ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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縁。奇縁。
毎度思うのですが、人と人との結びつきってすごいなー、と。
「この人と会っていなかった……」
いいこと、悪いこと。
すべてひっくるめて縁。

神様はすごい!
おまけに最近ではネットの世界にも神様は棲んでおられるようで。
でも、縁があっても大切なのは「ピピッ」とくること。
そんな「ピピッ」が残って友達になって、
1+1+1が17くらいになったりしてゆく。
もちろん、たまに「あれれ」と思う人もいて、
-3.5になったりもするけど、
きっと死ぬまでにはバランスよくゼロ。
プラスもマイナスも残さずに死にたい。
あっさりとね。


<A>もしトーチャンとカーチャンが出会っていなかったら。

<B>もしあの店で古着と格闘していなかったら。

<C>もしホームレスという体験をしていなかったら。
 1 あの鋭敏・過激なアンテナに引っかからなかったら。
 2 韓国料理屋テーブルの一番離れた場所でテレパシー交信をしなかったら。



信心深い人には怒られてしまうかもしれないけれど、
ぼくは神様が大好きです。
GODではなく。
神でもなく。
ほら、そこにいる神様が。



そんな<A>と<B>と<C>1と<C>2が同じ日(5月2日)に東と西でライブをします。
日本はゴールデンウィーク真っ最中のようですが、
よかったら行ってみてください。
楽しいですよ!

〓〓〓〓〓〓〓〓〓

<A>&<B>
■『虹の岬祭り』■
(ボンガーズは5月2日18時から演奏)

今年20回目を迎える虹の岬祭り。
大分県の南部に浮かぶ島(大分県佐伯市蒲江町屋形島州の浜はまゆう公園)で開催されます。
期間:2010年5月1,2,3,4,5日

*従兄弟:<A>>と親友:<B>のブルーズバンド・ボンガーズ。
*1日には東京からRainman(C2号弟子筋)がやってきます。

詳しくは



<C>1号&2号
■清志郎追悼LIVE■
~吉祥寺 ROCK'N ROLL SHOW~『ボスからのRADIO』


●5月2日(日曜)

●OPEN 18:30 ●START 19:00 

●出演
 ★メコシキ
 ★酔いどれ天使
 ★CHHHIN TYHHHOS
 ★Chain Smoker

●¥3000-(飲み放題)


吉祥寺ブラック・アンド・ブルー
(吉祥寺駅北口より徒歩1分)
地図


*CHHHIN TYHHHOSはタイマーズのドラマー:パァ(杉山章二丸)さん:<C>2号、ルポライター:藤井良樹さん:<C>1号が組んだ犯罪歌謡パンクバンド。
当日は、ザ・タイマーズの今ではまず聴けない&完全放送禁止であろう、あの曲やあの曲も、 RCのカバーも演られるとのことです。
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by seikiny1 | 2010-05-01 07:44 | 日本
■イベント告知です (2月28日吉祥寺)■
☆しばらくの間、この告知がトップに出ます☆
(最新記事はスクロールした次の記事です。よろしくお願いいたします)




2月後半から2週間ほど日本へ帰ります。

それにあわせて、日本の友人である藤井良樹さん、白浜久さん、杉山章二丸(パー)さんのお三方がイベントを組んでくれました。
お三方はじめ、お世話くださったみなさんありがとうございます。


 ●日時:2月28日(日) 開場:午後1時
 ●場所:吉祥寺ライブハウス 『BLACK & BLUE』 
   東京都武蔵野市吉祥寺本町1-24-5ライトビル3F
   TEL/FAX:0422-22-4816


東京近郊にお住まいの方、お時間がありましたら駆けつけてください。
ぼくは刺身のツマみたいなものですが、他の出演者の方は必見です。


ここではぼくが知ってることだけをちょこっと。

≪イベント詳細は末尾に≫






☆☆☆☆☆☆☆☆☆
●チン・タイホーズ
ルボ・ライター、漫画原作者である藤井良樹さん
ブルセラ・ブームの仕掛け人であり、
「ファイト」、「プリズン・ガール」などをプロデュース。
熱い人です。

清志郎さんとともに世間をひっかき回し、
時代を駆け抜けてとうとう宇宙まで行って(数年前に帰還して)しまった
「ザ・タイマーズ」ドラムス:パー(杉山章二丸)さん
Mojo Clubのドラマーでもあります。
ホッピーが好きなんです。

