一緒に歩く人のいる時は出来るだけその人のペースにあわせるようにしている。できるだけ。しかし、それはやっぱり快適じゃない。だから予定のある時は出来るだけ早い時間に出かける。そして人と歩くのはあまり得意ではない。たまには自分のペースに人を巻き込んでしまう時もあるけれど。
 歩くことが好きだ。一人でゆっくりと歩くことが。

 中高生の頃は用もないのに近所の繁華街を歩くのが好きだった。別に人づきあいが悪いわけじゃなかったけれど、その頃から一人という時間を大切にしていたんだろうと思う。友達と群れをなすのも楽しかったけれど、一人でいる時の方が快適だった。
 街の中で一人になれることが大好きだ。僕がこの街が好きな理由のひとつはそんなところにあるのかもしれない。厳しさとやさしさ、孤独とハートが同居している街。

 そこを歩くのは久しぶりだった。いつもは電車でその地下を通過するだけ。少し見ない間にここにも変化が起こっている。街の色が、空気が変わりつつある。薄暗くなりかけた日曜日の夕方に散歩に出かける。別に「散歩しよう」と思ったわけではないのだけれどそうなっていた。健康のためでもなく、何かを求めでもない。ただ「歩こうかな」と思っただけ。
 時間に追われているわけでもない、どこといって行く先があるわけでもない。フラリと出る散歩。それは僕にとって最高のぜいたく。気ままに立ち止まり、道端に腰をおろしてみたりする。角を曲がって繁華街の方に。ホリデーシーズンも近く、日曜日の夕方だというのにそこにはまだたくさんの人が歩いていた。だれもが僕を追い越していく。通りざまに一人の見知らぬ男性が声をかけてきた。
「ちょっといい?君って××でアートパフォーマンスやってる人だよね」
「いいやちがうよ」
「そうかー。顔といい、髪型といいよく似てるんだけどなー」
「うーん、でもちがうなー」
「あ、そう。とにかく、ありがとう」
 男性は首をひねりつつ去っていく。
 ゆっくり歩いていると結構見知らぬ人と話す機会にも恵まれる。これもまたおもしろい。そしてまた立ち止まる。

 しばらく道行く人を見るともなしに見ていると不思議な、少し懐かしい感覚がよみがえってきた。この繁華街の目抜き通り。そこのお店のディスプレーに並んでいる品々。そして足早に、楽しげに歩く人達。その間が線で結ばれている。お店の品物とそこを歩く人達の服装、その人達の持つ空気が似通っている。今時、こんな関係を目の当たりにすることができる通りも珍しい。これを感じられただけですごく得をした気分になる。

 だいぶ暗くなってきた。
 さぁ、またフラリと歩き出そう。
 それが僕にとっての快適な歩行速度。
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by seikiny1 | 2005-11-22 09:40 | 日ごろのこと
七面鳥はいつも七面鳥
 「セイキッちゃん」、「セイキ」、「セイキさん」「境さん」、「境」、「境君」、「seiki」……。
 アメリカに来てからは発音しにくい事もあって実に様々な(中には想像すら出来ない呼称もあった)名前で呼ばれてきた。
 下の名前で呼ばれることが圧倒的に多いが、それにしても色々な呼び名があるものだと思う。僕はたった一人なのに。それでも呼び名の数だけ、いやそれ以上に僕に対するイメージが存在しているのだろう。人間だから色々な面はたしかに持っていると思う。それでも僕という人間は世界にたった一人しかいない。同じ名前の人は何人かはいるのだけれど。


 英語ではcow、ox、bullとbeef。日本語では牛と牛肉。
 英語ではhen、cock、roosterとchicken。日本語では鶏と鶏肉。
 英語ではpig、hogとpork。日本語では豚と豚肉。
 英語ではturkeyとturkey。日本語では七面鳥と七面鳥。

