ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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カテゴリ:思うこと( 138 )
陰翳礼讃
 今年の誕生日は古くからあるステーキハウスで迎えた。薄暗く、静かな店内には、白熱灯がポツリ、ポツリ。そんな中で口にする酒、食事は手放しでうまい。しかし地球温暖化対策のあおりで、こんな、あたたかく、艶やかな風景もかき消されようとしている。
 世の中のすべてが、蛍光灯の煌々とした硬質の光にさらされるまであとわずか。

 白熱灯は、たしかに大量の熱の発生をともない、エネルギー効率もよいとは言えない。しかし、それと引き換えに、いや、それ以上のものを僕達に与えてくれている。蛍光灯の下で、愛を囁くなんてことはできない。出生率低下で人類滅亡の危機にさらされるかもしれない。
 なんでもが「明るければすべてよし」というわけでもないだろう。もちろん、そのうちに代替品が登場するだろうが、Veggie BurgerはいつまでたってもHamburgerになれない。

 果たして世の中をそこまで明るくなる必要はあるのだろうか?どうしてもっと高く、もっと速く、もっと明るくなの?白熱灯を駆逐する前に、世界中の、ただ、<見るためだけの夜景>を消してしまったらどうだろう。一時間なんてケチなことを言わずに一晩中。僕個人としては、きらびやかな夜景などもういらない。実の伴わないものは虚に過ぎない。
 東京タワーが美しかったのは、まだまだ闇が深かったからだろう。
 マンハッタンのスカイラインを背にした花火はたしかに美しい。しかし、真暗なビル群を覆う無数の窓ガラスに乱反射する花火は、何百本もの光る滝のようではないのか、と思うのだけれど。
 静かな住宅街の暗い窓に映る月を見上げながらそんなことを考えていた。
 闇があるからこその光。<光 vs. 光>では何も見ることができなくなってしまい、そこに光がある事すら忘れてしまう。
 灯りは人類にとって大きな発明であったはずだ。生活を夜という時間の中にくれた。そして、あまりの明るさのために、今、地球は輝く闇のようになってしまっている。手遅れになってしまう前に、本物の闇の中で目をこらそう。灯が見えてくるから。それがどんなに美しいか。
 闇があって、初めて光は存在することができる。

 外では雪の降る音がする。テントのジッパーを開いて足を踏み出した。まだ誰も歩いていない、うっすらと光を抱き込んだ雪面は、6年間のホームレス生活を帳消しにできるほどに美しかった。 見当たる灯りはといえば、少し傾いた三日月と遠くに見える街灯だけ。

 夜に昼は求めないし、夜の美しさを感じていたい。
 食糧危機で暴動まで起こっているのに、聖火リレーはいらない。
 もっと高く、もっと速く。いったい誰のために?銭儲けと、政治の道具としてのオリンピックはもういらない。
 戦争は言うまでもない。
 部屋にだって、本を読める程度の灯りがあればそれでいい。

 昭和の初期、「陰翳礼讃」の中で明治の光を見つめる谷崎潤一郎の目は、今、僕たちが昭和の中頃、そして明日の光を見る目と似ていたのかもしれない。
 
 僕の好きな随筆のひとつです。興味のある方は読んでみてください。
陰翳礼讃
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by seikiny1 | 2008-04-24 08:49 | 思うこと
Super
 今日はSuper Bowl
 今年はNY Giantsが出場している。こうなると、どうしても1987年のあの日が記憶の底から引き出されてきてしまう。
 たばこを喫うために行った部屋からは、近所のどこかでSuper Bowl Nightを楽しんでいるんだろう、開け放った窓から数秒おきに男女の歓声が飛び込んでくる。その声の感じだけで試合の趨勢がある程度はわかってしまう。
 知る、というのは時としてその程度でいいのかもしれない。

 明後日はSuper Tuesday
 アメリカ大統領選挙の趨勢が大まかに決まると言ってもいい特別な日だ。
 街角で配られるフライヤーはなぜかオバマ候補のものばかり。
 知る、ということはきっとこんなことなんだろう。
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by seikiny1 | 2008-02-04 12:15 | 思うこと
名前のない馬
名札を持つ小さな騒音にもまれりよりも
しっぽを失った轟音に洗われていたい
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by seikiny1 | 2008-01-27 12:50 | 思うこと
You have luck!
 新年あけましておめでとうございます。
 非常に遅くなってしまいましたが、無事新年を迎えることができています。「やれやれ」と思うことはありましたが。

