ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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カテゴリ:アメリカ( 17 )
笑う男
「この男はバカじゃなかろうか?」、とよく思う。
「どうしてこんな場面で、笑みをもらすことができるのだろう?」
 そんな場面をこれまで何度見てきたことか。周りには「これはいかん」、と思う人もいるのだろうけれど、こればっかりは防ぐ手立てがないようだ。

 その笑みは<せせら笑い>に見えてくる。心のどこかで、誰かを、何かをバカにしているような。実際はそうではないのかもしれないけれど、彼のこれまでやってきた事、そこから推しはかることのできる人格を考えてみるとそれは<せせら笑い>としか僕の目には映らない。笑いとは、素直な感情なのだから。こぼれてしまう。
 その笑いは演技でも、人に接する際のテクニックでもないようだ。彼のその顔は<笑顔>というすばらしいものと比べるのがはばかられるほど、遠くかけ離れたところにある。それは笑顔ではなく、ただ笑っているだけ。笑いが漏れてしまっているだけ。彼の心のどこかにその発生源があるはずだ。自分でそれを抑制する事が出来ないだけ。
 とても気持ちのいいものではない。

 一方的な発言の時はさすがに少ないけれど、記者との質疑応答になるとどうしても笑ってしまう彼。一体何を笑っているのだろう?
 最近で印象に残るのは、ロンドンで起こった爆破テロの直後、そして今回のハリケーンの後。
 どうしても笑ってしまう彼。その向こう側に何百、何千の人が倒れていようとも。
 政治家、リーダーとしての資質以前の問題だろう。人間の質。

 数年前、この男によって、僕は「アメリカに裏切られた」、という感情をはじめて持った。
 そして、今は笑うこの男を見ながらこちら側もあきれて笑うしかない。開いた口がふさがらない。

 ジョージ・W・ブッシュ。
 あと三年か……。

 明日(九月十一日)は笑うなよ!


 さて、僕の中に笑う男がいないと断言できるだろうか?
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by seikiny1 | 2005-09-11 04:26 | アメリカ
出入り口
 ニューヨークで、アメリカで得た解放感に似たもの。それは、目に見えるもの、見えないもの、あらゆる間口の広さだろう。それは、この国の歴史に負うところが大きいはずだ。寛大に扉を広げ、世界中からの移民を受け入れてきた。その間口は以前と比べると格段に狭くはなってしまったが、それでもこれほどの移民を受け入れている国はこの国を置いて他にはないだろう、
 そんなところで生活をしていると、<入り口>という観念がかなり薄れてしまう。それは、あたかもそこに入り口というものが存在しないかのような錯覚を起こさせる事だってある(反面、種々の人々が暮らす国であるからこその入り口の固さを思い知らされる事もままあるのだけれど)。そうして、突如として閉ざされたい入り口に出遭ってしまうと「エッ!?」、ということになってしまう。入り口は入るためにあるのだけれど、その前に入る者を選ぶためにある。

 考えてみると-当然のことなのかもしれないけれど-、入り口の起こりとは多分、拒否する事だったのだろう。受け入れるためではなく。外部から、外敵から身を護るために。
 家の玄関から見知らぬ人物がゾロゾロと入ってきたら、それはおっかない事だ。世界中で城壁に護られて発達した古い街を見ることが出来る。そういった街への出入りは、衛兵に護られた城門からしなければならなかったようだ。
 自由に入る事が出来る。そこにはお互いの信頼関係がなければならない。<自由>とはまた違うが、そこに無言の契約があるからこそ入り口を開き、また入る事が出来る。

 オフィスまで毎日自転車通勤をしていた彼。久しぶりに会った彼は普段のバイク・スーツではなくオフィス着(スーツ)に身を包んでいた。「???」の問いに彼は、ロンドンのテロ以降オフィスのあるビルのセキュリティーが固くなり、自転車をオフィスまで持ち込めなくなってしまった、と答えた(彼の高価な自転車は路上に停めておけるシロモノではない)。
 確実にこの国でも入り口は狭く、硬くなってきているようだ。それは仕方のないことなのかもしれないがやはり寂しい。この国の大好きなところなのに。
 入り口は拒絶するためにある、ということを最近切々と感じる。