 Tommy McGuireという人がいたとする。
 英語ではいやなやつでもTommy McGuire。
 英語では友達でもTommy McGuire。
 犯罪者となってもTommy McGuire。
 故人となってもTommy McGuire。
 どんな新聞記事でも英語ではTommy McGuire。
 日本語ではいやなやつだとトミー・マクガイアー。
 日本語では友達だとトミー・マクガイアー君(ちゃん、さん)
 日本語では犯罪者になってしまうとトミー・マクガイアー。
 故人になってしなったら故トミー・マクガイアーさん(氏)
 新聞記事の内容次第でトミー・マクガイアーの呼び方が変わってくる。

 ほかの国のことはわからない。アメリカでは肉を食べる時に生き物そのものを見ていないのではないだろうか?意識的に目をそらそうとしているのではないだろうか?動物としての牛ではなく食物としての牛肉を頭の中に描くようにしているのではないだろうか?もしかしたらその奥には宗教的なものがあるのかもしれない。それでも、牛肉の後ろに牛の姿を重ね合わせてみる事は少ないような気がする。牧場で遊ぶ牛。スーパーのパックに入っている牛。同じ牛。
 それでも七面鳥には真っ向から向き合う。感謝祭で食べるまるごとのturkey。肉売り場の冷蔵庫に行儀よく並ぶパックに詰められたturkey。サンドウイッチの材料として人気のturkey。そのどれもがturkeyと呼ばれる。なんでなんだろう?それは年に一度多くの感謝の意を込めるturkeyとしての存在があるから食肉としての名前は生まれなかったのだろうか?
 salmonはsalmonであり、tunaはtuna。牛、鶏、豚は彼らにとっは特別なものであるのかもしれない。
 犯罪者も、故人も、親友も、家族も誰をも一個の人間として認め、尊重する。それはごく事務的で表面的なこともあるかもしれないけれど、やはり僕にはとても西欧的な公平さとドライさが感じられる。それなのになぜ牛、鶏、豚から目をそらそうとするのだろう?やはりどこかに罪の意識のようなものがあるからなのだろうか?たとえものは同じでも、それに対する姿勢がそれによって変わってくるのかもしれない。目をそらすことによって感謝をしているのかもしれない。そしてその罪の意識を持て余す者がベジタリアンになったのだろうか?

 日本では、(多分)東洋では、牛、鶏、豚と向き合い、目をそらすことなく食べることに対して感謝の意を西欧よりは日常レベルでまだ高く保ち続けているように思う。その一方で犯罪者は呼び捨てになり、亡くなってしまった人の頭には<故>が冠される。罪人に敬称はいつから与えられなくなってしまったんだろう?たしかに敬うに足らないのかもしれないが、そこにはまだ人間としての尊厳が存在している。その呼称で人も見たりしている自分もいる。いっそすべての記述は名前のみにしてしまったらどうだろう?最初は違和感があるかもしれないけれど、時とともにそれも薄れるはずだ。そうなったら人を見る時の目にも自ずと変化が現れてくることだろう。

 すべてを七面鳥を見る目で見ることが出来たら、と思う。
 名前、呼称とは文字通り、あって便利なその物を指す言葉だけれど、その言葉が変わるだけで受けるイメージがグッと変わってしまう時がある。呼称におどらされる時、目隠しをされる時。そんなことがよくある。どんな場合でも七面鳥は七面鳥であるとわかっているはずなのに。

 この国で生きるにはbeefである方が生きやすいのかもしれない。それでも僕は一匹の牛でありたいと思う。そして、もし罪を犯すことがあっても、死んでしまっても境セイキと呼ばれたい。

 子供の頃絵を描くのが好きだった。と言うよりも、パレットの上で色んな絵の具を混ぜ合わせて自分だけの色を作ることが好きだった。たった一つの色を。
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by seikiny1 | 2005-11-20 06:25 | 思うこと
ドアとビール
 暗くなるのが早くなってきた。日課の買い物。毎晩近所のデリ(自分では勝手に『My Shop』と呼んでいるんだけれども)に720mlのビールを二本だけ買いに行く。あればあるだけ飲んじゃうから二本だけと決めている。その後は決まって焼酎になってしまうのだけれど。

