ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
お願い
当サイト・メインコンテンツ内にある全ての著作権は筆者に帰属いたします。無断転載及び流用は固くお断りいたします(トラックバックに関しましてはこの限りではありません)。
以前の記事
カテゴリ
カテゴリ:思うこと( 138 )
ツメタイクリスマス 
 基本的にへそまがりです。
 ああ言われれば、こう言います。速攻で切り返せるほどの頭はもっていないけれど、しばし考えて忘れた頃にポツリ。
 
 数日来の寒波もひとやすみ。
 それにしても、今年のクリスマスはツメタイ。
 サンクスギビングの静けさから一転、街はイルミネーションで埋め尽くされていっています。今年は、文字に違うことなく「輝く」という表現がぴったりです。数年来言われ続けているLEDライトへの切り替えが加速したようで、ビルディングやお店を彩る灯りもグッと明るく、きらびやかです。
 明るい、地球温暖化防止効果、長寿命……。
 まさに素晴らしい光源ではあるようですが、<明るい>のところにちょっとひっかかるんですね、ぼくは。

 この齢になっても、未だに自分の人生を長いスパンで見ることができません。すなわち、その日暮らしに限りなく近いぼくにとってのLED電球。まだまだ選択肢にははいっていません。それにしても、もう軽く折り返し地点は過ぎているはずなんですが、どうしたもんでしょう、これは。
 世の中、実にうまくできています。お金を持ってる方が得をするように出来ていますね。
 まとまった金を持たない人はローンで車を、カードでテレビを買い金利を払っていかなければなりません。身近なところでは、地下鉄のメトロカード。ここ数年は1ヶ月乗り放題のものを買ってはいますが、そんなものを買えなかったあの頃はシングル・ライドという一回こっきりのものを乗る度に買っていました。もちろん割高ですが、先立つものがない、不安がある身にはその数十ドルさえ大きな買い物です。当面をしのげればいいか、ということになります。
 もし、です。LED電球が、もし仮に10年もつとしたらもちろんすべてを替えてしまった方が得でしょう。10年の寿命に関しては色々と説があるようですが。
 ちなみに僕の部屋の電球を数えてみると……。
 大きなのが11個、小さいのが6個。蛍光灯はありません。
 ま、金のことは置いておいて。

 今年のクリスマス・イルミネーションに使われている白色LEDの色が嫌いだ。
「わぁ、明るい!真っ白!」という世界なんでしょうね、きっと。ぼくの目には冷たく、拒絶感をはらんだ白としか映らないんです。その電球が集合すれば、集合するほどに……。
 心に闇の部分を持つ、ぼく自身に問題があるのかもしれませんが。
 
 やはり熱を伴わない光というのは、人間の奥深いところで冷たく感じてしまうのではないでしょうか。
 LEDがあまり発熱をしないということを知っている、知らないということではなく。生まれて間もない赤ん坊にも、まったく違った質の光として受け止められているような気がします。
 もちろん光の目的のひとつは明るく照らし出すことのあるのだから、明るいことは決して悪いことではないのですが。それでもぼくは、じんわりと闇ににじんでいく光のほうが好きなんです。心にいくつもの層ができるんです。

 生まれる前の遠い記憶のどこかに火の光というものがあるんでしょう。それを囲む人々。火がまだ大切なものであった頃のこと。
 生まれてからの近い記憶にもそんなものが残っています。薄暗い裸電球。古くなって端っこのところが黒くなり、チカチカと点滅を繰り返す蛍光灯。もちろん、ホームレスの頃ロウソクで読んでいた本も。
 
 貧しさを煌々と照らし出されるのはやはりたまらない。そんな場面にはやはりアタタカイ裸電球がやさしい。
 明るければすべてよしというわけではなく、灯りを考えるときには影の部分を、あわい翳りをもっと大切にしていきたい。明かりは闇との対比で明かりたりえるんです。

 1週間前の話。
 TV Japanという放送局が、無料お試し視聴キャンペーンをやっていたときのこと。明治初期を舞台としたドラマだったのですが、歌舞伎のシーンで一番目を引かれたのが灯り使い方でした。舞台の上にはポツリ、ポツリとメガホン状の白紙でくるまれたろうそくが数十本置かれています。こんな設定で見れたらまた歌舞伎も面白いものなんでしょうね。

