ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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安田ラジオ
 月並みな情報ではないものをニューヨークから発信し、叫ぶ《安田ラジオ放送局》
 昨日は、安田ラジオに出演させてもらいました。結局、収録より飲んでる時間のほうが長かったです。おかげで、今日はかなり久々だけど一滴も飲んでいません。

 興味がある人は聴いてみて下さい。
 安田ラジオ放送局(←クリックしてください)
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by seikiny1 | 2005-09-26 17:13
ヘレン
「何で女の名前が書いてある部屋に入らなきゃいけないんだ?」、といつも思いつつもドイツでは<Herren>と書いてある部屋に入っていっていた。どんなに酔っ払っていてもそれだけはいつも確認してたし、している。ちょっと変わった日本レストランなどでは、兜や芸者さんの絵が描いてあったりして、一瞬だけ「どっちだ?」、と戸惑うこともある。それでも、これまでに間違えた事はあまりないように思う。
 それでも、相手が間違えたらお手上げだ。
 たしかに僕も悪かった。飲んでいたせいもあり、ノックをしなかった。
 こんな場合、和式だったらどういうリアクションをするのだろう?
 そんな事が頭をよぎって行った。和式の場合だったら開けた側の気まずさの方が格段に上だろう。相手はケツを向けていて、ドアの閉まるのを待てばらそれで済むのだから。でも、洋式の場合はそうもいかない。向き合わなければいけない。相手が外国人の場合だとだいたい、
 ちょっと気まずそうな顔をしながら“Excuse me.”または“Oops!”
 やけに明るい笑顔を浮かべながら“Hi!”
 時には、お互いを罵倒しあう。
 日本人の場合はどうなんだろう?

 お互いに目があったまま、僕はしばしドアを閉めることを忘れていた。無言だった。そしてほぼ同時に「ゴメンナサイッ!」。ドアを閉めた後も数秒間その前で最敬礼をしていた。
 ここはニューヨークにある、とある日系の飲食店の男性用トイレのドアの前。
 その時、一年弱前にも同じような場面に自分がいたことを思い出す。あれは高円寺にある福岡の人が経営するタイ・レストランだった。友達のライブの打ち上げをやっていた深夜だった。あの時もやはり、「ゴメンナサイ」とお互いに謝りあっていたように思う。たしかに、お互いに頭を下げあっていた。
 和式のトイレでは、まず取り合うことが出来ないコミュニケーション。
 とりあえず謝れば事が済むからそうするのではないと思う。もっと、もっと深いところから二人の言葉は出ていたのだと思う。そんな日本人に生まれてきた事が嬉しい。ただ、自分を一方的に通すだけでなく、決して通り一遍等の儀礼的なものでもなく、そこにはお互いの心の交流があったような気がした。自分に、そして相手に。ただ単に押し合うだけではく、かと言って引きあっているだけでもない。そんなところに何の根拠もないけれど日本人的なものを感じてしまった。
 とりあえずあやまるんじゃない。ただ場を円く治めるために打算的に出る言葉でもない。心のどこかに誰もが「ごめんなさい」、そして「ありがとう」を持っている。そして、その表現のしかた。

「ゴメンナサイ」という気持ちを二人で共有する事が出来た。そんなことがとてもうれしかった。

 そう差し迫ったものでもなかったので、席に戻りまたビールを飲む。誰かが歩いて来て背後で止まった。
「さっきはごめんなさい」
 明るい笑顔でそう言ってくれた。
 自分の席に戻り、下を向いて小さくなってしまうわけでもなく、大笑いしてぶっ飛ばすわけでもない。
 少し照れくさそうに、笑いながら「ごめんなさい」、と言いに来てくれた彼女に少しビックリし、そして頭が下がる。
 日本人はそうそう悪い方向に変化を続けているだけではないようだ。

 酔っ払っても絶対にドアのサインは確かめる。しかし、ノックをしなかった僕も悪い。
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by seikiny1 | 2005-09-22 15:29 | 日ごろのこと
お月様
 蚊やり線香をつけるのを忘れた。かゆさで目が覚め、灯りをつけずにトイレへ行き腰を下ろす。窓から見上げた空が少し薄明るくなっていた。
 空には月が出ていた。
 窓という名の穴だけがある壁に囲まれていると、月のことを忘れてしまう事がある。壁という名の壁だけではなく、周りには様々な形をした、形を持たない壁があふれている。見上げればいつもそこにお月様がいた、三年ちょっと前のことを思い出す。
 なんだか久しぶりに再会した家族のようにお月様は笑っていた。