 例年になく今年はアパートの暖房の具合がいい。気付いたらONになっていた。確か去年の今頃はバスルームでシャンプーが凍っていたはずだ。気付かないほどさりげなく暖房が効いている。一階のドアを開けた瞬間に「オッ!」と思うほど外気が冷たい。
 路地から大通りに出てすれ違う人達はコートのフードをかぶって歩いていた。そこまでは寒く感じないけれど、感覚は人それぞれ。風はあまりない。
 大通りに出るとMy Shopの明かりが見えてきた。その向こうから歩いてくる女性のシルエットがぼんやりと見える。My Shopの前でちょうどはちあう格好になった。一瞬だけ目があって僕は小さくにこりと笑う。どうやら日本人のようだ。目があった直後に相手は目をそらす。ドアを引て彼女はその場に静止した。中から人が出てきた。その直後彼女は身をひるがえすと「ツカツカッ」とブーツの音を響かせて店の中へ消えていった。    目の前でドアが閉まる直前にやっと僕の手が取っ手に届いた。やれやれ……。
 苦笑しながら入った店内はいつもと変わりない。マリオ、とこれまた僕が勝手に呼んでいる店主がニコニコとテレビを横目で追いながらレジを打っている。あいさつをし底を通り過ぎてビールの並ぶ棚に行くと、先ほどの彼女はMy Beerの並ぶ少し先でビールを物色している。通いなれた店内、目をつぶってでもMy Beerを握ってレジに戻る事ができると思う。冷蔵庫のガラスドアの前でまた彼女がチラリと僕を見て目をそらす。

 ニューヨークにいるとこんなシーンを経験する事がよくある。日本人が日本人を意識する事。意識しすぎる事。自分の存在、そしてどう判定していいのかわからない相手の存在自分と言う存在をどこにはめ込んでいいのかがわからないのかもしれない。この二十年弱でなにも変わっていない。決まって(特に女性の場合は)「ツン」とそっぽを向いてしまう。この「ツン」はその心情をよく表しているようで、そしてつらい。誰かにドアを開けて待っていることができるあなたなのに、どうして後ろから来る日本人の僕にドアを支えて渡すことができないのだろう?もしここが日本なら彼女はそうはしないと僕は思う。ここがニューヨークだから。彼女は特別であり、日本人である僕もまた別の意味で特別なのだろう。さて、彼女に続く僕がアメリカ人だったら彼女はどうしたのだろう?やはり同じようにしたのだろうか?とても興味深いところだ。ニューヨークという場所は人を大きくもし、小さくもする。少なくとも僕はそれほど女には飢えていないんだけどね。そして「女性らしさとは?」な度々誰かが言って、たびたび批判の対象となってしまう多くのアメリカ人女性。そんな彼女らのほとんどは支えて待っていてくれる。変な言い方になってしまうけれど、日本人の女性はこの地ではまだまだ<旬>である。「モテル」ということ。そんなところにあぐらをかいているんじゃないかな、とも思ってしまう。そしてドアを支えることの出来ないつぎはぎだらけのマナーはもうすぐ賞味期限を過ぎてしまう、と僕は思う。やはり誰もが人間なんだもの。嫌いなものは嫌い。どこかでぼろが出てきてしまう。
 さて、彼女は部屋に帰って美味しいビールを飲むことができるんだろうか?僕だったら美味しいビールを飲むためだけにでもドアを支えておいてあげる。笑顔と「ありがとう」の言葉は生活するうえで最良のものだから。期待はしていないけれどそれで満足。親切は自己満である場合が極めて多いのだから。それで美味いビールが飲めたら言うことない。

 レジの前で順番を待っていると「ピーッ、ピーッ」。ドアの向こうから笛の音が聞こえてきた。白い息を吐きながら帽子を目深にかぶった女の子が父親に手を引かれて入ってきた。「ここではやめようね」、と制止する父親に素直に従う女の子。君は美味しいビールを飲める女性になってね。

 My Shopから出て見上げた空には満月を一日だけ過ぎたお月様が輝いていた。乾燥した冬の空気がそれをいっそうと美しく見せてくれる。特に雨の翌日のお月様はいっそうきれいだ。