会うべくして会った2人が中心となり、こさえたバンドは犯罪歌謡パンク。
藤井さんの歌詞がとにかくスゴイ。
ボーカル(藤井さん)の音としての存在感が圧巻とのこと。
章二丸さんの太鼓は言うに及ばないでしょう。
なんでもバチを握って生まれてきたらしいですから。

詩以外は未体験なので何も言えませんが、
今回帰国するにあたって楽しみの目玉です。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆
●枡野浩一さん
お会いしたことないけど、一方的に知っています。
お会いできるのを楽しみにしている方でもあります。

独特な視点と言葉で紡がれる「マスノ短歌」の教祖です。
本は3冊しか読んだことがないのですが、
日本語での朗読というカタチは初体験プラスでアコーディオン。
興味津々です。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆
●白浜久さん
ザ・モッズ→刑務官→ARBと異色・異端のミュージシャン。
福山雅治さんはじめ数々の方をプロデュースしておられます。
2009年SAW(ワシントンDC音楽協会)賞に3曲がノミネート。
ほんとお世話になりっぱなしです。
ずーっと知っているような不思議な気持ちにさせてくれる人。

今回は白浜さんとの対談という形ですが、
もしかしたら生ギターを取り出す、という可能性も。

司会は藤井良樹さん、たぶん飛び入りで杉山章二丸さん。
さて、どんなことになることやら。迷走してしまうのか。
とにかく予測が立ちません。





知っているのは3人で、一方的な知り合いが1人。
他の出演者の方々は存じ上げていないのですが、どう見ても
「味濃い」人たちばかりですね、これ。
企画者のライフスタイル&人徳だと拝察します。


春を待つ素敵な(?)日曜日の午後を吉祥寺で。
ぼくに会うのはついででいいですから、必見イベントです。
(福岡の方は『Studio GUMBO』でお会いしましょう)


以下、藤井良樹さんからの告知メールを貼り付けさせていただきます。




〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
●『チン・フェス  CHHHIN POP ROCK PUNK FESTIVAL vol.0』



●日時 2月28日(日) 開場/午後1時  開演/午後1時30分 (終演予定午後5時)

●出演 【バンド】 チン・タイホーズ/BlueMoonstruck/ 泊 / 喪中69
    【ポエトリー・リーディング】 枡野浩一 with 小春
    【特別トーク】 白浜久(ax.ARB)× 境セイキ(NY在住ホームレス作家)

●入場料 1500円+ワンドリンク

●会場 吉祥寺ライブハウス BLACK AND BLUE
    



※「チン・タイホーズ」は、今は亡き忌野清志郎の覆面バンドTHE TIMERSのドラマー・パーが新たに結成した、謎の犯罪歌謡パンクロックバンドです。
「BlueMoonstruck」はブルース&ロックンロール、GSのバンドです。
「泊」は、昭和歌謡デュオです。CDデビューされてます。
※枡野浩一さんは、有名歌人です。HP  ブログ
※「喪中69」は人気AV女優・真咲南萌さんを中心としたポップ・アバンギャルド・ユニットです。
小春さんは、有名アコーディオン奏者です。
白浜久さんは、元ARBの大物ミュージシャンです。
境セイキさんはアメリカ・NY在住の元ホームレス作家です。
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by seikiny1 | 2010-02-28 16:59 | 日本
ガンバレ!Kazuhiro Kokubo!
2月13日12:57のYahoo.comのトップページ。

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Yahoo.com記事




ガンバレ国母和宏。
シブク決めてくれ。

健全な精神は、健全な肉体に宿ることは多いかもしれんが、
さて誰がそれを健全と決めつけるんだろう。

規律は大切なことのひとつかもしれないが。




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by seikiny1 | 2010-02-14 03:10 | 日本
鬼はどこ?
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今でも日本のお父さんは豆まきの日がやってくると張り切ってしまうのでしょうか?
早めに仕事を切り上げ夕食を済ませると、お母さんと目で会話。
(そろそろやりますか……)

メディアに触れていてむなしくなってしまう言葉のひとつに、
「暦の上では……」
と、いうのがあります。
2月4日から暦の上では春だけれど、
それは旧い暦であって太陽暦に押し込んでしまうのはどだい無理なこと。
雪の降る2月に「春を慶べ」って言われてもね。
(ニューヨークも今朝は5cmほど積もっていました)

