ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
お願い
当サイト・メインコンテンツ内にある全ての著作権は筆者に帰属いたします。無断転載及び流用は固くお断りいたします(トラックバックに関しましてはこの限りではありません)。
以前の記事
カテゴリ
カテゴリ:ニューヨーク( 17 )
口紅を刷いた古女房
(腰の爆弾も落ち着いたかな……)
 そう思いちょっと無理をしたら再爆発を起こしてしまった。おかげで大雪も、ちょっとだけの春の日も肌で感じることはできず窓から眺めるばかり。

 寒い冬の日に街を歩いていると知らず知らずのうちに身体に力が入ってしまっていることに気づく。いつだったか背中を丸めて乗り込んだ電車の壁一面はBAHAMAの観光ポスターで埋められていた。青い空、青い海。こんな写真を見て「南の島へ行こう!」と思い立ち実際に行ってしまう人も中に入るんだろう。
 全身に力が入っている身としては、やはり南の島というのはかなり魅力のある存在だ。まるでその写真の中にとけ込んで全身の力が抜けきってしまうような錯覚におそわれる。「こんな冬はいやだ。南へ行きたい!南の島に住んでやる」
 衝動的にそんなことを思ったりすることもある。しかし、南の島で暮らしていくことができるだろうか?
 僕の答えはNo。
 短期間の滞在でリフレッシュというのはいいかもしれない。しかし、そこに住み暮らすということになると話は僕のような人間には向かないようだ。全身に入り込んでいる余分な力どころか必要なものまでもが流れ出してしまう。元来の怠け性である僕をそんな所に放ってしまったら……。想像するだけで「絶望」という文字がちらついてきてしまった。

 緊張という言葉がある。
 どちらかと言うと好きな言葉ではなかった。最近までは。あまりいい印象を受けたことがなかったから。そんな僕が近頃この言葉を考えたりする。
「ほどよい緊張って結構気持ちいいな」と。
 仲のいいことはすばらしいことだ。しかしそれは馴れ合いになってしまう危険をはらんでいる。
 極度の緊張は崩壊の一歩手前。保っていた均衡が瞬時に崩れ去る危険に直面している。
 僕にとって一番気持ちのいいこと。それはどちらかと言うと夜間や冬には長袖が必要な南の島。

 たまにだけれど部屋の掃除をする。やはりきれいな部屋は気持ちがよく掃除の後はとても快適な気持ちになる。しかしそれもだんだんと南の島になっていってしまう。一人で生活をしているとどうしても「あー、いーや」そんな言葉が出てきてしまう。それが、他に人がいると、誰かが来ることがわかっていると「めんどくせーなー」とぼやきながらも使った食器を洗ったり、落ちている髪の毛を拾ったりする。たいした事ではない。それでも一人だとなかなかそういう具合には気持ちが、そして身体が動くことがない。
 たぶん相手だってそうなのだろう。そういった適度な緊張感が交差する空間はなぜか心地がいい。
 男がいる。女がいる。
「出会った頃、あんなにまぶしかったあいつも今では古女房」
 そんな話を聞いたりもする。男も女も仕事に家事にそして生きることに忙しく「そんな事に構ってなんかいられない」のかもしれない。それでも夕方に口紅をさっと刷く、家に入る前にネクタイを直してみる、そんなほんの少しの緊張感を持ってみるだけで意外と全身に入っていた力が抜けたり、逆に脱力感から開放されたりする事もあると思う。そんな小さな緊張感は「所帯じみた」という奇妙な言葉をも吹き飛ばし、見知らぬ、街でただすれ違う人にすら小さな微笑を与えてくれるかもしれない。それはまた自分へと還って来る。