 翌日(昨日)、インターネットを見ていたら十五夜ということだった。
「よし、今夜も見てやろう」、と思って出かけた。しかし、Little Itallyで催されている恒例のフェスティバルで雑踏にもまれているうちに、そんな事は忘れてしまっていた。露天のテントで夜空はますます狭くなり、そこから出される明かりでストリートだけが浮かび上がる。
 お祭りは大好きだけれど、この人ごみは疲れる。歩くに歩けない状態がいつまでも続く。年々人の密度の高い場所に身を置くのがしんどくなってきている。かと言って、わがままな寂しがり屋だから人がいないのはいやだ。
 フェスティバルを出る頃には疲れが不機嫌に変わり始めていた。

 薄暗く人もまばらなチャイナタウンでやっと一息つくことが出来た。何の気なしに地下鉄駅の階段を下りる前に空を見上げていた。満月のお月様が笑っていた。

♪月が出た出た、月が出た……♪
 生まれ故郷は炭坑節で有名な三池炭鉱のあった町。今でも月を見ると、そのメロディーが頭の中を流れ出す。
 アフリカでも、イラクでも、そしてニューオリンズでも。昔の人も、今の人も。善人も、悪人も、たったひとつの月を眺めている。誰もが同じ月を見ることが出来る。みなが共有する月を眺めながら、様々な人が、様々なことを考えている。お月様はどんな人間をも拒絶する事はない。

 月明かりを感じる事が以前より少なくなったように思う。見上げる回数だって確実に減っている。
 お月様は変わらないのに、僕は常に変わり続けている。そんな変化も、お月様から見たら《へ》ほどもないだろう。

 地下鉄を降り、地上へと出る。
 ビルの谷間の小さな空でお月様が笑っていた。昔と変わらぬ姿で、ウサギが餅をついていた。
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by seikiny1 | 2005-09-20 09:08 | 日ごろのこと
さて、なにを喰おうかな?
 また新しい雑誌が手に入った。一番興味があり、そして嫌いな記事をまたまた読んでしまう。

 人間の三欲のひとつである<食>に関する記事。いつの時代にも、そして多くの人にとって最も興味のある記事のひとつだろう。お天気ほどではないけれど、政治や宗教とは違い無難に人との会話のネタにする事も出来る。
 ちゃんとした評論家(さて、何をもって<ちゃんとした>と言うのか、これまた難しいけれど)の書いた記事はさておき、ここでは<レストラン評>と言われるコーナー。俗に記事広告と呼ばれるもの。
 評論であるとか、批評であるとかではなくそれ以前の問題で、内容はすべてがほめ言葉。「ウマイ、ウマイ」の連発。はっきり言えばただのヨイショ記事。得られるものは店の情報程度で、失うものは大きい。読後感が悪い。気分が悪くなってくる。

<バーター>という言葉を知っていますか?
 簡単に言えば物々交換。つまりその取引では金銭の授受は発生せず、そこで生じた金銭価値を、別の方法に換算し支払うということ。レストランの記事広告の場合はバーター取引が多く、そこでは代換金銭として食べ物が供される事が多いらしい。商取引の結果がほとんど社会に還元されないことになる。それはほとんどの場合、関係者の胃袋で終点を迎える。
 記事とはいっても、これは記事の形をれっきとした広告である事を知っておかなければ「ウマイ、ウマイ」(ヨイショ、ヨイショ)に踊らされてしまう。広告である限り、悪い事を書くはずもなく、書けるはずもなく、そのヨイショ加減が気味悪い。商取引の向こう側に人間の三欲の中でも一番いさぎよくありたいものが見え隠れするので、それが食に関するものであるにもかかわらず吐き気がしてくる。
 そうは言うものの、僕自身だってそういったバーターの末席を汚したことが何度かある。しかし、僕程度の神経では到底料理を楽しむ事は出来なかった。なにやら後ろめたい事をしているようで、味どころではなかった。お店の人の視線すら、なんだかイヤシイものを見るように感じられ背中に突き立ってくる。ああいった場面で、食事が楽しめる、ということだけでもある意味頭が下がるのだけれど。