七夕にしろ、お盆にしろ……。
日本に伝わる様々な節目は旧暦のもの。
生活全般を「旧暦に戻せ」なんて言わないから、
こういった節目や行事だけでも<その日>に祝うってのはどうでしょう?
そりゃあ面倒くさいかもしれないけれし、
カレンダー屋さんや、手帳会社からクレームがあったりするかもしれないけれど。
現実にそぐわない、ただ旧習に生きるという意味のないことをするよりも、
「一年を自然と共にある!」
なんていう実感がわくはず。
その延長上で、このところ話題の地球のためにもいいと思うんだけど。

ま、連休を作るために祭日を金、月にもってくる現状では無理かな。
それならば、せめて
「暦の上で……」
なんてアナウンスはやめましょう。
何の実もないことなんだから。

月のない十五夜も、
十五日でない十五夜も、
個人的には不要。
酔って歩きながら月を見上げてその日を知る。
そんなんがいい

「おめえは×月の新月の日にに生まれたんだ」
そんなことを子供の頃に父親から言われたらきっとグッとくるはず。
(思い出したときに)


日本では今でもMonthは月なんだから。

ぼくは月の町に生まれました。
今でも月を見上げるとついいあの歌を口ずさんでしまいます。




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by seikiny1 | 2010-02-04 10:37 | 日本
ビフテキとステーキ
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日本語に横文字を交えながら話されると、
一挙にその人への不信感が増してしまいます。
「何をのこ人エラソーに言ってんの?」
「もしかして日本語で説明できない、バカ?」

使う人は横文字を交えることで、
「なんだか俺むずかしいこと言ってる」
すなわち、偉くなったかもしれない自分が間違いなくいるわけです。
日本人なのにね。

悲しいかな聞く方も
「ふむふむ、なんとなくわからないんだけど大したことを言っているようだ」
と変に納得したり、感心したり。


明治維新の文明開化の名残か。
はたまた昭和20年8月15日に敗戦国となってしまった国民の悲しい性なのでしょうか。
それとも外国語に弱いのは世界共通の傾向なのか。
まぁ、少なくとも身近なアメリカ人で
『You-I(友愛)』を口にする人はいません。


マニュフェスト、タスクフォース、イニシァティブ……。
特に政治の世界で使われると、
なんだか煙に巻かれているような気分になってしまいます。

東国原さんが知事選に立候補・当選した当時、
<マニュフェスト>を連発していましたが、
その言葉を聞くたびにぼくの内の<そのまんま東>はなえていきます。
ま、彼も昨年の衆議院選挙前に大いに男を落としてしまったけどね。


昨日から日本のニュースでは<ゼロ・ベース>の連呼。
どうして
「白紙の状態から」って言えないんだろう?
そんな煙にまかれてはいけません。
どっちに転ぶにしろ、これは大した問題なんですから。
それにしても予算は……。

所変わってNYの議会ではまたまたタバコ増税を検討中。
芸がないね。



横文字は固有名詞、説明のかなわぬ言葉だけで十分で、
それ以上になると寒風になびく50男の頭髪みたいになってしまう。
そんなことより日本語の勉強をしようね。
人のことばかりは言えないけれど。
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by seikiny1 | 2010-01-27 09:58 | 日本
フルムーンギャザリング2009
僕の古い友達が"遊音楽” ”祈り” ”リサイクル” をテーマとしたイベントを開催します。

《フルムーンギャザリング2009》

九州近郊の皆さん、お時間があったら覗き、参加、遊びに行ってみてください。
(友人はもとより、敬愛する従兄もバンドで参加します)

平和・非核への”祈り”のために灯される《平和の火》。
戦争の実体験者が少なくなる中、それを感じることのできる素晴らしい企画だと思います。

原爆投下以降、星野村に灯り続ける《平和の火》のエピソード



今年はwoodstock festivalから、中津川フォークジャンボリーから40年。
こんなイベントがそろそろ、どんどん根付いていってもいい頃ですよね。
というか、この半世紀近くでなにがかわったんだろう?