 僕が住むこの街の緊張感は時として大きすぎる事もあるけれど、最近では快適というところに段々と近づいてきている。
 大通りの角を曲がる時に「オォ、寒い」とひとりごとが出てしまう冬のニューヨークはやはりいい。古女房ではなく口紅を刷いて僕を待っていてくれる。手袋の要らない程度の寒さの日。
〓〓〓〓〓〓〓〓〓
2月24日付け西スポ(西日本スポーツ新聞)土曜版でこのブログが紹介されます。九州在住の方、よかったら見てみてください。
〓〓〓〓〓〓〓〓〓
○この記事を読まれて<なにか>を感じられた方。
ここを押していただけたらウレシイです。
[PR]
by seikiny1 | 2007-02-24 04:03 | ニューヨーク
<1>スト
 全くと言っていいほどテレビを見る習慣がない。そんな僕でもこの四年間で三回だけ継続的にテレビを見たことがある(「観た」わけじゃない)。
 一回目が2001年9月11日とその後。
 二回目が2003年の夏、ブラッアウトの翌日。
 三回目が今回のMTA(地下鉄、市バス)のストライキ。
 まぁ、一回目の頃はホームレスだったので「機会があれば」という但し書きつき。二回目の午後から夜にかけてはトランジスタラジオを聴いていた。電力の復旧後にテレビに釘付けになった次第。
 習慣のない僕をさえ引きつけてしまうほどテレビの力は大きい。と、いうよりも事件や事故が起こった時に「情報を知ろう」とする人の気持ちは大きい。そこに不安があるからだろう。手っ取り早い情報源は今でもテレビ。映像と音で(一方的に)訴える。
 さてこの三日間、テレビの視聴率はどれくらいだったのだろう?

 今回のテレビの報道を見ていると一日目はとりあえず大騒ぎ。インタビューに答える人達にもまだまだ余裕があったのか、それとも早期終結の期待があったからかその言葉も顔つきもきつくはない。
 そして二日目。人々の顔にも疲れ、怒りが目立ち始める。聞こえてくるのはストを実施中である組合員に対する罵詈雑言ばかり。たったの一日でこの変わりよう。
“selfish(わがまま)”
“greedy(欲張り)”
“back to work”
“jail(監獄)”
 こんな言葉が人々の、キャスターの口かで何回も繰り返される。これは市長が会見の中で口にした言葉でもあった。その姿が2001年9月11日直後の、2002年イラク戦争開始時の大統領のそれとダブったのは僕だけだろうか?

 二日目の映像、声から受けた印象がどうしても気になって三日目の今日はブルックリンブリッジを歩いて渡った。途中にあるレンタカー屋の駐車場は空っぽ。ゴミ箱の中に放り込まれていた地方紙の表紙には一面大の組合側リーダーの顔。その写真の上には格子が刷り込まれていて“JAIL HIM!”の文字が。もう彼(ら)はすっかり悪者扱いになってしまっている。テレビ中継でおなじみになってしまった橋を渡る。
 フードや帽子をかぶって白い息を吐きながら歩く人々。足元はほとんどの人がスニーカーだ。これはあくまでも僕が印象なのだけれど、テレビや新聞で伝えられるほどの殺気立った緊張感は感じられなかった。ある者は一人で、またある者は二、三人のグループでおしゃべりをしながら歩いている。疲れや引きつったというような表情ではなく、どちらかと言うと穏やかな表情を浮かべながら歩いている。歩調は僕よりも早い。それは僕の歩くのが遅いだけのこと。ただいつもと違うのは人の数。普段では絶対に見られないような数の人々が橋を歩いて渡っているというこの事実。
 帰りには大声で「ストライキ中止」を伝える人がいた。橋のブルックリン側の降り口では「ストライキ中止記念スペシャル」、の見出しのビラを近所のレストランが配っている。どうやらピザとパスタが無料でふるまわれるらしい。

 マンハッタンでもブルックリンでもこの三日間車クラクションが鳴り止むことはなかった。いつもどこからか怒鳴り声にも似たそれが聞こえてくる。この渋滞じゃしょうがない。誰もがイライラしている。
 昨夜、8時30分頃に片道200m程の道のりを歩いていつものデリへ。行きと帰りの計二回車に轢かれそうになった。どちらも信号が青の横断歩道内での出来事。二度とも空車のタクシーが猛スピードで突っ込んでくる。次の客を探しに駆けていったのだろう。この数日は毎日、元旦ほどの稼ぎ(ニューヨークのタクシーが一番稼げる日。ニューイヤーズイヴの直後)をあげているんだろう。怪我しなかっただけ儲けと思わなければ。
 今日街を歩いていた時に驚いたこと、それは白タクの多さ。中には手書きで料金や、行き先を書いたものを窓に張っている車もいる。あちらから、こちらから営業の声やクラクションが飛んでくる。そんな中にVirginiaのナンバープレートをつけた大きなワゴン車を見た時はさすがに笑ってしまった。ゴクロウサン。交通整理に忙しい警察官はいちいちそんなものを取り締まっている暇はなさそうだ。需要と供給のバランスということで黙認というところか。必要悪という言葉、そして日本の風俗店を思い出してしまった。
 大通りの角には段ボールの裏側に行き先を書いてヒッチハイクをしている男性が。