 もっともらしいことを言って、さんざんLEDの悪口を並べてきましたが、値段が十分の一になったらちゃっかり買っていると思います。そんな人間ですから。でも、直接照明にはしていないと思いますよ。
[PR]
by seikiny1 | 2009-12-14 01:12 | 思うこと
ピンクのガリ
空白はあった方がいいのか。
埋めた方がいいのか。
埋めずにいられないのか。

人間の性としては埋めずにいられない。
高級寿司店の大皿。
ポツリ、ポツリと盛りつけられた空間ではなく。
折り詰めされたパック寿司。
ぽかんと開いた空間にガリを詰め込みたくなってしまう。
あえてピンク色のやつを。

そこだけがポッカリと空いてしまうと、なんだか落ち着かない。

仕事と仕事の合間の小さな時間。
立ち上がって流しに。
コーヒーカップ、皿やスプーンをを洗ってみたり。
それを<今>やる必要はないのに。
<今>この時は、ぼんやりしていたほうがいいのはわかっている。
それなのに、ついつい立ち上がりスポンジを持ち蛇口をひねる。

空白を埋めたいがために手に入れたものはどこにへ行くのだろう?
あの、小さなな時間が還ってくることはない。
時間をかけて飯を食ってみたり。
ベッドで3ページだけ余分に本を読んでみたり。
もしかしたら、たばこを1本だけ余分に吸ってしまい、実際は身体によくないことをしているのかもしれない。

空白を埋めたからといって、新しいものが生まれるとは限らないのだ。

どうしたわけか、いつのまにか飛ばしてしまったノートの1ページ。
ピンクのガリで、空白を埋めるためにこれを書きました。
[PR]
by seikiny1 | 2009-12-02 09:13 | 思うこと
Between the Sheets
 なんだか久しぶりに地図を広げてみたくなった。
 GoogleやNetScapeなどのオンラインものではなくて、観光局やレンタカー屋でもらえる無料の簡単なものでもない。地図帳がいい。
 アメリカのものならRand McnallyのRoad Atlas。日本のものならばガッシリした表紙を持つ重そうなもの。
 別にどこかへ行こうというのではなく、ただなんとなくパラパラしたい。アソビたい。
 適当に見つけたその町にはどんな人が暮らすのか。小さな目抜き通りにあるバーではどんな会話が交わされているのか。小さな川で糸を垂れるひとはどんな魚を釣り上げるのか……。ページの中で空想に遊ぶ。

 小学校でもらった地図帳。中学では少し精密になる。家の本棚あった大きなやつは重すぎたせいかあまり開く機会はなかったが、父が持っていた九州道路地図ではよく遊んでいた。たしか青い表紙だったと思う。それとゼンリンの住宅地図。手書き風のこの地図も好きだった、友達の家を見つけては喜んでみたり。
 アメリカへ来てからは傍にいつもRoad Atlasがあった。時代小説が好きだったので日本へ帰った際には古い地図を探してみたり、詳細に描かれた分厚い地図帳を持ち帰ってみたり。地図を見ながら小説を読むのも楽しい。作品に立体感が与えられその場にいるような気分になってくる。これはGoogle Mapでのことになってしまうけれど、ニューヨークを舞台にした連作小説を読み返しながら、最近、登場する場所にピンを立てながら地図を作っていっている。

 さて、地図帳。
 地図という紙の束が身辺から消えて10数年が経つ。
 なぜ、今、この時に地図を広げてみたくなったのかはわからない。ひとつだけ言えることは、この空想アソビにネットの地図が不向きであるということ。ネットの地図にはいつも行き先、目的地が必要になる。出来ないことはないけれど、手ぶらでフラリと出かける気楽さがない。検索という厳然たる目的と、「なんとなく」というフワフワしたものの間にはどうしても取り壊すことのできない壁がある。
 とはいえ、検索、ネットは本当に便利だ。
 ちょっと気になっていた言葉を窓に入れると、ニュース、ブログ、宣伝……、またたく間にずらりと並べてくれる。目的地までの道順は懇切丁寧に教えてくれるし、乗換駅から時間、料金まで教えてくれる。辞書で一発で目的の言葉を探し出してくれ、難しい漢字を大きく表示することも出来れば、後方一致なんていう荒業をいとも簡単に決めてくれる。

