ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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のんべぇバトン
 写真家のDEEPBLUE Ryuさんから変なものを受け取りました。『のんべぇバトン』です。「うーん……」。
 Ryuさんによると<のんべぇ>の定義は「酒をたくさん飲む人」ということです。一体どの程度をたくさん、と言うのかはわかりませんがとりあえず毎日飲んでいますので、その定義内に入るかもしれませんね。
 でも、<たくさん>とはどのくらいなんだろう?
 量を飲む割には、酒そのものの味なんてほとんどこだわらないし、わからないので何の参考にもならないと思うのですけれど、下に書くことが多分自分と酒なんだなと思います。


◇◇◇◇◇◇◇◇

【1】今、冷蔵庫に入っているお酒の容量は?
 ゼロ。
 毎日、ビールは買いに行っています。昨日の分は、昨夜のうちにどこかに消えてしまったので今はゼロ。でも、これを書き終えたらすぐに、720mlが2本入ります。厳密に言えば、近所のデリが僕の冷蔵庫と言えるかもしれません。ということは、計1440mlのビールが冷蔵庫に入っています。
 そのほかに、棚には焼酎(白波:基本中の基本ですね)の一升パック1本。日本酒の一升瓶1本。720mlではシャンペン1本、ドイツワインが3本(ヨーロッパの自分へのおみやげです。ヨーロッパをこんなの背負って歩いていたわけですから、バックパックが重くなるはずです)。

【2】好きな銘柄は?
 ビール。
 とにかくビール、何がなくてもビール。そして焼酎ですね。
 ビールの銘柄自体にはこだわらないのですが、最近はコクがあるものが好きです。部屋ではもっぱら、99¢/720ml(税金、デポジット込み)のクアーズ一筋です。
 ビールの好みも時とともに変わるようで、以前は「飲むと必ず頭が痛くなっていた」バドワイザーも、いつの頃からか、何の抵抗もなく飲めるようになりました。部屋では「あまり美味くないな……」、と思うColt45(アメリカ版の安発泡酒)も夏のストリートでそれなりの人達と騒ぎながら飲む時は、とても美味しく感じられます。反対に、そういった場面でギネスなんかを飲むと自分の方がシラケちゃって、全く美味しくなく、酒もすすみません。
 多分、僕の場合は酒とはその場の雰囲気でかなり味が変わってくるものだと思います。


【3】最近最後に飲んだ店は?
 焼き鳥大将(Oh!Taisho)
 ここの大将が焼く焼き鳥が大好きで、お店も好きでついつい足が向いてしまい、ついつい長居をしてしまいます。このお店には、味以前にお店として大切なものがあります。ニューヨークにも日本の居酒屋は多いですけれど、ここが一番落ち着きます。大将の人柄が、お店に、従業員にしみわたっています。ヨーロッパから帰ったその日に、時差ぼけの頭を抱えながら行ってしまいました。いつもお世話になっています。
 土曜日に行ってきたので、そろそろ行きたくなってきました。

【4】よく飲む、もしくは思い入れのある5杯
a)焼き鳥を食べながら飲む生ビール。
 とにかく頭の中を一瞬空っぽにしてくれます。その日に何があっても、その先に何がひかえていようともこのいっぱいがあれば幸せになれます。
 やっぱり、ビールは生だな。

b)ロスアンゼルス国際空港でのバドワイザー
 約二十年前、はじめてアメリカの土(コンクリート)を踏み、入国審査を終えた足で直行。空港内のスナックスタンドで飲んだ瓶入りのバドワイザー。日本のそれとは、全く違った味がした。頼み方がわからなくて、パンにただソーセージがはさんであっただけのホットドッグ。あのパンのパサツキ具合まで憶えている。

c)ホテルオークラで飲んだビール(銘柄は失念)
 アメリカ大使館でグリーンカードの面接を終え、夕方にその結果を受け取りに行った。その間の数時間が生きた心地がしなかった分、朗報を受けた後のビールは最高だった。一本を一息に。「解放!」の二字。ちなみに、これまでの人生でスーツ姿になったのはあの日と、妹の結婚式の時だけ。

d)沖縄で飲んだオリオンビール。
 昨年、歳のかなり離れた妹が結婚した。ニューヨークから約十年ぶりの帰国。名護についたのは深夜をまわっていた。ホテルで母、姉、妹と再会。その後に、部屋へ帰り夜の海の音を聞きながら飲んだビール。多分、これがあらゆる意味で最高のビールだったと思う。
 その前にオリオンビールを飲んだのは高校生の修学旅行の時。あれは、あれでいい意味でのカルチャーギャップの味がして忘れ得ぬ味。

e)父と飲んだビール
 父と飲んだ事はあまりなかった。高校を出てからの僕は、何かと忙しく、そのうちにアメリカへと消えてしまったから。そして今はもう父は居ない。
 そんな父と、アメリカから帰国したおりに数度飲んだ。
 ビールの味もそうだが、父の姿が忘れられない。