 僕が見た、体験したことは米俵の中のたった一粒の米に過ぎない。しかしそれは正真正銘の米であって、麦でもとうもろこしでもない。報道に出てくるものもまたたった数粒の米に過ぎない。玄米ではなく精米ということだって十分ありうる
 やっぱり二日目の報道がどうも腑に落ちない。たしかにスト二日目を迎え人々には疲れが目立ちはじめ、やり場のない怒りを感じ始めた人も多くいたはずだ。それは間違いのない事実。多分そこには大衆の「民意」というものがあるのかもしれない。それにしてもどうしてああいった同じ言葉が誰の口からも飛び出してきたのだろう?

 関東大震災の直後こんな風説が流れたという。
「朝鮮人が放火をしている」
 そして後悲惨な事件が起こった。後の調べでそういった(風説のような)事実はなかったことが判明したという。

 数時間の散歩を終えて帰宅。スト終結を伝えるニュースを見ている。少しずつクラクションが減っていくのを感じている。
 会見時の市長の顔は「人は戦争に勝った時にはこんな顔をするのかもしれない」、と思わせるものだった。第二次世界大戦終了時の各国の首脳の顔を想像してみる。

 テレビの画面を通して見られる家路を急ぐ人々は誰もが笑顔を交えて「うれしいよ」と言っている。業務に戻る組合員も質問のあと少しだけ間をおいて「うれしいよ」と口を動かす。ストそのものが中止になっただけでまだ何も解決されていない。同じ音の言葉にもかかわらず意味はちがう。

 市長は「減刑は選択肢にない」と言う。
 ユニオン(労組)側のリーダーの表情は数年前に捕らわれた時のフセイン元大統領のよう。

 会見の中で市長は、「これから地下鉄や市バスの職員に会ったら『さみしかったよ』
『おかえり』と声をかけてあげて下さい」と言う。

<(たぶん)次回につづく>





◆◆◆◆◆◆◆◆◆
『ボヤキTV』というのができました。

 ニューヨークの日系誌に三年ほど連載している僕のコラム『犬のボヤキ』とこのブログをあわせたようなコンセプトで作っていただいています。ニューヨークの街角でブツブツと言っている動く僕を見ることができます。
 正直言って「観て欲しい」と「観ない方がいいんじゃない」という気持ちが半々です。

 まぁ、これからもボヤいていきます。直らないでしょう。



『ボヤキTV』》←コチラです!
[PR]
by seikiny1 | 2005-12-23 15:58 | ニューヨーク
ニューヨーク
 【自覚】
 手元にある辞書を引いてみると、
 自分自身についてはっきりと知ること。
 ①自分の状態・地位・任務・価値がどんなものかを、よくわきまえること。そのわきまえ。
 ②自分で感じ取ること。
 ③〔仏〕自分が主体となって迷いを断ち、正しい道をさとること。
  とある。
 辞書を引く前に僕が思っていたことは、
 病気などで言う自覚症状。鼻水が止まらない、などといった自分でわかっいている不具合が意識できる状況。
 それとは別に、意識はしていなくとも、既にそこに備わっている自覚というものもあるように思う。時として、外からの力によって気付かされる。
 日本人としてニューヨークに暮らす。
 このふたつの条件を常に意識しているわけではないけれど、折にふれ<自分が日本人であること>、<ニューヨークに暮らしていること>を気付かされる。
 自覚とは緊張感と表裏一体なのかもしれない。