「《コメント》ってそもそもなんなのよ?」
 芸能界で事件が起こると、特に不祥事と呼ばれるたぐいのものが、どうしたわけだか和田ア●子にコメントを求める。最近ではあたり前のことを偉そうにしか言っているだけで、あまりのバカばかしさも手伝い紙の辞書の中で《コメント》という言葉を探してみると。
 小学校の辞書探しでは結構速かったのだけれど、最近はまったく駄目。
 途中、「がんかけ」、「けむくじゃら」、「こする」なんて言葉に魅せられてなかなか目的地にたどりつくことが出来ない。
 
 こんな余分なもの、アソビが楽しい。
 便利さとは別に寄り道を楽しんでいきたい。そこには思いもかけない楽しい旅がはじまる無限の可能性が潜んでいる。
 探すためではなく、出会うために旅に出る。迷うために。
 本棚には地図帳と辞書。

 ネットの世界とはまた別の彷徨い方。
 磁石すら持つことのない旅。
[PR]
by seikiny1 | 2009-08-28 07:08 | 思うこと
「どうしてニューヨークへ?」
「アメリカかぶれだったんです」
 挨拶のように様々な人から投げかけられる質問、20数年続けている答。正直に答えている。アメリカのすべてに憧れ、想いこがれていた。鼻の奥の方がキーンと音を立てるようなトイレの消毒液の匂いにまで。

 「いつかは」と思っていたけれど、そんな僕にアメリカ行きを決心させたのは、雑誌の中の一文だった。もちろんその雑誌は絞りに絞った宝物群と一緒に父親から借りたスーツケースへ放り込まれ、海を渡ったわけだけれど他のすべての物と同様に今は手元にない。この先も還ってくるはずがない。それでもあの当時の物・者は全部頭の中で生きている。日本に残してきたすべてのもの、捨てたと言われてもしょうがない日本という国と共に、あの時と変わらぬ姿で。

『帰らない旅に出よう』

 人生の半分は、もうすぐ半分以上がこの言葉に翻弄されている。決して弄ばれているわけではなく、それをどこかで楽しんでいる。根が楽天家なわけだから、どんな状況にあっても絶望や落ち込みという言葉とは縁遠く、そこになにかの楽しみを見つけるというのは特技とさえ言える。
 そういったわけで、10文字にも足らない言葉にかどわかされた僕は今も旅の途中。さて、終着地はどこになるのだろう?

 数年前の一時期、「さて、こんなものでいいのだろうか?」と考え込んでしまったのもまた、ある言葉と出会った結果だった。どこで見かけたのか、どういう状況で発せられたのかは忘れてしまったけれど。

『帰りのない旅は彷徨(さまよい)に過ぎない』

 25年前のアンサー・ソングのような言葉はしばらくの間、頭に張り付いたままでいつも自問をしていた。きっと僕自身がどこかで自信を失いつつある時期と重なっていたのだろう。

 そんな言葉を今朝は久しぶりに思い出していた。
 「ネットを彷徨っていたらブログにたどり着いてメールしてみました……」
 舞い込むという言葉がピタリとあてはまるようなメール。古い、古い友達からだった。
 <彷徨う>という言葉にはどうしても短調のような寂しいイメージがつきまとっていたのだけれど、彷徨うからこそ出会える人がいる。見つけ出すものもある。今、僕の周りをあらためて見回してみるとそんなものがすべてと言っていい。彷徨ったからこそ手に入れた有形、無形の宝たち。そうして彷徨った末に僕を見つけてくれる人がいる。探し出してくれる人もいる。捨てることを怖れていたら決して辿り着くことのなかったであろう場所。
 
 これからもまた旅を続けていこう。
 何かを喪いながら。何かを手にするために。


 僕がこの国に携えてきたあとひとつの言葉。

"Pack up your dreams and GO."