 そんなバーター記事を載せる方も、載せてもらう方も問題があるのだけれど、これは商取引なのだからとやかく言うことではないのだろう。ただ、その背後にある風景が見えてこないように努力してもらう事を願うだけ。
 バーター記事の向こう側に見えてくる餓鬼然とした風景。そこにある欲の世界を考えると気分が悪くなってしまうということ。少なくとも僕の場合は。

 食べ物ほど、その嗜好が別れるものも少ないかもしれない。誰かにとっての絶品が、別の誰かにはゴミ同然。東京人にはOKでも、大阪人からはダメだしが来る。その逆ももちろんある。
 そんな厄介なもの、頼まれたってやりたくはない。そこまで卑しくなれる度胸がないといったほうが正解に近いかもしれない。そもそも、人を、何かを論じるような器ではないと思うし。僕に出来るのは「これはうまい」、「これは好きだ」。その程度。

 紙の、モニターの裏側に見え隠れする胃袋達。そこから脳に送られる信号を頂点とした欲望。
 そろそろレストラン評のバーター記事をやめて欲しい。そう願いつつも、そのページで指を止めてしまう自分の情けなさ。そしていつも胸くそが悪くなる。
 だからやめて欲しいんだ。
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by seikiny1 | 2005-09-18 07:42 | 思うこと
焼き茄子
 冷蔵庫の中を眺めながら晩飯のおかずを考えていた。茄子が二本転がっていた。

 焼き茄子は網で焼くものだと思っていた。それにしょうが醤油をかけ、かつお節をのっけて食べる。アツアツでもよし、冷めたのもまた美味しい。頭の中でサッパリ、という文字が広がりその後ろに冷たいビールが見え隠れする。そういえば子供の頃はしょうがが大嫌いだっのだけれども、いつの間にか好物になっている。嗜好なんて本当にいい加減なもんだ。
 いざ作ろうという段階になって意見が大幅に食い違っていた。その人は言う。
「フライパンをあっためて」
「???」
「ごま油を入れて……」
「?????」
 なんだか頭の中が混乱してきた。焼き茄子だろ……。頭の中に広がっていたサッパリ感の輪郭が少しずつ丸みを帯びてきてしまった。さて、どんなものが出来るんだろう?
 出来上がったものは、僕の頭の中では<茄子の焼き浸し>というものだった。少々のサッパリはあるけれど、どちらかというとコッテリのほうにやや傾いているもの。多分、飲み屋のメニューから焼き茄子を注文してこれが出てきたらひと言は言うと思う。「これ、焼き茄子かー?」。それでも食べるのはわかっているけれど、ひと言だけ言いたい。
 頭の中がサッパリで埋まっている時にこれを出されたらショックは大きいだろう。今回は、「?」の前触れがあったのでショックはかなり小さかった。何かを通じてコミュニケーションがとれないのはつらい。しかし、それは作り上げていくしかない。

 頭の中の焼き茄子と、目の前のものを比べつつも箸を動かす。
 名前って言うのはそう大切なものじゃない。もし小さい頃に父親から「コーヒーは美味いな」、と言われながらビールを毎日飲まされていたとしたら世界中の誰もがそれをコーヒーと主張して譲らなくても、それは僕にとっては絶対にビールであり続けるだろう。名前なんて大した事じゃない。はっきり言ってどうだっていい。大切なものは名前なんかではなく、<そのもの>だと思う。それが美味いか、不味いか。名前は、その感情を伝えるために、共有するためにだけある。言葉は、自分以外の誰かと何かを共有するためだけの道具に過ぎない。単なるコミュニケーションの道具の一つに過ぎない。大切なのはそれを<うまい>と感じる二人の心。
 何度ものすれ違い、試行錯誤を重ねながら言葉が出来上がっていく。何かを共有するために。言葉が通じなくても喜び、悲しみ、怒り、嘆き、感動、憎しみ、恐怖、愛情……、感情は伝える事が出来るし、受け止めることだって出来る。たとえ相手が虫であれ、花であれそれが出来ると僕は信じる。