 年末から5日までは1行も本を読みませんでした。年末にめがねをなくしちゃったんです。
 2日はこの冬最高の冷え込みでした。朝、裸になってシャワーの下の立ちつまみをひねったのですが、いつまでもお湯になりません。昼ごろになって気づいたのですが、暖房もカチンとすらいっていませんでした。夕方、大家に電話すると、
「ガス欠なんや……」
 11時頃、タンクローリーがボイラーにオイルを流し込んでいきました。

 新年早々この二つを経験して思ったのは、
「なければないで何とかやっていけるもんだ」ということ。まぁ、それが永遠に続くとなるとまた別の話ですが、本がなくても他にやることはある。数十年前まで、つまみをひねるだけでお湯が出てくるなんて誰も想像すらしなかったでしょう。そういえば日本のどこかで蛇口からジュースの出てくるところがあると聞きましたが。

 どうしようもなく、1月5日に55セントのカツカレーを食べに出たついでにめがねを買いました。蛇口からはあたり前のようにお湯が出てきます。
 さて、ここで今年の抱負です。
《スリムになる》
 たしかに、さすがに、おなかまわりが少しゆるくなりつつはあります。しかし、抱負はダイエットではなくて、削るということ。必要なものを見極めること。不必要なものにはあまり手を出さないこと。
 たとえば、毎日惰性で取っているフリーペーパー。いつも平積みにされたそれを腰をかがめてつかみながら、ゴミ箱に放り投げている自分の姿がよぎります。どこのゴミ箱に行くかまでわかりきっているんです。打率は9割程度ですかね。
 たとえば、たばこ。建物に入る時に、
(とりあえず喫っとこうか……)
と声にならないひとりごとを発しながら口にする一本。おいしいと思ったことはあまりないんです。

 めがねをなくした次の日、記憶をたぐりながら可能性のあるところにはすべてあたりました。もちろんタクシー会社にも。「メールで紛失届けを出せ」と言われたので、すぐにタクシーの番号、乗った時間、行き先などを書いて送信しました。12月30日のことです。年が明けても、朗報どころか受領の通知すら来ません。こんなところがアメリカらしくて決して嫌いではないのですが、当事者になるとやっぱりものの見方も変わるものです。こちらも9割程度あきらめていました。そんなこともあった、5日にめがねを買ったのです。

 今日、11日は去年の夏以来となるクィーンズ地区へと行って来ました。相変わらず好きになれない街並み。なにか「ピン」と来るものがないんです。それでも開発が進み、以前は寒々とした倉庫がひしめき合っていたエリアの中にデザイン事務所やギャラリーなんかがちらほらと見受けられます。それでも、まだまだ、昔ながらの寒々としたエリアです。
 信号待ちをしながら、
「なにかがおかしい」
 どこか不自然なんです。焦点の定まらない僕の目が何かを拾っているんです。
 信号機でした。これは〈青〉の時は白いLEDで歩く男性が浮かび上がり、〈赤〉の時は赤いLEDで広げた手のひらが映し出されるんです。「STOP」と止めているのでしょうか。

 小指の第二関節から先がなくなっていました。数年前、信号機の入れ替えを実施するに当たって「電球からLEDに変わるのでエネルギーの節約になり、電球が切れるといったこともほとんど起こらない」とえらい人が言っていたような気がするのですが、小指が切れてしまったようです。
 そんな街を通り過ぎながら10分ほど歩いて、ある会社の事務所に入っていきました。
 60過ぎに見える男性は、僕の用件を聞くなり、とても大きな笑顔で、聞き覚えのある大きな声で言いました。
“You have luck!”
 右手には見覚えのある黒いケースが。
 昨日のことでした。タクシー会社からメールがあり「あるかどうかはわからないけれど」と、僕が乗った車の車庫の電話番号を教えてくれたんです。今朝、かけてみると。
 一度は何かの手違いで切れちゃったんです。深いため息をつきながら、話の途中であったこともあり、それでも気を取り直してかけてみると。数分後、今目の前にいる男性が電話口で叫びました。
“You have luck!”
 めがねがみつかったんです。
 受け取る時に、宙に手を漂わせている彼。空になった手が寂しかったんでしょうか、その手にリンカーン元大統領の顔と5という数字の描かれた緑がかった紙をかわりに握らせてあげました。
 