《原宿ゴールドラッシュ》という本の一番最後に書かれていた。


 1通のメールを受け取り、旅ということを考える。
 8月26日は旧暦の七夕。
 それにしても、アメリカで七夕のことを考えるとは。しかも旧暦で……。
 七夕は秋の季語。そういえば今日は少しだけ涼しい。
[PR]
by seikiny1 | 2009-08-25 07:42 | 思うこと
ツケて来んじゃねぇヨ!
(使いやがった……)
 ノリP失踪を伝えるニュースを耳にした時のこと。
 危惧していたことが現実となった。ニュースを聞いて「怖い」と思った人はどれくらいいたのだろう?僕は怖くてたまらない。

 とは言っても、別に覚醒剤の恐怖でもマスコミの傲慢さでもない。怖いのはコントロールされてしまうということ。<その気>になればいとも簡単にできるという事実が判明したこと。

 探し方が悪いのか、それとも持って回ったような独特のややこしい書き方をするお役所文書が悪いのか。検索をしても確としたものに突き当たらない。かといって、あの決定が覆されたというニュースにも行き当たらない。2年程前の新聞で小さく報じられていた記事 -こんな大切なことを、どうして大きく扱わないのか不思議でならないのだけれど- が酒井法子さんの写真の向こうでちらつく。「やりやがったな……」という言葉と共に。

『携帯電話のGPS搭載義務化へ』

 そんな見出しだったと思う。
 最近売られている携帯電話のすべてにGPSが搭載されているということ。
 これからは犯罪に関わる人間の大部分が携帯電話の電源を切ってしまうようになるだろうから検挙率が極端によくなるということは考えにくい。複雑に入り組んだ繁華街や住宅街の中、目的地へ容易に達することはできるようになるだろう。子供やお年よりの迷子、遭難者の発見にも功を奏していくだろうことは間違いない。

 楽しいドラッグに副作用があるように、GPSにも裏面はある。昔のレコードもそうだけれど、B面のほうが意外と本音の部分であったりする。GPS搭載《義務化》に関しては、表向きのコインを差し出された。
 
 国民ほとんどの首に鈴がついた。

 あれほど国民総背番号制を嫌悪している日本人だけれど、話が携帯電話となってしまうと嬉々として新機種へと乗り換えていく。そこに眠る機能について深く考えることなく。ほとんどの人はGPSを喜んでいると思うのだけれど、どうだろう?


 ヤツラがその気になれば、悪意を持った者がシステムに侵入すれば日本全国の人の動きを把握することができる。

「今、このレストランで食事をしている人たちはどこへ帰っていくのか」
「この会社に勤める人たちは、どういった生活を送っているのか」
「この商店街のひとのながれはどうか」
「よし、このエリアにいる人のカメラを一度にONにしてみよう」
などといった直接は害のないことに使われることもあるだろう。それでも僕は、
「あ、こいつはここで飲んでんだ。次はきっとあの店だな。ほら、あたった。よくあんなしょうもないとこに行くなー。オイオイいつも降りる駅と違うじゃないか、さては酔っ払って乗り過ごしちまったな……」
なんてのぞき見をされたくはない。

 それが電源OFFの状態でも電池のある限り機能させることができるのかはわからない。それでも、最低でも設定の上からGPS機能を切ることだけはやった方がいい。
 鈴をつけられないために。



 検索していたら物騒なニュースと出会う。
[PR]
by seikiny1 | 2009-08-15 03:42 | 思うこと
登校日
「???......」

 言葉が通じない。
 「半ドン」がわからなかった。
 考えてみれば当然で、彼らにとって週休2日というのはあたり前のこと。かつて、休みは日曜日のみであったということを知る人は思っているよりも少ないのかもしれない。使われない言葉は錆びつき、そして死んでいく。老人語、死語。

 土曜日は半分休み。それが半ドン。
 4時限目の終わりを告げるチャイムが鳴ると「吉本新喜劇」、「ルーシー・ショー」を観るために駆け出す。昼飯は大抵うどん、インスタントラーメン、すいとん、焼きそばなどで給食嫌いの僕にとってはなによりのごちそうだった。
 休みは多いに越したことはないけれど、土曜日午前中の根拠のない期待感、午後の気だるさというのも好きだった。11時55分、デパートの屋上から流れる「春の小川」のサイレンが消え入る頃、町がどこか緩んだ空気に包まれる。