 読み返してみると、どうやら僕はのんべぇではないようだ。酒がそう好きなわけでもないようだ。ただ、身の周りに酒があることが多く、何かが起こった時に飲んでいるだけ。たまたま、酒にまつわる思い出、そして思いが大きいだけなのだろう。

 このバトンを渡す人たち。むずかしいですね。<のんべぇ>でない人の方が多いかもしれませんがよろしくお願いいたします。
 とても落ち着いた飲み方をされるryosanjinさん
 NYへは「必ずコークスクリューと栓抜き持参で来る」、というchottonyさん
 「間違いなくのんべじゃないかな?」、と思われるekakiyuko>さん
 「NYでいつか飲もう」、と約束を交わしている岐阜の古着屋さんのおしゃれ3さん
 あまり飲まれないとは知っているけれど、その一杯を聞いてみたいvbayareaさん

 以上の皆さん。全く一方的で申し訳ないのですが<のんべぇバトン>受け取っていただけたら幸いです。
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by seikiny1 | 2005-08-30 08:02 | 日ごろのこと
麻痺
 酒を飲みながらの夕食。そしてそうでないもの。それは当然違ったものとなってくるのだけれど、僕の場合はまったくの別物となる。だから酒の席と、食事の間に明確な線を引く事はそう難しいことではない。
 <食事>というものを摂る際、味噌汁やスープを別にすると水分を取ることができない。身体が欲しない。
 それは小さな頃からに習慣だった。食事の途中で水や、お茶を飲む事を禁じられていた。今、親はそばにはいないけれど相変わらず食事の途中で水分をとることはない。<三つ子の魂百まで>、とはよく言ったものだ。
 そのかわり食事を終えた後にグッと一息に飲み干す水や、お茶は何ものにも換えがたい。なんと美味しいことだろう。

<坐れば当然出てくる>と思っていたものが出て来ない。これは衝撃だった。そして、アメリカを、日本を「なんとありがたい国だ」、と何度思ったことか。ヨーロッパでは、ほとんどの場合「水は買うもの」、と相場が決まっているようだ。それは<限りあるもの>の裏返しでもあるのだろう。そういったところに、危機感が脈々と生きている。水がタダ、であるのは世界の中でもごく一部のようだ。
 ヨーロッパで外食をする場合は、食後すぐに店を出てペットボトルに詰めた水道の水(どこの国でもお腹は壊さなかった)か、スーパーで買ったぬるいビールを飲むことにしていた。やはり<たかが水>に最低一ユーロ払う器量は持ち合わせていないようで。それならばコーヒーを飲みたい。
 そしてニューヨーク。坐るとメニューより先にピッチャーからふんだんに水を注いでくれる。マクドナルドですら頼めば水をくれる。あふれる水の生活に戻った。
 身の周りにあって当然なもの、それゆえに気付かない(忘れている)もの。そんなものを見つけるためだけにでも旅に出る価値は十分にある。

 ニューヨークの水道水は美味い。昔からそんな伝説があった。それでもここ十数年、ボトル入り飲料水の需要は伸び続けているようだ。キーワードは<健康>。そこにもうひとつのキーワード<エコ>を見ることはない。僕の感触では、その売り上げは他の飲料水を圧倒して断突で一位だと思う。リサイクルのゴミ出しの日に街を歩けばその数のなんと多いことか。ニューヨーク州をはじめ、ほとんどの州でペットボトル入り飲料水のデポジット制はない。それは=ゴミということになる。作りっぱなし、垂れ流し。リサイクルの日に出されるゴミはほんの一部。需要と供給そして必要性がまったくバランスしていない。
 ペットボトル入り飲料水のデポジット制、これはそろそろ解決しておかなければならないう事だろう。不思議なもので、悲しい事で、そこにお金が発生する事で人間はまったく変わってしまう。<もの>に対する麻痺感を回復させる為には、もうそういう方法しかないのかもしれない。

