ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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中華度数と安心度数(3)
 一時間三十分というのはそう長い時間でもない。それでも僕の前では様々なもので出来た列が成長を続けていく。 紙袋、中国語の新聞、ペプシの空き瓶、小さく折りたたまれたチラシ、ガム……。
 育ち続ける列、それはまるでこれからバスに乗り込む雑多な人々の顔をのぞいているような錯覚にとらわれる。人影が近付いてくるたびに「さぁ、こいつは何を置いていくんだろう?」、と密かに胸を震わせて待つ。育ち続ける列。
 ついにそれまでずっとこらえていた笑いを抑えきれなくなる物をある男性が置いてしまった。彼は列の最後尾まで来て、ポケットのあちこちをまさぐっていた。どうやらポケットは空っぽだったようだ。諦めてしまったのか、彼はその場から歩み去った。
 しかし数分後に戻って来た彼は二十センチほどのトイレットペーパーをそっと置き、後ろも振り向かずに立ち去った。「もう何が出てきても不思議ではない!次はビールの栓だろうか、いや使用済みのケチャップの小袋かな?靴下か?」、と期待に胸を震わせていたのだけれど、その後は似たような物が延々と続くだけだった。ただ、白いトイレットペーパーだけが頼りなげに床から少し浮いて見える。
 僕の隣には南米系の男性が、その隣にはアメリカ人女性が座っていた。床の行列を除けば極めて中華度数が低い待合室だった。静かなBGM(英語)が流れている。本を読んでいる目の端に床を掃除している男性の姿が見え隠れしだした。あちこちに落ちているゴミをほうきでちりとりに掻き込んで歩き回る。当たり前の話だけれど、とても不規則な動きで視界から消えたり、現われたりを繰り返していた。だんだんと彼の足が大きくなって列の方へとやって来た。「やめろ」、僕や他の人の言葉を無視して列の中ほどにあるトイレットペーパーをも彼は掻き込んでしまった。
 バスの発車時刻も迫り待合室の中華度数は徐々に、しかし確実に上昇し始めた。動かない男が目の端に映った。列の前に立ち尽くす男。無言で床の一点を凝視していた。その後ろでは一人の女性が不安げに彼を見つめている。トイレットペーパーの男だった。見るに見かねた僕達は、誰からともなく身振り手振りを交えながら男に事情を説明するとやっと彼の表情も和らいで、あるべきものの場所に立った。
 さぁバスが来た!ゲートのドア付近での先ほど同様のひと騒動の後、やっと僕の番が巡ってきた。ニューヨークへ帰れる!これまで数多くのバスの旅をしてはきたけれど、これほど座席に座って安堵したことはなかったように思う。安心度が急上昇をした一瞬だった。

 安心とは大河に身を委ねるようなものかもしれない。川に身を投じる時にはうろたえ、恐怖、不安など様々な感情が去来する。しかしいったん飛び込んでしまったからにはそれに身を任す他はない。その流れに身を任せていればいつかは海へと出ることが出来る。大河そのものだけではなく、そこにあるものを使いながら、避けながら流れていかなければならない。ただ、大河に身を任せたからといって百パーセント安心できるか?といえばそうではなく、置いているはずのトイレットペーパーを誰かが捨ててしまうようなことだってありうる。また、川はひとつではなくその流れも一様ではない。様々なもの達の行列が当たり前の川もあれば、整理券を発行する川、空席待ちの乗客をコンピューターで登録しておき順次呼び出してくれる川、様々な川がある。この川での流れ方が、あの川では通用しなかったり、同じ川でも翌日には水かさが増してしまって何の意味も成さないことだってよくあることだ。今、ポケットの中にあるお金でさえも明日には使えなくなってしまっているかもしれない。その川、その川の流れを読んで身を投じる。それでも、百パーセントの安心はもらえないことを肝に銘じて。
 小さな急流を下れば早く海に出ることができるかもしれない。しかしそこには危険が伴う。安心度が下がってしまう。昔のニューヨークはやはり面白かった、しかし安全でもなかった。安心を求めれば何かを失ってしまう。得るということは、失うということの裏側であるのだから。そんな事をはかりにかけながら、僕らはエッチラ、オッチラ歩いていくのかもしれない。そこが決して、居心地がよい、といえない川であることがわかっていても安心の為には身を投じてみる。そうして流れに身をあわせながら、そんな流れの中からでもきれいな石を見つけ出すことは必ず出来るのだから。
 そして自分が川になった時にどう流れて、流していくか?そんな事を考えながら流れていこうと思う。

 ただ、ただ不思議なのはやはり中国の人たちだ。ここがアメリカという土地であり、<バスで旅をする>といったある意味特殊な環境下であるからかもしれないのだが、どうして彼らは既にあるアメリカのシステムを踏襲していかないのだろう?そちらの方が運営する側も、利用する側も快適で効率的であるはずなのに。彼らの中にはやはり「川の流れは自分たちで作り上げていくもの」、といった大きな無意識が流れているのだろうか?中国(清国)のことを<眠れる獅子>と呼んでいた時代があったと聞く。確かにゆっくりではあるけれど、この獅子は立ち上がろうとしているようだ。しかし他はもっと、もっと速いスピードで駆け回っている。この獅子は一体いつ起きるのだろう?
 香港にできるというディズニーランド。あそこにも不思議なものの列がいくつも、しかも文字通りの長蛇が出現するのだろうか?
 多くは望まない。僕が死ぬ前にちゃんとしたバスの発券システムが確立されるのを願う。

