ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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サービス
 NYを出る前から、国内乗り継ぎ便の航空券に問題があることはわかっていた。高速バスで成田→羽田と移動後すぐに航空会社のサービスカウンターへ。衝撃的なことはそこで起こった。カウンター内の女性が笑っている。しかも常に笑顔を絶やさずに仕事をさばいていく。10年弱も日本のサービスというものに接していなかった僕にとってはこれだけで大事件だ。そして疎漏の無い仕事内容。一種の感激の余韻を引きずりながら国内線に搭乗した。
 そもそも<サービス業>とは、ある意味全く生産性の無い業種(失礼な言い方かもしれないが、時代が時代なら無いなら無いで何とかなるものかもしれない。まぁ、文明がここまで進化してしまった現代ではそれでも必要不可欠ではあるけれども)で、接客、物流から風俗までこれほど多岐にわたる業務を抱えている職のジャンルは無いだろう。また、サービス業に対する企業の認識と、その現場に立つ人の職業意識は日米でかなりの格差があるように感じる。
 ファースト・フードを例に取ると、アメリカでは接客カウンターに立つ人はまずその地域の最低賃金で働いていると思って間違いない。それ故かどうか、接客もぞんざいで笑うことで損をするかのような印象を受け、その仕事内容も遅々として進まず結果として長蛇の列を作ってしまうことも珍しくない。アメリカでは人気があるから列ができるとは限らない。一方日本ではどこへ行っても、明るい笑顔、はきはきとした対応、清潔な店内(この辺はそれをマニュアル化した日本マクドナルドの創業者、藤田田氏の功績もあるかもしれない)……。サービスは企業やお店のイメージを作る大切な手段である、という企業の認識をかいま見ることができる。現場の意識や給与体系までは僕にはわからないが。とにかくサービスというものはこと日本国内ではとても重要な商品として扱われている、と今回の帰国で感じた。たしかに、愛想の悪い店なんか僕個人としては二度と足を向けたくなくなってしまう。日本人の感じ方とはそういうものなのだろう。日本人に限らず世界共通だと思うのだけれど。
 「もし」アメリカで<チップ制度>(慣習?)がなくなってしまったらどういうことになるのだろう?考えるだけで空恐ろしい。ある意味、文字通り現金な人が多く感じられるこの国で、そのサービスに対し授受する現金が消えてしまったら。そこには無味乾燥な、人と人との触れあいとすら呼べないやり取りのみが存在するのだろうか?アメリカ人のDNAには生まれながらにして三波はるお氏のフレーズ「お客様は神様です」というものが、植え付けられているのかもしれない。その現金の有無による変貌を何度目撃したことか。アメリカ人が僕を見るとき、背中の後ろの(僕にとってはあるはずもない)<お金>を見ている事を感じることがよくある。いまだに、日本人=お金持ちという公式の修正が出来ていないらしいのだ。
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by seikiny1 | 2004-11-21 21:17 | 日本とアメリカと
公衆電話
成田空港の税関を抜けて最初に買ったもの、それはテレフォンカード。帰国後の最初のスケジュールが翌朝早くに迫っていたのでまず相手と連絡をとらなければならない。約一ヵ月の滞在中には電話をかけることも結構あるだろうし、まず必要である。夏目漱石が自動販売機の中に消えて、飛行機の写真がついた一昔前の絵葉書の図柄のようなカードが出てきた。
 やはり、外出先で電話をかけなければいけない機会がかなりあったので、一応これは正しい選択だったと思う。しかし、そのうちとんでもないことに気付く。「公衆電話が無い!」のだ。駅、デパート、ホテルそして人通りの多い繁華街の<どこか>へ行けばそれを見つけることができるのだが、必要なその時に周りを見ても見つけ出せたことはなかった。携帯電話の爆発的な普及のせいか、街角から公衆電話の姿が消えつつある。旅行者にとっては不便極まりない現状だ。もちろん、使い捨ての携帯電話を買うという選択もあるのだが、僕の場合は「ズズッ」、と思いとどまった。
 テレフォンカードの最低値段が1000円。これは僕にとって非常に大きな出費で、そのうえ話している最中に残り度数を示すカウンターの数字が見る見る減っていってしまう。電話をするときなぜか僕の眼はそこを見てしまい、その眼はとても哀しいものだったに違いない。ただ、「あぁ、日本だ」、と思ったのは、全ての公衆電話が使用可能な状態で電話帳が備え付けてあったこと。
 ここニューヨークでは、それが使用可能か否かであることにこだわらなければ公衆電話は街のあちこちにある。少なくとも徒歩一分以内の距離に見つけ出すことができるだろう。そしてまずテレフォンカード(ここではコーリングカードと呼ぶ)はほとんど必要ではない。会社にもよるが、25セント硬貨一枚があれば市内だと四分は話せる。最初に50セント入れておけば時間無制限一本勝負ができる。カードは五ドルから販売されており、それを使えば通話料はまだまだ安くなるのだけれど面倒くさいから僕は使わない。ただ、ここで問題が一つ。街にある公衆電話の数割は使用不可能、壊れているということだ。街角貯金箱。ニューヨークに来られたことのある方は結構貯金をしたことがあるのではないだろうか。高くても最高のサービス。一方、安いよ、だけど何とかしようとすればなるサービス。どちらに価値を見いだすかは意見の分かれることだろう。
 まぁ、僕にとってニューヨークが快適なのは「電話をかけなければいけない用事」がほとんど無い、ということ。
 さて、これからNTTはどこへ行くのか?
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by seikiny1 | 2004-11-21 21:14 | 日本とアメリカと
はじめに
 久しぶりに日本へ帰り、一昨日ニューヨークへ戻ってきました。
 ???……、と思われる方が多いと思うので簡単に自己紹介をさせていただきます。