 どうやら今年はそう悪い年でもないようです。
 今年の抱負は《スリムになる》。
 新年早々余分な買い物をしてしまいましたが、それはとてもいい買い物をしたような気がします。必要なものだけで生きていくのはさびし過ぎる。ちょっとずつ、本当にいらないものを減らすだけでいい。
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by seikiny1 | 2008-01-12 15:21 | 思うこと
幽霊電車

 幽霊を見たことがありますか?
 僕はないです。それでも、その存在を信じており、一度くらいだったら出会ってもいいような気はします。いや、やっぱりいやだ。でも興味はある。

 幽霊と妖怪の違いというのはなんとなくわかってはいた。それでも、これまで調べてみたたことがなかった。今日は朝からこの言葉が頭にはりついて離れないので、辞書を開いてみた。

【幽霊】①死者の魂。亡魂。
②死後さまよっている霊魂。恨みや未練を訴えるために、この世に姿を現すとされるもの。亡霊。また、ばけもの。おばけ。
………「やっぱり会いたくないな」
③形式上では存在するように見せかけて、実際には存在しないもの。
【妖怪】人の理解を超えた不思議な現象や物体。想像上の天狗、一つ目小僧、河童など。ばけもの。
―大辞泉―

「ばけもの」というところは共通している。
〈幽霊会社〉などというのは③からきているのだろう。要は、実体のないものといったところか。

 クリスマス明けの今朝は、学校が休みであったり、連休とあわせて休暇をとる人も多いのだろう、歩道の人もまばらだ。駅への角を曲がった瞬間に、なんだか場違いな場所にいるような感覚にとらわれてしまう。それでも、ホームに下りてみると、通り過ぎていく電車は結構混んでおり、ようやく現実へと引き戻される。
 数本の電車を見送ったあと、いつもの電車がやってきた。通勤ラッシュの真っ只中でもほとんど混むことのないこの電車は、僕のぜいたく品。ゆったりとした朝を過ごすためには、数本の電車を見送っても十分おつりがくる。今日はいつにも増してガラガラだ。

 どうして「幽霊」という言葉が気にかかってしまったかと言うと、僕はこの電車のことを「幽霊電車」と呼んでいるから。別に黄泉の国へ連れて行かれるわけではないけれど、この電車はこの時間に、この場所を通っているはずのない電車だからだ。始発はマンハッタン島南端で、そのまま北上し、ミッドタウンを東へと折れ、終点のクィーンズへと向かう。それなのに、なぜか毎朝、不似合いすぎるほどの空席を満載し、ほぼ決まった時間にブルックリンの各駅に止まりながらマンハッタン、そしてクィーンズへと進んでいく。気になって時刻表を調べてみるとやはり載っていない。
 そんなことがあって僕はこの電車のことを「幽霊電車」と呼ぶようになった。しかし、辞書どおりに解釈をするとこの呼び方は正しくない。
 毎朝必ずやって来る。それなのに時刻表には載っておらず、路線外でもある。「存在するように見えて存在しないもの」ではなく、「存在しているのに、存在していない」ようにみなされている電車だから。他の人の目にはあまり映らないからいつも空いているのかもしれない。うーん。透明人間のほうに近いか。それじゃ、これは「妖怪電車」になるのかな。

 混んでいないせいもあって、乗り合わせた人々をゆっくりと見ることもできる。

 大判の本を50センチくらい話して読む男性。
 新聞を読んでいる人もいる。よく見ると3日前の新聞だった。
 ねぐせのついたチャイニーズの兄ちゃん。
 紺色の作業着上下に身を包んだ、レイ・チャールズに似た人。
 音楽にあわせて激しく頭を振り続ける女性。いやフォンの白いコードが出ているショルダーバッグからは、ポタポタと水滴が落ち続けている。
 どの駅でも、停車してから20秒ほどドアを開けない車掌。

 今朝、印象に残ったのはこんな人々だった。

 いくら幽霊電車とはいえ、毎朝ちゃんと目的の駅で降ろしてくれる。階段を上がると真っ赤な衣装に身を包んだ人がビラを配っていた。たった一日遅れてしまうだけで、どこか哀れな印象になってしまったサンタクロースを横目で見ながら信号待ちをしていると、いつの間にか歌を口ずさんでいた。
♪ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲー……♪
 寒風に吹かれながらしばらく唄っていると、僕の顔を覗き込みニヤッと笑う日本人がいた。僕も、幽霊、妖怪のたぐいに見えるのかもしれない。