彼がやるんだから楽しいイベントとなることは間違いなし。
会場近郊の温泉に泊まって、という<ついでコース>もあるようです。

夏のひと時を、まじめ+アソビで。

あー、行きたいなー。
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by seikiny1 | 2009-08-01 22:24 | 日本
さくらさく
 いつの間にか前屈みになり、早足で歩いていたということが少なくなってきた。ゆっくりと足を進めながら、上へと向けた視線の先にふくらみと彩りを増した無数の新芽を見つける。日本ほどではないけれど、確実に春の足音が聞こえてくる。

 図書館=静寂。
 この公式はここでは当てはまらない。いや、日本の図書館が静かであるというのは単なる幻想で、自分の中の記憶を美化しているのだろうか?遠い昔の出来事を許してしまうことができるように。
 たまに図書館で耳栓を使う変な男がいる。それは僕です。
 ここ数年、集中力が低下してしまったのか、何かが気にかかるとそのままズルズルと引きずり込まれてしまい、最終的にはカオスとなってしまうことがよくある。
 攻撃は最大の防御とも言うけれど、ヘッドホンをして音楽を聴こうものならそこにどっぷりとつかりこみ何も手につかなくなってしまう。その前に携帯音楽プレイヤーを持っていないし、欲しいとも思わない。
 静音ヘッドフォンというものもあるけれど、<+>で<->を駆逐し、見かけをゼロにして帳尻を合わせるというその貧困な心根が気に食わない。その前に、あまりにも高価すぎて手が出ない。ということは、これは貧乏人のひがみに過ぎない、と言われても反論できないか。

 人間の身体が本来持つ機能、精神のコントロールというものには常に驚かされ続けているが、最近では少々の話し声や、携帯の着信音にも「気づいたら耳をふさいでいた」、「顔をしかめていた」という場面がめっきりと減っている。慣れ。そのようにして人間はズレて、スレていくのかもしれないが、とにかく以前ほど凶暴に聞こえることはない。そして、そんな自分を口元に笑みをたたえながら本棚の影から見つめているるもう一人の自分がいる。

 隣りのテーブルに腰を下ろした少女達は高校生だろうか?それとも中学生か?もしかしたら大学生かもしれない。こちらへ来て20年が過ぎたというのに、いまだに人の年齢がとんとわからないことが多い。
 ひとしきりおしゃべりのあと、沈黙。ページを繰る音。本を広げる音。おしゃべり。髪を束ねるゴムの音。沈黙……。そんなことを延々と繰り返す。

「勉強しに行ってくる」と言っては遊びに出かけていた僕には、人と一緒にやる勉強の長所というのがわからない。
「わからない箇所を教えあう」
「共通の目標、そして励み」
「ライバルの存在」
 色々とあるのだろうけれど、存外「友達と一緒にいられることの楽しさ」というのが一番強いような気がする。

 彼女達の姿を見ながら、数ヶ月前の東京を迷走しはじめる。
 僕はグルメフードなんかよりジャンク、B級の方が好きで、料亭とラーメン屋で二人の友達がもめたら定食屋へ行く。やっぱり貧乏なだけか。
 そんなわけで、日本では久々にファミレス体験をしてみたくてジョナサンのガラス戸を押したのは、年明けの喧騒がやっと去ろうとしている平日夜9時ごろのことだった。
 実は「飲み放題」の文字に引きずり込まれたのだが、いくら飲み放題でもコーヒーをそんなに飲めるわけはない。人情の機微に触れることのできる人のことをきっと商人と呼ぶのだろうなどと考えながら、自分の欲を少し反省するためにコーヒーを飲む。

 通り過ぎた禁煙席にはどこか幸せなムードが漂い、照明も心なしか明るく感じたのは気のせいだろうか。ついたての隙間から見ていると回転率もいいようだ。対するこちらは喫煙席。煙のせいだけではなくどこか重苦しい空気が支配する。オーダーを終えて客を観察してみると、ほとんどは女子高校生だった。喫煙席にいるからといってタバコを吸っているわけではなく、こちらの方が気兼ねなく長居をすることができる。きっとそういう選択なんだろう。テーブルの上には飲み物、ノート、鉛筆、参考書、辞書……。時折り、ドリンクカウンターへ歩いていく。
 彼女達の姿を見ながら、よく言われるような表層的なことではなく「ひたむき」という言葉を思い出していた。

 さて、この春、彼女らの上に桜は咲いたのだろうか?
 桜はやはり入学式の頃がいい。
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by seikiny1 | 2009-03-25 08:45 | 日本
黒色の画用紙にパンダを描いてみる(2)
(つづき)