 すべて昨日の出来事。
 ここ数日どこかで機嫌が悪かった。厳密に言うと約一週間。そのレベルがじわり、じわりと上がっているのがわかった。今日考えてみると昨夜が最悪だったみたいだ。今日になってその根が解決した。
 昨夜と同じシーンを今晩見たら果たしてどうなっていたのだろう?まったく違うように感じていたか、それともなにも感じなかったか。とかく生活の中では感情に左右されてしまう事が多い。同じ事でも違う自分の目で見るとまったく変わっていたりする。それでも、目の前でドアを閉じられたらやっぱり気持ちよくなかったかな?

 日本に帰った時に感じた事。エレベーターのスイッチとドアの関係が深い。ボタンを押すとスーッとすぐ閉じてしまう。去年(?)、森ビルで起こった事故もあながち日本人の精神性と無縁ではないのかもしれない。
 アメリカに来て感じた事。エレベーターのドアが閉まらない。今ではなんとも思わない。
 僕はもうズレてしまったのかもしれない。
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by seikiny1 | 2005-11-19 09:48 | 日ごろのこと
ボヴ・ディランはロックなのか、フォークなのか?どっちでもいい
 ヘソマガリなのかもしれない。「○○はXXだ!」と決め付けられるのがきらいだ。
 CD屋でミュージシャンの作品は置きやすいように(探しやすいように?)ジャンル分けされていく。自身ではそうは思っていなくても、お店側が勝手に「あ、これロックね」と言ってロックの棚に差し込む。まぁ、それが一般的な評価なのかもしれないけれど、その棚ではじめて彼のCDを見つけた人にとっては、彼がロックミュージシャンとしてその場で確立してしまう事だってある。
 いっそアルファベットと五十音順だけで並べてくれればいいのに。音楽を判断するのは聞き手なのだから。クラッシックのアルバムを探している人がヒップホップのアルバムを手に取ってしまう。そんな不思議な出会いもまたおもしろいかもしれない。

 コトバは怖い、コワイ。
 コトバでは表わしきれないことのほうが多いから。それは映像などと違って、より直接的に、あまりブレのない直球で受け手にパンチを喰わせる。あやふやな判断をさせることなく「これね」と言い切ってしまうことが出来る。
「ここのラーメンを食わずしてラーメンを語ることなかれ!」
 もちろん首をひねる人もいるだろう。でも、ほとんどは「あぁ、そうなんだ……」、と変に納得してしまい、次の瞬間には頭は別なことを考え出している。小さなことが積み重なっていく。
 コトバが意思を持った時、それはコワイ。
 それは何かを意図して、時には単に興味をそそるため面白半分で使われることもある。その理由はどうあれ意思を持ったコトバはコワイ。それが悪意を含む場合はなおさらだ。コトバが意思を持つことによって受け手の選択・判断の余地のかなりの部分が侵されてしまう。それは強制されたものではないから、変に納得できる部分があるからこそ決め付けられるよりいっそうコワイ。

 ちょっと古い話。ライブドアのニッポン放送株買収問題(←この「問題」という言い方もどうかとは思うけれど)がマスコミをにぎわせていた頃。駐車場からビルの入り口へ足早に向かう堀江社長を数十人の記者が追いかけていた。「一言お願いいたします!」
 そんな記者の言葉に答えた彼の言葉が印象的だった。
「僕がなにか言ってもあなた達はそのまますべてを伝えないでしょう。適当に面白おかしく、切り貼りして伝えるだけ。だから何もしゃべるつもりはありません」
 彼はそれまでの経験で意思を持ったコトバのコワサを十分に知っていたのだろう。

 なにげなしに漏らした言葉にその人が凝縮されていることもあるだろう。しかしそれが全てではない。その人を<それ抜き>で語ることはできなくても、<それのみ>で語りきれるものではない。それはその人についてのたった一つの事実に過ぎないのだから。意思を持って<それ>を伝えられるのがコワイ。