 言葉はいつも後から追いかけてくるものだと思う。たとえば見ず知らずの人と目があっただけで何かを共有できる事だってある。言葉は大切なようで、それほど大切なものではないのかもしれない。

「ゴキブリを殺して」、と言われた。
 僕はトロイふりをしながら何度も失敗する。からぶりを繰り返す。共有が出来ないから。言葉はあるけれど、共感が出来ない。
 少し前の話になるけれど、腕にとまった蚊を見ながら友達がつぶやいた。
“They have to eat.”
 今でもその言葉は僕の頭の中でこだましている。
 それでも蒸し暑い夜に蚊取り線香を焚く自分。この矛盾。自分の中の言い訳は?言葉はいらない。

 焼き茄子はとても美味かった。
 それが焼き茄子だっていいじゃないか。
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by seikiny1 | 2005-09-16 15:45 | 思うこと
 植木鉢の土がかわいそうだ。
 先月、長い旅行から帰ってきたら、シクラメンの鉢植えが枯れてしまっていた。水やりを頼んでいたのに。あんなに目立つところにあるのに忘れてしまったのだろうか?いくらなんでも気付くだろう。これは僕の甘え。今ではこんな期待も通じない世の中になってしまっているのかもしれない。
 窓辺から持ち上げた植木鉢はとても軽かった。

 すっかり乾いてしまっていた土に、もう一月以上も水をやり続けている。一パーセント以下の可能性かもしれないけれど、毎日再生を祈りながら。
 植木鉢の置いてある窓の外には、周りのビルの裏庭が広がっている。行儀よく、四角く区切られたそこはまるで人々の表情のようだ。
 毎日たくさんの洗濯物が干してある四角。
 なぜか片隅に一年中ソファが置かれた、ひまわりの咲く四角。
 サンルームのある四角。
 春先になると毎年チューリップの行列が見られる四角。
 <ガーデン>という名がピッタリな、手入れの行き届いた緑豊かな四角。
 その隣のたくましい雑草に覆われた四角(それでも隣のガーデンの持ち主は、夏の間毎日のように塀越しにホースでそこにみずをまく)。
 きゅうくつそうに、肩を寄せ合いながら様々な表情を浮かべている。そこでは土が生きている。暑さで青色吐息になったり、冬の雪に凍えながらも土は生きている。たしかに息吹を感じる事が出来る。雑草は土から栄養をもらいたくましく育つ。

 鉢植えの土。窓際に置かれたシクラメンの土。これは多分製品としての土だろう。ここには雑草の種さえ飛んでくる事はなく、生きているのか死んでいるのかさえもわからない。同じ土なのに。たった数ミリのガラスの向こうなのに、四角の土とはまったく違った悲しそうな表情をたたえ続けていた。

 今朝、膜が張ったようにうっすらと緑が鉢植えの土をおおっていた。どうやらコケの一種のようだ。朝陽を浴びながら、彼女はキラキラと照れ笑いを浮かべているようだった。

 たとえ不毛と言われようが、死んだものに対してもあきらめない。生を吹き込み続ける。自己満足で終わるかもしれないけれど、そこから新たな生がめばえる可能性はゼロではないと信じて。たとえ目には映らなくとも生は生まれる。
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by seikiny1 | 2005-09-15 08:49 | 日ごろのこと
EDGE
「紙がない!」
 と言ってもトイレでの話じゃない。電車を降りて、公園のチェアでタバコを喫おうとしたときの事。
 あぁ、もう約束の時間だ……。
 ニューヨークのタバコは気が遠くなるほど高い。普通の物だと、一箱七ドルはする。完全にぜいたく品。貧乏な僕はここ数年、手巻きタバコを喫っている。これだと税金の関係で一ドル五十セント。二十五本は巻ける。必要なのは紙と葉。
 出かける時にバタバタしたせいか、紙を持って出るのを忘れてしまった。タバコを取り出して火がないのも辛いが、紙がないのもまた辛い。子供の頃、プラモデルの部品が足りなくて泣きそうになった事を思い出した。ないものがまた欲しくなる。これが人情。
 ぐっとこらえて人と会うために約束の場所へ。

