ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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カテゴリ:思うこと( 138 )
パンダはやめました
「来世はパンダに……」と思っていましたが、つい最近その願いをあきらめました。友人に、
「え、どうして?」ときかれたこともあり、この場を借りて少し説明をさせていただきます。
 
 これまでは他からの転載をやったことはないのですが、今回に限り参考として過去の文章をペーストします。


〓〓〓〓〓〓〓〓〓
辞退

 記憶に残っている一番古い答えは「お茶の水博士」
「おおきくなったらなんになる?」ときかれた時のこと。「総理大臣」と答える友達
はあの当時もいなかった。

 理屈ではわかっているのだけれど、どうしても鉢植えに肥料をやることができない。
なにかいけないことをするような気がして。あげるものといえば米のとぎ汁程度だ。

 小学生のとき、上野動物園にパンダがやって来た。九州からではそう簡単に見に行
けるわけもなく、それでも行きたくて、行きたくて。テレビや新聞にパンダが出るた
びに食い入るように見いっていた。しばらくしてあきらめはしたけれど、今度は「パ
ンダになりたい」と心底思うようになり、その気持ちはつい最近まで続いていた。
 初めて上野公園のパンダに会うことができたのは4年前のこと、先ごろ亡くなった
リンリンだった。ゴロゴロ、グテーッ、モグモグしているところが最高で、なんだか
自分を見ているようで。
 あれは雨の降る日だった。吉本新喜劇のことが気になりソワソワしていたのを憶え
ているから、たぶん土曜日の4時限目だったと思う。理科の時間に受けた衝撃はこれ
までの五指にはいる。水と太陽の光だけで植物は生きていくことができる。そのうえ
二酸化炭素を吸い、酸素を吐き出す。ただ、日向ぼっこをしているだけで。植物はな
んと素晴らしいのだろう。光合成という言葉が深く貼りついた瞬間だった。
 今でも植物になりたいと思っている。特にこの季節、野生の植物を目にするたびに
その思いは強くなるばかり。土が大切であることも今では知っている。

「今の子供たちはどうだろう?」気になり調べてみると、男の子がスポーツ選手、女
の子がパティシェ。悪い時代と言われ、悪いニュースばかりが注目されるだけにこん
な話を聞くとホッとしてしまう。大きくなった僕がなにになったかという答えには窮
してしまうけれど、パンダでも花でもないことだけはたしかだ。

 宗教に関する知識はあまりない。それでもリ・インカネーション(輪廻)はどこか
信じているところがある。「前世は植物ではないのか」と。「来世は植物ではないか
」と。パンダという生活がいかに過酷で大変なものかを最近知り、こちらの方は申し
訳ないけれど来世では辞退させていただこうと思う。これからは植物だって大変な時
代になっていくのだろうけれど……。
(「踊るで、しかし」2008年5月号)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓
 昨年、上野動物園のリンリンが死んだ際、ニュースで「レンタル」という言葉を目にしました。
「え!?」
 少し調べてみると、年間レンタル料がペアで約1億円とのこと。レンタル料を支払うことが出来ず、<友好の証>であるパンダを中国に返納せざるをえない国もあるそうです。片方の親が中国籍である場合、子供はすべて中国籍となること。すなわち、子供もレンタルとなり料金の支払い義務が生じる。絶滅危惧種であるので、繁殖のために世界中を飛び回ることもままあるらしい……。
 
 友好の証といえば聞こえはいい。いくらみんなに愛されても、本人(熊猫)に自覚がなくても政治の道具として一生を終えるのはいやだ。生きているだけで1億円という値段をつけられるのも、なんだかしゃくにさわるし、もし行かねばならないのならタダで行きたい。どうせ飯つき、家つきなんだから。そのほうがゴロゴロ、グダグダするのにも気を使わずに済む。
 
 見ている限りでは、ゴロゴロ、ムシャムシャと実にお気楽そうに見えるけれど、実はパンダとして生きるのは心身ともにとても大変なことのようです。僕にはとてもそのお役目を勤め上げることはできないでしょう。そのうち絶対に頭から黒ペンキをかぶり、ただの熊に変装をして脱走を企てるに違いありません。
 そういったわけで、パンダは「いいなー」、「かわいいなー」とニコニコ見るだけにとどめおきます。「来世は……」という夢は捨てました。

 子供の頃、グリーンガムを噛んで日向ぼっこをすると光合成が出来ると信じていたのは僕だけでしょうか?
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by seikiny1 | 2009-02-26 09:06 | 思うこと
はくさいのうた ~永遠~
いくつものおわりに立ち会ってきた
そしてまた
いま、消えそうに
滅びなければ生まれない
わかっているけどさびしいな