 さて、「人間の証明」とはなんだろう?
 人間であることを証すものはなにか?
 戸籍か、名前か、住所か、IDか?
 それらを持たないものは幽霊なのか?そうなると少なくとも数年前までの僕は幽霊か妖怪だったことになる。ばけものだ。そんな僕が今は妖怪電車に乗る。
 名前や、自分が所属するところというものはそれほど大切なんだろうか?僕はそうは思わない。ただの人、それだけでいい。

 数日前よりも少し薄くなった人の層が僕の前を通り過ぎていく。
「1分間に僕の前を通り過ぎていくすべての人に、ほんとうに名前があるのか?それは必要なものなのか?」
 そんなことを考えながら、師走だというのにあいかわらずボーッとしてしまう。通り過ぎていく人たちはただの風景に過ぎず、こうして座っている僕だってまた風景だ。〈地球の人〉というのではだめなんだろうか?

 人はいつから名前をつけるようになったんだろう?
 人どうして名乗るようになったのだろう?
 落書きに名前を入れたくなるのはなぜだろう?
 デパートに並んでいるぬいぐるみにつけられたタグとどれだけの違いがあるのだろう?

 こんな風に考えてしまうのも、毎朝、幽霊電車に揺られているせいなのかもしれない。それでも、時刻表に載っているのになかなか来ない電車を待つよりも、幽霊電車のほうが好きだ。そこに実体があるのに目をそむけるのはいやだ。
「○○の見地からは認められない」ということがよくある世界。
「そこにあるんだよ、そこに!」
 名前なんかいらない。

 クリスマスも終わり、街行く人々の表情がどことなく「ホッ」としたように見える。
 おくればせながら、
“Merry Christmas!”


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by seikiny1 | 2007-12-27 10:52 | 思うこと
ナポレオンにはなりたくない
 アスパラガスの夢を見た。
 同じようなシーンが、寝付いてから起きるまで何回も、何回も繰り返される。下の方の硬い部分をむいて、ガスの前に立つ。アスパラガスはなぜかひもで束ねられていて、沸き立つお湯を前にして、「この鍋小さいなー」とボヤくところで終わり。とうとう食べることはできなかった。あの夢はカラーだった。

 夢を見るのが好きだ。だから眠るのも大好きで、最近ではちょっと短めになってしまったけれど、最低8時間の睡眠時間は持ちたい。6時間を切ることを許したくはない。
 もちろん、なにかをやるために睡眠時間を削らなければならない時だってあるし、それは仕方のないことなのだけれど、
「人生は●●年。一日の睡眠時間を▲時間削れば、他人より■年分長く生きることができる」などという人の真似をしたいなどと思うことはない。
 僕にとって夢を見るということは、その人が起きていて何かをすることに匹敵する。いや、層倍する、と自家製の論理を盾に自分を正当化して胸を張って眠りたい。限られた持ち時間をどう使おうとその人の勝手で、同時にその石を投げたことではね返ってくるしぶきや石くずも受け止めなくてはいけない。寝坊して遅刻をしたら廊下に立たされるかもしれないし、睡眠時間を削って昼飯のあとに居眠りをしたら教師に殴られるかもしれない。もしかしたらどこかで天才が開花して、ナポレオンのような人間になるかもしれない。すべては自分の人生で、自分で受け止めていかなければいけない。

 持ち時間を調べてみた。
 厚生労働省の発表によると、日本人男性は約78.5歳、女性は約85.5歳で、その差は7年間。
 女性の方の持ち時間が7年分多い。
 長生きすることをうらやましいとは思わないけれど、時間があるということはゆとりにつながっていく。大事を前にして女性の方が落ち着いていたりするのは、どこかでそのゆとりを感じ取っているからなのかもしれない、などと変に納得がいってしまう。

 出かける前には待たされる。ウトウトしだした頃に布団にもぐりこんでくる。トイレに立ったらなかなか帰ってこない。「いったいどこを洗っているのか?」と不機嫌になったり、「倒れてんじゃないか?」、と長風呂を心配することも最近ではなくなった。
 こうやって並べてみると、女性は7年間分くらいは女性であるためにその時間を費やしているようにも見える。



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by seikiny1 | 2007-08-29 08:49 | 思うこと
The Dock of the Bay
「ねぇ、ちょっと、ちょっと」
 少年が手まねきをする。
「バスの中でいっしょだったの覚えてる?」
「うん」
「あのさ~、お願いがあんだけど」
「どうした?」
「さっきまで立ってたとこに僕も連れてってよ。ほら、あそこに赤いボートが見えるでしょ。もっと近くで見たいんだ」
「うーん。ちょっと待ってて。お父さんに聞いてきてあげるから」
「お願いだから、僕がたのんだなんて言わないでよ」
 少年の声が追いかけてくる。