 入り口から入る事が出来ない。それは哀しい。
 出口から出る事が出来ない。それは怖ろしい。

 先日帰国する折の事。エアラインのカウンターで手続きを済ませ「××番ゲートへ、出発の一時間十分前までには行っておいて下さい」、と言われた。頭をひねりながらも、その言葉に従わないわけにはいかない。
 ゲートのあるビルの入り口で通常のセキュリティー・チエックを受け、当該ゲートまでの長い廊下を進む。アメリカ行き便の出発ゲート。そこは幾重にも棟が交差したビルの一番端だった。そこだけ黒いテープで囲まれていた。そこには再度セキュリティー・チエック・ポイントが設けられていた。その向こうでは、(アメリカ市民、旅行者など)全ての乗客に対して十五分間ほどをかけ、個別に質問が行われていた。それに当たっているのは、もちろんアメリカの出入国管理官ではなく、出発国の係員の人達。
 出口を固められている。と言うよりも、他国の出口を自国の入り口として使っている。
 飛行機の座席に落ち着いた時、トム・ハンクス主演の映画『ターミナル』が頭をよぎった。

 出口がないことほど怖ろしいことはないのかもしれない。

 何もなかったかのように飛行機は定刻に離陸した。
 アメリカの入国審査には30秒もかからなかった。
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by seikiny1 | 2005-08-22 05:58 | アメリカ
中華度数と安心度数(3)
 一時間三十分というのはそう長い時間でもない。それでも僕の前では様々なもので出来た列が成長を続けていく。 紙袋、中国語の新聞、ペプシの空き瓶、小さく折りたたまれたチラシ、ガム……。
 育ち続ける列、それはまるでこれからバスに乗り込む雑多な人々の顔をのぞいているような錯覚にとらわれる。人影が近付いてくるたびに「さぁ、こいつは何を置いていくんだろう?」、と密かに胸を震わせて待つ。育ち続ける列。
 ついにそれまでずっとこらえていた笑いを抑えきれなくなる物をある男性が置いてしまった。彼は列の最後尾まで来て、ポケットのあちこちをまさぐっていた。どうやらポケットは空っぽだったようだ。諦めてしまったのか、彼はその場から歩み去った。
 しかし数分後に戻って来た彼は二十センチほどのトイレットペーパーをそっと置き、後ろも振り向かずに立ち去った。「もう何が出てきても不思議ではない!次はビールの栓だろうか、いや使用済みのケチャップの小袋かな?靴下か?」、と期待に胸を震わせていたのだけれど、その後は似たような物が延々と続くだけだった。ただ、白いトイレットペーパーだけが頼りなげに床から少し浮いて見える。
 僕の隣には南米系の男性が、その隣にはアメリカ人女性が座っていた。床の行列を除けば極めて中華度数が低い待合室だった。静かなBGM(英語)が流れている。本を読んでいる目の端に床を掃除している男性の姿が見え隠れしだした。あちこちに落ちているゴミをほうきでちりとりに掻き込んで歩き回る。当たり前の話だけれど、とても不規則な動きで視界から消えたり、現われたりを繰り返していた。だんだんと彼の足が大きくなって列の方へとやって来た。「やめろ」、僕や他の人の言葉を無視して列の中ほどにあるトイレットペーパーをも彼は掻き込んでしまった。
 バスの発車時刻も迫り待合室の中華度数は徐々に、しかし確実に上昇し始めた。動かない男が目の端に映った。列の前に立ち尽くす男。無言で床の一点を凝視していた。その後ろでは一人の女性が不安げに彼を見つめている。トイレットペーパーの男だった。見るに見かねた僕達は、誰からともなく身振り手振りを交えながら男に事情を説明するとやっと彼の表情も和らいで、あるべきものの場所に立った。
 さぁバスが来た!ゲートのドア付近での先ほど同様のひと騒動の後、やっと僕の番が巡ってきた。ニューヨークへ帰れる!これまで数多くのバスの旅をしてはきたけれど、これほど座席に座って安堵したことはなかったように思う。安心度が急上昇をした一瞬だった。