静音は無音ではない。
静音という音である。
音に限らず、存在するものを完全にかき消すことはできない。

消しゴム、砂消しゴム、シンナー、修整テープ、今では化石に近い存在となってしまったタイプライター内蔵の修整リボン、修正液、白マジック……。
消すために様々な道具が存在し、
削る、分解する、根絶する、かぶせる、惑わす、足す、引く……。
方法もまた星の数ほどある。
そんな中でずっとしっくりとこなかったのが「かぶせる」というやり方。
「なかった」ことにしてしまう。
間違いを2本線で消し横に小さな修整印を押す。
このやり方を見ていると、夏場に苦笑いを浮かべ自己紹介をするクールビズ姿のビジネスマンを思い浮かべてしまうのだけれど、これともまた違う。
消すという行為の中に、上から白く塗るという方法が加わった時に人は大切なものを失ってしまったのではないだろうか。
白の出現はまるで核兵器のようなdeleteボタン以上だったと思う。

さて、僕たちはいつの頃から消すという作業を行うようになったんだろう?

たしかに白いマジックとの出会いは衝撃的で、発想の根幹を揺さぶられるような衝撃を受けたけれど、時と共にそれはどこか「しっくり」とこないおき火のような感情に変わってくる。

赤や青などとは違い、白は今も昔も特別な色として僕の中で存在を続ける。

まだ白いマジックにはまだ出会っていなかったと思う。
「うーん、雲もちゃんと白く塗らなくっちゃねー」と言う声がおりてきた。
見上げると担任の先生が僕の横に立っていた。
僕は青い空に浮かぶ雲を画用紙の地の色をそのまま残して描いていたのだ。
白い絵の具をパレットにしぼり出しながら、どこか割り切れないものを感じている。
(どうして同じ白なのにわざわざ塗らなきゃいけないの……)
今は白だけではなく、赤にも青にも無数の同じようで異なったた色のあることはわかる。
しかし、あの頃は白は白であって画用紙の色でしかなかった。
たしかに空に浮かぶ雲はそこにあるのであって、青空に穴が開いているわけではないのだけれど。

白い絵の具で雲以外には何を描いたのだろう?
白い絵の具はそれ単体で使うよりも、別の色と混ぜて使うことの方が確実に多かった。
水色、淡いピンク、薄い緑色。そんな色が好きだった。
パレットの上で混ざりきる前のマーブル状のからみあいが好きだった。
クラスの中には24色、36色入りの大きな絵の具セットを持っている子供たちもいて、うらやましくもあった。
それでも色を作り出す作業の方が僕には魅力的だった。
結果として変な色を多用した不思議な絵ばかりが描かれてしまったのだけれど。

高校へ入ると芸術の授業はは選択制となり、「楽だ」という安易な理由から書道を選択し絵や色というものと直接的に向き合うことが少なくなる。。
無地の白いTシャツを「かっこいい」と思うまで、白とはそんな色だった。

(つづく)
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by seikiny1 | 2008-09-29 05:13 | 日本
ご飯と納豆
 お米がない。
 さし迫った問題ではないけれど、「大丈夫」と思ってはいても、心のどこかで時おりゴロン、ゴロンと音が鳴る。これが不安ということなのかもしれない。

 遠い昔のこと、父の友人が海外旅行に行くことになり「米と、醤油を持っていく」という話を聞きながら、子供心に「バーカ」と(今思えば)失礼なことを飲み込むのに苦労していた。
 いざ自分がアメリカへ来てみると、カリフォルニア米の予想外の美味しさ、安さにびっくりする。身体のどこからか「これまで通りに米が食える」という喜びに似たものが、恥ずかしながら湧き出てくるのを感じていた。
 バスを使っての大陸旅行中のある日、ネブラスカにあるうらびれたタイ料理店で食べた米の味、再会の喜びは今でも忘れることができない。
 ご飯に醤油をザブザブとかけるアメリカ人を初めて目にしたのはそれにしても衝撃的だった。
 そういえば、ホームレスになる直前には、「安いメキシコ米をいかに日本風に炊き上げるか」という大問題を前に四苦八苦しており、なってからは、スープキッチンでたまに出会うパラパラのお米にも感激をしていた。

 冷蔵庫を開ければ肉があり、野菜や保存食もある。テーブルの上にはパンがのり、戸棚の中にはパスタ、ラーメン、うどん、そば、そうめんもある。ただ、米だけがない。この不安はなんなのか?