 報道に限らず日常生活でも意思を持ったコトバと出会うのは珍しいことじゃない。そして気付いたらそんなコトバに支配されている自分がいたりする。
 あるひとつのコトバ、歴史、背景があって「この人はこうなんだ」、「これはこうのはずだけど」……。そんな像が頭の中で出来上がっている。そしてその人の一言一句、一挙手一投足のすべてをそのコトバに結びつけ、納得し、確認する。そして安心する。変な安堵感がそこには確実にある。さて、いったいなにを安心しているんだろう?そこに自分の公式が間違っていない事を見いだしているのかもしれない。それは果たして自分の公式なのだろうか?
 間違って、曲げて、深読みしすぎて投げられたコトバの持つものはあまりにも重くて大きい。

 たとえば僕はホームレスであった事を公言し、それと向きあって生きていくつもりであり、本名で様々なことに接してきた。もちろんそれを利用している面もあるけれど、どちらかというと障害のほうが大きい。とにかく<ホームレス>というコトバを使うにあたってはそれ相応の覚悟はある(親姉妹はこの限りではない。誠にすまないことをしたと思っている)。こんな生き方をしていると案の定、
「あの人は元ホームレスだから……」
「ジャンキーあがりだからああなんだ……」
 そんな言葉がよく聞こえてくる。ほとんどの場合は聞き流すけれど、それでも押しつぶされそうな圧迫を感じる時だってある。時には相手のむなぐらをつかんで
「おぁ、俺はお前が言ったように元ホームレスだよそれがどうした!?文句あるなら堂々と言いやがれ!」。そんな衝動に駆られそうになる。

 数日前、東京都町田市で女子高校生を殺してしまった高校生がいる。
 人を殺めてしまうのはもちろんいけない。しかし、そうであるからといってあまりにも偏った見方をしてしまうのはどうだろう?
 事件を起こした時に制服のブレザーが汚れてしまい、翌日はそれなしで登校したという。先生には「自転車で転んだ」と説明したらしい。心配した先生は「事故に巻き込まれたのでは?」と問う。生徒は『そんなへまはしない』と答えたそうだ。
 新聞を見ると『そんなへまはしない』というコトバに意思が感じられてしょうがなかった。そこに不快感が残った。彼がやったことはたしかにいけない。精神的に不安定な面もあったのかもしれない。常人では考えられない行動でもある。それでも、そんな事件、彼のことを伝える時にそのコトバに意思を持たせるのはどうだろう?こんな取り上げ方は間違っている。事の善悪ではなく、伝え方が。
 日頃、日本の新聞を読まない僕がたまたま目にした記事がこれだったのかもしれない。もしかしたらこんな報じられ方は一般化して、<普通>になってしまい誰も抵抗感を覚えないのかもしれない。そうであるとしたらコワイ。この記事は少なくともスポーツ新聞のそれはなかった。
 

 岡本太郎が好きだ。
 しかし、芸術は必ずしも爆発する必要はない。爆発寸前の緊張感。ただの静寂そのもの。そんな中からも大きなエネルギーを感じる事もある。
 自分の内側にも意思を持ったコトバがたくさんあることに気付く。コトバに支配されることのない自由な精神、スポンジのような感受性を僕は持ちたいな。
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by seikiny1 | 2005-11-17 05:16 | 思うこと
やかんのエネルギー
 夏場、むせ返る地下鉄のプラットホームではいつも高校の物理の授業を思い出していた。
<エネルギー保存の法則>。
 「暑さの中におぼれて体力を消耗するのと、扇子を使いカロリーを燃やしながら少しだけの快適さを得るのではどちらが得だろう?」
 目の前の餅に弱い僕の右手はいつもせわしなく動いていた。