 ありがたみのない時代。そんな時代だからこそ、自分の思うまっとうな道を歩いていきたい。
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by seikiny1 | 2005-08-24 10:53 | 思うこと
出入り口
 ニューヨークで、アメリカで得た解放感に似たもの。それは、目に見えるもの、見えないもの、あらゆる間口の広さだろう。それは、この国の歴史に負うところが大きいはずだ。寛大に扉を広げ、世界中からの移民を受け入れてきた。その間口は以前と比べると格段に狭くはなってしまったが、それでもこれほどの移民を受け入れている国はこの国を置いて他にはないだろう、
 そんなところで生活をしていると、<入り口>という観念がかなり薄れてしまう。それは、あたかもそこに入り口というものが存在しないかのような錯覚を起こさせる事だってある(反面、種々の人々が暮らす国であるからこその入り口の固さを思い知らされる事もままあるのだけれど)。そうして、突如として閉ざされたい入り口に出遭ってしまうと「エッ!?」、ということになってしまう。入り口は入るためにあるのだけれど、その前に入る者を選ぶためにある。

 考えてみると-当然のことなのかもしれないけれど-、入り口の起こりとは多分、拒否する事だったのだろう。受け入れるためではなく。外部から、外敵から身を護るために。
 家の玄関から見知らぬ人物がゾロゾロと入ってきたら、それはおっかない事だ。世界中で城壁に護られて発達した古い街を見ることが出来る。そういった街への出入りは、衛兵に護られた城門からしなければならなかったようだ。
 自由に入る事が出来る。そこにはお互いの信頼関係がなければならない。<自由>とはまた違うが、そこに無言の契約があるからこそ入り口を開き、また入る事が出来る。

 オフィスまで毎日自転車通勤をしていた彼。久しぶりに会った彼は普段のバイク・スーツではなくオフィス着(スーツ)に身を包んでいた。「???」の問いに彼は、ロンドンのテロ以降オフィスのあるビルのセキュリティーが固くなり、自転車をオフィスまで持ち込めなくなってしまった、と答えた(彼の高価な自転車は路上に停めておけるシロモノではない)。
 確実にこの国でも入り口は狭く、硬くなってきているようだ。それは仕方のないことなのかもしれないがやはり寂しい。この国の大好きなところなのに。
 入り口は拒絶するためにある、ということを最近切々と感じる。

 入り口から入る事が出来ない。それは哀しい。
 出口から出る事が出来ない。それは怖ろしい。

 先日帰国する折の事。エアラインのカウンターで手続きを済ませ「××番ゲートへ、出発の一時間十分前までには行っておいて下さい」、と言われた。頭をひねりながらも、その言葉に従わないわけにはいかない。
 ゲートのあるビルの入り口で通常のセキュリティー・チエックを受け、当該ゲートまでの長い廊下を進む。アメリカ行き便の出発ゲート。そこは幾重にも棟が交差したビルの一番端だった。そこだけ黒いテープで囲まれていた。そこには再度セキュリティー・チエック・ポイントが設けられていた。その向こうでは、(アメリカ市民、旅行者など)全ての乗客に対して十五分間ほどをかけ、個別に質問が行われていた。それに当たっているのは、もちろんアメリカの出入国管理官ではなく、出発国の係員の人達。
 出口を固められている。と言うよりも、他国の出口を自国の入り口として使っている。
 飛行機の座席に落ち着いた時、トム・ハンクス主演の映画『ターミナル』が頭をよぎった。

 出口がないことほど怖ろしいことはないのかもしれない。

 何もなかったかのように飛行機は定刻に離陸した。
 アメリカの入国審査には30秒もかからなかった。
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by seikiny1 | 2005-08-22 05:58 | アメリカ
五セントの恐怖
 僕は怖がりだ。怖いものをあげたらきりがない。
 しかし、考えてみるとそのほとんどは目に見えるもの、容易に想像しうるもの。そんなものが多い。やはりなんらかの方法で情報が入ってきて、自分の中で像をなさないと危機感というものは生まれないものらしい。

 スーパーの紙製の大きな茶袋。それは僕の中で<アメリカ>をイメージする大きな存在だった。他の様々なものと同様にアメリカの豊かさを象徴するものだった。そんなもの達に頭を埋め尽くされた頃にこの国にやってきた。そして、ちょうどその頃からスーパーの袋は紙袋からプラスチック・バッグ(ビニール袋)へと変身をし始めた。