 バスを乗り継いで海辺へやってきた。ニューヨークのいいところは交通費が安いということ。Metrocard(NY市交通局発行のプリペイド・カード)さえあれば、有効期限内はどれだけでも地下鉄とバスに乗ることができる。それほど人や建物が密集していないこの街では、1時間もゆられていれば、普段とはまったく別の世界へ足を下ろすことができる。それでも、地下鉄駅の周辺はどこもそれなりに発展していて、気まぐれで、せっかちな旅人は、
「うーん、なんかピント来ないな」などと勝手なことをつぶやく。
 終点は低所得者用の集合住宅群、倉庫街を抜け、しばらく行ったところにあった。涼しかった一週間のあとに戻ってきた夏の日だったけれど、埠頭まで歩く間にすれ違う人も少ない。

 こびを売る事を知らないカモメ。
 地べたで日向ぼっこをする鳩。
 沖には数艘の船が停泊している。
 時折、どこからか聞こえてくるチャイム。
 なにより、波の音、風の音を聞くことができる。
 忘れ去られたこの波止場にも、少しずつ開発の手がつきはじめている。
 それでも、まだまだ時間はゆっくりと流れ、時計は要らない。

 不便はいいな。時として自由より貴重ですらある。自由というものがあるからこそ、不便を楽しむこともできるのだろうけれど。不便は僕らが本来あるべき姿なのかもしれない、そんな無責任なことを思ったりする。
「神様、どうか少しの不便さくらいは残しておいてください」

 海面をはねるようにして通り過ぎていくモーターボート。
 観光客を乗せたヘリコプターが何機もバタバタと飛び回っている。こんなものはいらないけれど、不便を楽しむためには我慢をしなければならないのだろう。いや。不便の引き立て役か。

 帰りのバスのことをすっかり忘れていた。


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by seikiny1 | 2007-08-26 07:50 | 思うこと
純潔
 久しぶりだった。いったいどれくらいご無沙汰していたんだろう?
 辞書の中で〈純潔〉という言葉と再会した。
 知ってはいても、長い間使ったこともなく、感じたこともなく、ほかの場所で目にしたのは遠い、遠い昔のような気がする。少なくとも自分の中にそのかけらすら見つけることはできず、これまでそんなものを持っていた記憶がない。あったとすれば生まれてすぐの頃のことだろう。
 そこには、
「心やからだがけがれていない様子」と書かれていた。
 あぁ、やっぱりないな。少なくとも僕の中には。
 対語として書かれていたのは〈不潔〉だった。
 これならたくさんある。洗濯をさぼったあげくに同じ靴下を二日続けて履くこともあるし、大酒を飲んだ翌朝には寝坊をしてシャワーも浴びずに出かけることなんてざらだ。心の中をのぞいてみるとけがれている部分のほうが多いかもしれない。周りを見渡してみても、……。

 純潔という言葉はもう辞書の中にしか存在しないのかもしれない。その対語はこれだけ氾濫しているというのに。不潔の対語としてしか存在しないのか?
 それもまた悲しい。


 平和という言葉が戦争の対語としてのみ存在する日が来ないことを願って。
 戦争ではないという状態は、決して平和とイコールではないと思う。
 広島原爆記念日に思うこと。出会った言葉。
 ひとかけらでいいから純潔なものを手に入れてみたい。



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by seikiny1 | 2007-08-07 08:17 | 思うこと
重み
 ずっと忘れていた重さだった。それでも掌は思い出す。

 一年前、アメリカ南部を旅していた時に一日に何度も禁煙をする同行者からもらったライターがある。緑色をしたBICのライターのガスがほとんどなくなりかけてきた。火をつけるためには毎回四度やすりを回さなくてはならない。それにしても相変わらずBICは長持ちをする。「失くさなければ」の話だけれど。

 なぜだろう?
 外出の際は必ずマッチを選んでしまう。風の強いことがわかりきっているコニーアイランドへ行く時ですらマッチを持っていってしまう。もちろん余分に持っていくのだけれど、そんなわずらわしさを考えればライターの方が絶対に便利なのにマッチに手が伸びる。かばんを開ければ、たんすの中のズボンやコートのポケットに手を突っ込んでみればいたるところでマッチに触れることができる。そんな生活を始めていったいどれくらいが経つのだろう?