 安心とは大河に身を委ねるようなものかもしれない。川に身を投じる時にはうろたえ、恐怖、不安など様々な感情が去来する。しかしいったん飛び込んでしまったからにはそれに身を任す他はない。その流れに身を任せていればいつかは海へと出ることが出来る。大河そのものだけではなく、そこにあるものを使いながら、避けながら流れていかなければならない。ただ、大河に身を任せたからといって百パーセント安心できるか?といえばそうではなく、置いているはずのトイレットペーパーを誰かが捨ててしまうようなことだってありうる。また、川はひとつではなくその流れも一様ではない。様々なもの達の行列が当たり前の川もあれば、整理券を発行する川、空席待ちの乗客をコンピューターで登録しておき順次呼び出してくれる川、様々な川がある。この川での流れ方が、あの川では通用しなかったり、同じ川でも翌日には水かさが増してしまって何の意味も成さないことだってよくあることだ。今、ポケットの中にあるお金でさえも明日には使えなくなってしまっているかもしれない。その川、その川の流れを読んで身を投じる。それでも、百パーセントの安心はもらえないことを肝に銘じて。
 小さな急流を下れば早く海に出ることができるかもしれない。しかしそこには危険が伴う。安心度が下がってしまう。昔のニューヨークはやはり面白かった、しかし安全でもなかった。安心を求めれば何かを失ってしまう。得るということは、失うということの裏側であるのだから。そんな事をはかりにかけながら、僕らはエッチラ、オッチラ歩いていくのかもしれない。そこが決して、居心地がよい、といえない川であることがわかっていても安心の為には身を投じてみる。そうして流れに身をあわせながら、そんな流れの中からでもきれいな石を見つけ出すことは必ず出来るのだから。
 そして自分が川になった時にどう流れて、流していくか?そんな事を考えながら流れていこうと思う。

 ただ、ただ不思議なのはやはり中国の人たちだ。ここがアメリカという土地であり、<バスで旅をする>といったある意味特殊な環境下であるからかもしれないのだが、どうして彼らは既にあるアメリカのシステムを踏襲していかないのだろう?そちらの方が運営する側も、利用する側も快適で効率的であるはずなのに。彼らの中にはやはり「川の流れは自分たちで作り上げていくもの」、といった大きな無意識が流れているのだろうか?中国(清国)のことを<眠れる獅子>と呼んでいた時代があったと聞く。確かにゆっくりではあるけれど、この獅子は立ち上がろうとしているようだ。しかし他はもっと、もっと速いスピードで駆け回っている。この獅子は一体いつ起きるのだろう?
 香港にできるというディズニーランド。あそこにも不思議なものの列がいくつも、しかも文字通りの長蛇が出現するのだろうか?
 多くは望まない。僕が死ぬ前にちゃんとしたバスの発券システムが確立されるのを願う。