 その像がどのように人々の目に映るか?
 個々の物というところを飛び越えて見てみると、多くの人々が描き出すアメリカのイメージというのはやはり豊かさなのだろう。それは大量消費、余裕(無駄遣い)という風にほとんどが等号でつなげられていく。これらが次の消費を生み、また発展(?)を繰り返す。それは今のところ環のように、終わりがないように見える。
 消費とは貧しい者にとっては常にまぶしい存在であり、これからもそれが変わる事はないだろう。それは豊かさを裏付けるもののように見えるから。
 蛇口をひねればお湯がふんだんに出てくる。どんなに食べこぼしても紙ナプキンでサッとふく事ができる。残ったナプキンはゴミ箱へすてればいい。トイレットペーパーは無尽蔵であるかの錯覚を起こさせる。買い物には手ぶらで行く事ができる。とりあえずゴミだけは分別しておこう。そして今は石油が高く、まだまだ上がりそうだ……。
 この国は本当にまぶしい国である。
 豊かさと共にある無駄がこの国を保っているとも言えるだろう。「次はどこに無駄を見つけるか?」、そんな事がこの国を発展させてきた。人々が無駄、という行為をやめた時にこの国の減速ははじまる。
 最近では<環境>を叫ぶ人も多い。たとえそれがフアッションであれ、何もしないよりはましだろう。それが豊かさの対極にあることは誰もがこころのどこかでわかっている。怯えている。この国の消費が減る事はないだろう。それは怖いこと。
 消費の環の終焉は、この国の終焉とも言える。
 無駄遣いは美徳であり、いかに無駄を出すかによってその人の器量がはかられる事すらある。その一方で<エコ>という言葉がよく使われるが、ドアの向こう側ではそんな事はあまり行われていない。

 相も変わらず、毎夕ビールを買いに出かけるのだけれど、最近少しだけ変わった事がある。ビニール袋を持って出かけるようになった。それはやはりヨーロッパ旅行の影響だろう。最初はスーパーで五セント取られるのがいやでやっていた事だけれど、アメリカに帰ってきてからもそれを続けている。五セントの理由。それは単に金銭的なものかもしれない。しかし、その向こうに見え隠れしている破滅から目をそらす事ができない。それは怖ろしい事。
 こんな自分にもそういうことを認識させてくれた五セントの力は大きい。哀しいかな人間は、ルールがなければ統制することができないのかもしれない。しかし、五セントをケチることによって見えてくる未来だってある。そしてこの五セントがアメリカにやってきた時、いくつかの産業はきっと崩壊するだろう。それはただの序章に過ぎないかもしれない。それはまた別の意味で怖ろしい事。
 このふたつの恐怖の狭間で結論が出る日は来るのだろうか?

 ニューヨークでは街中で肩が触れ合うだけで必ずと言っていいほど”Excuse me.”と互いに発する。目が合えば微笑み、また微笑を返す。この国の歴史が移民によって成り立ってきた事を思えば、その起こりは自衛手段だったのかもしれない。それは不文律として今も生きている。
 五セント。それはあまりにも大きな事かもしれない。しかしルールがなければ見えてこない恐怖だってある。
 ワガママと自由はまったくの別物。

 一ヶ月間ビールを買えばビニール袋が三十枚はたまる。それをゴミ袋にしてもまだまだお釣りがくる。買い物は他でもするわけで、ビニール袋はどの瞬間からかただのゴミと化してしまう。
 ビールを買わなければすむ話なのだけれど……。
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by seikiny1 | 2005-08-18 06:00 | 思うこと
風鈴
 ニューヨークのエアコン。日本とは違って、そのほとんどは窓枠に直接取り付ける式だ。あちらの窓からも、こちらの窓からも不恰好なエアコンのコンプレッサーがお尻を突き出している。この街に来た当初はこの光景が不思議であり、数十階の高さに遠く見えるそれらを眺めながら「あのかたまりが落ちてきたら確実に死ぬな」、と不安でもあった。幸いにも、今のところその現場に遭ったことはない。
 今でも目にする窓に直接取り付ける式の四角い扇風機。それはとてもゆっくりとした速度でエアコンへと変わっていっているようだ。
 そして僕の部屋の窓枠。窓は常に開け放たれている。時折、「チリン、チリン……」、と音が聞こえてくる。エアコンはおろか、四角い扇風機すらないけれどそこには風鈴が下がっている。

