ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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カテゴリ:日ごろのこと( 127 )
アカ
「あ、Nトレインだ」
 構内の白いタイルに反射する赤い光で、椅子に座っていてもどの路線がやって来たのかがわかる。1年程前に導入された新車両の先頭には、赤いLEDで<N>の 文字がぼんやりと浮かびあがる。しかし、他の路線の新車両はどれも、文字こそ違え同じ赤いエンブレムをつけているので、そのうち、どの電車が近付いてもタイルは赤く浮き上がり、なんのありがた味も感じなくなってしまうだろう。他方では、これまで路線ごとに色分けされていたものの半分は意味をなさなくなってしまい、こんな会話も成り立たなくなってしまうかもしれない。
「なんで帰るの?」
「えーっと、オレンジか黄色」
 週末は、工事で停車駅が変更になることがよくある。新車両の中では、次の停車駅が無機質な録音音声でアナウンスされる。走り始めた電車の中では聞き取りにくい車掌さんの声が、これから各駅停車となることを告げはじめた。
 心地いい。

「あいつはアカだ」
 そんな言葉をしばらく聞かない。僕が子供の頃は労働争議がまだまだ盛んで、ストライキは春の恒例行事のようなものだった。一番楽しかったのは、学校の先生たちのもので、半日か全日が自習となる。お客さんに気を使い過ぎてそんなことを考える余裕がなくなってしまったのか、最近の先生はストライキという言葉を忘れてしまったみたいだ。
「ペタ、ペタ、ペタ……」
 廊下を校長先生のスリッパが近づいてくる。

"Good morning."
 朝、少しだけ早く家を出る日には歩道を掃いているおじさんと出会う。数軒先にバーができてからは、吸い殻、スナック菓子の袋などのゴミが増えた。病気なのか、おじさんの両目はいつも真っ赤に充血している。
 歩道を歩いていると、見慣れぬ貼り紙が目に入った。
"Keys found. Ring the bell."
 酔っぱらいがカギを落としていったのだろうか?

 2日が過ぎた。
 まだ紙は貼られている。

 目覚まし時計はどんな音をしていたっけ?」
 ベルが鳴る数分前に目が覚めてしまう。
 月曜日は15分前に目が覚めた。目を覚まさされたのにもかかわらず、心地よい目覚めだった。
 日曜日の夜に閉め忘れた窓。そこからは、
「チュ、チュ、チュ、チュ、チュ、チュ、……」
「ピーッ、ピ、ピ、ピ……」
 小鳥のさえずりが聞こえてくる。
 窓から外をのぞいてみると、電線の上でカップルの赤い小鳥がおしゃべりの真っ最中。

 少しずつ場所を移動しているみたいだけれど、僕が出かけるまで楽しそうにしゃべっていた。

 今年はもう半分以上あきらめかけていた。
 台所の窓の外でひと冬を越した植木鉢は沈黙したまま。あるのはいい具合に広がった艶やかな苔と雑草の芽ばかり。
 今朝のこと、植木鉢を部屋へ入れてよくよく見てみると、雑草とばかり思っていた青い双葉の下から、直径2mmほどの赤味を帯びた葉がのぞいている。
 昨秋に落ちた紫蘇の種が芽をふいた。
 あと少し育ったら、約束通り、数株をT君に分けてあげよう。




 気づいてみると、ここ数日、春のことをあまり考えなくなっていた。
 春が来た。
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by seikiny1 | 2008-05-01 09:51 | 日ごろのこと
魚の目

「いやいや、そんな目で見つめないでくださいよ」

 ここはチャイナタウン。氷を敷きつめられた台の上で、僕は大勢の同胞にまざり道行く人々を眺めていた。

 焦点は定まっているか?
 何か意味があって見つめているのか?
 どんな目をしているのだろう?
 わかっているのは、自分が何かを見つめているただそれだけ。自分の目の表情にいたっては、死んでもおのが目で確かめることはできないだろう。見てみたいようで、見たくない。どうせ、ろくな目付きはしちゃいないから。見ない方が幸せだろう。

 電車の中で、街角で、飲み屋のカウンターで魚の目をしていると、サバや、アジやイカが話しかけてくることがある。

「いやいや、そんな目で見つめないでくださいよ」
そんな時に僕は、チャイナタウンの魚屋に寝転がっているような気分になる。
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by seikiny1 | 2008-04-29 09:15 | 日ごろのこと
春を待つ?
春を待ちながら、どこかでそれが来ることを怖れている。もう、すぐに来ることは、わかっているのに。