 冬の幼稚園。登園してまず最初にすることは、三匹の子豚《ブー・フーウー》のマンガが描かれたアルマイト製のお弁当箱を大きな石油ストーヴを囲むように置かれた<お弁当棚>に置く事だった。そうすればお昼時に温かいお弁当を食べる事ができた。黒いストーヴの上にはいつも大きなやかんがのっていた。
 そういえば冬場にやかんでお湯を沸かしている光景を見た記憶があまりない。石油ストーヴや火鉢の上にはいつもやかんがのり、その細い口からいつも白い湯気を吐き出していた。時としてそれは煮物であったり、金網にのせられた餅であったり。まだ赤ちゃんの頃、僕は火鉢の中に転げ落ちたそうだ。留守番をしていた姉が僕を助けてくれた。あやうく焼き物になるところだった。ありがとう。
 ファンヒーターの増加と反比例するように新聞の社会面から「○○で一酸化炭素中毒、×人が死亡」といった記事が消えていったように思う。やかんが消えて悲しい事故も減った。今、冬場に窓を必ずすかす習慣のある家庭はどのくらいなのだろう?そしてやかんに与えられたエネルギーはどこへ行ってしまったのだろう?

 ドイツを旅していた時に印象的だった風景。それは大きな農家の軒先にうず高く詰まれた大きなたくさんの薪たち。途中下車した小さな田舎町。そこでは目抜き通りを少しだけ外れたところには薪ストーヴの専門店があった。季節は夏。あそこでは薪という天然のエネルギー源が今でも大切に使われている。太陽の恵みを受け、大地の栄養を吸い取った大きな樹が冬には人々にエネルギーを与えてくれる。薪ストーヴの上には何がのるのだろう?そういえば、ニューヨークで知り合った岐阜出身の友人の実家では「今でも暖房は薪ストーヴだけ」と言っていた。彼女の家のストーヴには何がのっているのだろう?もう薪を燃やし出したんだろうか?
 石油高騰のあおりを受けて、今年はアメリカでも薪の売り上げが伸びていると言う(アメリカでは薪は買うものなのかもしれない)。先日もアパートのドアに薪販売業者のチラシがはさみ込まれていた。「石油が高いから……」、という理由からではあるけれど天然のものを見直す動きはいいことだと思う。動機はどうであれ、そこから<なにか>が生まれるかもしれない。

 日本ではやはり今でも部屋単位の暖房の方が多いのだろうか?「トイレに行く時は寒い」のだろうか?
 かつて火鉢で、ストーヴで保存されていたあのエネルギーはどこへ行ってしまったんだろう?

 アメリカの全館暖房の歴史は長い。トイレへ行く時に寒い思いをした経験を持つ人の割合は日本と比べたらかなり低いだろう。アメリカに来た当初、(換気のためではなく)暑さのために真冬に窓をすかして寝ていたことを思い出す。全館暖房をするために燃やしたエネルギーはどこへ行ってしまったのだろう?
 それはやはりここに住み暮らす人達の心のエネルギーになっているようだ。<アタタカイ家庭の図>。ここでは日本とはまた違った家庭のアタタカサを感じる事が多い。やかんのお湯を沸かすことはできなくても、そんな家(庭)で育った人たちに寒いトイレを知る人たちとは違ったものを感じる事がある。それはおおらかさであったり、弱い者を思いやる心であったり、共有するということであったり……。知らず知らずのうちにやかんのエネルギーが違った形に転化されている。どちらがいいと言うのではなく、違ったエネルギーを感じるということ。

 ファンヒーターの温風を受けて育った人たちにはどんなエネルギーが吹き込まれているのだろう?決して無駄なエネルギーとなっていないことを信じる。やかんのエネルギーとは違った形で蓄積され、あらわれているはずだ。それが知りたい。
 エネルギーは保存・蓄積ができるもの。それを<どう>発揮することができるかが肝心だ。自然と発散できていたら言うことはない。


「カチン、カチン……」
 部屋のラジエーターが喋りだした。ここにもやっと暖房がはいったらしい。
 身近にエネルギーを感じるのはやはり空調設備なのだろう。暑さ、寒さの厳しい季節になると<エネルギー保存の法則>を思い出す。

 約二時間後暖房は止まった。
 今年はまだまだアタタカイ。
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by seikiny1 | 2005-11-15 10:34 | 思うこと
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