 ニューヨークの街を歩いていてエアコンから落ちる水滴があたった時、「あっ、夏が来たな」、と思う。
 
 小さい頃、どこの家の軒端にも風鈴が下がっていた。存在感というものはなく、「当然そこにあるもの」としてあたりまえの光景だった。あちこちで鳴る涼やかな風鈴の音が夏の町の音だった。
 今、日本の町を歩いてもあまり風鈴の声を聞くことはない。たまに呼びかけられると、なにやら嬉しい気持ちになってしまう。風鈴はいつの間にやら<軒下に当然ぶら下がっているもの>から<欲しくて>買う、存在感を併せ持つものとなってしまったようだ。まぁ、冷房のきいた部屋では窓を開けることも少なく、風鈴を下げていても意味のないことなのかもしれないけれど。
 それこそ毎日-いや毎秒かもしれない-新しいものが世に出て、そのほとんどは消えていく。残るものはごくわずか。しかし確実に新しいものが増えている。その分だけ僕らは気づかないところで何かを失い続けている。器というものには限りがあり、すべての物を持つことは絶対にできない。水が入り続ける限り、こぼし続けなければならない。便利なものが生まれると、古いものは眠ってしまわなければならない。そして、その取捨選択を最終的にするのはほとんどの場合、ほかの誰かではなく僕達自身。
 あって当然と思っていたものが、気付いてみたらいつの間にやらなくなっている事がある。なくしてしまうからこそ、人には<懐かしい>という感情が起こるのだろう。そして、この感情のスピードが最近では以前に増して上がってきたと感じるのは僕だけなのだろうか?
 なければならないものがある。
 利便さ、快適さを追求する事だけが全てではないことを忘れずに生きていきたいと思う。ロープーウェイで登る山よりも、ハイキングで登って食べる弁当の方が美味い。

 いつの日か、外食という食事法が当然となってしまい「作ってみるか」、と思い立ち家庭用の冷蔵庫を探し回る日が来ないとも限らない。
 いつの日か、洋服は使い捨てが当然となってしまい「洗ってみるか」、と洗剤と、洗濯機を探し回る日が来ないとも限らない。

 軒端のスペースは限られている。そこに、物干し竿、すだれ、鉢植えのバスケット、エアコンのコンプレッサー、衛星放送用のアンテナ、種々のケーブル、そして風鈴。全てをぶら下げる事はできない。
 失いたくないもの、失ってはならないものを見つけ、そして大切にしていきたい。
 さて、僕にとってのエアコンはどうだろう?
 まぁ、冷たいビールは美味い……。
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by seikiny1 | 2005-08-13 12:49 | 思うこと
ポスター ~フラッシュポイント~
 歩いている時に突然、ローリングストーンズのアルバム:フラッシュポイントの白いポスターが頭の中にひるがえった。こんな具合に彼らの事を思い出すのは一体何年ぶりのことだろう?

 今でもそのなごりはあるけれど、十数年前のニューヨークにはやたらあちこちに様々なポスターの壁が林立していた。しかも小さなものではなく、1m×50cm程のものが。飲み屋の開店広告、イベントの告知、コンサート情報、ポルノショップの広告……。その内容もこの街同様に混沌としていた。空きビルを囲む板塀はそれこそ絶好の掲示板で、その上に何重にも、何重にもポスターが貼り重ねられていた。年季の入ったものは風雨にさらされ全てが一枚板のようになってしまっているものが多く、中には端の方が反り返り、その厚さが5cmを越えている物も決して珍しくはなかった。今では空きビル自体がほとんどなくなってしまっており、小さなポスター達は居心地悪そうに電柱の間に合わせのはらまきのようにになってしまっているのが関の山だ。