ここ数週間、朝起きたら、まずは大きく窓を開ける。外気の温度を体感するために。日陰が多い上、ビル風も吹くマンハッタンは、アパートのあるブルックリンより数度は低いはずだ。それでも、
「明日あたりかな……」
春の朝を迎えるのは。

冬の間も、朝の30分を外で過ごすのを日課としていた。僕にとって、なくてはならない時間でタバコとコーヒーが相方で。
ただ、場所だけは夏の間とは違う。寒い日々日には、ホテル前に屋根と二方の壁を持つ大きな車寄せが僕のアジトだった。巨大な屋根と壁がどれだけ寒さを和らげてくれたことか。
それでも百人百様で歩く人達を眺めるのは面白く、ビルの谷間とはいえ開放空間はやはり魅力的で快適だ。春の来るのが待ち遠しい。また広々とした世界へと戻ることができる。

習慣を変えるということは、それに付随していた諸々のことも同時に失ってしまうということだ。

いつも前屈姿勢で、重そうな身体を彼女なりの早足で運んでいく黒人の老婦人。僕の前を通る時には必ず”Good morning!” と笑顔を向けてくれる。
腰を下ろしながらタバコに火を点けると、たっぷり20分ほど携帯電話でおしゃべりに熱中するヒスパニックの女性。
New York Timesを広げ、ドーナツとコーヒーの朝食を終えると、マッチでゆっくりと火をつける。おいしそうに葉巻をくゆらす男性。
うつむき加減で腕を組み、いつもゆっくり、ゆっくりと北から東へと抜けていく東洋人女性。
回転ドアから吐き出されてきた客を見つけると、笛を鳴らしてタクシーに合図を送りながら早足で駆けよりドアを開けるホテルの従業員。
春は、そんな名前も知らない常連達との別れの季節でもある。もちろん消えてしまうのは僕だけではない。

夏の朝陽の下で彼らのことを一度くらいは思い出すだろうか?
常連の誰かが、僕の姿を思い浮かべることはあるのだろうか?
次の冬に何人と再会することができるだろう? 
僕が消えてしまっているかもしれない。

帰りの電車では、鼻に春を感じる。
「しまった!」、混みあった車両内には、ちょっと酸っぱい春の臭いが立ちこめている。それでも次の駅に着かぬうちに、もう既に順応していた。

明日は別れの日かもしれない.
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by seikiny1 | 2008-04-23 19:24 | 日ごろのこと
借金の夜
 自分で思っているほど体力がないのかもしれない、たまにそんなことを思う、深酒をした翌朝は。一日を棒に振ってしまうこともしばしば。
 土曜日は、予定外の楽しい酒となってしまい気づけば午前3時。その日の午前中はそこで打ち止め。午後に起き出して、この30年ほど習慣となっている、酔いぬけのラーメンをすすすりながら、胃が悲鳴を上げているのを感じる。
 それなのにその日の飲み会は、以前から決まっており行きたいし。その上、月曜日はあたり前の話だけれど、朝から仕事をしなければならない。
〈マモリ〉に入って飲む酒は、いつもほど味はせず、気分もいつもの緩やかなカーブを描いて右肩上がりとはいかなかった。チビリ、チビリとなめるようにビールを飲むこと数時間。それでもいい酒で、最後の頃はご機嫌になったり、ボーッとしていたり。

 おかげで今朝は目覚めも鮮やか。気分も快調。朝飯もうまい。
 パンを食べながら思ったのは「あー、最近は借金をしながら酒を飲んでるなー」ということ。楽しい酒の翌日には、つけが回ってくることがよくある。何も考えず、暴走をしてしまう大人気ない飲み方が原因なのはわかっているけど、止まらない。楽しみは止まらないし、止めたくない。そして、翌日はゴロゴロとして一日を失ったり。翌日の楽しみの分まで前借りをして飲んでいる。
 それがいいとか、悪いとかではなく、「人間が楽しむことのできる数量というのは、きっと決まっていて、ただそれを借りたり、貸したりしているだけなんだろう」ということ。苦あれば楽あり、とはちょっとニュアンスは違うのだけれど。
 楽しいことだけではなく、喜びも、悲しみも、苦しみだって手持ちの量というのは決まっているのだろう。