 やはり気にかかるのは、最近の中国や韓国の日本に対する動き(それは国家だけではなく、個人をはじめとする<人>にまで向けられているように思うのだけれど)。日本からもらうe-mailには「ニューヨークは大丈夫?」、といった内容の文が添えられていることが多い。少なくとも今の時点ではこれといった問題はない。

 この街の魅力、そしてそれを作り上げている要素のひとつに緊張感というものがある。別に常にピリピリとしているわけではない。たまに頭の上にのっけたお皿を意識してしまう、そんな心地よい緊張感。ハッ、と精神が引きしまる瞬間はほかの都市よりはまだまだ多いはずだ。
 それは<危険と同居している>、といったわけではないのだけれど、電車で隣に座っている男がいきなり拳銃を引き出し僕の頭に銃口をあてても何の不思議もない。そんなことを納得させる空気が流れている。ゆるんだ空気の中にさえ張りつめたものを見つけることが出来る。ここは、そんな緊張感の上で常にバランスを取り続けている、まるでやじろべえのような街。支えているのは、なんともたよりないまるで針のような支点。
 月並みな言葉に「ニューヨークはアメリカではない」、といったものがある。それだけ様々な国から来た人や、文化的背景を持つ人々が<共存>している。それぞれが、自制とけん制を行いながら。主張と妥協を繰り返しながら。それぞれが、何とか理解しようと泣いたり笑ったり。そんな中から道を見つけていく、生きていく正直な姿がここにはある。
 こういったバランスのとり方が、現代の国際社会の理想なのかもしれないと思う。
 人間という事意外に何の共通項も持たぬ者同士が、ののしりあい、主張をし、そんな中から何かを見つけていく街。見つけることができる街。強烈な欲望と安堵のための衝突の街。
 ここにいる者達が-国を捨ててきた者達ばかり-と言われてしまえばみもふたもないけれど、人間は誰もが弱い。決して一人では生きていくことはできない。たとえ横にいる者が悪とわかっていても、足並みをそろえなければならない時もある。弱い者が自分の弱さを認め、それが許される街。弱い者の心がわかるような気にさせてくれる街。

 この街で民族や宗教間の大衝突が起こり、それを収拾しきれなくなってしまった時、それは世界の終わりかもしれない。

 十年以上前のことだけれど、黒人と朝鮮半島出身の人々の間に短期間にいくつかの小さな衝突が繰り返された。ちょうどロスで黒人の暴動(この暴動という言葉で表現されきってしまうことにも、いまだに疑問が残っている)があった頃の前後であったように思う。この時も、それはある程度の規模以上になることはなく次第に沈静していった。

 中国人の友達が言った。
 “I love my country, but I don’t like my government. And I LOVE NEW YORK!”
[PR]
by seikiny1 | 2005-04-24 13:05 | ニューヨーク
白色の街
 本当に白いイヤフォンをよく見かけるようになったものだ。別に欲しいわけではないけれど気になる。それだけi-podが売れているということ、そして白のヘッドセットが珍しく、目につくということだろう。この色にしたのは僕達が考える以上に、時代を読んだ、時代を変える大きな決断だったのかもしれない。

 長い間オーディオ機器といえば<重厚長大>が良しとされてきた。やはりそこには音が安定するという理由があるのだろう。そして色と言えば黒とシルバーが基本であり、それ以外の色をあまり見かけることはなかった。色に関しても重厚なイメージを大切にしてきた結果だろう。そして白までの過渡期にはウォークマンに代表されるような俗に言うパーソナル・オーディオそして携帯電話の普及で様々な色が出た。しかし僕の知る限りでは白は珍しい。しかも常に外部に出ている物、イヤフォン。それらはついこの間まではイヤフォンとは呼ばれずヘッドフォン、ヘッドセットだった、色は黒。
 白色。それには軽快な、清潔なイメージが宿る。医者はや理師は白衣を着る。何らかの安心感を与える作用もあるのかもしれない。しかしそれは使いようによっては軽薄、華奢にもなり、ことイヤフォンに関しては深夜にテレビを観ていた父親の背中とダブる。数十年前のパーソナルな音の出力機器はモノラルで安っぽいつくりのイヤフォン。色々なコードの長さの物が売られていた。ペラペラの膜が振動しているような音がまたその時代にあっていた。今にもコードが「プチッ」と切れたり、「バキッ」という音と共に膜が破れそうなイメージが伴う。
 i-podは《白》という結論を出した。