ずっとずっと気になっていた
冷蔵庫の白菜
どうしていつも元気なんだ
勇気を出して味噌汁にする
命の味はちとしぶい

二本の針で時を考えていた
いつの間にか砂時計
山はどんどん高くなり
蟻地獄に容赦はない
フラスコに砂を足したいんだが
ふたがなかなか開かないんだ

時だけが砂時計を持たない

カウトダウンには行かない
砂時計が見えるから
二本の針はいつまでも
追いつ追われつするのだろう
それでも砂を足さなくちゃ

まだまだ白菜がある
いつまで元気いでいるんだろう
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by seikiny1 | 2009-02-17 09:40 | 思うこと
青テント
 暗記教育の是非について永年いろいろと言われている。いい面もあれば、悪い面もあり、そうそういいとこ取りなんて出来るはずがない。
 当事者であった頃のことはさておき、OBの一人としては、
「あれはあれで良かったのでは……」と思う。

 一番退屈だったのは古典の授業。昼飯後の静かな教室によく響く先生の朗読が心地よい眠りへといつも導いてくれていた。それでも平家物語、徒然草、方丈記などの日本古典、いくつかの漢詩などは今でも諳んじることができる。先生の苦労がまったく報われなかったわけでもない。



 交差点で信号待ちをしていると、正面にあるマクドナルドの横断幕がいやでも目に入ってきた。期間限定で発売されているハンバーガーの広告だ。この国の人たちはで満足することができなくなってきたのか。それとも本格バーガーを求める人が多くなってきたのか。
 どちらにせよ、不景気で悲鳴を上げる外食産業が多い中、マクドナルドだけは着実に売り上げを伸ばしているらしい。
「景気悪くって高ぇとこ行けないけど腹減ったな。McDonald's Resrautantにでも行くか……」といったとこなんだろう。
 皆さん外食がお好きです。

 ハンバーガーの写真に胸やけしてしまい、移した眼の先には青いテントがあった。
 二十年ほど前にはまぶしかったテントが、今、くすんで映るのは単に経年劣化のせいではない。トーンの落ちてしまったブルーの中に、最終電車に乗り遅れ、オロオロオしている中年男の表情が重なる。
 かつてはフロリダにメジャーリーグ球団を所有していたビデオチェーンの前を通るたびに、なんだか申し訳ないような後ろめたさを感じてしまい、うつむき加減で目をそらしながらいつの間にか早足になっている自分がいる。
 そんな時に流れ出すのが平家物語の一節。

~沙羅双樹の花の色  盛者必衰の理をあらはす~

 無常。
 スピード感あふれるこの街は、永遠というもののないことを、永久という時が存在しないことを肌身で感じさせてくれる。変わることの必要性と変わらぬことの尊さを教えてくれる。
 


 初めて永久という言葉を聞いたのは幼稚園の頃だったと思う。
 母親がなにかの折りに、少しおどけた感じで結婚のことを〈永久就職〉と呼んでいた。
 時は流れ、社会も変わり、近頃ではそういった結婚観を持つ女性も少なくなってしまっただろう。若い世代には外国語としか聞こえないだろうし、〈差別語〉とやり込められても不思議ではない。使う言葉にこれほど気を使わなくてはならぬ世の中は、決して幸福な状態にあるとは思えない。

 母にとって永久であるかに見えた就職もまた途半ばにして別の局面を向かえ、やがて別会社の社長となった彼女は、今でも発言権のある会長として元気でいる。

 諸行無常。





 今度のの正月は会長と共に日本で迎えます。
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by seikiny1 | 2008-12-01 09:00 | 思うこと
黒色の画用紙にパンダを描いてみる(1)
(チャイニーズ・デリバリーの兄ちゃんに食費を請求される日がくるかもしれない……)

「車はガソリンで走るのです」
むかしむかし、モービル石油のCMはそんな言葉で終わっていた。
ガス欠の車を押す鈴木ヒロミツと藤達也のうしろに、マイク真木の「のんびり行こう」という歌が流れている。
「ジェット機はジェット燃料で飛ぶのです」
「人間は食料(糧)でペダルを踏むのです」
「人はパンのみにて生きるにあらず」
そうですおかずだって欲しいんです。
既成事実となってしまった今、この先、燃料費がゼロとなる日はこないだろう。
燃料危機の次に食糧危機が訪れてもなんの不思議もない。
新聞広告の日本向け航空券料金を眺めながらそんなことを考えていた。