 厳密にはいつ頃までを<詰め込み式教育>と呼ぶのかはわからないけれど、僕らの世代がその最後のあたりに属するのではないかなと思う。今、振り返ってみて「悪い時代じゃなかったな」などと思うのはジーサン化の証し。時はケバだった表面にやすりをかける。
 どうしたわけか、古文の授業はいつも昼飯直後に組み込まれていた。朗読する先生の声が気持ちよくて......。昼寝。
 風雪をかいくり、未だに息をしているものを古典・名作と言うのか。そうでなければあんなにも心地よい、それこそ夢心地となるような空気を醸し出すことはできない。リズム感、あの抑揚のある響きだけで名作となっても不思議ではない。芸術というのを突き詰めていけば「気持ちのいいもの」というところにある、と僕は思う。心地よいもの。
 授業中に心地よくはなっていても、試験前になると廊下を歩きながら、学校の行き帰りにいつも呪文を唱え、それら<名文>の暗記をしていた。憶えること、刻み込むことが勉強だったから。

 徒然草、土佐日記、枕草紙、奥の細道、平家物語、百人一首、論語、漢詩......。
 いくつかの作品は冒頭部分を今でも諳んじることができる。
「古典とは確信犯なのかそれとも偶然なのか?」そんなことを考えていた。冒頭部は十分に練りに練って創り出されたものなのか、それとも兼好法師の言うように「退屈で机に向かっていたらできてしまっていた」のか。あの心地よさはどう考えても後者に違いない。最初に結果を作ったものは長持ちしない、とどこかで信じている。

 諳んじることのできる冒頭。そのほとんどは高校時代の暗記を重視した教育の副産物。ひとつの例外を除いては。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」
 これだけは小学生の時に憶えた。それがなんであるのかすら知ることなく。
 ただ、
「おふくろのおっぱいの味を覚えてんのか?捨てた女のホクロの数を思い出せるか?」と続いていってしまう。
 テレビの力は、少なくともあの時代に於いては偉大で、平家物語の冒頭は、左とん平『ヘイ・ユー・ブルース』で知らぬ間に血肉となっている。

 8月。
 半ドンという言葉がまだ生きていた頃、この時期になるといつも憂鬱になっていた。
 夏休みであるにもかかわらず、8月6日と21日には登校をせねばならず、6日にはわけのわからぬ平和授業というのを受けさせられ、黙祷をする。小学1年生にわけのわかろうはずもなく、ただ一所懸命に目を閉じるばかり。そういえば黙祷という言葉知り、体験をしたのも登校日が最初のことだと思う。
 そんなことでも毎年続けていると、戦争のこと、原爆のことが少しずつだが理解されていき、自分の今いる平和という時代の幸運さを考えるようになる。最初はあくまで強制でしかなかったのだけれど。

 強制や詰め込みを一概に悪と言うことはできない。ただ、その使い方を確信犯的に悪用されれば悲惨な結果を導いてしまうことは歴史が証明しているが。

「今のガキ達も、登校日には文句たれながら学校に行ってるのかなー?」
 調べてみると、登校日を設ける、設けないは各校長の裁量に委ねられているということで、その日に何をやるかという規定もないとのこと。
 ちょっとビックリしてしまった。まさに井の中の蛙。日本全国、すべての学校が今も、昔も平和教育を行っているものと勝手に思い込んでいた。誰もが8月6日には黙祷を捧げるものだと。登校日すらない学校が全国にはかなりの数存在するらしい。ジーサン化の進んでいないガキたちにとっては喜ばしい子に違いないけれど、平和というものに対する意識は微妙に違ってくるのだろうか?
 少なくとも、僕に関しては40日ある夏休みの1日を捧げた価値はあった。

《ゆとり教育》も見直しが始まっているようだけれど、見直しの必要なものはたくさんある。便利であれば、楽であればすべてOKとは限らない。長い目で見ると。いつだって過ちはある。これまでも、これからも。川に落ちたり、修理をしながら進んでいくしか他にはない。
 強制されること、縛られることにどこかで喜びを感じる部分が確実にある。ついつい弱い者を探してしまうのと同じように。
[PR]
by seikiny1 | 2009-08-05 19:35 | 思うこと
Sのあるなし
<S>がつくか、つかないか。
ただそれだけで印象がまったく違ってくる
やっていることはと言えば、以前とまったく同じことなのに。


ヘタを取り、包丁の刃が種にあたるまで入れ、グルリと果実の側を回す。
切れ目が一周したら、両手でひねるようにして二つに割る
種を取り、皮をむいて。
スライスしたものをラップでグルグル巻き。

アボカド半個につき30cm四方は使っているかな?