 アメリカではタバコを買えば断らない限り無条件で(ブック)マッチを添えて渡される。街を歩いてタバコが喫いたくなった。ポケットに手を突っ込む。「ない、ない、ない……」そんな時は迷わずデリなどタバコを売っている店に飛び込もう。表情一つ変えずにマッチを渡してくれる。唯一の例外はあるけれど。
 十年ほど前のある日マッチを持ち合わせていないことに気づいた。迷わず飛び込んだ店ではマッチではなく何も持たない掌がこんな言葉と一緒に差し出されていた。
“5¢ ”
 チャイナタウンで手に入らないものはない。
 チャイナタウンで値のつかぬものもない。

 ヨーロッパを旅した際には〈マッチはタダ〉という常識を覆された。
 そんなせいだろうか、アメリカではマッチを使う人が圧倒的に多い。場所をmidtownに移してみるとその数は減るけれどマッチが優勢であることに変わりはない。

「カラン、ジュポッ、カチンッ」
 連続する乾いた金属音が聞こえ、ベンジンの匂いが鼻に拡がる。
 あの音、匂い、そして掌に残る心地よい重み。
 かつては憧れだったもの。特別のものだった。そんな感覚が戻ってきた。どういうわけか不意に使ってみたくなった。四年ほど前に手に入れたzippoを使うために炎暑の中オイルを買いにタバコ屋へと向かう。
 アメリカではなぜかronsonのオイルのほうが目に付く。それでもあの独特の香りを吸い込みたくて告ぎえの店へと向かう。三軒目でやっとzippoのオイルに会うことができた。印刷されているデザインは変わったけれど、オイルが少なくなってくるとペコン、ペコンと鳴るあの薄い金属製のタンクは昔のままだ。$1.99也。

 偶然のことだった。
 たまたま足を踏み入れたサルベーション・アーミー(スリフトストア≒リサイクルショップ)のショーケースでちょっと控えめに光をはじいていた。古ぼけたzippo。かなり使い込まれたらしく、メッキはあらかたはげ落ちて真鍮の地があちこちからのぞいている。それでも僕の目を釘付けにするには十分すぎる存在感を放っていた。
 一昔前と比べると泣きたくなるほど値段が高くなってしまったサルベーション・アーミー。今でも運にさえ恵まれていると素敵な物と信じられないような値段で出会うことができる。
 ひと目見たときから古いものであることはわかっていたけれど、手にとってみるとベトナム戦争当時のものだった。へたくそな戦車のイラストの下には64-65の刻印がある。なによりもこの重さがたまらない。底を見てみると小さなステッカーに〈2〉の文字が。

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 そのまま引き出しの中に放り込まれて4年間眠り続けたzippoになぜか火を入れたくなっていた。
 刻まれている文章さえ読んだことのないzippo。
 炎暑のもと僕を外に駆り立てたzippo。
 マッチに囲まれた生活をずっと続けてきていたのに。

b0063957_550327.jpg


 写真では読みにくいかもしれないので。

WE ARE THE UNWILLING
LET BY THE UNQUALIFIED
DOING THE UNNECESSARY
FOR THE UNGRATEFUL

 好きでやってるわけじゃない
 何の権利もないやつに
 馬鹿みたいなことをやらされてれる
 ありがとうを言うやつなんていやしない

 四十三年前の一人の兵士のつぶやき。
 今でもzippoはアメリカ兵に支給されてるのだろうか?

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by seikiny1 | 2007-07-16 05:37 | 思うこと
くじら
 タバコを「あと一本」思う時。
 ビールがなくなりかけてきた時。
 なにを「喰おうかなー」と考えている時。
 次に瞬間にちょっとだけ哀しくなる時がある。

 きっと考えているくらいだからまだマシなんだろう。これが「××しなければならない」となるときっと生きた心地がしないに違いない。特にぼくの場合はほかの人の数十倍この言葉が嫌いなのだから。

 哀しいって、きっとそんなに悪い事じゃないのかな。悲しいよりも。
 たくさんの哀しみよりも、たったひとつの悲しみのほうがきっと重いんだろう。自分が哀しいのも嫌だけれど、まわりの人が悲しむ姿はもっと見たくない。
 だから少しだけ哀しもう。もっと笑っていたいから。
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by seikiny1 | 2007-06-26 09:23 | 思うこと
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