 安堵の為か、バスに乗り込んですぐに眠りに落ちてしまった。しかし、まだ出発の町を抜けきれない内に目が醒めてしまった。頭の片隅には、どこかの港町で船に積み込まれる人々の列の中に立つ自分の後姿がくっきりと映し出されていた。
 ニューヨークの街明かりがこれほどきれいに見えた夜はなかった。
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by seikiny1 | 2005-02-28 15:13 | アメリカ
中華度数と安心度数(2)
 もう暗くなってしまったガラスの向こう側に近付いてくるヘッドライトが見える。あちこちに腰をおろしたり、立っていた人々がてんでバラバラに押しあいへしあいしながら四つのゲートへ向かい出した。数分もすると、それぞれに凸凹で何の統一性もないのだがそれでも列らしきものが出来た。やはりドア付近に置かれていた新聞紙や、紙袋たちは人のかわりにそこへ並んでいたようだ。時が来てそれらが人に取って代わられても、何の違和感も抱かせないのがこれまた不思議なのだけれど。この不思議さはなんなのだろう?
 しかし、その列らしきものを見た途端にまた少し安心度が上がった。一番怖れていたのは、地下鉄の乗降やお店などでの清算時によく見られる、もみくちゃにされる<列>や<順番>という観念がないかのように、われがちに己の目的遂行のために突進する彼らの後ろ姿だったからだ。「あの動きをこれだけの人数でやられたら、とてもではないけれどたまらない。ニューヨークへ無事帰着するのは不可能かもしれない」。その列は暗闇の中で見つけた一条の光にも似た輝きを持っていた。しかし安心していても帰ることは出来ない。ニューヨーク行きのバスを見つけ出さなくては。各列についている人に声をかけ行く先を訪ね歩く。一体何人の人に声をかけたのだろう?ようやく何とか英語が通じる男性に行き当たり、ニューヨーク行きのバスのゲート番号を教えてもらうことが出来た。
 8番ゲートに列を成す人々の最後尾につく。自分の前に立つ人の数を数えてみて一安心。何かの拍子でこの人数が倍近くになったとしてもまだなんとか大丈夫だ。再び安心度が上がる。
 しかし、その数分後にそれは再度急降下を始めた。ほぼ中国と化したココでは日本人やアメリカでの常識では考えられないことがやってくる。なにが起こっても不思議ではない。油断をしていた自分がただ悔やまれた。
 バスから降りて来た乗務員がゲートのドアを開くのと同時に、そのドアをめがけてあちこちから人が殺到し始めたのだ。「何でこの人たちは列につかないのだろう?」、と先程から少しは気になってはいたのだがそれほど深くは考えていなかった。その人達がドアに殺到している。列など作る気は全くないらしく、乗務員の女性が中国語で何か叫んでいる。少しずつではあるけれど、人の波はバスへと吸い込まれていく。
「おい、こっちの列はなんなんだ?」
 不安度がかなり上がってしまったので意を決して乗務員のところへ向かい尋ねてみる。よかった、英語が通じた!
「乗車券を見せて」
 言われるままにポケットの中の物を差し出すと、「あそこに並んで順番を待っていて」と言う。やはり僕が並んでいた列で間違いはなかったようだ。「それじゃこいつらはなんなんだ!?」。色々な状況や、限られた英語での説明から察するに、どうやらゲートに殺到した人々は、当該日・当該時刻の記載された乗車券を持っていたようだ。それには確か座席番号も記載されていたはずだ。それでも彼らは我先にと走る。入り口でもみ合っている。あの番号はただ書かれている飾りに過ぎないのだろうか?いや、そんなことよりも乗車時にちゃんと帰りの日時を告げたにもかかわらず、全く見当違いの帰りの乗車券を渡すその神経、システムはなんとかならないものなのだろうか。しかし、これまで十数年間の様々な経験から、僕の中にはこと中国系の人々に関しては諦念の感に近いものが出来上がっていると言えないこともない。全ての人がそうであるとは決して言わないが、実際にそういった人を知っている、「この人たちのマイペース、世界の中心は自分である」とも見て取れる言動はもしかしたら確信犯であるのかもしれない、とすら思うことがある。なにかの問題の前で、気付いてみればいつのまにやら主客が転倒している、といった場に何度出くわしたことか。
 とにかくニューヨークへ帰らなければならない。帰りたい!ただその事のみを念じて、今では<空席待ち>とわかってしまった動かぬ列に立ち尽くす。「何で俺が空席待たなきゃいけないんだ!」
 数分後に、ゲートドア付近の押し合いへし合いもおさまり空席待ちの列がやっと少しずつ動き出した。「これでやっと帰れるんだ!」、と安心したのもつかの間。僕の二人前の乗客でドアは無常にも閉ざされてしまった。満席……。
 乗客を満載したバスは行ってしまった。次の便は一時間半後に出る予定だ。われに帰って見回してみると、つい先程までチャイナタウンの様相を呈していた待合室に人影はまばらで、そこはどこの町にもある夜のバスターミナルとなんら変わるところはなかった。