客が退ける速度と、気だるさが漂いはじめる速度が飲み屋では同期をする。
酔眼の焦点を合わせるのは面倒くさく、カウンター内の単調な動きをぼんやりと眺めていた。
効率よく仕事をしなければならない彼らには当然の動きなのだけれど、
(もったいねーなー……)とポツリ。


初めてサランラップを目にしたのはいつだっただろう?
「スゲーッッッ!」
伸びる、切れる、ひっつく。
一連の動作を目にした時の衝撃は覚えているのに、
それがどういう場面であったのかをまったく思い出せない。
サランラップ登場以前の冷蔵庫内はどんな光景だったかな?
思い出せない。



「サランラップある?」
「申しわけございません。只今、在庫を切らしておりまして......。
こちら、クレラップでよければございますが」
「あ、サランラップっ」
「こちらでもよろしいでしょうか?」
「うんうん。これ、これ。サランラップ」
「お買い上げはこちらクレラップ1点でよろしいですか?」
「そう、サランラップだけ」
「それではクレラップ1点のお買い上げ、御会計の方が〇×△円となります」
「はい1千両」
「こちら□☆◎円のお返しとなります。おたしかめ下さい。
どうもありがとうございました」
「ありがと」

「おそいでー」
「おとーちゃん。あったで。サランラップー」
「なんやこれ?サランラップちゃうやんか」
「でも、サランラップやて。店員さんもちゃんと『サランラップ』や言うてました。
見てみなはれ、レシートにもちゃんと、ほら『サ・ラ・ン・ラ・ッ・プ』」
「そぅか。まぁ、どう見てもこりゃサランラップやもんな。
なんや、中身はサランラップやがな。箱、間違えよってからに」
「そやそや。言わんかったけど、あそこもちゃんと教育せんといかんなー。
商品の名前くらい憶えさせんと。いくらバイトやからいうて」
「そやな、いくら不景気やからいうてもアルミの箱にサランラップ入れんのはあかんな」
「あ、忘れとった!早よ帰って仏さん巻いてやらんと埃かぶる……」

サランラップはセロテープと同様に、
商品名でありながら普通名詞化をしている。
どこの会社が、どんな工夫を凝らした名前を付けても、
誰もが呼ぶのは「サランラップ」。

ガムはロッテ、野球は巨人。
(野球の方は今年はいけそうか)
カレーはハウス。
(マースカレーも好きなんだが)
ビールはキリン。
(そうだね、サントリーと合併したら)
マヨネーズはキューピー。
(『松田のマヨネーズ』というのが美味いらしい)

たとえ巨人が優勝しようとも、最近の彼らにサランラップの力はないな。



新聞紙を貼り合わせた袋が八百屋から消えた頃。
豆腐屋からの帰り、鍋の中で揺れる水を気にしなくもよくなった頃。
宝石のようにモミガラの中に鎮座していた卵がパックに入りだした頃。
醤油の計り売りがなくなった頃。
...............
ラーメン屋の出前が<ビニール+輪ゴム>からサランラップに変わった。

こうやって書いてみると《おつかい》から学んだことは実に多い。
そういった意味でも、今の子供達はかわいそうだな。


実はサランラップを切って使ってるんです。
30cm幅のものを半分にしたり。
時には4分の1に。
相手はトマトだったり、キュウリだったり、コップだったり......。
もちろんアボカドである時も。
1本が2、3ドルなんで大した節約にはならないが、もったいなくって。
性分でね。
根がセコイもんで。
もちろん、スイカの時は切りません。

かつて「セコイ」とか「ケチ」と言われたり、思われてきたことが、
今では「エコ」という言葉で語られる。
やっていることには、なんの変わりもないのだけれど。
「実にいい世の中になった」とセコイ男の胸は晴れる。