 さて、これからはどう工面しながら生きていこうか?その前に、バランスシートを調べておこうか。少し怖い。楽しみの量が自己破産寸前でありませんように。
 喜ぶべきか、悲しむべきか、今週大酒を飲む予定は今のところナシ。

 深酒は 幸せの前借り。
借金の夜

 自分で思っているほど体力がないのかもしれない、たまにそんなことを思う、深酒をした翌朝は。一日を棒に振ってしまうこともしばしば。
 土曜日は、予定外の楽しい酒となってしまい気づけば午前3時。その日の午前中はそこで打ち止め。午後に起き出して、この30年ほど習慣となっている、酔いぬけのラーメンをすすすりながら、胃が悲鳴を上げているのを感じる。
 それなのにその日の飲み会は、以前から決まっており行きたいし。その上、月曜日はあたり前の話だけれど、朝から仕事をしなければならない。
〈マモリ〉に入って飲む酒は、いつもほど味はせず、気分もいつもの緩やかなカーブを描いて右肩上がりとはいかなかった。チビリ、チビリとなめるようにビールを飲むこと数時間。それでもいい酒で、最後の頃はご機嫌になったり、ボーッとしていたり。

 おかげで今朝は目覚めも鮮やか。気分も快調。朝飯もうまい。
 パンを食べながら思ったのは「あー、最近は借金をしながら酒を飲んでるなー」ということ。楽しい酒の翌日には、つけが回ってくることがよくある。何も考えず、暴走をしてしまう大人気ない飲み方が原因なのはわかっているけど、止まらない。楽しみは止まらないし、止めたくない。そして、翌日はゴロゴロとして一日を失ったり。翌日の楽しみの分まで前借りをして飲んでいる。
 それがいいとか、悪いとかではなく、「人間が楽しむことのできる数量というのは、きっと決まっていて、ただそれを借りたり、貸したりしているだけなんだろう」ということ。苦あれば楽あり、とはちょっとニュアンスは違うのだけれど。
 楽しいことだけではなく、喜びも、悲しみも、苦しみだって手持ちの量というのは決まっているのだろう。

 さて、これからはどう工面しながら生きていこうか?その前に、バランスシートを調べておこうか。少し怖い。楽しみの量が自己破産寸前でありませんように。
 喜ぶべきか、悲しむべきか、今週大酒を飲む予定は今のところナシ。

 深酒は 幸せの前借り。
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by seikiny1 | 2008-04-22 07:45 | 日ごろのこと
ステップ
朝、いつものように一つだけ電車をやり過ごす。慌ただしく乗り降りする人たちから少し離れて立っていた。
車両の扉の下に何気なく目をやると、そこには車体から少し出っ張ったように鉄製の板が渡されている。編目模様に彫られた滑り止めの角は、何百、何千万組の足に踏まれすり減ってしまっていた。

こんな目付きを数年前にしていたことがある。
イタリアの古い教会の脇に佇み、塔へと続く大理石製の階段に見入っていた。
数百年もの間、こちらも何百、何千万組の足に踏まれ続けてきたのだろう。人がようやくすれ違えるほどの階段は、どの板も、ちょうど真ん中のあたりがすり減り、緩やかな孤を描いている。人間の力。時間の永続性。信仰心。そんなことを考えさせられる、薄暗がりにあるくすんだ階段だった。

地下鉄のステップと教会の階段。どちらも同じ光沢を持ち、艶をたたえている。
大理石の階段は、これからもたくさんの人々を天に近い場所まで運び上げるのだろう。

次の電車が入ってきた。
まだ角の荒々しさの残るステップを踏んで乗り込む。表情のない録音音声が次の停車駅を知らせる。
この街からも消えつつあるものがある。それでも人々はステップを踏み続ける。少しでも前へと進むために。
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by seikiny1 | 2008-04-17 00:41 | 日ごろのこと
バターサンド
「ファンタ グレープフルーツが出たよ」
 日本からメールが舞い込んできた。
「おっ!」と目を引く飲み物と出合ったのもその日だった。
こちらはペプシ。今のものではなく、その昔使われていた王冠に筆記体で書かれたロゴが青地に浮かんでいる。ファンタがペットボトルで、ペプシはアルミニウム缶というのは今の時代の鏡だろう。