 約二時間後、僕の足はミッドタウンを西へと進んでいた。「西へ行けば必ずあるはず」。最近ミッドタウンからは足が遠のいているので、今ひとつ自信はなかったけれど頭のどこかで確信に近いものもあった。紙そのものはどこのタバコ屋出でも手に入るのだけれど、紙だけで一ドルは確実にする。それならばいつものタバコを買えば紙がついてくるので、ということで安タバコを探して西へと向かった。
 六番街、「ない」
 ブロードウェイ、「ない」
 七番街、「まだない」
 八番街、「やっとあった」
 道端に腰を下ろして一服。

 実に不思議な話だけれど、僕が来た当初のニューヨークの匂いが残る場所と、この安タバコが売られているエリアが見事にダブっている。島の中心部でそれを見つけるのは困難だ。どんどん端っこに追いやられてしまっている。あのタバコがある場所には、あのニューヨークが残っている。そこに住み暮らす人々の表情、喧騒、雑然とした中に変な安堵をおぼえる。
 もっと古いニューヨークはきっと川を、海を、そして橋を越えてどこかへ行かなければ見つからないのかもしれない。きっと多くの人が、それぞれの心の中のニューヨークを探しているのだろう。その人たちは一体今頃どこを歩いているんだろう?
 ナポリで、ベルリンであの頃のニューヨークの匂いを嗅いだ。間違いなくあの匂いだ。僕のニューヨークはどうやらあのあたりに行ってしまったらしい。生まれたらしい。
 地球のスペースは限られている。そして地球は丸い。あのニューヨークもいつの日かきっとここに帰ってくるだろう。それまでは小さなニューヨークで遊んでおこう。

 たった一本のたばこ。
 しかし、その向こうには地図がある。みんなは何を通して自分の地図を眺めているのだろう?
 僕のニューヨーク。それはバスから降り立った時のあの匂い、そしてそれからの原体験なのだろう。さぁ、地図の点を一つでも多くするためにまた歩こう。

 噴水からはまだ水が出ている。まだ日陰を選びながらで歩いている。これがもう少し経つと日なたを選ぶようになる。その境目はどこなんだろう?
 日陰から日向になるように少しずつだけれど、自然に変わる。僕自身も。
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by seikiny1 | 2005-09-14 16:52
カウンター

 飲み屋へ行ったら必ずといっていいほどカウンターに座る。
 そこへ行けばその店のこと、大体の雰囲気がつかめ、見知らぬ人と話す機会も増える。なにより注文しやすいからすぐ飲める。人の話を小耳にはさんだり、とそこにいるだけで楽しい時間が過ぎていく。

 数秒の差で電車を逃してしまった。近所の地下鉄駅。
 いつものように、小さな突起で仕切られただけの木製の長椅子に腰を下ろし待つことにする。三人の先客がいた。六人がけのそれにはポツポツと皆が離れて座っていた。僕が腰を下ろしたのは、中国人男性と黒人男性の間。僕のお尻が椅子に触れる前に中国人男性はわき目もふらず一番端の席に腰を滑らせる。まるで何事もなかったかのように、中字新聞を読み続ける。座る時に黒人の男性に少しだけ肩が触れた。“Excuse me”僕が言うと、彼は目で笑ってかえしてくれた。
 電車が入ってきた。別の行き先だ。
 反対側の端に座っていた女性が立ち上がり電車に乗り込む。そこに二つ連続した空席が出来た。黒人の男性は微動だにしない。階段を下りて別の中国人男性がこちらへやって来る。まっすぐに、先客の中国人男性の隣を目指して歩いてくる。腰を下ろすなり、先客の新聞に首を突き出すように覗き込む。
 三分もすると空席の目立つ電車が入ってきて、皆がパラパラと乗り込む。あの中国人男性はまた先客の隣に腰を下ろした。新聞を覗き込む格好も前のままだ。もう一人の中国人男性は「われ関せず」の体。