 「チッ」、僕の前に並んでいた中国人の男性は軽く舌打ちをしタバコを取り出しながらもまだ立ち尽くしている。彼を横目に僕はドアのまん前に荷物を置き、すぐそばの椅子に腰をおろし腕を組む。やはり人間は学習するものなのだ。その場その場の状況に対応していかなくては前へは進めない。ニューヨークへは帰れない。しばしタバコをふかしていた彼も僕のかばんの後ろに赤いビニール袋を置くと、後ろも振り向かずエスカレーターで上の階へと向かった。


<つづく>
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by seikiny1 | 2005-02-26 10:15 | アメリカ
中華度数と安心度数(1)
 その朝、予定していたバスは満席で乗ることが出来なかった。次の便までの時間をつぶすために歩き出したその時、先ほど通り過ぎた別のバスの乗降口から「ファイブ・ダラー」、と中国訛りの女性の声が。行き先を尋ねてみると僕の目的地と同じだった。本来なら往復十五ドルの運賃も、空席を埋める為に叩き売りにかけられるらしい。バスは出発時間をすでに十分経過しており、僕が乗りこむ同時にドアは閉じられた。乗務員の女性に帰りの日時を述べたが「これは三日以内であればどの便にも乗れるから」、との説明と共に渡された青い切符には出発日と同じ日付で午後五時と記されてあった。全てが中文で書かれており。僕にわかるのは数字、それと裏面に記された時刻表のみ。
「ハイ、十五ドルね。席は後ろの方の空いている所に座って」
「???」
 その後なぜか女性には急に英語が通じなくなってしまった。さっきの五ドルはなんだったんだ?それでも、朝の便に乗れたので良し、と自分を納得させ座席へと向かう。座るか座らぬか、という時にバスは動き出し、中国語でなにやらアナウンスが始まる。それが終わると中国語字幕スーパーつきの中国映画が車内に流れ出す。
 外部からはごく普通のバスに見えるだろうが車内の中華度数は八十度を軽く超えていた。

 ニューヨークでは前夜にまとまった雪が降り、街を白一色に包み込んでいたけれど残念ながら海辺の町に雪を見ることは出来なかった。それでも浜辺には何匹もの野良猫たちが日向ぼっこをしており、カモメたちは海に向かってうずくまり高い波の立つ海面と対照を成してのどかな風景を作り上げていた。日常から離れた非日常の僕を、歴史ある街はやさしく迎えてくれた。期待に違わず、そこでは日頃にも増してリラックスした足掛け三日間を過ごすことができた。ただ、たった一つの気がかりはやはり帰りのバスのことだった。
 大丈夫かな?

 バスターミナルへと向かう長いエスカレーターを中途まで降りたあたりから、その待合室内の中華度の高さが感じられてきた。その高さに伴い不安度の方も急激に増加する。全てが視界に入ると、その双方が九十五度ほどまで上昇しているのに気付く。まるでチャイナタウンに紛れ込んだような気分になる。
 まず出発ゲートを探そうと、案内のモニターを覗き込む。どうやらほぼ同じ時刻に、別々の行き先ではあるけれども四台の中国系バスが出発するようだ。「ゲート番号は?」、と思い探してみるがそこにあるのは「999」という数字。このバスターミナルには1番から10番までしかゲートはない。不安に包まれたまま待合室内を見渡すと、少し先に“INFORMATION”の文字が。カウンターの向こう側に座る係りのアメリカ人女性はもちろん英語がしゃべれた。こちらも少し安心し、ニューヨーク行きバスの出発ゲートを尋ねると「7番から10番までのどれかのはずよ。私にもあのバス会社の事はあまりわからないの」、といった返事。またまた少しだけ不安度が増す。それでも、ゲートを四つに絞ることが出来た。そのゲートのドア付近へ行ってみると中国語の張り紙と時刻表が。数字と行き先意外は全くわからない。不意に床に目を落としてみると、そこには紙袋、新聞紙、かばん、帽子、ビニール袋、マフラー、手袋など様々なものが置かれていた。並べられているのか、ただ散乱しているのか、無意味に置かれているのかすらも判断できかねなかった。
 頭を抱え込んだまま、とりあえずいすに腰をおろしバスの到着を待つことにした。

 待合室の内部に急に渦が巻くような大きな動きが感じられた。


<つづく>
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by seikiny1 | 2005-02-25 08:52 | アメリカ
やすらぎ
 写真を撮られる時のポーズ、タバコの長いヤツと短いヤツ、PKOのPだってそうだ。ざっと思いつくだけでも身の周りにこれだけある。