 昨日、やっと重い腰を上げて日系スーパーへと行ってきた。
 何種類もの米が積み上げられた様に安心という言葉を思い出してしまった。ただ、見ているだけでも心が充足してくるのがわかる。
「おっと……」
 親を探してみた。いるにはいたけれど、子供のいる場所を確認しながら品物探しに忙しい。ここを遊園地と勘違いしているのか、一言のお叱りもない。
 積み上げられた米袋の上に5歳くらいの男の子が(いや、ガキと呼ぼう)足をばたばたさせながら座っている。子供の所在を確認するためだろうか、たまに目を向ける母親。
 ため息をつきながらそのガキに足を向けた時、退屈してしまったのか、それとも僕がよっぽど怖い顔をしていたのか、ガキは母親の元に走り去ってしまった。

 熱烈な水戸黄門のファンじゃない。
 農家に生まれたわけでもない。
 米の一粒に生死をかけた思い出は幸いなことに今のところはない。
 〈ご飯食い〉ではあるけれど、死ぬほど好きだという意識はない。
 それでもご飯茶碗の中をきれいにせずにはいられない。最後の一粒まで、お新香ですくいあげて食べる。あのガキ家族の食卓やゴミ箱がなんとなくだが想像できる。
 日本に帰ったら給食費はちゃんと払ってね。
 好き嫌いしない(させない)でね。
 よその子が劇の主役になっても先生に噛み付いたりしないでね。
 ごみを落としたら拾おうね。
 列に割り込みしないでね。
 最低でも、なにかをしてもらったら「ありがとう」を言おうね。

 わがままで、ひねくれものの僕は、人間を食べ物やごみに対するスタンスで判断してしまう悪い癖がある。この親子などはサカイ王国の中ではまず懲役間違いなしといったところだろう。もちろん食事はお米だけ。労働は米作り。

 いや、それにしても日本は、日本人は豊かになりすぎてしまったのか。それに慣れて、ズレてしまったのか。
 今朝、温かいご飯で食べた納豆はうまかったな。



〓〓〓〓〓〓〓〓〓
○この記事を読まれて<なにか>を感じられた方。
ここを押していただけたらうれしいです。
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by seikiny1 | 2007-08-13 07:34 | 日本
ザ・デストロイヤー
(すいません。今回は女性にとっては一部不愉快を感じられるかもしれない箇所があることをお断りしておきます)

 Untouchable
 世の中にはやっていいこと、そしていけないことがある。
 絶対に手をつけるべきではないこと。それは日本でのエロの解禁。
 日本のエロ本やアダルトビデオ。その局部描写の規制は絶対に解いてはならない。
<限られたスペースで想像力を最大限に引き出す>、これは日本人にとって送り手にとっても、受け手にとってもとても大切なことだから。「日本人の本質はここにあり」と言うことも出来る。そこに何があるかわかっている。そこを超えれば何かがある。それはわかっている。そんな表面上のルールだけで均衡がとれている社会。それは知的ゲームにも似ている。エロに限らず、そんな関係から生まれたものは数限りなくある。実際にはundergroundものなども流通しているけれど、映像でも実生活でもでも「だめよ」という越えられない線があるからこそ成り立っている部分がある。
 僕が中学生の頃はまだ墨塗りだった。それがボカシになり、そしてモザイク処理に。誰もがそこに何があるのかは知っている。個人差こそあれだいたいの見当はつく。それでも見せない。見たいけど、見たくもない。そんな不思議な感覚が好きだ。そこにある不思議なエネルギーが好きだ。