 安堵の為か、バスに乗り込んですぐに眠りに落ちてしまった。しかし、まだ出発の町を抜けきれない内に目が醒めてしまった。頭の片隅には、どこかの港町で船に積み込まれる人々の列の中に立つ自分の後姿がくっきりと映し出されていた。
 ニューヨークの街明かりがこれほどきれいに見えた夜はなかった。
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by seikiny1 | 2005-02-28 15:13 | アメリカ
中華度数と安心度数(2)
 もう暗くなってしまったガラスの向こう側に近付いてくるヘッドライトが見える。あちこちに腰をおろしたり、立っていた人々がてんでバラバラに押しあいへしあいしながら四つのゲートへ向かい出した。数分もすると、それぞれに凸凹で何の統一性もないのだがそれでも列らしきものが出来た。やはりドア付近に置かれていた新聞紙や、紙袋たちは人のかわりにそこへ並んでいたようだ。時が来てそれらが人に取って代わられても、何の違和感も抱かせないのがこれまた不思議なのだけれど。この不思議さはなんなのだろう?
 しかし、その列らしきものを見た途端にまた少し安心度が上がった。一番怖れていたのは、地下鉄の乗降やお店などでの清算時によく見られる、もみくちゃにされる<列>や<順番>という観念がないかのように、われがちに己の目的遂行のために突進する彼らの後ろ姿だったからだ。「あの動きをこれだけの人数でやられたら、とてもではないけれどたまらない。ニューヨークへ無事帰着するのは不可能かもしれない」。その列は暗闇の中で見つけた一条の光にも似た輝きを持っていた。しかし安心していても帰ることは出来ない。ニューヨーク行きのバスを見つけ出さなくては。各列についている人に声をかけ行く先を訪ね歩く。一体何人の人に声をかけたのだろう?ようやく何とか英語が通じる男性に行き当たり、ニューヨーク行きのバスのゲート番号を教えてもらうことが出来た。
 8番ゲートに列を成す人々の最後尾につく。自分の前に立つ人の数を数えてみて一安心。何かの拍子でこの人数が倍近くになったとしてもまだなんとか大丈夫だ。再び安心度が上がる。
 しかし、その数分後にそれは再度急降下を始めた。ほぼ中国と化したココでは日本人やアメリカでの常識では考えられないことがやってくる。なにが起こっても不思議ではない。油断をしていた自分がただ悔やまれた。
 バスから降りて来た乗務員がゲートのドアを開くのと同時に、そのドアをめがけてあちこちから人が殺到し始めたのだ。「何でこの人たちは列につかないのだろう?」、と先程から少しは気になってはいたのだがそれほど深くは考えていなかった。その人達がドアに殺到している。列など作る気は全くないらしく、乗務員の女性が中国語で何か叫んでいる。少しずつではあるけれど、人の波はバスへと吸い込まれていく。
「おい、こっちの列はなんなんだ?」
 不安度がかなり上がってしまったので意を決して乗務員のところへ向かい尋ねてみる。よかった、英語が通じた!
「乗車券を見せて」
 言われるままにポケットの中の物を差し出すと、「あそこに並んで順番を待っていて」と言う。やはり僕が並んでいた列で間違いはなかったようだ。「それじゃこいつらはなんなんだ!?」。色々な状況や、限られた英語での説明から察するに、どうやらゲートに殺到した人々は、当該日・当該時刻の記載された乗車券を持っていたようだ。それには確か座席番号も記載されていたはずだ。それでも彼らは我先にと走る。入り口でもみ合っている。あの番号はただ書かれている飾りに過ぎないのだろうか?いや、そんなことよりも乗車時にちゃんと帰りの日時を告げたにもかかわらず、全く見当違いの帰りの乗車券を渡すその神経、システムはなんとかならないものなのだろうか。しかし、これまで十数年間の様々な経験から、僕の中にはこと中国系の人々に関しては諦念の感に近いものが出来上がっていると言えないこともない。全ての人がそうであるとは決して言わないが、実際にそういった人を知っている、「この人たちのマイペース、世界の中心は自分である」とも見て取れる言動はもしかしたら確信犯であるのかもしれない、とすら思うことがある。なにかの問題の前で、気付いてみればいつのまにやら主客が転倒している、といった場に何度出くわしたことか。
 とにかくニューヨークへ帰らなければならない。帰りたい!ただその事のみを念じて、今では<空席待ち>とわかってしまった動かぬ列に立ち尽くす。「何で俺が空席待たなきゃいけないんだ!」
 数分後に、ゲートドア付近の押し合いへし合いもおさまり空席待ちの列がやっと少しずつ動き出した。「これでやっと帰れるんだ!」、と安心したのもつかの間。僕の二人前の乗客でドアは無常にも閉ざされてしまった。満席……。
 乗客を満載したバスは行ってしまった。次の便は一時間半後に出る予定だ。われに帰って見回してみると、つい先程までチャイナタウンの様相を呈していた待合室に人影はまばらで、そこはどこの町にもある夜のバスターミナルとなんら変わるところはなかった。