 ピースという言葉がここまで浸透してどれくらいの時が経つのだろう?僕の中での最初の出会いは小学生の時だった。田舎町の小学校ですら、日本ではピースマーク、アメリカで言うところのハッピー・フェイスの黄色い笑顔に満ちていた。それは消しゴム、鉛筆にはじまり運動靴やTシャツまで。当時、僕らはそれをラビピースと呼んでいた。そしていつの頃からか、指二本をジャンケンのチョキのように立ててカメラに向かい笑顔を作るようになっていた。
 世界的に見ればやはりベトナム反戦運動が盛んだった一九六〇年代後半にこの言葉は広く使われるようになったのだろう。ビートルズ、フラワーチルドレン、サンフランシスコ……。その後、若者の合言葉のように定着し、さしたる理由もなく、時としてわけもわからず広く使われるようになった。
 街は悪意も、真意も汲み取ることのかなわぬピースであふれかえっている。

 数の持つ作用のひとつに人の感覚を麻痺させてしまう、ということがある。たとえそれが正しくない、と分かってはいても多数決で決定されてしまえば従わざるを得ない。従わなければならない。今の社会の仕組みではどうやらこれを民主主義と呼ぶらしい。数の後ろにあるものが全く反映されないことも良くある話だ。三百より大きい一だって存在する。数に惑わされてしまう。何の意味をも持たないにもかかわらず。

 最近ではラスベガスやアトランティク・シティーといったカジノのスロットマシーンもすっかりと様変わりをしてしまい、毎回コインを入れて当たれば吐き出される、といった機械は姿を消しつつあるらしい。機械に紙幣を入れ、その金額のポイントや勝ち点が表示され、やめる際に清算ボタンを押すとその点数を金額に換算したものが印刷されて出てくるという。現金を得るためにはその紙切れを換金所に持ち込まなければならない。即ち二十五セントのスロットマシーンに五ドル札を入れれば二十という数が表示され、百という数字を換金すると二十五ドルになる。五ドルが二十になった瞬間から多くの人はお金ではなく数とたわむれ、もてあそばれる。一杯のビールが四点になり、日頃はコーヒーの値段にこだわる人もそこでは十点を架けても何とも思わなかったりもする。
 数時間後にため息をつく人、おいしい食事をする人。

 これだけあふれかえるピースの中で、それの持つ意味を考える人がどれくらいいるのだろうか?一日にほんの一瞬考える人ですらまれであるかもしれない。
 僕にとってピースという言葉は<平和>というよりも<安らぎ>といった方がしっくり来るようだ。一人一人が心のどこかに、帰りつく我が家にそれを持つことができればそれでいい。

 最近一番心に残ったピース。それは昨年亡くなった長崎の少女の写真。彼女は、友達はピースという言葉を知ってはいてもその言葉の意味を考えるまでには至っていなかったのかもしれない。彼女の笑顔と共にあげられた二本の指がとても印象的であり、切なかった。

 これほど身近にあふれていながら、ここまで考えられることのない言葉も珍しい。
 あふれかえるピースよりも、小さなピースを大切にしていきたい。
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by seikiny1 | 2005-02-21 09:20 | 思うこと
スマイルは0円なのだろうか?
「大変申し訳ございませんでした。ご指摘をいただきましてありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。それでは失礼いたします」
ガチャーンッ!受話器を電話機本体に叩きつける。
「このクソババア、がたがた抜かしやがって!」
以前ある会社で見かけた(自称)有能な営業マンの背中。

 マニュアルやHow to本は日本のお家芸の一つと言えるだろう。書店を見回してみても<赤ちゃんの名づけ方>から<死出の心構え>まで、その類の本であふれかえっている。
 色々な人が、色々なマニュアルを自分自身の中に持っている。正しいものもあれば、間違ったものもあることだろう。本の中には押し付けられたものもあれば、自ずから選ぶものもあるだろう。自分で<よい>と思うものを人に勧めるのは人情だ。
 マニュアル化のおかげで、日本は様々な場面において世界に類を見ないほどの高い平均点を持ち、それを維持し続けることが出来てきた。日本の、日本人の平均点は飛びぬけて高いと思う。それだけに平均点からはずれてしまったものに対する目は厳しく、それは否が応でも目立ってしまう。あるところでは驚愕し、またあるところでは失望もし、腹もたってくる。
「なんでなんだ?」、「おまえ日本人だろ?」
 そこにあるべきはずのものが無いときの衝撃は大きく、一瞬たたらを踏んでしまう。その後の反応は人それぞれ。
 平均点の存在は、自分の求めているものと相手が提示するものがほぼ等しいという、ひとつの安心感を生む。その安心感は双方が高くても低くてもあるわけだけれど、やはり高いところから落ちた時の衝撃は大きいだろう。

 帰国した際に最初に言葉を交わしたのは入国審査官だった。<木で鼻を括る>という言葉がまさにピッタリの応対だった。安心感なし。
 気を取り直して国内線乗り継ぎのために、某航空会社のカウンターへ向かう。笑顔を絶やさず、きびきびと仕事をこなしてくれる彼女。安心感大。
「ふ、ふ、福岡行きの便に乗らなきゃならないんです」
見るからに気の毒そうに、あわてふためいた男性がカウンターに取りすがるようにしながら僕の隣で別の係員に事情を説明している。彼女もまた同僚と同じように笑顔を絶やすことなく、てきぱきと処理していく。彼にとって彼女は安心感最大であったことだろう。
 日本の企業では<接客>をひとつの商品とみなして、社員教育などに力を入れ対応をしているように思われる。それを商品とみなしていることの現われがチケットカウンターでのやり取りであり、その逆がお役人様なのだろう。
「お客様は神様です」。三波春夫はなくなってしまったけれど、そのことばは脈々と生きている。