またいつか悪い時代がやってくるのだろうか?
平家物語は「諸行無常」と教えてくれる。

セコ男からエコ男へ。
Seco男からEco男へ。
Sがあるかないか。
中身は同じ。
Sakai SeikiがAkai Eikiでもいいのだが、
やっぱり僕は自分の名前が好き。




行動範囲の中で小さいサイズのサランラップを見かけたことがない。
日本だと<大>、<中>、<小>と各サイズ揃っているのに。
こんな発想と行動がアメリカ人に勝るところなんじゃないかな。
まぁ、映画『ブルース・ブラザーズ』でダン・エイクロイドが
プリウス型パトカーのハンドルを握っている姿は想像したくないけど。

さて、サランラップを切っている時の僕。
頭の中はSeco男なのか?それともEco男なのか?

はい。
サランラップ、洗って数回は再利用します。
器にかぶせただけ、軽い汚れだけのようなやつは。
立てかけたまな板の上では、今朝もサランラッップが風に舞っていました。
やっぱり立ち居地がSeco男のようで。






「なんやきみ。レジ、打ち間違えとるでー。
サランラップやなくて、クレラップやろ、これ。在庫合わんと困るから、気つけてや」
「......」
[PR]
by seikiny1 | 2009-07-28 08:58 | 思うこと
マイケル・ジャクソンの訃報を飲み屋で聞いた。
直後に頭をよぎったのは、ジャイアント馬場の訃報を耳にした時の自分だった。
[PR]
by seikiny1 | 2009-06-26 10:43 | 思うこと
グラッチェ!
 グラッチェ、グラシアス、サンキュー、ダンケ、メルシー……ありがとう。
 この言葉が大好きで訪れた国々では先ずこれをを覚える。
 先ごろ他界された忌野清志郎さんへこの言葉を贈ります。
 ありがとう!

 いつかこの日がやって来ることをわかってはいたけれど、いざ直面してみて自分の中で彼の存在がいかに大きかったかがわかる。不思議なのは悲しくないこと。とても残念ではあるけれど悲しくはなく、そんな自分にびっくりしている。
 音楽はもちろんだが、彼の生きる姿勢は僕の中に大きな、大きな影を落とした。それが僕自身の中で昇華されたかどうかは別として、たくさんのものを貰い、それらはこれからも発酵を続けていくことだろう。だからこそ、さよならではなく、ありがとうの言葉で送りたい。

「清志郎ならどうするだろうなー?」
 そんなことを一日中考えていたのは、先週木曜日(4月30日)のこと。

「何か全然違う内容で書いたものを午前中までに頂けない場合には、自社広告を入れて刷ることになります……」
 朝食を終えて開いたメールにはそんなことが書かれている。それにしても自社広告というところが情けない。
 連載をしているコラム中にあるミニコラムの内容が、発行人の意にそぐわず、書き換え依頼(指示?)が来ていた。もちろん、はなっから「掲載されることはないだろうな……」とは思い、発行人、しいてはNY日系社会の度量テストの意味で渡した原稿なのだけれど。それでも月末までの約2週間何の連絡もなかったので「もしかしたら」という気持ちは起きていた。結果は予想通りの<チャンチャン>。
 この数年、まったく変わることのないあるシステムに嫌気がさしてサラリと書いたのだけれど、いつの時代にも安定という名の小舟に乗る者は波風を嫌う。時として、自分の投げた小さな石が起こした波であろうとも。
 時代という名の大洋は動くことをやめないが、浮かぶ船はペンキを塗り替えたり帆を新調したりするだけで基本的な構造はなかなか変わることがない。結局、船頭たちは舟を強くすることよりも、海を静めることに躍起になり、僕たちは手を替え、品を替え揺さぶりを続ける。小さな波を絶やさないように。
 そういえば土曜日に花見をした公園では、少女が枝を揺さぶり桜吹雪を作り出していた。しばらくしてやって来た巡回中の警備員により吹雪はやんでしまったが。
 農民は言う「野菜はいじめないと大きく育たない」。

 予想していたことだったのでそれほど腹は立たなかったが、自分の甘さ、方法の弱さについて考えさせられたこの一事。清志郎さんならどんな歌を、どこで誰とどう唄うだろう?
「感じる」、「考える」、「行動する」そのどれもが極めて高いところでバランスをしていた人。これは僕が清志郎さんに感じる一面で、今、現在の自分にどれが足りないか、バランスを失っている原因が何かということはよくわかっている。さて、どうやって均衡を取っていこうか。


 LOVE、PEACE、HAPPYという言葉が日本で最高に似合う男よ、ありがとう!