 その色が珍しいだけに人目を引く。イヤフォンという古典的な名称。そういったものがまたそれを持つ者の心をくすぐるのかもしれない。革新的な差別化戦略とも言える。ターゲットはコンピューターを持つ人がほとんどだろう。時代はもうそこまで来てしまっている。「持っていて当然」という強気の戦略。これはコンピューター需要の掘り起しにもつながる。
 イヤフォンの先にはi-pod。その先にはコンピューター。そのまた先にはそういった生活レベルにある人。そんなことが連なっていく。

 こういうものを持つ人が爆発的に増えるということは、今、マンハッタンは景気がいいのだろうか?そんな世界とは全く無縁な僕にはわからない。そしてここ数年はビルの建設ラッシュでもある。それらのデザインに共通しているのは、ガラスやステンレスの多用。この街のあちこちに真新しく光り輝くビルが誕生している。それらが新しい街の風景の一部となり、不器用にこの街に溶け込もうとしている。
 これらのビル、白いイヤフォンと似たようなイメージを受ける。その押し出し方、コードの先にあるであろう物。新しく、軽快・清潔感がある。都会に住む者の心をやわらげ、少しだけ自意識を刺激してくれる。本当に持っているのかどうかさえわからないステイタスの中を漂わせてくれる。いい意味での誤解をさせてくれると言ってもいいのかもしれない。
 だが、白いイヤフォンは取り替えることが出来る。ビルは余程こまめにメインテナンスを行わなければ、時と共にその輝きは鈍くなってしまう。その求められる耐用年数はi-podとは比較することすら出来ないほどに長い。百年後に今のフラットアイアンビルに見られる、まるで使い込まれたあめ色のかばんのような光沢を放つことが出来るのだろうか?<味>が出ることまで計算して設計されているのだろうか?
 ただ、これは今現在の僕の価値観。百年の歳月を経ればその<味>といったものも変わっているのかもしれない。黒いヘッドフォンが白いイヤフォンに変わったように。今、都会を染めつつある白色と無色。それはいつの日か田舎の風景にさえ何の違和感もなく溶け込んでいるかもしれない。その時に都会の色は?

 オーディオ機器の定義も変わり、キャディラックもリンカーンも小さくなった。この国も小さくまとまる道を歩んでいるのかもしれない。国策と共振していると言えないこともない。重厚長大、軽薄短小。時代と共に価値観は変わる。

 どうやら白いイヤフォンが気になるのは僕だけではなさそうだ。i-podを狙った強盗が急激に増えているらしい。彼らは白いイヤフォンの先に何を見ているのか?
 昔、いつも真っ白な靴下をはいているホームレスがいた。
[PR]
by seikiny1 | 2005-04-15 13:39 | ニューヨーク
SOP
 気がつけばニューヨークの朝から青色が消えていた・

 お決まりの台詞ではあるけれど、「ニューヨーク、アメリカの朝はコーヒーの香りと共に始まる」。街行く人のほとんどが、コーヒーの入ったカップを片手にある者は会社へ、そしてある者は学校への残りわずかな道のりを急ぐ。
 以前よりはあらゆる意味で<洗練された>かのように見えるニューヨーク。それは新しいビルや、こぎれいな服装に身を包む人たちだけではない。あらゆる要素が、あらゆる方向からひとつの方向を目指し、流れているのを感じる。
 人々が手にするカップも(相変わらず使い捨ての紙製ではあるけれど)古くからの青色のものから、スターバックスに代表されるような、白や薄い色を基調としたシンプルなデザインな物へと変わってしまった。無駄を嫌う都会生活というものに実にマッチしていると言えない事もない。