<レトロブーム>なんて言われはじめていったいどれくらいが経つのだろう?
 懐古趣味という言葉があるくらいだから、遠い昔から人間の中にはそんな部分があったんだろう。それだけ旧いものに愛着や、郷愁を感じ続けているということで、<レトロブーム>とはそれが十分ビジネスとして成り立つことの証でもある。
 たしかに旧いものには惹かれるものがあるし、美しくもある。嫌な思い出すらも、時間というフィルターにかければ角が取れまろやかになってくる。時間というものは不思議だ。
 幸せなんだろう。「憎くて、憎くて」、「いやで、いやで」、「恥ずかしくて、恥ずかしくて」……、そんな出来事がない。いや、ただ鈍感で物忘れがひどいだけか。
 30年前、ベルボトムに代表されるフレアパンツで街が再びあふれかえるなんて想像だにしなかった。しかし、「古く」、「はずかしい」ものではなく「新しい」と見る若い人の目で定着していき、こちらはこちらで、そんな街の情景にも慣れっこになってしまった。はずかしいなんていう感情はどこかに忘れてきてしまっている。
 時間のフィルターにはある程度の厚味が必要だ。

 小雨の降り続いた翌朝は季節はずれの日本晴れ。気になって調べてみると、室町時代の頃<日本>は<very>という意味で使われることが流行していたらしい。雑学終わり。
 ぬけるような青空を見上げていたらうずうずしてきてしまい、朝の町に飛び出す。歩道に並べられた白や水色のゴミ袋に出来た小さな水たまりがキラキラと朝日をはねかえす。しっとりと湿った町は文字通り水々しく、息をしているようでもある。
 目的地へ着き、そして帰ってきた。
 朝飯を買ってきた。近所で評判の店で買ったベーグルを半分にスライスし、室温に戻しておいたバターを塗る。まわりはカリッとしていて、中身はしっとり、モチモチしている。噛めば噛むほどバターの甘味が口中に広がっていく。そういえば昔はバターが好きではなかった。
 あの頃、ハムや野菜なんかが入ったサンドイッチはよそ行きの食べ物だった。身近なサンドイッチ、いやサンドといえば駄菓子屋のガラスケースの中に入っているジャムサンドとバターサンド。セロファンの袋入りで、三角に切られた薄い食パンにジャムを塗られたものがひとつ。バターを塗られたものがひとつ仲良く肩を並べていた。
「どうしてジャムサンドがふたつはいってないんだ」
 いつも先に食べてしまうのはバターサンド。
 日本晴れのベーグルはバターサンドの味がした。
 今、バターサンド、ジャムサンドなんていう食べ物はあるのだろうか?

 小さな頃よく歌っていた歌

♪食パンがお嫁に行くときは
ジャムとバターにはさまれて
洋食皿にのせられて
着いたところは喫茶店♪
(「おたまじゃくしはかえるの子」のリズムに乗せて)

 懐古。
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by seikiny1 | 2008-01-19 01:11 | 日ごろのこと
風がないている?
「あ、もうあかるくなってる」
 台所から水道を使う音で、半分だけ目が覚めた。
「お湯か……」
 お湯の出ているさまを想像しながら、水とお湯とではステンレス製の流しに当たる時に発する音が違っていることをはじめて知った。と、言うよりもはじめて認識をした、。寝ぼけ頭は、突拍子もないことを考えたりする。
 そういえば、流しにカップ焼きそばのお湯を捨てても「ボコンッ」というにぶく、異様な、はねかえり音を最近では聞かなくなっている。そんな音があったこと自体、長い間忘れていた。ステンレスの質が上がったのか、それとも厚みが増したのか。深夜の台所で酔った頭を揺らせながら何度も聞いたあの音は、僕を現実のもとへと引き戻してくれていたのに。消えてしまった音。今の僕が正気であるかどうかを確認できる音はなんだろう?

 風の音、水の音、火の音、光の音……。
 木枯らしに鳴る電線、体を打つ熱いシャワー、煮えたぎるスープ、夏の陽射しにに焼かれていく首筋……。
 僕たちは様々な音に包まれているけれど、その多くはそれ自体は音を持たない。なにか別のものと出会うことによって、はじめて音を聞かせてくれる。まるで人の感情のように。

 いろいろな音が生まれ、消える。
 そんなことを考えながら、また眠りへと引き戻されていった。
 もうすうクリスマス。



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by seikiny1 | 2007-12-22 14:30 | 日ごろのこと
にくづき
 もう30年くらい同じ体重で生きているから、肉付きはそんなにいいほうじゃない。ただ、昔なつかしの筋肉がぜいに肉に変わり、もともと悪かった腰をささえきれなくなったらしい。