「季節限定松茸ギフト」
「成田空港リムジンバス券(片道)」
「商品券」
色々な特典を各社が打ち出している。
それだけではなんのことだか見当もつかない「キャンペーン実施中」というものまで。
どこで買っても大差ない時代、特典やサービスで客をひきつけ、確保するしかないのもうなずける。
飯を食うのと違ってどこで買っても手に入るものは同じなのだから。
そんな中で目を引いたのは、「ビジネスクラス購入でBOSE社製静音ヘッドフォンをプレゼント」というものだった。
エコノミークラス以外にはこの先も縁のつく予定はないけれど、景品に好奇心が刺激され調べてみる。
「マイクで拾った音の位相をマイナスに変換して音を打ち消す」という原理らしい。
わかりやすく言えば、
38+(-38)=0 あくまで理論的には。
プラスの音をマイナスの音で相殺するらしい。

静音とは静という音であり無音ではない。
そこに存在する音を消し去ることはできない。

初めて飛行機に乗ったときのことを今でも思い出すことがある。
成田発ロスアンゼルス行きのシンガポール航空便。
帰りの切符は捨てるつもりだった。
窓の下に広がる景色を眺めながら
「あぁ、曇りは雲の影なんだ」
そんなことを考えていた。
普通に考えればあたり前のことだけれど、当時はそんな発想をしていなかったのでいたく感動したのを覚えている。
青空にポッカリと浮かぶ雲を見つめながら
「こんなきれいな雲を描いてみたいな」と思っていた。
小さなころは水彩絵の具をうまく使うことができず、水分で波打つ画用紙の青空に浮かぶ雲はいつもにじんでしまっていた。

<絵>と言えば、学生時代にはよくパンの耳をかじっていた、主食として。
「絵を勉強しているので……」と少し離れたパン屋へ行ってはサンドイッチ用に切り落とされたパンの耳を貰う。
たまに引っ付いてくるハムやきゅうりの細長い破片がうれしく、てうれしくて。そんな時には宝物でも見つけたような気分になる。
もちろん、僕の部屋にはキャンバスはおろか、木炭のかけらすらない。
今思えば、パン屋の店員さんもただの貧乏学生と知っていたことだろう。

パンの耳、消しゴム、白マジック、修正液、修整テープ、砂消しゴム、シンナー、タイプライターの修整リボン、deleteボタン……。
様々な消すための道具があり、
こすりとる、削る、分解する、かぶせる、惑わす(ごまかす)、負数の足し算、「なかったもの」とする、初期化に到っては核兵器のようなものだ。
ざまざまな方法がある。
消してしまいたいこと、消さなければならないことのなんと多いことだろう。
そんな中で、消せないもののあることをわかっていなくてはならないと思う。
たとえ消すことができても消すべきでないものも。

出会いはいつも衝撃的だ。
小学生の頃、僕の外での生活は毎朝立ち寄る文房具店からスタートしていた。
別に何かを買うわけではないのだけれど、一日のはじめの5分ほどをそこで過ごすのが大好きだった。
文房具屋のおばちゃんと父は中学時代の同級生で、金にならないガキの相手をおこりもせずによくしてくれ、新しい商品が入ると手にとらせてくれる。ニコニコとしながら。
シャープペンシル、電動消しゴム、コンパス、カーボン紙、ミシン目入りメモ帳、カラス口、ルーズリーフ・ノート、ケント紙、西ドイツ製の小さいがよく削れる銀色の鉛筆削り……。
ほとんどの文房具とはこの店で出会い、それはとても幸せな時間だった。
そして……。
「カタン、カラン、カタン」硬く、軽い音が静かな店内に響く。
品物の置かれた棚の向こうで、おばちゃんはいつもの笑顔を崩すことなく小刻みに手首を振っている。
音はその手元から聞こえてきていた。
「ほら、この上から書いてごらん」
手渡されたのはマジックのようなもので、振ってみると先ほどと同じ音が聞こえてくる。
軸もキャップもなぜか白いのが不思議だ。
キャップを取って見るとペン先のフェルト部も白く、飛び出ている一本の繊維がどこかボテッとしている。
手渡された試し書き用のメモ帳にペン先を走らせると、誰かが書いた青い漢字が消えていく。
まだ濡れている紙面からは鼻をつく独特の匂いが立ち、白いインクの下にはまだうっすらと誰かの名前が見えている。
白いマジックと初めて出会ったのは雨の降る朝だった。