 スターバックスが雨後のタケノコのように増え始めてから十年くらい経つのだろうか?
 おかげで、お金さえ出せば僕の好みに少しだけ近いコーヒーを味わえるようになった。アメリカ人の中には「コーヒーってこんな味なの?」、と驚いた人もいたことだろう。それが今では、普通の味となりつつあるのかもしれない。今、アメリカに来た人にとってニューヨークの朝の色は白色と映っていることだろう。しかし僕の中のコーヒーの値段は未だに五十セントでなければならない。白色のカップはいまだにぜいたく品としての位置を占める。あの青色のバタ臭いデザインのカップが僕のニューヨーク。
 スターバックスのコーヒーは味、値段、カップのデザインで多くの都会生活者の波をつかみ、その上それらを自らの波に巻き込む事により成功をしたのだろう。「こういう味のコーヒーもある」、ということを提案するだけではなくその外見でも多くの者を飲み込んでしまった。その波に抗うことが出来ず、(中身はともかくとして)多くのデリなどで使う紙コップもシンプルなデザインの物にとって変わられつつある。スターバックスのカップを持つことは、人気のブランドの紙袋を持つことで得られる満足感に似たものが得られるのかもしれない。

 街は変わり、人は変わり続ける。いや、その逆か?
 これだけ外観が極端に変わっても、朝のコーヒーの習慣は変わることなく自分の身の回りの無駄を省く考えはあまり変わらない。おいしいコーヒーの需要は確実に上がっているだろう。工事現場で休憩を取る人たちですらスターバックスのカップを手にしているのをよく見かける。ここまである、多分計算しつくされた、影響力。それらの経験や、計算を生かしてこれからはもっと別の方面に使えば、まだまだいい世の中になることだろう。
 たとえば<本当の意味での>無駄を省くことを新たに考えさせる機会を提示するなど。紙コップは個人の労力や生活の無駄を省くであろうが、いかにそれが再生紙を使用していても無駄であること、ゴミを出すことには変わりない。マイカップを持つことのかっこよさを、彼らの持つノウハウで伝えればニューヨークの朝の風景もまた違ったものになるかもしれない。そんなことから様々な事に気付く人が増えるかもしれない。中身がカップについていくことがあるように、人間が後についていく可能性だってあるのだから。最初は目立たないものでも、それが当然なこととなる日も必ず来る。
 こういったノウハウを悪用する者が出ないことは、ただ願うばかり。
 企業をはじめ影響力を持つ者、計算をすることが出来る者がその向こうに見る<何か>を少しずつ変えるだけで何かが確実に変わる。それが出来ない変化ならばいらない。青いカップのままでいい。

 五十九丁目で久しぶりに買ったコーヒー。うれしい事に青いカップだった。そのまわりには<Continental Airline>の文字が巻かれていたけれど。
 値段は五十セント。航空会社のおかげであるのかもしれない。
 SOP(Same Old Price)
 相変わらずのニューヨークの味、薄味だった。

 先日、ニューヨーク近代美術館のギフトショップを覗いた際、青いカップを見つけた。
 それはなつかしのデザインで、陶製になっていた。
 あのカップには紙の質感がよく似合う。

 Same Old Song.
[PR]
by seikiny1 | 2005-03-29 11:13 | ニューヨーク
Hold it!
 ニューヨークの地下鉄の運賃と、ピザのワン・スライスの値段はおっかけっこをしている。「そろそろ、ピザも二ドルで定着するのかな」、と思う今日この頃。
 地下鉄が好きだ。Subway好きだ。ニューヨークの地下鉄が好きだ。
 地上を走っている区間もかなり長いので、厳密に言えば<地下鉄>ではないかもしれないけれど、ここではそう呼ばせてもらう。ニューヨークの人達はこれを単に<トレイン>と呼ぶ。
 行くあてもなく、乗る路線も決めぬまま、ただフラリと地下鉄に乗り込んでしまうことがある。僕にとってこれは単に<点と点を結ぶ>だけの手段ではなく、一種独特の動く空間。乗る路線、時間帯、同じ路線でも上りと下りでは全く別の顔を見せてくれる。
 僕がニューヨークに来た当初、様々な、それでいて不思議な統一感のある落書きで地下鉄車両は包まれていた。当時の旅行ガイドブックにはお決まりの言葉が、「地下鉄に乗ることは出来るだけ避けよう」。しかし、その外観も含めてそこにはやはりニューヨークがあったように思う。今でも外観こそきれいにはなっているけれど、やはりそこには普段着のニューヨークを感じさせるものが乗客の数だけ、いやそれ以上に満ちている。
 あの当時、ピザは一ドルだった。