 腰痛三日目もなんとか津波におそわれることなく終わりそうで、それでもまだまだ油断は禁物だ。いつ、なにが起こってもいいように。
「あ、今、爆弾が火を噴いたら間違いなく逃げ遅れて死ぬな。あいつがそばにいたら助けてくれるかな?」
 まだひんやりとした空気の残る地下鉄への階段を下りながら、そんなことを冷静に考えていた。
 なんといっても腰は体の要なのだから。走ることなんてできない。おまけに朝が一番つらい。腰痛で逃げ遅れるというのもまた人生か。壁にぶつかり、転がりまわり、踏みつけられて。

 とにかく起き上がるのが死ぬほどしんどくて、「なにかいい方法はないか」と検索をしてみると〈腰痛NAVI〉など、色々な腰痛情報の載ったサイトがある。そんなわけで昨日以来、「腰」という文字が頭からはなれない。
「体の要ということはわかるけど、どうして月という字が『にくづき』と呼ばれるんだろう?まさか『肉付き』のダジャレじゃないだろうし……」
 漢和辞典で調べてみると、その部首解説がなかなか難しい。同じ月でも離合集散を繰り返していて、説明を読みながらなんとか党の派閥を思い出してしまった。まぁ、簡単に言えば、「『にくづき』というのは『肉』という字を省略化して月にしてしまった」らしい。
 言われてみれば『なーんだ」と思ってしまうけれど、この頭の中で記号化されてしまっていて、それでもどこかでくすぶり続けていた「うん、月はわかる。でもなんで肉なんだ?」という疑問が氷解するとなんだかビールもおいしくなってくる。
 
 好奇心をいつまでも忘れちゃいけないな。体の要がこわれるような歳だから、頭のほうだけは壊さんようにしとかんと。それにしても周りは知らないことばかり。だから歩いていこうと思うし、転んでも立ち上がることができる。腰痛からひとつ学んだ一日でした。

 腰痛になる前の晩、おぼろ月を見上げていた。




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なにかを感じ、ここを押していただけたらうれしいです
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by seikiny1 | 2007-09-25 09:06 | 日ごろのこと
7ヶ月目の再会
「ウン、ウン。なるほど。やっぱりそうだったか」
 ひとつひとつがふに落ちていく。そんな、古い週刊誌の占い欄を読んでいる気分になることは誰にでもあることと思う。昨日の朝の僕がそうだった。

 たしかに、ちょうど一週間前から「?」という感触を何度か味わっていた。違和感に似ていないことはないけれど、ちょっとだけ違っている。ああいったものを予感というのかもしれない。
「言っただろう!」
「ほらみてごらん」
「あー、あ。やっぱりな」
 感じているだけでは、まだまだ予感としての資格が不十分だ。口に出してこそ、実行ししてこそ、そしてなによりも、ことが起こってこそ胸がはれるというもの。人は的中した者のことを予言者、はずれた者のことをホラ吹きと呼ぶ。かたやいかめしい顔をして、かたや楽しそうな顔をしているのは、いつ立場が入れ替わってもおかしくないことを本人たちが一番知っているからだろう。ね、有名な占いの先生。

 自分の中でも予言者とホラ吹きがよく入れ替わっている。口に出すことがないので、どちらの名で呼ばれたこともないけれど。
 ただ、今回だけは予感にしたがってみることにした。予感していたことが悪いことであり、前回が悲惨だっただけに、あたらなければ「あー、外れちまった。よかったよ」と笑い飛ばすこともできるから気楽だ。そういえば、今まで予感というものに従いなんらかの準備をしたということがない。

 懐中電灯のある場所はわかっている。電池は入っているか?
 たまたま手元にあったトランジスタラジオのおかげで、数年前の大停電は結構気分が楽になった。
 おかずとしての缶詰はあるけれど、非常時という意識はない。
「飲料水を用意しておかなければ」と思ってもすぐに忘れてしまう。

<準備>と書いてまず思い浮かべるのが災害グッズというのも悲しいものがある。住んでいる社会が悪いのか、場所が悪いのか。いや、一番の問題は自分の中にあるのかもしれない。
 頭のどこかで、誰かが「予感に忠実であれ」とささやいてでもいたのだろうか、とにかく今回だけはそれなりの準備をしておいた。
 予感は的中した。
 昨日の朝、台所の椅子で「ズキッ」。いやな感触が走る。すぐに用意しておいた腰痛ベルトで腰を固めることに。ひたすら安静にしていたのがよかったのか、2日目の今日も何とか歩くことはできる。つらいのは寝返りと、ベッドを降りるとき、椅子から立ち上がるとき。まだ、なんとか杖の世話にならずにいられるから今回はまだましなほうだ。