 「チッ」、僕の前に並んでいた中国人の男性は軽く舌打ちをしタバコを取り出しながらもまだ立ち尽くしている。彼を横目に僕はドアのまん前に荷物を置き、すぐそばの椅子に腰をおろし腕を組む。やはり人間は学習するものなのだ。その場その場の状況に対応していかなくては前へは進めない。ニューヨークへは帰れない。しばしタバコをふかしていた彼も僕のかばんの後ろに赤いビニール袋を置くと、後ろも振り向かずエスカレーターで上の階へと向かった。


<つづく>
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by seikiny1 | 2005-02-26 10:15 | アメリカ
中華度数と安心度数(1)
 その朝、予定していたバスは満席で乗ることが出来なかった。次の便までの時間をつぶすために歩き出したその時、先ほど通り過ぎた別のバスの乗降口から「ファイブ・ダラー」、と中国訛りの女性の声が。行き先を尋ねてみると僕の目的地と同じだった。本来なら往復十五ドルの運賃も、空席を埋める為に叩き売りにかけられるらしい。バスは出発時間をすでに十分経過しており、僕が乗りこむ同時にドアは閉じられた。乗務員の女性に帰りの日時を述べたが「これは三日以内であればどの便にも乗れるから」、との説明と共に渡された青い切符には出発日と同じ日付で午後五時と記されてあった。全てが中文で書かれており。僕にわかるのは数字、それと裏面に記された時刻表のみ。
「ハイ、十五ドルね。席は後ろの方の空いている所に座って」
「???」
 その後なぜか女性には急に英語が通じなくなってしまった。さっきの五ドルはなんだったんだ?それでも、朝の便に乗れたので良し、と自分を納得させ座席へと向かう。座るか座らぬか、という時にバスは動き出し、中国語でなにやらアナウンスが始まる。それが終わると中国語字幕スーパーつきの中国映画が車内に流れ出す。
 外部からはごく普通のバスに見えるだろうが車内の中華度数は八十度を軽く超えていた。

 ニューヨークでは前夜にまとまった雪が降り、街を白一色に包み込んでいたけれど残念ながら海辺の町に雪を見ることは出来なかった。それでも浜辺には何匹もの野良猫たちが日向ぼっこをしており、カモメたちは海に向かってうずくまり高い波の立つ海面と対照を成してのどかな風景を作り上げていた。日常から離れた非日常の僕を、歴史ある街はやさしく迎えてくれた。期待に違わず、そこでは日頃にも増してリラックスした足掛け三日間を過ごすことができた。ただ、たった一つの気がかりはやはり帰りのバスのことだった。
 大丈夫かな?

 バスターミナルへと向かう長いエスカレーターを中途まで降りたあたりから、その待合室内の中華度の高さが感じられてきた。その高さに伴い不安度の方も急激に増加する。全てが視界に入ると、その双方が九十五度ほどまで上昇しているのに気付く。まるでチャイナタウンに紛れ込んだような気分になる。
 まず出発ゲートを探そうと、案内のモニターを覗き込む。どうやらほぼ同じ時刻に、別々の行き先ではあるけれども四台の中国系バスが出発するようだ。「ゲート番号は?」、と思い探してみるがそこにあるのは「999」という数字。このバスターミナルには1番から10番までしかゲートはない。不安に包まれたまま待合室内を見渡すと、少し先に“INFORMATION”の文字が。カウンターの向こう側に座る係りのアメリカ人女性はもちろん英語がしゃべれた。こちらも少し安心し、ニューヨーク行きバスの出発ゲートを尋ねると「7番から10番までのどれかのはずよ。私にもあのバス会社の事はあまりわからないの」、といった返事。またまた少しだけ不安度が増す。それでも、ゲートを四つに絞ることが出来た。そのゲートのドア付近へ行ってみると中国語の張り紙と時刻表が。数字と行き先意外は全くわからない。不意に床に目を落としてみると、そこには紙袋、新聞紙、かばん、帽子、ビニール袋、マフラー、手袋など様々なものが置かれていた。並べられているのか、ただ散乱しているのか、無意味に置かれているのかすらも判断できかねなかった。
 頭を抱え込んだまま、とりあえずいすに腰をおろしバスの到着を待つことにした。