 自分自身が「ホームレスになった」、と認識した時真っ先に買ったものは<メトロカード>と呼ばれる地下鉄の定期券だった。地下鉄でとりあえず寒さをしのぐつもりの買い物。そこには乗り降りする人だけではなく、乗りっぱなし、住み暮らす人々もいる。その数や清潔度で行けば日本よりはグッと落ちてしまうけれどトイレを設置している駅もあり、一日中乗っていれば、ホームレスのために無料でサンドイッチを配って歩く人たちとも出会えるのでとりあえず困ることはない。ただ、今でも地下鉄が好きなのはそういった理由からではなく、やはりそこにニューヨークを、アメリカを感じることが出来るから。

“Hold it!”
 今降りたばかりのおじいさんが叫んでいる。
“Hold it!”
 再度、叫ぶ。その数秒後に階段から一人の女性が現われ車内に消えた。車両の中ほどから身を乗り出していた車掌さんは。それを見届け、前後を確認した後にようやく出発進行。誰一人として文句を言う乗客はいない。こんなことがたびたび起こるのもやはりニューヨークならではだろう。時刻表というものを持たない運行ダイヤに支えられているからこその風景。これが日本であればまず許されない。ダイヤは秒単位で刻まれ、乗客は最低でも百数十円の運賃を払っている。それこそ、寸秒の狂いも許されず、駆け込み乗車をしようとすれば駅員さんに怒られてしまう。幸いに乗り込むことが出来ても、しばらくは先客の無言の圧力に耐えなければならない。こういった厳しさは、その運賃とも決して無縁であるとは言えないだろう。
 僕が愛するニューヨークの地下鉄の風景。
 ニューヨークの地下鉄はいつ来るかはわからない。それでもいつかは必ずやって来る。そんな感情のレールの上を走る乗り物とも言える。

 フレッド・アステアの映画の中で、発車間際の地下鉄のドアの間に傘を差し込み「チョチョッ」とした後にドアが「スーッ」と開くシーンがある。
 実際にはそんなことは起こらない。
 人々は閉まりかけたドアに腕をねじ込み乗り込んでくる。誰かが半身を挟まれてもがいていると、見ず知らずの人達がドアに駆け寄りそれをこじ開けてくれる。そんな人達が肩を並べて座っている地下鉄。そこには俗に言うところの<安心感>は少ないかもしれないけれど、人々のそういった姿が僕を安心させてくれる。

 ニューヨークの地下鉄にはいつまでも時刻表はいらない。出来ればピザも値上げしないで欲しい。どちらも大好きだから。
[PR]
by seikiny1 | 2005-03-08 12:54 | ニューヨーク
あさましき哉、我が胃袋
 この冬一番の大雪の夜、ほかの日本人ニューヨーカー達はどのような夜を過ごしたのだろうか?
 僕はとてもあさましい男になっていた。大雪の中、お寿司の食べ放題へと出向いたのだ。
 ここニューヨークでお寿司の食べ放題の歴史は案外古く、僕の知る限りでも十五年程前にはかなりの日本レストランがそれをやっていた。しかし想像を絶する大食漢の前でシャリを大きくしたり、ネタを薄くしたりという小手先の防御が通用するはずもなくある者は破れ、またある者は店をたたんでいった。そうした中でも脈々と食べ放題を提供し続けてくれていた店もあるが、その数は往時の比ではない。
 「なぜ大雪の夜にお寿司の食べ放題なのか?」、と思われる方も多いことだろう。
 理由は三つある。
 まずそのお店の職人さんを知っていた。ただ知っていただけではなく、その方が長い職人歴を持ちキチッとした仕事をされる事を知っていたからだ。
 次に、先週までの他出では全く日本食を口にしておらず、彼の地でかつての大きさを取り戻した僕の胃袋が求めていたからでもある。
 しかし最大のきっかけとなったのは、他出から帰宅して開いたニューヨークの日本人向けフリーペーパーの特集が食べ放題であったからだ。表紙を開くとまず眼に飛び込んできたのが<お寿司食べ放題>の文字。読み進むうちに職人さんは旧知の方とわかった。その瞬間にもう一人の僕の目には、あさましい姿でただ、ただ寿司を食らう自分の姿が映っていた。しかしその記事には但し書きが。<お寿司の食べ放題は土曜日と月曜日のディナーのみ>との事。
 こうしたわけで、はやる胃袋を押さえながら大雪の夜にお寿司の食べ放題へと足を運んだわけだ。
 時間制限:二時間、お値段:十八ドル也。