 最後に、使用前&使用後の原稿を。
 もっとも、使用後の方も某社の自社広告になっているかもしれません。「全然違う」ものではないから。



〓使用前〓

《撲滅》
<不景気>が合言葉になってしまった。起業するのはやめましょう。いや、他人の財布をあてにするみみっちい起業はやめましょう。無給インターンが合法であっても、倫理のない企業はやはり社会悪に過ない。真剣に取り組んでいる企業もあるのだろうが、少なくとも周りで「インターンやってよかった!」という声を聞かない。夢を見ることなく帰国するのもひとつの道。社会の人はそんな会社との取引は止めましょう。セミナーや××会等では目先の小銭ではなく先のこと、社会のことを勉強・討論して下さいませんか。あーあ、また敵が増えた。


〓使用後〓
《カツ丼が喰いたい!》
豚インフルエンザの警戒レベルが5に。大臣達が「大丈夫」を繰り返すのは風評被害を防ぐため。思い浮かべるのは関東大震災直後のパニックで、マスコミが発達していなかったとはいえ人間の深淵に眠るものを垣間見させてくれる一事だ。一次情報から何を導き出すか。最近の楽しみは電車で前に座る人の観察。そこにある情報から無限のストーリーを作っていく。さて、練習です。インターンという言葉から、あなたならどんなお話を組み立てるのだろう?今回はいつになくタイムリーな情報を交えましたが、あなたは何を読み解いてくのだろう?

 

 いいことがあった時にも、悪い時にも口をついて出る歌。
「いい事ばかりはありゃしない……」
[PR]
by seikiny1 | 2009-05-05 08:40 | 思うこと
クール
 昨日読んだニュースの見出しがまだ頭の中に残っていたのだろう。
 まだ暖かくなりきれない昼下がりのパブリック・スペースで、大きなサラダボウルに向かう坊主頭の男を見ながら、見たこともない草を食むブロントサウルスを思い出していた。
 ニュースの見出しは『草食系リーダー像示す原監督』

 答えというものは、探していなければなかなか見つからないらしいが、たまに女神が微笑んでくれることはある。3月28日はそんな日だった。

「お、今年もやるんだ。いいねー」
 ビールを飲みながらインターネットでニュースをチェックしていると、アース・アワーの記事に目が止まる。
 アース・アワーとは「3月28日、世界各地の現地時間で午後8時30分から9時30分まで電気を消しましょう」という運動のこと。できることなら山にでも登って小さな町の使用前、使用中、使用後でも見てみたいのだけれど、酒を飲んでいるくらいだからもう遅すぎる。いや、早めに知っていたとしても果たしてそこまでの行動力があるかどうか……。
 それにしても、どうして点けているものを消すところから始めるのだろう。「夕方から●×時まで」としておけば、次第に慣れてくる目で薄闇を楽しむのもまたおつなもの。なによりも電球を点ける時の突入電流だって半分で済むし、電球も少しだけ長生きできる。
 点けてあるものを消し、そしてまた点ける。一点一点を見るパフォーマンスとしてはこちらの方が劇的ではあるのだろうが。

 記事を読み進めていくうちにある学者の言葉と巡り会い、女神が微笑みかける。
「問題は”すごくクールな”イベントの域を出て、具体的な結果に結びつくかどうかだ……」

「クール」
 この言葉だ。 
 ここ数年間、いつも心のどこかで違和感を感じていた。この居心地の悪さを一言で表せばなんという言葉になるんだろう、と。

 記事はアース・デーを提唱する団体代表のコメントで締めくくられていた。
「WWFは節約できたエネルギーの見積もりを公表しないとのこと。『アース・アワーの価値は実際に照明が消されることであり、省エネではない。私たちはそう考えている』」

 記事を読み終え、中途半端な’クール男はのライトを消して焼き鳥屋へ向かった。
[PR]
by seikiny1 | 2009-04-01 09:27 | 思うこと
記事ランキング 画像一覧