(つづく)
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by seikiny1 | 2008-09-28 06:35 | 思うこと
回想
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たばこを巻きながら○×さんのことを想い出していた。
今頃どうしているだろう?
元気でいるだろうか?
人は僕のことを何を見た時に思い出すのだろう?
足跡をつけたり、つけられたり。



もう半年になる。彼がいなくなって。
いつも元気な笑顔を見せていてくれていたのだけれど、突如帰国してしてしまった。
今思い出してみると「助けて」というサインを彼は何度か送っていた。
それを見落としていた、まっすぐに向き合うことのなかった自分が情けなくもある。
去年の今頃は、サーフィンで真っ黒になった顔にいつも白い歯を覗かせていたのに。
誰も彼の連絡先を知らない。

彼も巻きタバコの愛用者だった。
ビレッジの喧騒の中でたばこを巻きながら彼のことを思い出していた。
「今も巻いてるのかな?それとも(まだ)たばこの安い日本では普通のものを吸っているのかな?」
彼の愛用のzippoには<ショート・ホープ>のマークが刻まれていた。
今頃はショッポを吸っているのかもしれない。ひとつ前の夏のことを思い出しながら。

今まで色々な人が僕の前を通り過ぎていき、僕も通り過ぎてきた。お互いに足跡を残しながら。
自分のスケッチブックをパラパラとめくりながら、そんな足跡から過ぎ去ってしまった人のことを思い出すことがある。
その人がスケッチブックを繰りながら、記憶の彼方でうずくまっている僕のことを見つけることもあるのだろう。
いったいこの先、どれだけの足跡をつけ、つけられるのだろう。
もっともっと足跡をつけ、つけてもらおう。
見返すためではなく、見返してもらうためだけではなく。
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by seikiny1 | 2008-08-17 04:37 | 思うこと
ロッキーさんの死
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ロッキーさんの死

 ロッキー青木さんの訃報をNY1(ニューヨーク市ローカルのテレビ局)のキャスターが伝えている。窓の開け放たれた地元の図書館で読んだ彼の著書が、僕をこの国へと旅立たせたひきがねのひとつだった。
「ひとつの時代が終わったな」というのが実感。
 画面はもうCentral Parkで行われるBon Joviのフリーコンサートに列を作る人々を映し出している。
 やっぱりTVというメディアは僕には適わない。




 あたり前のことだけれど、テレビでは自分のペースで物事を進めていくということができない。たとえば、誰かの死を悼み自分の歴史と照らし合わせてみる、その人の本を引っ張り出しに行く、そんなことを思う前にまったく関係のないことで頭の中が掻き乱されてしまう。すぐに電源を切ればいいのだろうけれど、それほど素早くはないし、そこまで頭の回ることもない。次のなにかが始まってしまうと、もう余韻どころではなくなってしまう。
 テレビもビールも「生」に限る。そこには緻密な計算というものはなく、存在するのは概算のみ。そこに緊張感が生まれ、僕らにも伝わってくる。テレビの最大の魅力は「生」そして出演者。グラスは冷えているに限る。それ抜きのテレビは戦時中のラジオ放送とそう変わらないのではないだろうか?

 やっぱり自分のペースで歩き、立ち止まって道草を食える文字が好きだ。もちろんそこにも色々な思惑や伏線が仕込まれているのだけれど最終決定は自分で下すことができる。ページをめくるのは自分なのだから。ダラダラと見る、見せてしまうのがテレビの怖いところ。
 そういうものに慣れてしまった自分が一番いけないのだけれど。

 ニューヨークで放映されている日本語放送のニュースを見るたびに思うことは、
「もうちょっとましな切り方できないのかねー」ということ。
 素人目に見ても、本来のフィルムはまだ後が続きそうな勢いを見せながらも「プチッ」と切られてしまう。起承転結の結がハンケツのままで消化不良をおこさせる。放送局にやる気がないのか、「見せてやる」という姿勢で番組をお下しになっているのか、それてもエンジニアに才能と感性がないのか。
 それでもついつい見てしまうのがテレビの怖いところで、飼いならされた家畜の弱いところ。

 日本映画の黄金期は70年間だったという。

(ニューヨークタイムスの記事)
http://www.nytimes.com/2008/07/12/nyregion/12aoki.html?_r=1&scp=1&sq=aoki&st=cse&oref=slogin





p.s. 今日は小学校の同級生二人の誕生日。「おめでとう」
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by seikiny1 | 2008-07-14 07:19 | 思うこと
器用
拡大は画像をクリックしてください。