 「あーでもない、こーでもない」、とくだらないことを考えながら今日は一日中家の中に居たのだけれど、日も傾き、ビールの時間に体が反応してきているのに在庫がない事に気付いて重たい足を引きずりながらてデリへ。
 そしてフラッシュポイント。
 それはいきなりやって来る。用意ができていなくてもやって来る。出かけて、帰るまでの道のりは五分にも満たないのだけれど、見る物の全てがフラッシュポイント。白地に炎が揺らいでいる。その内容はともかくとしても、色々なアイデアが浮かんでくる。そう、フラッシュポイントは、そこの角の向こうにあるのかもしれない。いつもいきなりやって来る。いつあいつが来るのかは予想のしようも、計画の立てようもない。
 さて、フラッシュポイントは来た。不発にさせないために。
 フラッシュポイントが来ても、それが爆発させるものがなければ不発に終わってしまう。不発弾は数十年後の工事現場の地中から発見され、恐る、恐る引き上げられるだけ。そして「中身が空っぽだった」、という事ほど間抜けな事はない。いや、発見され、引き上げられるだけでもましか。
 そう、フラッシュポイントがやって来た時に爆発ができるように。
 しかし皮肉な事に、当たり前の事ではあるのだけれど、それは「用意しておこう」、と思っても出来るものではないようだ。少しずつ自分の中に放り込み化学反応を起こさせながら備えておかなくてはならない厄介なもの。あるものは一生爆発する事はないかもしれない。ただ、そいつがいつやってきても良い様に、とりあえず無差別掃除機となってなんでも吸い込んでやろう。

 その白を基調としたフラッシュポイントのポスターは5m四方ほどもある壁に数十重に張り込まれたポスター達の上にたった一枚貼られていた。
 ハッ、とさせられるような古い光景。
 しばらくの間、その上はおろか、まわりにも新しいポスターが貼られる事はなかった。
 そう、僕がアメリカに来たひとつの理由は、当時、日本では公演が不可能と言われていたローリングストーンズのコンサートを観るためだった。渡米の数年後にそれは実現したのだけれど、その翌年に彼らは日本へと行った。まぁ、そんなもんだろう。
 “You can’t always get what you want.”
 この言葉だけはいつまでも真実であって欲しい。

 最近で一番心に残っているポスターは、ボヴ・ディランのマディソンスクェア・ガーデンでのコンサートの告知。その当時の僕の状況では行けるわけもなかったのだけれど、なぜかそのポスターを目にするたびに心が騒ぎ嬉しかった。
 そのコンサート予定日の前日、にワールド・トレード・センターが倒壊した。

 なんでも吸い取っておこう。
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by seikiny1 | 2005-08-11 15:32 | 思うこと
麻痺する感覚としない感覚
 人と軽く肩が触れた時、”Excuse me”が出てくる。
 人と目があった時、自然と微笑む。
 軽いあいさつで、”Hello”ではなくて”Hi”と言う。
 地下鉄の階段のそばで、ベビーカーを押した女性を見ると手を貸してあげたくなる。

 用事がありミッドタウンへ出た。相変わらずの人の多さには辟易するけれど、これがきっとニューヨークの原動力の一つなのだろう。そして、その一部になろうともがいている人達もたくさんいる。エネルギーの奔流の中に身を置くことが全てはないのだけれど、それもひとつの方法と言えない事もない。僕にもそういう時期があったからよくわかる。そして、エネルギーは、はたから見ているほうがよく見え、感じる事が出来、吸い取る事もできる。
 「おっと赤信号だ。でも車は来てないな。さぁ、渡ろう」
 交差点のふちで自分の意識とは裏腹に、一瞬だけたたらを踏んでしまった。この街ではその一瞬が命取りになる事もある。そう、上手に信号無視をする事もニューヨーカーの必要条件の一つ。
 数ヶ月もヨーロッパへ行っていると、あらゆる感覚が鈍ってくるようだ。中にはあちら風になってしまい、麻痺してしまっているものもある。僕の中でその際たるものはビール。とにかくのどが渇いたらビールを飲む。場所も、時間も関係ない。グイッとやってのどを湿してやる。
 そういう感覚で夕方のデリへ飛び込みビールを買った。そこで、少しご無沙汰していたニューヨークの感覚が戻って来た。「オットット……」。ここでは歩き飲みはご法度だった。その一方で、あとひとつの感覚が少しだけイヤイヤをしている。以前は、ご法度の網をくぐり抜ける裏技を使う事に何のちゅうちょもしていなかったのだけれど、今日はおかしい。そこが、ミッドタウンという僕のテリトリー外なのでなんとなく居心地が悪いことも手伝ってはいたのだろうけれど、ここでもたたらを踏んでしまった。
 瞬時に断を下す事が出来ずタイミングを逸してしまった僕は、昔よくやったように、デリの奥の方にいくつかあるテーブル席の法へと足を向け、店内で飲む事にする。ニューヨークで合法で一番安くビールを飲む方法は多分これだろう。
 午後六時前のマディソン・アヴェニュー沿いのデリ。そこには先客がいた。
 フルーツを食べながら本を広げ、何かをノートに書き写しているサラリーマン風の男性。
 夏だというのにネルシャツを着込み、むしゃむしゃとピザを食べている男性。彼の前には、すでに銀色に輝くクアーズ・ライトのロング缶が三本立っていた。
 一番奥では三人のメキシカンの男性がハイネッケンを飲んでいる。ここにも十本ほどの緑の林が。
 横の従業員用のドアの奥では、スペイン語でなにやら楽しそうに話している。
 僕が腰をおろした斜め前には、夏用の涼しげなビジネススーツに身を包んだ女性が食べ終えたケーキの残骸を前に腰掛けていた。一日の仕事を終え、甘いものを食べスーッと気が抜けたのだろうか。よく見ると彼女は眠っている。背中はピンと伸び、両足はしっかりとそろえている。ゆっくりとしたスピードで舟をこいでいる、少し傾いた首さえ見なければオフィスで姿勢よく座っているようにも見える。
「一日のお仕事ご苦労さん」
 心の中で彼女に乾杯をしながら、足元を見てみると。水色のサンダルの上に行儀よくそろえた小さなはだしの足が乗っかっていた。
 お昼時は戦争のように忙しいミッドタウンのデリの夕方。まったく違った表情を見せてくれる。傾いた日が差し込む蒸し暑い店内の人々、そして空気。このつぎはぎだらけのちぐはぐさがこの街の感覚なんだ。あっ、黒いスーツで身を固めた日本人の男性が小走りに、車の間をぬうようにアヴェニューを横切って行く。