 そんなモザイク処理の影響で生まれたのか、最近ではちょっと気になることがある。「できるならこちらの方は墨塗りに戻して欲しい」と思う時もある。
 遠い昔(今でもある一部の環境下にある人にとっては)検閲という制度があった。表現が法律によって規制されていた時代。その時代に検閲に引っかかったもの(又は印刷所にその活字がなかったもの)に関しては○×などの伏せ字が用いられた。専門用語では〓(ゲタ)と呼ぶらしい。今、本を開いてみても伏せ字にぶつかることはほとんどない。数十年前に比べてみればまさに天国のような時代。もちろん誰もが視聴することができる放送という媒体ではいまだに規制はあるけれど、それに関してはうなずける。ただ、文字と言う世界ではつい最近まで伏せ字をそれほど多く見かけることはなかった。自由と言うのは素晴らしい。そう思っていたし、今でもそれは変わらない。
 僕自身は古いものが好きである反面、人にも増して新し物好きな面がある。そんな僕も100%自分の事情でインターネットの波には完全に乗り遅れた。これについてはもう取り返すことは出来ないだろう。
 四年ほど前に初めてそれに触れた時に気づいたことが伏せ字だった。それを見る頻度は日を追って多くなっていく。今では友人や同僚間で交わすメールの中にすらそれを見つけることができる。今回のこの伏せ字の始まりは多分インターネット上の掲示板あたりからなんだろう。特定の個人・団体・商品名などをズバリと指すそれらの言葉に過敏な管理者が警告を与えたり、削除したり。その結果として書き込む方も自衛手段として ー便利な言葉を使えば、自主規制としてー 伏せ字を使う。時と共に、それが閲覧されるたびにそれが一般化していったのだろう。今では何も考えることなく「特定の名前を出す時は伏せ字を使う」という頭の中の回路が動き出すのかもしれない。多くの人にとって悪意はないと思う。現状を表わせばあちらでも、こちらでも伏せ字が花盛り。
 その使い方も、字が伏せてあるだけで誰にでもそれが何であるかわかる。それはまるで地上波で放映された映画の最後の部分で流される早送りされるために読むことのできないクレジットのようでもあり、サングラスをかけたアントニオ猪木が《闘魂》と書かれたタオルを首に巻き銀行強盗をやり終えてドアのところで「ダーッ!」と叫んでいるようでもある。お決まりの伏せ字ではあるけれど、誰もがそれが何であるかはわかっている。
 見なきゃいいのについつい見てしまう。こんなところもエロと似ているのかもしれない。その伏せ字が使われた文章が悪口などの悪意を含んだものであればあるほど、その伏せ字がギトギトとしていて耐えられなくなってしまうことがある。<朝○新聞>と書かれるより<朝日新聞>とかかれる方がまだ読んでいてすっきりくる。○に込められた思いはとても深く大きい。たったの一字を伏せることでその裏にあるものがとても大きな意思を持って語りかけてくる。
 これが新しい日本の文化なのだろうか?

 HN(ハンドルネーム)を使うことで多くの人達が虚実交えながらも言いたいことを言うことが出来る時代になった。HNなしでは言えない事、聞けない事がたくさんありそれが今の社会に果たしている役割はとてつもなく大きい。また送り手は自分の言いたいことを言うことが出来ることの快感を味わっていることだろし、ストレスをも発散しているのかもしれない。それも社会にとってはわるいことじゃあない。中には自分が正義の味方にでもなったかのような錯覚を持っている人も多いことだろう。ただ、問題は匿名とレフリーに見えない凶器(伏せ字)と悪意が重なった時。そしてそれを真実・正義と受け止める人もいるということ。それは悪役の覆面レスラーが禁じ手(反則技)を連発するのにも似ている。試合を終えて覆面を脱いだ彼は意外と紳士であったりもするからまた厄介だ。覆面をしているからこそ出来る悪役、反則技。それを自分自身で楽しむ人もいるだろうが、やはりむなしく悲しい。かつて<白覆面の悪魔>と呼ばれたザ・デストロイヤーはその後覆面をつけたままいい人になった。マンガのタイガーマスクの最終回には子供ながらも泣いてしまった。覆面自体はそう悪いことでもない。
 プロレスは高校の頃から見なくなったけれど、最近たまに目にする格闘技のニュースの中ではあまり覆面をかぶった人を見かけない。悪役は悪役として素顔で勝負する時代になってしまったのだろう。しかし時代はプロレスのはるか後ろを歩いている。この社会では覆面レスラーが百花繚乱。

 ねずみ小僧次郎吉のような覆面に変わっていくことを願うばかり。
 
 情報社会といわれる現代。僕達は昭和40年代のプロレス中継を見ているだけなのかもしれない。

 そういえばあの頃ミル・マスカラスという善玉覆面レスラーもいた。
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by seikiny1 | 2006-01-11 16:20 | 日本
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