 あの大雪である。「まさか」、とは思っていたのだが案に相違して開店から三十分程しか経たない店内はほぼ満席であった。ギリギリではあったが、待つこともなくなんとかテーブルにつく事が出来た。その後も続々とお客さんはドアをくぐってくる。空席待ちのスペースはあっという間に人であふれ、一種独特の空気に包まれていった。

 ニューヨークに何人の成人した日本人が住むのか、その数の詳細は知らないが少なくともあの大雪の中、その中の0.数パーセントはあの店にいたことになるだろう。これは大きな数字だ。あぁ、あさましき我が同胞達よ。
 ニューヨークには日本人向けに発行されている数誌のフリーペーパーが存在する。その中で今回の<食べ放題>特集をうったものがその横綱であるところは誰もが認めるところだ。東の横綱・朝青龍の強さをまざまざと見せ付けられた夜であったとも言える。もちろん、この横綱相撲には読者のニーズと合致した記事であった側面もあるのだが、それ以上に横綱の恐ろしさを感じたのはそれが純粋な記事ではなく<記事広告>の匂いを持っていたからだ。
 たったひとつのメディアがコミュニティーを牛耳る危険性が、大雪の寿司屋の中には満ちあふれていた。そこにメディアの不遜な笑みを感じ取ることができた。
 考えてもみて欲しい、もし日本においてただ一社の新聞社のみが巨大化した時の事を。国民のほとんどはその新聞社の報道内容を真実だと思い込むことだろう。それは、また当然な成り行きと言えなくもない。報道は常に正確で、偏ったものでないということはない。もしその新聞が虚偽の報道をしたら?ある者に益となる事を前提としてニュースを報じたら?考えるだに恐ろしい。しかも、その報道する者の側に経験と、自らがやっている事の重大性に対する認識が欠落していたら?

 ニューヨークと聞いて<大都市>、<世界の中心>などの言葉を即座に連想される方も多いと思う。それはある意味では決して間違ってはいない。ただ、この街にある日本人社会はとても狭く、閉鎖的であり、まだまだ発展の途半ばにあるコミュニティーと言って間違いはない。 
 この地で情報に携わる《全て》の人にはメディアの責任感と誇りを持って欲しいと思う。日本語媒体のその多くがフリーペーパーという形態をとっている以上、そのスポンサーや広告主の存在は否定することは不可能に近いだろう。ただ、ある程度成熟してきた市場で次に留意しなければならないのは自らが発する情報の影響力の大きさを自覚することだと思われる。暴走が始まる前に。
 同時に互いが共存しながらも牽制しうる健全なものへと成長を遂げて欲しい。もちろん日本からの進出も大歓迎だ。

 政治や経済の世界を見てもわかるように、一極集中による弊害にははかり知れないものがある。選択肢を持たぬ者はただただ踊ら<される>のみ。
 先に挙げたフリーペーパーの前回の特集記事は<肉まん>であった。さて、一体何パーセント日本人ニューヨーカーが肉まんを食べたことだろう?余談だが、この特集の記事構成をどこかで見たことがあるのだが。

 ふくれた胃袋をさすりながら「寿司はしばらくいいな」、と何度もつぶやく雪の夜。
 自分のあさましさを少しだけ反省させる、胃袋の重さと風の冷たさであった。


 頂いたお寿司はとても満足のいくものであった事を付記いたします。
[PR]
by seikiny1 | 2005-01-25 10:35 | ニューヨーク
記事ランキング 画像一覧