 日本で日々を送るにつれそういったやり取りにも慣れた頃、最初にあげた有能な営業マンの背中が頭の片隅で見え隠れするようになってきた。
「どこまでが本当で、どこからがウソなんだ?」
 どこへ行っても似たような笑顔、買物をすれば必ず手を添えておつりを渡してくれ、買い物袋の取っ手の部分をキュッとねじって持ちやすいようにして渡してくれる。こんな人達も満員の地下鉄の中では我先にと席につき、無言でポーカーフェイスの群集の一人となってしまう。肩がぶつかっても知らんふりで通り過ぎ、もしかしたら逆ににらみつけられる事もあるかもしれない。こうして買物をして店を出た直後に舌打ちをされているかもしれない。
 笑顔の向こう側が全く見えない。
 笑顔と舌打ちはどの瞬間に交差して変わっていくのだろう?
 こういう事を考えていると、マニュアルになんだか空恐ろしいものを感じてしまう。人間という器には一定量のリミットがあり、水をあまりにも注ぎすぎてしまうとどこかでバランスを取らなければならない。願わくばその負の力を発揮している場面には居合わせたくないものだ。器の大きい人はいるかもしれないけれど、底なしの人はいないだろうから。

 ニューヨークのJFK空港で移民官の仏頂面を見ながら、なぜかここでも安心感に包まれた。

 死ぬまでに手にとって現物を読んでみたい本がある。僕にとっての幻の書。「接客マニュアル」。
 Smileは0円だそうだ。
 Smileが凍りつきませんように。
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by seikiny1 | 2005-02-20 14:27 | 日本
PLAY(アソビ)
 クィーンズ地区へ足を向けることは年に数えるほどしかない。地下鉄が地上へと出て高架となりクィーンズボロ・プラザ駅に近付く頃、大きく湾曲したレールの上を走る数両前の車両の横っ腹を眺めながらいつもドキドキしてしまう。

 <アソビ>という言葉から受ける印象は人それぞれだろうが、日本人の多くはどうしてもそれを遊興や怠惰といった言葉と結び付けがちなのかもしれない。しかし、機械の構造上、人間の機能上それは欠くことができないもの。これ無しでは、様々な機械は機能することは不可能で電車は曲がることが出来ず、マンハッタンからクィーンズまでは乗換えをしなくてはならなくなる。デジカメの画像や、CDの音はギザギザになってしまいとても鑑賞にたえうるものではない。こんな事を書けば<アソブ>自分への自己弁護にしか聞こえないかもしれないが、<アソビ>は必要なのだ。
 遠くから見れば緩やかな曲線を描いているように見える鉄道のレールも、近付いて見てみればそれは無数の直線の集合体、即ちギザギザだ。もしレールそのものの幅きっちりの車輪幅であれば電車は容易に脱線してしまうだろう。そこに<アソビ>があるからこそ前進、後退、カーブの通過が可能になってくる。しかし、その<アソビ>幅が大きすぎてもまた脱線してしまうという厄介なものでもある。要は<アソビ>の加減なのだろう。
 似たようなことが僕達の生活にも言う事が出来るかもしれない。
 適度な<アソビ>は余裕を与えてくれ、故に緊張感をも得ることが出来る。しかし、<アソビ>が過ぎてしまうと、その先には必ず問題が待ち受けている。いかに遊び、どの程度遊ぶか?永遠のテーマかもしれない。「もうちょっと飲みたいけれど明日は仕事だ。でも、あと一杯くらいいいかな?」終わることのない自問自答。誰も答をれはしない。その勘所を経験や本能で押さえるほかない。

 「さぁ、今から遊びなさい!」、と言われても困ってしまう。遊びは強制されてするものではなく、必要や欲望に応じて自分の中に発生して、させていくものだから。これを強制されても楽しくはないし、苦痛に感じ、道を誤ってしまうこともある。
 <受験戦争>の名のもとに詰め込み、偏差値至上主義の教育が行われ今日の日本は築き上げられてきた。その後、どういったわけか見直しが行われ、国がその旗頭となった。それは<ゆとり教育>に取って換わられるかに見えたが、ここに来て異常な学習塾熱その一方で学力の低下や非行・犯罪の低年齢化が世論の矢面に立たされている。
 <ゆとり>と<アソビ>。似ているようでその横顔は若干違うように思われる。上で挙げた教育を例に取るならば、<ゆとり>という名のただ従来よりも大きな枠で囲うことよりも、その幅は狭くとも至って柔軟性に富んだ<アソビ>という枠で囲む。これのほうが失敗は少ないように思うし、それが本来のやり方であるとも思う。その<アソビ>の幅を広げたり狭めたりしながら、各自がベストな状態を模索していくこと。お仕着せの幅ではなく、各自にあったオーダー・メイドを自分で仕立てていく。