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by seikiny1 | 2008-06-22 08:30 | 思うこと
塀の上の猫
 猫はどうして塀の上が好きなのだろう?
 いつも、様々な猫が入れ替わり立ち替わり塀の上で日向ぼっこをしている。昨日の夕方はまた見慣れない猫がうずくまっていた。1メートルほどのところに舞い降りた小鳥。そっと忍び寄る猫。気配を感じた鳥は、さっと真上の電線へと飛び移る。
 それにしてもどうして鳥は電線を好むのだろう?
 その太さが足に心地よいのだろうか。都会に住む鳥には既に電線は気持ちいい、というDNAが刻み込まれているのかもしれない。
 しばらく上をにらんでいた猫は、あきらめたのか再び塀の上にうずくまる。その時だった。
「キッキッキー……」
 お世辞にも美しいとは言えない声で鳴きながら鳥が猫の頭上に舞い下りてきた。翼を器用に使いながら猫との間に絶妙の感覚を保ちつつ、ジグザグに、上下に、右へ左へ羽ばたきながら浮かんでいる。猫は再び座り込み、にらみつけながら腕を伸ばすのだけれど届くはずもない。しばらくすると電線へと戻りひと休みをする鳥。そんなことを5分ほど繰り返していた。
 鳥はただ遊んでいたのかな?
 猫の方は間違いなく<おちょくられている>と感じていたことだろう。たとえ、鳥に悪意がなくてもその思いは伝わることはなかった。

 僕が腹を立てている時も、離れてみると一匹の猫に過ぎないことのほうが多いのだろう。

 電柱のてっぺんに座っているリスを見かけることがある。リスは長居をしない。
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by seikiny1 | 2008-05-17 07:59 | 思うこと
Happy Mother’s Day! のとまどい
 この国にはカードをやり取りする習慣がある。僕はあまり書かない。クリスマスカードすらほとんど書かなくなってしまった。最近、カードを送ったり受け取ったりするのはごく限られた人と、ごく限られた日に、ということが定着してしまったけれど、それでいいと思っている。

 カードをやり取りする習慣がある以上、その数、種類も多く、店頭にはシーズンが近づくと特別の棚が設けられる。カードを開いてみると、
Happy ●×△! などと印刷されているものが多い。
 母の日のものにもやはり、
Happy Mother’s Day! と印刷されていたりする。

 僕にはこの国の文化、伝統、言語というものが浸透しきっていないのだろう。母の日を前にして、Happyの文字を目にするたびにとまどい、ワンテンポあってから「ありがとう」という意訳された言葉がついてくる。もちろんこの国の人たちだって、ありがとうの気持ちをこめているのは間違いのないところだろうけれど。
 すべてをHappyですませてしまうのもなー。

 こんなことを先週考えていて「ありがとう」を言いたくなってしまった。
 僕を生んでくれて。
 僕を育ててくれて。
 僕を見守ってくれて。

 母にありがとう。
 母と僕をつなげてくれたなにかにありがとう。
 世界中のお母さんたちにありがとう。

「ありがとう」そう口に出した時、しあわせになれる。
 だからHappyでいいんだ。
 Happy Mother’s Day!


 手書きのカードを送りました。
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by seikiny1 | 2008-05-12 07:26 | 思うこと
叫び
 少しだけ歩調をゆるめ、「どうしたんだ?」という表情を浮かべながらも2秒後には元の顔に戻り歩み去る人たち。一人の男が、行きつ、戻りつなにかを叫び続けている。朝のミッドタウンのひとこま。
 最初は「あー、またsickな人がいるなー」と思っていたのだけれど、そうではないのかもしれない。
 離れている上に、ビルの間にこだまする騒音で、なにを叫んでいるのかはわからない。それでも声のトーンや調子からなにかを悲しんでいるか、それともなにかに怒りをぶつけているかのようだ。言葉はわからなくても、わからせようとしなくても人間の芯からあふれ出してくる感情というものは表情を持ち、言葉を超えて共通したものがある。最低でも、喜怒哀楽はわかる。

 最近叫んだことがあるか?
 最後に叫んだのはいつのことだったか?
 感情を素直に表現できているか?
 コントロールして、されていないか?

 叫び続ける男がうらやましくなってくる。

 サイレンを轟かせて消防車が通り過ぎたあと、男の姿も叫び声も消えていた。
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by seikiny1 | 2008-05-02 08:02 | 思うこと
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