 僕の名前は境セイキ。1986年10月30日にアメリカ合衆国の土を踏み現在に至っています。現在の住まいはニューヨーク市ブルックリン。これまで様々な道を経て、今の僕はここに立っています。そしてこれからもどんな道になるかはわからないけれど、僕なりの道を歩み続けることでしょう。
 渡米後は約二ヶ月をかけアメリカのあちこちをバスで旅しました。ニューヨークのポートオーソリティー・バスターミナルで最後にバスを降りた瞬間から本当の意味での僕のアメリカが始まりました。そこからが旅人ではなく、生活者としての僕のスタートです。レストランで数ヶ月働いた後、グリーンカード(アメリカ永住権)を取得する為に初めてのサラリーマン生活。それと並行してやっていた古着の輸出、そしてグリーンカード取得後すぐにアパレル会社を立ち上げました。それまでのいつの時点だったかはいまだに明確ではありませんが、次第にドラッグの道へはまってしまいついにニューヨークでホームレスに。気付けば六年の月日が経過していました。ドラッグと路上の生活に別れを告げた二〇〇二年に『ニューヨーク底辺物語』(扶桑社 ISBN4-594-03730-5)を上梓。現在は在NY日本人向けフリーペーパー「アメ☆ドリ」、「踊るで、しかし」二誌にコラムを連載中。

 正確に何年ぶりだったのかはいまだにわからない。古いパスポートも無ければ、何の記録も無い。家族や友人と話したところ「だいたい8年か9年ぶりだろう……」、というラインが出てきた。アメリカの移民局や日本の外務省へ問い合わせればわかるのだろうけれど、そこまですることでもないし。とにかく久しぶりに日本へ帰ってきました。しばらくは日本で感じ、そしてニューヨークへ帰って感じたことなどを時々つづっていきたいと思う。外にいてはわからないこと、内にいてはわからないこと、普通の視点では見落としてしまいそうなこと。材料はたわいの無いものが多いけれどそこから何かが生まれれば、と思う。何より自分の中の自分を見直すために、発見するために、といった個人的理由のウェイトがかなりあるかな。
 約10年ぶりの日本は「変わったようで、変わっていなかった」、というのが実感。そう簡単に変わるものでもないか。

 もしかしたら今の僕も帰らぬ旅の真っ最中にいるのか?
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by seikiny1 | 2004-11-13 09:50 | はじめに
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