 空席がある電車でも立つことを好む人がいる。
 ちょっとの隙間を見つけてお尻を押し込む人がいる。
 シルバーシートに腰を下ろして、ご老人が周りにいてもそ知らぬ顔の人がいる。
 飲み屋のカウンターに、「オーバーブッキングだろ」と思わせるほど椅子を並べる店があると思えば、立ったまま平然と何時間も飲み続ける人もいる。
 そうかと思えば、日本にも立ち飲み式の酒場が増えだしているという。
 ラーメン屋の中には、カウンターを仕切って<集中して食べねばならない>という店もあるらしい。
 飛行機のエコノミークラスで、両方の肘掛けをわがもの顔で占領する人がいる。
 長距離バスのシートをリクライニングにしようとすると、後ろで「倒させまい」、と足を突っ張る男がいる。かと思えば、最後尾の座席では三席を占領して横になっているやつもいる。

 人が人といる以上、触れ合わないわけにはいかない。いくら拒絶しても触れ合わなければならない場面に必ず遭遇する。物理的にも、精神的にも一人では生きていくことはでないし、そうであって欲しくはないと思っている。そしてふれあいから何かが生まれることのなんと多いことだろう。
 人のことはまったくわからない。しかし、お互いに不快感がなければ触れ合うことを僕は厭いはしない。気分によってはそれが心地よい時だってある。誰かの隣に腰をおろしてみなければわからないことだってある。
 彼我の距離、その関係は長椅子や飲み屋のカウンターに似ている。様々な個性、駆け引き、やりとりがそこにはある。
 テーブルだってもちろんいいのだけれど、知らないものを知るにはカウンターの方が好きだ。
 特に飲み屋のカウンターが。
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by seikiny1 | 2005-09-13 07:53 | 思うこと
 辞書で調べてみると「採光や通風のために、壁、屋根などに設けた開口部」とある。そもそも、あらゆる意味での外部から身を護るための囲い -壁・屋根- を作った者が、それでも外部との接触を要して、欲して作ったものらしい。最初の流れは内部からだった。ズボンについている窓だって、外部との接触を求めた結果の産物だろう。
 <交流>というからには一方通行ではなく交互通行。内部での快適さと引き換えにその代償も求められる。いや、払わなければならないこともある。窓から外を眺めるだけでなく、覗かれる事だってある。外が見えているのに触れることの出来ないもどかしさだってある。全てをもらえることなんてないんだから。

 脇道であり、今では本道の感もあるけれど、人間のどこかにくすぶっている<見せる>、<見せたい>という気持ちを満たすために窓が作られる事もある。それは物理的な窓に限らず、精神的であることもある。人に見せるための窓、多くの人はそんなものを心のどこかに持っている。大きいのもあれば小さいのもある。
 見せるための窓。お店の場合はショーウィンドウと呼ばれる。そこから入っていったり、覗き込むことはあまり出来ないけれど、そこから発せられるメッセージに人々は反応する。そして何よりも、それがあることでその空間は解放感に包まれる。壁にドア一枚だけがあるお店。そんな店はどうしても敬遠してしまう。まず拒絶する事が前提であるかのようなイメージを受けてしまうから。
 不動産の高さからか、日本などでは通常路面店であったり、ショッピングセンターの中に店舗を持つ業種ですら、ここニューヨークではビルディングの奥深くにあることが多い。そういった所へはセキュリティーを通り、エレベーターに乗って行かなければならない。敷居が高くなってしまう。よほどの用事でもない限り、そういった場所に足を踏み入れる事はない。面倒くさいし、居心地もよくない。閉塞された空間ではやはり息が詰まってしまう。彼らは窓をふさぐことによって安全・快適を得、チャンスを失った。どちらがいいと言うことは出来ないけれど、それもひとつの選択なんだろう。何事もどこかでバランスするものなのだから。
 窓がある店には、その店の前を通過する身からすればやはり安心感がある。そうして、ふらりと入ってしまう。旅先で困った時に、何度そういったところの敷居をフラリとまたいだ事か。そして助けられた事か。そこにはコミュニケーションがある。その開放された空間にいる人も、窓があるおかげで自然と開放的になる事だってあるだろう(もちろんそれゆえの緊張感は伴うだろうけれど)。何度もそういった人達に助けられた。そうして「どうせお金を落とすなら」、と次には些細なものではあるけれど落とす事もある。窓を開くことによって、そういった繋がりが出来ていく。それは壁をも通すほどの力がある。
 <ガラス張り>という言葉がある。それはお互いを尊重し、認め合った上での安心ということなんだろう。