 気がかりなのは、2日後の月曜日。下り坂になっているか、上り坂になっているか。もうできることはあまりないので、あとは天にまかせるばかり。
 古い雑誌の占い欄を見るのはきらいじゃないけれど、これからは勇気を出して最新刊ものぞいてみようかと思う週末の出来事でした。

<適度な運動も必要>ということらしいので、ビールを買いに行くことにします。




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なにかを感じ、ここを押していただけたらうれしいです
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by seikiny1 | 2007-09-23 06:15 | 日ごろのこと
夏の終わり
 アメリカのカレンダー上では夏も今日で終わり。そんな線引きなどなんの意味もないのだけれど、まぁ、ひと区切りといったところか。
「マーカーはいらないの?鉛筆はあるか?」
「あ、ごめんなさい。ノートがいるんだった」
 ふらり、と入った文房具屋では、新学期を目前にひかえた親子連れが目立つ。
 レーバーデイの今日は夏休みの最終日で、日本での8月31日にあたる。そんな日にはてんやわんやな思い出しかない。
 丁寧に宿題のバッグを縫い上げるというよりも、布を切って裏側をボンドで貼り付けるといった感じに近く、新学期へ向けて万全と準備をするというよりも、なんとかカタチにしてのける日という方が正確だろう。夏の終わりをしみじみと味わうゆとりは、9月の半ば頃まではお預けだった。

 ニューヨークではこの10日間ほど涼しい日が続いており、毎朝、去り行く夏の日を惜しんでいる。まるで、あのうだるような日々がなかったかのように。去り行くもの、去ってしまったものはどこか懐かしく、甘い。憎いあいつでさえも。
 時間のマジック、それは憎しみすらをも笑顔に変えてしまう。

 父親からなぐられたこと。
 失われてしまった風景。
 裏切られたあの日。
 別れたガールフレンド。
 変わりゆく人々。
 当時、まったく別の場所にあった感情は、こうして思い出してみてもなかなかでてこない。
 なにかが去り、なにかがやってくる。
 なにかが去らなければ、なにもやって来はしない。
 コップはいつもなみなみと水をたたえたたずんでいる。あふれることもなければ、乾上がることもなく、まるで「それが生きていくことだ」と語りかけてでもいるように。
 時がすべてを解決してくれるわけではないけれど、少なくともオブラートに包み込んで引き出しの片隅に放り込んでおいてくれる。ふと思い出してなめてみて苦くないのは、一度コップの外に出てしまったから。今あるコップの水をおいしく飲んでいるから。今がなければ苦いものはいつまでも苦いまま。

 さてさて、飲んだ瞬間に口中に広がる苦い酒がいいのか。それとも、いつまでも後口に残る甘い酒がいいのか。

 失われゆくものを惜しむことは大切ではあるけれど、その旅立ちを喜んでやることも欠くことはできない。というよりも、そう思い込もうとしている。ここにあるコップは決して大きくならないのだから。

 昨日は、朝起きてまず晩飯を作り、それから昼飯(弁当)、朝飯の順でこしらえていった。コニーアイランドへ行くために。
 夏が終われば再開発がはじまってしまい、今の姿はこの夏で終わり。その姿を眼に焼きつけておくために、生まれて初めて晩飯から作っていった次第。最後となる懐かしいビーチへと足を下ろした瞬間に、そこは郷愁の地でも、失われつつあるものでもなくなった。あるのは、今という夏だけで、誰もが笑顔で今という時間を楽しむ。
 あの夏があり、この夏があり。50年後、100年後のこの地に郷愁を感じる人もいるだろう。そのためにもコニーアイランドにはいつまでも生き続けて欲しい。夏の笑顔を絶やさぬために。

 どこまでも続く、広々としたボードウォーク。夕暮れにそこで見かけた彼女の去り行く姿はなんだか笑っているようだった。



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○この記事を読まれて<なにか>を感じられた方。
ここを押していただけたらうれしいです。
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by seikiny1 | 2007-09-04 06:38 | 日ごろのこと
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