 どこかの国の人が、また自嘲を込めて自ら日本人の事を「アソビ下手」と呼ぶことがある。それは下手なのではなく、それぞれが自分に応じた<アソビ>の幅を知っているのにほかならない、と僕は思うのだけれど。下手なのではなく、余分な遊びをしないだけ。それ故に、まるですりあわせ運転が充分になされた精密機械のようにほとんどの場合動くことが出来る。下手ではなく知っている。自分の中でキチッと仕事をこなす実践家と夢を語る理想家が絶妙のバランスで共存しているだけ。ただ、あと少し<アソビ>があっても電車は脱線しないと思うのだけれど。

 <アソビ>の調整はこまめにやる必要がある。クラッチがスムーズにつながらなくなってしまうから。天性の職人でない限りそれには試行錯誤を繰り返し、ベストポイントを常に見つけていくほかはない。
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by seikiny1 | 2005-02-19 09:05 | 思うこと
娼婦
 小雨の降る十月の那覇国際空港に着いたのは真夜中も近かった。喫煙所へと走る人を横目に荷物を受け取り到着ロビーへ。到着が少し遅れてはいたが事前にお願いをしていたタクシー会社の運転手さんは待っていてくれた。最終目的地である名護市到着までの約一時間、運転手さんと基地、産業、観光、環境破壊そして複雑に絡み合ったそれらについて話をしながら闇に包まれた沖縄本島を北上した。
 ブセナ・ビーチは夜目にも開放感にあふれ、清い風が流れていた。

 日本の観光立国化を唱える人々がいる。世界中の人に日本という国を、その文化を見に来てもらいお金を落としてもらう算段らしい。阿蘇山にある地獄・垂玉温泉を少しだけ丈が短い浴衣を着込んだ人々がそぞろ歩くのもそう遠い未来ではないかもしれない。
 <観光>を受ける側はただ施設を整え、後は座して待つだけで終わることは無いはずだ。例えが適切ではなく、しかもその職に就く人々には腹立たしいことかもしれないけれど<観光>という言葉の向こう側にある僕のイメージを話そう。
 <観光>を受ける側を人間の職業に例えるならば娼婦、ストリッパー、芸能人をはじめとする有名人といったなりわいの人々とダブッて見えてくる。自分自身のプライベートな部分を切り売りする、という意味で。そこには美しさ、欲望、珍奇さ、そういったものが満ちあふれている。個人の持つプライベートな面とパブリックな面の境界線が極めてあやふやになり、そこにひとつのビジネスが成り立つ。表面上それほど目減りは目立たないけれど、内面から情け容赦なく削られていってしまう。
 愛する子供たちを抱えながら家計が立ち行かなくなってしまった母親の中には、意を決して苦界へと身をゆだねる人もいることだろう。しかし、実際にそこへ足を踏み入れてみると、そこは身を売るだけで終結するような世界でないことに気付くはずだ。哀しい話ではあるけれど、文字通り身も心もボロボロになるまで食い尽くされることも珍しい話ではない。そういった世界では、ひと通り以上の覚悟が無ければ生きのびていくことは極めて困難なほど、<こちら側>で見ていただけではわからないことにあふれている。気の遠くなるほどの様々な事を背負っていく覚悟が必要とされる。
 島国で、ごく最近までほぼ単一民族で占められてきた日本。ひと口に観光立国などと言うけれど、想像も出来ないような問題が続出してくるのは必至だ。そこには移民問題もあり、治安の悪化につながるような材料には事欠かない。環境破壊は避けて通れない道であるし、これまでの価値観が根本からひっくり返されることも出てくるだろう。朝起きてドアを開けたら軒先に誰かがウンコをしていた、なんてことは日常茶飯事かもしれない。
 果たして自分自身の生活をそこまで犠牲にしてまで、外からのお金または開発によって起こるで<あろう>新たな雇用が今の日本には必要なのだろうか?そこのところをしっかりと見据えて、そのうえで覚悟を決めてかからなければ取り返しのつかぬ事になる。国の内部どころか、人間の内部までが今以上にズタズタになってしまう危険がそこにははらまれている。
 鎖国をする必要は無い。どう開いていくか?

 僕自身の事になってしまい恐縮だけれど、ホームレス生活の最後の三ヶ月間を一日中道端に座り込むことで過ごした。街を、街行く人々を眺めながら、接しながら。
 それまでに路上生活を約六年間送っていたのだけれど、<道端に腰をおろす>ということは僕自身にとってとても大きな勇気を必要とするものであった。そこに[坐り続ける]=[見続けられる]=[プライベートの切り売り]はやはり辛いものであった。持論で行くとこれもまた観光産業と呼べるものであるかもしれない。時の経過と共に次第に慣れはしたが、それはやはり日常ではなく本来の自分の姿とは異なるものであった。ただ、その三ヶ月間が<無駄ではなかった>と断言できるのは、幸いにしてその行為を自分のための精神修養であると置き換えることが出来たからだと思う。これに気付き、そう思い込んだのは幸運以外の何ものでもなかったと思う。この経験が無かったら、こうして今これを書いている自分は無かったと思う。「幸運であった」、と言うほかない。