 田舎の家の窓はどうしても小さく見えてしまう。
 都会のアパートの窓はどこも大きく取られている。
 これは僕が旅をしていて受けた印象。一概には言えないだろうけれど、そこには安心・安全とコミュニケーションといった要素が絡み合っているのかな?と思ったりもする。都会の人は人口の密集に伴う危険の増加に対する安全対策の反面、もっと、もっと人との交流を求めているのかもしれない。矛盾しているようだけれど。ひとりで生きていくことなんてできないんだから。

 僕は大きな窓が好きだ。とても伸びやかな気分にさせてくれる。
 emailやコメントの書き込みにもWordを使う。小さな窓から書き込むよりも、いくらかまともな文章が書けるような気がするから。
 窓は交流するためにあるのだから。

 以前聞いたとおりに、オランダの町の窓はどこも大きかった。カーテンすら引かれていないところも多く、覗き込もうと思えばいとも簡単にする事が出来る。それは開放的というよりも、古くからの宗教上の慣習のなごりらしいが、そういった環境から内側にも、外側にも自然に開放といったものが生まれているのかもしれない。有名な飾り窓だって、その辺と関係ないとは言えないだろう。

 窓、それは信頼の上に成り立っている。信頼がなければ窓を作る事は出来ない。
 鉄格子のある窓、シャッターの下ろされたウィンドー。そんなものを見ていると悲しくなる時がある。人々があまりにも一方的であるような、一方通行であるような。それは壁以上に悲しいものなのかもしれない。窓のあり方というのは、その時、その社会を象徴する物と言えるだろう。
 窓があっても壁にしか見えない時もある。窓口機能がまったく働いておらず、それは壁に等しい。

 四年前、窓から飛び降りた、飛び降りざるを得なかった多くの人々がいた。
 今日と同じような青空だった。
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by seikiny1 | 2005-09-12 04:52 | 思うこと
笑う男
「この男はバカじゃなかろうか?」、とよく思う。
「どうしてこんな場面で、笑みをもらすことができるのだろう?」
 そんな場面をこれまで何度見てきたことか。周りには「これはいかん」、と思う人もいるのだろうけれど、こればっかりは防ぐ手立てがないようだ。

 その笑みは<せせら笑い>に見えてくる。心のどこかで、誰かを、何かをバカにしているような。実際はそうではないのかもしれないけれど、彼のこれまでやってきた事、そこから推しはかることのできる人格を考えてみるとそれは<せせら笑い>としか僕の目には映らない。笑いとは、素直な感情なのだから。こぼれてしまう。
 その笑いは演技でも、人に接する際のテクニックでもないようだ。彼のその顔は<笑顔>というすばらしいものと比べるのがはばかられるほど、遠くかけ離れたところにある。それは笑顔ではなく、ただ笑っているだけ。笑いが漏れてしまっているだけ。彼の心のどこかにその発生源があるはずだ。自分でそれを抑制する事が出来ないだけ。
 とても気持ちのいいものではない。

 一方的な発言の時はさすがに少ないけれど、記者との質疑応答になるとどうしても笑ってしまう彼。一体何を笑っているのだろう?
 最近で印象に残るのは、ロンドンで起こった爆破テロの直後、そして今回のハリケーンの後。
 どうしても笑ってしまう彼。その向こう側に何百、何千の人が倒れていようとも。
 政治家、リーダーとしての資質以前の問題だろう。人間の質。

 数年前、この男によって、僕は「アメリカに裏切られた」、という感情をはじめて持った。
 そして、今は笑うこの男を見ながらこちら側もあきれて笑うしかない。開いた口がふさがらない。

 ジョージ・W・ブッシュ。
 あと三年か……。

 明日(九月十一日)は笑うなよ!


 さて、僕の中に笑う男がいないと断言できるだろうか?
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by seikiny1 | 2005-09-11 04:26 | アメリカ
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