 待合室の内部に急に渦が巻くような大きな動きが感じられた。


<つづく>
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by seikiny1 | 2005-02-25 08:52 | アメリカ
霜の奥のDeep Blue
「パチッ」 「パチッ」 「パチッ」 
 ニューヨークの冬は乾燥している。毎年のことだがこの季節になるとあちこちで静電気が火花を散らす。
 乾燥している時に飲むビールは格別で、それが一番美味しく感じることが出来る季節でもある。
 そしてアイスクリームもことのほか美味しい。

 これまでの人生で一番美味しかったアイスクリームが現われ、そして消えて十年程になる。アラスカ・アイスクリーム。
 初めてその名を耳にしたのは、毎朝聴いていたラジオ番組の中だった。それは宣伝ではなく、ラジオのパーソナリティーが「美味い!」という感想を話していただけだった。そうであったからこそ強い印象を受けたのかもしれない。
 真っ青なコンテナにはいったアラスカ・アイスクリームはまたたく間にそこここの店の冷凍庫をブルーに染め、そして消えていった。まるで台風のように。台風の去った後、そこにはあたかも何事も起こらなかったかのように再び静寂が訪れた。
 アメリカ人のデザート、甘い物好きは有名だがアイスクリームもその例外ではない。昼食時のレストランの隣のテーブルで、スーツを着込んだ年配の男性達が食後に買って帰るアイスクリームの味について意見を闘わせているのを耳にするのもそう珍しいことではない。

 突如として現われ、そして消えてしまったアラスカ・アイスクリーム。
 多くの人に忘れ去られた頃、その原因をスーパーマーケットに勤める友人から教えられた。あまりにも爆発的な伸張を見せるその売れ行きに恐怖を抱いた業界最大手である某メーカーからの圧力であったらしい。はっきりと言ってしまえば、「アラスカを置くならウチの商品は全部引き上げる」、という半分脅しのような宣告だったという。
 もしこれが少しずつ販路を拡大していった地元のアイスクリーム・ショップや、他の地域でしっかりとした実績を持つメーカーだったら話もまたかわっていたのかもしれない。悪性のウィルスのごとく急激に拡大したアラスカ・アイスクリームは、脅威以外の何者でもなかったことが察せられる。
 「出る釘は打たれ、打たれた後にこそその真価が問われる」、と言われてしまえばそれまでだが、こういった事件は夢の国、自由の国アメリカの持つもう一つの横顔であることに間違いはない。この国は夢、自由、平等、革新などの言葉で語られることが多いが極めて保守的でもある。ことさら最近は年老いた大国のイメージが僕の頭にまとわりついて離れることはない。一人のマイノリティー、異国人として生活をしていると事の大小こそあれそういった場面にも度々遭遇する。それは色々と形を変え様々な場面で、国策にさえも姿を現わす。移民の国として成り立ち、成長を続けてきたこの国が様々な理由があるとは言えそれを大幅に規制する動きをはじめたことにもそれは見て取れる。米国で航空機に搭乗する際に実施されるセキュリティー・チエックで国際線よりも国内線の方が厳しい意味がなんであるかわかりますか?
 民主主義とは所詮、机上の空論に過ぎないのだろうか?
 この国の短い歴史を見ているとついついそんな事を考えてしまう。
 
 確かにコンピューター・ウィルスは悪かもしれない。僕自身も何度もその迷惑をこうむった。しかし、その発生によって技術的に進歩し、改革がなされてきたこともまた否めない事実だろう。
 たった一つの大きな力のみの存在しか許されない社会は健全ではない。様々な個性がぶつかり合いながら、和を求めて試行錯誤を繰り返すことによって初めてそこになにかが生まれる可能性が生まれる、と信じる。他を完全否定することなく。
 仲良しなだけではなくケンカもする。自分に向かってくる者を問答無用で握りつぶす行為の後には何も生まれはしない。それは単なる足踏みどころか、後退以外の何ものでもない。本当に自分がかわいいのであれば、他に目を開き対峙すること。