 もし「今でも、そしていつまで続くかもわからない期間で同じことが出来るか?」、問われれば僕は沈黙するしかない。
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by seikiny1 | 2005-02-18 12:09 | 日本
Lost Connection
新聞を開き、はじめに目に飛び込んできた番号をダイヤルした。
“Hello?”
 電話線の向こう側から聞こえてくる声は、十年以上も会うことのなかった永年愛した女性のもののように心のはしばしまでじわじわとしみこんでくる。しばし、とは言っても実際にはほんの一瞬であったのだろうが、その感触を味わったあと、
“I‘m sorry, I got wrong number.”と送話口に向かってひとりごとのようにつぶやき、数秒の間の後に受話器を戻した。

 最近ではあまり旨く思えなくて「やめようか」、と思っているタバコ。それでも食後のそれはそれなりに旨い。風呂上りのビールは間違いなく旨く、ラーメンにははやり白胡椒がいい。電話なんてその存在自体が面倒くさく、かけるのはもとよりかかってくるのさえ好きではない。それでも電話のある生活をさせてもらっており、問われればそれはこういった生活を送る上で必要である事を認めざるを得ない。日頃その存在を考えたことすらないけれど、無ければ困ることもあるかもしれない。名前や住所と肩を並べて、もはやこれを持たぬ者は<生活人として当然クリアすべきもの>を持たぬ≒失格者、とみなされる社会になってしまったようだ。いや、もうそれは過去のもので、その的は携帯電話に移ってしまっているのかも知れない。名前だけで生きていける時代は遠い過去のものとなってしまった。太古には名前すらも無かったはずなのに、それでも人間は生きていた。時の経過と共に多くのものを背負いながら生きていかなくてはならなくなってきた、そしてその数はこれから増え続けることはあっても減ることはないだろう。
 強い存在感があるわけではなく、かといって自己主張をすることもない。そんなもの達に囲まれて生きている。

 突如、電話が事故で不通になってしまうように、日頃はあまり目立たない存在ながらも常にある(べき)ものが突如として消えてしまう。こういったことが起こると、それ自体が及ぼす影響というものがさほどではなくとも、何だか落ち着かず不安な気持ちで時が過ぎてしまう。普段は目の端にすらとまらないものでも(だからこそ)、心のどこかに穴を開けてしまう。風通しがあるのはいいのだが、すきま風が身にしみてくる。気付かないうちに自分の一部となっている物・者達。直接的に<何か>をやってくれて、その恩恵を味わっているわけではないがなくなってしまっては自分自身が立ち行かなくなってしまう。そのもの達はあまりにも自然に、「そこにあるのが当然」といった風体で立っているためか、しっかりと目を見開いていなければ見過ごしてしまう。まるで空気のように。

 常にアツイ想いを口にして、“I love you, I love you…….”と抱擁を繰り返す、そんな恋人であるよりも電話線のような恋人でありたい。そういう相手を愛したい。ただ、そんな存在に気付くのはいつも失くしてしまった後なのだけれども。
 目を見開いて。

 さぁ、今日も美味しいビールが飲めるかな?
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by seikiny1 | 2005-02-17 11:08 | 思うこと
その手を耳からはずそう
「いらっしゃいませ、おタバコは吸われますか?」
「どうぞ」(メニュー、お冷や、おしぼりを差し出す)
「ご注文はお決まりですか?お飲み物の方はいかがいたしましょうか?」
「かしこまりました」
 同伴者としばし談笑していると、再び男が現われて
「当店はあと十五分で閉店でございます。どうもありがとうございました」
 男は平然と去っていく。

 このような情景が見られるのもそう遠い日ではないのかもしれない。

 人間が持って生まれた力のひとつに<学習能力>というものがある。様々な事柄から<なにか>を学び取る力。実際、小さな花や水槽に入った金魚からすら何らかの事を学び取ることが出来るし、窓の外から聞こえる単なる音に過ぎなかったものが心を開いていると、きれいな鳥の鳴き声であることに気付くこともある。
 こんな事を考えるようになったのは最近のことではあるけれど、思い返してみると僕自身も、様々なことから教えられ、学んできたてきた。これからもそうであると思うし、死ぬまでそうでありたいと思う。今という時間はただの通過点に過ぎないのだから。 
  Everybody is on the transaction.