 ビールを飲み終えた時、自分がニューヨークにいることをしみじみと感じた。僕はこの感覚が好きなんだ。彼女はまだ眠っていた。

 麻痺しない感覚というのは、やはりそれが好きで体の一部となってしまっているのかもしれない。
 飲み方こそ違っても、ビールの感覚だけは麻痺しないようだけれど。これもやはり体の一部なのだろう。
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by seikiny1 | 2005-08-10 13:12 | 日ごろのこと
職業としての旅人
 あれはまだ日本にいる頃だったから、多分二十年位前のことだと思う。
「俺の職業は旅人だ」、と言っている人がいた。しばらくの間、印象に残っていた言葉だったけれどやがて忘れてしまっていた。
 ルー大柴さん。今でも彼は言っているのだろうか?
 先日、フッとこの言葉を思い出した。漠然とだが、彼の言わんとしていた事が少しだけわかったような気がする。

 雑誌を開いても、テレビを観ていても、人の話を聞いていても「旅行へ行きたい」、という衝動に駆られる事がまったくと言っていいほどない。これまでのことを思い起こしてみても片手でおつりがくる。冒険心に欠け、好奇心がなく、臆病者で、安定を好む人間なのだろう。その証拠に、一度気に入った飲み屋へはイタチの一本道のようにせっせと足を運び浮気をする事はあまりない。新しいお店を見つけるのはいつも人に連れて行ってもらった時に限られる。旅人の風上には絶対置けない性質のようだ。
 そんな人間でも旅行へ出る事はある。最初の宿だけを決めて重い腰を上げる。その後に行く場所も(行きたい場所なんてはなっからない)、ルートも決めずに。とりあえず腰だけを浮かして飛行機に乗った。そんな僕でも最初の数日のうちは「この旅で何かを見つけてみよう」とか「何かがあるかもしれない」などと軽い決心をしたり、変な期待に心を弾ませたりもした。しかし、そんな自分に似合わないものが長続きするはずもなく、数日後には「さて、旅とは目的地や目標がなければいけないのだろうか?」、案の定そんな考えにとりつかれてしまった。
 電車に揺られながら、重いバックパックを背負って歩きながらずっとそんなことを考えていた。そして答は出た。
「旅には必ずしもそんな事は必要じゃない。どこかへたどり着き何かをするためではなく、ただ旅をするためだけに旅をする。そんな旅があったっていいじゃないか」
 こう思ってしまうと、車窓の風景も興味深く、バックパックも心なしか軽く感じるから不思議だ。旅なんてそう大した事ではない。非日常のようではあるけれど、日常とそう変わる事もない。要は本人の姿勢次第。そんなところに立ってみると、日常だって非日常に変えることができる。三次元界の点から点への移動だけが旅ではなく、本人の意識をちょっと変えるだけで旅をする事ができる。
 そう、人は誰もが旅人なんだ。