 三年ほど前に、小さなデリの冷凍庫の奥に懐かしいパッケージを発見した。変形をしてしまい厚く霜に覆われてしまったディープ・ブルーだった。
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by seikiny1 | 2005-02-04 13:32 | アメリカ
文化マッチ
 タバコに火を点ける時
 日本人は押すようにマッチをする。
 アメリカ人は引くようにマッチをする。
「マッチをする」という言葉が日本では死語となりつつあるかもしれない。

 小さな頃、美味しそうにタバコを喫うまわりの大人達のそばにはいつも鶴の絵が描かれた徳用マッチの小型版(?)だった。
 少し時間が経つとそれは金属製のガスライターに取って替わられ、あっという間にその座を百円ライターに譲った。
 アメリカ映画やテレビの画面の中では男達、そして女達がさりげなく、しかもかっこよくマッチをすりタバコに火を点けていた。それは箱型ではなく、ましてや徳用でもないブックマッチ。たまに日本でも見かけることはあったが、それらのやすりの部分は映画のようにマッチの背中ではなく開閉する側についていた。

 Zippoの質実剛健のかっこよさにも惹かれたが、それでも僕をアメリカに引っ張ってきたのはマッチだった。
 朝陽の射し込むダイナーの長いカウンターでの朝食。
 無口なバーテンダーのいる、昼間の薄暗いバー。
 冬のビーチを散歩する恋人達。
 気付いてみたら、そんな小さな、ごくありふれた光景が僕の中に積み上げられていた。

 多分僕達、もしくはもう少し下の世代くらいまでが敗戦国としての自意識を無意識のうちに持っているのかもしれない。マイルドに洗脳されていたのかもしれないがやはりアメリカは憧れだった。決して洗練されているとは言えないが、そのバタ臭さが不思議な匂いを放っていた。そうして、その匂いに引かれ自分の気持ちに正直に僕は歩いてきたつもりだ。そんな空気の中で生活できる事を幸せに思う。
 ただ、もし、今の時代に僕が育っていたらどうだろうか?
 情報の氾濫ゆえのあまりにも多い選択肢。その上、アメリカに関する情報は多分以前では報じられなかったようなものまでも耳に入ってくる。そんな濁流の中でアメリカという枝を掴んだろうか?それ以前にその枝を見いだすことが出来ただろうか?たとえ運良くそれを掴んだとしても、それは小さな選択に過ぎず(しかもマイナス要因の多い)この国に来ることはなかったかもしれない。それを思うと、いい時期に生まれたと思う。

 禁煙ブームのさなか映画やテレビの画面の中に、かっこよくタバコを喫う男女を見出すことがめっきり少なくなってしまった。その上、強国の論理をゴリ押しするこの国から顔を背ける人も多いだろう。こんな、アメリカに夢を抱いて渡ってくる人達がこれからもいるのだろうか?
 僕はこれからもいるだろうし、そうあって欲しいと思う。
 日本にとって最も近い外国であることもその一因だが、やはりこの国の持つ文化の磁力というものはまだまだ大きいと思う。たとえかっこよくタバコを喫う男がいなくなっても、この国の文化は人々をひきつけ続けるだろう。
 文化には政治や経済を超える力がある。
 第二次大戦後の日本への進駐軍はそれを上手に使い統治をした。
 戦時下の日本でも、軍により検閲、統制が行われた。
 世界史をひっくり返せば、兵隊より先に宗教やそれにまつわる文化が送られた事も多い。
 政治家は文化の持つ力を知って、それを上手く操ってきた。

 願いはただ一つ、文化が政治を動かすことがあっても、政治家や金持ち連中の道具にはならないこと。


 僕の周りには未だにライターを使うことなく、マッチを使ってかっこよくタバコに火を点ける男達が大勢いる。
 あぁ、道はまだまだ遠い。
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by seikiny1 | 2004-12-20 09:18 | アメリカ
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