 米国不法滞在者という状況下での不法労働、空き缶拾い、電子技師、倉庫労働者、寿司職人見習いから社長業まで様々な職を経てきた。一体いくつの仕事をしてきたのだろう?数えてみる気も起こらない。こんな中から僕が思うことは「職場・仕事は最大の学校である」、ということだ。しかも給料までもらえてしまう。たとえそれがつまらない仕事であろうとも、自分のキャリアにつながることはなくとも本人の姿勢次第ではそこから得るものは無尽蔵にある。くどいようだけれど、仕事をやっている時にそんな事を思ったことはない。いつも「給料悪いな。待遇悪いな。ケッ、人を虫けらみたいに扱いやがって」、などと毒づいてきた。しかしそんな中からですらなにかを学んで来ている。何かのひょうしに「オッ、空き缶拾うのもお寿司を巻くのも根本的には同じものなんだ」、などと気付いたりもする。本を読んで勉強するもよし、ちゃんと人について奥義を学ぶもよし、やり方は色々だけれど、大切なのはどんなにイヤな仕事でも、気が乗らない時でも目の前の事をなんとかかたしていくということだろう。そんな中から、少しずつ何かが積み重なっていき花開く日は必ず来るのだから。
 仕事をするということを意識するよりも、それに向き合う姿勢次第でいくらでも学習能力が伸びていく可能性はあるはずだ。目や耳をふさいでいれば、いやな事を見聞しなくて良い。そしてそのうちに嵐は過ぎていくかもしれないが、そこにはガレキの山以外の何物も残らない。しっかりと目を見開いて、「力足らずともなんとかやってみよう」という姿勢で立ち向かえば少なくとも自分自身の活力にはなっていく。
 「どうして仕事が出来ないのだろう?」ではなく、問題なのは「どうして仕事をしようとしないのだろう?」だと思う。学習能力がある限り後退するはずはない。

 先日、こんな内容のメールをもらった。
 <件名>指定なし(←空欄という意味です)
 <本文>二行程度の簡単な自己紹介のあと、「急ですがXXXを○月△日必着でお願いいたします」(誤字、言い回しが全くおかしい点、数箇所)

 二十代後半の彼はこれまでなにを学んできたのだろう?そしてここからなにを学んでいくのだろう?不愉快に思う前に、他人事ながら心配になってしまった。もちろん学習云々を言うつもりはないけれど、これが今のごくありふれたスタイルになってしまったのだろうか?
 本来持って生まれているはずの学習能力も、それを何世代にも渡って怠り続けると退化してしまうのだろうか?人間の足の指が短くなってしまったように。
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by seikiny1 | 2005-02-13 08:23 | 思うこと
紙ナプキン
 記憶の中にあるはじめての紙ナプキンとの出会いは、デパートの最上階にある食堂だった。福神漬けやラッキョウのはいった小さなガラス製の容器と一緒に運ばれてきたスプーンは、薄く白い紙に包まれていた。時を経て食堂の各テーブルの上で銀色に輝く、ステンレス製のナプキンホルダーにはさまれた紙ナプキンは当たり前のものとなった。しかし、ナプキンそのものは相変わらず薄く、吸水性の悪そうなものでその一枚を誰もが大切そうに使っていた。八歳年下の妹が生まれたのはその頃だったと思う。母方の祖母が、布製のオムツを一枚一枚ていねいに縫い上げていた光景を今でも思い出すことが出来る。

 大好物のバッファロー・ウィングを頼んだ僕の前にウェイトレスの女性が一束の紙ナプキンを置いていった。ハンバーガーショップで“How many?”の問いに“Two”と答えた僕のトレイに彼はわしづかみにされたケチャップの小袋のかたまりを置き、コーラを取りに奥へと向かった。「???」
 たとえ紙ナプキンが、ケチャップが彼女ら、彼らのものであったとしてもこの光景はそう変わる事はないと思う。それがこの国の人たちであり、この気風が大量生産のシステムを産み、消費社会を作り出していった。この国の背骨であり、誇りであるのかもしれない。
 石油がことさら高く、常に燃費や消費効率を考えていた人々。日本の自動車産業は常に燃費との格闘であったといっても大きくはずれてはいないと思う。時代は移り変わり、地球の環境問題が声高に叫ばれるようになってきたが、多くの人々の頭にあるのはやはり自分の財布の中身だろう。その結果として<環境にやさしい>という言葉がついてくる。我々が突き詰めてきたことが、決しておかしなことではなかった。<エコ>という言葉がとても心地よく響く今日この頃ではある。
 たとえ瀬戸内海で世界未曾有の大油田が発見されようとも、日本の自動車産業が低燃費に傾ける情熱が変わる事はないだろう。これが物事に立ち向かう際のわが国のの姿勢だと思う。

 アメリカに来て二年目のことだった、魚釣りに行った州立公園のトイレではじめてハンドドライヤーに遭遇した。(その数はとても少ないが)どこの公衆トイレへ行っても、トイレットペーパーはなかった。
 昨秋、日本へ帰国した折りに熱を逃がすことなく短時間で手を乾かすことが出来るハンドドライヤーとあちこちで出会った。母の家にすらウオシュレットのあることに少しビックリした。

 様々な個性があり、それぞれが長所、そして短所を持つ。悲しくなってしまうほどにアメ車が小型化してしまった今、様々な個性が<いかにバランスを取りながら共存していくか?>これほど大切なことは無いように思う。言葉で言うのは簡単だが、なかなか出来るものでないことはわかっている。それぞれの道を突き進みながらも、他に目をやり押したり、引いたりを常時続けていく。人間社会でも一番骨の折れる行為のひとつだろう。しかし我々は、ニッチもサッチもいかないところまで来てしまっている。

 相手を否定することなく認めていく。
 むずかしいことではあるけれど。


 俺だってどこかへ飛んで行ってしまいたいこともあるよ、たまには。
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by seikiny1 | 2005-02-12 10:41 | 日本とアメリカと
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