 行く当てのない旅のことを彷徨と呼ぶ人もいるけれど、僕はそうは思わない。生きることが即ち旅であるならば、僕達はある一点へ向かって確実に歩を進めているのだから。間違いなく旅の途中なのだ。

 ここ一年ほど頭から離れない一節がある。
 松尾芭蕉の奥の細道の冒頭。
 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
 ………………
 古人も多く旅に死せるあり。
 予もいずれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず
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by seikiny1 | 2005-08-09 15:40 | 思うこと
トラベルバトン
「トラベルバトンってなんですか?」
 帰国した翌々日に、『ニューヨーク8番街物語』のryosanjinさんからこのバトンをいただきました。
 単純な問いにもryosanjinさんは親切に教えてくださって、ありがとうございます。

 ちまたに言われている<旅行>というものから、はなはだ遠いところに位置する僕にこういった問いに答える資格があるかどうかははなはだ疑問があるんだけれど、僕の中の数少ない<旅行>の中から、そして<旅>に対する思いの中から書かせていただこうと思います。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 熊本市。
 良かったと言うより、深く刻み込まれた場所です。
 小学校五年生の夏休みに、親とケンカして(と言うよりも、叱られてと言うほうが正確でしょう)緑色の自転車にまたがり、自宅のある福岡県大牟田市から約六十キロほど離れた熊本市へ。暗くなるまでお城を眺めていました。多分これが僕にとっての旅の原体験であり、そこから落とされている影は自分で思う以上に大きいと思います。

■今までで一番良かった海外旅行先
 アメリカ、そしてニューヨーク
 自分の強い意志で「行きたい!」、と思い行った、いや、来た場所。今のところ、ここが最初で、最後であり、最高。
 LAの空港に降り立った時に嗅いだ焼けたアスファルトの匂い。その後、約六十日をかけたバスの旅の道中に窓から見た風景。ターミナルの待合所のプラスチック製の椅子に取り付けられていた有料小型テレビ。夜行バスの中で嗅いだバーボンの香り。田舎町のバーで知り合ったおじいさん。そしてNYのポートオーソリティー・バスターミナルに降り立った時の喧騒と鳥肌。それらの全てを今でもありありと思い出し、感じる事ができます。
 約二十年を経て、表面はかなり変わってしまったけれど、その底を流れているものにはまだまだ惹きつけられます。そう信じたい。

■これから行きたい国内旅行先
 全部!
 欲張りかな?あまりにも自分の生まれた国の事を知らなさ過ぎるので。最少の荷物を持ち、ローカル線やバスを使いあちこちをまわりたい。

■これから行きたい海外旅行先
 アメリカ。
 またバスに乗り、できれば半年くらいをかけて僕にとっての二十年後のアメリカをもう一度見てみたい。まだ、バスの旅が出来る体力があるうちに。

 ヨーロッパ。
 アメリカという国を作り上げてきた大きな原動力となった国々。今回は鉄道だったけれど、次は自転車とテントを持って列車を使いながらもっと地に足のついた旅をしてみたい。

■最後にこのバトンを渡す方
神ながらの道のjetさん 旅と武道の達人です。
DEEPBLUEのRyuさん カラーの写真を見て「キレイ」、と思ったはじめての人です。
foto blogの68degreesさん NYのいい写真がたくさんの人。
ニューヨークで生きてみますわのnauyoshiさん 自分の中を一生懸命に旅している人
chiaki’s historyのchiakiさん 「みんな旅をしてるんだなぁ」、と思わせてくださいます。

 誠に一方的で恐縮ですが、僕のバトンを受け取って下さい。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 そして、今、現在の僕の旅に対する思いを次の投稿にさせていただきます。
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by seikiny1 | 2005-08-08 13:55 | 思うこと
家康さん
 昨日の投稿を改めて読み直してみると……。

 徳川家康はあまり好きではありません。どうだっていいことだけれど。できることなら何にも背負いたくはない。ただ、増えていくだけで。

 まったく別の理由で、今回の旅で彼のことをたびたび考えていました。
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by seikiny1 | 2005-08-07 13:03 | 思うこと
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